【朗読一人でドラマ】【山本周五郎アワー】『兵法者』朗読時代小説  読み手七味春五郎  発行元丸竹書房

山本集五郎 長方者田 七春黒発行本 丸た母 地文という年代の中頃ある年の冬の夜の ことだった日の国戸の城中殿まで登板の侍 たち数のものが日を囲んで話しふかしてい 殿の部屋はご主君の女に接しので気を入れたりをしたりすることは禁じられるのが冷である。 [音楽] [音楽] 水戸でも百ふの第2はそうだったが三国が ようぐと間も なく殿板というものは非常の備えだから いざという時手足が火がんでいては役に 立たぬ火も置きゆ茶もすすり戦物語なども して身体伸びやかに詰めさせるが良い。 そういうことで初めて許されるようになっ たのである 。その夜の話は武田春信と上杉テルトラと の有劣の論が中心だった。川中島に戦う こと14年にわってしかも決定的な勝敗を 見ずに終わった業者の企料軍配の日民の法 などどちらにも一丁兆一端ありで論は なかなかつきなかった 。するとその座にいた表者何がというもの が突然押しかせるような調子で口を挟んだ 。ミッキー殿の論を始め大外紅葉軍官を元 にしておるようだがあれは巨毛の書で心臓 に足らぬ詩人の読むべきものではないと さえ申すくらいだ。そのような元にしての 論が無薬なことであろう。口ぶりが あまり遠慮だったのでミキ行の城はむっと した。雇用軍官が武田の吸心によって書か れたものであり従って武田市にエコの部分 があるということは聞いている。これは旧 主のよ見としてありがちなことで我らが 誤君の年気をむとするも必ず避けられる ことではないであろう。しかし虚にして 真べらずという説は今初めて民にする。 そういうからには何か根拠があってのこと と思うがどういうわけで真べずと断言する の かすに軍官が武田の求心の線になりエコの 城が多いと分かっているなら巨毛と申した 根拠の選作には及ばぬであろうとひ報者 何が冷やかに答えた。ただそれがしは左な 新型き象を取り上げていかにあげつらって みても現在5方向の片めには役立つまいと 申しだ。明らかに言葉は彼のこの無法へと 曲げられた。行野城は若いので早くも額体 を白くしたが何がしはそれを無視して続け た 。者のそれがしにはよくわからないが ご家中には女将の学問ご令を吐き違えて 小読む風は盛んだが部芸に出世するものは 案外少ないようだ。これでは武士として 毎一の時心なく思われるがどうであろうか まるで挑みかかるような口調である。捨て ておくと後論になると思ったので年の1人 がブといえば女将のお相手に出た時と さりげなく話題を他へと変えてしまった 。平報者何が三りに見出されて召し抱え られた新山である。のとして見出され、 お気に入りの様子で常々そば近に使え、 心山には霊のない殿い番にさえ出る。近骨 の優れてたましい怒り型のいかにも標者と いう軽田つきである。相房も虚素もかなり 存在で過中との折り合いはあまり良く なかった 。どうしてあのようなものを好んでお 近づけなさるのか。そう言って見つりの意 を不審がるものも少なくない。特にこの頃 彼は苛立っている様子だがおそらくは標者 として召し抱えられたのにまだ市範の役を 申しけられないのが不満なのだろう。機械 のあるごとに己れを前知ような口を聞くの だった 。その夜から数日過ぎたある日、三国は標 者何が連れて庭を歩いていたが、ふと 思い出したように言った 。はその方殿番の時に紅洋軍官は虚毛の書 なれば詩人の読むべらざるものだと申して いたが、あれは少し違いはせぬか。 なるほど。腕付きにエコがあり記述に謝り がないではないけれども戦車はその時代に 生きて千人を浴び工母主を間のに見て書い たのだ。反読して学ぶべきところは少なく ないと信ずる。またそうでなくとも師匠を 読んで事実の審議を選索するのは学者の 仕事であろう。武士には武士の読みがある はずだ。そうではないか。 何がしはあと言ったが消服した声では なかった。三国はしばらく黙って歩いてい たが 、またあの方向の少年ということを申した ようだがと触らぬ手で言葉をついだ。その 方は一体どのような少年で世に方向するぞ 。それは申し上げるまでもないと存じます 。いや、聞きたい。もしてみろ。こちらへ 背中を向けて静かに歩いている。その背中 に見つりの厳しい意思が脅迫されている ようだった。何がは呆然と前を上げて、私 はいつにも新命を立て祭る。この1年にて ご方向をつります 。確かにそう呟いてみつくには頷いた。 2確かにそうであろうだがその少年に揺ぎ がないかどうか一口に神命を捧げると申し ても実際にはなかなか難しいものだ。