【朗読】「草原からのメッセージ」人類史において“遊牧”という文明は、どのような役割を果たしてきたのか?【時代小説・歴史小説/司馬遼太郎】
[音楽] 今回は柴太郎の草原からのメッセージを 紹介します 私どもはこう皆さんも同じですがモンゴル というと懐かしい感じがしますね生まれる 前にえそこにいたんじゃないかという感じ が日本人の大抵の人にするようであります そのそれはこの論る と遺伝子が発達遺伝子の研究が発達して 色々行く通りものテストの仕方でえどうも 僕らは何万年か前にバイカル子のほにいた らしいですなえその反応は中国や韓国には あまり現れなくてえバイカルコの仏の ブリアートモンゴルというモンゴル人の中 でえのグループでありますそのそこに たくさん現れて日本人にもたくさん現れて え 大変うん 面白い人であります京都大学のも名誉教事 に習いましたけどもひ先生という方の方法 とそれから私にのイカ大学で古いイ下大学 が 大阪イカ大学というのはありますがそこの 学長さんのテストこの2つとも別のテスト の方法ですけども2つともワイカルご飯で あります えまよく日本人はどっから来たかとこれは あの島国でありますので寂しくてしょうが なくて自分はどっから来たんだろうとそう いう風に思うわけでありますえ [音楽] 大抵の民族は自分は何であるか自分の アイデンティというものを考えるうんこれ はあドイツ人でもフランス人でもあります がえ日本人はどうも遠い海の向こを覚う らしいでえそれがたまたまえ2つのテスト の方法でえ バイカルコのほとりだったとああなるほど 日本人がモンゴルというと非常にえ 懐かしいえ仏教の言葉でえ部門未称以前の 自分という言葉がありますが部門というの はお父さんお母さんのことであります未称 は未だ生まれざる前の自分は何かと全問答 中でよく言いますようんそれは別にえ人類 学的なことを質問してるんじゃないんです けども部門未称以前の自分というのはどう もバイカル後半にいたのかもしれませんな うんまあ え 今我々はあの物を作りすぎて物を持ちすぎ て物に頼りすぎてえ暮らしてることに ちょっと疑問をちょっとどころか大変な 疑問を持ち始めて今の文明 は崩れるんじゃないかという危機っていう のはもう誰もが持ってます その間別の場所で別々の場所で若い人にえ 結婚をしない理由とそれから子供が生ま ない理由をそれぞれ述べてのを聞いたん ですがえ地球はなくなるかもしれないから とこれ はえ大変な時代になったなと思いますしか しながら え我々にはモンゴルがあるんだと別に モンゴル行くんじゃないですよつまり今の モンゴルは随分いろんなえ科学技術があり ますしウランバートル大学ではえ原子力 物理学を研究してる学者もいますしかし ながら本来のモンゴルは燃料もいらないん ですえ油も買わずにえ 家畜たちが草を食べてそしてお乳を出して そして排泄をしましてその排泄が大変な 感想する土地でありますのでえ乾燥します と非常に綺麗なえ髪の毛を丸めたような 渦巻場のものがえそそこに落ちてますそれ を申しますと青いもう考えられないです けどガスの人と同じ青い炎が出ましてカこ は相当ありますアルガリと言いますえそれ でえ 紀元前うん数百年前からそのようにして あのさ冬の寒いところでもあったかく 暮らしてきたんですのあのパの中はオルの ようなものがアルガリによってできてます からえ今あのもうちょっと違う燃料です けども本来アルガリですからえ私に モンゴル語を教えてくれたえモンゴル人は アメリカンボーイでしたモンゴル人なん ですけどもえちょっとこのうんハーバード 大学かなんか行ったもんですからもう すっかりヤンキーみたいになってしまって 人ギス館の本当に潜んだそうですけども 人ギス感もなくだろうと思うような無断 でしたその278のその青年 がうーん人臓病になりました日本が寒いの でえ立派な感謝に住んでんですよ立派な 感謝に住んでてこう今でもいいうちです うんそこでもやっぱり冬冷えてですねえ 腎臓を荒くしてえパウにいたらこんなこと がなかった呟いてましたそのぐらいパが あっかいでえー人間がえー家畜が草を食べ てえーそして大きな大地の中で暮らしてて えー 地球に少しもご迷惑をかけずにえ暮らし てるという暮らし があるんだ と思うとあ企科学でいう補助より も吐かないえ安土感ですけれども補助線を 敷くと答えが出るような具合にはいかない にして もこの地球の中にモンゴルという国がある んだとそしてえ地球にえ少しもかけずにえ 生きてきたんだとえ人類はえ 他の生物やそして地球の空気にまでお厄介 になってそしてご迷惑の掛け放題をして おるけれども迷惑をかけなくてえやってき た人たちがいるんだとそれは1つの文明で あるということを思うとえま思うだけで いいんでえ我々は決して遊牧はできません あれはえ子供の時から筋肉を鍛えなければ ああいうものは大変な労働ですからえ モンゴル人と腕相撲して も私は買ったことはも日本人とやっても 負げますけどもえ大変な筋肉の力がどうも 彼らにはあるわけでえそれでもってやっと できるわけですから我々がその真似はでき ませんけども核の安心感としてえ モンゴル人が思う とこう湧いてくるものがありますこれが えーを思う時が集まるということのまず トランキライザーのもう1つですいくつ ありますいくつありますけどもえそれを 今日話しに来たわけでもないしえ皆さんの お顔を見ながら話することを考えてるん ですけどもうん [音楽] 私は そのえー 何から話していいかな そのパタールとか奪たとかというような 言葉がありますがえこれどうも13世紀 以後にえ世界に広まったらしいんですね 私は脱端というのは言葉が子供の時は好き でしたえダッタ人はあ川を着てますから ですねえ今布を着てますけれども今のモゴ は布が川ますもんですから皮であります うん川辺にえ発達するの立つが作りタも 川辺にえ一旦のタ一旦関球のタ一旦家に 帰りますの作りはそうですえヨーロッパに 行ってるとヨーロッパ行かなくても元々 あるという言葉を中国人は脱端と翻訳した わけですうん 陳官 があ小さい時に父親が死にましたその時は モンゴル光原というのはえタールという 部族が部族ということは当たらないですが タールというグループがえ支配してました