ジェシー釋萌海さんインタビュー
じゃあ、こんにちは。 こんにちは。 えっと、いろんな人からまずもう多分聞かれてると思うんですけど はい。 そもそもなんで日本に来たんですか? ま、なんで日本に来た?せない。長い話になりますけど。 ま、あの、1 番最初は、あの、空手私が、ま、うちの村の近くで学んでて、で、その空手は、ま、日本から来たものであるっていう意識は、あの、ずっと小っさい時からあって、ま、いつか、え、日本に本当の空手を見に行きたいなってずっと願ってて。 これスイスですよね。 スイスです。 スイスで空手が流行ってたんですか? まあ、空手とか柔道は結構あの流行ってますね。 ええ、 それやってたんですね。 あ、そうですね。スイスの結構田舎ですよね。 田舎ですけど、ま、うちの村はちょっとなかったけど、隣の村ぐらいでちょっとした道場はあって うん。へえ。ほんで行きたいなと思ってて、でも実際行くまでにはだいぶ時間かかってる。 まあ、まあ、あの、子供の時から日本に憧れてて、でも結局、ま、 18歳ぐらいなった時初めて ああ、 日本に渡ることになって はい。 それは観光で、 まあ、観光とやっぱりちょっとあの、ま、空手の道場もちょっと立ち寄ってて うん。 へえ。 え、で、その後、ま、こちらに今住んでる、 まあね、それは最初はあの旅行っていう形だったけど、 ま、旅行は全然やっぱり、 え、日本の伝統文化に触れ合うため、ま、時間が足りないから、 ま、後にまた留学っていう形でもう 1回日本にあの、改めて ええ、留学。あ、でもそれ初めて聞いたかもしれません。 あ、そう。 どこに留学したんですか? いや、京都ですけど。 京都に? うん。それは何を学ぶ学ですか? 日本語。 日本語。 はい。日本語だ。喋らなかったからね。 ああ、そうか。 スイスですからね。 スイスですからね。 そう。スイスから日本に来て日本語が学んで そうですね。そしてその後 相撲かなってなったんですか? いや、まあ最初ずっと留学で、ま、いろんなビザを撮って、 ええ、 で、ま、あの、もちろまだ戻るとは思ったんですけど 結局そのまま21 年過ぎてしま、まだここにおるんです。 まだまだいる。 で、なんでなんか僧侶になったんでしたっけね。 ああ、ま、そこはね、ま、日本の文化で、ま、空手その後は尺発ま大体知られてるんですけどで、まね、仏門に入るのは、ま、何か大体の人は外からその世界に来るってなんかご縁となるものが、え、必要っていう人が多いんですけど、ま、私の場合は、え、母の安落氏が、あ、そこに、ま、導くものとなったんですね。 ああ、それは結構ね、いろんなとこでお話ってらっしゃると思いますけど。 そうですね。ま、あの、もうアラクのスペシャリストなりたくないですけど、 どうしても私の歩みは母のその道がそのアンラクシの選択がなければ多分私も自分の命について考えることもなかったでしょうね。 ああ、 今でもじゃ、スイスで安落師って合法なんですか? ああ、ま、グレグレ、グレイゾですけど、まあ、一応国では、ま、 認められてはいるんですけど。 うん。うん。 うん。 ま、グレイゾーンかな。 グレイゾーン。 はい。 ああ、僕も結構親が割と苦しんで死んでいきましたんで。 ああ。 そういう選択肢がもしあって本人が選ぶんだったら自分だったらどうすんだろうなと思いますね。 まあだからアンドラクシーの制度がいいか悪いかっていうか選ぶ人はどうかってま、判断評価してはいけないんですけどやっぱり今はスイスと言えばすごく簡単になって だる見込みのないような病気なくても うん。 もう高齢者であるだけでも治る見込みのない病気に今なされてきてるんですからあ かもう死にたいと思ってあと第 3者による促しじゃないってさえ えね確認できればもうほぼあの許可が降りるんですねえ だからシニトーリズムやね あ死 シ観光ね 死観光 ねていう言い方があるぐらいなんですね ああこれなんか薬品 も駐車するんですか?あ あ、そうですね。あの、アメリカで死刑に使われると同じもんですけどね。 ああ、 2分、2分で死にます。 点的に入れるは 天敵に入れて、ま、点滴さして、で、その、ま、ネジ緩むって最後の一方は本人がしないと。 