【実話の物語】【78歳、一人暮らし】少ない年金で老人ホームへ…そこで私が見た“意外な真実”|これが、日本の現実です。【看取り介護の現実】
人生の最後の場所として選んだその施設で 一体何が待っているのでしょうか?長年 住み慣れた我が家を離れ、たった1つの 小さなスーツケースだけを持って全く知ら ない世界へ足を踏み入れる時、そこは本当 に安らぎの場所となるのでしょうか?それ とも想像していたものとは全く違う現実が 待っているのでしょうか?こんにちは。ご 視聴いただきありがとうございます。今日 はある1人の女性の物語をお聞かせしたい と思います。私の名前は荒川千代78歳に なります。今皆さんにお話ししているこの 場所は特別用老人ホームの私の部屋から です。ここに来るまでの道乗りは決して 平坦ではありませんでした。むしろ毎日が 選択と諦めの連続だったと言えるでしょう 。3年前まで私は1人で暮らしていました 。夫の太郎が亡くなってからすでに8年が 経っていました。息子のけ太郎は結婚して 東京で家族と暮らしており、私1人が横浜 の古い一見に残されました。最初の頃は 1人の生活も悪くないと思っていました。 誰にも気を使わず好きな時に好きなことが できる。朝は6時に起きて庭の花に水を やり、夫の仏壇に手を合わせる。そんな 規則正しい生活を送っていました。しかし 年を重ねるにつれて体の変化は避けられ ませんでした。最初は膝の痛みでした。 階段の登り下りが辛くなり、買い物に行く のも一苦労でした。それでも何とか自分で やりくりしていました。週に2回ヘルパー さんに来てもらって掃除や買い物を手伝っ てもらいながらなんとか1人の生活を続け ていたのです。天気が訪れたのは2年前の 春のことでした。その日は温かい午後で2 階の寝室から洗濯物を取り込もうと階段を 降りていた時のことです。3段目で足を 滑らせ、そのまま下まで転がり落ちて しまいました。幸い大きな怪我はなかった ものの右の手首を骨折してしまいました。 1人で倒れている私を発見したのは偶然 訪ねてきた近所の田中さんでした。玄関の 予備輪を鳴らしても返事がないので心配に なって裏口から入ってきてくれたのです。 救急車で病院に運ばれ1週間ほど入院 病院の は そう思うと背筋が寒くなりました。退員後 息子のけ太郎が仕事を休んで横浜まで来て くれました。 私たちは真剣に今後のことについて 話し合いました。健太郎は優しい子です。 一緒に住むことも提案してくれました。で も彼には妻と2人の小さな子供がいます。 狭いマンションに私まで住むのは現実的で はありません。それに私も息子家族に迷惑 をかけたくありませんでした。お互いに気 を使いながら生活するのは誰にとっても 幸せなことではないでしょう。そんな時 近所の佐藤さんから聞いた話が頭に浮かび ました。佐藤さんのおシュートさんが特別 用老人ホームに入居したという話です。国 の施設だから費用も安く最後まで面倒を見 てもらえるという話でした。私の少ない 年金でもなんとかなるかもしれません。次 の日私は地域包括支援センターに電話を かけました。担当の方はとても親切で 詳しく説明してくれました。特別用語老人 ホーム通称特用は介護が必要な高齢者の ための公的な施設です。民間の有料老人 ホームとは違い、国や自治体が運営して いるため費用が安く抑えられています。私 の年金額で計算すると月々の利用量は 8万円程度になるということでした。 しかし良い話ばかりではありませんでした 。担当者の方は申し訳なさそうに現実を 教えてくれました。 は希望すればすぐに入れるものではない。 全国で何十万人もの人が入居待っている 状況だということです。入居の判定は点数 性で介護の必要度が高く家族の支援が受け にくい人から優先的に入居できる仕組み です。私は妖怪さんと認定されていました 。決して軽い状態ではありませんが、より 重度の方がたくさんいるのも事実です。 