【超貴重】中田英寿の“プロ入り直前”の実像を小島伸幸が明かす!

音楽聞いてんのかなと思ったら実は A会話の 練習だったりとか語学の勉強してたりとかね。 はい。 空中で胸ラップしようとしたところを後ろからバーンと働いても はい。 バランスは崩すんだけどこけないで手ついてそのまま立ち上がってプレイ続けるんだよね。 ああ。 この番組はウェブ売利上げナンバー 1 ウルトラク剤チャップアップの提供でお送りしています。 当皮のケアはお早めに詳細購入は概要欄をご覧ください。 95 年ですけども、ま、中田秀が ベルマール入団して そうなんですよ。なんでベルマーレに来たかわかんない。もうだって、え、 12球団あって12 球団とも欲しかった選手ですから ですよね。 ええ、なんか加前のその練習参加の日はスカウトの方からあれですか、ロッカーをするから常に話しかけてくださいよっていう風にこう頼まれたんですか? そう練習に来たあの中田秀さんだよね。もうね、秀とはなかなか言えないがね、あの、こう僕の廊下の隣が空いてたんで、ここ入れるから常にあの話しかけて あげてください。 気を使ってあげてってこと。 そう。 のスカウトやってる森淳さんっていう 伊藤純夜とか見出した人は はいはい あの人がもうその当時ベルマーレの ええ ね選手上がってあのスカウトやってたので スカウトはい うんで是非そのうちに来てもらいたいんで はい そう話しかけてえそのチームがいい雰囲気だっていうのを はいう うん なるほど そうそうなんかねどっかの某チームに行った時に その練習生 はすんごい冷たくされたらしい。誰でも話してくれなかったらしい。 あ、そういうのをどっかからそのスカートの方が伝え聞いて によしぶっつって だベルマールとしては何としてでも そうそうそう 欲しい で後々後々ですよ で入ってきたらあ俺のおかげで入ったんだなつってさ思ったんだけれどもま崎の出身だしニの俺のあれあらゆる先の知識を こう 彼にこ あそこのさ、学校の前に何々あって、紫高校のあの池の恋ってなんであのでかいのとかってなんか言ってたんだけれど 後々よくよく聞いてみると 全然俺のこの喋りには関係なくて彼がベルマレーを選んだのはもうほら海外を はい。 見据えて もう見据えてたじゃないですか。その海外遺跡の容人っていうのがやっぱり 1番大きかったみたいですよ。 はい。なるほど。なるほど。 うん。 俺の中ではね、海外行く前ぐらいまで俺のおかげでって思ってたけど はいはいや、それもあったんじゃないですか。 いやいや、なかったと思うよ。 ええ、最初に会った時とかの印象とかって覚えてますか? 科目だったのかな?そんなにベラベラベラベラ喋るような感じの。 そうですね。 うん。 はい。 そう。 俺も人見知りなんだけど一生懸命頑張って話したんだけど それにかけてあまりその大なしいなっていう印象はね うん。科目に うん。科目だったような感じはします。 うん。でも一緒にね、あのプレイもずっとされて うん。うん。うやっぱりこうせ違うなっていうのは うん。 一緒にやってて感じました。 あのねえ19 とかですよね。だから厳しいし自分にも厳しいし うん。 その要求っていうのも厳しい要求が来るし はい。 うん。あの、すごくこうしっかりしてるなと思ったし うん。 その後々ね、やっぱりその海外行った後に はい。 筋トレをその試合前でも筋トレやってたとかって津波さんなんかこう目撃して言うんだけれども はい。 自分の成功したイメージのために はい。 この高校卒業してから我々のこの通過、ま、通過点だったんだろうね。 はい。 ベルマーレっていうのは だ、ここでそのイタリアやイングランドで成功するためのその下地作り、それはもう語学もそうだし はい。 体作りもそうだし、俺一番びっくりしたのが モンドセレクション緊張。グウレタ育剤ンバーワン。ボー、ウルトライク 変保障。 3 年目できましたね。 行きましたよね。 で、3ここ卒業して3年目で はい。 ほぼほぼファウルじゃないと倒れない。 ああ。ああ、 ていうかファールでも倒れないんであの人。 ああ、 その空中で胸しようとしたところを後ろからバーンと当たらも はい。 バランスは崩すんだけどこけないで手ついてそのまま立ち上がってプレイ続けるんだよね。 ああ。 いつか怪我しないかってすっごい心配だったんだけど はい。 そのやっぱり自分が目指す場所を考えた時に うん。 どれぐらいの体のフィジカルの強さがなければダメかのは はい。 もう本当に計算してだから試合の前でも何でもその試合がその試合がどうこうじゃなくて うん。 