【朗読】「歴史小説家の視点」著者の歴史に対するスタンスを提示した“司馬史観”の原点ともいえる話。【時代小説・歴史小説/司馬遼太郎】
[音楽] 今回は芝太郎の歴史小説家の視点を紹介し ます。 でございます 。うん 。何も考えてないんですけども、え、なん となく思い出し ながら喋りすることにします。うん。歴史 と小説という題なんですけれども、え、 歴史ということ はどういうことかって言いますと、 歴史っていうのはなんとなく歴史という ものはあるもんだという錯覚があります けれども、本当言えば歴史なんての はないんであります。 え、歴史ってのは、あ、例えば、ま、資料 という言葉がありますが、資料っていうの は、あの、ファクトのことであります。 私実と言いますか、そういうことは、え、 言葉がありますけれども、施実と言うと なんとなく実在してるような感じがします が、え、実際は、え、空気のようなもので 、え、ないようなもんであります。え、 歴史ってのは語られて初めてそこに存在 するわけで、え、語られない限り存在し ないで簡単に言いますと皆様のその身近な ことで例え話をしますと。うん 。自分は慶王大学の法学部 の学生である というような自己紹介があって、え、 そして、え、履歴 書前に出すとします。え、昭和年生まれ、 どこそこ生まれとずっと何々小学校卒、 何々に中学卒ずっと履歴書は出てます けれどもううん。それだけが見つめたら、 え 、歴史であります。え、それでは何も 面白くない。面白くないばかりか、え、 その人が田中太郎という名前だとすると 田中太郎という人が出てこないわけであり ます。なんとか小学校鹿児島県生まれなん とか小学校卒とか中学卒とか高校卒で現在 慶王技塾大学法学部大学中とこれでは何も 出てこないで施術というのはまずまずその 程度のもんであります。え、履歴書のこと をヒストリーと言いますけれども、お、ま 、歴史という言葉を使いますけれども、 個人の歴史でも煮詰めてしまえば1枚の 履歴書に過ぎないわけで、1枚の リレクションになってしまいますと、その 人自身もそこにいなくなる。なるほど。 その昭和年に鹿児島県に生まれたことは 確かだけども、おそれでもってその人は出 てこない 。何にも出てこない。要するに何にもない 。だから結局その人に語ってもらわなきゃ いけない。あるいはその人の友人に語って もらわなきゃいけない。彼は、え 、父親が早くに戦して母親が水育てられた というともうだいぶ出てくるわけであり ます。そういう人かなと思っで鹿児島県と いうけれども実は台湾までであって台湾の 植民地に生まれてね。え、引き上げてきて 鹿児島県の小学校に行ったからその非常に 土地のものとの間に、え、違和感があって 、え、少年時代は必ずしも愉快でなかった と。非常に、え、土地の連中との間の摩擦 があって、え、むしろ不愉快であったと。 で、母親はいろんな具合に人の手伝いをし て、え、苦労して、え、母親1人の手で 育てられたと。もうここで少し出てくる。 そして、え、こ学校は、あ、普通の公立 高校に行ったけれども、お、それ以上は、 あ、行くつもりはなかったと、え、視力が なかったから行くつもりはなかったと。 ところが、あ、3年生の時に思い切って、 え、 とにかく区学をするつもりで東京に出て こようと思って、え、慶大学に入ったと。 ま、これで少しその人のそこに飛躍がある わけですから、そのとにかく東京へ出て いこうという1つの大飛躍を試みたわけ ですから、その少年の性格が少し分かる わけであります 。そしてその東京で、え、恋愛をしたと、 え、それは非常にどう言いますか、え、 どういう人だったとかいうようなことで もってだんだん出てくるわけで、え、語っ てみれば出てくるわけであります。です から歴史っていうのは例えば歴史の日本 歴史というようなものが、え、書物に、え 、出ておりますがうん。なん々、え、長 日本歴史あるいは何々長の世界歴史と こんなのは、え、非常に嘘でありまして、 え、日本歴史というようなものをがない わけであります。誰が語る日本歴史って いうのは存在しますけれども、単に日本 歴史と消して、え、書物が出る。それ誰か が書いておるわけですけれども、書物が 出る。これは 嘘であります。つまり、え、メールという 、え、インドの偉い政治家がうん。後に インドの師匠になるわけですけれども、お この人が極中にありました時に自分の娘の ために牢屋の中で、え、世界史を書いた わけであります。娘にだけ読ませるために 、え、世界史を書いたわけで、え、この 世界は、え、色々書かれた世界史の中でも 優れた1つとして今で も読まれ続けておりますけれども、 おはの世界ということで、え、見事に成立 するわけであります。見事に、え、存在 するわけで、単に世界史長では、え、いけ ないわけ。メイルが語った世界地と誰かに 語られなければつまり歴史というものは 存在しないわけであります。単に一ぺの ディレクションになるわけで、で、ま、 その語り手は歴史家と作家が、え、小説家 がいるわけであります。え、語り手として の歴史家と語り手としての歴史化ってのは 、ええ、 無論ビも歴史化でありますし、え、古い昔 は芝線も歴史化であります。え、歴史は 文学者のその1つの重要な文学というもの の中の1つの重要なあパートを占めている もんで、え、歴史研究者ではないわけで あります。歴史研究者というのは例えば どこの大学にもいらっしゃるわけで、え、 歴史学の日本市の教授、経済士の教授、え 、農林経済士の教授、水産うん、技術の 教授、え、皆さんいらっしゃるわけで、で 、これは歴史研究者であって歴史家では ないわけであります。歴史家ってのは、え 、作家とか詩人とか、あ、つまり小説家と か詩人とか、え、劇作家とかあいう人たち がいるジャンルの中に歴史家というのは 存在するわけで、これは文学者の一派で あります。で、なかなかこれはどう言い ますか?うん 。存在しえないもので、え、例えば人類が いく人かの歴史家を持ちましたけれども、 そして育人かの歴史家のおかげで、え、 歴史というものを知るわけですが、え、 歴史研究者はたくさん行っても、え、 同時代我々今日でも歴史研究者ってのは、 え、1つの大学に何もいらっしゃるわけで 、ところが歴史家はなかなかいらっしゃら ない。え、歴史家。ま、私は最近、え、 昔学生時代に読んだ書物で全然翻訳が 改まった書物を読んだのは、え、うん。 ことがあるんですが、それで非常に感動し たんですが、フランス革命についてのうん 、書物であります 。