【ゆっくり解説】佐々木道誉『南北朝を彩った怪僧』
今回は佐々木同の解説をします バサ大名として有名な人だよね 佐々木同は英人4年1296 年に佐々木胸の子として誕生している 1296 年っていうことは佐々木同は鎌倉時代に誕生したってことだよね 後に佐々木同は佐々木さ宗の用姿となり国家を継ぐことになった 佐々木同の実名は高内であり足が高内は鎌倉時代には北条高時からの変により高と名乗っていたことが分かっている ほ足が高と名前が同じだったとは さらに公式文書では佐々木同も足が高も本の高と書くのが普通であり同性同盟ということになる そこまで一緒だとは思わなかったわ 昭中3年1326 年に放た高時は湿んだけどこの時に佐々木同も湿している 佐々木同の同揺は湿た時の名前だったんだよね 放場高時に合わせて失していることから鎌倉府の首脳部と密切な関係にあったと考えられている 佐々木同は北大海に拠点を持っており頂とも関係が深く鎌倉府とも良好な関係を気づいていた 大海って京都にも近いし鎌倉と京都を移動する時の通路にもなるし便利な場所でもあるよね ただし佐々木同は政治への関心が薄い放時を冷やかな目で見ていたのではないかともされているぜ こうした中で現稿の乱が勃発するも五代ご天皇は捕虜となってしまう この時に同じく虜となってしまった北畑友智の女名丸を佐々木同が行った話があるよね 五大天皇が楠木正や森吉と共に再び爆運動を始めると最終的に佐々木同よも討爆に家事を切ることになる 足が高屋に行った吉田により鎌倉幕府が 滅びると県務の申請が始まり佐々木同は5 天皇からかず国内の治療を安されているぜ 1335年に北条時行による中仙台のラが 勃発し足が高内が鎮圧に動くもこの軍の中 には佐々木同もいたことが分かっている 中台のラが終わると次の話があります お旅のそなたの働きは誠に見事であった ありがたきお言葉でござる そなたにかずさと伊豆の所を与えたいと思う そそれは5 代ご天皇も了承しているのでしょうか ままあその辺りは気にしないでくれ わかりました そなたには期待しておるはは [音楽] ここれって5 代ご天皇が激怒するやつだよね 当然ながら五代ご天皇は足が高が勝手に論交渉を行ったことに激怒し日田吉田や脇や義介を対象とする軍を派遣している これが県務の乱の始まりです この時に足が高校明字に引きこもってしまい足がた吉が対象として出人しているぜその時の様子を見てみましょうか だめじゃ勝てぬここはとりあえずニ田吉田に幸福することにたそうニた吉田ならわしを悪くは扱わぬだろう前は急げじゃ 佐々木同がった吉さに願ってしまうとは 足川が高が引きこもりから復活し自ら軍を敷すると形成は立ちまち逆転してしまうその時の様子を見てみましょうか どうやら日軍の副省である脇屋介の軍から大友が願り高内殿が有利になったようじゃなここでわしが願えれば勝負りとなるであろう皆のもの我らは足が軍に願えることに至す 佐々木同はすぐに足が高内に願っていたってことかしら これが箱根竹の下の戦いであり破れたニタ軍は東海道を配送し足が軍が追いかける展開となるぜ これ以降の佐々木同は足川爆府のために尽力することになるんだよね ニ田吉田を破った足が高京都に軍を進めるも北畑秋家の援軍もあり九州に落ち伸びている それでも短期間で復帰しを次外に追い込んでしまうんだけど 足川軍は機内に乱入し定軍と戦うんだけど次の話があるぜ 長軍との戦いで名のある我が進化たちも多くなくなってしまった さらに物資の不足もあり表老領の設置もせ ねばなる前戦い抜くしかなかろう [音楽] 京都での戦いて足川勢のワンサイドゲーム のようなイメージがあるんだけど実際には かなりの激戦だったみたいなんだよね剣務 のランが終わると次の話があります よく来てくれたの教越死国でございます そなたは寿命員に働きかけ公言の前を獲得できるように働きかけてくれたしわしは超的認定されずに住んだ いえいえ当然のことをしたまででござる 多くの犠牲を出しながらも戦ってくれたそなたには感謝の印として若さ守護を任せたいと思う わかりましたOK これからもわしをしっかりと補干してくれ は [音楽] おお佐々木同が若さに就任が高内は5 代ご天皇を有平台ご天皇は吉野に逃れて南北町時代が始まったわけだ なるへそ 憲務式目が制定され町爆府が始まったんだけど務式目の第 1条には次のようなことが書かれているぜ 権約を行はるべきこと あれ佐々木同よってバサで派手な服装を好んだり権約とは無縁の人なんじゃないかしら [音楽] バサラに関して述べておくとバサラの5 元はインドのサンスクリットで金剛石やダイヤモンドを意味するバーシャラから来たのではないかとも考えられている バサラは派手な人が多いしダイヤモンドみたいにキラキラしているからバーシャラがバサラになったってことかしら [音楽] ブブーありゃ ダイヤモンドは鉱物の中では頂点の硬さがありその硬さから削ったり切ったりすることは極めて困難だダイヤモンドはその硬さから全てのものを砕くことができ硬い強い負けない力が全て力以外に屈しないなどの意味が持たれるようになったと考えられている [音楽] さらには遠慮がない派手などの意味が含まれるようになったとされているぜ 連想ゲームみたいな感じで意味の捉え方が変わっていった感じかしら 最終的にバサラは無法権威に屈しない派手などにつがり変的なものを破壊する意味もありバサとなったようだ 現代で言えばロックとかパンクのバンドみたいな人につがるような印象もあるよね ただしバサラが本当にインドや仏教と関係しているかは分からない部分も多いようだ でも県務式目で約を行うように推奨したんだから佐々木同もバサをやめるのかしら 佐々木同には次の話があるぜ どうやら権務式目ではバサラ禁止とも取れる分源が入っているようじゃなわしは知らんそんなものは他のやがやればよいわしは絶対にやらんぞ それでこそバサラじゃ さすがは佐々木堂よ元祖前田刑事にも思えてきたわ 室町爆府の基本方針はバサの禁止だったんだけど佐々木同やのもなおなども特に反対した話がなく今まで通りに行っていたようだ [音楽] 佐々木同よらは自分たちは適用外として考えていたんじゃないかしら 北畑秋江は5天皇の要請により欧州軍を 率きいて条落軍を起こし関東では芝居を 破っているぜ県務5年 1338年の正月に欧州は鎌倉から美野に 向かい青野原の戦いで時寄りと軍を破って いるそういえば時寄りとして扱われてたり もしているよね北畑秋江は大海を通過する かに見えたが黒川でこのもろ安らが徹底 光戦の構えを見せたことで伊勢に向かって いる青野原の戦いの後に佐々木同はミの境 のあたりに陣を敷き伊勢方面の敬語をし たりもしている佐々木同のこの佐々木秀川 城を陥落させるなどもしているぜ 運中には佐々木同の小犯が押されており佐々木同は大海における重要人物だったことは間違いないだろう 佐々木同の反がなければ武士たちは音証をもらえないわけだからね 佐々木同には次の話があるぜ そなたのこの活躍は見事なものであった ありがたきお言葉でござる そなたを大海守護に任することにいたす おお待ちください大海守護は代々に渡り 佐々木一族のである六角士が継承してき ました京家の私が大海守護になるわけには いきませぬわしはとなたは必要と思って おるし是非とも大海守護になってもらい たいわかりました私が大海守になりまする 頼むついに佐々木同が大海守護にまでなっ てしまった 大味は六角士が継承するのが普通であり慰例の事態になってしまったと言えるだろう それだけ佐々木同が室町爆府にとって重要人物だったってことだよね 北畑秋家が石の戦いで破れて去さると爆府は佐々木同に吉野の攻撃を命じているぜ ここで次の話があります どうやらよの攻撃の命令が下ったようじゃな わしは軍勢最速を行いよの攻撃に参加しようと思うまずは軍勢最速じゃな記述を決めて武士たちを集めることにたそう [音楽] あちゃ佐々木同よってやり手っていうイメージがあるんだけど物事が決してうまくいくってことでもないみたいで [音楽] 1340 年までには五代ご低三決や五代ご天皇地震も放慮しており南長の脅威は薄らいでいたわけだ 世の中は一定の平穏を取り戻すことができたって感じかしら こうした中で次の話があるぜ お前は勝手に枝を追ったじゃろう綺麗な枝 だったから追って家に持ち帰ろうとした だけだよここの枝を勝手に追ってはいかん これは問題行動じゃな何をあは佐々木同様 の嫌雷だよお前らみたいな茶坊主があに 意見するなんて許せないこうしてやる お前らの言うことなんか誰が聞くかおお前 は自分のやったことが分かっているのか 当然だよこの茶坊主ゆ許せん 貴様は出てけわ佐々木同の部下が妙法院ご所の枝を追ってしまったんだよね [音楽] この話を聞いた佐々木同には次の話があります 何?