担当者の方は複数の施設に申し込むことを 進めてくれました。少しでも早く入居 できる可能性を高めるためです。ケア マネージャーの山田さんと一緒に市内の 評判の良い3つの特用に申し込みました。 書類を揃えるだけでも1週間かかりました 。の診断書、介護認定の証明書、所得証明 書、家族の状況を詳しく書いた書類、1つ 1つに私の人生が詰まっているような気が しました。申し込みが完了した後はただ ひたすら待つだけでした。ケア マネージャーの山田さんはおそらく1年 以上は待つことになるだろうと言いました 。その間私は在宅サービスを増やしてなん とか1人の生活を続けることにしました。 週3回のデイサービス、週2回のヘルパー さん、月2回の訪問看護。それでも家に いる時間の方が長く、特に夜は不安でした 。また転んだらどうしよう。今度は誰も 助けに来てくれないかもしれない。こんな 恐怖が常に頭の片隅にありました。それで も日々の小さな楽しみを見つけながら 過ごしていました。庭に作節の花を眺める こと、好きなテレビ番組を見ること、昔の 写真を整理すること。1人の時間が長い からこそした小さなことが大きな慰めに なりました。家の維持も大変でした。古い 家ですからあちこちに不具合が出てきます 。雨盛りがしたり急闘機が故障したりその 度に業者さんを呼んで修理してもらうの ですが費用もかかりますし1人で対応する のは心細いものでした。近所の人たちは皆 親切にしてくれましたが皆さんも恒例に なってきています。田中さんも佐藤さんも 自分のことで精一杯という状況でした。昔 のように隣近所で助け合うという雰囲気は だんだん薄れてきているように感じました 。そんな中、息子のけ太郎は月に1度は顔 を見せに来てくれました。でも東京から 横浜まで電車で1時間以上かかります。 小さな子供たちを連れての移動は大変そう でした。 私は息子に負担をかけていることが申し訳 なく思えてなりませんでした。1年と8 ヶ月が過ぎた冬の終わり、ついにその電話 がかかってきました。ケアマネージャーの 山田さんからでした。声がはんでいるのが 分かりました。緑特別用語人ホームから 連絡があったということでした。3月の末 に一生秋が出る予定で私に入居の意思が あるかどうか確認したいとのことでした。 私は電話を握りしめながらただただお礼を 言うことしかできませんでした。山田さん は施設の詳細を説明してくれました。地区 に10年ほどの建物で前室個室ではなく4 人部屋もありますが、私が申し込んだのは 費用を抑えるための4人部屋でした。1人 部屋は月額が3万円ほど高くなるため、私 の年金では厳しいと判断していました。 入居の手続きには2週間ほどかかりました 。態度の健康診断、詳細な生活状況の 聞き取り、家族との面談、息子の剣太郎も 仕事を調整して横浜まで来てくれました。 施設の相談員の方はとても丁寧で、私たち の質問に1つ1つ答えてくれました。私が 最も気にしていたのは本当に最後まで住み 続けることができるのかということでした 。相談院の方は基本的には就寝利用が可能 だと説明してくれました。ただし医療的 ケアが高度になった場合など施設で対応 できない状況になった時は病院や他の施設 への店員が必要になることもあると正直に 話してくれました。それでも1人で家に いる不安に比べればはるかに安心できると 思いました。24時間体制で職員の方がい てくれる。何かあってもすぐに対応して もらえる。そのことだけでどれほど心強い かわかりません。家の処分も大きな問題 でした。長年住み慣れた家を手放すのは 辛いことでしたが、もう戻ることはない でしょう。不動産会社の方に相談して売却 の手続きを進めました。や思い出の品ジも 大部分は処分することになりました。45 年間住んだ家の中で私が自賛できるのは 小さなスーツケース1つ分だけでした。