フランス革命というのは、え、非常に 豊富な施実と豊富な語り手を持った歴史で ありますけれども、しかしながらそのお 非常によくおるというう、書物はなかなか ないんであります。え 、ミシのフランス革命士というのが、ま、 見事であります。このミシのフランス革命 士というものを読みますと、カン後期する ような思いがありまして、だんだん夕方に なってきて伝統をつけるのも忘れるような 、え、興奮を覚えるわけであります。それ はミシという機代の文章家が必要な名文家 が、え、その見事な分隊でもって、え、 捉えた分隊ってものは、え、この穴掘作業 におけるこのシャベルの役目をするわけで 、え、シャベルがエ理でシャベルが非常に 、え、エ理な形をしておって、非常に便利 なようにできておると、え、そういう分隊 ですと、あ、よく惚れる。そしてまた シャベルが非常に風りな形をしております と風がありな穴が掘れる。そういうわけで 未のそのシャベルを持ってフランス革命を 掘り起こしてみますと非常にそのどう言い ますか、あ、我々を興奮せしめるような 革命士になるわけであります。で、ま、 そういうわけで、え、歴史化ってのは非常 に見事な文章力とあ、それに備わった分隊 を持ってなきゃいけないという点では小説 家と変わらないわけであります。え、それ で、ま、歴史家ってものはなかなか豊な もので、そうざにえ、いないんだ ということになるわけで、え、ま、そこで 小説の問題につがっていくわけであります けれども、うん。そうしたらその歴史家が やってるのと歴史を取材した作家が、え、 小説を書いておるのとどんだけ違うのかと 言いますと、まっきり違うんであります。 え、見たところもありますけれども違う ところの方が多い。え 、作家にとって私なぞが小説を書く場合に うん 。まず つまり施実というものはあ、やはりこれは 大事なもんであります。さっきの言いまし た履歴書の類いあるいはその小さな、え、 ファクトのかけら、え、それらをがもう かけらでしかないかもしれませんけれども 、お集められるだけ集めてみなければ やはりうん、どうも申し訳ない感じがする んであります。なぜ申し訳ないかと言い ますと、え、1つは、え、こういう施実と いうのはその国の国民の共有財産であって 、え、作家が勝手に、え、曲げたり、え、 勝手なことをするわけにはいかないわけで あります。え、共有財産のようなものを私 に、え、曲げるということはやはり許され ないので、え、できるだけ集めてくると 、そしてその次にその施実から歴史を出す というのが歴史家であります。しかし作家 はその次にその施実は全部目を通します けれどもそのに対しては施実は ちょうど 科学化学の科学科学でいう職媒のような もので、え、科学変化を起こさせるための 職売のようなもので作家にとっては単に 職媒、え、いろんな事実を誰かがどこで 同行したということに関することについて のいろんな事実をこうずっと見ていきます と、いろんな空想が湧いてくるわけであり ます。その事実に食発されて、え、その 人物はこういう人物だったんだなとか、 この時彼はやはりこう思ってたんだなと いうことが、え、湧いてくるわけであり ます 。で、その つまり空想像の職媒、え、 媒体として重要なんであって、手術という のは、え、私の延長戦上に歴史が働歴史家 の仕事とは違うわけであります。そこで 作家の場合は施実でもって、え、次の別な 世界が開けるわけで、え、全く違う科学 変化が起こらなければ、え、小説になら ないわけで、え、と言っても別に嘘話を 書くという意味じゃありませんけれども、 つまり、え、小説はあくまでも人間のため の芸術でありますから、え、その人間は どんな人間であったかということだけ。 つまりその人間のトルー、つまりその人間 のトルーを探るためにファクトが必要な わけであります。つまり、え、その人間は どんな人間だったか、その時どう思って それを行動したかというのは真実であり ますが、え、事実ってのはもう簡単なもの で、事実ってのは実に時にくだらない姿を しておるもんであります。例えば、え、 泣きそうな顔で、え、新宿の町を歩いて おった友人が泣きそうな顔で新宿の町を 歩いておったのを。あ、誰かが目撃して奴 は泣きそうな顔で歩いておったと。よく 考えてみると彼は失恋したば別れだった からとこう想像するとしますがところが 本当は失恋したんで彼は泣きそうな顔じゃ なくてえちょうど下をしておりまし てトイレに行きたくてそれを我慢してどっ かこのこのこの辺りに適そうなとこがない かなと思いながら歩いてたのが本当だとし ますと。うん。真実っていうのは案外そう いうもんであります。え、事実ってのは 泣きそうな顔というちょっとしたかけらの 印象ですしか過ぎない時があって、え、大 にしてトルーと違うわけであります。にし てよりもほとんどの場合トルーと違う場合 があるわけで、え 、ま、そういうわけでそのトルートは何か ということを探すのの用として助けになる ために手術をたくさん子供が綿玉を集める ようにそういうう比較的無邪悪なあんです けれども別に高級な仕事なんじゃないん です。施術を集めるということは、え、 とにかく子供がメカ玉を集めるようにして もとにかく机の上に、え、その かけらどもを集めてみなければ、え、ま、 次の変化が起こらない。次の変化を期待 するために集めるわけで、ま、消のはそう いうもんであります。非常に抽象的なして おりますが、ま、そのな、何と言いますか 、これからなんかいい例が思い浮かわない か、 その今さっき、え、 待ち合いこの時間が来るまでの間 待ち合い待ち合う待つための部屋でですね 、私はタバコを飲んでおりまして、え、 タバコを飲んでるって単なる格闘であり ます。ですけれども、頭の中ではタバコを 飲んでることと何の関係もない、え、 トルーがあって、そのトルーってのは何を 喋っていいかわからないと、それ何を喋っ ていいか分からないから何を喋ろうという ことをもえておったわけであります。する と迎えにおった、え、身長者の知り合いの 人が、あの、この方は、え、身長者の中で は最近は芸術身長の仕事をしておる皆さん と年のあまり変わらない青年であります。 え、それまでは、え、単鉱本を出す出版部 にいらっしゃって、え、私の係かりをして くださった人であります。それが芸術身長 に移られたわけですから、やはり、え、 芸術のことを考えておるね、え、造形美術 のことを考えておるね。