五代没後140年特別番組「直木賞作家と辿る五代友厚と大阪の歴史」
大阪の御人5台厚。大阪取引所前に立つ 北浜エリアのランドマーク的存在。明治後 近代大阪経済の基盤を築づき東の渋沢A1 、西の5友と称されるほど多大な即石を 残したこの人物。ご後140年を迎える 2025年直樹作家で大阪の歴史や5友に も造形が深い吉信さん若手落語で人気急 上昇中桂さんと共に大阪の音人5台ゆかり の辿どる旅に出ます。 大阪取引所プレゼンツ直作家とどる 5 台と大阪の歴史ありがとうございます。落の桂天です。え、今日はですね、大阪の経済の父と呼ばれる五代の、え、ゆかりの地を回ってみようと思います。私 1 人ではなんですので、あの、スペシャルナビゲーターの方をお呼びいたしました。え、作家のか井信先生です。 あ、ど井吉信です。よろしくお願いします。 お願いします。こんにちは。え、ど井先生はですね、宮沢健二の父をテーマとして小説を書かれまして、直き賞を受賞されるなどですね、非常に有名な方ですけれども、お、なんと 5 代についても深い知識は終わりということで非常に楽しみにしております。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 これ大阪取引場ということなんですけれどもね。見ての通り 5 台厚の銅像がドーンと立ってますけど、お、なんか深いゆかりがあったりするもんなんですか?ま、 元々はその明治時代に大阪株式会社取引所っていう名前で作られたんですけれども、その大阪株式会社取引場を作ったのが 5 台なんです。大阪経済の、ま、海の親ぐらいの感じの人なんですけれども、ま、そもそもあの、大阪って 明治になったらちょっと火が消えたようになっちゃうんですね。 この前の江戸時代はもう米市場とかがあっても全国のあの物資が集まって値段つけられて、ま、いわゆる天下の台所でも大際だったんですけれども、もうそのもうお米の決済とかもなくなって経済のものが東京に行っちゃうんで本当に大阪って火が消えたようになっちゃうんですね。 ええ、そんな廃タれた時期があったんですね。 今ではこんな大きな街になってるのに。 そうなんです。 結構やばかったんですけれども、その時にじゃ、大阪を立て直そうというんでやってきたのが 5代なんです。 へえ。じゃあ相当この大阪に尽力されたんですね。 そうですね。 で、その復活のための、ま、手めといか、ま、 1 番重要な仕事は何だろうって考えた時にやっぱりそれは証券とか株式とかを取引できるそのマーケットを作ることだろう という風に考えて、それでこの大阪株式取引所っていうのを作ったんですね。 あ、そうなんですね。この取引所これもめちゃくちゃ立派な建物ですよね、これ。 そうですね。 え、これはあの友よりも後の時代にできたものなんですけれども、ま、それでも前の建物が、ま、今でも一部残ってるっていうことなんですけれども、まあ、これはもう今では作れない建物ですよね。 あ、今では作れないんですか? はい。材料とかもありませんし、ま、職人さんとかもあの、いないとか、ま、いろんな あの理由があって、もうちょっと今では作れない建物ですね。 ああ、そうなんですね。 そんな友のゆの地を巡っていきたいと思いますので、先生是非ともご指導のほどよろしくお願いします。 それこそよろしくお願いします。 立派な建物ですね。 この建物はですね、旧大阪商券取引と市場官の建物を一部活用する形で 2004 年に立てられた建物になっております。代表的なものが 上にあるステンドグラスになっております。 Rコと呼ばれるデザイン用式が当時すごく流行しておりまして、そちらを取り入れられております。 うん。へえ。 結構この周辺はもうR デコ様式ってたくさんありますよね。 そうですね。たくさんございます。 Rデコって何ですか? Rデコっていうのはデザインの様式の中の 1つになるんですけれども 模様を見ていただくと左右対象の模様の企科学模様になっておりましてそういったものが R デコというデザインの特徴になっております。 うん。うん。 こんだけ広かった。なんかイベントとかできそうですよね。 そうですね。ここ実はコンサートが開催されるっていうこともありますし、じゃあ年末年始に取引所の代表行事である大会、第 8 回って呼ばれる事がここでも行われております。うん。 なんかテレビで見たことあります?なんかこう着物来てね、なんかこのままみたいなやつですよね。