大事 に当すればここぞという見切りはつく。 しかし左半のうちそれとは見えぬ事柄の中 にその見切りがつくかどうか。 私の東方はと予報者何が三国がまだ 続けようとする言葉を遮切って言った。 その大臣少々に紛れのない少年を固める ことを持って親沿いといたします。三つに は振り返った。そして何か珍しいものを 見つけでもしたように何が死のかを つくづくと眺めやがってそうかと静かに 頷いた。 その時以来三りの目が時寄り自分の挙に 鋭く注がれるのを表者何がしは感じ始めた 。彼は心を引き締めた。ご主君は自分を 試みようとしておいでになる。そう思った のだ。彼は召し抱えられる前から三国を 警母していたが、そば近く使えるように なって一層その感が強くなりこのお方の ためには喜びを持って命を捧げることが できると確信していた。およそ侍として 静かいをするのにその覚悟のないものは ないだろうが彼は己の確信を誰よりも確か だと自付している。情報というものは奥底 の知れぬものだから自分が名人上手である とは思わないけれども長い困難な修行に よってえ得するところがないではなかった 。自分のは東方のための東方ではない。侍 としてご主君に放ずる不動の一念を固める ためのものだ。彼はそれを一筋の目標とし て生きてきた。しがって岩で三国に答えた 言葉は思い上がりではなく確信を正直に 述べたまでに過ぎない。もしご主君が自分 を試みようとなさるのならむしろ喜んで その試みに応じよう。おそらくそれを機械 に自分の用いられる時が来るであろう。彼 はそう思って油断なく務めていた 。するとある日、違和かに召されて思考し た彼がふの際に閉復したせナそのふが左右 から凄まじい勢いでピシリと閉められた。 その影に若侍が隠れていて、彼が敷の上兵 する途端に閉めたのである。しかし、 激しい勢いで閉められたふは彼の頭を中心 に一尺ばかりの空間を残してぴたりと 止まり、彼自身は見ぎもせずしていた。 そば近にいた自者たちはちょっと異を疲れ た様子だったが、三国は微障し てよしよし。特別用事ではない。ふと 思いついただ。もう下がって良いぞ。と 言って機嫌よく頷いた。彼は再敗して座を 滑った。自社たちはその時初めて彼が敷の 上に鉄戦を置いていたのを見つけたので ある。さすがに。そうさき合う声を耳にし ながら彼は午前を下がった 。それから経って三国はまた彼を連れて庭 を歩いた。春のように温かい日で彼場の上 には影が揺れ林の辺りではのどかに小との 最釣りが聞こえていた。船地のほとりを固 しながら彼は問われるままに自分の竜儀の ことを語った 。三子には元々悲凡な力量を持ち商天流の 東方にも詳しかったので問いかける言葉は 鋭くかつ要点をついたものだった。 それゆえ油断をしてはならぬと思いながら 彼はいつかしら問答に気を取られふっと 襲われるようなものを直感した時には 激しい力で横から突きのめされていた 。それは船地へかけた橋の上だった。全く の冬を疲れた彼は橋から池の中へしを上げ て落ち込んだ 。三国が非常な努力を持っていたという例 として人とロバタで話をしながら両手の指 で我知らず日柱を泣い合わせてしまったと いう話が伝えられている 。その代力で冬を疲れたのだから全く手も 足も出なかった。 頭から水浸たしになって上がってくるとつくにはいながら者にはわぬ油断だなと言った。彼は行した様子で誠に見殺し様をご覧に入れてりますと答えそこそこに午前然前を下がっていった。翌日もまた彼は古獣を命ぜられた。 [音楽] [音楽] そしてその次の日もさらにまた次の日も 三国は仕切りに彼を庭へ連れ出した。そう いうことが4日続いたある日、いつもの ように千地の駆け橋へ差しかかるともう 少しで渡り切ろうとした時三国は突然また 彼をだっと突きのめした。 放士 やがひねるように見えたが、そのまま横様 に池の中へした 。三国は彼の上がってくるのを待って、 その方は水へ落ちるのが校舎だなと言った 。成が賢はズぶ濡れのままそこへ手をつい て恐れながら女将の左のお袖をご覧 くださるよと言っ た 3言われる通り左の袖を見ると多元の橋に 小塚が縫い込んであった。突き落とされる 切ナの早業技である。三国にはそれを 抜き取ると彼の目の前へ投げ出しながら 厳しい小で行った 。確かにその方の少年を見た。 糸間を使わす。もはや主重ではないぞ。 そしてあっ張っている彼を後ろにさっさと そこを立ち去ってしまった 。この始末を密かに見ていたものがある。 それは未きの城だった。