舘ひろし75歳。原宿を支配した「暴力と美学」の正体。岩城滉一との決別、そして渡哲也に捧げた涙の理由。
助賞男の履歴 現在の紳士とかつての教の色家とは一体何 なのかその答えを私たちは1人の男の背中 に見ることができます。立浩ひしさん75 歳Aが帰ってきて危ないでかで見せたその 姿は置いという年すらも味方につけたかの ような完成されたダンディズムの局地に ありました。スクリーンの中で高として バイクにまたがる彼は遠熟した余裕と 決して枯れることのない鋭さを同時に放っ ています。仕ての良いスーツを身にまとい サングラス越しに浮かべる柔らかな笑顔は 見るもの全てに安心感と憧れを抱かせる ものです。しかしその柔らかな微笑みの 裏側にかつてと少炎の匂いを漂わせていた 1匹の狼が眠っていることに気づく人は そう多くないはずです。今の彼からは想像 もつかないような地暴力とロックンロール に濡れた時代があったのです。1970年 代、東京原宿、まだ竹下通りが観光地下化 されるはか前、あの町の路ジ浦は行場の ないエネルギーをモて余した若者たちの 解放でした。その中心に一きは遺を放つ 集団がいたことをご存知でしょうか?黒い 川ジにリーゼンとそして生前と並べられた 漆黒のバイク。彼らはクールスと呼ばれ、 単なる暴走族とは一戦を隠す圧倒的な美学 と暴力の匂いを漂わせていました。そして その集団を盗していたのが若き日の立浩 さん。その人です。当時の彼はまさに狼 でした。誰にも媚びず群れを引きいながら も常に孤独な影を背負い触れれば切れる ような狂器を瞳に宿していたのです。現在 の恩話な表情からは想像もつかない植えた 野獣のような男がそこにいました。なぜ 医学部を目指していたエリート青年は ドロップアウトしてまで悪の頂点に立った のでしょうか?そして何よりなぜ彼はその 頂点の景色を人気絶長の中で自ら捨て去る ことができたのか。多くの人間は1度手に した栄光や地位に死がみつくものです。 しかし立浩しという男は違いました。彼は 過去の自分を殺すことで常に新しい自分へ と生まれ変わってきたのです。この物語を 通して私たちは引き際の伸びくと男が一生 をかけて磨き上げるべき真の強さの正体を 知ることになるでしょう。第1章原宿の 黒い稲妻 運命の男岩い木光一との開校1974年 高度経済成長の熱キが冷めやらぬ東京新宿 の高層ビル軍が次々と空を突き刺す一方で 若者たちの文化は混沌としていました。 そんな中原宿の表産同沿にあった喫茶店 レオンには特別な磁場が発生していたこと をご存知でしょうか?そこは単にコーヒー を飲む場所ではありません。生場を失った 、あるいは規制の枠に収まりきらない魂を 持った男たちが集う一種の正域でした。 その一角に後に伝説となる男浩さんがい ました。彼は当時愛知大学に在籍する医学 生という身分でありながらそのレールから 大きく外れようともいていたのです。実家 は海業位将来を約束されたエリートコース ですが、彼の内側デイブル炎は白意では なく黒い川ちゃんを求めていました。状況 した彼は大学へ戻ることなく原宿の風に 吹かれていました。それは単なる モラトリアムではありません。自分は何者 なのかという問いに対する彼なりの命がけ の回答を探すだったと言えるでしょう。彼 が求めたのは教科書通りの成功ではなく ヒリヒリするような瞬間の実感でした。 その乾きを癒したのは鉄の馬すなわち バイクです。エンジンの鼓動だけが彼の小 官を一時的に忘れさせてくれたのでしょう 。として運命の歯車が噛み合う瞬間が訪れ ます。原宿の路上で立浩ひしさんは1人の 男と出会います。岩木光一さんです。当時 岩木さんはすでにその界隈で知らぬものは いないほどの有名人であり、圧倒的な花と 人を引きつける天生の明るさを持ってい ました。太陽のように輝くようの浮気さん に対したちさんはどこか影を背負った因の 魅力を放っていたのです。