あの、私に、あ、 鎌倉 時代から、え、爆末に至るまでの、あ、 美術の変遷を書く気はしないかということ を、ま、彼は立場が変わったもんですから 、そんなことを言うわけであります。で、 ま、そんなことは、あ、あんまり興味が ないと言っておりまして、私の頭は とにかく喋ることばかりに気を取られて おりました。で、鎌倉時代っていうのは 彫刻の時代であります。 彫刻の時代であって、え 、これは誰でも言うところであります。 うん。非常に素晴らしいと思うと、まあ、 彼は言うわけであります。で、その歴史と いうものをどうやってみるかと、ま、作家 としてどうやってみるかと、あるいは、え 、1人の共容として歴史というものをどう やってみるかという手口を今ちょっとご 紹介しますと、鎌倉時代は彫刻の時代で あります。 で、ま、その優れた彫刻は、あ、皆さん いろんな美術書で頭に、え、残っておると 思うでありますがうん。ま、運系探系 なんてのは、あ、日本全国の名察に行き ますと大抵ありまして、偽物もあるん でしょうけれども、え、ま、ああいう仁王 様が、あ、非常にリアリスティックに仁王 様ってのは力の表現ですから、玄関版の仏 さんですから、え、玄関、玄関じゃなくて ムですか?門を守っておるわけですから。 もってのは入ってくるやつは6のや、あの 、ま、つまり、え、門が閉まってるのに 入ってくるっていうのは6のやつはいない ですから、それに脅しをかけるために、え 、怖い顔してて力の表現を示しておるわけ 。筋肉が躍動しておるわけです。そういう 彫刻ってのはその前の時代の平安時代には なかったわけです 。それはまたにその後の時代にもないん です。ま、似たようなありはあります けれども、そうすると、そしてまた別な方 で、別な方で日本人ってのは彫刻がダメだ と言われておる。つまりトルーに見たよう なものがあるんです。彫刻は日本人、彫刻 っていうものは芸術は日本人にとって非常 に苦手なんだという1つの発想の材料が別 にあるわけです。非常に苦手なんです。 本当にあの、え 、油を買ったり、掛け軸を買ったりする人 ありますけれども、彫刻を買ったりする人 が滅たないで、え、今でも随分と、え、 画床というものは境えておりますが、彫刻 だけは売れないとされております。そして また西洋のように、え、町に、え、都会の 例えば広場かなんかで噴水があって、そこ に、え、大きな彫刻が並んでおって、 そしてまた別の街どにも大きな彫刻がある と、え、ジ員に行くとジ員の装飾している のは全部彫刻であるというような政人との 資格の違いってのは非常にあるわけで、え 、西洋っていうのは非常に彫刻的な感覚の 飛ん あ、民族が作った文明らしいところが日本 人ってのは絵画的であります。絵画の方が 好きなんであります。非常に平面的であり まして、え 、平安時代も海外の時代でありまして、 その鎌倉の例外を除いて、え、次の室町 時代ってのもやはり絵画の時代。え、絵画 って言っても室間時代はご存知のように別 の名前では東山時代って言われてるように 、え、これは庭園の時代と言ってもいい ですね。え、全庭園の時代で、え、この 京都の両安寺の石だけで出てきた庭が ございますね。あれを眺めておると日本人 のその心と言いますかが分かってくる。 なぜ分かってくるかと言いますと、あれ は絵画と彫刻のアの子であって、レリーフ のようなもんであります。え、ちょっと 凹凸のある平面であります。平面しか 分からない日本人がやっと凹凸の芸術を 作ってもあの程度であります。彫刻がいい というわけでなくて、非常に平面を恋しが ある民族であります。え、建築1つにし ましても隙きアというのは明り商事があっ てそして畳みが敷かれておる。もうそれで 2つの平面そして天井があってもう非常に 平面で囲まれておってそしてそこに平面の 病部かなんか置いてもうそれでえお座敷で あります。あとはもうお ちょっと鼻かなんか行けとくというんでも 立派なお出しになるわけで、え、西洋の そのお客様を呼ぶ例えば宮殿と一体なもの と非常に違う。例えば、ま、え、日本で 最も宮電、昔の宮電として残っておる代表 的なものは、え、二条でありますけれども 、京都の二城ってのは、あ、皆さん配管 なさると分かるのはばかり目がつくわけで あります。絵画が目がつくわけで、それは きっとベルサイ宮殿とかそれからロシアに 残っておる、え、宮ククレムリンとかいう ものと非常に違うのに違いない。で、ま、 そういう平面愛行の民族であって、それが なぜ鎌倉時代 に彫刻時代をわずかな期間ながらあったか ということを考えることがまたこれが 面白いことであります。これは、え、歴史 に参加、心が参加したり、あるいは、え、 歴史小説を書こうというような時に、え、 のその予備運動、ウォーミングアップとし て非常に、え、重要なことであります。 え、鎌倉時代ってのはなぜ彫刻があったか と言うと 、ま、いろんなこと言えるんですけども、 1つ思いつかなければいけない重要なこと は無教用時代であったことであります。え 、全時代のつまり平安時代ってのは長く 続きまして、京都中心に長く続きまして、 そして奥さんがなんだかわけのわからない 、つまり歌かなんか読んで、え、暮らして おって恋愛をしても非常に芸術的恋愛をし まして、その、そしてまた、え、とか枕の 総師が出たりして、え、ずっと来る。それ が大敗してきて、そしてその一国の政治は その彼らによって、え、もう運営していけ ないところまで来て社会的ないろんな矛盾 が起こってきたと。そしてやっていけなく なって原兵相乱時代が起こるわけであり ます。武士の時代が起こるわけであります 。で、武士権力が武士の手に渡るんです けれども、え、それなぜかと言いますと ですね、え、武士は関東から起こるわけ ですが、ま、関東以外のところにも類事の ものがいっぱいおるわけですけれども、類 の武士は最国の方にも、つまり世田内沿岸 にも九州にも東北にもおるわけですけれど も、この時代を代表した武士っていうのは 関東平屋におる武士であります。それが つまり、え、寄り友を用して、え、革命を 起こしたわけであります。その関東部屋に おる物資ってのはどんなのかていうと、 要するに開根印主であります。物資という とこ鎧いカブトを着てそして、え、名乗り を上げて華やかに、え、一気打ちすると いう原兵時代の花話しい姿、巻き物のよう な姿だけを思い浮かべてはやはり歴史に 参加できないんで、え、無視ってのは 要するに開根主であります。え、その辺の アチを開してですね、その自分の田ぼにし た連中のことであります。