『夜明けのすべて』松村北斗&上白石萌音が繊細に描く「世界とうまく折り合えないわたしたち」は一体何を伝えているのか?作品の内面に深く共感していく1時間【ネタバレあり】

答えの出ない問に対してアイドルだったん すかみたいな癒しとか解決ではなくてどこ にも進まないのに繰り返しの中で理解した 上でさらに山添え君に着目して全く同時 ないのがまたすごいな。PMSとパニック 障害は全然関係性に理害が出てくると 夜明けの全ていう作品が伝えてくれ。 どうも太郎です。はい。ということで、 本日はこちらの作品について、え、夜明け の全てですね、改めてちょっと取り上げて みたいと思うんですけれども、松村北斗 さんと上白石さんが主演ということで、で 、ま、世界とうまく降り合っていけない そういう人たちを扱っている物語というか 、そういう人たちが登場してくる物語なん ですけども、この物語、この作品がそう いう人たちに対して一体何を示そうとして いるのか解決できない問題とかあるいは 答えの出ない問に対してこの映画が何を 伝えようとしてるのかそういうことを ちょっと改めて整理していきたいと思って います。ま、なかなかうまく生きちゃいけ ないなみたいなこと、ちょっと行きづらい なみたいなことを感じたことがある人に ある意味で寄り添うようなそういう作品な んですけども、その寄り添いの距離がね、 もう少しちょっと縮まったりするといい なっていうことで語っていきたいと思い ますのでよろしくお願いします。 で、まず改めてちょっと簡単に映画自体の 紹介をしておきたいと思うんですけども、 ま、2024年の映画っていうことで、ま 、ご存知の方、あるいは既でにご覧になっ た方っていうのも多々いらっしゃるんじゃ ないかと思うんですが、ま、まずせおま子 さんの原作ということで、ま、小説夜明け の全てというのがあるんですけれども、 それを、え、三宅シさん、三宅監督が映画 化されているということで、で、この三宅 シさん、三宅翔官とある意にこの夜明けの 全てという作品が代表作みたいなところは あるんですが、他にもあの稽古目を済ませ てとかね、かなり評価の高い作品がいくつ かあって、で、さらに今年2025年、え 、最新作の旅と日々という作品が、え、 スイスのロカルので開催されるロカルの 国際映画祭で最高賞にあたる金標のに輝い ています。で、この旅と日々は、え、韓国 の女優さんシ運さんが主人公なんですけど も、ま、人生というか仕事というか、 いろんなものに行き詰まって旅に出た 脚本家というキャラクターを演じられてい て、で、つ一さんとか川ゆみさんとか、ま 、日本でも、ま、早々たる顔ブレって言っ てもいいんじゃないかと思うんですけれど も、演技派のキャストが脇を固める形で、 で、2025年11月7日公開ということ なんですけども、ま、とりあえずこの宮宅 監督、ドライブマイカーの浜口竜介監督と 並んで、今1番油が乗ってる目の話せない 監督さんっていう感じなんですが、ま、 その三宅監督が今回この作品の主演として 迎えているのが、え、松村北斗さんと 上白石さんなんですね。 で、まずちょっと松村北斗さんの話からし ていきたいんですけども、ま、いわゆる そのアイドルグループっていうことになる と思うんですけども、ストーンズの一員 っていうことで、ただこの方、あの、 めちゃくちゃ演技がうまくてですね、ま、 最近は俳優業っていうことでなくても結構 演技のうまい方ってのはまあまあ いらっしゃるんですが、この松村北斗さん に関してはちょっと別格というかね、あの 、セリフ回しから立ち振る舞からまいから 存在感までも本当に役者っていうかもう 全然素人じゃないんですよね。完全に クローとプロって感じなんですけども、 本当に別格の演技力っていうのを備えて いらっしゃって、で、私はあの実は実際の ところその今年前半2月だったかな、えっ と、ファーストキスっていう作品があって 、そこで初めてちゃんと認識したっていう ことで、あの、ある意味全然にわかなん ですけど、ま、とはいえその俳優松北斗 っていうのは今自分の中で1番ちょっと 熱い推しみたいな感じになってるんですね 。 ま、実はこの作品を最初に見た時、ま、 公開時に何回か見てるんですけど、 ちょっと映画自体が印象に残りすぎてです ね、映画がすごく良かったので、この松村 北斗さんについてはその当時、ま、元々 知らなかったんですけど、あ、なんか すごいいい役者さんがいるな、なんか偉い 期待できる若手が出てきたんだなぐらいに しか思ってなかったんですよね。ちょっと 本当にあの自らの不明を弾い るっていうかね、もう本当に申し訳ないっ ていうか面目もないっていう感じなんです けど、改めて今年ファーストキスで見た時 にいや、ちょっとこの人すごくないですか みたいな。で、ちょっと改めてね、調べて みて、遡ってみたら、あ、あの時夜明けの 全てであの変気がすごかった人かアイドル だったんすかみたいなそんな感じで全部 繋がったみたいなちょっとね経緯があって 、ま、ちょっと話がそれてしまったんです けども、その松村北斗さん、彼もえっと 最新作秒速5cmが10月10日公開って いうことで、ま、新作公開を間近に控えて るってところではあるんですが、秒速5 cmの主演っていうところからもね、あの 、分かるというか伺われると思うんです けども、繊細な男の子を演じるのがすごく うまいんですよね。もうめちゃくちゃ うまいというか。 今回も、ま、主人公の1人で、え、 パニック障害を持っている山添君ていう 若者を演じていて、ま、突発的な発作が出 て過去になったりするので電車にも乗る ことができなくってっていうことで、 すごく行きづらくてすごく悩んでいて 苦しんでいるキャラクターなんだけど、 その一方でそれに完全に押しつされずに こうどこか表評としつつね、ちゃんと前を 向いてる感じのそういう繊細な役所を今作 でも見仕事に演じ切ってます。ちょっと この辺は後でまたね、改めて振り返って いきたいと思うんですけども。で、もう 1人、え、主人公を演じているのが、えっ と、上白石モねさんですね。ま、つい最近 もドラマであの千ハ早やフル巡りに出演さ れてましたけど、この方も、ま、演技に ついては提評のある方っていうか、本作で はPMS、え、いわゆる月前哨症候軍に 苦しんでいる藤沢さんという女性を演じ られてるんですね。で、PMSについては ちょっと本作未見でもしご存知のない方は ちょっとGoogleとかで調べてみて いただきたいんですけども、整理が訪れる たびに、ま、心身のバランスが崩れて しまって、で、重度のケースでは自分でも メンタルをコントロールできなくなって 感情が爆発してしまうみたいな、そういう こともある。そういう症状なんですね。で 、ま、どちらの主人公も、ま、山添さん、 藤沢さん両方、ま、自分の持っているその 問題のためにいわゆる一般的な大きめの 企業のサラリーマンが勤まらなくなって しまった、できなくなってしまった。ある 意味ドロップアウトしてしまったっていう ことなんですけども、そういう2人が、え 、クリタ学という新しい職場に迎えられて 、っていうところで始まっていくのがこの 夜明けの全ていう物語ですね。 で、この栗田科学っていう職場なんです けども、ま、小学生とか中学生向けの、ま 、科学理下科の学習教材とか、え、科学具 を製造販売する中小企業、ま、中小企業と いうか、社長含めて10人足たら足らず ぐらいの小さな会社なんですけども、山添 君と藤沢さんがその栗田科学っていうこの ちょっと特別な雰囲気を持った環境で働い ていくうちに、ま、自分の居場所っていう ことでもないんですけども、ま、いろんな ものを新たに見い出していくみたいな、 そういう話なんですよね。で、ちょっと ここまでがある意味そのこの映画の概要な んですけども、ま、山添君と藤沢さんって いうのがいて、それぞれパニック障害と PMSで悩んでいて、人生色々困ってる。 そんな彼らが繰りたっていうちょっと 不思議なって言ったらあれですけども、 あの温かい雰囲気を持った特別な場所で 人生が新たな展開を迎えていくみたいな そういう話っていうことなんですけども、 今日はもうここからさっさと確信に 踏み込んでいきたいと思いますので、もし あのこの作品未見っていう方が いらっしゃったらちょっと、え、ここで 一旦停止して、ま、各種配信 プラットフォームでも干渉できることに なってるようなので、えっと、 Netflixとかでもあるのかな?え、 是一旦ちょっと先に作品をご覧になって から改めて戻ってきていただければなと 思います。よろしくお願いします。 それでは、え、まずちょっと物語の全体的 な構造から抑えていきたいんですが、ま、 この物語については、ま、よく言われてる んですけども、あの、癒しとか解決では なくて、需要とか寄り添いとかね、そう いう話だと何かこう自連マとか圧歴とか 対立が解消してハッピーエンドに到達 するっていう物語じゃないんですよね。 