【松坂大輔・小笠原道大が語る】本音。野球という名の”生きがい”『初対戦時の秘話~MLB挑戦・FA移籍』前編
平成の9回を代表する 松坂大輔と小笠原道。振り返ればその中心 にあったものはやはり野球。2人にとって 野球とはまさに生きそのものだったのでは ないでしょうか。今日はその奇跡と未来を たっぷりと語っていただきます。 [音楽] あの、ま、初登板が、え、ファイターズで東京ドームで 5回、5回ぐらい うん。5回までノヒットですよね。 うん。 で、岡沢さん迎えて岡沢さんにヒット打たれてまりセンター前に ま、初、初ヒアンダ打たれて うん。 で、ホームランたのは 8回ですかね。うん。立村20 回にあの初日本塁イ打を小笠さんから、 ま、打たれたんで僕としてはあのもう特別なものっていうは、ま、一生忘れないですね。 [拍手] ま、 はい。 最初だからね。 はい。 うん。 うん。 だから俺も出始めない。 はい。 スタメンというか、そのレギュラーとファーストとして はい。 やっぱりこう野球選手として高校生で入ってきてっていう負けてたまるかという思いはやっぱりね、こそんだけ騒がれてね、一応も甲子園とかでも見てるし はい。 ただその前にもこっち勝負があるから自分のね。うん。 はい。 ただまあ今も語り継がれるしずっと言われるものなんで だからこのう 打っちゃってよかったね。 結果打っちゃったわけだから、その良かったなっていう。はい。あ、あの打線の中でやっぱ岡さんが持ってた雰囲気って やっぱり異様でしたよね。他の選手にはない。 いや、これはね、 雰囲気をこれはね、先切ぱ詰まった状態なの。 ああ、そうなのか。 要はだからその崖のところで もう1歩下がったら半歩下がったら うん。 落ちてしまうようなね。 うん。 え、ずっとその気持ちでやってたんで。 うん。 だからもう言葉だけどやるかやられるかね。 うん。ま、じゃあもうそ雰囲気が出てたと。 で、あとはあとは当時片岡さんがいたんだよ。 はい。 後ろにね。 はい。 よくねコメントでも はい。1 番注意注チ注意すな片岡さん当たり前なんだけど。 だからこっちは出始めでしょ。 はい。はい。 だからマークされてない。 ああ。はい。 だから片岡さんの前にはランナー出すよ。 ああ、そうです。そうだったかもしれない。 そう、そう、そう。 はい。だから打てた。いや、そんなこと これはね、あの、その後ね、中の記憶じゃもうほとんど打った記憶がないわけだから。え、 まあでも だから打ったんだけど入ってくとこんなボール投げんのかってのやっぱド肝もあるけど。 あ、本当ですか? うん。スライダーなんだから何種類かあったんだけど曲がる方のスライダー はい。 あの、曲がり方というのは高校生で殴れるのかというね、あんまりも見なかったようなスライでね。 ありがとうございます。 やっぱいそのかな。うん。 今若手時代の自言葉をかけるとしたら ああ ああ。もっと自分でやりたいことはあったけど うん。 なんか周りというか大人に気を使いすぎて うん。 あの、なんかもったいない時間の使い方をしてた時期もあったなって うん。 思うので、ま、それはそれで間違いではなかったと思うんですけど。 はい。うん。 もう少しこう野球の方に振っても良かったかなっていうのはちょっと今 思いますね。その当時の自分に。 うん。 ただ、ま、そこまで気を使わなくていいんじゃないのって、 ま、 言いたいですかね。 ま、でもね、ただね はい。 あの時のフィーバーぶりは尋常じゃなかったから。 そうですね。今自分がね、すごかったからだからこそうなってしまったと思うしね。 はい。 なんかこう遠慮というかこう 抑えなくちゃいけない部分があったと思うんで はい。 仕方ないとです。 そうですね。ま、高卒なんで僕はもあの小笠さんの社会人も経験してないし うん。 そう意味ではなんかどう振る舞うのが正解なのか分からんかったし ね。 難しかったなとは思いますね。今あの思い出してみると うん。そういう経験があるからことを うん。 できてるし、 ま、逆にあれですね。こうそういう状況になんだろうな。 なってしまう。やっぱりこう何者で入る あのルーキーのこととか若い子にはやっぱりこうこうしてもいいんじゃないとかっていうアドバイスはできるかもしれないですね。 