ああ、こう開ける。 そうですね。あれ? うん。あの、どうせもね。 うん。 あ、そうか。 それで色々考えて、で、なんで東本願寺なんですかね? いや、私東本願寺選んだわけでもないんですけど。 うん。うん。 ま、それね、上の方って言うて 1 回それのあ、文章に出会って、ま、私もここに、ま、ご縁があったんだっていう風に少し自分で頷けるようになったんですけど うん。 うん。最初は、ま、えっと、京都の西山高校で ちょっと英語教えてて、で、そこは、え、上土種生派っていうか、 そこに関係があって、 ええ、 で、ま、そこね、時々月に 1回2回音楽っていうのがちょっと ね、 あって、で、急にそれまでにセビロネクタイつけてたものは急に あの、お坊さんに変わるんですね。 法映て、 ええ、ええ、 ま、そこでちょっと仏教の世界はそれまでに全然があまりなかったんですけど、まこの学校では、え、大体学生がなんか悪いことしたら、えっと、犯信業の社教をてなるんですね。 で、ま、校長先生も私になんか悩みあるかって聞きに生きてて母の話したら、ま、教すると心落ち着くよって言って、ま、デスクにその社教の神持ってこられて はい。 で、ま、それを頑張って 1回やったらやれやれって持っていったら はい。 お、もう1 歩やねとかもちょっともうちょっとやね。で、まだ新しいのくれて ああ。 で、ま、ま、書くのもいいんですけど、読み方教えてって言うて、あの、頼んだら はい。 犯人行業、ま、両方とも痴漢いてる時にちょっとやってて うん。うん。 で、それやって家でも稽古したらもう今日を配する時に、ま、やっぱなんかちょっと心が落ち着くっていうか、それも久しく自分の心に しばらくなかった平和を感じたりして うん。 で、ま、もっと務め教えてって頼んだらあんたはどこまでやるの?そ、送量でもなるのかって聞かれてく。あ、そうだね。それだな。ていうか投げかけられた感じで 自分の中で、ま、あの、ま、仏教で洗礼みたいなものがあれば 受けたいなという気持ちはあの、少しは 自分の中でも芽えてきたんですけど はい。 なるのかって言われて、あ、そうだなって言って嬉しく帰えて、次の日まだ学校に行ったらデスクに手紙が置いてあったんですね。校長先生から。 あ、はい。 で、その中のイ所は、ま、言うのは残酷ですけれども、外国人で女性であ、であるあなたにとっては うん。 送量になるのはハードルが高すぎますっていう書いてあった。 うん。ああ。 ああ。 うん。 ま、それで、ま、そこではご縁がなかったけどと少しはかりしたのもありましたけど、 そこで諦めずに今度は、え、ネットを通して はい。 今度の出会いはたまたま、ま、上土新種だったんですね。 ネットで、 ま、Facebookというかね。 ああ、SNSで。 SNSであの正願寺の浜口かさん。 ああ、浜口かに はい。はい。SNSで繋がって SNS で繋がって、ま、え、ま、選んでないというか土教、ま、えっと、全は私を選んでないとは言えるんですね。なんか厳しい修行して、ま、大体、ま、海外で知られてるのはそっちの方ですね。厳し修行して、あの、なんかそこの、ま、自力によって悟り開くような感じでもその上土教はあまりスイスでは知らないんですね。 うん。うん。うん。 ま、そこで、ま、私は前は選んでなくて、あの、ちょうど教は、あの、上土州、上土新州は、え、興味はありましたけど、それは縁によって上土州になってもおかしくはなかった。 そうでしょうね。最初は上土州ですもんね。 はい。そうですね。 うん。 はあ。そういうことだったんですか。 はい。 それでね、ま、あの、浜口さんのご縁で特度されて、 あ、そうですね。 ええ、それで、ま、 抜けありましたね。外国人受けれることは あれ外国人受けれたのっては初めてではない。どうでしたっけ? え、あの特ですか? 特道 特道はもちろん外国の人って他も行ったりはするんですけどまた大半はえっとアメリカま別の方ですね。 ああ、そうでしょうね。ロゼ それ関係で来てる。あとは うん。棒森さんもやるんですね。 ああ。 うん。でも大体 うん。全くこの世界に関係なく入るは珍しい。珍しいですね。 