うんですからたーるという言葉が事実官が えモンゴル工芸の支配者になり世界の支配 者になってもあヨーロッパ人はタールと 呼ぶようになりました タルタルステイクというのはありまして ですな皆さんご存知にフランス料理の中で 生肉をえ突き崩してえ出る料理であります うんよちょっとこのなかなか勇気がいり ますえしかしモンゴル人が生肉を食べる わけでないのにえたたるならこのぐらいの は食べるだろうと思ってきっとついた名前 に違いないまたるというのはえ地獄という 意味が入ってましてギリシャ語かラ後か 忘れましたがえ地獄という言葉と重ねてえ そういうようにしました まえ人ギス館というのとるというのはどう も重なるらしくてうん 私はポーランドの女性に去年なんかなんか の表紙で会った時に紹介する人がえ私の ことをこのしばさんと一緒は若い時え モンゴル語を勉強しましたと言ったらその 人はどうもモンゴルこの人はモンゴル人 ですと聞き間違ったらしくてえ13世紀に ポーランドにあなたたちが来ましたと私に 北方ランド女性は言いましてですね非常に 綺麗な女性だったんですけどもえその時私 は特に親しみを持って笑顔を悪すべきか それともどうもすみませんでしたと言う べきかちょっとこの戸惑ったんですが ポーランド高原も行きましたえ このお色々話はやがて1つのものになって いくんですがえいろんな子流という山の中 から子流が出てきてえ大きな川になって いく大きな川になっていくとように話をし ますえ例えばあ国流という大きな顔があっ てロシア人はアムールと呼んでるわけで あるアムールという大きな顔がありまして これは主流の1つの最後の子流というか 最初の子流はえモンゴル光原から出ており ますんですよでもう地球をぐるっと回った ぐらいになってずっとえ我々がマン州と 呼んできたとこの北の方の境を流れて流れ て流れてカラフトの対岸の宴会のとこで海 に出るわけであるそこは海と言っても海峡 でありますえ江戸にマ宮林という人がそこ を探検してえま海峡というのはあこれはあ シーボルトさんが世界に報告したんです けれども今のロシア人はタール会として ますですね脱端会あタール会あの辺をる 会教というならああの辺にいる人々も称る かしらとつまりえ称るという言葉はですね どう分範囲が広くもうと非常に古くから 広くなってるらしいえ本来はモンゴル人の ことでありますえところが非常に古くなっ てるらしい人官の爆発からそうなった らしいえそれともう1つはえ 私どもの先祖は明治心までちょんまげを 行ってましたなここ男の人はここの逆焼き を剃ってましたあれはなぜ取ったんだろう というのは定切はないんですけれどもお これは僕の説じゃないんですがえ新俊身 さんがえ喋りながら言い出したことなん ですけれどもあれは原発だろうと原発って いうのは定義難しいんですこう編むことが 原発という思ってますがそうじゃなく て剃ることが大事なんです中国人以外は 剃ってました 中国人は沿ってませんえずっと大昔から神がこうなって周辺のつまり北アジア北東アジアにいる中国人でない人々ゴル人もそれがトングースと言われてる人たちも活というか東洋師で言う人たちもった それ具合が少しずつ違ってて特から見ても あモンゴル人が来たああれはトングースの 女心の連中だということが分かりました2 本 はおよそ古代 から剃ってましたま紙剃りがないから抜い てたんでしょうな痛かったと思いますけど え 奥げさんは剃ってなかったんですそれは 奈良町の頃から沿ってなかったのは検闘地 に行ったりしなきゃいけないあるいはえ長 というのは中国文明を受け入れて国家を 作った時代ですからですからえとか官僚は そ奈良にいる奈良の都にいる官僚は沿って なかったでそうでない人々はどうも剃って たらしい それでうんと下がりまして えー 戦国時代になりますとお今川吉本ってのは よく織田信の話で桶に打たれた人がいます ねあの人はえ九中から偉い暗いもらって 少々かなんかもらうからま俺はおげだと 思ってえちゃんとこのま剃らずにして曲げ をつけてました織田の村が剃ってましたな え映像を見て分かってますで徳川イアス 以後徳川県の将軍はえくいは大変高いん ですけどもあのクに真似てこんなとこ神を た蓄えることをするなと高焼きとそれと 将軍は歴代15人とも剃ってますうんだ からこれは日本人の伝統として剃ってるえ どう もモンゴル人がしてるわけないんですよ昔 のモンゴル人ってのはどっか剃ってた トングースもどっか剃ってた剃ってる連中 を叩たると言ってたのかもしれませんなえ 脱端と呼んでたのかもしれないあの脱端 海峡がそんなにカラプトの向いまである ぐらいですカトの間の会長まで脱タン会長 とロシア人が名前をつけたくらいですから うん私は脱端という言葉が好きです から草言の気を書く前にえ 脱端録という書を書きましたこれは モンゴル人ではなくてえさっき言った女人 のこれ人ってのはこう何人だか言いにくい もう1つの名前じゃないもんですからもう ピチャッと言ってイメージが浮かぶ人々 じゃありませんのです我々と同じ文法の 言葉を喋っていわゆる満州の南の方のにえ いましたあるいは国立校で鮭を取ってる人 もあ著心人の一派でしたえこの人たち が中のグループで農業をちょっとだけやっ てたやつがいるやつって言ったら失礼です けどえ農業を少しやりますとですね農業 帝国を支配する能力がつくんですかねあの うそこから起こった人が民を滅ぼして真 清らかな方の真を起こしたわけでえ新長 200年というものは中国の歴史の中で 1番よく収まった王朝であります移民族で え女新人が人口にして50万もいなかった でしょ50万がえ当時2億はいたろうと 思われる中国人を支配しておってえそして え 皇帝がメク揃いですなえ要請も国規艇も 権流艇も全部第9というより特別クラスの インテであってそして支配者としては無視 であ私心がなかった中国の歴史の中で3人 も続け様にそれも大のインテリでえ死針の ないメクを出したのは新長だけですそれは 移民族で新長は自分たちの民族を満州と 呼んでました 万獣ねどうもそれが地域名になって いわゆる中国東北長州と呼ばになったこれ 西洋人が最初でしたマンチーリアと呼んで ましたで日本人も真似してマン州と呼ぶ ようになりました