え、だからそのそういう人たちだからこそ はい。 だけにしか経験できないもの。 うん。うん。うん。 だからこれは我々とは違う経験だから。 絶対それはもう こっちは経験できてない。 はい。 ものなのでね。 うん。 うん。だからいい悪いではなくその経験をできたことが良かったんではないか。 そうですね。ま、うん。 あの、今思えば貴重な経験させてもらえたなって ね。今となっても 思った方が、ま、自分にとってもプラスかなって。 電動士なんでね。 はい。そうですね。 そう、そう、そう、そう。 おさんはどうですか? いや、できすぎてるからね。 うん。 これだから このまま自分を信じて曲げずにやってくれということがね。 うん。うん。 当時からね、あんまいろんな人の話聞かなかった。 うん。 打つことに関しては。 はい。はい。うん。 他はあのこのゲのゲのゲと思ってたから その守ること 守備とかね、いろんなことに対してその野球に対してというのも う、知識とかいろんなこともその別に強いチームでやってたわけじゃないし、ま、 NTTは別としてね。 はい。はい。 うん。なのでもうバッティング以外は 1番下手だと思ってやってたから。 うん。 だからポトンやったしで、なおかつ自分にバッティングに多少自信があったとしてもう はい。 いきなり壁があったんでね。 うん。 あの、キャンプの時にや飛ばなね、超えなかったとか。 あ、これさんさん高校でホームランゼロ なんですよね。 うん。 俺聞いたらびっくりするよ。あの、 しかもあのね、当時の金属バットでね、 そうですよね。 入ってのも練習でも入ったことないんだから。 ああ、 フェンスのここ はい。ギリギリ連とかはい。 うん。 だったんで当時のねジャーリーグの本があったんだよ。ジョージブレッドっていう はい。はい。 高校時代にトライして はい。 前に行って打つとかね。 そしたらやっぱ三振が増えるんだよ。そう やっぱダメかなみたいなね。色々やりながらだ。そこまで距離を出そうというバッティングでも 超えなかったから。 うん。はい。 ただまそれがま大人になったら うん。 金属バットでやったらほま 社会人行ったら行くんでね。 はい。はい。 うん。 と思って勘違いしてたらまたプロで壁があるから。 ああ、それやっぱ金属からまた木星になった。 そうそうそう。だって弊害もあるしね。 力味もあるしなので、ま、とことやる うん。 どうなのかなとね。 そうですね。今の笠原さん見たらその若い時の原さん見てもね、 もう大丈夫だ。信じてやれって。 そう叩き上げなんで。 うん。 そうですよね。 自分の目標は、ま、プレ選手になってホームランになるっていうのが小さい時の うん。 ま、目標だったので。 でも、ま、その目標があったから僕は、ま、ピッチングだけじゃなくてバッティングの練習も頑張ったし うん。その目標を 持ち続けてた、ま、おかげで打つ方も投げる方も、ま、連勝にしなかったっていうのは、ま、良かったので、そのままそのね、打者としてプロに張りたいっていう、 ま、夢をうん。 ま、持ちけてたのは良かったと思うのでうん。ま、そのままでほしいしね。うん。ま、今大谷君みたいなね、選手がいますからねえ。時代が時代なら ねきたかもしれないし。 うん。 ま、今でも声かけるならやそのままでいいよって。 うん。いですね。 店リーグだったらもしかしたらね、また違ってた。 そうですね。 なんか最初が、まあ、横浜高校から横浜ベイサーズに入れる のが、ま、いいって思ったのはやっぱりその打席に立てるってのも 1つ あったのでうん。 次はなんとかセリーグに入れるようにこう祈るかもしれないですね。あのドラフトの時は。 はい。そうだね。やっぱりピッチャーとバッターね、そのしの木を削る打つかね。 はい。打ち取られるかっていうことで はい。 もうやっぱりあの緊張感っていうのはね、どの世界でもあるんだけどこのポル野球というね、この世界であれだけの監視の中で はい。 その今言った空気がね変わる はい。変わる瞬間 ね。だから打ってもよし。 はい。 三振してもなんだろう。よしというその 出し切った同士のぶつかり合っていうのはね。 はい。うん。だからこそ気持ちいいし なんか嫌な気持ちにはならない。 うん。そうですよね。 