ここに行くために自分が今何をしなきゃいけないかっていうのはすごく考えてた人 ああな あ下だけどすごい尊敬できる人です。 ああ、なんか行ってから足りない部分じゃなくて、もう行く前からだからもう準備をしっかりと。 そう、そう。 ああ、 だから語学なんかもそのね、イヤホン、え、なん、音楽聞いてんのかなと思ったら実は A会話の 練習だったりとか語学の勉強してたりとかね。 はい。 もうだからね、 あの、大谷翔平さん はい。 すっごいこう うん。 ね、今フューチャーされてますけど、なんかすごく似てるなと思った。 うん。うん。うん。 自分がどこどこでどうなりたいために今何をしなきゃいけないっていうことを考えてるでしょ、あの人も。はい。 で、そうするとああ、あの当時の日でってそのそういう感じだったんだろうな。俺たちとやってて歯が良かったろうなとかね、ちょっと思ったりして。うん。 うん。 そうすよね。今だとね、それはもう当たり前にこうできると環境があるけれども。 だって海外のあの頃は サッカーがそんなにたやすく見られなかったしイメージできなかったし 身近じゃなかったですもんね。 うん。 そこしかも日本がまだワールドカップ出る前ですからね。 確かに。 うん。 うん。 だって、ま、結局移籍していったのはね、ワールドカップ 出場した後でしたけれども 98 年で初めて出る前っていうのはもうそんな世界と対当にとか うん。うん。 ね。うん。 ワールドカップは見るもんだずっと思ってた世代だから。 うん。はい。 うん。出るもんじゃなくて見るもんだって思ってたっていうね。 その頃からね、やっぱその準備はできてたらすごいですけど。 うん。それがやっぱすごいなと思って。 うん。さあ、そして1995 年ですけれども はい。 え、小島さん日本代表初選、ま、初、ま、 1番、ま、フル表ってことですよね。 はい。そうですね。 うん。 で、これイングランドで開催されたブラジル戦でこれが代表デビューってことですか? そう。とさ、 このブラジル戦が代表、 代表デビュー、 あの、Aマッチデビュー戦です。 なかなかですね。 そう。 あのね、僕ね、キャップ数3 つしかないんだけど、2 つブラジルなんです。 はい。すごい。 で、もう1つがコっさリカ。これ30 で勝ってるんだけど、 ブラジル戦で51と、え、ま、 15と3ね。8 失点だからすんごい 3試しかしてないのにも取らえてる。 代表 でもその中でトップのね、ブラジル投すごいですよね。ある意味。 も、ある意味ね、僕ね、そのサッカー選手あんまり知らなかったのが良かったのかもしんない。 はあ。はあ。どういうことですか? 2002 年のワールドカップで得点王になるロナウドだったりはい。 え、ロベルトカルロスだったりだったりとかっていう早々たるメンバーがわけですよ。 はい。 全然知らないでね。 うん。 うん。 試合やったんで すっごい左足のやつがいるっていうのだけ聞いてなるほど。 試合にそうベガルのこと でも実際ま本当にその当時のまトップまにねワールドカップ優勝しますけれども はい。ええ どうどうどうでした?もうその実際やってみて あの僕最初に失展したのがロベルトカルロスのシュートなんです。 はい。 アンブロカップの アンブロカップですね。はい。 第2戦のブラジルとその日本の試合で 最初に失展するんですけど、僕絶対止められると思った。 うん。 角度なかったし はい。 で、全部自分の届く範囲で来るだろうと思ったらロベカルのシュートがバーンって飛んだ瞬間にはい。 左足で来て そう。 あ、来たと思って手下げたらもうゴールの中入って。 それあの小島さんの感覚だと うん。 この辺このぐらいのシュートが来るんだろうなと思ってたら その倍ぐらいの速さのシュートが来てだから未だかつてその感じたことのないスピード感のシュートが飛んできた。 え、ま、その比較あれですけど、 Jリーグとかでやっぱいないそんなの。 いない。 本人は止める気満々で、あ、もう止められると思ってあそこ立って。 はい。 が打たれたシュートにこう下ろす間にボール行っちゃったん。 あれを受けた時に はい。 え、ブラジルってこんなすげえんだと思って。 なるほど。 そうだからそのもう核の違いっていうかね。 はい。 止められるんだろうなっていう感じで言ったのがもうこれはこれ止めなきゃいけないんだ日本代表って。 うん。うん。 もうそっから必死ですよ。トレーニングのイメージはあのロベルトカルスのあのスピードを反応して止めなきゃいけないっていうトレーニングに変わってったんですから。 はい。ああ。 