ただそうは言いつつも、ま、解決はでき ないし何にも解消してないけどそれでいい よねって言って思考停止する物語でもない というかね。 あの、ま、大きな出来事、ドラマチックな 出来事は何も起こらずに淡々と進んでいっ ているように見えて、ま、実はいろんな ことが変わっていってる、ちょっとずつ 変わっていってるっていうかなりあの巧妙 なデザインだと思うんですよね。すごく 面密に丁寧にデザインされた物語になって いるので、ちょっとそこをしっかり読んで いきたいというかね、読み解いていきたい ていうことで、ちょっと改めて物語全体の 枠組から話をしていきたいと思うんです けども、ま、全体の枠組というか、その 構造的な色ですね。もうこの作品ご覧に なってる方はね、あの、すごくいい ストーリーでそれが心にしてみてみたいな ところも十分ご自身で感じておられると 思うので、物語全体をちょっとメカニカル というかね、構造的に見ていくことで少し ちょっとその感動の要素をなんて言うのか な、ま、言語化っていうのはちょっと違う んですけども、少し構造化することでもう 少し深く味わっていきたいなっていう、 そういう話をしていきたいと思います。 で、この物語の構造の話って言うと、 やっぱりこっから話を始めないといけない んですけど、これ全てあの循環する周期の 話なんですよね。繰り返されていくものの 話っていうことで。で、これはあの全編を 通じていろんなモチーフが散りばめられて でそれぞれが繰り返されていくみたいな そんな感じで結構入念に重ねられてるん ですよね。この繰り返しがこの物語のまず キーであるっていうところで。で、それは もう冒頭のシーンからそうなんですよね。 1番最初に提示されてくるのがこの藤沢 さんのPMSかなり印象的な雨の中の シーンなんですけども、まず第1にこれが 月計っていうことでね、そもそも周期的な ものの話なんですよね。そうやって始まっ ていく物語、ま、整理の話から始まって いく物語がそれ以降もずっとね、例えば その夜が来て朝が来るっていう地球の時点 によって繰り返されているそのプロセスと いうか、その周期であったり、あと定期 運行していく電車、列車、ま、結構あの インサートされてくるシーンでね、電車が 映ってたりするってのは結構あるんです けど、その低運行して繰り返し走っていく 電車ね、それによって支えられいる、ま、 社会のいわゆる最も基本的な周期みたいな ところで通勤と大金、ま、通勤と帰宅って いうサイクルの話があったり、ま、あと これもすごく印象的なシーンっていうかね 、あのビジュアルなんですけど、幸復する ワイパーがっていく粒とかね、 あと後半あの、ま、プラネタリウムって いう物語のクライマックスがあるんです けど、そこに向けて星の話っていうのが だんだんだんだんクローズアップされてき って表に出てきて、で、そうなるとその 地球の好転によって動いていくその季節の 星の周期っていう話も当然見えてくると いうかね。絵の中に加わってきて で、山沿い君の部屋に目をやると今度 エアローバイクが置いてあってどこにも 進まないのにその場で回り続けるペダタ ルっていうモチーフが出てきてでそれが 今度こぐことで前に進んでいく自転車って いう新しいモチーフに移り変わっていくと かね。 そういう自転車を恋で進んでいくことが できるようになった山沿い君が今度自転車 恋でるシーンでは日陰影と日向交互にね 日向に入ったり日陰に入ったりしながら 進んでいくシーンっていうのが映されたり してこの交互に光と影に包まれるビジュア ルっていうのもすごくこうテーマに 寄り添ったというかねテーマに沿った ビジュアル演出だと思うんですけどそう いうのをね本当に綿密に繰り返してるん ですよね。で、最後の最後、ま、 クレジットロールのところでは、あの、 キャッチボールやってるんですよね。で、 キャッチボールもやっぱり往復運動なわけ ですよ。行ったり来たりするボールって いうのがあって、 で、これに加えて映像だけではなくって、 その音楽も、ま、いろんなタイミングで 同じ曲が挿入されてくるんですよね。 すごく印象的な、すごく静かなメロディな んですけども、場面が変わっても曲は同じ で、逆に言うと同じ曲が何度もかかるんだ けど、その度に場面の中でやっぱり何かが 変わってるみたいな。っていうことで、 ちょっとね、一気にずらずらっと くどくどしく あの、並べちゃったんですけども、本当に この作品の中で三宅監督はずっとこの反復 するものっていう、反復っていうテーマ 自体を何度も何度も重ねてるんですよね。 本当に丁寧にいろんな形でこの反復って いう1つのテーマを塗り重ねていくという か、塗り込めていくというかね。で、これ はあの物語全体のもう1つのテーマでも 同じなんですけども、あの星っていうのも ね、この物語のすごく大きなテーマだと 思ってるんですけど、単純にその星が映さ れるカットっていうのは確かなかったと 思うんですけど、プラネタリームのシーン はあるんですけど、星ものが映るシーン ってあんまりなくって、でも、ま、冒頭の ね、すごくこれもあのタイトルが出る ところの印象的なシーンなんですけども、 走っていくタク ま、雨の中走っていくタクシーの車の窓に つく雨粒が街当の下に来るたびにこうやっ て光って、ま、なんというかね、荒わに なってでワイパーに拭われて消えてまたア 、雨粒がパラパラとこう フロントガラスの上に巻き散らされていっ て、で、また街当の下でそれが光を反射し て光るみたいなそういう描写とか、あと この作品はあの16mmフィルムで、撮影 されてるんですけど、やっぱりフィルム 特有のね、流場感フィルムで撮ることに よってそのフィルムの粒子がやっぱり テクスチャーというか質感を出してくるん ですけども、そのつぶつぶの感じ、粒子の 感じであるとか、あともう本当に ストレートな日としてもあるんですけども 、その街明そのものとかね、街の中で夜が くれて 窓から漏れる電気照明の明りが、ま、星の ように見えていくみたいなで、そういう 街明とか星の明りとかそういう1個1個の 孤立した別々の光が全体としてそういう 光景を作っていて、でもそれぞれはある 意味自立した、孤立した光というか輝きと いうかね、その星というモチーフを、ま、 ある意味変装的になぞるって言う んですかね。繰り返し何度も何度も いろんな形で描かれていく星っていうもの の周りをいろんなメタファーがなんという か塗り重ねられていくみたいなね。で、 この 繰り返される周期っていうモチーフとこの 星っていうそれぞれに光っている個別の星 というかね、孤立した星みたいなそういう 2つの大きなモチーフが、ま、ある意味 組み合わされることで1番大きなテーマが 浮き上がってるくるようになっていて、で 、それがその繰り返しの中で少しずつ進ん でいくもの、繰り返されながら少しずつ 変わっていくものっていうやつなんですよ ね。 ま、後半のクライマックス、ま、後半の クライマックスというか物語全体の クライマックスでプラネタリウムのシーン 、藤沢さんが読むナレーションがあるん ですけども、その中でも実際に言葉で言わ れてるんですが、夜が来て星が見えて、ま 、朝が来てっていう、そういう話も自転 っていう地球の現象があって、時点が 一巡りして朝が来るっていうそういう プロセスであって、それが繰り返され ながら同時に好転っていう、ま、周囲も 進んでいて、季節が少しずつ変わっていく し、そもそも太陽系自体が銀河系の中で 動いているので、季節ごとの星の位って いうのも少しずつ変わっていく。1年経っ てまた例えば冬が来たとして去年の冬と 見えてる星は本当はちょっとずつ変わって いくみたいなそういう話が提示されていて で ここもねやっぱり そういう形というかね現象になぞらえて 同じことを何度も言っているというか同じ 本質を持った話が物語の中にいくつもあっ て藤沢さんのそのPMSの周期の話にして もまそういう周期があって、毎回毎回 PMSで苦しんでるんだけれども、月が 満ちてかけてまた満ちてっていうその プロセスを12回繰り返したら人はまた1 つ年を取るっていうことがあって、藤沢 さんもあと藤沢さんのお母さんも少しずつ やっぱり変わってきているし、これからも 変わっていく。そういう事実というかね、 そういう話がやっぱり物語の中にあって、 で、山沿い君にしてもね、エアロバイク から自転車に乗り換えたことで、ま、これ からそのペダルが回るたびに彼はどこかに 進んでいけるようになってるんですけども 、そのこと自体もある意味その藤沢さんと の会話が、ま、キャッチボールみたいな形 でね、少しずつ重ねられていく中で 出来上がってきた関係性がきっかけになっ ているというか、その背景にあるみたい あと、ま、このシーン本当好きなんで何回 も言うんですけど、そのワイパーがね、 あの天を拭っていくシーンにしてもこう ワイパーが何度フロントガラスを拭っても 延々遠々とそこに雨粒ぶがまた散りばめ られていってなんというかもう霧りがない というかね。