幕府財政を支えた日本三大鉱山・半田銀山 安彦良和書籍で再び脚光 《もっと!ぐっと!桑折町》
今週は市町村ウィーク氷郡の魅力をお伝えしていますが、実はこの郡日本の近代化を支え、かつて日本一にも輝いた重要な歴史があるんです。今日はそのルーツを探ってきました。 郡町にある半田銀山ブルワリー上町チアーズ。ここでは地元の食材を使った料理と一緒に氷町さんのりんご大輪などを使ったクラフトビールを楽しむことができます。 すっきりとした大輪の爽やかさが広がり、 とっても飲みやすいです。さて、こちらの クラフトビールを作っているハンダ銀山 ブルー。郡町の歴史を語る上で欠かせない 大切な場所になっているハ田銀山ですが、 一体どんな歴史があるのか紐いてみたいと 思います。 波金山、イ野銀山と並び日本三大鉱山の1 つに数えられる半田銀山。 江戸時代から明治時代にかけて最盛期を 迎え、 昭和25年まで採掘が続けられてきました 。 郡町の半田銀座にやってきました。 今日は郡町の学芸を知り尽くしているさんにご案内していただきたいと思います。お願いします。 あ、沼です。よろしくお願いします。半田山自然公園の近くにある三道を進んでいくと 歩き進めてきましたら何か見えてきましたね。 あ、あちらが半田銀山の中式と呼ばれて いるになります。 現れたのはかつて甲府たちが出入りしてい た鉱山の入口。 江戸時代の、え、中期真ん中頃に、え、 非常に有望な鉱脈が発見されて、それ以来 あの江戸幕府の直営という形で、え、 銀の採掘が行われていました。で、え、 もうかなり大きな鉱山として発展して、ま 、江戸幕府の財政をあの支えた銀山になっ ていました。 明治時代全国の鉱山を再開発し鉱山王と 呼ばれていた実業家5友が半田銀山の経営 を開始。 5台はトロッコなどの西洋近代技術を 取り入れ 1884年には3年連続で銀産三出量日本 一となる異行を成し遂ぎました。 この反栄の歴史を題在に漫画会の巨匠が 書き下ろした半田銀山昔語が今年9月に 出版話題を集めています。 漫画家の、え、安彦吉和先生っていうあの アニメの起動選手ガンダムのキャラクター デザインなんかされたあの先生なんです けれども、その方のあの火おじいさんが、 え、ハ田銀山におみなって書いていたと いうご縁で 漫画の舞台にもなる半田銀山は日本の近代 化を支える重要な存在でした。 この半田銀座がないと日本の近代化も もっと遅れていたって言っても過言じゃ ないのかなっていう風に思います。はい。 郡の街中には歴史を感じることができる 半田銀山遺跡が残されています。こちらの 石垣もその1つです。 これは鉱山で取れた鉱石を運ぶために使わ れていたトロッコの橋の足となった部分。 150年以上の時を経た今もその姿のまま 大切に保存されています。 ま、これからもあの、引き続き長く残して いかなければならない、え、ま、文化財と してもそうですけれども、ま、地元の人に 解説されるようなあの遺跡として保存して いきたいと思ってます。 このハ田銀山を思う気持ちはこれからの町 を担う若い世代。そして半裸銀山の名前が ついたブルアリーにも不継がれています。 自分の中に刻まれてるう何かこう重要な ファクターというかそういうものになっ てるのでやっぱそれをこうフューチャーし ないわけにはいかないかなと氷町に生まれ たものとしてはそういう思いがあります。 地としても親まれている半田山、半田銀山 。 そこには人々の思いと歴史が深く刻まれて いました。
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かつて日本三大鉱山のひとつとして江戸幕府の財政を支え、明治時代には銀産出量日本一を達成した福島県桑折町の「半田銀山」。その歴史と現在の姿を追った。
■日本三大鉱山のひとつ
福島県桑折町にある、半田銀山ブルワリー「上町CHEERS」。ここでは、地元の食材を使った料理と一緒に、桑折町産のリンゴ”王林”などを使ったクラフトビールを楽しむことができる。
店名にもある「半田銀山」は桑折町の歴史を語るうえで欠かせない大切な場所。一体どんな歴史があるのかひも解いてみたい。
■幕府財政を支えた銀山
「佐渡金山」「生野銀山」と並び、日本三大鉱山のひとつに数えられる「半田銀山」。
江戸時代から明治時代にかけて最盛期を迎え、昭和25年まで採掘が続けられてきた。
半田山自然公園近くにある山道を進んでいくと、現れたのはかつて鉱夫たちが出入りしていた鉱山の入り口。
桑折町教育委員会主任学芸員・井沼千秋さんは「江戸時代の真ん中ごろに、半田銀山に非常に有望な鉱脈が発見されて、それ以来、江戸幕府の直営という形で銀の採掘が行われていた。かなり大きな鉱山として発展して、江戸幕府の財政を支えた銀山になっていた」と説明する。
■銀産出量日本一の偉業
明治時代、全国の鉱山を再開発し「鉱山王」と呼ばれていた実業家・五代友厚(ごだいともあつ)が半田銀山の経営を開始。五代は、トロッコなどの西洋近代技術を取り入れ、1884年には3年連続で銀産出量日本一となる偉業を成し遂げた。
この繁栄の歴史を題材に、漫画界の巨匠・安彦良和が書き下ろした「半田銀山昔語り」が2025年9月に出版され話題を集めている。
学芸員の井沼さんは「機動戦士ガンダムのキャラクターデザインもされた安彦良和先生の、ひいおじいさんが半田銀山にお勤めになって図面を書いていたというご縁で」と話す。
■日本の近代化の礎
漫画の舞台にもなる半田銀山は、日本の近代化を支える重要な存在だった。
「この半田銀山がなければ、日本の近代化ももっと遅れていたと言っても過言ではないと思います」と井沼さんはいう。
■受け継がれる文化財
桑折町のまちなかには、歴史を感じることができる「半田銀山遺跡」が残されている。鉱山で採れた鉱石を運ぶために使われていたトロッコの橋脚となった部分は、150年以上の時を経た今も、その姿のまま大切に保存されている。
井沼さんは「これからも引き続き長く残していかなければならない文化財。地元の人に大切にされるような遺跡として保存していきたい」と語る。
■新世代への継承
この半田銀山を思う気持ちは、これからの町を担う若い世代、そして半田銀山の名前が付いたブルワリーにも受け継がれている。
半田銀山ブルワリー「上町CHEERS」の鈴木翔之さんは「自分の中に刻まれている重要なファクターになっているので、それをフィーチャーしないわけにはいかないかなと。桑折町に生まれたものとしては、そういう思いがある」と話した。
今はサクラの名所など行楽地としても親しまれている半田山・半田銀山。そこには、人々の想いと歴史が深く刻まれていた。
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