え、これからなんか親しみ持って見させていただこうと思いますけど。 本当にね、あの、空間としても素晴らしいし、あの、音の響きもいいですよね。そう言われてるとね。はい。 そうね。うん。 ということで5 解にやってまいりました。こちらのスペースは何ですか?これ。 こちら。こちらはOSE ギャラリーと呼ばれるっておりまして、大阪取引所の歴史だったり、取り扱っている商品をですね、展示物だったり映像を通してご紹介しているようなスペースになっております。 お、そんなところまで作ってはるんですね。 まずですね、ご紹介したいのがこちらにある株式取引所設立というものになっております。 こちらですね、大阪機取引所の設立に先立ってですね、古代友達を中心に会議を開いてたんですけれども、そこで資本金の募集方法なんかをですね、協議した内容っていうのが記されている文書になっております。 ここ見てください。これ名前が。 そうです。こちらですね。実は5 代さんの直室の署名が はい。 残されております。さあ、 これ下の段。これは株式の はい。 えっと、 株主名簿ですかね、これ。 はい。こちら株主名簿になっております。 すごい。 こちらはですね、大阪式取引と設立当時の株主名簿になっております。 すごい。この池前門と住友吉財門がいてはる落語によてきはるんですよ。お金持ちの代表として。 ああ、 すごい。 ほんまにいてはったんや。 いたんだ。ちゃんとお金を出して すごい。 ここができた。すごい。 ああ、 1番はやっぱり5 台ですけれども、ちょっと待って。あの、渋沢一お金出してますね。え、 そうです。実は真ん中ぐらいに渋沢 Hの名前も記されておりまして。 ほんまや。渋沢って書いてるの。 5 台をですね、支援していたことが伺われるような ああ、 資料になっております。 なるほど。 造兵局というと、あの桜の通り抜けが有名ですけれどもね、こう一体何をするとこなんですか?先生、 増兵局っていうのはもう文字通り我々が普段使っているお金 下火兵を作るところです。 はあ、なるほど。お金をここで作ってるということなんですね。でも 5台となんか関係あるんですかそれって? はい。 あのね、そもそもその増局が なんで大阪にあるんだっていうことなんですけどね。 そうですよね。東京じゃないんやというのは そうなんですね。いや、あのこれはま、あくまで、も僕の考えなんですけれども、もうあの増局ができたの、ま、当時増量ですけれども、あの増量ができたのって明治の 1 番最初の時期でその時期って結構日本の首都をどこにしようかっていうことが揺れ動きてたんです。 あ、なるほど。 最終的には、まあ、旧江戸、ま、東京にしようっていうことになるんですけども、その東京に決まる前に 大阪にしよっかな、京都にしよっかなっていう議論が色々その政府の中であって、おそらくその大阪が優勢だった頃に、ま、その通った企画なんじゃないかなと思 なるほど。ここの門はどういったもんなんですか? はい。 こちらは旧専門と呼ばれるところでして、昔明治時代の増局、当時、え、増量だったんですけれども、増量ができた時に正門として使っていた場所になります。 で、当時はここの専門入ってこの向こう側にあった火兵工場でカフェを作る仕事をしていました。 菊のご門問入りですね。菊の後 菊のご門。 菊のご問。 はい。菊のご問とあと大阪なので大の字が 3つ並んでる。 お、そういうもんなんですね。 先生ご存知なかったですか、これ? いや、もう知らなかったです。 すごい先生でも はい。 ご存知ないことがすごいやった ねえ。 続いてはあちらの機会をご案内いたします。どうぞ。 はい。 おお。 こちらです。 すごい。こ、こう大きいですね。はい。 何ですか?この大きい機械は。 こちらね、火兵に模様をつける熱期と呼ばれる機械になります。 はい。熱陰機。 はい。 時代増局ができた時に使っていた機会なんですけれども、こちらですね、閉鎖状態にあったコ造兵局購入して日本まで持ってきた機会になります。 5 代がですね、外国事務局の半事の職にありましたので、その時にあの、携わったということが記録として残っております。 はあ。当時の日本人はまだ自分たちの力ではこの厚を作ることはできなかったってことですか? その通りです。 日本にはない機会でしたので外国のものを輸入して使っていました。はい。 あ、そうか。そうか。 機械は作れないけれども でもあの火兵は作んなきゃいけないと。 