何度繰り返してもやっぱり雨 は止んでないみたいなところが映像として は冒頭に提示されるんですけども、その雨 つっていう存在自体もね、その ちゃんと連想をつげていけば結局止まない 雨はないんですよっていう話に繋がって いくようになっているというかね。この 物語全体のその展開を追っていくとそう いう風に発想が広がるようになってるん ですよね。実際そのラストシーン季節が 巡って春になってるんですけどもそこでも やっぱり雨が降ってるんですけどそこで 降ってる雨はいわゆる天気雨なんですよね 。日の光が照ってるのに雨が降ってる みたいな。 ま、雨は 、ま、降ったり止んだりもするっていうか ね。あの、ずっと降り続ける雨。それに 対するワイパーってその周期の1つ上の レイヤーで降ったり止んだりまた降った りっていうそういう周期がある中で人雨 ごとにやっぱり何かが変わってってるんだ なっていうことが物語の中のね、 ビジュアルでもそういう風にちゃんと提示 されている、示唆されてるというか、何度 も雨は降るんだけども降ってる雨は同じ じゃないみたいなね。 ま、こんな感じでちょっとね、この物り 三宅召喚とかが本当に綿密に丁寧に作っ てるので、いちいち全部拾ってくと ちょっとくどくなってしまうぐらいなん ですけども、そうやって丁寧にしっかり何 度も繰り返しながら描かれていくものが、 ま、ある意味提示しているのが 繰り返しの中で解決しないものもあるし、 答えが出ないものもあるんだけれどもその 中でやっぱり何かが少しずつ変わっていく 人はちょっとずつ進ん出ってるみたいな、 そういう話なんですよね。物語の構造自体 もそうなっているし、その構造が支えて いるストーリーというかね、その構造が 語っているストーリーも、ま、定って言っ てもいいかもしれないんですけども、それ もそこに収束していくというか、終練して いくというか。 で、そういうことを描いてるこの物語の中 で個人的にやっぱりすごくいいなって思う のが、その、ま、そうやっていろんなこと を繰り返していく中で物事が変わっていく 、ちょっとずつ進んでいくっていうものを がベースにあるんですけど、実際にその 物語自体の期決として藤沢さんとか山添君 が、ま、繰り田科学っていう素晴らしい 場所を見つけて終わりとかね、あるいは 信頼できるお互いを、ま、パートナーとし て見つけて終わりっていう風になってない ところなんですよね。 そこからさらに先に進んでいく、もっと 変わってくものがあるよっていう終わり方 をこの物語はしていて、で、これってあの 本当にこの物語で1番大事なとこだと思う ので、ちょっともう少しあの人物に着目し ながら深掘りしていきたいと思うんです けども、ま、まずちょっとね、あのメイン キャラの山添君と藤沢さんの方の話という かね、あの2人についての話から話を深く していきたいんです この物語がそもそもその周期っていう構造 を軸として持っている話だとした時にその 軸を挟んでこの2人は向き合っているとか 対象的なキャラクター設定になってるん ですよね。ま、ある意味で似た同士では あるんですけど正反対の部分もあるという か。 ま、PMSで月計周期に悩まされている、 振り回されている。自分が持っている周期 のせいで世界とうまく折り合いがつかない 。うまく折り合っていけてないっていうの が藤沢さんだとした時に山沿い君の方は、 ま、パニック障害っていう突発的で予測 できない症状があるために、ま、この映画 の中で何度も象徴的に画面に現れる電車 っていうものがあるんですけども、その 電車に乗ることができない。世の中の、ま 、通勤、待機、代金っていうその社会の 周期っていうか、社会の秩序っていうか、 そういうルールに乗っかっていくことが できなくなっているんですよね。ま、その 周期っていうものによって発生する問題 って言った時にその向きが逆になってると いうかね。藤沢さんは自分の周期のせいで うまくいってないし、山沿い君は、ま、 自分が持ってる他のもののせいで社会の 周期に対してうまくわせられないみたいな 。で、そういう意味ではその対象的なん ですけど、ただどちらも2人とも何も考え ずにただすっとその世界の一員にな るっていうか社会の秩序に乗っかっていく みたいなことができないっていう点では 同じで、そういう2人がこの物語の主人公 なんですよね。 で、ここがすごく個人的になんというかね 、あの、響くところというか大事なところ なんですけど、自分が世界に対してすっと 馴染んでいけない。世界に対して自分が その中に入っていけないってなると、 やっぱり世界に対して自分が異物になって しまうというかね、多化してしまうんです よね。で、そうすると自分V世界っていう 構図にどうしてもなってしまう。世界vス 自分っていう構図で生きていかないといけ なくなってしまうみたいな。 で、そういうレベルまで抽象化するとそれ はもう本当にね、大なりそうなり誰もそう だよねってか、誰しもそうだよねっていう ところがあって、誰だって世界の都合に 対して自分がはみ出してしまう部分がある のに、それを抑えていたり、あるいは世界 の期待に合わせられない何かがかけてる 状態で一歩ちょっとへこんでしまってる ような部分があるまんまで生きてるみたい な。誰だってそうですよねって話になって いくんですよね。単にそのPMSとか パニック障害というか個別の症状とか症例 を扱う話じゃなくって 、ま、例えばそ、その星空のレベルまで化 してしまう。夜が来て朝が来 るっていうところまで広げて広げつつも ちゃんと繋げて描いているっていうことで そのそれぞれの個別の問題に悩んでいる 山添君と藤沢さんのその 苦しみとかね、辛さみたいなものに対して 誰でも共感できるようになるというかね。 そこがこの物語がすごいところだ。すごく すごいなんというかね、普遍化したすごく 重要なところまで到達しているポイントだ と思うんですよね。で、このなんというか 誰でも共感できるって言ってるその共感の ところがね、もう1つこの映画の、ま、 持ってるテーマというかね、ま、意義と いうかね、宮宅監督が目指してたところ じゃないかなと思うんですけど、単にその パニック障害とかPMSとかいうものに ついてその知識を得て理解できるようにな るっていうだけじゃなくて、その一歩先 まで自然に進んでいけるようになってると いうか。 で、この理解した上でさらにもう1歩 歩み寄るっていうのは これもやっぱりその物語の中で実際に描か れているというか実際に発生してるという かね、起きてる出来事なんですけど、 ちゃんとその物語の中で起きていく イベントが作品の外まで繋がっていくと いうかね。作品の外でそれを見てる人に までちゃんとこうスムーズに染みていくと いうか、スクリーンの中と外で同じことが ある意味同時発生とか自然に発生していく んですよね。 その パニック障害であれ、PMSであれ、それ を理解した上で、でもそこね、理解した ことでそういうラベルを貼ってそれを棚に 収めてしまわないというか、あの人は パニック障害で自分はそうじゃないですと かじゃなくって、パニック障害っていう ものも、パニック障害を持ってない自分が 持ってる別のものも全て繋がってる1つの グラデーションの中の2つのみたいな、 そういう形で捉えられるようになる。そう いう作品っていう気がするんですよ。で、 そうなるとそこに自然に出来上がってくる 居場所みたいな話が出てくると思うんです よね。グラデーションの中の点と点って いうことで認識した時にその2つの点の間 のスペースっていうのがね繋がった広がり として見えてくるというか 自分バー世界って元々なっていたところに バーサスって言ってるその間の部分に狭の 部分に繋がったグラデーションがあって そこが居場所になりるっていうそういう 可能性が出てくるというかまもちろんその パニック障害もPMSもねそれぞれ大変な ものだし、もちろん特別なものだっていう 面もあると思うんですけど、だからと言っ て普通と特別っていうことで切り離して 考えるもんでもないですよみたいな、そう いう話が ある気がするんですよね。 ま、個人的にそう思うっていうだけの話で もあるんですけども、 そういうことをこの物語は語ってるような 気がするんですね。で、もう1つその一方 でっていうところもあって、その この世界の一員になるのが難しいっていう ことがね、この登場人物山添い君と藤沢 さんにちょっと特別なものを与えてる部分 もある気がするんですね。 自分と世界がうまく解け合えないというか ね、混じれ合ってない人っていうのは それゆえに逆に、ま、逆にってことでも ないんですけど、その例えば同調圧力から 自由になるっていう部分もあるかもしれ ないなみたいなことをこの作品を見てて 思ったんですよね。 ま、藤沢さんも山添い君も孤独ではあるん ですけども、孤独だっていうこと自体を国 はしてないというか、問題は解消したい けど孤独を解消したいってことではないっ て言うんですかね。 