ところがその 時代の制度はですね、え、自分の田ぼにし ちゃいけないという法律だったんです。開 したところで自分の担保にしちゃいけない という効率だったわけ。え、非常に手短近 に言いますと、一言だけで言いますと、え 、一種の共産主義のがですね、え、それ よりも以前のはか以前の奈良時代の大価の 開心という頃に出来上がって、え、そして 、え、田ぼは全部共有であったと、え、 そしてその子供が生まれて何歳か大人に なったら田ぼ 与えると。そしてそれはCでなくてこっ からここまでお前は工作しろと。そして そのできたは何割に納めて何割の食べ分に しろということの制度ができてですね。 それ立度と言うんですが、ま、ご存知の 通りであります。それがずっと崩れに崩れ て崩れてただ建前だけがそうで平安時代に 続いておって平安時代も暮れになってき ますと。 あの、要するに自分で関東屋でですね、自分で一生懸命耕した連中が自分の単分にならないんであります。ならないから判断を起こしたわけであります。 そのうん、なぜそのならないんだというと やしい経済問題ありますから省演の問題と いう実に歴史の時間で1番面白くなかった でしょうところのその問題になりますから 言いませんが、え、とにかくま、それの うまいことやるテクニックとして一旦京都 の国さんにその寄した形にして、え、なん か間で要するに自分のもんに過動いじてし てたと。そのさんがその悪いやつならあれ 俺のもんだと言って取り上げてしまっても 文句言えないだから非常に不利なあ土地 支有の仕方をしておった。せっかく油汗 流して開したのに。そしてまだもう1つは その開根と言いますと、え、今で言うと皆 さんあのあ、海国家かっていうなもんで ありますけれども、あ、その時代の日本人 ってのは割合優れたところがありまして、 え、それまで田ぼ高耕すってのはですね、 私は100勝のことはよく知らないんです けれども、え、要するに犬は水がいるわけ ですね。それはもう当たり前のことで水を かけてやらなきゃ死にますから。その水 ってのはですね、え、普通なら川から引い てきてなかなか難しいもんですね、水を 引くのは。だからもう一緒のこと、つまり 原始時代、原始時代ってあんまり農業が 進んでない頃はですね、え、山ので耕せば 1番いいんで、山の上から水が流れてき ますから、そこに田ぼの中に水を引き入れ ていけばいい。大体田ぼってのはベトナム あたりでできたもんですから、そのベトナ ムってのは泥でしょう。あの、ベトナムの 場合は自然に泥がありますね。浮が来て 自然に、え、ド、ドロタになるとあの状態 で移動ができるんですから、あの状態を このベトナムよりもはるかに東の島国で、 え、再現しなきゃいけないのはあの稲坂 ですね、結局。だからベトナムの状態を 作るには、あのこの山田がいる山の麓で この関東でいう奴という、え、この山で このヒ田が入り込んだところ、え、関東弁 では八と言いますが、え、やがもう津が 取れてやと言いますけれども、関西ではや という言葉がないんで谷は谷であります。 で、やつ、やつで持って作ってたところが やつで持って作ってたら上から水が来て ちょうどいいんですけれども 、え、奴がもうが取れてやと言います けれども、関西ではやという言葉がないん で谷は谷であります。で、やつ、やつで 持って作ってたところがやで持って作って たら上から水が来てちょうどいいんです けれども、そのお兵で兵がもうずっと きっぱなしですから、草が生っぱなしです から、あそこで田ぼ作れば随分とたくさん 田ぼができるじゃないかと思いついたのが 平安中期頃です。そ、そんなこと思いつい た民族はやっぱり、え、ないそうで、え、 私の友人で西洋師をやってる人間に聞き ますと、西洋者はとってもまだあの ほとんどが森で毛門を追っかけこしてた だけで、え、そういう土地をそのようにし て改良して作り上げるという頭は日本人が 、え、おそらく1番古倫じゃないかと。で 、その日本人でもこの関東の日本人です。 それで、ま、え、例えばより友が流されて おった、あ、修繕寺の修繕寺じゃなくて、 あの、伊豆の、あ、あえな、何ですか?昼 が小島っていうとか、え、修繕寺の辺り ですね。あの辺はこの飛行平であって、え 、そんなとこみんな草生ってたんところが その、その、そこに持って川を敷いていっ てですね、川を敷いていって考えをすれば 他になるわけであります。その知恵がつい てですね、平安中期から末気にかけても いっぱいその主ができたんです。関東に。 もう本当にもう、もうお前も主かという ようなぐらいに、え、この辺でできたわけ だ。それがみんな自分の田ぼを守るたびに その弓やて、鉄砲はまだ来てませんけれど も、その弓矢を持ってそのカブトなんか来 ちゃってですね、馬なんか走らかしてその それが侍なんですよ。それが武士の怒り です。なんです。で、そのジ主が自分の 支有の土地を擁護するために自分の政権を 作ろうとしたのが鎌倉政権。よりも 押し立てて京都に対抗さしてそしてその 鎌倉幕ってのが出来上がった。これでも 簡単に言った鎌倉時代ですがとこがその 武士たちは文字の連中の方が多い。ま、 例外として、え、文字が読めるどころか歌 まで作れる侍がいますけれども、ほとんど のは、あ、有名な武士で も字が読めない。非常に素朴な無んであり ます。あ、ところがその、あ 、彼らは1番怖いのは、あ、敵でなくて 死ぬことであります。え、死んだ後のこと であります。死んだ後極楽に行けないかも しれないという恐れであります。で、極楽 に行くってことはもう重大なことであり まして、そのだから非常に宗教時代であり ます。鎌倉は、え、ご存知のように本年 承認とか診断とか日連とかA祭とかが出た のは鎌倉であります。そうするとそのそれ らはですね、宗教心が非常に鎌倉部は王勢 なのに文字が分からない。文字が分から ない共容もないだから宗教をうまく伝える わけにいかない。そのためにその本当の 生きたような人間を作ってですね、これが 彫刻であります。もう仁王さんを見たら 一ぺにこれは怖いと。そして、え、観音様 を見たら一ぺにこれはもう非常に優しい人 だと。そしてまた、え、偉いお坊さん。 それがなくなりますと彫刻にするわけで あります。そして彫刻にしてこの人は一生 懸命生み物を唱えて主を再度するために 諸国を暗アしたんですと。ま、そういうお 坊さんを暗アしてる格好のままでこの子供 かなんかが風にひがっててですね。え、 その格好のままであの関東のつまり諸らの 武士に見せるわけであります。