うん。やられてもなんかかよし次見とけよっていうはい。 なんかそれのずっと繰り返しの はい。 世界っていうのは うん。うん。 なかなかこう 感じることができないところなので。 そうですね。またあそこのま映像通しても分かるかもしれないですけどあの球場に来てくれた人たちって多分そのヒッチャーとバッターのその雰囲気をやっぱり直に うん。 感じられるし、そのお互い全力を出し切った上でのこう勝負の決着っていうのは見てる人に繋がると思うので、ま、そういうものを楽しみにしながらやっぱこうテレビとか球場であの試合見てほしいなとは思いますね。 うん。うん。 ま、僕はやっぱりピッチャーなのでうーん。ま、ホームランをやっぱり打たれた瞬間球助場の雰囲気が変わるし [音楽] うん。うん。 え、こっちが絶対絶面のピンチで、ま、例えば小笠原さんとか、え、中村のさんとか松永中さんとかってこう迎えた時に絶対絶妙のピンチを三振で抑えた時にやっぱ雰囲気をガラっと変えられるしやっぱそのあの瞬間瞬間っていうのは あのやっぱりピッチャーやってて良かったなってうん。 思う野球選手は良かったなって思う瞬間でしたね、僕は。はい。 若き日の挑戦や。 その言葉には時を超えて響く情熱と覚悟が宿っていた。そんな 2 人にとっての生きがいいとは?僕にとってうーん。当時機会に感じられることといえばもうもう強打者たちとの対戦じゃないですかね。うん。そこに僕は、え、生がいを感じていた。うん。 そこが自分にとっての1 番のモチベーションになりましたしうん。もとにくその小笠原さん、のりさん、松さん、一郎さんって年一緒の うん。 あの48年あの返人です。 はい。いや、僕もはいって言ってましたけど、 その当時の人たちとのやっぱり勝負はい。ま、ピッチャーでは黒木さんもいますしうん。そのた人のやっぱり勝負が僕にとっての 生きがいでしたね。 そうですね。あの、やはり何タイガースで 監督してるあの藤川裕二君とかいますし、 あの同世代のみんなもあのやっぱりこう 一軍で結果を出そうとあのみんなで頑張っ ていたのでその人たちのえ同世代の選手 たちの頑張りっていうのもあのすごく刺激 になりましたしね。あの、その中で、あの 、ま、松坂世代ってこう自分の名前が あの、つけられる ことになったのでうん。それに対してこう 責任も果たさなきゃいけないっていうの あの1つの力にはなりましたね。なん だろうな、その生の社会人から入ってる しうん。で、結婚もしてたのでね。うん。 うかなく てはいけないし、え、その中でうん。 やればやるだけ評価される。 はい。 そこで自分の立場をが気づかれていくというものに対してシビアな世界なんだけどそこでやってくものの生がい うん。 こう書き分けてね、今こう小さい光に対して向かっていく やっていく取り組んでいくというものが、え、そこでの成果 はい。 うん。 ま、そこは行き替えになってくるのかな。 うん。 [音楽] ま、普段はそのパリーグのあの選手たちとこう戦って、ま、こう攻め合って [音楽] うん。 え、勝の戦いをしてるわけですけど、それがやっぱりこう日本代表で一緒になる。もうもう頼もしいなとか。 うん。 そうだね。 ああ、ごたと同じ日本も来てあの試合できるなっていう楽しみしか僕は うん。 うん。 なかったですね。 はい。俺もなん心強いというか うん。 やっぱりその 12 球団でトップのね、選手たちが集まるわけだからそれはもう 1 つのチームでね、大こうやってるときついけど はい。 ね、それが分散されるわけで、なおかつね、自分の中で はい。 ね、自分よりも上だと思ってる選手もたくさんいるわけだからね、そういう中でやれるというのもいい勉強にもなるし ね。そういうなかなか味わえない そうですね。これはもうそのやっぱり守ってもらって判断通しもあって うん。 投げてるんですけど本当さらに強力な あの、ま、援軍っていうと僕も入った時はあの、ま、年上の方ばっかりだったんで申し訳ないですけど本当なんか うん。 本当新しい力を得たみたいな感覚でしたね。 そうです。うん。だからみんなが最高のプレイをするから はい。 成長できるし。 そうですね。うん。 で、やっぱりその国際部隊っていうことは日の丸を背負う はい。 ことのね はい。 