夫 との写真結婚指は母からもらった小さな 仏像大切にしていた着物1枚本当に大切な ものだけを選び抜きました。入居当日息子 のけ太郎が車で迎えに来てくれました。 私たちは無言で家を出ました。振り返ると 窓には売の張り紙が張られていました。 新しい生活への期待と長年の住を離れる 寂しさが胸の中で複雑に絡み合っていまし た。緑特別用語老人ホームは住宅街の中に ある4階建ての建物でした。外観は特別 美しいというわけではありませんが清潔で 手入れが行き届いている印象でした。 入り口には小さな花壇があり、春の花が 植えられていました。受付で手続きを済ま せた後、職員の方に案内されて4階の私の 部屋に向かいました。エレベーターの中で 職員の方は施設の概要を説明してくれまし た。1階には食堂と機能訓練室、2階と3 階は主に個室、4階は4人部屋が中心との ことでした。私の部屋は402号室でした 。扉を開けると4つのベッドが生前と並ん でいました。各ベッドの周りは薄い カーテンで仕切ることができるようになっ ています。 私のベッドは窓際で外の景色が見えるのは 幸いでした。荒川さんのベッドはこちらに なりますと職員の方が案内してくれました 。ベッドの横には小さなロッカーがあり、 その中に衣類や身の周りのものを収納 できるとのことでした。思っていたよりも ずっと狭い空間でした。 はんません。糖質の方々を紹介されました 。私の隣のベッドには渡辺老人がいました 。渡辺さんは76歳でほとんど1日中眠っ ているかボそボそと何かを呟いているかの どちらかでした。向い側のベッドには 森老人がいました。森さんは79歳で時々 大きな声で誰かの名前を呼ぶことがあると 説明されました。3つ目のベッドはその日 は開いていました。職員の方が部屋を出て 行った後、私は1人でベッドに座りました 。外からは車の音や子供たちの声が聞こえ てきます。普通の住宅街の日常の音です。 でもその音がとても遠くに感じられました 。夕食の時間になり、食堂に案内されまし た。大きな部屋にテーブルが並んでおり、 多くの高齢者の方々が食事をしていました 。私は指定されたテーブルに座りました。 同じテーブルには車椅子の女性と杖をつい た男性がいましたが、皆さん静かに食事を しており、ほとんど会話はありませんでし た。夕食のメニューは魚の煮付け、野菜の 炊き合わせ、味噌汁、ご飯でした。味は 悪くありませんでしたが、どこか物足りな さを感じました。家で作っていた料理の方 が美味しかったという思いが頭をよぎり ました。でも栄養を考えて作られているの でしょうし、文句を言うべきではないと 自分に言い聞かせました。夜になって部屋 に戻ると他の入居者の方々も就寝の準備を 始めていました。消頭時間は9時とのこと でした。家では夜更かしすることもあり ましたが、ここでは港と同じリズムで生活 する必要があります。ベッドに横になって から様々な音が聞こえてきました。渡辺 さんのネ生き、森さんの根返りノート、 廊下を歩く職員の方の足音。遠くから 聞こえる誰かの席。慣れ下寝台への静寂と は全く違う環境でした。眠ろうと目を閉じ てもなかなか眠れませんでした。これから 何年間この部屋で過ごすことになるの でしょうか?本当にここで幸せに暮らす ことができるのでしょうか?家を売って しまった。今もう後戻りはできません。 不安と後悔の気持ちが胸の中でうまいまし た。夜中に森さんが突然大きな声をあげ ました。ゆき子、ゆき子と叫んでいました 。おそらく奥様の名前なのでしょう。職員 の方がすぐに駆けつけて優しく声をかけて 落ち着かせていました。こうしたことが 毎晩のように起こるのかと思うと気が重く なりました。翌朝は6時に気象の アナウンスが流れました。朝食は8時から とのことでそれまでに身くを整える必要が あります。 洗面所は共同で順番待ちをしなければなり ません。