性格も育ちも まと空気すらも対象的なお2人。本来で あれば交わるはずのない2つの線が原宿と いう得意点において交差したのでした。お 2人が惹かれ合った理由は言葉にするのは やぼというものでしょう。ただ1つ言える ことは互いの瞳の奥に自分と同じ種類の上 とプライドを見たからに他なりません。 こいつは本物だ。直感だけで繋がった2人 の関係は友情という名前温かい言葉では 表現しきれない男同士の共鳴でした。彼ら は言葉を多く必要などありませんでした。 ただ並んでバイクを走らせるだけで血の 契約をかわしたかのような強固な絆が 生まれたのです。やがて2人の周りには 自然と同じ匂いを持つ男たちが集まり始め ました。それが伝説のモーターサイクル チームクールスの始まりです。彼らが画期 的だったのは既存の暴走族のような縦社会 のヒエラルキーを徹底的に排除した点に あります。リーダーは置かない。それが彼 らの不分率でした。もちろん大外的には盾 さんがボスとして機能し、岩木さんがそれ を支える形にはなっていましたが、組織の 内術は極めてフラットだったと言います。 なぜなら彼らは群れることを何よりも嫌う この集まりだったからです。誰かの命令に 従うような生き方が嫌で飛び出した男たち が誰かの下に着くはずがありません。それ でも彼らがチームを組んだのは1人では 抗えない巨大な退屈や大人たちが作った 社会の疑満に対してエ理な牙を突き立てる ためでした。ボスの組織一見するともろ そうに見えるその集団がなぜ当時の不良 たちの頂点に君臨できたのでしょうか? それは彼ら1人1人が自立した狼であり誰 に強制されることもなく自らの美学のため に命を晴れる男たちだったからです。原宿 の黒い稲妻と呼ばれた彼らの伝説はこうし て静かに幕を開けました。第2章キャロル 矢沢吉地との遭遇。として鉄の着て原宿で その名をとかせ始めたクールスの元にある 日運命の招待状が届きます。日本のロック シーンを根底から覆返そうとしていた バンドキャロルからの接触です。当時 キャロルのリーダーであった矢沢Aちさん は自身のバンドを守るための強力な親営隊 を探していました。血鬼盛んな若者たちが 暴れるライブ会場を制圧するには本物の あるの力が必要だったからです。しかし、 ここで立ちひという男の教授が試される ことになります。普通なら飛ぶ鳥を落とす 勢いのスターから声をかけられれば喜んで 従うのが関の山でしょう。ですが立ちさん は違いました。彼は矢沢さんに対し あくまで大当な同盟関係を求めたのです。 俺たちは誰かの下に着くつもりはない。 その瞳は元全のカリスマを決して見上げて はいませんでした。矢沢さんもまたそんな たちさんの生意きとも取れる態度に逆に男 としての骨っぽさを感じとったのかもしれ ません。結果としてクールスはキャロルの 親営隊という名目で世に出ることにはなり ますがその実態は決して主関係ではあり ませんでした。互いに利用し合い互いの 美学をぶつけ合う極めて緊張感のある共犯 関係だったと言えるでしょう。として 1975年4月13日日本のロックに永遠 に刻まれることとなるキャロル解散 コンサートが日谷や外音学童で行われまし た。冷たい雨が降りし切る中ステージ場で は炎が燃え上がり強乱の宴が繰り広げられ ていました。その光景を立ちさんは舞台袖 からじっと見つめていました。燃え裂かる 炎と熱狂する監州、そしてステージ中央で シャウトする矢沢さんの姿。俺もあそこに 立ちたい。それは明確な野心であり、時代 の主役が交代する瞬間に立ち合ったもの だけが抱く強烈な衝動だったに違いあり ません。しかしクールスが伝説として 語り継がれる最大の理由はキャロルとの 関係性だけではありません。彼らを彼 らしくしていたのは立浩さんが定めた厳格 な鉄の着てすなわちクールスマンシップに あります。