ま、あの、孤独っていうことに関して言う とね、あの、よく無人島に1人でいるより 都会の幻想の中に1人でいる方が寂しい みたいな話をよく言いますけど、この作品 で描かれてるその彼らの孤独っていうのは ある意味その1つの自称というかね、心の 状態じゃないような描かれ方をしてる気が するんですよね。2人とも自分を哀れんで ないし、貶しめてないし、腹屈になって ないし、ひねくれてないみたいな孤独で あること自体はそれはそれとして受けて 受け入れているみたいなね。 ちゃんとこう1人で自分の足で触って自分 の問題と世界に向き合っていて 描かれ方がなんていうかこうかわいそうで 救ってあげたくなる人っていう感じじゃ ないんですよね。あの、ま、変な言い方に なるんですけど、映画の登場人物として 観客に媚びてないっていうかね、助けて あげたいじゃなくて、このなんていうか、 2人が 幸せになったらいいですねみたいな、そう いう感じというかね、こういう穏やかなを 自然と抱かせる感じも、ま、この作品が やっぱり特別なものになってる1つの原因 というか要素じゃないかなという気がし ます。ま、ということでちょっとね、 さらに山添君に着目してどんどん話を続け ていきたいんですけど、ま、その穏やかな 交換を抱くことができる主人公の1人で あるところのこの松村北斗さんが演じる 山添君ですが、ま、上白石モネさんの藤沢 さんもいいんですけどね、あのこの作品 やっぱり山沿い君がすごくいいと思うん ですよね。あの、何よりやっぱり雰囲気と いうか、不勢というかね、表評としている 雰囲気がすごく良くて、ま、パニック障害 で、しかも割と重度っていうことで、 すごく大変な人生を送ってはいるんだ けれども、そして、ま、実際にとても 苦しんでいるんだけれども、その苦しさに 心を開け渡してないというかね、ま、以前 の職場に復帰したいとかそういう希望とか 前向きな姿勢だけではなくっ 自分のパニック障害も踏まえた上で ちゃんとまずちゃんと立ってるっていう 感じがあってでプラスその距離感を保つ 姿勢がすごくリアルだと思うんですよね。 自分から人の領域に踏み入ることもないし 、ま、あとあさに拒絶するわけじゃない けれども他人にもなんというか他人が自然 に入ってこないように愛を図ってる感じが あってでここはその彼自身の話だけでは なくってね、繰りた科学の人々の 大人っぷりというか優しさというか、そう いう人それぞれの距離感を自然に尊重する 雰囲気もあってっていうことだとは思うし 、それもすごく大事な要素というかね、 いいなって思うところではあるんですけど 、ていうか、ま、でもそんな中で1人だけ 藤沢さんがおかしいっていうのもちょっと 面白いんですよね。あの、芝漬けにしても 、自転車にしても、お守りにしても、なん というか、距離を取ろうとする山沿い君に 対して距離を詰めてくるというか、ま、 詰めようとして詰めてるっていうか感じ じゃないというかね。自覚が全然ないと いうか、すごくナチュラルに踏み込んで くる藤沢さんとこの山沿い君の組み合わ せっていうのはなんというか奇跡のマリア じゃないんですけど、ま、男女としては くっつかないんですけどすごくいいコンビ だなって思わされるんですよね。ま、 ちょっと話ずれたんでまた山沿い君の ところに戻るんですけど、あの物語の中で 前半山沿、ま、さっきも言ったようにあの 前の職場に復帰したいパニック障害を直し たいって思ってるんですよね。で、この 前半の彼の姿っていうのは、ま、ある意味 でそのパニック障害に自由を奪われて しまって、人生の先きが全く見えなくなっ てしまっている状態として描かれてはいて 、でも心が折れてないっていうその真の強 さがちゃんと描かれている感じがあって、 で、かつそこに多分ね、あの巨制みたいな ものがあるんですよね。距離を保って 踏み入らないっていう彼が引いている ラインというかね。例えばそのあえて 繰り田科学のジャケットを着ないっていう のも自分で線を引いてでその引いた線を逆 に支細にしている構造だと思うんですよね 。これ現実にも本当よくある構造だと思う んですけど、自分はここの一員じゃないと 思い込むことでというかね、言い聞かせる ことで自分は別の今は入れてないグループ の方の一員だっていう認識を守っていると いうかね、そこにしがみついてるというか ね、この辺のね、心の日というか、シと いうか、そういうところの書き込みが ちょうどいいんですよね。で、演技も ちょうどいいというかね。あの、この 山沿い君ていうキャラクターを好きになる のにぴったり必要十分なデティというか 余計なことはないけれどもちゃんと バランスを保ててるっていうね、このいい 人すぎない安売というか、あとあの、 山沿い君については女性だけじゃなくて ちゃんと強さもあって、あの、人を 受け止める姿勢の強さというかね、あの、 人を受け流す なんというか、メンタルの体感の強さ みたいなところを感じるんですよね。1番 最初に藤沢さんにあのペットボトルの蓋と いうか線で切れられた時にちゃんと 受け流すんですよ。あの、ま、とりあえず 異表を疲かれて驚いて反応できてないだけ かもしれないんですけど、その場では 起こってないというか、反撃モードになっ てないんですよね。あの、なんというか、 怒ってる表情すら見せないというか、でも 別になんというか全く気になってなかった わけではなくて、後であのエアロバイク こぎながら元上司の辻本さんとあのビデオ 通話で話をしてる時に愚痴をこぼすという か文句言ってるっていうところはちゃんと 描かれていて、あとあの後半でね プラネタリウムのナレーションを考えてる 時に藤沢さんにめちゃめちゃ物質な ダメ出しをされるんですけど全く同時ない のがまたすごいなと思うんですよね。あの 文章を書く人はみんな分かると思うんです けど、自分の書いたものに文句つけられる のって結構ショック大きいじゃないですか 。あのショックとは言わないまでもなんと いうか受け止めるのに結構パワーいります よね。 もしそれを自分が言われたんだったら私 だったら多分そのじゃ自分で書いたらどう なんですかぐらいのことは言いかねないと いうかね。でも山い君はつるっと受け止め ちゃうんですよね。これはなんかすごく 偉いなというか、あの物語の中でね、いい 人の描写っていうのは色々あると思うん ですけど、これはちょっとね、 あの、個人的に自分ができないことをやっ ているというかね、あの、さらっとやっ てるところがすごく印象的というか、 羨ましいとまで思ってしまうんですけども 、すごく山添え君ていうキャラクターの 描き方としては美しいなと思いました。 で、言われたことを根に持たないんですよ ね。で、これはあの藤沢さんも共通なん ですよね。あの山添君に、ま、山沿い君地 にいきなり押しかけて話の玄関でしてる時 にPMSとパニック障害は全然違いますよ ねって言われた時のあの反応とかね。あの 山沿い君のあのセリフって見てるこっちゃ 一瞬ドキッとするじゃないですか。 あの、不良いって言ったらあれですけども 、まあ、悪気は全然ないのは分かるんです けど、それ言っちゃうとってこっちが ドキッとするぐらいなんだけど、藤沢さん はさらっと流して次に行っちゃってる。 本当にそこが羨ましいっていうかね。ま、 藤沢さんの場合は、あの、単に天然という かね、そもそも本当に気にならなかったの かもしれないっていう可能性もちょっと頭 をよぎるんですけど、ま、でもそういう 意味ではね、アマゾ君の方も単に人に興味 がないというか、距離を浮いているが故え のその人にコミットしてない、人に何も 期待してないからこその温度感なのかも しれないんですけど、ただいずれにしても その表評としたこの感じは、あの、 背おま子さんの原作よりもちょっと強く出 てるような気がしていて、山君のキャラと し ひっとしたらちょっと演じた松村北斗さん のご自身の持ち味が出てる部分かなという 気もするんですよね。で、これはあのこの 作品だけじゃないんですけど、あの松村 北斗さん俳優として演技をしてる時になん というか人の話を受ける演技がうまいと 思うんですね。すごく拠トんとした表情を 浮かべるとか 何か言われた時のとっ作の反応がすごくさ れなくてすごくうまいんですよね。なんか こうこの人本当に普段からこんな顔して そうだなみたいな、そういう気配がする ぐらいなんというかはまっているというか 違和感がなくって、 ま、ちょっとあの松原北斗さんの話になる んですけど本当にこの人の話を聞く演技が うまいんですよ。ファーストキスもそうだ し桐エの歌とかもそうなんですけども相手 の言葉をちゃんと待っているというかね。 相手が喋り終わったら自分が何言おうか 考えてるっていう感じじゃなくって会話の 呼吸を相手に合わせてるというかね、委ね てるというか 、ま、そういう俳優さんの演技をその役者 さんの素の姿に結びつけようとするのは ちょっとある意味大変な失礼な話であって 、ま、よくその炎上するというかね、あの 思えるネタとして、あの作家は自分が経験 したことしか書けないみたいなそういう とんでもない話が時々出るじゃないですか 、それの俳優版みたいな話なんですけど、 ただあの 松村北斗さんのことを考えるとまだ全然 若くて演技の歴も別にそんなに めちゃめちゃ長いってわけではない。