若妙法院の枝を売り揉め事を起こしたじゃと許せんわしは自ら 300 の兵を引きて両法員に向かおうと思う [音楽] 兵を引きて何をしに来たのですか こんなところはこうしてやる [音楽] ここれはやりすぎなんじゃないかしら [音楽] 太平気によるとこの時の佐々木同の怒りは凄まじく妙法院 5章を焼にしてしまったとある 妙法院ご所焼内事件は佐々木同のバサ大名としての人間性を語る重要ない話にも感じはするんだけど 佐々木同の明法院ご書所焼き打ち事件なんだけど同時代の資料だと明法院ご書と対立したのは息子の佐々木秀費秀でつだったようだ 佐々木氏の誰かと対立したのは事実だけど佐々木同が焼き打ちを行わなかった可能性もあるってことか 佐々木 同々木秀明と対立したことは事実であり 遠略寺は幕府に佐々親子をバするように ゴ訴しているこれは当然の流れだよ遠略時 はないこれを受けて佐々同んだけど次の話 があるぜわしは欧州の罪になってしまった かまあよい猿の川を身につけた服装で友女 も加え主演を開きながら京都を出ることに いたそう猿は遠略時の真獣であるがな [音楽] そろそろこの行列も解散じゃなわしはルケ にはいかんで十分じゃ [音楽] ここれって許されるのかしら 佐々木同は友女も加えたど派手な演出一の出に向かったんだけど行ったのは大海までだったとされているぜ 友女がいたり主演が開かれていたらとてもには見えない 実際の佐々木同は処分を受けた8 ヶ月後には足川吉の命令で伊勢方面への出兵が命じられており佐々木同のル材は形式的なものでしかなかった 遠略時が起こりそうだけど 佐々木同の復活があまりにもスムーズであり苗法院焼き打ち事件は爆府の暗黙の了解のもで行われ目的は非山の勢力削減にあると考える専門家もいるぜ 比山って5 代ご天皇を何度もかまっているし南長とも関わり合いが深いから潰しておきたいっていうのはあったのかも [音楽] 1341 年に出雲守護の円や高さが突如として出本する事件が起きているぜ ここで次の話があります 出雲守護の縁や高サが突然出本し自害してしまった その話は聞いております わしは公人の出雲守護にはそなたを任命しようと思う わかりました受けさせていただきます佐々木同がついに出雲守護になってしまった [音楽] 佐々木同は大海若さなどの守護にもなっているんだけど一時的なものであり出雲守護だけは強国士で継承されることになるぜ 大海守護も結局は六角士のものだからね 佐々木同雲のために尽力した記録もある 1347年になると南のクの木の動きが 活発になった楠の木正は細川清や山な時の 軍勢を大破したんだよね足川た吉は南の軍 を打つために出人命令を出しているぜもと クの木の間で試場の戦いが勃発しのモ直が 勝利している この野直は吉野に神軍し焼き払い京都に帰還しているぜ こ野諸なおは大戦を上げて京都に帰還したんだよね 対象的だったのは佐々木同であり次の話があるぜ 大和で南長の軍に襲撃されわしは負傷し着男の佐々木秀で胸は戦してしまったそれにわの軍は損害が大きく多くのものを失ってしまった 戦いには勝利したが苦すぎる戦いでもあったなこの野もなは多くの戦化を上げたんだけど反対に佐々木同は多くの犠牲を出したってことかしら [音楽] 観能の常乱が勃発すると足がたよしとの諸直が対立している ここで皇野直な直が軍勢を集めてご所巻きを行うんだけど次の話があります どうやらこのもなが軍勢を集めて足がた吉殿を攻めるつもりのようですな このもなからしてみれば執会認されたことで腹の虫が収まらぬのであろう 我らはどのように動きましょうか わしは大海に残るからそなたは軍を引きてこのもなに味方してきてくれ わかりました この先どうなるかわからぬしわし自身は高内とのにもたよしとのにも弓を引かない態度を取りたいと思う なるほど 父上は状況を見極めたいと思っているのですな その通りじゃお前は京都に向かってくれ わかりました [音楽] こ野の諸名直のご所巻きの時に佐々木同は所両がある大海にたんだけど息子の佐々木秀で綱はこ野の諸の軍に加わったってことかしら 一般的には佐々木同はモナお派とされているんだけどこ野の諸の戦王に同じバサラ大名として反カを持っていたのではないかとする見解もある 佐々木同のバサラって風流って感じがするんだけどこの野のもなおのバサって女性をはべらかすとかちょっと下品に感じて方向性に違いがあるようにも感じるんだよねあくまでもイメージです [音楽] 高野直の所巻きにより足がた吉が執客し高河野直が執頃って九州では足カがただ冬の勢力が強くなってきている頃だよね [音楽] 足が高はこの野のモロナおと共に九州生に向かうんだけど次の話があるぜ わしはこ野のも直と共に九州生に出る ならば足がただ冬殿を討伐するための前が必要ですな そこでじゃそなたに抗言の前を獲得してきて欲しいのじゃ わかりました私が近しいに話をつけ高言に前を発行してもらうようにしましょう 頼むは 佐々木同は無事に高条の前を手にすることができたんだよね ただし足がた吉が突如として大和で巨兵し南長にも幸福してしまったわけだ この時に佐々木同には次の話があります な何?