ま日本人が戦前にそのうん満州にえ法天と いう法天というのも中国の 名前今信用と言います信用と言いますが うん土地の女新人の言葉では無電と言い ます というとこにえ街を作ってえ大きな図書館 を作りましたえ熊本の大国と学校を ストライキで中滞になったえ人があ少し年 を取ってえ図書 館長なってえ本を表しましたでそこ の満州人満州人ってマン州にいる中国人 じゃないですよえ保有にそこにいた人保有 にそこにいた人えそれを僕が今さっから 申し上げてる女新人というかま殺人という かドングースというかえそして我々日本語 と同じ文法の人たちえその人たちのことを 調べてえ昭和10年頃にえ1冊の本を書き ましたでそれは子供の時に私買ってきて 持ってて今で思ってますがえ題名が脱端と いう題名でしたこの脱端という題名があっ てえ安心してえ脱端執風録という私は第2 したんですが脱端をつけた差のあまりそう したわけでありますま脱端の話でこだわっ てるんですが 昨日伊俊彦先生というえ 大正3年生ぐらいで対象年ぐらいなると 年寄りの姿になりますな これは偉い学者ですあの無論世界一の哲学 者ですえご自分で哲学を構築した意味の 哲学者じゃなくてえ哲学研究者としてはえ 世界一であることはもう2番目がいないと 思いますあのい にお会いしましたい慎子先生っていうのは あ 初めは慶王の言語学科にお入りになって 言語が好きで好きで好きでお入りになり ましたねえ私は語学ができない耳はあり口 は悪いもうどうしようもないんですけど 伊術先生はもう天才的な物覚えの言い方で そして変な発音でもそのまま発音できるお 口を持っていらっしゃいました小柄な方で ありますでこの伊豆さんが昭和123年頃 無論20歳の青年でしたでこの人は学問を する人には珍しく学問を効的に考えたこと がないらしい学問というのは大学院残っ たらどっかの先生になれるだろうという ようなそして学会で名前が出るだろうと いうようなためにあるもんだと我々は思っ てますけどそういうもんじゃ本来なものが あります初代のインド の木の下に座ってる人のようにですね10 昭和123年の伊術青年はお父様がお 金持ちであったということも幸いしまして ええアラビア語っていうのは後乱という もん読みたいと思えばアラビア語アラビア 語やりたいそも誰もアラビア語なんか教え てません昭和156年頃に東京外と外国 学校と外国大学と大阪大学にアラビア語が できましたがそれ前の話だほんでもうそう しょうがないから独学でやりました独学で やってもなんとか目ハがついたんですけど もお人の話にえアラビア人が2人東京に来 てるといや2人じゃない最初は1人でした すごいお年寄りだけども会いに行けて 行こうとこれは大学者なもんだから あのあるいは高齢だからどうだろうかと かまひまずにえて行かれたそうですがつい てきた人は恐れをなして途中で逃げて しまって1人で訪ねたらしいんですけども アラビア語を教えてくださいえその人はえ 自分はアラビア人アラビア語を勉強してる がアラビア人じゃなくてタールであると これもまたそのタールな世界を持ってます なそのう顔を見ると西洋人の顔をしてます そして顔は普通の人の2倍あるそうですな 大きな人がそ年はって言ったら100歳だ というんでありますしかしどうも青年月日 から想像して95歳でしかないようなん ですけどまあ死者5をしてる95で飛者5 できるかどうかしいませんが100歳だ それで確釈としておらえてですねえタで ある とはこの場合のは何だろうと脱端海峡ので もモンゴル光原のターールでもモンゴル人 でもなさそうだと顔が西洋人でえ非常に 有大な体をしらえてえ目は非常に深くて ですね黒い目なんですけどもえ見つめ られると少め体が救むような鋭い目をされ ておるでえこの場合のールはえ人官がえ 世界帝人間の世界帝国にな西洋人も日本人 も侵略だとでモンゴル人もごく最近まで 侵略だとのみ教えられましたがそれの世界 史的な意味を後で申し上げますですけど今 とにかく この100歳の大きな人の話をしますえ そのお今ロシア のロシアの1番大事な川はボルガですね ボルガの川の中流の辺りに遊牧してた人が いてそれがタールでありますえロシア人が 呼んでるタールであるえタールとか モンゴル人とかというもの はえーステップがあれば遊牧するであるで ステップというのはえ木が1本も生えて なくてこのぐらいの草がこの10cm感覚 ぐらいに無限に広がってるのをステップと いうわけでありますでそこでなければダメ なんですですからあの水電があったり大根 植えたとこはダメなんですですから ステップからステップにずっと行くとです ねえモスクあたりもステップですでさらに 行くとカフカス高たりもステップが少し あります今あの色々紛争のあるうん スターリンの生まれた辺たりもステップが ありますそのに行くとポーランド光原 さっき言ったポーランド高原にもステップ がありますハンガリー工原にもステップが ありますそこまでは行くんです人間たちは そこまでは行くんですそっから向こうは 行かなかったのはステップがないからです ですからえ侵略がそこで止まったというの はえ単にステップがないからですステップ にを行くだけでありますステップを行く えーステップからステップ行くんであり ますがブルガーの中中流あたりもステップ でありますでそこにえロシア人なんかが 来る前から流木しておったわけだそして そのやがてそれが事ギ官の配管になってえ 言葉はトルコ系だそうでありますモンゴル 語じゃなくてモンゴル語の兄弟言葉の トルコ語であるのグループが遊牧しておっ てしてたらえ訂正ロシア があいつできたか分からないようにして ロシアのロシアってのは本当に新しい国な んですえふにゃふにゃっとしてできてきて ですねゆ安大というご存知の恐ろしい大底 が偉い元気な人でえ訂正ロシアロマノの 基礎を作りましたえその時にやられちゃっ たはいらないんであのこのボルガ中福の 中流のはやられましてですね植民地下され てひどい目にあってひどい目にあってもう 苦しんで苦しんでして訂時代を過ごしまし たら霊人革命がボリシェッキーという革命 が起こりました これ人間ってのはおかしいですねそんなに 苦しめられたんならねえボリセキ万歳と 言えばいいのに訂正ロシアが懐かしい