そうすると あ、なるほど。そうかと分かったわかった とも非常に彫刻ってのはそういう素朴な リアリズムでありますから。え、そのため に鎌倉だけが、あ、わっと彫刻が逆になっ たと日本人のその資格の兵器、壁としては 例外的に鎌倉だけが、え、彫候が盛んな 。そうするとここまで考えるとですね、 いろんな鎌倉ってものはどんなもんだっ たろうということが、そして鎌倉の町を 歩いてる侍を来て、そしてその侍衣装で 歩いておる侍たちはどんなんだったろうと いうことが分かってくるわけであります。 で、そのようにして歴史というものは、あ 、アプローチしていくわけであります。え 、またそこで私は、え、その待ち合い室で ですね。うん。さらに私はに今狡活なこと をしておるわけで、その待合室で考えて おって悩んでおって結論もないままでここ へ出てきて待ち合い室での雑談で喋ってる んですからこれが1番いいわけで、え、 そん時にそのうん、身長者の 若い人はですね、爆末はどうだった でしょうと言うんであります。え、今日は 、ま、爆末のことを少し話します。で、 爆末はですね、2つの大きな特徴、欠点 から見た、欠点から見た大きな特徴があっ て、それは芸術がほとんどなかったことと 、それから、え、宗教が全くなかった時代 であります。え、どういうわけだかこの2 つが大きな結落したように、え、ないんで あります。で、これは爆末のもうこの2つ からだけでも爆末とは何かと、爆末の日本 って何かと、爆末の日本人とはどういう 日本人なのかということがあ、出てくる わけであります。その、それは渡辺火山と いったような大天才が、え、江戸末期に 現れますけれども、この人はもう不質の 天才でありまして、天才はいついかの場所 でも現れてくるわけで、え、時代の風潮の 中から現れてくるもんじゃないんであり ます。ポールのようにして、え、現れて くるわけで、突き立っておるわけで、え、 ピラミドの頂点の上に天才が立ってるん じゃないわけであります。だから火山は 天才であるがために例外であって他のあ、 例えば絵描きたち、現一家たち、絵描き たちはどうであったかと言ったら、え、全 時代の妻がないよおったわけであります。 文人がね、こう筆なんかでですね、筆を ちょっとこう寝かしてですね、寝かして すっとやるとああ、竹になったというよう な、あの、それ付けたてと言うんです けれども、え、付け立てていうのどういう 語言か知りませんが、絵描きの世界では 付けたてと言うんです。ずっと寝かして ですね、ちょっとこう抑えてちょっとこう ふしっていったら竹だったと。これ3日も 習ばですね、もう竹かけるんです。そして またあの今度はなんかあのお勝負かなんか 書くのにここはちょっと力入れてと先生が 全部教えてくれるんです。そして勝負か なんかができる。こんなつまらない絵が 日本の江戸時代の絵。あの特に爆末の絵で あります。ま、これ余談ですけれども、 日本人の洋家がアメリカかなんかに、え、 行くという時に、今行くという時に全、 全部じゃありませんけれども、私の友人は 全部でありましたが、え、これ習ってくん です。日本からこれずっとこうやっていき ますとですね、飯食えるんです。で、なん と不思議な魔法みたいなことすると、その 、その、これは住えではありますけれども 、住江の中の付け立てを、あ、これは何 種類もあって、これずっと書いて回ってる だけでもですね。うん。いくらかなるん です。だからそれで向こうで割合もう本当 の油を修行すること忘れちゃってそれで もって結構に暮らしてる人もあるそうで ありましてそれは江戸時代に芸術が衰弱し きった時に出てきたえ形式芸術であります 。で、え、そういうもんばっかりがあった んですが、爆末では もうつまり文芸復興の頃とかあるいはあ、 それ以外のこの現実が群上がり起こって くる時代というものではなかったです。 やっぱり不思議な革命機であります。革命 であるということは、え、いろんな要素を この導き出してくるんですけれども、 おないんですね。あの、宗教の方はどうか というと、これは人の精神の中で最も重要 な1つでありますけれども、これもない。 爆末の死っていうものは1人も宗教信者が いなかったということは言えると思うん です。その江戸時代は全部お寺に所属して おりまして、みんなおがあるんですけれど も、あ、ですからその意味ではファクトと してはあの大変あの宗教時代であります。 どの人間もお収支。お前はお収支なんだっ て臨財集は何だってった?日連え、今の 我々と同じであります。お前のんとこ収支 なんだとったらえ、なんとか集あの上土 新州とか上土州とか前収とかえいうわけで それ江戸時代からの名残りであります。で 、その爆末のも全部家のお支子は持って おるわけですけど誰も進行してるものが なかった。上土新州などというものは、え 、戦国時代にあっては一向一期を生むよう な、え、日本全国を入り動かした大きな 信仰でありますが、え、それも爆末では何 の力も持ってなくて冷えときった状態で あります。で、爆末の父たちはその死ぬ ことが平気で、え、すぐ死んじゃう。すぐ 死んじゃうのに、え、死んだ後どうすんだ と言って僕は、ま、きっとその追いかけて た聞いても何にも答えないだろうと思うん です。死ぬこと平気だったんというわけだ から死ぬことが平気なくせに宗教がなかっ たっていうのはこれはヨーロッパ人が見れ ばもうこれほど不思議な現象がないと思う んであります。そのヨーロッパ人は未だに やはり非常に宗教が大事だというのは ヨーロッパ人ってものは死ぬのが怖いわけ であります。やっぱりあるだけ生命として 、え、我々よりもエネルギーがたくさん ある人種というのは、あ、生きとしてて、 我々の3倍ぐらい、え、食事を食べて、え 、ご飯を食べて体も大きい とそういう練ってのはやっぱり、え、死 ぬってことはきっと怖いん違いない。我々 の3倍だけ怖いん違いない。で、我々は 大変つまり、え、植物的な民族であります から、え、死ぬってことは割合的怖くない 。その点で日本人ってのは多少不思議な とこがあるんであります。で、ま、え、 爆松士は特にそうである。で、ワクまし ってのは何だと言って、これはまあ、何回 か人に話したことで私にとってももう だいぶこう手垢がついてる話なんです けれども、爆末の死ってのは一言で言った どんなやつだと言ったら、その非常に た切った時代ですから、このるっていう 言葉はこ田ロバンが発明した言葉であり まして、え、この沸騰してる、沸騰してる 時代、た切った時代ってのは、え、た人間 を出すわけで、我々この平和な時代で、え で、想像できない人間を出す。