【日本映画の名作徹底解説】「負けず劣らずの感動のラスト!」『幸福の黄色いハンカチ』と併せて観たい『遙かなる山の呼び声』徹底解剖
幸せの黄色い半価値に劣らぬ感動のラスト 。はるかなる山の呼び声の魅力。徹底解剖 。 前回の動画で山田洋ジ監督によるロード ムービーの索幸せの黄色い半たちの誕生日 をご紹介しましたがこの作品には連作とも 言える作品があります。それが1980年 のはかなる山の呼び声です。どちらも高倉 県と賠償知恵子が主人公を演じる感動策 ですが、両者は様々な面で興味深い連感が あります。今回の動画では山田幼子の シリアスドラマの名作、はるかなる山の 呼び声の魅力を数々の名場面やそれに まつわるトリビア、そして幸せの黄色い半 たちとの関連性といった観点から深掘りし ていきたいと思います。この動画が本作を 見たことがない人には本作を干渉する きっかけとなり、見たことがある人にも 本作に関する新しい発見があれば嬉しい です。また、本作やその他の山田用事作品 についての裏話などをご存知の方が いらっしゃったら是非コメントで教えて ください。それでは早速見ていきましょう 。是非最後までご覧ください。 北海道東部中し別の落能地帯で風美子 は泣き夫の残した牧場を1人息子のたけし と共に切り盛りしていたある嵐の夜道に 迷ったという男島工作が子の家を訪れた子 は物置きに止めてやることにした工作は その夜牛の出産を助け翌朝霊を行って 立ち去った夏になると工作が再び現れ 住み込みで雇って欲しいと願いれる。は 戸惑いながらも工作を雇うことにした。 工作は科目でその身の上を語らずも初めは 警戒するがその真面目な働きぶりに次第に 信頼を寄せていく。子は地元の飲食店経営 者ア田太郎から必要に結婚を迫られて 困り果てていた。ある日子はアブ田に乱暴 されかけそれを目撃した工作は水をかけて アブ田を追い返すがアブ田は2人の弟を 引き連れて仕返しにやってくる。工作は ア田3兄弟と血闘することになるが、 あっさりやっつけてしまい、ア田はこれを 気に逆に工作を兄貴気分としてしうように なる。子が作業の途中に腰を痛めて入院し ている間、工作は牧場を守り、たけしは 優しくたましい田島にすっかり懐ついて しまう。退員した子はそんな田島に だんだんと行為を寄せるようになり、工作 も函館からはる訪ねてきた兄の瞬一郎に しばらく子の農場にいるつもりだと 打ち明けいつまでいてくれるのかと 問とう子にも奥さ次第ですと答えるのだっ た。工作は常場の腕前を披露し地元の草 競馬に出場しに優勝した。しかしその時に 警察の操作が迫ってきたことを知る。工作 は2年前借金に自殺した自分の妻を葬式の 席でのしった氷を殴り殺し警察の操作から 逃げておりそれを打ち明け子に別れを 告げる。その夜牛が急な病に倒れた子は 急ぎ宮で飲んでいた10位を呼んで診察を 受けさせる稼ぎ頭の牛が危ないという辛い 状況の中でたみ子は工作に行かないで私 寂しいとすがりつく牛の手術は無事に 終わり夜が開けるそこについにパトカーが やってくる工作は立ち尽くす民子と抱き ながら追いかけるたけしの元から去って いく裁判で障害知士として工作の懲役が 確定し冬の北道を列車でアシ刑務所へ誤装 される工作途中の駅で停車中の列車内に ア田が工作を見つける。そして子が工作の 座る席まで来るがご相員の目を気にして声 をかけられない子。そこでアブ田が隣の ボックス席にと座り、との会話の中で彼女 が落能をやめてたけしと中し別の町で 暮らしながら工作を待っていることを工作 に聞かせる。はい、たちを工作に渡し、 工作は涙を拭いながら窓の外に顔を向ける のだった。 はるかなる山の呼び声は山田洋王子監督の 第43作目。そして男は辛いよ。シリーズ を除いたシリアスドラマとしては幸せの 黄色い半達ちに続く作品として1980年 に制作されました。本作の題名が ジョージョージスティーブンス監督の西武 劇の名作支援の主代局の砲題と同じである ことからも分かるようにはかなる山の 呼び声は明らかにシェーンから着走を得て おり一種のおマージ作品となっています。 チェーンは南北戦争後のワイオミング州を 舞台に流れ物のガンマンシェーンが開拓者 ジョススターレットの一家と出会い土地を 巡る暴力から守ろうとする物語ですがその 中でシェーンは一家と心を通わせていき ます。