そうでしょうね。 まだね。 うん。ま、所属人員もなかなかね、 え、どう見つけるかも難しいですよね。 うん。ま、確かに前週は はい。 海外の例えばヨーロッパとかの方が来るってそんなに珍しくはないと思うんですけど はい。 あのねるけさんとかもいらっしゃるし あねるけさん私も知ってます。 あ、ご存じですか? はい。 確かにでも でも全にでも所属人員はいらなかったかなと思うんですね。 て一緒にするにやったらむしろを受けないと一緒に修行できないから特度を受けることはまえば問われてるわけなんですね。 うん。 うん。 うん。 で、ま、縁があって上土新州入ってくださって、ま、僕ら嬉しいですけど、 あの、それでね、結構びっくりしたのがいきなりその、ま、住職さんになったってのもびっくりするんですけど、 あ、 あの、ま、教師資格取ったってのもびっくりするんですけど、ま、両方ともすごい大変だったと思うんですけどね。 あ、そうですね。 教師資格ってあれ試験ですか? 教師資格は、え、試験じゃなくて、あの 3年間えっと学院に通って ああ、どこの学院でしたっけ? あ、大阪。 あ、大阪の学院通って はい。 それで、ま、取って そうですね。 ね、まあ、なかなかね、ま、あの、外から来ると、ま、最初は外国人にはちょっと大変だっていうちょっとあの、あれでしたけど、 まあ、日本人でも大変ですから。 ああ、まあね、難しい感じも多くてね。 ええ、 で、ま、そこはせっかく同るご縁いただいて、ま、ちょっとぐらいは学びたいっていうか思うわけなんですね。 うん。うん。 ただ3 年間学院に通ってうん。もう立派な講師が教えてくださったけど なかなか悟れないな。修理ハンド読みたいなものですかね。あまり賢くならなくて。 あ、そうですか ね。 で、ま、そのあれですね、福井のお寺の はい。 住職さん入事してなられたっていうのも結構衝撃を受けました。 なぜですか? いや、なぜですか? だってそこまで本気だったのかって。 あ、 あの、やっぱ住職なるってやっぱそハードめっちゃ高いですから。 どういう意味でですか? いや、だってやっぱそのなんて言うかな、今まではそれはね、仕事とかそういうことやりながら 割とその、ま、片手間って言ったらおかしいですけども、 ま、なん、なんて言うかな、それ以外の何かとしてやっていけると思うんですけど、住職になったらもうがっつりそこに入って ごさんと一緒にお寺作っていかなかなんないじゃないです。そうですね。 こってあの日本の人でもそれやるって言ったら結構勇気がりますよね。 あ、だから私も何年間に相談したら ええ、 もうやめといたらていう声が多かった。で、 1 番ま、滋賀県の方の、え、今は全職なってる方なんですけど、 時々相談乗っていただいてう ん。はい。 で、どう思うって言って、私その訴長から声かけられて 1 週間も あんまり食良くないっていうぐらいに悩んでました。 1 つ悩んだ竜は、ま、重くなりたいっていう夢は持ってたんですけどうん。 本当に、ま、前例、外国人の前例もなくて うん。 ま、自分も歩みがとても浅いからそんなことできるかってとても不安だったんですね。うん。 でも1 回その運のその初めて行った時に総大さんからすごいラフコールが来て あ、 あの1人がもうあの さあジェッシー決めようやでもう 1 人が一緒に昼収集行こうやっていうかものすごい歓迎でしたね。 でいや私何も経験ないんですよ。 お花も行けたことないぐらいですよ。 ま、そんな私たち怒らないから、 もう共に 学んでどうですかっていうか、もうすごいあか で、場所も海のそばで、 ま、すごい田舎で、ま、確かこれからは、え、人がだんだん減っていってお寺どうなっていくっていう、それは最初から現実はちゃんと見てたりとか感じてるんですけど。 うん。