ま、そういう意味ではいいね、経験をさせてもらったっていうか、そのもう 1 段階やっぱり自分がこれじゃダめだっていうことを思い知らされたっていう場面ではありましたね。あ、 うん。 で、ま、あの、その後98 年、ま、これはね、日本初ですけれども、ファースワードカップ はい。うん。 あの、小島さんも日本代表としてメンバーとして、 え、行きましたけれども、どう、どうだったんですか? はい。どうしていいかわかんないのよ。 何せ全部初めてだから。 はい。 事故だったりとか、あの、すごい早々人たちが J リーグにたわけじゃないですか。こういうもんだよっていう 1 個レクチャーがあっても良かったのかなっていうのはね、大会行って帰ってきてから思った。 確かに もうだからうん。右も左も何にも分からないまんま。 はい。だって94 年に優勝したあのブラジルのメンバーが 日本のJ リーグでプレイしてたわけですか? そう、そう、そう、そう、そう、そう。3 ぱをもね、 Gにもそうだし、ま、 はい。オナルド。 そう、そう。 で、すごい選手たちがいて、ワールドカップってこういうもんだよっていうのが分かれば良かったんだけれども、ベルマーレには残念ながら 経験者が そう、そう、ワールドカップの経験者がなかなかいなかったんで 緊張感 というか 何ですかもう分からない雰囲気が とにかく全部がスペシャルなんですよ。 ま、全員初めてですもんね。 うん。 バスがそのまま飛行機の近くに着いて乗って行っちゃったりとかはいはい。 あのイミグレーションだっけ?その入る時の ああいったものがなんか軽く もうこうあのペッとこうなっちゃったりとかうなんだなんだみたいな ホテルの中にあの銃持った兵隊さんがいたりとか 非日常がそこにあって はい なんかわかんないまんま 3試合が終わっちゃったって感じかな その時小島さんは年齢的には最年長 32うんもうちょっと白髪も入ってたんで はい そうバスから降りた時に お前はコーチかって言われて俺選手だって言って嘘つけっていうそれをまあえ英語かフランス語でなんかそんなやり取りみたいな やり うんプレイヤーだって言ったらこんな顔するから うん うん その時だから小島さんま最年長でキーパーで言うと吉勝がて そう奈良奈良がここがもう 10ぐらい違って そうすよね そうでごんちゃんやその原なんか 2つぐらいした。うん。 ま、ベテラン。うん。彼らもベテランでしたけどね。 はい。 うん。 なんかこう最年長としてこう心がけてたこととかってのあるんですか?さん ない。 は、 その最年長だからとかじゃなくてもうだから日本代表で言ってるんだから で出ようが出まいが 練習の中で最大限の努力をしないと なるほど。 要するにちょろいシュートをポコポコポコ入れられてしまってああ、こんな感じでって言って試合に行ってそれが入らなかったら困るわけですよ。 うん。うん。うん。 ていうことは目一杯練習やってその ね。 いい厳しいところに打たないと入らないっていうような状況にしないと はい。 本大会で通用しないのでもうそこだけです。足引っ張らないようにっていう。 はいはいはい。 僕が練習やることによってフォワードが簡単にシュート受打て受けるっていう勘違いをしないようにしないといけない。 だ、そういうなんか足を引っ張っちゃいけないっていうところはあのやってましたね。 うん。そこは ま、ま、マリオが厳しかったのもありますけどね。そうね。うん。 フィールド休みなのにさ、キーパー休みじゃないんだよ。行くぞって言われてグランド連れてかれて で練習して。 そう。 俺多分ね、大会期間中っていうか、その前区も含めて 多分休んだのどっかの午前中 1回だけだったような気がするんだよ。 うん。そん時になんかこう湖に行って はい。 そのボートでその湖をプカプカ奈崎と 2人で浮いてたのだけ記憶してる。 それが唯一の休みだったかなっていう。 オフザピッチでちょっと休めたの。それがもうグランド。 うん。 なんかマリオの顔を見て練習しちゃってたような気がする。 マリオ そのぐらいなんか練習した。 うん。 ま、ある意味厳しかったですもんね、マリオは。 さ、そしてワールドカップが終わって はい。 翌年99 年にはアビスパ公移籍するっていうことですけど はい。 ま、あのゼロ円ページってやつですよ。家のコストに封筒が入ってて はい。 パッと中あげたらあの金額の変えてない契約書い 98 年のワールドカップの予選と同じぐらいな絵好きをしました。 からね、その年のキャンプでやっぱり アルコールを少し飲むようになっちゃった 。