そんなバ鹿な話がないんですけどやっぱみ もうすっかり懐かしくなっちゃったえ 懐かしくなった人とそのある時期から イスラム化してたんですな アラーの神になってたわけですえあの実家 なってたのでえボリセキはよというので えー あるグループ はあロシア革命と戦う人がいわゆる白軍 ロシア革命波は石軍になってこっちが白軍 になって戦っていわゆる満州ぐらいまで出 てえ出てきて結局破れるわけであるある グループはその自分は自分たちはイスラム だからパンイスラムニズムと パンリムということでえ世界のイスラムも 1つになろうというのはもうちょっと古代 妄想の考えを起こしつこれはボルガナ中流 にいた人ギ官の末裔 のロシア革命における姿であるでディスカ の末裔 もモンゴル直系の末裔じゃなくてブランチ の末裔でなぜかと言えばトルコ喋ってます からえそれは長い間 のおあれでもって根結をしておりまして ロシア人の顔になってます西洋人の顔に なってますそれ がうーん 僕ら子供の時にえ 革命を嫌っ てロシア人がラシウなんかをしておりまし た皆さんのお父様かなんかにお聞きになれ ば俺も見たとかいうのをよくご存知だはず であります発景ロシア人ってのをご存知 本当はただだそうですなほとんどはつまり えスラブ人じゃなくてタールだそうですな でそのロシア人たちはもうめんどくさいん だロシア人だと日本はえ戦後西洋人の顔見 たらフランス人にもお前アメリカ人かと いう国ですからねフランス人が嫌だった そうですな日本に行くのは嫌なのは俺の顔 をこう出すと子供も大人もお前アメリカ人 かとこう言うから嫌だとだけど白人言う たらいろんな種類があるんだということは あんま学校では習ってても連日ではあまり 知らない国ですからロシア人が流れてきて え昭和の初年に流れてきて昭和10年 ぐらいまで流れに流れて日本に来ました うん ま成功した人もいるんですよの うというチョコレートご存知でしょう ま成功した人もいるんですよあの モロゾフというチョコレートご存知 でしょうかあモロゾフさんあの発見 ロシア人で成功しましたねチョコレート屋 さんで神戸でお菓子屋さんがあります最も そのもさんは元気にいい人です今でも80 近いんですけど元気が良くてえ私はタール じゃないんです私はスラブル人なんですで 私は別にいいうちじゃないんですえただ 父親はね 太ってましたと太ってるがためにですねえ 太ってるやつは全部射されたんですね革命 の時にえこれは金持ちでタク食ったん だろうとほんでそのどうもこれは逃げた方 がいいというのであの日本人がマ州マン州 と言ってるとこに逃げればいいんじゃない かとあるいは倍になったら日本まで 逃げようというのでお父さんが小さな 小さなものさんらを連れて列車に乗って ずっとした止まるごとに出てこいて言って 行ってみんな見て太ってるやつだけを残し て停車場で車するそうだでお父さんはその 都度免は俺はコックだとこ言ってたコック はみんな太ってますなで室族さんは今神戸 でモ族というチョコレートをやって成功さ れて先日中にその商標を他の日本人に捉え てしまってしょうがないもんですからえ 日本人は別に今でも諸くという チョコレートをなってえそのロシア人 の本当のモ族さんはえコスモポリタンと いうおかし屋さんになってますからやしい ですけどもええ何にしても つまりロシア人というものはですねえ我々 のとこにえ落してやってきたラシャウリの ロシア人というものはほとんど [音楽] がたるだったということをこの頃になって知りましたよこの頃になっていましたその本当にこの頃になっていましたあのだけどま伊先生は 12年か3 年ぐらいのその頃大学 院してえ若い女子だったですがえ伊術青年がねんねって言った [音楽] え90何歳の人はえタルでその人がそんな 俺はこう来たのはえ日本に何か助けて もらいたいと思って来たんであってお前に アラビア語を教えるために来たんじゃない と俺のアラビア語は政党の古典的な アラビア語でえ俺はあ海峡都として きちっと勉強したんだけどもアラビア語の 教師えをするつもりはないとだけど だんだん伊豆青年が可愛くなってしまに 我が息子よと言っても抱き合うような中に なってしかし他に用事があってもうすぐ俺 の同京のターールのもう素晴らしい イスラム学者が来るからうんそれにならえ とやがてその人があの日本に来て代々木に の辺りの1立ちの新立ちの家にえ住んでる というのでえていったそうでありますあの 僕は日本人の忍は最近悪くなったという話 だそうですけどその頃は良かったんですな そのその大きな畳ールで誰が見ても ロシア人ですが西洋人ですがそれがお金 なしでえ新立ちの家の矢矢主んとこ来て ここに住ましてくれと言ったら家賃は いくらだと言ってさんが言ったそうですそ し たらお金がないんだとじゃあ一間だけ借り ますかね1だけならいくらとそのお金も ないんだとじゃああなた何にもないの言っ て何にもないんだとね少しだけ何かで収入 があるとじゃあねあのね入れのね上の段 だけ貸してあげますとほんで後ろの上の段 だけ下の段はあの布団が入ってますから上 の段だけ借りてですね1日中上の段で寝 たり起きたりしておってでお客が来たら その前の部屋を使うことはただで許して あげますという話ですねほんでいず生年が 尋ねてきた時には入ってよろしいという アラビアが聞こえてやがてえ今に上がった んですけど誰もいない誰もいないからどう したのだろうと思ったら押入れの妻が1人 に吸ってあいて上野段から大きな大きな 西洋には落ちてきてですね俺がなんとかと いうものだというとこ始まるらしいんです けども大昔のギリシャの賢い人もそれから インドの政者たちえ木の下に座ってる政者 たちも本は皆したそうですなそのイスラム 学者 はえ重要なイスラムの古典の本は全部なん 何ページ何あるてびっしり暗記して本は1 冊も持ってないそうですでまイ先生にえ お前は本を持ってるけどそれは間違いだと 本というものは丸記すべきもんなんだとだ からイず先生に物事を考える方法をまあ 1000年以上前の人間から学んだような もんですね先生私の学問はその2番目に あったからの恩でありますとえま昨日 たまたまたるという話が出てでイさんは私 のそのラッタンシップロというのと草言の 気を読んでくるはってで特に草原の気がえ 