伊勢に痛い指導よりが大に攻撃を仕掛けてきたじゃと大に城を気づき守りを固めるようにせよま待てよ今の混乱した状況では上は難しいであろう [音楽] 当時に入り防美を固めることにいたす 佐々木同は当時に入ったみたいなんだよね ただし観能の常乱では足川たよしが圧倒的に有利であり足が高やのもなおの敗北が見えてきたわけだ ここで佐々木同は次の行動に出ます どうやらこう野のもなおの負けのようじゃなわしはたよ殿のに願えることも可能じゃし そうした方が覚えも良いはずじゃしかし 負け草に付き合うというのは高内殿にとっ て大きな信頼を得ることじゃろうそれに ただよ殿の目的はこのもなお排除であり 高殿を倒そうなどと思ってはおらぬわしは 負けることは分かってはいるが高じ殿を 指示し続けることにいたそう [音楽] 観能の常乱の第1 ラウンドは足川た吉の圧勝だったんだよね うち浜の戦いで足カが高は破れのもなお野のも安の兄弟がさりますが足が高と吉は牧している [音楽] 佐々木同は最後まで足が高に従い魔け草を付き合ったとも言えるでしょうね 和僕がなされると足がたよしは佐々木同様及びより秋吉が時より安らの初料をアドしているぜ 願ったり叶ったりの展開でしょ 高と吉の間では僕が結ばれるも足がた吉は南長との交渉や音症問題などで爆府内での居場所をなくしてしまう こうした中で佐々木同は次のような行動を取っています わしは南長に暗がえたすこれからのわしは南長の武将じゃえこれってどういうこと [音楽] ちなみに間の赤松も南長に暗返えしているぜ 佐々木同と赤松のリスって関係があるの 佐々木同の娘が赤松のリスだ [音楽] バリバリ関係していた佐々木同松典の南長 クラえ事件に関しては様々なことが言われ ておりよくわからない部分が多いしかし ご村上天皇が佐々木同に高内吉明た吉の 討伐命令が出されており佐々木同が南兆に 幸福したのは事実だったはずだ足川が高と 吉明は佐々木同と赤松の討伐に向かうんだ けど足川た吉は東西から高内と吉明に ハミ打ちにされることを危惧し北陸に出 てしまった足がた吉を指示する石堂よりは 伊勢から大海に進出しているぜ石道より って何気にだと思うのは私だけかしら 足川たよは鎌倉に移動し足が高は南に幸福し軍を引きいて鎌倉を目指すことになる足が高が南長に幸福したことで翔平一等となりが 1つになったんだよね 京都の守備は足川義あが担当したんだけど佐々木同との間で次の話があるぜ おでしょうか そなたが南長の武将となりわしも南長の武将になれて嬉しく思う どどうしたのですか わしはそなたこそが佐々木大僧だと思っておる 佐々木氏の僧は六角寄りとのでござるが いや六角うよりは湿気しておるしそなたが頼りだと思うておる わ分かりました わしの期待に答えてくれよ はな [音楽] 何よこの佐々大卒業っていうのは この時の足が吉明には何かしらの不安があったのか佐々木同様を大いに持ち上げていたということだこ [音楽] この人もよくわからない人だよね 足川が高は足がたよしを倒すことに成功するも近畿では南長の軍が翔兵一刀を吐棄しを攻撃してきたわけだ 足川義あが皇族を置き去りにして逃げてしまったんだよね 足川義あなんとか京都を奪感しているんだけど北長の高言条公明皇天皇大使の直が南に拉致されてしまった ここで北長の皇族を取り戻そうと交渉に入ったのが佐々木同であり次の話があります な なんとかして北朝の続を取り返さねばなら ぬよよしわしが自ら取り返してやる [音楽] 佐々木同心に北の皇族を取り返そうとして おるような 皇族たちがいなければ室町爆府は権威なき団体になってしまいまする ならば北の皇族は絶対に返すわけにはいかぬ その通りです 我らが本拠地であり山きところにあるアノ馬まで映すことに至いたせ はは あちゃあ佐々木同が交渉しても失敗になってしまうとは 佐々木 道って海層みたいなイメージがあるけど全ての物事が成功するわけじゃないっていうのがよくわかるわ 延体略によると佐々木同が北朝の皇族を取り返そうとしたことで皇族たちは山奥の馬で拉致される結果になったと書かれている