人間の行動 も想像できないわけであります。だから その時代の気分になって、え、その時代を 見なければ、え、その時代が分からない。 今の畳の上で我々はタバコ飲んで、え、 12時になったら飯を食ってるというこの 平和な時代で、え、平和な状態で、え、 なかなか爆末の日本人の心ってのは分から ない。で、まあ1つティピカルな例をあげ ます とうん。文岐3年の早い時期にまだ、え、 有名な新撰組ができてなくて、え、文岐休 2年であります。文岐休2年の秋に、え、 まだ新撰組は文岐の総春に成立するわけ ですから、京都の町に、え、将軍が来たん であります。将軍持という人が、え、来て もう京都の町はいわゆる空デタ全夜のよう な状態でその後再び反動時代があって金能 党は弾圧されますけれども旧2年の2年の 時期と1時期というのは非常にこのあの ようにあの金能党がバこしたそして砂漠と 見れば叩き切ったとまそういう騒ぎで無 警察状態無政府状態は京都の町にあった わけです。で、そのためにその翌年休3年 の春に新撰組が登場するわけですが、それ を弾圧するために、そしてそれは成功する んですが、え、その文、そのちょっと前 文岐将軍が来たみんな趣士が、え、もう 将軍の行列を見ておる。そしてその高杉 新作が長州の人間で高杉新作がそれを見て おりまして普通ならば土下座して将軍を 迎えなきゃいけないのにもう乱れ切って おりまして、え、立ってみておりまして、 みんなが 対象分と言ったそうであります。イで芝居 の占領役者そんで東京あのその当時江戸 ですね。江戸から来た将軍を落ちできた 旗本の連中は憤の涙を飲んだそうであり ます。で、その時代にこの高杉新作がその 将軍を暗殺してやろうと思ったん。ま、 暗殺する必要はないんです。何も将軍は 大物でないですから。ところが将軍が 将軍が暗殺されるという政治的効果をこの 革命の天才は、え、思ったんですね。将軍 が暗殺されるとなればもう今まで、え、 徳川幕府というのは大変なもんだと思って たらなんだこの程度かと思ってその時代の 風潮が一ぺに変わるというようなあ、こと で将軍を暗殺してやろうと思いついた。で 、下宿でですね、2条の近いところの下宿 で、え、持って、え、仲間と一緒に、ま、 相談しておったわけですね。そしたら外は 雨が降っておりまして、見てきたような こと言いますけれども 、その雨の中をついてですね、1人の老師 がやってきた。これ浪人の趣旨のことを 老師と言うんですけれども、お老子がやっ てきまして、え、どこのハントもつかない 、え、老子がやってきまして、そして高杉 とは多少の知り合いであったらしくて、え 、高杉さんいらっしゃいますかと言ったら 、高杉が2階から降りてきて、この人は 本当の意味での天才のような人ですから、 えー、非常にこの愛相の悪いところがあっ て、剣丼のようなところがあって、何か ようですか言ったら、いや、実はその、 あの、私はちょっと聞いたんですが、将軍 を暗殺されるそうでとね、ま、落ち着り手 があるの話ですけれども、うん。そんなの 私も加えて欲しいと。その仲間に入れて ほしいと言ったら高杉がその本当は高杉 って人はそんなことできないと思ってまし たから将軍安算するのは不可能です。本当 に不可能ですから。そのそういうに言う ところに1つの政治的効果を持ってた。 思ってたのかもしれませんから、本気で そう思ってたんじゃないん違いない。だ からあのそれもあってですね、それは断り ますと 。なぜと言えばその将軍を暗殺するという ことは自分たち長犯の人間であるんで多半 の人間の力を借りませんと。こういって このもう切れ鼻食ったようにして、え、 くわったわけだ。そしたらそのロー人は ですね、別な場所で起こっちゃったんです 。つまり自分を臆病者だと思ったの。そう いうことで起こったね。そのあなたあんた は私を臆病者だと思うんですか?言って その怒り出してですね。自分が臆病物で ないかどうか証拠を見せてやると言って雨 のん中で飛び出しての木下でえ立きって 死んじゃった ん考えられないことじゃないですか死ん だらそんでしまいだの にこれで実証はされたわけであります。 で、大体その種類の人間があのいわゆる 京都で走り回っておるわけであります。で 、これが1番ティピカルな例であります。 そして またその人が何らかの宗教を持っておった かとカトリックカトリックはま、何もない ですけど、その、あ、そ、何らかの宗教を 持っておったかって言うと決してそうじゃ ないです。何にも持ってない。無信論で あります。なぜ無神論であるということは 分かるかと言いますと、江戸時代ってのは 、ま、初期の間までは、え、侍も宗教持っ てたんです。徳害イアスって人は上土州の 信者でありまして、え、戦争に行く時には その大きな旗にですね、関ヶ原の駅も彼は 関ヶ原に掲げた大きな2つの旗は上土。 いや、オ理上土じゃないわ。ゴング上土。 ゴング上土上土を恋ということだ。お上土 を恋う。 オリエドエ江戸ってのはこの世とこの世と お理ってのは嫌いこの世はもう糸ましいと 疎ましいともとっても嫌だとお上土へ行き たいという旗これま侍を見たらそのつもり になって死んじゃうのかもしれません けれども大体この旗が言うこと聞いた時代 であります関ヶ原まではそして徳川初期も こういう う気分があったん気分がありましたところ 徳川中期頃から日本人ってのは非常に共養 民族になったわけであります。非常に共容 があってですね、え、もう日本語でですね 、その勉強し始めたのは 今初めてじゃないんです。徳川時代はです ね、もう実にき違い勉強したわけであり ます。それはもう江戸中期原力ぐらいから そうなった。つまり、え、戦争でもって その手柄はできませんから、え、学問で 持って身を立てようというので侍もそれ から100章も100勝もまかり間違えば 学問で持って、え、侍になることができ ますから、え、それでもってもう学問をし 始めた。その学問ってのはご存知のように 、え、授教であります。授況の中で1番、 え、最新式の授況だと言われておったも その当時最新式かどうか分かりませんけど 、ま、趣旨学というやです。趣旨学っての は今勉強なさってもつまらない学問です けども、これはその当時としては意味の ある学問ですが、え、趣旨学ってのは、え 、要するに道徳の元を科学的に尋ねていく と いう学問であって、え 、非常に科学的なもんなんです。