だからて言って今でもう 1 回住を迎えたいって説に願ってる門徒さん うん のそんな気持ちもすごく伝わっててで本度も初めて吐いてなんか悲しいま全受倒れて うん 辱職がいないってなんかその悲しみが感じたねその本土の中 うんでもまそれと同時にあここの場所でここのお寺で住職な れたらすごいなんかなんかすごいご縁だなっていうか なんか喜びもすごく感じてて うん でもいやさ決めようやって壮大さんに言われてちょっと待ってあの後でまやっぱ失敗あったわってやめるのもちょっとあれですからちょっとゆっくり考えようやって言って私たちは考えでも大丈夫とかと思うなんかすごい受け入れていただいてたけどで も1 週間ちょっと考えてで、いろんな人にそ、ま、特に所属人員の住職もね、今までお世話になったからどう思いますかって言ってうん。 うん。まあ、色々大変かもしれんけど、あなたが行きたい、歩みたい道未であればいいんじゃないかって言って、他は、ま、やめといたらっていう声も結構あったんですね。 うん。うん。 で、さっき言いましたような、あの、そのしがけの全住職の方がもう簡単じゃないですか?その場所に行って場所を感じる。その場に身を起きたいかどうか。次は人を感じる。共に歩めるかどうか。 うん。うん。 あとはだからもうそんな失敗したらどうするかって失敗しない人生なんてありえないから。 うん。 もうそんな失敗してきたらいいんだから。 もう石橋を叩きすぎてもね、仕方ないからつって。よし、わかった。電話して壮大さんに電話して、 ええ、 お願いしますってきますっていうか はい。 あ、あので、あの、決まったんですけど、 ま、決して軽くて 何でも、 まあ、ちょっと住職をやってみようっていう軽い気持ちではなく、本当に、ま、私なりかなり悩んで ああ。 うん。ああ、 ま、僕も外から寺に入った人間ですけど はい。 やっぱりそう1 ヶ月ぐらい悩んだんであ、やっぱりね。 え、やっぱ失敗したらどうしようとか。 やっぱそうありますよね。 うまくいかなかったらどうしようとか、できなかったらどうしようとか。 うん。うん。 うん。ま、 仕事もやめなきゃなんないし。 うん。 すごい悩んだですけども、ま、やっぱ同じように悩んで うん。 入ったってことなんですね。 うん。そうですね。ま、今1年が過ぎて ええ。あ、もう1年。 もう1年。あ、正式に決まったの 1年。お寺に関わるようになった 1年半ですけど。 ええ、 まあ、未だに幸せですね。良かったですね。 ね、まあ、1 年過ぎって、ま、ま、お勤めとかね、ま、え、ま、えっと、京都の、え、遠徳寺で、 あの、ちょっとたまたまそれも不思議ねご縁ですけど、ま、ご縁いただいて、 法事とか葬儀を手伝いさせていただいて、 ま、それのおかげで ペーパーライバーで終わらずに、 もうずっとそれ、あ、法事はこんな感じでするね。とか、ま、こんな一応流れは何回もしてて はい。 ま、その分はお勤めに関してはそんなに できるかの不安もなかったんですけど、ただ実際にやっぱり住でないと触らないとこも結構あるんですね。 あ、ありますね。 で、自分がの番になったら えっとどうだったかなていうかちょっと悩んだりもするんですけど うん。 うん。うん。 でも、ま、本当に、ま、良かったと思いますし、もう本とさんもすごい 来てくれてありがとうていうか、 ええ、 今んとこは喜んでいただいてて はい。 若さ、若さの方ですよね。 ん、 若さの方です。 えっと、鶴あ、鶴か。 鶴賀。あのからバスて 20分ぐらいの方。ああ。で、海の近くの 海の近くですね。 へえ。 いっぺんお邪魔してみたいもんですね。 うん。 さて、じゃあ話は変わりますけども、そのやっぱやっぱりすごく不思議なのがなぜ明をやることになったんだろうかっていうことですね。 まあ、特して、まあ、特度ね、その、え、講座って言うんです。はい。 あ、ま、ま、それはね、子供も特座は通らないといけないくらいやから、そんな厳しいレベルというものじゃないんですけど。 ええ、せっかく道を受けて うん。 おめもできないっていうか、ま、それこそ、ま、自分も日本人じゃないから、あ、外国人簡単にそんなやってお勤めもできんくせにっていうか、 そう思われるっていうのがちょっと辛かったから。 はい。 いや、思われたわけじゃないけど、もし思われるとしたら辛いから。 うん。うん。 なんか、ま、自分ちゃんと味を勉強したいっていうのはすごい、ま、その願い持ってて、で、所属人は、え、四国の座民水で と離れてて中 通るものではないから そこで職さんが、え、京都に行って、ま、同級生であった熊先生があの時は同されてたんですね。 