「中田英寿は最初から“別格”だった──」

今回の対談は、前園真聖さんが元日本代表GK・小島伸幸さんと語る、
中田英寿プロキャリア“原点”の回。

ベルマーレ平塚に入団した当時の裏話や
まだ高校を卒業したばかりの中田英寿が、
“プロの世界”で即通用するレベルだった当時の秘話

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17 Comments

  1. 環境づくり大事ですよ
    ヒデは改めて・凄かった
    貴重なお話・有難う御座います

  2. 小島さんはヒデがなんで平塚に来たかわからないって言ってましたが、ヒデとしては試合に出れることを強く思っていたので平塚を選んだらしいです😊

  3. 山梨出身ですが、中田選手高校生の頃から県内でも注目されたました。
    地元紙のインタビューで
    「チームに雰囲気がいい(上下関係が厳しくない)ベルマーレ平塚に入りたい」
    と答えてました。
    なので小島さんの喋りも影響があったのかもしれませんね。

  4. 謙遜してますがヒデはちゃんと人柄を見てる方なので小島さんも入団の一因を担ってると思いますよ。のちの川口と楢崎も代表サブの小島さんを見習って腐らず切磋琢磨してと思いますし

  5. 小島さんの話って面白い(興味深い)、なんか惹かれます。西野さんが出られ時も思いましたし、今の年代の人より話の構成も考え方も凄く面白かったです!!

  6. GK目線の話凄く興味深かかったです。練習で簡単に決めさせるとそれが当たり前で試合で活きないって当たり前って言えば当たり前なのかもだけど、改めて聞くと確かにそういうのって凄く重要な事だなって思いました。

  7. もうちょっと川口楢崎の話聞きたかったなぁ😅
    この後の回であってくれたら嬉しい!

  8. 中田さんは自分が試合に出られそうなチーム選んだって言ってた気がしますね

  9. ヒデは日韓戦のとき、日本の選手がみんなボディコンタクトで負けてる中、一人だけ相手選手をはじき飛ばしてたのが今でも目に焼き付いてる。はじき返された相手選手は「なんだこいつ」って顔してたw

  10. 自分がサッカーを見始めて何の知識もなかった頃
    中田が五輪予選でルックアップもせずクロスを入れるのを見てびっくりした 今は当たり前だが
    それと味方の攻め上がりを待たず中央にどんどんドリブルで運んだり人と選択するプレーが違った

  11. 95年のブラジル戦は世界との差を実感しましたね。ロベカルのゴールは度肝を抜かれました。ゴール裏からのリプレイの映像を見るとホップしていましたね。フリーキックも凄まじかった。小島さんが必死にパンチングしていましたが、テレビで見ていても、とんでもないシュートでした。

  12. 小島さんは未だに頭も記憶もシャープですね。オシャレでダンディだし。節制してるんでしょうね。

  13. 某チームってマリノスだったような。あとヒデがシュート練習でギリギリのコース狙って打つのを日に日に上手くなっていくのを見てきたと小島さんがおっしゃっていました

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