当時の暴走族といえば信号無視 や打行運転は当たり前、服装も特攻服など の奇なものが主流でしたですが、たちさん はその全てを否定しました。信号は守れ、 女は後ろに乗せるな。そして何より徹底さ れたのがその見出し並みです。当時流行し ていたヒッピーのようなだらしない格好 最近禁止し、たえジーンズ1本を白にして も安易中ジュアルに流れることは許されず 、そこには彼らなりの美学という フィルターを通すことが幻覚に求められ ました。彼らはアメリカンカルチャーへの 深い造形と憧れを背景に独自のスタイルを 貫いたのです。紙はポマードで完璧 に撫でつけ、黒い色の川ちゃんを身に まとい、バイクも漆黒に塗りつす。なぜ 不良である彼らがこれほどまでに起立を 思じたのでしょうか?それは格好悪い くらいなら死んだ方がマしだという立し さんの美学がチームの住々まで浸透してい たからに他なりません。信号町ちで生前と 並ぶ彼らの姿は逆説的ですが、どんな無法 者集団よりも恐ろしくそして美しく見えた と言います。この暴力と紳士の共存こそが クールスを唯一の存在へと押し上げ後の 立浩しさんの生き方にも通定する ダンディズムの原点となったのです。第3 章デビューの光と影魂は占いというの 1975年キャロルが去った後の空白を 埋めるようにクールスは音楽業界へと足を 踏み入れました。キングレコードからの メジャーデビュー。その第1弾シングル紫 のハイウェイはあの矢沢Aさんが古代を こうという名義で作曲を手掛けたことも あり、また琢にチャートを駆け上がりまし た。しかしスポットライトの強烈な輝きと は裏腹に立浩ひさんの心には拭いされない 影が色酷く落ちていたのです。花話なしい 成功の裏で彼が感じていたのは換期などで はなく得体の知れない強烈な感でした。彼 にとってクールスとはあくまで原宿で バイクを走らせるためのチームであり、魂 の寄り所であったはずです。それが レコード会社の戦略という巨大なシステム に組み込まれた瞬間、何かが決定的に変出 してしまったのです。俺たちは芸能人に なりたかったわけじゃない。そんな必要な 叫びがキラびやかない賞の下で押し殺され ていたことを当時の熱狂的なファンですら 知るよしもなかったでしょう。商業主義と いう名の怪物は容赦なく彼らの美学を侵食 し始めました。レコード会社が求めるのは 売れる曲ですが、立ちさんが求めていたの は50年代のアメリカ映画から飛び出して きたような純粋で荒ら削りなロックン ロールそのものでした。スタジオ ミュージシャンを使って綺麗に整えられた サウンドに彼はどうしても納得がいか なかったと言います。こんなのはロック じゃねえ。スタジオのミキシ部の前で大人 たちに向かって何度そう吐き捨てた でしょうか?妥協を許さない彼の姿勢は 周囲との深刻な圧歴を生みました。それは 外部の人間だけでなくかつて背中を 預け合ったメンバーとの間にも目に見え ない気裂を生じさせていくことになります 。音楽で飯を食って行こうと覚悟を決めた ものとあくまでスタイルとして伸び学を貫 とするもの。同じ方向を向いていたはずの バイクのヘッドライトが少しずつ確実に 違う道を照らし始めていたのです。 リーダーであることの孤独が彼を苛みまし た。立浩ひしという男は不器用なほどに 正直すぎたのかもしれません。自分たちが 作り上げたクールスという偶像が1人歩き を始め、自分自身さえも置き去りにして いく恐怖。ステージの上で黄色い完成を 浴びれば浴びるほど内る空虚さは増して いくばかりでした。輝かしいデビューの光 。その足元には誰にも見せない漆黒の闇が 広がっていたのです。第4章脱合体の真層 美学を貫くための裏切り。1977年 クールス扇風が吹き荒れる中、立浩さんは 突如としてその舞台から降りることを決意 します。なぜ成功への特急権を自ら 破り捨てたのでしょうか?