今はもうちょっとあの、もう自分の寺に、え、秋田の方に帰りましたけど、 ええ、 ま、その方に、ま、ちょっとお願いできんかって最初は外国人と言わんかったけどね。うん。 寸前に言うて、え、お、僕英語できんでって言うて。 でも、ま、そこ京都に住んでて、ま、あの、すごく、ま、あの、なんていうかね、あんま癖もないを最初から 聞けたおかげでっていうか で、その時にその中央味講会の、え、ことが知って で、ま、中央商務明講公講公習会って言ったら、ま、学びに行ける場所っていう誤解を受けるんですよね。 うん。 ま、本当は、ま、ある程度できる人が行って、で、結構試験の連続っていう感じ。 ええ、ええ、ええ。 では、いや、それ1 回行ってみたいなってあの時の熊先生はかさへんでとか言うてで結局ま、あの、今かな 3 年前ぐらいかな、もう引こ越すことになって さあ、私行くぞ。 引越すから。 で、ま、確かでもうなんだか、そんなに厳しい世界とはちょっと思ってなかったかもしれないですね。 あ、厳しかったですか? まあね、やっぱこうピリピリ感っていうかね、みんなの前で順番に当たって あ、 で、やっぱなんかみんな上手な 人ばかりで ええ ね。ま、確かに、ま、そんなに、ま、環境は思ったよりはあの厳しい環境ではありましたね。 うん。 やっぱりその2 つハードルがあると思うんですけども、ま、 1つはあの言葉の壁ですよね。 はい。 で、もう1 つはやっぱり消明ってまだまだ男性の世界で ああ、そうですね。 2つのご苦があったと思うんですが、 ま、女性の面はその時はまだそんなに感じてなかったんですけど、 ま、あのやっぱね、暴日本じゃないんですので、どうしても自分の、え、鉛りっていうが入るんですね。とこお踏とかそういうとこではやっぱり完全に日本日本人と同じ日本号にはなれないんですね。 うん。うん。 ま、そこは、ま、さらに厳しくなるべく減らすように日本人の日本語に、ま、近づけるように、ま、あの、は、努力しましたけど。 うん。うん。 うん。ま、こね、その言葉の壁は確かにあの、私たちにはすごくあるんですね。 うん。ふん。ほんで、ま、男場の面は、ま 、お勤めすることになって、いろんな ところでも出資させていただいて、あ、 特に、ま、その純産で内人に入る場合、 あの、所獣20って30当たられた時には やっぱり女性にとっては、えっと、 オクターブ上行っても声が出ない、下行っ ても声が出ないっていうかそういう ポイントが うん。あ、やっぱりどうしても男性と女性 の、ま、務めていうか、ま、もちょっと 違いますので うん。ま、そこで初めて、ま、務めた課題 があるんですね。うん。うん。さっきの お務めでは、ま、男性も女性も比較的 合わしやすい音定ではやいたんですね。あ 、そうですね。 さんのその先言いました煙時で、え、住職さんと一緒に法事とか葬儀というね、あの色々出させていただいたって話でしたけど うん。 その時もどんな、どんなところだったら両方ともす声出せる範囲であるのかなって 1回チューナーを思って 1回それで実際にやっぱ数字で見ないと うん。うん。 ま、今日はこれで明日昨日と一緒かどうかわからないじゃないですか。 やっぱ、ま、音楽の世界からもちょっと、ま、ご縁があったから中ナっていうのも見るのは習慣持ってたんですけど、 中を見てあえてこの音で出たら、え、大体 2 人とも行けるんですねとか、そういうのはちょっと少しずつ研究してうん。 んで、ま、自分が同詞を、める、務める時にも、え、この音定ぐらいで出たら断然の方もついてこれやすいかなとか、ま、やっぱ相手をちょっと意識しながらうん。 うん。ま、最初にね、あの、聴取するのも大事かなと思うんですけど。 うん。ま、僕も音楽やってるんで中ナーってもう絶対ね、見るんですけども。 そうですね。 なんだで中見る人ってほとんどいなくってで、なんか場合によってだいぶ音定変わったりとか、どんどん定がずり上がっていったりとか ああ、そうですね。 結構ありますもんね。 まあ両方あるかですね。 