重さというか責任というか やっぱりあれはこう うん。 う、経験っていうか、その袖を通さないとね、味わえないことだし はい。 その1番最初がオリンピック うん。 というね はい。 あの中で戦えたというのはで、なおかつあのメンバー うん。はい。前勝1 杯もできないプレッシャーでやったっていうのは 1 番大きいかなっていうな、そこは。はい。 うん。そうですね。僕も初めて中学生の時にあの日本代表でうん。 あの当時はそのオリンピック代表の 野球チームと同じユニフォーム 来させてもらったんですけど、そのユニフォームを着てうん。 え、国家を聞いてる自分その後で写真を見たりして、 あの、いや、なんか自分のいや、すごいかっこいいなって 思ったし、 とにかくその 日の丸をつけてあの球場で国家を聞いてる時のあの雰囲気だったり、その自分の感情っていうのはこうまく こうやっぱ伝えられないのでやっぱりこう経験してほしいし経験できるそのチャンスうん。 入れるチャンスがあなたのみんなにも積極的に あの選ばれて参加をこうね、え、共鳴してほしいし うん。やっぱその戦ってる姿っていうのはいろんな うん。 あの人たちまだそのこれからあの高校野球とかそのプレ野球目指していく選手たちが見ているのでその選手たちのためにもあやっぱこう日本代表を目指したいなってあの思ってもらえるような姿を うん。 見せたいなと。やっぱ思ってましたね。 うん。うん。 俺も無縁だったから。 うん。 代表っていうのはね。 はい。 なので、ま、あの、プロ入ってからそういう参加できる形になったということでのね、アテネで はい。 あれはね、震えたね、 あれ。 うん。ま、特に初めての経験だし。 はい。 はい。 あれはガチガチだったなと思うんけどもね。 長嶋さん最後ネットメダル持ってね、成田空港で迎えてくれたっていうのがなんか少しなんか方がね、取れた気がその瞬間でしたね。 うん。ま、だからそこがスタートなんで はい。 ね、そこから2006年9年という はい。WBCやっぱWBC があって、ま、今となってね、オリンピックないんでね。なるから はい。 やっぱ野球会としてはその WBC で袖を通すということがやっぱり目標になっててるし はい。 今の選手たちによりその意識を高く持って望んで欲しいなとは思うですね。 うん。うん。 なんかお祭りではなく はい。 なんかそこで我々は何かを出す見せなくてはいけない。 はい。 ね。周りの子供たちもそうだし応援してくれる人たちにもう なんか夢というかねなんかこうエネルギーというか はい。 いうものがみんなの湧くようなもう なんか見せて欲しいなと思いますけどね。 うん。うん。 いや、たくさんありました。 あの、普段もちろんこう、え、敵チーム同士でこう戦ってあ、あの、そのいい、いい選手だな、いいピーチャーだなとかいいバッターだなって思いながら見てるんですけど、あの、その中でその選手たちが同じチームになることで普段どういう過ごし方してるのか、どういうトレイニングしてるのかっていうのも、 あの、見られるんで、そう、あの、 プレイ以外でも勉強になることっていっぱいありましたし、 当然その敵チームで、あの、自分たちのチームう の若い子たちがその選手を目指してうん。 もうそのもう小笠さんとも松さんとかのさんとかもこういう選手はこういうことしてたよっていうのをこうやっぱり伝えてあげるの僕の仕事だと思ったのでそれはもう自分だけじゃなくてあの自分ほチームこれからのチームにとって大きな 財産になりましたね。 うん。 はい。 チームワークじゃないけどもやっぱ戦ってくためには 子だけではいか この集団なんだけどもそこには犠牲も必要だしろんなことをこのままず 2004 年のオリンピック時に勉強させてもらったとまだ当時ね日本ハムというのは全然もう優勝いも当時はできないチームだったからだなんかこう自分でも立場をという上に目行かくちゃいけないっていうことで突し たものがアテネで経験することによって 子プラスそこにチーム うん チームがあるから子が あの 輝くとか そういうものがあったからこそその後の 2006年のファイターズの優勝 はい ま自分としてはそう繋がってきてるのかなっていうのは はい あるのでねその技術だけではなくてそういう意識というかそういうものに関してもみんなが成長できる はい 場所かなと思います はい。 