特に息子の上位はシェーンを 頼もしいヒーローとしてしたいまたジの妻 マリアンとの間には互いに淡い感情が 芽えるようになります。そしてシェーンは 対立するライカー一家と対決し、ついには 彼らを倒しますが、人を殺してしまえば もう元には戻れないと言って馬にまたがり 、ワイオミングの山へ去っていきます。 上位のチェーンカンバックの声がこだま するラストシーンは映画市に残る名シーン となっています。この流れ物が突然一家の 前に現れ次第に心を通わせるも最後は事件 によって彼らの元を去っていくという構図 はそのままにはかなる山の呼び声は舞台を ワイオミングの大平原から北海道中市別の 脳村地帯に移し日本社会や時代背景に 合わせて再解釈されています。 はるかなる山の呼び声はその主人公の名が いずれも子であることから1970年の 家族1972年の故郷と共に子産部作と 呼ばれています。しかし内容的には家族と 故郷が連続的であるのと同様本作は幸せの 黄色い反達と連絡的な内容となっています 。家族は長崎県島の単鉱に始まり、 北海道原 の開拓村で終わる物語で主人公は社をした 単鉱で生活できなくなり、追い立てられる ように北海道の開拓地を新しい生活の場と 思いをしますが、これは後の故郷で故郷を 追い立てられた夫婦が放浪を泳ぎなくされ て次の定着地を求めていく姿を描いた作品 と言えます。その意味で両者は制作順序は 逆ながらストーリー的に連し合っています 。一方の幸せの黄色いハカちとはかなる山 の呼び声では後に作られたはかなる山の 呼び声で殺人の罪を償うために工作が民子 を残して下獄した子は出社を待ちますが それが幸せの黄色い半価値でアシ刑務所を 出し妻が待っているかどうかを確かめる ために夕張に向かう島有作につがっていき ます。しかし両作品の連感はこれだけでは ありません。はるかなる山の呼び声には 物語の中盤で子の従子として武田哲也 演じるカオ夫とこの葉の子演じるカオの 新妻か子が登場しますがこのカップルは 幸せの黄色い半たちの若いカップル金夜と 明けみがその後結婚し北海道に戻ってきた という形で繋がっていると言えます。この 繋がりは様々なところで暗示されています 。例えば新婚の2人をこが迎えるシーンで このような会話が買わされます。大変だっ たでしょ?博多からどのくらいかかった? えっとね、フェリーで釧まで来て赤に1泊 してでここまでぶっ飛ばしてきた。この ルートはまさに幸せの黄色い半地で金夜と 明けみが辿どったルートと全く同じです。 また勝はそれを演じる武田徹也と同じ博多 出身という設定になっていますが、これも 幸せの黄色い半たちの金夜と同じです。 つまりはかなる山の呼び声の田島工作と 風美子の関係は幸せの黄色い半たちの島優 と三江に引き継がれ逆に幸せの黄色い半 たちの金夜と明けみの関係はははるかなる 山の呼び声のカオとかに引き継がれている という形で二重の異なる方向の輪を描いて いるのです。さらに言うと、本作は幸せの 黄色い半価値との観だけでなく、3部作と して家族故郷との観も見られます。先に見 たように家族と故郷は時間軸で言うと故郷 家族の順につがっていますが、はるかなる 山の呼び声は家族で北海道に進展地を求め て定着した夫婦のその後の物語という側面 が見られ、開拓者としての苦労から夫が 病死し、後に残された妻が女で1つで1人 息子を育てながら楽能農民として必死に 暮らしている姿を描いていると言えます。 これは家族での井川久し演じる夫の名前が 正一であるのに対し、はるかなる山の 呼び声での亡くなった夫の名前が政治で あることからも推測できます。こうして みると家族から始まる山田幼子の一連の シリアスドラマは70年代の日本人の 行きざのある1つの典型の奇跡として 捉えることができるでしょう。 このはかなる山の呼び声はおそらく山田 監督の全作品の中でも最もスローな店舗の 作品と言えるでしょう。また人もという テーマは古風でテクニックは オーソドックスでありましい場の ディテールを映し取っていく手法は 目ま苦しく状況が展開し奇事件が頻発する 刺激的な映像になれた現代人にとって刺激 にかけると感じる部分があるのも理解でき ます。