これだったら何もしない方が良かったのかも 室町幕府は北朝の軍隊という位置付けをさ れていたんだけど北朝の皇族がいなくなっ てしまったことで北朝を復活させる必要が 出てきたわけだ足川吉明や佐々木同はご 高言天皇の即意を目指すもクとの調整に 入ったのが佐々木同だ佐々木同は高言上や 工業天皇の母親でもある講義門員に天皇を 指名してもらうための交渉に入った その時の様子を見てみましょうか何か用があるのですか やっぱり怒っておるな率直に言いまする町府では新たなる皇族を立て天皇になってもらわねばなりませぬ それがどうかしたのですかな そこであなた様に新たなる天皇を指名してもらいたいのですが 私は上ではありませぬ天皇を指名することはできませぬ 我々がなんとかしますので是非ともお願いしたいのですが 1つ言っていいですかな?なんなりと 南長の軍が攻めてきた時によ明は何をしていたのですか そそれは 私は吉明が皇族も守らず大に逃げてしまったと聞いておりますが やっぱりそこを疲れるか まあよ明殿のにも何かしらの考えがあったのではないでしょうか 皇族も守ろうとせず皇天皇交代士の全てを置き去りにし自分だけが助かろうと逃げてしまうような人に何が爆府ですか?肩払いたいというのはこのことだと思いますが 言っていることは分かりますがここであなた様に天皇を指名してもらわねば皆が困ってしまうのです ダメなものはダめです第1 私は天皇を経験したこともないし天皇を指名できるはずがないじゃありませんか わ分かりました出直してきます これは絶対に講義門員の言っていることが正しいというか英期だけにちゃんと説教るし [音楽] 抗義門員の言っていることは正論なんだけど長を復活させないと皆が困ってしまうわけだ それだけ権威が重要ってことでもあるんだけど バサラというのは権威に屈しないなどの要素もあるんだけど佐々木同は権威の重要性が分かっていたのだろうこの辺りは同じくバサラ扱いされる時寄りと音の違いだと言える 時より塔なんて酒に寄っていたとはいえイなのか犬なのかとか言って北の地点の君の社を襲撃してしまったわけですから 佐々木同はあらゆる方面から義門員を説得し抗議門員が折れてご高言天皇の戦争が決まり北長が復活している それでもご高言天皇は正党性に疑問があるわ 山義が温の取り継ぎを佐々木同に依頼した話がある 佐々木同は理由をつけては歯ぐらかし怒って放気に帰り父親の山な時うと共に南長に暮してしまったんだよね [音楽] この辺りは山な時うの動画を見て欲しいと思う観能の常乱も終わった 1352年に次の話があるぜ な何?高殿の聴心である相葉明妙丸がわしを残しておるじゃとわしと吉明殿の関係を問題したようじゃなしかしこのようなことを言われるのはわしにとって不意であるわしは柏わ城に居いたす [音楽] 何佐々木同が柏は引きこもってしまった じゃと死者を派遣し佐々木同様を説得する しかある前 [音楽] 佐々木同様は吉明の死者に会おうともし なかったんだよね が吉明の死者と面会すらしなかったのは佐々木同が欲しかったのは足が吉明からの説得でも詫びでもなく相妙鶴丸からの詫であり抗義だったともされているぜ この後に佐々木同はどうなったのかしら よくわからないんだけど間もなく星に復帰していたようだ うんなんと言えばいいのか 1352 年に南長の楠典や石道よりふさが京都に攻めのってきた 今度は足川義明はご天皇と共に逃亡したんだよね 足川吉明はご高言天皇と共に大に入りのまで逃亡することになったこの時に戦闘が行われ佐々木同の着手の佐々木秀で綱がう時にしている 佐々木同の周りってなくなっている人が多いと思うんだけど佐々木同も軍隊を派手にしたとかで狙い打ちされたなんてこともあるのかしら 武蔵の活戦で勝利した足が高校天皇の要請もあり教を目指し足が義明と共に京都を奪還しているぜ 1354 年に足がただ冬が山谷や石道よりと共に条落戦争を起こしたけだ 当然ながら足が高坂本に移動し京都を明け渡しているんだよね 足川義明は佐々木同や赤松と共に観南山で戦いとなり爆府軍の勝利に終わっているぜ戦いが終わると次の話がある よくぞ来てくれた共越死獄でございます そなたをかずさの守護に不認しようと考えておる わかりましたOK 今まで通りに励んでほしい は 足が高の死護である1359 年にはひ国の守護にもなっているぜ 出雲以外の守護は長続きはしなかったんだろうけど佐々木同が外科されているのかが分かる話だよね 