クールス 舘ひろしと岩城滉一【同時に呼べなかった42年】血判状を交わした男たちの真実

クールス 舘ひろしと岩城滉一。1974年、17人の若者が血判状を交わしてバイクチームを結成。しかし1977年、舘ひろしは突然脱退。それから42年間、2人は同時に呼ばれることがなかった。仲間たちは、なぜ2人を一緒に呼べなかったのか?そして2017年、ある男の死がすべてを変えた。血判状を交わした男たちの、50年の真実をお伝えします。

▼内容
1974年12月13日、金曜日。東京・青山で17人の若者が血判を押し、クールスが誕生しました。

リーダー舘ひろしは医者の家系に生まれ、徳川家ゆかりの武家屋敷で育った男。しかし彼は「独裁」を宣言し、バイクチームのボスとなりました。しかも当時、免許すら持っていませんでした。

1975年、キャロル解散コンサートでの即興パフォーマンスがきっかけでプロデビュー。しかし1977年、舘ひろしは突然クールスを去ります。

それから42年。舘ひろしと岩城滉一は一度も同じ場所に顔を合わせることがありませんでした。血判を交わした仲間たちでさえ、2人を同時に呼ぶことができなかったのです。

2017年12月、メンバーの玉川雅巳(マチャミ)が危篤状態に。病室に集まった仲間たち。そして42年ぶりに、舘ひろしと岩城滉一が再会しました。

血判状に押された約束は、50年経った今も生きています。

▼参考文献・出典
・NHK「ファミリーヒストリー」舘ひろし回(2021年放送)
・テリー伊藤×岩城滉一 対談(2024年)
・水口晴幸インタビュー
・週刊誌各種報道
・Wikipedia「クールス」「舘ひろし」「岩城滉一」

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