まあ、え、苦電って言うんですか、 ま、ずっと伝わってきたっていうか、だからそれずっと中のままで伝わってきたわけでもないですから。ま、そういう意味ではあね、聞いて覚えるっていう、ま、そこのも大事な面ではあるんですけど、ただま うん。 え、やっぱ自分の癖を知るのも大事ですから、まあ、大体自分の音、どういう音で出やす、声出しやすいのかとか うん。 うん。 ま、それによってまたねし、ちゃんと和もちゃんと音楽的理論にちゃんとはまってる、はまってるというか、 ま、あの、なってるんですから。 ま、ちょうども 1 オクターブの中で動いたりしてるんですけど。そうですか。あれ、 だから出る音を 考えないと1 番下の音はもう声出せないんですよね。 うん。うん。 だ、そこの計算の考えるのも大事ですよね。 うん。うん。 ま、1 人だったらね、ま、みんなと一緒する場合は、ま、みんなが一緒に超えせる範囲の、ま、そっちも考えるんですけど。 うん。 だからチューナーがやっぱり大事ですよ。 チューナーが大事。 あともう1 つが今回撮った経緯ですけども、きっかけですけども、 ま、女性が声出してお務めするのに 習えるような音源とか YouTube とかがすごく少ないっていうのがあります。ありますね。 もう私自身もあのその京都の熊に習ってる時には、ま、もちろん明としては一流の見本ではありましたけど うん。 ただ女性ではどういう雰囲気で表現するのかな?そういうとこがあるんですね。 うん。 特に声をちょっとわとかなんかちょっと足けするところでは女性の定でどうやってそこ足けするのかなっていうか、どうやって表現するのかな。で、私も、 え、教務省にいたんですけどうん。 女性の音源ちょっとうんねみたいなまあなんか一緒にお勤みするような女性が少し聞こ裏で聞こえるのはあるんですけど本当に女性の証明味をあんまりなかなか聞くことがなくて うん。 私自身も困ってたからま少しでもえ、協力できたらなと今回思ってて いや、ありがとうございます。 いや、僕もやっぱ女の人があの、こういう練習するためのものがないって本当だったらお師匠さんについて学べばいいんだけど。 ま、そうですね。 ま、でも女性でね、消明頑張ってる人も徐々に増えてはきましたけど、 そうですね。 まだまだ少ないですもんね。 ね。で、なか派あまり大谷派ではあんまり音源ね、おっしゃってたようにあんまり上がってないんですね。 まあ、直接伝えるのが大事だって。そりそうなんですけどね。 はい。 で、ま、私自身も、ま、この間は、ま、僕の通りのことだったんですけど、やっぱなんかどうだったか、あ、 YouTubeにないかなって YouTubeで調べる尺の曲も うん。 あ、どうだったかなと。その曲を合走してる曲は上がってないかな。 結構YouTube私も頼りにして 何回もあの助かったっていう時があるので、ま、そういう意味ではね、もう少しでも力になれたらと思ってこの前あの大木の結び方忘れて でYouTubeを見ながら YouTubeあるでしょうね。 あるんですよね。 うん。 うん。ま、そういう風な、あの、みんなの役に立てばいいなと思って、あの、これを作った というのはありますね。 まあ、だからね、ま、言うまでもなく、もちろん完璧なものっていうわけではなくて、ま、あの、ま、日常勤めな中でも、ま、ね、ま、やっぱりその、ま、完璧っていうか、やっぱ気持ちもまた大事ですから うん。 で、苦っていう世界でもあるから、もうみんながきちっと同じじゃないといけないっていうわけでもないんですよね。 やっぱりそこそれぞれのま、市場からの流れっていうか、そういうのがあるからそこもあまり執着しすぎないで自らのま、習った市場からのその背景っていうか、それを大事にしてまた他の人に対しても狭くならないように受け入れる心を持つのは私個人的は大事と思います。 うん。そうですね。 やっぱ広く広げていくっていうこととそういう環境を作っていくってこと両方大事ですね。 そうですね。ま、だから言ってなんか、 え、終年、終練でもそうですけど、ま、学院で商明の枠があの、そんなに大きくないですね。 うん。 限られた時間でしかできないですし、で、ま、みんな先生対応勢の生徒に対して相手するんですね。 