その答えは彼が 抱き続けてきた仲の純粋すぎる思いにあっ たと私は見ています。なぜならバンドとし ての活動が本格化するにつれ金銭の配分や スケジュールの管理など生々しいビジネス の話が避けられなくなるからです。これ 以上やると仲間じゃなくなる。この直感 こそが彼を突き動かした大きな要因であっ たように思えてなりません。音楽的な成功 よりもかつて共有したあの暑い時間と純粋 な絆を守るために潔ぎよく膜を引く道を 選んだのではないでしょうか。それは ファンや関係者に対する裏切りだったかも しれませんが、自分自身の美学に対しては 最も誠実な決断だったと言えるでしょう。 仕事としてロックをやることに違和感を 覚えていたのかもしれません。そうして 自らマイクを置いた彼の背中には周囲の 期待を裏切ってでも自分に嘘をつかない。 1人の男の覚悟が滲んでいるようでした。 この決断は同時に名雄岩木光一さんとの 別れも意味していました。原宿で出会い共 に時代を失踪した2人のカリスマ。しかし 太陽と月が同じ空に長くは止まれないよう に彼らもまたそれぞれの光を放つ場所を 求めていたのかもしれません。2人の間に 締めっぽい別れの言葉があったとは到底 思えません。おそらく短い視線の工作やか 春かな頷きだけで十分だったのではない でしょうか。互いに群れることを嫌い、子 であることを貫いてきた2人だからこそ 相手が選んだ道を尊重し、黙って送り出す ことができる。それは喧嘩は彼などという 安っぽい言葉では区びれない男同士の静か なる結た。クールスという最強の鎧を 脱ぎ捨てて立さんは文字通り裸になりまし た。組織のボスという肩書きも名星も全て 失った状態で彼が次に向かった先は 映画会社東映でした。コもない中単心で 東映本社に乗り込み当時の社長岡田しげに 自価談パを試みたというエピソードは彼の 破点交差を象徴する語り草となっています 。彼は中途半端に音楽業界に残ることも 過去の栄光を利用して生き延びることも 意思としませんでした。全くの未経験で ある俳優という未知の世界に飛び込むこと で自分をゼロから叩き直そうとしたのです 。それは仲間を置いてきた自分自身への 落とし前であり、タルを立つための儀式で もあったはずです。こうして1人の不良 少年は死に1人の表現者としての立浩が う声を上げようとしていたのです。第5章 石原軍団での再生 渡り哲也という絶対的な死で俳優としての キャリアをスタートさせた立浩さんを 待ち受けていたのは日早やかな視線と黒の 嵐でした。大根役者というレッテルを貼ら れるまでに時間はかかりませんでした。 かつて原宿で選び抜かれた精鋭たちを束ね 、圧倒的な存在感を放ったカリスマが撮影 所の片隅で監督の土毛に耐え己の無力さを 噛しめる日々。しかし、彼は腐りません でした。なぜか?それは彼が人生の死と 仰ぐことになる1人の男、渡り哲さんとの 出会いが待っていたからです。ドラマ、 西武警察への失恋を気に、たちさんは石原 プロモーションへの入団を決意します。 あれほど群れることを嫌い、組織の論理に 唾を吐きかけてきた男が芸能界で最も結束 が硬く、上下関係に厳しいと言われる軍団 の門を叩いたのです。その真意は単純にし て明解でした。 渡り哲也という男に惚れた。ただそれだけ です。撮影現場で見せる渡りさんの圧倒的 なリーダーシップ、スタッフの末端にまで 気を配る優しさ。その全てが立ちさんが 追い求めてきた男の完成系そのものだった のです。かつて自分がリーダーとして 振る舞っていたさんはここで初めて誰かの ために生きるといいナンバー2として 伸び学を見い出したのではないでしょうか 。彼は渡りさんの背中を追いかけ挨拶から 礼儀左作法に至るまでその精神を徹底的に 吸収していきました。不良のボスが真の 紳士へと脱皮する静かなる革命の季節でし た。