近代国家のためにはもうまず何よりも機械を持ってくるっていうのがま、あの最初のあ 優先順やったんですね。ですね。 こちら増局に残っている所の一部になるんですけれどもここに 火幣機会という風に出ていまし これがですねからあの購入した香港増局購入した機会のことになります。 でこの時あの5台があの 関わったということもここに一署名として残って一介ですね。これね。 あ、これは前のお名前ですね。 あ、そうですね。だからこれを1 つを持ってきたことによって未だに増兵局が大阪にあり続けてるっていうその繋がりがすごいですよね。 この1つの持つ意味というか 力がということで増博物館前までやってまいりました。こちらの建物はどういう建物なんでしょうか? こちらはですね、増博物館。 今は増博物館なんですけれども、元々は明治 44 年に発電所として立てられた建物になります。 はい。ほう。 え、レガ作りの建物だったんですけれども、その後昭和 44 年にですね、中を回送しまして増博物館としました。 うん。あ、じゃ、110 年前からの建物が今も残ってるということなんですね。 はい。増局校内に唯一残るレガ作りの増博物館。中では貴重な火兵などを一般公開。 創業時の厚労者を紹介するレリーフの中にはもちろん 5代友も是非 1度足を運んでみてはいかがでしょうか。 か井さんいかがですか? いや本当に我々普段何気なくね火兵コイン使っていますけれどもその背景にもこれだけたくさんのものが昔からあったんだっていう風に思うと僕も今日はあの勉強になりました。うん。 そうですよね。沢崎さんありがとうございました。 ありがとうございました。 はい。やってまいりました。大阪商行校会議賞ということですけれどもね。え、ここは 5 台さんとどんなゆかりがあるんですかね? あのね、この大阪商会議は、ま、元々あの、大阪商法会議っていう組織だったんですけども、 その消法会議を作ったのが 5台さんなんです。 大きい銅像ですね、これ。 ね、大きいですね。 これどういうポーズなんですかね?これ 右手で なんか何かを こうついていきたい気持ちについてこう手をできる。ま、それか何かが上がれという感じなんです。 あ、なるほど。そんなところまで経済を見てるんですけども上に五代像って全部で大阪市内にま、 5体あってそのうちのはい。そのうちの 1 体なんですけどもやっぱそれだけあるってやっぱり 大阪で慕われてるってことですね。 いや、なかなかね、どうぞ立つのが夢やみたいな人いますけれども。 そうですね。もう僕は5台止つったら俺5 体も経ってんねんけど。 そうですよね。 絶対自慢すると思います。もうなんかでもすごい大阪に尽力してくださってるじゃないですか。それだけ大阪を愛してはったんですかね。 そう、そうなんですね。元々は大阪生まれではないんです。大 そうですか。 そうなんです。元々はあのさ、今で鹿児島県の生まれで はい。で、それでそれこそあの最高森とか 大久保俊道とかああいう人々と、ま、一緒にこう、あの、ま、さ、いわゆるまとしてバ松に活躍し、で、明治の 1 番最初は明治の中央政府に入って、ま、活躍した人なんですね。 はい。はい。はい。 はい。ですから元々は大阪には、ま、あんまりあの関係はなかったんですけれども、ま、ある時期から、ま、もう俺はもう政府をやめて、ま、大阪のために、え、尽くすよっていうん。 で、大阪に来て、ま、そっからあの台とあの大阪のあの繋がりが始まるんで実は意外と新しいんです。渋沢も、ま、東京で、ま、あれも東京商法会議所だったかなという、ま、似たような組織を作ってるんで、ま、よくあの歴史やってると渋沢は 西の5台っていう風に言われるんです。 あ、落語でもよくあの西の市、東の新長っていう それかな。それですね。 あ、なるほど。 僕思うのはひょっとしたらそれ苦労したのは 5 台さんの方が苦労したんじゃないかと思うんです。 いや、でもそうですか。な、なんでなんですかそれは。 はい。というのはあの 大阪って実は江戸時代からものすごく商売が盛んだったんです。ものすごい数の商人が集まって商売してたんですね。 はい。天下の台所というわけで 天下の大所です。はい。ところがそれがもう明治になってもみんななくなっちゃったんで はい。あの、ま、大阪 1 回火が消えたようになっちゃうんですけれども、あの、でもそのやってた商人は残ってるんですよ。 ああ、なるほど。はい。