非常に自分は好きだとかなんとか おっしゃってくだってるけど本当は 脱端疾風録の題名が好きなだけみたいです なたという言葉が好きなんだということの ようでありますで私も子供の時からだった んという言葉が好きでありました そのだったん私こうやって喋ってますけど も何分喋ったのかな ちょっと待ってくださいよあんまり長く 喋ってまだ退屈でしょ これは時計を持ってないですな え この世界っていうのは面白いもんでして ですねあのギリシャにヘロドトスという 偉い歴史学者がいました歴史家ですなあの うん 歴史という本を今でも岩波文庫に何冊に もらってえあります面白い本です実に 面白い本紀元前の人です論ギリシャ文明の 栄えてる時の人ですえこのヘロドトスって のはやっぱり歴史家というのはどうもあの 歩いたり観察したりしなきゃいけないもん らしいですな家の中で本見てたり大学に 帰ったり することで歴史は成立するもんじゃなさ そうで歩いて歩いてえものを見てえする ことが基本のようですギリシャという 大文明 すごい文明ですなこんな偉い文明は ちょっとないぐらいの偉い文明そのも人間 のこのものの考え言葉っていうもの数字と かそういう記号にしていって哲学を考えて いったえとにかく文明ですからもう大変な 文明でありますそのヘラもその1人であり ますがどうもギリシャのちょっと向こうの お国会の国会っていうのはバリチック艦隊 が出てきたとこですな今国会というのはえ 北の方にえ 猛朝みたいに半島がつまらない半島 ちょっとこう国会に突き出てまして かぼちゃみたいな格好でしょでそれのお へその辺り に半島が突き出ててクリミア半島と言い ますなあの辺りはステップです 今はスタリン時代からあそこは高級官僚の 別荘地になってヤルタという町もできまし てえなんだか知らないですけどゴルバ町が あそこでえクデタが怒ってるぞと言われて 飛んで帰ったとこもその国会の北眼である そしてうん 日本 の後始末をどうするかとまだ日本は大表 戦争バカみたいにして続けてる時にえ スターリン とおルズベルトとチャーチル とそしてえ ドールさんいたないたかな初回石さんい ましたよだけどメインはルズベルトと チャーチルでしたでスターリンは客分客員 みたいにして呼ばれてでスターリンが ジルズベルトはちょっと日本の実力を課題 に思いましたアメリカの青年をこれ以上 死なせたくないそのためにはどうそれが 参戦しなきゃいけないでそれが参戦すると 戦争は早くあるでそれが参戦した分の取分 を触れてやらないといけないで日本の旧 植民地の お まあこれは旧ロシア量であるとこれも在庫 上難しいところですがまロシアにすれば いいなスターリンが千島も欲しいと言った のかシマレットは日本の固有のシマレット 13ここは日本の固有の領土のはずです けどね外交論議から行ったらえスターリン はえ全部もらっちゃってそれから シマレット島でないシコタ前までもらっ ちゃっただからま日本人怒ってるわけです けどネムロン外交論議で1番硬く硬くこう いうだというのはクシリエトロフは シマレットの中では古っから日本だだから このヤル田怪談の取り組の中に入らない ですけどスタリは強田としたんでしょうな それが今の困難な外交問題になってますが えそのヤル田これは国宮半島にあってそこ がステップでありますそのえーステップに ですなヘロドトスカイを止めてたらですな 変なやつらがね飛んだり跳ねたりしてて それ馬の背中に乗ってんです馬の背中って のはねあの乗れるもんじゃありませんよ 最初に乗ったやつはやっぱり天才ですな馬 ってのはギリシャの兵隊さんが戦車を 引かしてる車輪のついた車を引かしておる ローマの兵隊さんもそうでした馬ってのは 時間に乗るもんじゃないんですけどそこに いる連中は時間乗っててですねそして大羊 をたくさん買ってるで羊をまヘロドトスは 羊をたくさん買ってるとですね羊を規制 するために馬が生まれ牙で持って回ってる と思ってますけども実際え文化人類学と いう不思議な学問が今進歩しましてえ今近 さんという人は昭和16年ぐらいに大発見 してモンゴルに行って内ちモンゴルでした これは遊牧というものを本質は羊を買っ てるんじゃなくて羊の群れに人間が入っ てるんだとこれ本当ですな羊は動くんです よ集団でその群れの中にこう人間が入って 誘導してる羊が動く通りに動いてるそれは 広々がこう見たらそのステップでえそう いう暮らしをしておるまヒロトスは買っ てると見たんですけどもえそれが好きたい というもんでしたつきたいという民族はね 西洋人の顔してますだけどどっから来た 西洋人かよくわかりませんイランから来た のかも分かりませんしイランはあの西洋人 なんですなんだかホ命さんがいて変人 アラビアみたいな感じしますけどもあ イランという国命は昔ペルシャだったのに ペルシャの方がずっといい国命だと思うの になんか西洋コンプレックスがあってです ねイランジは人種的にアーリアンなもん ですからアリアンをあの生りすると生綴り いうのはあの英語読みしたらアリアになり ますけど生りするとイランになりますなだ からイランというヨーロッパ人という国明 にしちゃったちょっと国形な感じがします けどえイラン人なのかあよく分かりません 当時はロシア人というのはこの地球にはい なかったどっかに草むに隠れたかもしれ ませんけどいませんでしたえロシア人が 出現するのは156世紀15世紀45世紀 方ですえこう動いて家まで動いてると家も パオなんですえモンゴル語でいうゲルで ありますえこれは家というものは大地に 固定したもんだと思ってたけど家まで 行こいてこんな不思議な連中はそしてそれ は攻撃もします商業もやる そのことを非常に不思議があって好きたい つきたいと言ってあの前巻にしばしあの出 てました私は赤線を敷いてみたら全巻に 赤線をしかざいませんでした要するに ギリシャ文明の外にいる素朴な人たちで しかも お好きはギリシャ文明も持ってたんですえ ギリシャ文明の本質はも論大学で習う場合 は哲学なんですがギリシャ哲学であり アリストテレスでありプラトンなんです けど我々普通の世間の人間から見たら文明 ってのはやっぱり聖堂の綺麗なあの道具 でしたを作る能力でしたそのを作る能力も 制動器も持ってんですもっとも制度を作る