足川高は1358 年に亡くなっており足川義明が光継者となった 足が高う字がなくなった時により秋が執を引退したんだよね この時に次の話があったわけだ おびでしょうか2 期より秋が引退してしまい執がいなくなってしまったのじゃがどうしたらいいものか ならば細川寺とのが執になればいいと思いますが 細川寺 は戦いでは一生懸命働いてくれるのじゃが戦しか取り絵がないとも感じるのじゃ 足りない部分は皆で補えば良いのです 分かったならば細か用児に執になるように要請してみることとする それが最善でござる [音楽] 細川寺を執に推薦したのが佐々木同んだよね この頃の佐々木同は武建制同与とも呼ばれ爆府内でも目屈死の実力者だったわけだ 幕府内であれだけの活躍をすれば室町爆府の住賃にもなるでしょうね 室町爆府では細川寺の発案により大規模な南攻撃の軍を起こすことになるぜ関東からは鎌倉の足が桃子が援軍として畑山国用を近畿によしているぜ 南長の楠を破るも撤退し再度出兵したんだよね 京都に吉長を残しての出平であり細川寺の出平は明らかに違和感があったようだここで佐々木同が細川清寺と面会することになる その時の様子を見てみましょうか 小度の出平の真の狙いは南長ではないようですな 分かっていると思いますが2 期長を排除するべきなのです ここには半日派の諸が集まっておりこれからどうするつもりでしょうか 京都に向かいに吉を打つもりでござるわかりました私は京都に戻りますので協力してことを進めましょう お願いモス私は京都に戻りまする どうじゃったであろうか 細川きは吉長を打つもりでござる ほ本当なのか?吉川はわしを立し迎え打とうとするであろうな よしあ様は助装して細川寺の陣でお逃げください わ分かった 佐々木同は足川が吉明を密かに京都から脱出させたんだよね 2 期長は爆府にいられなくなり伊勢に逃亡しの地に南兆に幸福してしまった でもこれを見ると細川清寺と佐々木同はうまくやっているように見えるわ 佐々木同と細川企業寺の間には様々な体があったとされているこうした中で佐々木同は細川寺を残したことが太平気に書かれているぜ この辺りは細川清寺の動画でもやったよね 細川 清寺は結局は爆府にいられなくなり若さに逃亡するもうまくいかず南長に幸福してしまった 本当に南長って爆府で居場所をなくした人が行く場所になっているわこれが度々起きるから南長は息を吹き返すんだろうけど 1361 年の暮れに南長は細川清寺の木正典石道よりふが京都に進行している 毎度のことながら足が吉明は大海に逃げるんだよね この時に佐々木同も落ちしたんだけど次の話があるぜ ここれが噂に聞く佐々同の宅なのか あなたは楠木正典様ですね そうじゃが ご主人様がここに来たものをモてなすようにと命令されています 南長の軍に属するわしをモてなすというのか はいその通りでございますゆっくりとして言ってくださいませ わかった [音楽] 良き時間であった感謝いたす お褒めの言葉をいただきありがたく思いまする 皆のもの佐々木殿の宅を焼いてはならぬわしはこの見事な宅を壊したくはない [音楽] 室町時代の人って落ちむしゃがりとかで宅も破壊し略奪するのが当たり前なのにこんなことをしててもいいのかしら [音楽] 太平気にある話なんだけど楠木正典が佐々木同に出し抜かれただけとする意見もあるぜそりゃそうでしょたぬき親父の佐々同にしてやられただけって感じもするからね ただしこの後に佐々木同とク正典は急し南北町の和に動くことになった 楠の木正典は和平論者であり佐々木同と関係を深めて南北町和に動きたかったってことだわしかし現実的にはなかなかうまくいかなかった部分が多い 南北強一まではまだまだ時間がかかるからね 足川が吉明は柴高値に執になるように要請するんだけど次の話があるぜ 柴高のやは4 難の柴行を執とし自らが貢献人となる考えのようじゃな普通で考えればわしの娘向こうである三難のしうじよりを執とするべきであろうわしは柴高のやり方に納得がいかぬ [音楽] なんか柴ネと佐々木同の中が見悪になりそうなんだけど [音楽] [音楽] 柴高の三難であるしよりの妻は佐々木同の娘であり佐々木同はしうよりをすもし高は 4 難の柴義を可愛がり執としてしまったわけだ ああこれは佐々木同が激怒するやつだ さらに次の話もあるぜな何わしが担当して いた工事を後期の遅れを理由に柴が完成さ せてしまったじゃとこれではわしの面木が 丸つれではないか [音楽] 柴ネなんか佐々同揺が起こってばかりに 