幸せの黄色いハカ地には金夜の系長 付さを描くことでまだ現代の風潮風俗を 配慮する演出家の姿勢がありましたが はるかなる山の呼び声はそのような配慮 さえありません。山田の映像はいわば会社 であり平隊と言えます。山田映画ほど映画 市場主義から遠いものはないとも言える でしょう。本作はかなる山の呼び声でも そこにはどれ1つとしてエキセントリック な映像を探すことはできません。理解し がいような1人よがりな映像もないし、 意味のよくわからない映像もありません。 こうした平すぎるほど平な山田の映像感覚 を弱いとか古いという人もいます。しかし 平であるからこそ山田の作り出す映像は 見るものの感性を心よく刺激し、知的環境 を模様させる能性を持っていると映画評論 家の吉村秀夫は言います。山田幼児は著書 映画を作るの中で映画における表現という 行為は観客のイメージを作り上げさせる ことにあると述べ。そしてこう言ってい ます。非常に天才的に作家が作り上げた 素晴らしいイメージを観客が呆然と眺める といったような仕事は私にとてもできる わけがないし、またあまりやりたいとも 思いません。ここに山田の映像表現感が 集約されていると言えるでしょう。山田が ここで描こうとするのはまともな人間たち のまともに生きようとする姿であると言え ます。だからこそ山田はオーソドックスな 手法にこだわるのでしょう。はるかなる山 の呼び声はいかに古いと言われようが 当たり前すぎると言われようがまともな 人間たちのまともに生きようとする姿を 自分の感性に忠実に思いを込めて 歌い上げるとこんな映画ができるという 未本のような作品です。普通でない人間を 普通でない感覚と手法で描こうとする映画 が判断する現代だからこそこの山田の映画 世界と手法はっています。山田幼児は柳田 国の言葉、人を楽しませるものが芸術だと いうことを思い出さずにはいられない時世 になりましたを左右の名にしていると言い ます。男は辛いよがいかにまんねりだ。 ワンパターンだと批判されようが、そして シリアスドラマが余ったると攻撃されよう が、一方で彼の作品が多くの金労民衆に 指示され続けているのも事実です。映画 評論家の荻木正弘はこのように言ってい ます。なぜ山田監督1人の作品が他のも法 もついずいもない形で20年近くも反国民 的な映画2ているのか。もっと率直な言い 方をすればなぜ他ではこの真似が不可能な のか。この秘密を解く鍵の1つが実は山田 映画の絶妙な映像学にあるという点は大切 だと思う。山田洋ジ監督の作品が常に あまりに平異自然に語られているため帰っ て気づきにくいのだが実は今この人の映画 くらいカメラが気もなくあるべき位置に 置かれ気もなく切り替えられるべき瞬間に ショットが切り替えられつまり的確な構図 の自然さが快適な生理で映像のリズム感を 生み出していく演出を見ることは少ないの である。もう1つ、本作はかなる山の 呼び声で明確に意識されているのが教育の 視点です。もちろん幸せの黄色い反たちで も有作によって若い2人が愛の真実を教え られるというテーマがありましたが、教育 という観点を作品の中に映像の中身として はあまり提示しませんでした。それが はるかなる山の呼び越では初めて中心的な 位置を占めています。山田自身もこのよう に語っています。やっぱりきちんと大事な ことを教えてくれる大人ということですね 。それが父親らしい父親というもんなん だろうと思うんですが、そんな男への憧れ が出ればいいなと思っています。この観点 から見ると幸せの黄色い繁カ地では有作と 三の愛に食発され、それによって成長を 遂げる金夜と明けみが大きな非重を占めて いましたが、はるかなる山の呼び小声屋に 登場する勝子はすでに成長を遂げた人物で あるため重要な位置を閉めていません。 そして本作で2人に変わって重要な位置を 閉めるのが少年たけしです。たけは今は 泣き父親に変わって工作の中に大人の たましい男としての父親像を見て憧れを 抱いていきます。それはこのようなシーン によく現れています。安田3兄弟との血闘 を見ていたけしにこのことはお母さんに 話すなといった工作。そしてその夜2人は このような会話をかわします。たけし 母さんには言わなかったろ。言っちゃった 。言っちゃった。頷くたけし。俺が言う なって頼んだだろ。