うん。うん。 そうれば先生も1人1 人の癖までにはなかなか手が回らないですので うん。 ま、なんてかね、やっぱり自分個新的ちょっと習いに行くのが、ま、大事であると思うんですね。 うん。 でも終年ではね、もうこれで教師資格って、ま、これからお勤めしておふをいただくっていう意味になるからやっぱちょっと責任も うん。うん。 あるんですよね。でも終年でうん。 商明の一般的な、ま、レベルと言うとは偉 そうに聞こえるんですけど、ちょっと 悲しいっていうかこの、え、教師 試験受けた仲間がいるんですけど、もう 全くできない人結構あって、 ちょっと悲しいね、ま、言葉はありました けど いやもう僕ちょっとぐさっと きてますけど。 いやいやいやなんか全くなんていうかこれでま風をいただくっていうのはまもなんか完璧にま本山で同収と同じ節不じゃないといけないではなくていいと思うんですけどでもやっぱちょっとぐらいねというかこれで伏せいただくっていうことはあるからまなんていうかね、ま、自分なりにっていうか うん。傾するのも大事かなと。 はい。頑張らせていただき あのちょっと僕は消明苦手なんですけど、ま、今回は本当にあの 素敵な声ある絶対すごいあのパワフルなめなあると思いますけど。 ま、うん。まあそうなんですけどね。 ま、もう実際にだから女性で困ってる方がいいっぱいいらして、そういう方はその例えば棒さんであったりとか、一般のご門さんであったりとか、そういう方実は YouTube とか見てよく練習されてるってのもあるんで。 あ、そうですね。 そんな方の役に立てばいいなと思いました。 うん。まあ、だからこれからね、こう大谷班の中でも女性っていうか、あ、ね、巡道じゃなくてもあのね、住職であったり、棒森さんであったり少しね、あ、 YouTube に上がる音源が増えればと私は思います。 ああ、そうですね。 はい。 いや、ありがとうございます。 あの、じゃ、最後にこれから GC しどんな住職を目指してらっしゃ、らっしゃる?住職っていうか、どういう歩みをしていこうと思っておられますか? まあ、どういう歩みか、ま、基本的には、ま、ね、こうトさんと一緒にっていうか歩みであって、ま、モントさんは私よりポしてくられたっていう時間がずっと長いですね。 そう。ええ。 だからそのむしろっちが戦闘、ま、代表で言えば紙の上ではなってるんですけど、 モさんのそういう心を、ま、聞きながらいただきながら、ま、それを少しずつ次の世代に少し伝えていけたらいいなって。 ま、開いたお寺というか、モントさんじゃなくても誰でもウェルカムっていう場所でっていうこれからそうならないと田舎の寺ラはもうちょっと方の時代ですね。 そうですね。 ね、もうもっと開いたく場所っていうかでこれから、ま、どのようにしていかの寺ら、ま、次の世代につなげていけるかどうかっていうか、もたちがすごく問われてるかなと思うんですね。 うん。 ま、課題は大事ですけど。え、 うん。ま、一方一方今のトさんと楽しく過ごしていけたらなと私。はい。 ありがとうございました。 どう、ありがとうございます。あ、 すいません。ありがとうございまし、 ございました。
女性のための日常勤行(赤本のおつとめ)で声明を担当してくださいました、ジェシー釋萌海さんにインタビューしています。
スイスで生まれてどんなきっかけで日本に来て真宗大谷派の僧侶になったのか、ぜひ聴いてみてください!
ジェシー釋萌海
スイス生まれ、真宗大谷派京都教区敦賀組高雲寺住職、准堂衆補。
インタビューアー 瓜生崇(ねこずき)
2 Comments
良い対談でした(*^O^*)これからのジェシーさんが楽しみです\(^o^)/
お声が素敵ですよね。。
スイスは昔からずっと柔道や武道が盛んです。体が大きい人が多いのでオリンピック選手重量級の知り合いもいますが、日本人が思うよりヨーロッパの人たちは武道家がいます。道場もあちこちにあり、空手は若い人に人気です。
そういうご縁で交流がありますね。。ジェシーさんもその一人ですね。音楽もやってるというアート系なんだ。。瓜生さんと気が合いそうですね。
これからもご健闘くださいね🗾⛑