うん。 ま、僕は、ま、当もちろんその、え、素晴らしい選手たち、素晴らしいバッターとその戦って勝っていくってことがあの 1 つのこう生きがいでしたけど、プレ級選手もオリンピックにあの参加できるかもっていう話が出て、 プレ級選手になってからは、 え、日本代表の選手になるっていうのが僕の生きがいになりましたね。 そこにターゲットっていうかね、フォーカスは知ってなかったんだけどさ、大場というのには はい。はい。 その時にやっぱり声がかれば全力で行くということだったんだけども、その都度をやらなくてはいけないことが優勢されたから 2006年まだその北海道に移転して はい。 間もない。 はい。 でもまだ優勝できてない というところでまずはそこに向かってかなくちゃいけない。ま、その前に WバルBCが2006あったんだ。 だけども はい。 ま、結果ね、あれはWBC出て うん。 あいう形でなったので いいスタート切れた。 はい。はい。1 回ピークに持ってって優勝してる。 はい。はい。 だからもう開幕とか関係ないよね。 うん。うん。うん。うん。 ただ疲れを取ってそのまま延長で試合してるから はい。 だからね初級法もらうって。 ええ。 1 出せ1回目裏にね。 へえ。ええ、あれはあの12 球団で多分その年は 1本 はい。1 番だったんだけど はい。 2004 年のものがあったからチームとしてのものも考えられたしっていうの うん。 あるのでね。うん。そういう意味ではそのやっぱりうん。必要な うん。 要素なのかなと。 日の丸というのは大きなうん、 え、ものであるというのは 意義があるというのは変わりはないことかなと思いますよね。 うん。はい。 うん。うん。そうですね。 ま、初めて、ま、興味 うん。 を強く持ったのは、え、中学校 2年生の時ですかね、もさんが うん。うん。うん。 あの、ドジャスにいて、え、活躍している姿を見て、中学生の僕としては野茂さんのことを応援したし、 うん。 野さんのあの姿を見て、もう自分も高校野球入ってこに行ってプ野球に入って、え、活躍してメジャーに行くっていううん。 なんかそのきっかけを与えてくれたのは、ま、野茂さんだったので うん。うん。うん。 ま、それからは、え、ま、高校プロとプレイしながらどっかに必ず、え、メジャーリーグでやるっていうあの思いを、ま、抱えながら考えながら、 ま、練習してましたし、 実際に2006 年のオフに、ま、ポスティングだったので、ま、その交渉がこじれればまた戻ってくるって可能性はあったんですけど、うん。 あの、これでアメリカにやっと行けるっていううん。 1つ大きなうん。 なんか目標があのクリアできた気持ちになったのは覚えてますね。 うん。 いや、1年目、 1 年目の対戦相手かったですね。ま、新しい国に行って、新しい国の文化に触れて、ま、楽しいことも苦しかったこともありましたけど、ランディジョあのグレックマダックスがこうやめる前に、え、対戦できる、まさか自分が投げ合えると思ってなかったのでうん。 やっぱりこうマダックスなんかはもうやっぱりこう自分がこう目標とするピッチャーのうん。 1 人だったのであのサンディエゴで当時あの彼はパドレスにいたのでサンディエゴであの交流戦ですねリーグで 投になったんですけどなんかお 1級1級感動しましたね。 お、これがマダックスかとか、 これがマダックスライダーかとなんか、 そんな感覚になったのは本当もうマダックスと うん。 え、その次の週がアリゾナでランディジョンソンと投合ってるんですけどうん。うん。 その2 人だけですね。もうランディジョンソンのスライダー消えましたね。 はい。ていうか、ピッチャーの俺にスライダー投げてくんなと思ってましたけど。 うん。 はい。 で、その戦ではホームでフェンウェイパークで ジャイアンツと試合があってバリーボンツの対戦もできましたし いやあ、1年目はうん。ま、ま、 1 年目だからそう感じたのかもしれないですけどすごく濃いい 1 年でしたね。ま、レッドソックスっていうチームに入ったことでやっぱヤンキー戦っていうのは異様な雰囲気 でしたし。 ま、そこで対戦する、ま、ジタだったり、アレックスロドリゲスだったり、もうそう、ソルメンバーがうん。 