商売上手が、 商売上手が残ってて、昔の小を週間をなんとかして守ろうとして、ま、ついついそんな感じで動いちゃうんで、そこに 5 台さんから外からやってきて、やいやもう世の中は変わったんだからこうしようよって言っても僕なかなか聞かなかった人多いと思うんですよ。 ああ、そうですよね。うん。 はい。でも東京はそんなことない。 元々商売の土地じゃなかったので はい。 そういうその全時代からのプレッシャーって東の渋沢さんの場合にはそんなに大きくなかったと思うんです。 ああ、なるほど。だからもう耕しやすい土地と言うたらこの近くには今その大阪企業家ミュージアムっていう博物館がありまして、それはあの今ここの大阪商会議所がやってるミュージアムなんですね。 そうなんですね。それはあの大阪の企業人それこそ松下之助とかあとはカプラーメの安藤は ま、そういう人を始めとするも 100 人以上のま、その事業家の自績を、ま、集めて展示してるミュージアムがすぐこの資格にあるっていう風に 聞いてますので、 ま、僕もちょっとそこにも後で行ってみたいなと思ってるんですけども。 あ、そうですね。そこにもあるということで。 そうですね。ま、それも遡ってみれば元をたればこの 5台さ。 はあ。 相当力されてますね。 そうですね。 この今大阪があるのもこの 5台さんのおかげかもしれないですね。 そうですね。ま、五代さん、その証国会議所の他に実際にあの伝鉄会社とかあのそういう会社も作ってるんで普通にありましたけどはだからもうそういう点ではもう普通にその大阪在会のトップでありなおかつ普通の会社の社長さんなんですね。 はあ。 はい。 ああ、なるほど。 はい。 すごいです。 はい、ありがとうございます。ということで色々先生と回らしていただきましたけれども、お最後に参りましたのがこちらでございますね。え、日本銀行大阪視点。日本銀行大阪視点ということで最後になんでこちらに参られたんですか?先生。 ま、実はここは5 台とは直接の関係はないんです。 はい。 直接ないのになんで気は張ったんですか? えっとね、実はこの建物が経つ前に 5台厚のお家があって そういう土地の縁があってま、あのその家の後にこの建物が立ったということで はあなるほど。じゃあちょっと中に入ってみましょう。 はい。地区120 年以上の歴史を持つ貴重な近代建築日本銀行大阪視点休刊当時の部材を使用して再現した記念室に 2人が向かいます。 はい。 やってまいりました。こちらでございますけれども。何ですか、この立派な扉は。 すごいですね。 これどこに続いてるんですかね?これ ねえ、 中に一体何があるのかということでちょっとお邪魔しましょう。 はい。します。 お、うわ、 おお。 すごい。 すごい。 これラグジュアリー空間って言うんですか?違いますか?ちょっと そうですね。いや、もうラグジュアリーすぎますね。 過ぎますよね。 こちらのお部屋がですね、当時の四店長の大雪室として使用しておりました記念室というお部屋に なります。上を見上げていただきますと、天井がドーム型になっておりまして、こちらがドーム型屋根の真下に位置しているお部屋になります。 へえ。 こちらのお部屋が明治時代のから残る動品が残っておりますので、明治時代の雰囲気をそのまま感じていただけるようなお部屋となっております。うん。 ああ、確かに明治っぽいと言われたら僕そんな詳しいなっぽいですね。 ありがとうございます。 すごいですね。ま、向こうにもありましたけど日ですね。これはま、日っていうこの、ま、奥にちょっと引っ込んだ部分でなんか飾りのなんか壺とかなんとか置くのかな? はい。そうなんですよ。 あ、そうですか。 こちらがあのアルコーブと呼ばれる壁をくり抜いて作った飾り棚になっております。 はい。 上部のこの繁栄のデザインはホをモチーフにしておりまして、当時の西洋建築の流行りだったそうです。 へえ。 こちらにございます。椅子も当時から残っているものになっておりまして、今よりもこう作りが小さいのが はい。確かにそうですね。 本当だ。 はい。 小さいスウェードって言うんですか?この触り心地がちょっとここでなんかね、すごい。 このね、背当てのこの感じ。 こちらのクッションはあの当時から張り替えているものそですよ。 そうかなと思いました。確かに。うん。 ですね。天井のあのステンドグラスも当時から残るものになっております。 あ、多分これ近くで見たら相当大きいと思うんですよ。 はい。2 カラスね。 うん。 うん。 