だけど 要するに同徳なんってのは学問と言っても 明治以後の学問ってのはサイエンスのこと ですが人文科学自然科学のことですが、え 、明治以前の学問ってのは人はどうやって 生きるかというで、どう行動すれば美しい か、どうこの時にはこういうこことをし ちゃいけないという取り決めを習うことが 学問な。つまり要するに、え、授況であり ます。そのお授況を徹底的になったわけ ですね。授業ってのは本質無論なんです。 で、授況の無神ってのは、え、例えば、ま 、話が飛びますけれども、その小様がです ね、小室様が元祖ですから、え、宗教を 否定はしなかったけども逃げた人であり まして、え、弟子がある時、え、小室様 死んだらどうなるんでしょうと。先生は それをもおっしゃいませんけれども、人間 死んだらどうなるんでしょうと。から俺は 生きてることも分からないのに死んだ後の ことは分からないと大変科学的な答えを なさってそのまま来たわけであります。 そして非常にこの科学的なもいわゆる宗教 無神論的なもんであります。で、それに その前収の無神論が加わりまして、前収 ってのは本来無信論なんです。 え、前週の話までしてるとこれきりがあり ませんから。その、その2つの無神論が このミックスされましてですね、え、日本 の武指導的なものの中で、え、花を開いた わけであります。ですからそれの 似え詰まった、え、共容時代の無神論的 共容時代の似え詰まった時が爆末であり ますから。そして爆末の死ってのは全部 もう実にしわない。え、平気で死ぬと つまり道徳で死ねるわけであります。え、 人間ってのはどうやって生きていくかと いうのは宗教と同徳がありますけれども、 え、道徳だけで十分だという人もおるし、 え、宗教が必要だという人もおります けれども、え、爆末の日本人ってのは道徳 だけであります。庶民は別としていわゆる あの侍階級は道徳だけであります。そんで その侍階級の中で多少血の毛の多い人間が 、え、いわゆる革命運動に参加したわけ です。え、それらはみんな道徳でた わけであります。非常に珍しい、世界的に も珍しい例であります。そしてそのお、ま 、一般風潮としても宗教はほとんど大敗し きって堕落しきって、え、そして何者も なかったと。宗教時代じゃないんです。 そうすると爆末の大いなる結は宗教がない ということと、それからさっき言った、え 、造形美術で見るべきものがないという ことと2つであります 。この2つないということからだけでも これだけ語れるわけであります。爆末の 時代層ってのは語れるわけで、え、歴史 ってのはそのようにしていろんなところ から接近していくべきもんであります。で 、接近してそのとんでもないとこ行っ ちゃうことがありますけど、それは たくさんのファクトを並べてないから抑え てないからとんでもないとこ行くんで、え 、できるだけとんでもないところに行か ないように行かないようにですね、え、 ファクトはたくさん並べておく必要がある 。 で、ま、その、そうしたら爆魔日本人の関心っていうのは何だったんだと言ったら政治と経済であります。 もう特に経済ってものに実に関心、つまり 尖閣者的な人間ってのは実に経済にあの 例えばあ末の尖閣者と言う と爆末ではないけどちょっとそれよりも ちょっと前の佐藤新園とかそれから爆末に なってくるとお横南とかそういう思想化 あるいは行動的な思想化として勝州とか 坂本り馬とかえいうような人たちは、え、 全部経済的感覚のある人であります。どう やって国を運営すれば儲かるか とそういう時代であります。爆末で ネガティブな方で活躍する越後長岡班の 過労であった川つ之助という人は、え、 それ以前生時代の長かった人で、え、諸国 を変歴していい先生を探そうとして10年 ばかり歩いた人である。そん時にやっと 岡山県の山の奥でうん。1人見つけて、 そしてその先生について色々学んだ。学ん だことは全部いわゆる経済学であります。 反というものをどのようにして、え、 立て直したらいいかと、どのようにして次 の時代に反を生かしめたらいいかと。反の は、ま、国家のことですが、その、それ までの反っていうのは、え、米国中心の 経済であって、え、侍の国高は100 国立りといったようなもんでお米で換算さ れてるんですが、ところが外国の経済と 一緒にくになってくるとそんな具合に行か ないんで、え、非常にその違った具屋に やっていかなきゃいけない。どうしたら いいかっていうことをその岡山の山の奥川 つ之助さんがえ、その先生学んだ。ほんで 別れに杉之助が先生を褒める言葉に先生も 侍なんですよ。褒めることに。うん。先生 のような人ならば三井の万頭は務まります ねと言ってもいえたん。そんな時代なん です。その三井の番言ったら町人ですよ。 町人なんです。侍が町人の三井の万頭を 憧れたぐらいなん。町人の三井の万頭の方 が、え、能力をありとしたわけ。で、町人 の三井の万当の方の思考法の方でやって いかないとこれからはダめだという時代な ん。要するに政治経済の時代人の心は みんなそこに向かっててですね。うん。 日本はダメになると潰れるとこのままじゃ とってもダメということで、え、革命運動 が起こる。それはもう全部政治経済への 関心であります。 ですからその精神的な仕事はつまり宗教と か芸術とかっていうようなことは、え、2 の次どころかもうなしと同然なん 。ま、そのなしと同然ということからでも ですね、え、いろんなぐらいで観察できる わけで、え 、ま、そうやって色々考えていくという わけです。しかしこれもっといろんなこと 喋らなきゃ講演会にならないんでしょう けどね。これまこの時間が来てるんです。 のお 坂本り馬の言葉の中で、え、やはり今の話 の延長でありますけれども 、彼が、え、長崎で火炎をやっておって、 火炎をやっておって、そして、あ、それは 、ま、 貿易会社兼、消事会社兼私立海軍 兼人決者みたいなもんであります。で、 そういうものをやってって、え、古分と 言いますか、その要するに、え、いろんな つまり同詞を集めて、え、好きなように やっておったわけですが、え、そん時に 1番可愛がっておったのがムつ光であり ます。212歳で、え、奇襲の奪老師で あります。この人は日進戦争の時にの外務 大臣で、え、ま、性質の外務大臣と言われ ておりまして、未だにムズミ光を超える ものはいませんけれども、え、その ムズ光に対して両馬がそのこの我々の火炎 ですね、長崎の火炎、我々の中で 両等代償ですね、刀ですね。を出しても飯 が食えるのは俺とお前だけだなと言って、 え、2人で越に行ったわけであります。 