約束守らんやは男じゃ ないぞ。はい。山田はすでに原からの完成 の直後に夜間中学校を舞台にした作品を 作りたいと表明し、はるかなる山の呼び声 の次に学校の制作の準備を進めています。 これは最終的に1993年西田俊主演に よって決することになります。 それでは次に本作の出演者を見ていき ましょう。主人公は岩雲の高倉県。本作 撮影時は50手前の49歳。幸せの黄色い 半達ちで人間映画スターから見事脱却し、 以後駅ステーション南極物語ほっぽ屋など の名作や話題作そしてブラックレイン ミスターベースボール短期戦理を走ると いった海外作品に次々に出演して日本のみ ならず世界的な名星も上げていきます。 本作でも幸せの黄色い半価値同様科目で 実直な理想的とも言える日本の男を演じ、 まさに男も惚れる男の中の男といった イメージを見事に対現しています。本作で は中盤で鈴木みずほエンジェラーに俊一郎 が訪ねてきてコーヒー好きの弟のために コーヒーメーカーをお土産で渡すシーンが ありますが実際に高倉は無類のコーヒー 好きだったそうです。一方、お酒は飲めた が、本人の意思で飲まないことを選んでい たそうで、若い頃によってトラブルを 起こした経験から自性のために飲まなく なったそうです。撮影現場などでも高倉県 の前では禁種禁煙が徹底されていたという エピソードもあり、スタッフや共演者も 検査の移行に経緯を払っていたことが わかります。ただ親しい監督や特別な機会 には一緒に酒を口にすることもあったよう です。ちなみにこの兄俊一郎が訪ねてくる シーンは北海道旅客鉄道私別線の上駅で 撮影されていますが、撮影の9年後の 1989年市別線の前線配線により廃駅と なっています。駅の後地付近の木には ホーム場の高倉県と鈴木水保山田洋の 打ち合わせ中の様子を撮影した写真がふさ れた上機との標識がつけられているそう です。風美子役にはこちらも岩雲がの 賠将恵子がふしています。相性は山田幼子 の監督2作目である下町の太陽以降山田 作品の常連として運が良け懐かしい風来房 家族故郷腹辛をはじめとした数多くの作品 に主演出演しまた何と言っても1969年 に始まる男はつライシリーズの全50作で 車虎郎の妹桜役として国民的人気を拍した のは誰もが知るところでしょう。賠償は のべ60本以上の作品にわって山田作品に 主役または主役で出演しておりこれは海外 にも累を見ないほどの近密で長期の監督 主演または準主演女優コンビとなってい ます。子の息子たけしを演じているのは 吉岡秀です。吉岡は1977年野村義太郎 監督の八墓村で小役として映画デビューし 、本作が2作目の出演でした。この作品を きっかけにして翌年公開の男は辛いよ。何 の恋の虎次郎以降全ての作品に虎次郎の おい、諏光を役でレギュラー出演すること になり1989年のシリーズ42作目男は 辛いよ僕のおじさん以降は病気で派手な 演技が難しくなった厚み清に変わり事実上 の主役となりました。高倉と本作で共演し てからは高倉から秀と呼ばれて買がれ、 1987年の北の国から87初恋の放送日 の夜、高倉から電話で演技を褒められたと 言います。また2002年9月に北の国 から全シリーズが終了した際には高倉から 日で長い間よく頑張ったなとねわれ、吉岡 はその時震えるほど嬉しかったと話してい ます。安田太郎を演じる花は初めは上や谷 と結成し、1960年代に一斉を風備した コミックバンドクレイジーキャッツの リーダー券ドラマーで俳優としても クレイジーキャッツとして1962年から 1971年にかけて無責任シリーズ日本一 シリーズクレイジー作戦シリーズといった いわゆる東方のクレイジー映画に数多く 出演し東方のドレ箱シリーズとなります。 7は企画や才能への嗅覚が非常に鋭く小の 若手監督だった山田洋ジの才能をいち早く 見抜き男は辛いよシリーズ開始前の 1964年から1969年にかけて バカ丸出しいい加減バカバカがタンクで やってくるといった若シリーズ運が良け 懐かしい風貌などで山田と不動のコンビを 組みました。山田作品への出演は1970 年の家族以来実に10年ぶりでしたが殺だ が人常身に暑く最初は工作と対立するも 喧嘩に負けるとすぐに兄貴としう憎めない 性格のアブ田産兄弟の長男を実に魅力的に 演じていました。