見えるんだけどここで次の話があるぜ今度 私が花火の会を試催しますので是非と越し ください わかりましたその日は開けておきますのでよろしくお願いいたすいや佐々木同が被災する花見なら行かぬわけにはいかぬわ [音楽] 柴田勝も同日に花火見の会をしているというのに来てくださっただけで嬉しく思います それにしても多くの人じゃ これでは柴田勝の花見に行ったものはいないのではなかろうか まあそうなりますかな柴の花見と同日に佐々木同も花見を開いてしまうなんて [音楽] 佐々木同は一流の文化人でもあり多くの人々が集まり今度は柴高が面木を潰されてしまった 柴も若守護の石橋和吉を介認し自ら若守護に就任するなど敵を多く作った時期でもあったわけだ [音楽] こりゃ柴も長くは持たなそうだよね 足川義明は柴高討伐のための軍勢を集めると柴は柴吉田種や吉と共に越前国に落ちびていくことになるぜ 柴は越前で老路老戦のさ中に亡くなっているよね 細川清寺や柴は執になるもずれも佐々木同と対立する形で室町爆府を追われることになるぜ佐々木同は牽制ある実力者に下の不満を救い上げ行動に移した組に相手を執客させていたという [音楽] [音楽] この辺りが佐々木同に海層のイメージを与えているんでしょうね それと同時に足川義あは佐々木同様深く信頼していたことも分かるはずだ 1367 年に鎌倉久保の足が桃子が亡くなっているぜ この時に足が吉明と佐々木同の間で次の話があったようです おびでしょうか 知っているとは思うが鎌倉の足がもがなくなってしまった なるほど 関東をどのようにするのかをお考えのようですな わしは足が元のこの足カがう鎌倉にしたいと思う わかりました そなたは説明のために関東に向かって欲しい ぎでございます 1 つの説として関東を佐々木同に任せようとしたとする話もあるんだけど実際には足がう光を鎌倉にするための説明に言ったとされているぜ この時の佐々同ん高齢だから関東に行っても職務に耐えられないんじゃないかしら ただしこの後に足川義あもなくなってしまい 10 歳の足川義光が光継者になった足が義光を細川雪が関例として佐になったんだよね [音楽] [音楽] 足川が吉明が亡くなってから数年後である 1373 年に佐々木同は78 歳で亡くなったことが分かっているぜ この江道つぐは佐々木同を次のように表しています 佐々木同揺がついに亡くなってしまった ようじゃなこのことは日記に書き汁して おこうそれにしても佐々木同事な男じゃっ た佐々木同代以来の大名なり このエ道つぐは佐々木同様を高く評価して いたんでしょうね佐々木同様とかカビ屋 派手 海層大名などのイメージが強いのではない だろうかしかし佐々木 同様は足川高やが吉明の信頼を得て入りな工作を行い政治力を発揮したと言えるだろう 佐々木同は先の名があり南北町時代を見事に生き抜いたと言えそうだよね 個人的にも佐々木同は風流があって好きな人物でもある でもこういう人って敵に回したら大変そうだけどね [音楽] まあそういうところはあるだろう 今回のベースになっている書籍がこれだ [音楽] 南北町部将列伝と足画の時代太平気の時代などの書籍ってことだよね 概要欄にURLを貼っておきます 買いたくてたまんねえぜ 今回はこの辺で終わろうと思います チャンネル登録及び概要欄からブログなども見てくれましたら嬉しく思います 最後までご視聴ありがとうございました 次回もよろしくです [音楽]
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足利尊氏
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25 Comments
/"(  ̄△ ̄)"\ノ高校当時世界史選択でこの頃の日本史にはあまり詳しくないけど、南北入り乱れたり複雑なのね。
歴史ゲームの題材になれば、興味を持って学べるのでしょうけど、光栄さえもこの時代には出してないし、どんなゲームにするかも決まらないからゲーム化は難しそうね。
陣内孝則さんの高笑いのイメージがあまりにも強すぎますー
今回は道誉でどうよ
佐々木道誉主人公で大河やるっていうのもアリだと思うくらいネタが豊富な方ですね
陣内孝則の鶏の刺繡が入ったド派手な衣装しか思いつかない
小説の話だけど、道誉の部下が主人を呼ぼうとしたら足利の方の高氏が振り返っちゃうエピソードがなんか好きだった
佐々木道誉回待ってました!