彼はご主君守護の 意味でどんな場合にも必ず見え隠れに後を つけていたが、そのため橋の上の出来事を 身とも彩に見た。だが今元に見た2度目の 思いがけの始末は彼にはどうにも理解する ことのできないものだった 。何のためのご感動だろう。何がご不教を 招えたのか。 五殿の方へ去っていくりの跡を追いながら 行の城はあれこれと考え巡らしてみたが どうしてもはっきり頷くことができなかっ た 。一時ほど経って行くの城は三国に召され た。標者何がしの住まへ行って彼の様子を 見てこいという申しけだった。行野城は すぐに立っていった。かなり手間って戻っ た報告による と何がすでに家の始末をして立ちいたと いうことだった。ほまを取って立ちのくを 認めたと申しすものがございました。 呼び戻して参れ。三国はさっと色を変え ながら行った。耐えて見たことのない 厳しい調子だった。スケブ郎とキザを連れ て行け。おと城は午前を下がり、笹々 スケザブロ中野門の2人に胸を伝え、馬を 揃えて城を出ていった。浜堂をシックして いった彼らは浄下から3里ほど南にあたる 小さな胸外れで標者に追いついた。馬庭の 音を聞きつけた何が振り返って2人を 認めると傘を脱いで道の傍原に立ち止まっ た。真っ先に乗り付けたの城が馬を降りて 三りの目を伝えた 。おしかしたな。彼はそう言って3人の顔 を次々に見回した。そしてさっと瓶の辺り を青白くした 。呼び返せという大勢か。もう1度言う ともえぬ。をつぶきながら何を思ったか いきなりそこへ座りエリをくつろげた。 どうなさる?スケブ郎が声をかけて 押しとめようとしたが、それより早く標者 何が差しを抜いて腹へ突き立てていた。 素早く断固としたカ服である三輪はむしろ けに取られて立ち尽くした。 万人の復明を聞いた時、三国はしばらく 黙っていたが 、そうだろうとしばらくしていった。それ だけだった。そうだろうとはいかにもその 結果を見通していた感じなので3人には ますます分からなかった。しかし聞き返す わけにもゆかずそのことは分からぬままに 忘れられていった。 それから20年余りの最月が過ぎて原力3 連に三つくには知死し太田号の西山という ところに陰し た刀原という書 に西山の五三層は取り分け詫びたるお 異なり五縁はか屋を持てふけるが上に し切りという草をしげり五門にはつかつら 灰かり表の方に竹のみありてその負は山に 続きお囲いというものもなし。云々とある 通り極めて感素な暮らしでありわずかな 地震たちも多く不近の谷影などに住居を 持っていて交代に詰めるという風だった。 あるの下つきしぐれの振りし切る酔いで あったミキ行え門先の行野城は珍しくただ 1人どでお話し相手を務めていたがふと 言葉が途切れた時思い出したように24年 前標者何がというものがしばらくおそばに 使えていたのをご記憶遊ばすかと尋ね た三つ国はよく覚えていたらしい。路の火 を見つめたまま静かに頷いたかのものに ついて今日に至るまでガ点の参らぬことが ございます。折りやらば魚のほど伺いと 存じておりました がなん だやり火を見つめたまま言った。してみ。 イクえ門は静かに。クの何がに追い玉の魚 がありました説。私物影より重のことを 拝見しておりました。その前に午前が 初めて彼を行け大年たにもやはり密かに 拝見していたのでございますけれども2度 目の時のご不教がいかなる主彩によるもの かどうしても愛分かりませんでした。 それからまたさと中野の3名に彼を 呼び返しに参りまして、彼が即座に活復し た始末をご上祭りました時、そうであろう との大勢でございました 。私どもには彼の活復した所存も測られず 、大の意味も恐れながら挨拶いたしねまし た。いかなる魚でございましたろうか。 申しけ願いと存じまする 。イクエモンの言葉が終わると三国は折っ てロニック ながらこの頃は俺も若かった。無惨なこと をしたと思うと探索するように言った 。 4日差しを打つしぐれの音が人し切り 激しく山から引いた家を高校と水の走るの が聞こえる 。彼はいつでも新命を立てまずる1年にい て俺に使えると申したと三つは静かに 言い出した 。侍としては当然な覚悟である。しかし その方たちには限らぬ。この俺も青年の頃 からその覚悟でいた。我が命は今日限り俺 も日々そう思い極めて生きてきた。その方 たちが俺に使えるごとくこの三国にも抗義 に使える侍であり抗義やまた近底より誠意 の直名を廃している 。下は足がる小物より上は誠意将軍に至る までいつ何度きたりとも神命を捧げる1年 に生きる。これが侍の道だ 。