ま、 なのにこんなにうまいっていうのはすごい んですけど、そういう松村北斗さんのその 演技の引き出しに入っているのはやっぱり ご自身が元々持ってらっしゃるものが色々 いっぱいあるんじゃないかなみたいなのは 思うんですよね。 あと、あの、人の話を聞くだけじゃなくて 、自分の話をする時も相手にぶつけるとか 、言葉を相手に押し込むとかじゃなくって 、相手との間、自分と相手の間に、ま、 自分の前に1個ずつ言葉を置いて一緒に 相手と見てるみたいな、そういう雰囲気が あって、で、そういう、ま、演技がうまい 松村さんが演じてるこの作品の山添君は なんというか、そういう距離感を保った まま、あの、自分の辛さを自分から共有 しようとはしないんですけど、それに加え てプラス人の辛さもわざわざ共有しようと しないんですよね。変に同場を示したり 勝手に共感を覚えたりしないというか、 無縁に辛いよねみたいなこと言わない。 そういう尊重の仕方をしていて、 で、この距離感って現実にはすごい難しい と思うんですよ。本当にあの、特に親しく なってくれるとますます難しいというかね 。でもなんというか 誰かに辛いよねって言われてしまうと言わ れた瞬間に言われた人はそういうものは辛 いっていうある意味その共通認識がルール になった世界に組み込まれてしまうんです よね。せっかく1人で立ってるのに、辛い 人って特別扱いをされてしまった瞬間に その世界っていう大きな枠の中でちょっと 特殊でかわいそうな人ボックスみたいな ものに入れられてしまうというか、ずっと 自分V世界みたいな形でやっていたのに 一瞬で世界に従うみたいな。 ま、もちろんね、その辛さとか苦しさ みたいなものを人と共有するっていう 仕組みも、ま、世の中では大事というかね 。例えばそのお互い完全に分かり合って 全てを分かち合って生きていくみたいな そういうパートナー関係があったとしたら それはそれで1つの理想だろうなとは思う んですけどでもその一方で 自分の痛みをさらけ出して投げ出すことで それで重荷が何かの重荷が軽くな るってことはあるかもしれないんですけど それはつまりその分を相手に持ってもらっ てるっていうことでもあってでそれは別に 悪いことじゃないっていう前提はありつつ もそうすることでね、仮に相手がそれを 負担に思わなかったとしても、やっぱり こっちが相手に依存してしまう部分が出て くるわけですよね。ま、ある意味その関係 性に理解が出てくるというか。で、そこの 理害を消すにはお互いが、ま、両者に対し 、両者が互いに無償の愛みたいなものを 持ってるっていう、そういう条件が必要に なってくるんですけど、それってね、あの 、ま、理想ではあるんですけど、 めちゃくちゃウェットというか、ヘビーと いうかね、本当に理想的で完璧な形では あるかもしんないんですけど、やっぱ ウェット感は否めないなというか。で、 それに対してこの山沿い君たちはやっぱり ドライなんですよね。さらっとしてると いうかね。爽やかというかね、 こう何がかわいそうかが決まってるような 世界にわざわざ属さなくてもいいし、誰 かしら相手に寄りかかったりする必要も ないですっていう姿勢が、ま、松村北斗君 と神白さんからは伝わってくるんですよね 。あの、ま、痛みも苦しみも孤独も全部 自分だけのものですっていう大前提を ベースラインとしてキープしてる感じがし て、で、それはもちろんすごく大変なこと だと思うんですけど、やっぱり同時に自由 でもあると思うんですよ。 そこになんというか本質的な軽やかさが あるというかね。それこそその星が空に 浮いてるのと同じレベルの軽やかさという か、落っこちてこない、重力に惹かれて ないみたいなそういう 不裕感って言うとちょっとね、あの、少し 違うんですけど、やっぱり縛られてない 感じがすごくいいなと思うんですよね。 ということで、ちょっとだいぶ話が広がっ てきてしまったんで、この辺りで一旦 ちょっとこの作品、ま、夜明けの全てって いう作品が伝えてくれてるものについて 改めてまとめに入っていきたいと思うん ですけども、ま、伝えてくれていると言い つつもこの映画ってそれこそ藤沢さんとか 山添え君と同様に押し付けがましいところ が全くないので 映画が伝えるというよりは映画を見てる こっちに勝手に伝わってくるというか、 こっちが勝手に感じてるみたいそういう 感じなんですけど、とりあえずあの大前提 としてそもそも伝えてくると言いつつも 冒頭で言った通りこの作品っていうのは別 に解決とか救済とかそういうものを提示 する物語ではないんですよね。パニック 障害もPMSもすぐに治るようなものでは ないし、簡単に治るものでもないし、 まししして本人の努力でどうにかなるよう なものでもないっていう、そういう現実が まずあって、その現実にちゃんと紳摯に 向き合っていてなので、それこそその都合 よく2時間でハッピーエンドに到達したり はしないんですよね。ね。 なので、ま、解決はしないし、ま、ある朝 起きたら問題が消えてた りっていうようなこともない。だからこそ 問題が解決しないまま朝が来る。その日々 を繰り返しどう生きていくかっていう、 そういう話をしてるんですよね。で、その 意味で この作品を見終わった時に山添君も藤沢 さんもどちらも根本的な解決は見えない ままなんですけど、なんとなくこの2人 ってこの先も大丈夫だよなって思わせる 何かが伝わってくるというかね。そこが この作品のポイントだと思うんですよね。 で、そこがね、その大丈夫だと思わせる何 かっていうのは別に関係性でも居場所でも ないんですよね。それがこの作品がその ありきたりのいわゆる寄り添いものじゃ ないところというかね。物語の終わりに かけて藤沢さんは実家に帰っていくことを 選んでしまう。居場所はあるのに実家に 帰ることを選ぶ。実家に戻っていく。自分 が自分のままでいられるその温かい栗田 科学っていう場所から旅立って自分が自分 のままでいられる心地の良い相手山沿から 離れていくことを選ぶ。ま、別にあの カップルとかでもないんで離れるっていう 方もちょっと違うんですけど。 で、山沿り前 のように受け入れていく。すごい素敵だと 思うんですよね。その関係性のドラさと いうかね。本当に爽やかな感じ。 ただこれ別にあの関係性とか居場所って いうものが大事じゃないですよって話じゃ なくて、それはもちろんその人生の中では 特に現実の人生の中では掛けがえのない 価値のあるものの1つであることには やっぱり間違いないと思うんですけど、 この作品が見てるのはその一歩先だと思う んですよね。あの、ま、関係性も居場所も すごく大事なものなんだけど、その本質と いうか根このところを見ていくと関係性と か居場所っていうものを作っているのは 結局自分自身の姿勢であって 物とか人に対する巻き合い方なんですよね 。 こう、ま、夜空に光ってる星を見た時に、 例えば1つ輝いてる星を見た時に、それ だけ見るとたった1つで輝いてるとか光っ てる孤独な存在にも見えるんですけども、 広い視点で大きく見ると、ま、無数の星と 一緒にそれぞれ輝いている。やがて朝が来 て光に包まれていく、みんな光に包まれて いく。その大きな夜の一部っていうことで ね、 そうやって光ってる自分の光を、ま、 例えば光の色とか強さを誰にも言い訳し なくてもいいし、孤独であるっていうこと 自体が別に苦しみってわけでもない。隣に 星が光ってたとして、その隣の星と手を つぐ必要もないし、隣の光の色を変えて あげようとする必要もないし、ましして 自分の光を合わせる必要もない。そういう 孤独であるが故えの自由さというかね、 自由な孤独が大前提としてあって、その 前提の上で夜明けが訪れてくる。そういう 物語だと思うんですよ。ま、物語というか 、そういう事実というかね、そういう1つ の真実の見え方をこの物語は捉えてると いう気がしていて、ま、もちろん現実の 世界はね、そんな単純な皮膚よりもも もっと複雑でもっともっと容赦ないんです けど、ただ 自分が自分でね、自分のいる世界を わざわざさらにこさらに苦しいものにする 必要はないんですよね。あの、社会の価値 観とか評価軸っていうのはもちろんある けれど、自分が自分をどう思うかっていう 時にまでそれを持ち込んでくる必要はない 。その社会の価値観に加担する必要は なくって。で、藤沢さんも山沿い君も 繰りた科学っていう場所とかお互いとの 出会いっていうものを通じてそれができる ようになっていく。 そういう話じゃないかなと思うんですよね 。で、そういう出会いがあれば別に くっつかなくても2人で一緒にいなくても 1人でいる時のその孤独の形が変わって いくというか、 繰り高っていう場所とかあるいはお互いっ ていう相手に何も依存する必要はなくって 自分のいる場所とかパートナーとかに助け てもらわないと生きていけないってことに はならないというかね。 