道誉は、卓越した外交感覚で乱世を生き抜いてきた強か者だ。築き上げた人脈は、尊氏に匹敵する。
直義亡き後、幕府が機能していたのは、道誉の存在があってこそ、執事に立てられた者共は自惚れて没落していった。
尊氏が真に後事を託したのは、盟友とも云える道誉だ。義詮が道誉に頼りっきりだったのは、それ故。
道誉は、他者とは金の使い方が違う。接待で、主に使ってる。その上、どこでキーパーソンに頼るかをわかってる。宗教勢力と揉め事が起きた時、寺社仏閣とパイプのあった直義に頼っている。だから、問題が解決してるのだ。
道誉は外交で、政治の直義・軍事の師直の上位に立っていた。しっかり、値踏みもできている。最も、書生には理解できない感性。
佐々木道誉=陣内の人は、きっと北条高時も好きよね
陣内孝則さんももう御年66歳ですか……。
陣内道誉のあの何処か狂気を感じさせるバサラな眼差しは、子供心にも実に印象深いものでした……🌇
いつから僧?
好き勝手やってるようで、ちゃんと根回しができている。
権勢の世界に生きる人間がそれをできたら、そりゃ政治力持つよね。
「道誉なり」の印象が強烈すぎて、キングメーカーなイメージです😅
佐々木道誉ってどうよ
足利殿は花はお好きか?
佐々木道誉も「源 高氏」なんですよね。道誉の女婿は赤松則祐ですが、則祐も古今伝授を受けた当代一流の教養人で、しかも幕府禅律方の前任者後任者の関係です。
大河ドラマ「太平記」の陣内演じる佐々木道誉がすごく良いんよな
大河ドラマで陣内孝則さんの道誉役は印象強かった。最終回で病床の尊氏が見舞いにきた道誉に、「初めて会った30年前から、友だと思っていた…」と語る場面は熱くさせられた。初めて尊氏が忍びで京に行った時に出会い、節目節目を共にしてきたが、初対面の時は高氏(尊氏)は道誉の言動に煙にまかれたような表情していたような…とも思うのだが…
晩年に戦乱を逃れて豊前国に隠棲していた大舘氏の末裔を見付けて、娘婿として足利幕臣に取り立てたので恨む気がしません。この時代の人たらしの天才ですね。
南北朝時代のカオス、無茶苦茶さに比べたら、戦国時代のほうがまだ秩序ある時代に見える
同じ戦国武将が何度も大河の主人公になってるけど佐々木道譽こそ一度大河でやるべき人物だと思う
逸話には事欠かないだろうし
佐々木判官、思うところあり寝返り御免。カッコよすぎ。
やっぱり陣内孝則さん演じるイメージが強いよね
あの「これはしたり」という時の半笑いの顔が好きです
同じバサラでも名家の君主である道誉と、執事から成り上がって女漁りしてた師直じゃ
格も違うし趣味も合わなかったんだろうなと勝手な想像
道誉の孫のまた曾孫が、戦国の梟雄と言われた尼子経久。
いつか、大河で主人公にしてほしい。
陣内孝則さんも何らかの役で出てほしい