のは自分で作らずに人からもらう買う略奪 するそういうもんでしたあのうん服装は ですね それ服装は後で説明しますそれからえ そのスキとモンゴル光原の間にはえ ものすごい距離があります地学があるここ にあるとこう回さなきゃいけない ものすごい距離がある中にやっぱ人間は こうその途中に住んでましてですねえ 狩料をして住んでましたその資料をして それは白人もいれば我々と同じ顔の人もい たでしょうその人たちはもう資料ってのは 今日何かを取れなければ一族が植えるんだ というような不安なものでありますその 不安な暮らしを密林の中であるいは草原の 中で暮らしておった人が遊牧という システムをですねあのずっと知っていくん ですねそのどうも好きは何かの事情でえ よくわかりませんが東へ行くようであり ます東へ行くようでありましてその体の 暮らしの仕方を見てあこれを真似たら楽だ と羊の中で暮らしてたら食べんもの中で 暮らしてたと同じだと思ってそれに参加し ていくわけである参加していってあのこの 参加していくということは文明という遊牧 は文明であると文明っていうのはですね 文化と違うんである文化ってのはもう一言 で定義すると不合理なもんである物の文化 と言うんでえ毎日に月1月1日10月1日 1日になるとおさんに行く人があります 行ったってしょうがないのにおさんに必ず これからそのうん橋の揚げ下おろしって いうのは全部作法でありますえご飯を片手 で掴んで食べる人は1人もいませんんだ けど掴んで食べる方が早いんですけど マナーがあってえそのマナーはなぜおどこ してたしなきゃいけないんだと言ったら それは理屈言うなというあの文化である 不合理だけどもそれにえそれが文化である え正事の明けたてはちゃんと一旦日本座敷 ですよ座って開けてそして入ったらまた もう1度座って開け閉めるとう足で開けれ ば早いんですけどもその合理主義じゃない んです文化っていうのはえ文明っていうの は徹底的に合理主義なんです我々は飛行機 文明にも参加してて飛行機文明に参加する のはチケットを買うことと離陸する時に ベルトを占めてくださいと言われると ベルト閉めたらそれだけで参加できるん 手柄なんですこれは文明でありますその 遊牧もその遊牧の仕方のメソッドを ちょっとこう覚えたらですねえ参加できる わけで ええどんどんどんどんどんどん広あのこう 行ってついにこのモンゴル光原ってのは ですね今日もモンゴル人の方が3人女性が 見えてますけどもえ地球上で1番遊牧の 敵地なんです注目の地はさっき申し上げた ようにステップが投げればいけないステッ プっていうのはねえうっかりしたら松の木 とか杉の木が生えちゃうんですけどもその 生えないところでいいでそのモンゴル光原 は無論あの別の場所行くと色々気が生えて ますけれどもえ綺麗に草がただしあれは 地面ほってもうと10cmぐらいの厚さ だけであと は地球の底まで ふ毛ですな10cmぐらいに川を張った ような硬い皇室の土ジが大地を守ってて その大地をさらに草の根っこが守ってて風 から吹き飛ばさらないようにして遊国と いうものは行われておるモゴル光源は 3000mぐらいの高さでしょうかえ すごいいいとこですそこでえ胸集まってき た法的地だと言ってわっと集まってきて 大団になったのが東洋市でいう強度であり ます前何百年か前の大勢力をなしてえした 教度強度の教という字はえハンガリーを 漢字で書くと教と書きますが今という字は あまり他に馴染みがないからそれからどっ というのはやっ光と書きます これ紀元前の話ですよそうしたらヘドトス がギリシャから眺めてたようにえ中国から え芝線というもう考えられないようなえ 柔軟な頭脳を持った歴史家がえ強度を眺め ておって強度の暮らしはこうだとそっくり ですな付き合わしたヘロドトスの記録と家 はこんなんで食べ物はこんなんでここで羊 の買うのはこうだとそれはもう不調を愛し たようですも年代は少し差があります ヘロドスのはちょっと上ですその京都千葉 線が観察しヘロドスが観察するまでに採決 があった間ずっと遊牧は地球をえ東の方に 遊牧が行ってたんでしょうなその2人の 観察者がなければ我々は分かりませんよ おかげ様でこうやって私は皆さんに聞いて もらえる内容を申し上げられのはこの2人 のおかげですでえモンゴル光原でえそう やって暮らしてる途中英コ整水がありまし た人ギ官的爆発ほら183世紀にありまし た事実館はそれまでの世界っていうの は民族ごとに国家ごとに壁がつくて世界は えマずのせの誤質はあるようなえ 生き苦しい廊下もない建物でしたジギス館 爆発で東京道務になったようなもんである 世界1つがあのこれはもう非常に大きな 文化の流れは世界史の大文化の流れは 変わりますですからえ人ギ官その人たちは あの別にまあねあのタールはロシア人は タールの区だとか言ったり自分たちの進歩 が遅れたのはタの区だと言ったり色々も 色々色々言いますけれどもえー そんな大したことないんであってですね 大きくはせがの流れが1つなったとま容い には1つにならないですけど1つになるに なったとえ東京道部になったということで ありますこれ詳しく言うとこれはこれで 面白い話あるんですけど今日はえ今年は 勝手ねあと5分であると言ってますから ですねえ人ギス館爆発における世界的意味 言うたら実に興味があります興味があり ますがそれ は抜けまし てえ人間というものはですね不思議なもん ですね私は子供の時にモンゴルを学んだ時 モンゴル人は土を掘ることは非常にタブー であるえちょっとした小さなものを作るの でもですね柱でを土掘らなきゃいけません からそれはいけないねパウっていうものは 土掘らずにできる建物でありますで 素晴らしい家であります僕は4日間そこで 寝たことありますけど夏ですからこんなに 気持ちなものはないでも言いそうですけど あれはあのフェルトで作ってあるんです フェルトで羊の毛の毛を踏み固めた フェルトで作られてんですけども気持ちの いいもんですがこれは穴掘らずにできる 建物でありますえ 農業も穴掘りますこれはいけないことで ありますえ 我々は穴を掘って畑を引っかき回してきた ものの子孫であります子孫でありますがえ 農業というものは文明の破壊を読むもん