己自ら一名は強りと思い極め館を出れば 再び館へ戻らず。水戸を出る時は再び水戸 の土を踏むことをと思い成獣厳しく身じし た 。覚悟はその通りだったけれども肉体は なかなかそこまではしきれない。疲れを 感じれば眠くなり、飽きれば悪いも出る。 陥落にはいわれ苦労は避けたい。こういう 弱点を国旗の心で抑えることはできる だろう。だが抑えているのでは3年5年は ともかく生涯は続かない。侍の生き方の 厳しさが常のものになりきることだ。そう なって初めて神命を捧げる1年が不動の ものとなる 。そこまで行って三国は静かにのを かき鳴らし、しばらくは天に聞きる様子 だった 。今見つくには青年の頃から自分の命は その日限りと思い極めていたと言った。 イクエ門はその言葉から思い当たる多くの 事実を回することができる 。三国には副将軍とも言われる身分であり ながら生活ぶりは驚くほど感素を極めてい た。身の周りのもの全て子用のものを別と して衣服も長度もむしろ粗末な品が多く などは行く度も洗い自ら糸を持って継ぎだ ものを用いた。第日本市変算のために書籍 だけは火を惜しまず購入したが骨董鬼物に は目もくれずまた新辺に人臓悲願の類いを 一物も置かなかった。 例えば人から歯観が届くとその署名顔の ところを切り抜いてカチ注しあは裏を返し て手帳を作ったり余白を張り継いで漁師に 使ったりする 。紙を無駄にしない意味もあるが重要なら ざるものを身の周りに置かないという 戒し目が主であった 。初法から送られるなども橋から人に与え 、いかに気候のものでも取っておくという ことがない 。思い返せばまさしく1日1日死を騎した 人の生き方だった。一死方向の他に何ひつ 執着を持たず、いつ死んでも悔を残さぬ 生き方だった。 門は今改めてそのことに 思い当たりの身に引き比べて心が救むよう に感じた 。この何がしはなかなか見所のある男だっ た。見つくにはやがて静かに続けたけれど もまだ合衆が取れずかつ己の徳した表 に囚われていた。いつでも信命を俺に くれるとは言った。おそらくその言葉に 偽りはなかったであろう。しかしそれは そう覚悟していたというに過ぎない。 はめいに池突き落とした時油断だなと俺が 言った。標法に囚われていた彼はその一言 で少年が外れたのだ。それで2度目には 突き落とされながら俺のそ小柄を縫いつけ た 。誠に彼が三国へ親命を捧げているのなら 抜き打ちに切られても照らしはできぬはず である。それ が油断だなというわずか一言のために心み 主重の文を超えて己の兵法についた。 しかもそのことに対してい坂も疑いを 持とうとしておらぬ。 糸間を使わすと申したのはそこを悟らせる ためであった。しかに彼は退国したという 。 俺はそのまま他国へやってはならぬと思っ た。自分で悟らぬなら申してやろう。それ がわずか何も主の縁を結んだよ見だ。そう 思って呼び返したのだが、彼はその胸を 聞くと顔色を変え即座に腹を切ったという 。 顔色の変わったのはおそらく自分の謝ちを 悟っていて俺の前に未練な姿をさらしたく なかったからであろう。それくらいの覚悟 はある男だった。その方たちの聞いてそう だろうと申したのはその覚悟がすぐに 分かったからだ 。何か考えが込み上げてきたかのように そこでみはふと言葉を切って目をつった 。イクえ門はああ、そうだったのかと思い ながら体中の神経が鋭く引き締まるのを 覚えた。 さっき三国は自分が若かったから無惨な ことをしたと言った。それはそのような 方法で何がしを試みたことが今は心を 痛めるのに違いない。しかし果たしてそれ が無惨なことだろうか。 侍の生き方の厳しさは厳しさが常のものに なりきることだ。 にその人でさえそのように自回しているで はないか。侍の方向はご主君に新命を 捧げるところから始まる。だが新命を 立て祭るということは生優しい問題では ない。その覚悟が過剰差の中に溶け込み 全く常のものになりきっていなければその 時に 当であろう。 何が向の少年ということを口にし命を捧げると言いながらそれほどの試みにも耐ることができなかった。国が彼を試みたいの方の厳しさがのようなものかを悟らせるためであった。 [音楽] [音楽] 自分が先に1個の侍として厳しく身じした 見つりの腰方を思い返せば、それはむしろ 慈悲であったと言うべきだろう 。だがこの俺はどう生きてきたか 。イクえ門は改めて自分を帰り見た。 そして立を飲むより他になかったのである 。 受けていく夜を込めて雨は小闇みもなく 降りし切り路の日のはる音が時より部屋の うちにひっそりと反響を呼び起こしていた 。