ま、そういうこと色々思うんですけど、 あの、 私自身は別にね、パニック障害でもないし 、もちろんPMSでもないんですけど、 こういうことについて全く関係がないって わけじゃないっていうことを思うんですよ ね。人それぞれいろんなものを持っていて 、そのグラデーションの中に自分の持っ てる何かもあって、単にそれに名前がつい てないっていうだけの人もたくさんいると 思うんですよ。なんとか障がいいとかなん とか商候軍っていう名前がついてなくても やっぱり何かしら誰にでもそういうものが あってでそういうねその名前のついてない ものにしても パニック障害とかPMSとかと同じことっ ていうかねそれぞれがそういうものを持っ ていてで持ったまんま夜空の星みたいに その自分の場所で自分なりに光っていても いいし光っているしかないっていうことも あると思うんです で、そうやってそれぞれが光ってる星が 大きな星空、大きな夜空ってものを作って いてで、例えばその片隅にね、例えば あそこに7つ星があります。あれを オリオンザと呼びましょうみたいな形で居 場所とか関係性ができてくものだと思うん ですよ。で、 その別にね、オリオン座の7つの星って いうのはオリオン座になろうとして集まっ てきたわけじゃない、近寄ってきたわけ じゃないし、オリオン座であるために光を 変えたりもしてないんですよね。で、7つ ある今オリオン座のその星がいつか6つに なってしまっても、例えば、ま、ベテル ギウスが明日にも超心性爆発を起こして 消えてしまうかもしれないみたいな話が ありますけれども、仮にそんなことがあっ たとしてもそれも関係なくって、7つが6 つになったら6つの星はそれでもやっぱり それオリオンじゃって呼ぶ人がいる限りは オリオンじゃのままであり続けるん でしょうみたいな、そういう話というかね 。 ま、ちょっとこの夜明けの全てっていう 作品があまりに綺麗な物語なんで、そう いうことを言いたくもなるんですけど、 引っ張られちゃうんですけど、やっぱり何 度も言いますけど、現実はそんなに綺麗な こものではなくって、会社はおりんでは ないし、例えばね、親と子供っていう並ん だ存在もオリオンの三つみたいにちゃんと 綺麗に並んでるわけじゃないんですよね。 で、現実例えば、ま、自分が例えば藤沢 さんみたいに生きていたとしても、目の 前りのは多分山添い君ではないし。 ただそれも全部お互い様って話になるん ですよね。あの、誰でも夜にね、1人で 向き合ったりあるいは逆に背を向けたりし たくなるような何かがあって、それを抱え たまま毎日朝が来て、その朝を迎えて自分 の目の前に誰かがいる時に、それは山沿い 君でもないし、藤沢さんでもないけれども 、相手から見て自分はやっぱり藤沢さんで も山い君でもないでしょうみたいな、そう いう話になってくというかね。ね、そこに 気づくというか、そういう 大きな枠組で いろんなことを捉えていけるような視点 っていうのがこの物語の1番のメッセージ じゃないかなっていう気がするんですよね 。 ま、自分の人生で藤沢さんに出会えなくて も、山沿い君に出会えなくても、彼らが ボル語の中で出会ったものがこうして映画 っていう形で伝えられてくる。ま、なん なら夜見える街明かりのどれか1つが藤沢 さんとかね、山沿い君だと思うことだって できるんですよね。 この物語を最後まで見るとその藤沢さんも 山添君もきっと幸せになるだろうなって 思えるそういう感覚があるんですけど 誰かが幸せになれるだろうなって感じ るってことは例えばその誰かの幸せを祈る ことと同じぐらいポジティブで尊いことだ と思うんですよ。で、それが現実の実在の 人物じゃなくても関係ないっていうかね。 ま、元々どうせ星っていうのはね、お互い に触り合えないものなので、ま、人間同士 ならね、人間なら手が触れたり、体が触れ たりってことはあるんですけど、それでも 人間の心の中にあるその夜光ってるその 部分っていうのはそれぞれの中に閉じた ものであって、決して分かり合えないし、 分かち合えないみたいな。で、決して 分かり合えない。決してない触れることも できないっていうことだとしたらだったと したら架空でも現実でも関係ないんですよ ね。 現実の人間のそれだからと言って触れる ことはできないんだったらもう本当に架空 のものと変わらないというかね。あの、ま 、例えば夜見える光が星でも電球でも関係 ないっていうのと同じで、 電球は電球なりにね、白熱の電球色でも 中高色でもLEDの青っぽい光でも自分の 色で光ってていいし、その光を何年も先に 届ける必要はなくって。 で、そんな 電球の光を星の光と一緒に受け入れるよう な感じで人の光を受け入れたり、自分の光 を受け入れたりしていいんじゃないかな みたいなそういう話にこの物語って繋がっ ていくような気がするんですよね。 ま、ちょっとね、あの、本当に抽象的な話 になりすぎてしまってる自覚はあるんです けど、そういうことを考えちゃうんですよ ね。ま、ちょっとね、あの、 好き放題この映画についてというかね、 この映画を見て思ったことを長々と語って しまったんですけど、ま、ちょっとあと いくつかご別にあの自分が気に行ってる ポイントとかを拾っときたいんですけど、 あのこの作品ってブログが登場しますよね 。パニック障害の生活っていうブログで、 このブログっていうのもある意味すごく 象徴的というかね、あの1人語りで広い ネットの中で誰に向けてっていうことでも なくただ光ってるそういうフォーマットな わけなんですけど、ま、今の世の中あの ブログっていう時代を超えてSNSの時代 になってさらになんというかこの作品で 描かれていることの意味とか大きさが増し てるような気がするんですよ。 ま、SNSがあるせいでというかおかげで というかね、何もかももうそれこそ隣の星 というかね、本当は見えないところにあっ たはずのものが全部貸化されてくる。自分 と比べることができるとか比べてしまわ ざるを得ないような対象が放っておいても 大量に流れ込んでくるんですよね。で、 これやっぱりきつい部分もあると思うん ですけど、その一方でやっぱり時代が 変わってきている中でね、今の時代になっ たがゆえにっていうところで言うと、その メンタルヘルスっていうものについて語る ことがだんだんタブーではなくなってき てる感もあって、ま、劇中ではあの山君が ね、だって自分がパニック障害だって言っ てないですもんみたいなことをさらっと 言ってて、で、ま、そのセリフによって その藤沢さんとの関係性がハイライトさ れるみたいなそういう場面がありますけど 、そこのところが今まさにリアルタイムで 少しずつ変わってるんじゃないかなみたい な気がするんですよね。で、そんな中だ からこそっていうかね、そのこの作品の 持ってる意義が一際は大きくなってるよう な気がするんですよ。 この動画の最初の方で、あの、世界Vス 自分っていう言葉を出してますけど、これ いろんな映画を見てて私が結構日々思う ことで、ま、自分のテーマというか、あの 、好きな手題の1つなんですけど、この 作品を見てて改めて思うと、その自分と 対立する世界あるいは対立する社会って いう、そういう構造を見た時に対立してる 相手の世界とか社会も1人1人の自分、 いろんな人が持ってるその自分っていう別 の人の自我とかね、個性とかそういうもの から集合的に出来上がってるものであって 、仮に自分に変えられるものが自分だけだ としても、みんながそれぞれ自分を変えて いけば世界も簡単に変わっていくっていう か、ま、それこそね、夜が開けて朝が来る みたいに世界がパッと塗り変わる日がもう 明日にも来るかもしれないみたいな、そう いうのも、ま、可能性としてはないわけ じゃないんですよね。 で、この夜明けの全てっていう作品はそう いうすごく楽観的なものの見方もさせて くれる作品だと思うんですよ。ま、世界 って簡単に変わんないですよとは言いつつ も自分が変わるんだったら他の人も変わる かもしれないし、自分が何もしなくても他 の人が変わっていくってこともやっぱり あって、で、そういう楽観的な雰囲気をね 、あの、心の中に生み出してくれる作品 っていうのはやっぱりすごく尊いなという か。で、それはやっぱりこの作品の語り口 によるところも大きいなと思っていて、 とにかくあの説教臭くないっていうかね、 押し付けがましくないっていうかね。で、 これはもう本当にね、宮宅小監督の、ま、 監督自身が見ている世界そのものの優しさ とか力強さみたいなものそのものだと思う んですよね。今作、あの、脚本は宮宅監督 とあとえっと和田清さんが共同クレジット で手掛けられてるってことなんですけども 、その脚本と演出がやっぱり素晴らしいん ですよね。世界に対する信頼感が根底に あるというか。 