ですな農業100は尊というとかお米と いうのは 88回手間がかかるんだというのは最もで ありますけども最もでありましてそして 自然に帰れるという時には必ず農民のが出 てきたりしますが農民は絶対前であると 農業は絶対前であるとその通りであります けども遊牧人の目から見たらこれほどの悪 はないんですな もうこのいかにあくかというのはなで一言 4時15分に申し上げますがあのギリシャ 文明があんだけ賢い人たちがそして デモクラシーというのを最初に始めた人 たちがそして誰も哲学者のような顔をした 人たちにも論ろ普通の人もいたですけれど も素晴らしい文明があ夢のように消えて いったというのはですね人口が増えてき ましてそしてそのせさっき申し上げた金属 の製動機その他を作るのには木炭をうんと 作らなきゃいけないから木炭をうんと作っ てすんのには大伐採用するそうすると人口 を増えて下から羊も買う羊もいいんです けど羊をねこのね迂闊に買いましたらです ね羊ってものはねあのちょっと賢くない とこありましてですね羊は皆さんここには いないから悪口行っても羊年の人はいるか もしれませんあの置いといたらずっとこの そこで食べ続けるんですもう草の根こまで 食べ続けるんです翌年草が生えないんです ですからヤギを入れるそうですなヤギって のはチョコバカしてるそうですなヤギを 一等入れとくとヤギはもう本当にはいつき がないもんですからちょこまかちょこまか して気もあるもんですけど羊も引きずられ てどっか移動していくらしいですなだから ヤギってのは役に立つそうですなあのそれ は別としましてえギリシャの羊会たちは ヤギを入れなかったに違いないえま入れて ますけれどもあの人工が増えすぎて羊を 買わなきゃいけない草が少なくなっていく その草は食べすぎてでさらには正動機でえ 木端を作りすぎて地目を伐採しすぎてえ 補水能力がなくなってそれからえ地目が あるから水蒸機がふわっと上がって雲が できてまた雨が降るんですけどもそういう 循環がなくなってギリシャは赤の岩山に なってしまったわけなぜかと言えば風の きついとこですからえ照りた太陽そしてい られた砂それらは次の風によって運ばれて 後は岩だけになるえ土城ってのは世界的に そんなに暑いもんじゃありませんから事者 と言えでも薄かったんモンゴル光源の道場 は申し上げた通り本当に薄いんですあの おまじの川の方が無論が暑いですあの薄い のをもし掘りますとパーっとあとは 取り付ける太陽そしてその風持っていって もう2度とそこには草が生えませんえそれ がつまり中国は農業帝国ですから古代から 分からないだからもうただク1本があって 進出していってクの帝国主義あの期待期待 と言ってえ人がそこで遊牧したとこまでク を入れましてですね畑にすればいいように 思いましてで人民中国になっていいことも しましたが無知なこともしましたも プロレタリア大文化革命も低能そのものの 馬鹿げた暴虐な革命でありますけどもえ プロタリア文学革命だけでなくて北京は あんだけ人口がいますもんですからですね 野菜不足で常にですからあの銀行あれは 文庫に近いんです文ゴに近いんです内毛こ に近いんですその内毛こをガっと開拓させ たんです不命令でそれをしちゃいけないっ て人もいたろうと思うんですけどそれ初期 の間頃に私は中国に行ったことがあって あう中国人中国人に内モンゴルを開拓する と北京が砂漠になるって言っても賢そうな ことを言ったことがあるんですよそれその 通りになってます北京近衡まで砂漠が 押し寄せてますあの連鎖反応を起こすん ですあのフライパンで入り付けた小麦粉は あ焦げちゃんになるぐらいカラカラになり ますでしょそれ は砕いた農業で砕いた土というものは フライパンで夏にフライパンでいられる ようにしていられてそして次の土に熱を 連動さしてさらに熱をでその月の土も砕い てますからどんどんどんどんもうほい やがてあの季節が吹きますからもう 吹き飛ばしていくで北京付近まで砂漠が今 押し寄せてますそれはあの昔度が中国人が 来てそこに食れようとしたらちげって言っ てそれでトラブルが起こって中国側 の記録は中国側がありますから中国側の 記録では悪い奴らがだと本当に悪い奴らが だと乱暴な奴らだと本当に乱暴な奴らだと 言いましたがえこれ は今北京付近まで砂漠が押し寄せてると いうことではっきりとモンゴル側が 正しかった強度が正しかったということは 言えますそれからもう1つ言い忘れました あの服装について言い忘れました好きの 服装とえ強度の服装は同じであります そして人ギ官の服装13世紀の人ギ官の 服装も同じでありますそして現在の私の 服装もえ強度の影響でありますつまり ローマ人はズボ入ってませんなそうでしょ ローマの兵態ギリシャ人もあんな 変な白い布がわっと来てるだけである 中国人はえ様がゾろりとした服装をして おりますねズボというものはあるいは 連コトのようなものにベルトを占めると いうことはえ好き体及びモンゴル人が考え たことですなそしてこれズボンでないと馬 に乗れませんからそしてブーツを考えてえ ブーツを吐きますこれは古代からそうでし たえ これについての記録は中記録の国である 農業帝国というのは記録しますからね積ん である国物を記録しなきゃいけませんから 農業帝国から物を書く読む本を作る記録 するという文明が文化が起こったもんです から農業帝国のお得意なもんですから得意 なもんとしてえ強度の服装その他を記録し たものがあるほとんど我々と変わらない今 現在のこれは我々の洋服がいきなり京都 から学んだもんじゃなくて無論ハンガリー あたりまで行ってそれからフランスにある 時期に行ってフランスでえフランス もお色々右曲接があってある時期に イギリスで考えられたもんでしょうな元は 牙民族の服装ですどうもありがとうござい ました [拍手] 今回の朗読はいかがでしたかそれではまた 次回お楽しみに [音楽] [音楽]
💬中国東北部から東ヨーロッパへと続く広大なステップを舞台に、栄枯盛衰を繰り広げてきた草原の民。
匈奴 (きょうど)、スキタイ、モンゴル、韃靼(だったん, タタール)などその時々で様々な呼び名を持つ、
この草原の民と彼らが築いた「遊牧」という文明の意義について語る―。
【内容】
■日本人はどこから来たのか?