そして山田作品になくて はならない虎ラさん子と厚み清も人工受性 の混動役として短いシーンながら特別出演 しています。脇役にも興味深い人たちが 出演しています。工作を追い詰める2人の 刑事のうちの若い方の刑事役には青木拓が 奮していますが、彼は高倉と同京である 福岡県出身の俳優で実生活では1968年 から1985年まで高倉の月人をしてい ました。ですのでこの撮影時も高倉の月人 だったことになります。中盤で病気になっ た牛を診察する獣医薬はムツご郎さんとし て知られた旗正が演じています。SSと 作家だった旗は1972年には北海道アけ 軍にムツゴ王国1979年に本作の舞隊と なった中別にム牧場を開演するなど動物 研究家としても知られその意味で本作の 獣約はまさに的約と言えるでしょう。 ラストで工作を急行列車で網尻まで誤する ご総員役には下川達兵と葛西和彦がふして います。下川は1972年に始まった人気 テレビドラマ太陽にホエロシリーズで通称 長さこと野崎刑事役を演じお茶のまで人気 を拍しました。もう1人のご相員役を演じ た火災はシリーズ第15作男は辛いよ。 虎次郎ああ傘から厚み清の遺作となった第 48作男は辛いよ。虎遅れないの花まで他 社長が経営する朝日印刷の公員中村を演じ また幸せの黄色いハカ地では新徳警察署の 景観役を演じていました。 動画の最後に本作の名場面をご紹介したい と思います。神子が入院している間に工作 とたけしは絆を深め、たけしは工作を慕っ ていくようになります。それを象徴するの が夜寂しくなったけしが布団と枕を抱えて 一緒に寝たいと言って工作のいる小屋に やってくるシーンでしょう。どうした? ひとみちゃん帰っちゃった。それで寂しく なってきたんか?頷くたけし。よしじゃ ここで寝ろ。嬉しそうに工作の横に寝る。 たけし。たけ父さん死んで寂しいか?うん 。おじさんの父さんもおじさんが竹と同じ くらいの年に死んだんだぞ。病気で。いや 、仕事に行き詰まってな。借金が返せなく なってうちの近くの川の橋の下で首くって 死んだんだ。へえ。おじさんの母さんその 頃家にいなくてな。おじさんと兄さんと 父さんと3人で暮らしてたんだけどな。 その父さんが死んだって言うから兄さんと リアカー持って迎えに行ったんだ。そして 橋の下にぶら下がってる父さんを下ろして リアカーに乗せて子も被せてな兄さんと 2人で引っ張って帰るんだけど町の人が いっぱい見に来てなおじさん悲しくて 泣き出しそうになるんだけど兄さんが 小さな声で楽なともないからなくなって そう言うんだ。だからおじさん必死になっ て我慢しては食い縛って涙こらえて歩いた んだ。本当に泣かなかった?ああ泣か なかった。男が生きていくには我慢し なきゃならないことがいっぱいあるんだ。 だから母さんが病院に行ったくらいで泣い たりなんかしちゃだめだぞ。分かったな。 うん。よし、じゃあ寝ろ。うん。科目な 工作がたけしに自分の幼い頃の悲しく辛い 思い出を語り、たけしに強く生きることの 大切さを教え、また父親を学したけしが 工作の頼もしさに大きな安らぎを感じ ながら眠りにつくとても心温まる場面です 。また実直で男らしい工作にたみ子が次第 に引かれていき、その気持ちを伝えようと する場面も印象的です。工作が兄から もらったコーヒーメーカーでコーヒーを 入れているところにたみ子がやってきます 。そこで非常なが珍しく牧場の仕事の辛さ を口にします。そしてがさに節めがちに こう聞きます。あのたけしがねこの間から 気にしてるんだけど何ですか?いつまでい てくれるんですか?奥さん次第です。別に 用事のある体じゃないです。たけしが喜ぶ はきっとまた工作が自分の過去をた子に 打ち明け立ち去ることを子に告げた直後の 夜中稼ぎ頭の牛が病気になり10位が手術 をしているところに嵐の中を駆けつけよう とする子工作が精してこう言います。見 ない方がいいです。あの子が死んだら大変 なのよ。うちで1番働いてくれる子なんだ から大丈夫です。奥さん家にいなさい。 そして10位の元に戻ろうとする工作に た子が思わずこう言います。行かないで どこへも行かないで私寂しい工作に すがりつく子と子の肩を優しく抱く工作 大きな不安に襲われる中で子が思わず自分 のありのままの気持ちをぶつけるこの シーンはゆったりと抑制された表現が貴重 となる本作において唯一激しい感情がトロ されるシーンです。