で、かつその脚本の技的なところというか ね、構造的なところを見ていってもセリフ に頼らずに呼吸とかね、存在感とかそう いうもので気配とかで描写する登場人物 たちの関係性の変化とか展開とか、あと 撮影もね、16mmフィルムの柔らかい トンとかすごく重要だと思っていて、その フィルムによって初めて捉えられるその光 の滲んだ感じの温かさとかね、あの、特に 16mって粒子の新井フレフで取ってるん で、光の滲みがすごく顕著に、ま、現れる というか、 光の周りにちょっと赤いなんていうか 縁取りみたいにね、にむ部分があるんです けど、その滲んだ光とそれを包み込んで いる夜の空気感とか温度感とかね、 ちょっと青みかった暗さとちょっと赤身を 帯びて滲んでいる光のその大比が本当に 美しくって あとは撮影っていうことで言うと、あの、 もう1つ安易なクローズアップショットに 頼りすぎない場を捉えようとする撮影が すごくいいんですよね。出てくる人たちが こっち向いて喋らない。カメラ目線じゃ ないのは当たり前なんですけども、誰かが 喋ってる時は誰かがそこにいる別の誰かに ちゃんと喋ってる感じっていうか、会話の 声が伝わっていく、振動しているその空気 を捉えてるような、そういう撮影がされ てると思うんですね。 で、さらにその 冒頭の方でも言ってるんですけど、本当に 細かく繰り返して積み重ねられていく映像 言語というかね。モチーフの反復が本当に 丁寧で決めが細かくてこう循環して 繰り返されていく光と影の周期の中で表情 とか関係性とかいろんなものが少しずつ 変わっていく感じのその微妙な感じという かね、あのすごくカスかな感じが自然と こう伝わってくるようなそういう撮影がさ れてるというかなんかこう物理的に映って いないものもふわっと包んで伝えてくれ てるみたいなそういう撮影がされてると 思うんですよ。 なので すごくエモーショナルというかね、感覚的 というか、感情的というか だからこそそのこの映画を見て例えばね、 初めてPMSとかパニック障害っていう ものについて触れたっていうかね、知った 人がいたとしてもなるほど勉強になった ほどなるほどっていう感じじゃなくて、ま 、もちろんそのPMCとかパニック障害に ついて教えてくれる啓蒙的な要素もある 映画ではあるんですけど、 いいことを座った勉強になったではなくて 、いいものを見せてもらっ大事なものを 見せてもらったみたいな、そういう感覚的 な終わり方をするというかね、そういう 感じで終われる知識じゃなくて感覚の ところで受け止めるものをもらえる作品と いうか、 ま、 全体を通じてね、結局そのもちろん映画な ので作りなのでっていうところはもちろん あって、だからこそ伝わる部分がある一方 で、だからこそ救えないもってのは当然 あるわけなんですけども 少なくともその立ち位置としてこの物語 映画って苦しみとか孤独を否定しないん ですよね。でも苦しくてもいいよ。苦しく てもしょうがないよ。1人でもいいよ、 孤独でもいいよとかそういうことを無責任 に押し付けてくる映画でもなくって。ま、 ある意味何も言ってないというかね。何も 言ってこないというか何でもないというか ね。あの無縁に侵入してこないんですよ。 作品の中の登場人物たちの距離感がその まま映画の距離感になってるというかね。 見る人に対して誠実な距離を保ってくる 作品 でその上でそこから何かを受け取ろうと する人がちゃんと迎えれてくれるというか ね。なので、ま、この映画を見たからと 言って孤独な人が孤独でもいいやって 思えるようになるわけじゃないかもしれ ないし、 苦しんでる人が解決しなくてもいいんだ。 変にプレッシャー感じる必要ないんだって 思うようにもならないかもしれないんです けど、でも事実としてね、この映画を見て いいなって思った人がこんなにいっぱい いる。本当にたくさんいらっしゃるんです けど、こんなにいっぱいいるっていうのは こう自分の周が暗くなった時にね、空を 見上げたら星がいっぱい光ってたみたいな そのぐらいの距離感で自分の持ってる孤独 っていうものの意味を少し変えてくれる ようなそういう部分があるんじゃないかな と思うんですよね。 ま、なんであれ、その人が見い出す意味と かね、何かを何かだと思うこと自体は自由 だっていうすごい根本的なところを 思い出させてくれるというか、 自分が本当に辛かったり苦しかったりする と、その目の前の辛さとか苦しさみたいな ものしか見えなくなるっていうのはすごく 自然なことなんですけど、そういう時に ちょっとね、あの、 少し広い枠にはめ込み直してくれるという か、そういう映画だと思いましたというか で、そうやってね、一旦なんというか、 禁止癌的なそこから解き放たれて一旦自由 になった時にそういうちょっと孤独な要素 もある自由に立ち帰った時に自分の孤独と か苦しみとかあるいはその名前のついてな いろんなものに対してそれぞれを全て自分 のものとして自由に意味を見つけていいん ですよみたいなそういう心の自由さって いうものを取り返した時に 皆さんがそれぞれね、何を思いましたかと か、この映画にどんな意味を見い出しまし たかみたいなところはちょっともしよかっ たらコメント欄で共有していただけたら 嬉しいなという風に思います。 なんかね、あの、いろんなことを持って、 いろんなことを語りたくなる映画なんです けど、同時にやっぱりいろんなことを聞き たくなる映画というかね、みんなこれ見て どういうこと思ったんだろうなみたいな ことを知りたくなる作品だと思うんですよ ね。で、ちょっと、ま、動画っていう形で ね、自分が思ったことを3段式放題語らし てもらった上で皆さんの話も聞けたらなと は思います。 ということで、え、背おま子さんの原作、 監督が宮宅しさん、それから主演が松村 北斗さんと上白石さんということで、ま、 夜明けの全てというこの作品について色々 語ってみたんですけどもいかがでした でしょうか? ま、もしあの共感していただける部分と ありましたら是非あの高評価ボタンとかね 、チャンネル登録とかご検討いただけたら 幸いです。あともしよかったら、あの、 ハイプっていうのが始まってますんで、 ハイプも是非あのちょっと試して いただければと思います。あとあの登録 ボタンの隣りにあのベルマークのアイコン 、ベルの形のアイコン、通知アイコンって いうのがあったりするんですけど、あの これオンにしておくと、あの私の新作動画 とかね、出てきた時に、ま、レビューとか 新作の話が出てきた時に通知が飛ぶように なってますんで、もしよかったらちょっと ご活用いただければと思います。 ということでね、あの 色々語らせてもらったんですけど、ま、 さっきも言ったんですけど、あの今回の 夜明けの全てみたいな作品はね、本当に皆 さんが作品からどんなものを受け取った かっていうのを本当に興味があるというか ね。あと、あの、これだけ語った後で今更 な何なんですけど、なんというか自分が変 なこと言ってないかなっていうところを 確かめる意味でもね、あの、他の人が思っ てることってのは聞きたくられるので、 あの、是非コメントもお気軽にお寄せ いただければと思います。 ま、あの、今回の動画に限らずなんです けど、このクラッションシネマっていう チャンネルはずっとこんな感じでね、自分 の心に特に響いた作品、いいなと思った 作品についてこう何を思ったかとかどう 感じたかってことを自分なりに言語化して 皆さんと一緒により深く楽しんでいけたら なっていうことでやってるチャンネルなん ですけども、あの、今年の2月から本格的 に動画配信に踏み出して、で、皆さんのご 支援もあって、あの、ついに登録者数 3000人に到達いたしまして、ま、本当 にありがとうございますっていうところは あるんですが、あの、今後もね、これから 先もずっとこういう素敵な作品をどんどん ご紹介していきたいと思ってますので、 あの、また宣伝になって恐縮なんですけど も、もしあの、応援してやってもいいよっ ていう方いらっしゃいましたら、え、メン バーシップっていうのがありまして、あの 、月額90円からやってますので、 ちょっとご検討いただければと思います。 ま、あの、うちのチャンネルすごい長弱の 動画が多くてですね、今日の動画も ひょっとしたら1時間ぐらいになってるか もしれないんですけども、その1時間の 動画とかでもね、あの、メンバーの方には 広告なしで、え、中段なしでご覧 いただけるようなバージョンていうのも メンバー得典で用意してますので、ま、 せっかく好きな映画の話、いい映画の話を するのに広告に邪魔されたくないなって いう方はちょっとご検討いただければと 思います。その他の得典も今後拡充して いく予定ですので。 はい。ということで、ちょっとね、あの、 宣伝させていただいてすごく恐縮なんです けども、そういういつもの宣伝も含めて 長々とまたたっぷり長弱で語ってしまった んですけども、最後までお付き合い いただきましてありがとうございました。 また次の魔界でお会いしましょう。お相手 は私、クラシンシネマの太郎でした。バイ バイ。 [音楽] う [音楽]