■ジンギス汗とタタール
■髪を剃るのがタタールの証し?
■韃靼(だったん, タタール)人が起こした中国王朝
■日本に渡った或るタタールの話
■ヘロドトスと司馬遷(しばせん)が書き記したスキタイと匈奴 (きょうど)
■『遊牧』は自然と共存する文明
【用語解説】
🐴遊牧(ゆうぼく)
牧畜(遊牧)を生業とする人々や民族を指す。
🐑ジンギス汗(ジンギス汗料理, ジンギスカン)
羊肉の薄切りと野菜をタレにつけて、ジンギスカン鍋や鉄板で焼いて食べる北海道の郷土料理。
🧔🏻韃靼(だったん, タタール)
かつてモンゴル高原の遊牧民を指す言葉で、特に明代の史料で使われた。
彼らは「タタール」とも呼ばれ、モンゴル帝国を滅ぼした後、北方に逃れて独立した民族を指した。
🧔🏻ヘロドトス
古代ギリシアの歴史家。
🧔🏻司馬遷(しばせん)
中国前漢時代の歴史家で、『史記』の著者。
🧔🏻スキタイ人(サイス人, 古典的スキタイ人, ポントスキタイ人)
古代東イラン騎馬遊牧民。
🧔🏻匈奴 (きょうど)
モンゴル高原にあって漢民族の農耕社会を脅かした遊牧騎馬民族。
前3世紀末、強大な匈奴帝国を建設し、漢を圧迫した。
📌目次
00:00:00『オープニング』
00:00:28『しおり1』
00:32:24『しおり2』
01:03:55『エンディング』
Correction:
00:00:28 🎵ノイズが有ります。(´・ω・`)
👦🏻司馬遼太郎(しば りょうたろう, 1923年 – 1996年)
日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。
日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
位階は従三位。
【主な代表作】
1955年『名言随筆・サラリーマン』でデビュー
1959年『梟(ふくろう)の城』
1962年 – 1966年『竜馬がゆく』
1964年『燃えよ剣』
1965年『国盗り物語』
1968年『坂の上の雲』
1971年 – 1996年『街道をゆく(紀行文)』
1976年『翔ぶが如く』
1980年『項羽と劉邦』
【主な受賞歴】
1960年 直木三十五賞。
1966年 菊池寛賞。
1968年 毎日芸術賞。
1972年 吉川英治文学賞。
1976年 日本芸術院賞・恩賜賞。
1982年 – 1987年 読売文学賞。
1983年 朝日賞。
1984年 日本文学大賞。
1988年 大佛次郎賞。
1993年 文化勲章。
1996年 贈従三位・賜銀杯一組(没時叙位下賜)。
【関連ワード】
藤沢周平, 邪剣竜尾返し, 臆病剣松風, 暗殺剣虎ノ眼, 必死剣鳥刺し, 隠し剣鬼ノ爪, 女人剣さざ波, 悲運剣芦刈り, 宿命剣鬼走り, 酒乱剣石割り, 汚名剣双燕, 女難剣雷切り, 陽狂剣かげろう, 偏屈剣蟇ノ舌, 好色剣流水, 暗黒剣千鳥, 孤立剣残月, 盲目剣谺返し, たそがれ清兵衛, 山本周五郎, 宮部みゆき, 池波正太郎, 鬼平犯科帳, 司馬遼太郎, 竜馬がゆく, 平岩弓枝, 向田邦子, 岸田今日子, 松本清張, 横溝正史, 江戸川乱歩, 赤川次郎, 西村京太郎, 夏樹静子, 村上春樹, 東野圭吾, 綾辻行人, 湊かなえ, 角田光代, 小野不由美, 浅田次郎, 阿刀田高, 宮本輝, 時代劇, 時代小説, 歴史小説, 推理小説, ミステリー, サスペンス, フィクション, ノンフィクション, sf, 恋愛, ロマンス, 童話, 絵本, ドラマ, ラジオドラマ, 作業用, 睡眠用, bgm
【関連リスト】
🖊️司馬遼太郎
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🖊️藤沢周平
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🖊️山本周五郎
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🖊️宮部みゆき
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🖊️平岩弓枝
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🖊️柴田錬三郎
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🖊️岡本綺堂
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🖊️野村胡堂
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🖊️谷崎潤一郎
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🖊️井上ひさし
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🖊️中島敦
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🖊️菊池寛
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🖊️水上勉
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🖊️宮本武蔵
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🖊️山田風太郎
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