そしてその成果はスクリーンの中で 爆発します。西武警察で見せたスタントマ なしの危険極まりないバイクアクション。 あれは渡りさんの作品を俺が盛り上げるん だという危機迫ある情熱がフィルムに 焼きついているからこそ今伝説として 語り継がれているのです。やがて彼は 危ないでかの高として軽妙で スタイリッシュな刑事像を確立し国民的 スターへと登り詰めます。アクションの中 に光るダンディズムコミカルな演技の裏に 見え隠れする愛州。それらは全て原宿で 磨いたクールスの魂と石原軍団で叩き込ま れた知恵の恩義が融合して生まれたものな のです。就勝75歳の現在地過去を皇定し 未来を見せる生き方令和の今テレビが弁護 士に見るたちひさんの表情は驚くほどに 柔らかです。世間はそれを丸くなったと 表現するでしょう。しかし私はその言葉に 意義を唱えたいと思います。彼は決して牙 を抜かれたわけでも置いてがれたわけでも ありません。若い頃に研ぎすませたエリな ナイフのような感性を採という名の分厚い さヤに納め包容力という名の武器へと消化 させたのです。丸くなったのではない器が 大きくなったのです。本当に強い男だけが 他人に優しくなれます。自身の弱さを認め 他者の痛みを知りそれでもなお前を向く強 さを持ったものだけがあの屈のない笑顔を 見せることができるのです。 私たちは年齢を重ねるごとにどうしても 過去の栄光や積み上げてきた実績に しがみつきたくなる生き物です。ですが 立浩という男の生きは私たちに無言の メッセージを投げかけています。過去に 死がみつくのはもうやめにしないか。 クールスという伝説を人気絶長で捨てて 石原軍団という絶対的な家さえも時代の 流れと共に畳み、彼は常に見1つで荒野に 立ち続けてきました。彼が75歳にして なお若々か々かしくそして誰よりも セクシーであり続ける理由はここにあり ます。過去を潔ぎによく肯定し、感謝し、 その上で軽やかに手放す勇気を持っている からです。50代、60代からでも遅くは ありません。私たちが目指すべきは過去の 自分を誇る老人ではなく、今日の自分を 更新し続ける現役の男であるはずです。A が帰ってきた危ないでかのラストシーンの ように彼の人生という名のバイクはまだと 丸気配を見せません。おいることは決して 衰退ではありません。それは余計なものを 削ぎ落とし、本質だけを残していくの プロセスなのだと彼はその背中で語ってい ます。立ちひ、この期待の男が走り続ける 限り私たちもまたアクセルを緩めるわけに はいかないでしょう。さあ、顔をあげ ましょう。男の魅力が真に試されるのは まさにこれからなのですから。
原宿の路地裏で「黒い稲妻」と呼ばれた男。
今の紳士的な姿からは想像もつかない、舘ひろしの「暴力とロックンロール」に塗れた半生とは?
岩城滉一との運命の出会い、キャロル・矢沢永吉とのヒリヒリする共犯関係、そして人気絶頂でのクールス脱退…。
「俺は兄貴の家来にはなりたくない」
そう言い放った男が、なぜ石原軍団・渡哲也の前では頭を垂れたのか?
75歳になっても枯れない「色気」の正体と、男が一生をかけて磨くべき「引き際の美学」に迫ります。
https://www.youtube.com/channel/【UCX2ibwUzsIXRUn6S4Ogr9eA】?sub_confirmation=1
#舘ひろし #クールス #岩城滉一 #渡哲也 #矢沢永吉 #あぶない刑事 #昭和のスター #男の美学 #石原軍団
1 Comment
もっとお茶目な出来事も添えたほうが良いです
ヤクザと警察両方から追い回された件や 岩城滉一 [ひろしちゃんとにかく甘い物好きなんだ 革ジャンにリーゼントでお汁粉バクバク食うんだ 俺甘い物ダメだからトコロテンしかない ぜんぜん似合わないのに甘味屋ばかり] 舘ひろし [バイクで転けたら速攻で運転手殴りに行ってた]等