10/10に最新作『秒速5センチメートル』公開を控える松村北斗と『ちはやふる〜めぐり〜』の上白石萌音が穏やかに淡々と描く、「世界と折り合えないわたしたち」の物語・『夜明けのすべて』が伝えているものは結局、何だったのでしょうか?

三宅唱監督がメンタルヘルスというデリケートなテーマに優しく寄り添った本作のメッセージを深く読み解いていきます。パニック障害の山添くんとPMS(月経前症候群)の藤沢さんが互いの苦しみに向き合う中で、「答え」や「癒し」ではない、昼間の星の光のように、「見えなくても本当はそこにある何か」を見つけていくこの繊細な物語を観て感じたことを、もう一度思い出してみませんか?😊

※作品の革新に踏み込む動画となっております。未見の方にはネタバレになる可能性がありますのでご注意ください🙇‍♂️

#松村北斗 #上白石萌音 #三宅唱

なお『夜明けのすべて』を視聴者の方と同時再生しながら、映画を読み解く上での注目ポイントなどをコメンタリー的に呟いていった同時視聴LIVE配信も行っています。アーカイブはこちらですので、よろしければぜひ、ご自宅で『夜明けのすべて』を鑑賞しながら同時に再生してみてください!

  👉https://youtube.com/live/_O9R2GRtoUM?feature=share

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初めてお越しになった方、当チャンネルの人気動画はこちらにまとめております❣️
  👉https://youtube.com/playlist?list=PL5P-w43vdVb1tMhA8mBt9kwxs1xI0UJwx&si=WADBzD7VjJGJCaBm

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本動画の章立ては以下の通りです:
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0:00 イントロ 〜この動画で語ること〜
01:32 映画『夜明けのすべて』の概要(⚠️この章以降はネタバレです)
03:23 主演の松村北斗さんと上白石萌音さん、特別な場所「栗田科学」
09:17 物語の構造について/解決しない話・寄り添う話
22:20 メインキャラ山添くんと藤沢さん「世界とうまく折り合えない人たち」
30:36 山添くんの深掘り・松村北斗さんの演技について
43:30 『夜明けのすべて』が伝えているのは結局何なのか?
54:11 まとめ
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このチャンネルは映画ポッドキャスト Crush on Cinema! の別館として、観てきた映画などについて気軽にざっくり語っていくフリートークコンテンツです。ご感想やご意見ご要望はぜひお気軽にお寄せください!チャンネル登録もお待ちしております!

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©️瀬尾まいこ/2024 『夜明けのすべて』製作委員会

4 Comments

  1. タローさんこんばんは。夜明けのすべての動画ありがとうございます。ちょっと調子が悪く頭も全く動かないので考えがまとまらないのですが、3点だけ。

    まずこの映画は企画が全く通らず、7か所目でようやく作れる見込みがついたという経緯があります。大変な苦難だったと思うのですがそれでも映画化まで諦めずに進んでくださったプロデューサーの方々に感謝します。

    私はパニ障もPMSもあるので当事者目線で映画を観ていましたが、この映画が病気になって初めて通しで観ることのできた映画でした。
    これはタローさんのおっしゃる「周期的に回っていきながらも少しずつ変わっていく」と言うことなんだと思います。先週できなかったことが今週はできた。去年できなかったことが今年はできた。できないなりにほんの少しずつやれることが増える。そしてまた落ちたとしても上がっていける。

    この映画を見ると客観的になれるんですよね。
    きついーつらいーもうやだーとなる時にあーこれはいつまでも続くわけじゃない、やりすごそう、少ししたらまた動けるようになるさと頭の片隅に浮かぶことが大事で。

    タローさんが病気もグラデーションの中の二つの点、社会の価値観に加担しなくていいとおっしゃってたこともありがたいです。
    渦中にいるとやはり視野が狭くなるので、時々思い出す必要があります。タローさんの言葉は心に刻んでおきます。

    松村北斗についてはまた後日にします。長文失礼しました。

  2. この作品は本当に登場人物たちの距離感が素晴らしかったです。
    栗田科学は理想の職場すぎますしw渋川清彦さんたち山添君の元同僚たちもいいんですよねえ。
    「夜見える街明かりのひとつひとつが藤沢さんや山添君だと思うことができる」と言うのは良い表現でした。

    三宅唱監督の作品は今作しか観ていませんでしたが、『旅と日々』の予告目にした瞬間「あ、これ絶対好きなやつ」と思ってから監督が三宅さんだと知ったので、公開が待ち遠しいですよ。

  3. タローさん 夜明けのすべてを取り上げていただきありがとうございます。私は長く映画館に行けずにいましたが、これだけは観るべきと席の選択からもしもの時のための出入り口のチェックまでして意を決して映画館へまいりました。重いものを扱っているのにさらりとした感触。程よい距離を保ちながら大人な理解で接し合う人々。自由な孤独を破られずに全くの孤独ではない。そのままでいい でもここにいるよと言ってもらえてるようで😢 私は説明のつかない自分に長く向き合いながら パニック症という病名が世間に広まった時にどこかホッとした思いがありました。私以外にも苦しんでいる人がいたのね と。ずーっといざという時にどうしようもなくなる自分を意気地なしだと思い苦しんでいたので。今も自分をコントロールしながらも大分快方していますが、油断は禁物と思っています。この映画は一生忘れられないものになりました。松村北斗さんが静かに孤独の中で自分に向き合う姿をあまりに自然に演じていらして・・  言葉でうまく表現できませんが、ドキュメントなのかと思うほどでした。  決して派手な映画ではないけれど優しさにあふれた素敵な映画でした。三宅監督はじめすべての俳優さんに感謝しております。そして、俳優松村北斗さんをこれからも応援し続けます😊

  4. 初めてコメントいたします📝
    夜明けのすべてはあるyoutuberさんの推薦で観ました。
    心がじんわりあたたかくなる映画ということで。ちょうど風邪で出かけることもできず映画でも観るか、って感じで。
    私自身枠にはまって生きるのが辛く、人と同じようにうまく合わせて過ごすことも苦手で。
    かといって誰かにわかって欲しいという気持ちもありません。
    なので山添くんや、藤沢さんのような繊細だからそんな状態になるのに人に甘えられない、ひとりで抱え込んでしまうという人たちの気持ちがわかりすぎて。
    でも、ふたりの関係性が変化していく中で、藤沢さんがポテチの最後のクズクズを山添くんの目の前で流し込んでて、山添くんはそれをみても何もリアクションせず。あぁ、これは恋愛ドラマではないのね と思いました。
    でもそこにはちゃんと信頼関係があって温かいものがあるなと。
    劇的なラストでもないし、号泣する場面もない。刺さらない人もいるかな?
    わたしは何年か前からのなんとかウィルス騒ぎの同調圧力が苦しすぎて、自分だけの世界線の中だけに閉じこもっていました。
    タローさんの同調圧力という言葉でいろいろと思い出してきてまして。
    この映画で松村北斗さんの沼にハマり、絶賛浸水中です。
    彼はとても人見知りで繊細で陰キャ(自分で言われてます)な反面アイドルになりたくて上京しました。
    高校では成績優秀で表彰されるほど。でも友達は少なくて(笑)
    ストーンズ結成後も頑張ってるのになかなか自分のカラーが出せず悶々していたそうです。デビューもさせて貰えなかったし。
    そんな時お芝居が楽しいと気づいて「お芝居やりたいです」と言えて。
    そこからはいろんな作品に出てたくさんの方々とつながっていって今があるのではないでしょうか。
    彼の繊細な演技はまさしく彼の中にある心の引き出しで一歩引いた演技も彼の人に接するときの距離感(人見知り)からきているような。
    でもライブの時は全く違う彼で、手を抜かずギャンギャン踊ってふざけてわちゃわちゃ楽しそうで。
    いったい彼は何人いるのか? 役者としてもアイドルとしても楽しみで仕方ないです。

    長々と語ってしまい申し訳ないです。
    なんかこの方なら言ってもいいかなと思ってしまいました

    これからも長尺映画考察動画楽しみにしています。ありがとうございました。

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