1944年(昭和19年)7月 『新武道』という雑誌に掲載されたようですが、水戸光圀を軸に侍の心得を説いた作品。光圀の士道がぐっときます。

【あらすじ】
 寛文年間、水戸藩のとのい番に現れた異色の兵法者。主君・徳川光圀のもと、剣技の粋と「忠義の真髄」が試される。一見、忠義一途に見えるその男に対し、光圀が仕掛けた過酷な試練の連続――。家常茶飯の中にこそ本当の覚悟が問われる。静かに燃える主従の心理戦の行方とは。

 本作『兵法者』は、山本周五郎が描く「忠義と覚悟」の物語。形式的な忠誠ではなく、日常の中に根づく本質的な覚悟を説く哲学的な一編です。武士道とは何かを真正面から問いかける、緊張感と哀感に満ちた心理劇。とくに徳川光圀の人物像が静謐な筆致で描かれており、彼の「無常観」とも呼べる冷静な判断力と情の深さが静かな余韻を残します。

【登場人物の一覧】
🔸徳川光圀(とくがわ みつくに)
水戸藩主。剛毅果断な君主でありながら、非常に深い人間洞察力をもつ。試練を通して家臣の忠誠の本質を見極めようとする。

🔸兵法者なにがし
名を明かされない剣の達人。光圀に仕える新参者で、忠義に厚いとされるが……。その言動と振る舞いが物語の焦点となる。

🔸三木幾之丞(後の幾右衛門)
若き家臣。冷静沈着な観察者であり、物語の証人としての役割を担う。光圀の心中を理解しようと努める人物。

🔸佐々助三郎・中野久左衛門
光圀の信任厚い家臣。行動力に富み、命を受けて兵法者の追跡・観察を行う。

■用語集
治民……人民を治めること
虚妄……うそいつわり
士人……さむらい
出精……シュッセイ・精を出して務めること
輸贏……シュエイ・勝ち負け
繙読……書物をひもといて読むこと
承服……相手の言うことに承知して従うこと
昂然……自信に満ちて誇らしげなさま
家常茶飯……日常茶飯。ありふれた事柄
再拝……二度繰り返しての礼拝
扈従……貴人に付き従うこと
泉地……センチ
致仕……官職を退き隠居すること
克己……コッキ・自分の感情や欲望などにうちかつこと
料紙……物を書くのに用いる紙

■この動画の目次
0:00 一
6:53 二
13:32 三
20:40 四

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#山本周五郎 #短編 #朗読 #小説

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