揃ってたので、もう松井さんもいますし。 うん。でも対戦しながらやっぱ抑えるの大変なんですけど、あ、この対戦するために俺アメリカに来たんだなってうん。うんうん。 [音楽] 改めて思いましたね。うん。 はい。 あの、初球カーブから入りましたね。 あの、ああ、嫌なこと思い出させますね。うん。 [笑い] いや、本当にね、未だにね、一さんのこういじられたりするんですけど うん。 あの、いや、でもあれは結局その自分の自信のなさが うん。 ま、マネーだというかうん。 あの、本当ギリギリまではストレートで行くって、あの、決めてましたし、当時バッテリーを組んだバリテックに対しても、あの、初球ストレートに行くと うん。 ウォームアップを終えてベンチに帰ってきて、いざマウンドに上がる前にあのプレーボールがカルマに うん。 えっと、ベンチでまたバリテクが寄ってきて うん。うん。 本当に初球ストレートでいいのか うん。 って言われて変化球から入った方がいいんじゃないかって言われてやっぱそこで迷っちゃった自分が うん。ま、 いたんですよね。そこでやバリテックの言うこと聞いた方がいいのか。 いや、ここはまっすぐだよってやっぱ強くべきなのかって思った時に 2006年のWBC のアメリカ戦の戦闘打者ホームだったじゃないですか。 うん。 あれがよぎって うん。うん。 変化球だなってなっちゃったんですよね。 うん。それは正直でも うん。ま、 後悔してます。 まあでもなんだろう。 はい。 抑えに行くんであれば はい。 全然変局ぐらい入ってからもう一さんもそれにとって思ってるだろうし うん。だからま、そこはあのなんだろうな。逃げではなくて勝負に勝ちに行くというものでの選択だったわけだから。 嗅覚が捜索したわけだから。 そうね。 持って生まれたこの天生の嗅覚がね。 はい。 勝負感。 はい。 これ変化だってなったんだから。 おいんじゃないの? いやあ、これちょっとたくさんの人に聞いてもらいたいな。これちょっと今の小笠さんの言葉を。 うん。 あの1番の大部隊で 何しに行ったんだって。 まあそうですね。 ね。もちろんその一さん対戦したいっていう気持ちもま、強くあって一さんがメジャに行ったことで自分も追いかけていくっていうのは うん。あったんですけど、 あの千葉はもちろん入ったチームで世界一を目指すっていう。 そうね。あのチャンピオンリングもそうだし、そういう ね。はい。 頂点を目指すための はい。 その通る道に一郎がいたわけだから。 はい。 そしたらバルテックが 1 番打ち取れんのは変化球じゃないのって言ってきたわけだから。 そうですね。 いい選択でした。 はい。 そうすね。 うん。 あの2006年の先週農会で はい。 優勝した次の日に札幌スポーツ市一面全部優勝じゃないから。 FA席だから。それは寂しかったけど。 きついなあそれ。 うん。あのね、これはあのさ、 2000 え、4 年か札幌遺跡してキャンプで帰ってきた 3月に はい。はい。 今でもね、ずっと映像流れたりするのね、 配達の奇跡っていうとこで必ず出てくるんだけど、 北海道1番熱い日本で1 番熱い大機にするって言ってて日本一になったよしと思って ね、朝パッて言うたら全部おさん原ちょっとね、ちょっと悲しかったんだけどまあまあ仕方ない部分もあってね、その終わった後会でね、まだ言ってないんだけど はい。 ダルビッシュが途中でもう大鳴きしてるつって中島さんに言われて、お前お前責任取る言われてね、俺何も言ってないと思ってんだけどまあでそこで 1時間ぐらい2 人でずっと喋ってねというかね、 あのお前お頼んだから頑張れよって話でね はい うんやったんだけどもちょっとね彼にはこう最初きついね はい え失席でこの世界で生きてくにはっていうのをメディアを通して言ったこ もあったんだけど、それはもう彼の期待の裏返しでね、だからこそう いい思いしてないんだなと思ってた。 うん。うん。うん。 彼が持っててそ最後にこまれね、そんなうん。 そうだったのかなって思うとね、こう嬉しかったしっていうのあるんでね。 ただまその前にね、ボストンの話もあったんだけどね。 え、 どの時にね。 へえ。そうなんだ。 うん。うん。 うん。