その要するに商売人になっても飯食って いけるとうん。要するに、え、侍という 肩書きなしでも飯食っていけるというのは 俺とお前だけだな。つまりそういうような もんでないとダメだという時代のこの風潮 があ、もう法輩としてあったわけで、非常 に実理的な非常に、え、この実理的な時代 であります。実理的発想法だけがटी行し ておる革命器ってのは大体そんなもん でしょうね。その実流的発想法だけが行し ておる時代であります。で、最も革命では ありますから、その非常なつまり抽象的 飛躍が伴うわけで、そこであの市だけは いい死が生まれるんです。そのポエジの死 はそのやっぱり300年を通じて日本人が 作った塩の傑索を上げると言ったらやはり 爆末に もう集中するわけであります。非常にいい 意思が、え、無名の人間からも出ており ますし、これは人の心が紅用しております から、その死には向くわけで、ポエジには 向くわけで、同じ技術の中でもそういう ものにはものは非常に向用するんであり ましょうけれども、うん、他のところは ダメなんです。今日はなんだかダメな その歴で、つまり鎌倉時代には何々が なかったとかなんとかいうようなこと ばかりをお話ししましたけれども、おない ということだけで 面白いものの考え方ができるんだという こと。ま、そういうことぐらいが結論です かな。その、それを少しでもうん。そう 思ってくだされば私も声上がって喋って おるその出口があったというもんであり ます。どうも長い。 今回の朗読はいかがでしたか?それでは また次回お楽しみに。 [音楽] [音楽]
💬歴史小説家は事実のどこに👀着目し、何をそこから汲み取っていくのか?
歴史小説を🖊️書くにあたっての💡発想のコツを、具体的な例を挙げながら分かりやすく語る―。
【内容】
■歴史的事実から、こぼれ落ちるもの
■歴史小説家の歴史の見方
■鎌倉時代に何故、彫刻が流行ったのか?
■武士が興した無教養の時代
■幕末期の事実から分かること
■坂本竜馬が目指したもの
■幕末は道徳と経済の時代
📌目次
00:00:00『オープニング』
00:00:28『しおり1』
00:30:10『しおり2』
00:59:17『エンディング』
Correction:
00:00:28 🎵ノイズが有ります。(´・ω・`)
👦🏻司馬遼太郎(しば りょうたろう, 1923年 – 1996年)
日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。
日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
位階は従三位。
【主な代表作】
1955年『名言随筆・サラリーマン』でデビュー
1959年『梟(ふくろう)の城』
1962年 – 1966年『竜馬がゆく』
1964年『燃えよ剣』
1965年『国盗り物語』
1968年『坂の上の雲』
1971年 – 1996年『街道をゆく(紀行文)』
1976年『翔ぶが如く』
1980年『項羽と劉邦』
【主な受賞歴】
1960年 直木三十五賞。
1966年 菊池寛賞。
1968年 毎日芸術賞。
1972年 吉川英治文学賞。
1976年 日本芸術院賞・恩賜賞。
1982年 – 1987年 読売文学賞。
1983年 朝日賞。
1984年 日本文学大賞。
1988年 大佛次郎賞。
1993年 文化勲章。
1996年 贈従三位・賜銀杯一組(没時叙位下賜)。
【関連ワード】
藤沢周平, 邪剣竜尾返し, 臆病剣松風, 暗殺剣虎ノ眼, 必死剣鳥刺し, 隠し剣鬼ノ爪, 女人剣さざ波, 悲運剣芦刈り, 宿命剣鬼走り, 酒乱剣石割り, 汚名剣双燕, 女難剣雷切り, 陽狂剣かげろう, 偏屈剣蟇ノ舌, 好色剣流水, 暗黒剣千鳥, 孤立剣残月, 盲目剣谺返し, たそがれ清兵衛, 山本周五郎, 宮部みゆき, 池波正太郎, 鬼平犯科帳, 司馬遼太郎, 竜馬がゆく, 向田邦子, 岸田今日子, 松本清張, 横溝正史, 江戸川乱歩, 赤川次郎, 西村京太郎, 夏樹静子, 村上春樹, 東野圭吾, 綾辻行人, 湊かなえ, 角田光代, 小野不由美, 浅田次郎, 阿刀田高, 宮本輝, 時代劇, 時代小説, 歴史小説, 推理小説, ミステリー, サスペンス, フィクション, ノンフィクション, sf, 恋愛, ロマンス, 童話, 絵本, ドラマ, ラジオドラマ, 作業用, 睡眠用, bgm
【関連リスト】
🖊️司馬遼太郎
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🖊️藤沢周平
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🖊️山本周五郎
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🖊️宮部みゆき
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🖊️平岩弓枝
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🖊️柴田錬三郎
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🖊️岡本綺堂
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🖊️野村胡堂
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🖊️谷崎潤一郎
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🖊️井上ひさし
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🖊️中島敦
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🖊️菊池寛
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🖊️水上勉
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🖊️宮本武蔵
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🖊️山田風太郎
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