の思いを知りつつも 自分の教遇からそれに答えることのでき ない工作の切なさが見るものの心を 揺さぶります。そして何と言っても感動的 なのがラストシーンでしょう。一面の雪の 中刑務所まで急行列車で誤される工作ご 総員のコートで覆われた手元に時折り光る 手錠。その時、近くに来た人の気配に太目 をあげ、通路を隔立てた向いの席に座った 女を信じられぬ思いで見つめる工作。た子 が息を切らせ方を好調させて座っている。 そこへアブがドタドタとやってきてた子の 迎えに座り、見えた下手くそな芝居を 始める。奥さん。どうもどうも。しばらく でした。あんた牛会やめて中し別の町で 働いてるんだってね。ちょっと聞いたんだ けど、息子と2人で何年も先に帰ってくる 旦那を待ってるって話。あれは本当おかね ?頷くたみ子。偉いね。暮らしの方は心配 ないのかい?アブ田さんが色々とああ、 あのバカがあれが親切に面倒を見てくれ てるわけだ。はい。そりゃよかった。本当 良かった。良かった。感動して涙を ポロポロ流し出す。あぶた。その話を聞き ながら食いるようにタみ子を見つめる工作 の目にも涙がにむそ知らぬ顔で弁当を食べ ているご相員じっと工作を見つめていた子 は黄色いハカ地を取り出し工作に手渡す 手錠をはめたままの手で涙を脱ぐ工作 そんな一光を乗せて列車は大接を走り続け ていくここで子が工作に渡すのが黄色い 半達ちであるのはファンサービスとも 言えるものでしょうがここからも幸せの 黄色いさんたちに続く伏線を感じずにはい られません。このラストを芝居が買って リアリティがないと感じる人もいるかも しれません。また幸せの黄色い反たちにも 言えることですが、そもそも両作で有作や 工作が人を殺すに至る状況自体にもいくら 月行したにしてもそこまでの必然性はなく 無理があるとも言えます。山田は リアリズムということに関してこのように 述べています。リアリズムというのはより 豊かな表現のための方法なのであって現実 のあるがままをベタベタ映すということで はなくもっと想像するあるいは想像すると いうことに関わる事柄である。これは男は 辛いよの車虎ラ次郎に関する次の言葉にも 現れています。我々はそのような現実には ありえない人物を想像してその人物があか もその辺にいるような嫌くなくともいても おかしくないと観客が感じるようにし なければならない。つまり言い換ると車と 虎ラ次郎という人物のリアリティを想像せ ねばならないのです。映画は嘘です。我々 の仕事は人を騙すことであると言ってから ない山田のこのリアリズムに対する考えを 理解した時、本作のラストの大芝居的な女 と干渉にも素直に感動することができるの ではないでしょうか。 [音楽] さて、本日の動画はいかがでしたでしょう か。私たちにとって皆様からの温かい コメントや高評価は何よりの励みとなって おります。是非ともご感想やご意見をお 聞かせいただけると幸いです。ご視聴 いただきありがとうございました。
前回の動画で、山田洋次監督によるロードムービーの傑作『幸福の黄色いハンカチ』の誕生秘話をご紹介しましたが、この作品には連作とも言える作品があります。それが1980年の『遙かなる山の呼び声』です。どちらも高倉健と倍賞千恵子が主人公を演じる感動作ですが、両者は様々な面で興味深い連関があります。
今回の動画では、山田洋次のシリアス・ドラマの名作『遙かなる山の呼び声』の魅力を、数々の名場面やそれにまつわるトリビア、そして『幸福の黄色いハンカチ』との関連性といった観点から深掘りしていきたいと思います。
この動画が、本作を観たことがない人には本作を鑑賞するきっかけとなり、観たことがある人にも本作に関する新しい発見があれば嬉しいです。
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2 Comments
山田作品に感じるのは、平凡な生活こそ1番大切、
それこそ非凡なり!私の実感でもあります。
自分が小学生頃の映画で、この映画に出てくる場面には、自分の小さな頃ってこのような大人達がいたな、このような雰囲気だったなと思わせる作品でした