これね、部屋全部作ろうと思ったら大体いくらぐらいかかるんですかね?これ当時で いくらね。 奥にございますのが花瓶く台として使っていた鼻台にあ、花台。 はい。 ああ、なるほど。 とてもこちらもあの優れた彫刻が施されておりまして精密にデザインされております。本当だ。 なんか模様入ってて。これ何の模様なんですかね? あ、でしょうね。これね、 こちらはロゼッタバラをモチーフにした 当時のあの西洋建築の流行りのデザインだったと聞いております。 明治時代にロゼッタを知ってる人が何人いたんでしょうかね。なんかその そうですね。 これロゼッタやね。 ロゼッタ 知ってる?ロゼッタ。 ロゼッタ。 これ バラだよ。 バラだよ。バラって言ってんの?ロゼッタだよ。 ロゼッタだよ。 感じでかけるみたいなみたいな感じですね。 みたいな感じでしょうね。すごいね。 上も大理席になってます。 あ、そうです。大理席になっておりまして、このように花瓶を置いて使用しておりました。 はい。相当大きい花瓶ですよね。 そうですね。 先生、こういう建築とかも詳しいんですか? そうですね。全国あっちこちでこう、ま、いわゆる近代建築って言うんですけども、ま、明治以降に立てられた西洋府の建築っていうのは割と好きであ、はいはいはい。 へえ。 先生、ちなみにここ入らはったこととかって いや、僕ここは初めてなんです。 すごいですね。 先生が入らは張ったことないっちゅうのはなかなかすごい貴重なところに僕も立ち合わせていただいてるの。 僕正直も今日のロケすっごい楽しみたい。 ありがと。 これなんですか?これ。 これお金に見えますね。これね、これ こちら1 億円のレプリカになっております。 1億円のレプリカですか? 先生、この、え、これ も持っていいですか? あ、ぜひ持ってみてください。 ちょっと 10kgございます。 ちょっと腰が、 腰がやばい感じですか? あ、行けた、いけた。おお。なんだろう、この心の豊かさは。ん、 確かになんかすごい一気になんか悩みとかがなくなる重さしてますね。 そうですね。そう、重いですね。でもね、 1 億円ですよ、 これね。 都の見学ツアでは明治時代の雰囲気を感じていただけるお部屋の他にこのような 1 億円の体験や偽造防止技術なんかをご確認いただけるような体験コーナーもご用意しております。うん。 はい。 うん。ありがとうございます。 はい。 またいらしてください。 はい。ところでなんか一般の方も見られるということで。あ、 そうですね。お子さんなんかね、すごくあの いい経験になりますよね。 そうですよね。うん。1 億円持ってんぞってね、言えますから。 うん。 大阪取引所増局、大阪商会議所、日本銀行大阪視店。 5 台ゆかりの地を辿どる旅はいかがでしたでしょうか?今回ご紹介した施設は随時見学が可能です。大阪の御人 5台の精神は今なお行き続けています。 ありがとうございました。 先生と色回らせていただきましてありがとうございました。 ありがとうございました。 いかがでした先生は? いや、もう僕もこれまでもう 5 台もはちょっと大阪については色々勉強したつもりなんですけれども いや今日はまだまだ知らないことがあったなと思って 勉強になりました。 うん。先生でも知らないことがあられたということですよね。 ほんまにもう目をキラキラさせていろんな とこ見てはってね、え、すごい楽しかった んですけども、お、僕も大阪に住んで ながら5友達さんについてはあんまり知ら なかったんですけれども、こんなすごい 音人なんやな。大阪にとっての音人なんや なということが知えて、え、とても勉強に なりました。皆さんにもね、今日ご紹介さ せていただいた施設色々巡っていただき たいなと思いました。本当に楽しいところ ですので、是非足を運んでいただけたらな と思います。 皆さん、この旅ありがとうございました。
近代大阪の発展に多大な貢献を果たし、「大阪の恩人」とも称される五代友厚。今年没後140年を迎えるにあたり、改めてその功績を振り返る特別番組を放映いたします。
直木賞作家で大阪の歴史や五代友厚にも造詣の深い門井慶喜氏と五代友厚にまつわる創作落語を披露したこともある桂天吾氏が、五代にゆかりのある「大阪取引所」「造幣局」「大阪商工会議所」「日本銀行大阪支店」をめぐり各施設を紹介します。
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