だけどそこはもうちょっといろんな事情もあったしうん。その断念して うん。はい。 で、ま、ジャイアントに移籍はするんだけども はい。な んだろう。その前の途中で目標がなくなった。 はい。 モチベーションと うん。うん。うん。 なかなか頑張ってもがえてやっても うん。 チームは勝てないし自分だけこうなってしまったってこと。うん。 ね。 うん。 どうしたもんかな。で、そこでまずポスティングでちょっとあの日米焼きあった。 はい。ありましたね。 うん。そこであるGM があいつ誰だっていう話っていうの はい。 それを聞いてたから勘違いして若像がこうね 表心に乗ってうん。じゃポスティングで向こう行くかみたいな話を はい。 したんだけど、ま、 移転があったからそっちになっちゃった。 うん。 北海道じゃあやろう頑張ろうつって。 で、優勝したらね、どうしようかなって。 はい。 目標が達成クリしちゃったから うん。 次のステージ行くためにはなと思って FA宣言出長はいはい。 え、ま、当時ね、ジャイアンツも前年 Bクラス だったので こんなレポートあったんで うん。うん。 となんとしてもこのチームで今こういう状況だから はい。 え、俺のノック終わった後の整備であったりとかいうなことも若手に教えて欲しいっていうことでのうん。うん。 え、要望だったね。 うん。だからもう全部そこにじゃあ次は行こう。 で、その中で自分が成長できるんであればいいかなっていう はい。 うん。ま、ちょっと切れこだけどね。ま、いろんなこ家族の事情もあるし、 子供にね、小さくてメンタルな部分もあったので、ま、総互的に考えて、ま、 ジャイアンツ遺跡ということね。うん。 うん。 ま、やったんだけど、ま、なんとか 3年目でね、優勝できたんで はい。 ま、良かったかなと思うんだ、これ。これも うん。うん。 世界の日の木部隊で味わった緊張と銃席。 [音楽] MLB挑戦。FA 遺跡と続いた挑戦の奇跡。生がいの変化はそこにあったのだろうか。 新しい国に行って、え、その文化に触れる中で思ったのはうん。当時はもうこうアメリカにこう骨を埋めるじゃないですけどうん。 え、アメリカメジアルリーグで、え、野球人生を うん。 え、ま、圧倒していこうっていうのが、え、その時僕の生きがいうん、それを生きがいにしていこうってうん。 思った部分ですかね。 はい。がいね、スタートのね、場所ですよね。ファイターズが東京ドームでやってたのでね。 うん。 うん。ただね、もう目的が違ったのでね。 うん。 うん。もうだいぶ成長した自分で うん。 行くわね。はい。 うん。 だからなんだろうな。逆にチームを変えなくちゃいけなかったんで。 うん。 その中での少しずつその選手、若手の選手たちというのが意識が変わってく、え、変えるんだ。その反応うん。がその生がいというかその自分の責任というかね。 はい。 で、チーム勝たすんだ。うん。 勝つための抜けていたピース、ワンピースになるんだっていうものが生がい で1 年目から優勝したけど日本シリーズ出れなかった。 うん。2 年目は日本シリーズ出たけど負けた。 はい。 とかね。なんかそういう中での色々少しずつ残骸踏んで勝って負けてパッてね、悔しい思いとかしてっていうチームが成長してった。うん。 うん。なんかそういうところのに行くもののエネルギー追出やすものが生き替えだったのかなと。その当時のね。うん。うん。うん。うん。うん。うん。 [音楽] 自分の気持ちだけどうにもならない部分っていうのをやっぱり家族に支えてもらったり個性的な子 はい。 俺はここうだっていうそういう意味での強さっていうのは必要かなと。 生きがを愛そう。 ポニー
松坂大輔に小笠原道大。平成のプロ野球史に名を残し、数々の名勝負を繰り広げ、時代を彩った両雄。デビュー直後の対戦秘話、当時の生きがい、国際舞台での共闘、そしてMLBへの挑戦やFA移籍など。2人のレジェンドがすべて”本音”で語りつくす前編をお届け。
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5 Comments
27:46 FA移籍
サムネの松坂大輔が北の将軍様に見えた笑
小笠原さんイケオジすぎだろ
エリートとたたき上げの対比がいいね
サンキューガッツ