家では好きな時間に好きなだけ 使えた洗面所もここでは限られた時間で 済ませる必要があります。朝食も夕食と 同様食堂で皆一緒にいただきました。パン 、卵、サラダ、コーヒーといった洋風の 朝食でした。量は適度でしたが、私はご飯 と味噌汁の和食の方が好みでした。でも 毎日メニューは変わるのでしょうし、 慣れるしかないと思いました。朝食後は 自由時間でした。部屋に戻ってもやること がありません。自賛した本を読んだり、窓 の外を眺めたりして時間を過ごしました。 家にいた時は庭の手入れをしたり、近所の 方と立ち話をしたり、何かしら忙しく 過ごしていました。でもここでは決められ たスケジュール以外の時間はどう過ごして いいか分からないのが現実でした。昼直前 にケアマネージャーの方が私の部屋を訪ね てきました。入居して1日目の様子を確認 しに来てくれたのです。何か困ったことは ないか、体調に変化はないか丁寧に聞いて くれました。私は正直にまだ環境になれ ないことを伝えました。ケアマネージャー の方はそれは当然のことですと優しく言っ てくれました。皆さん最初は戸惑われます が、だんだん慣れて行かれますからと 励ましてくれました。何か気になることが あればいつでも相談してくださいとも言っ てくれました。その言葉に少し心が軽く なりました。午後は昨日訓練の時間があり ました。理学療報士の方の指導で椅子に 座ったままで切る体操をしました。10人 ほどの入居者の方々と一緒でしたが、皆 さんそれぞれ体の状態が違うため個別に 指導してくれました。 久しぶりに体を動かすと気分も少し 晴れやかになりました。夕方息子のけ太郎 から電話がありました。初日の様子を心配 して連絡してくれたのです。私は大丈夫だ と伝えましたが、実際にはまだ不安で いっぱいでした。でも息子に心配をかけ たくありませんでした。職員の方々も親切 だし、食事も美味しいと嘘を交えて報告し ました。2日目の夜、開いていた3つ目の ベッドに新しい方が入居されました。石川 ゆいさんという70歳の女性でした。石川 さんは前日まで病院に入院していたそうで 、まだ体調が完全ではない様子でした。私 と同じように初めての施設生活で戸惑って いるのがよくわかりました。石川さんが 部屋に荷物を運び込む様子を見ていて、2 日前の自分を思い出しました。小さな スーツケース1つだけを持って、この知ら ない世界に足を踏み入れた時の気持ち、 期待と不安、寂しさと諦め、様々な感情が 混じり合っていました。その夜、石川さん は小さくすり泣いていました。カーテン越 に聞こえてくる鳴き声に私も胸が詰まり ました。声をかけるべきか迷いましたが 結局何も言えませんでした。皆それぞれに 辛い思いを抱えているのだと実感しました 。3日目の朝食の時に石川さんと初めて 言葉をかわしました。石川さんは夫を なくした後、1人が海外に住んでいるため 、日本には頼る人がいなくなったとのこと でした。私と似たような教遇でした。お 互いの話を聞いているうちに少し心が軽く なりました。施設での生活は確かに制約が 多く自由度は低いものでした。でも1人で 家にいた時の孤独感や不安感とは違う。 ある種の安心感もありました。何かあって もすぐに助けてもらえる。その安心感は 小さなスーツケース1つで来た私にとって 何者にも買えがいものでした。窓の外を 見ると桜のつぼみが膨らみ始めていました 。新しい季節の始まりです。私の新しい 生活もこれから少しずつ始まっていくの でしょう。不安はまだたくさんありますが 、ここで私なりの居場所を見つけていけ たらと思います。そう心に誓いながら私は 4日目の朝を迎えました。1週間が過ぎた 頃、私は少しずつこの施設の生活リズムに なれ始めていました。毎朝6時の気象 アナウンス、8時の朝食午前中の機能訓練 昼午後の自由時間夕食そして9時の消頭 規則正しい生活は体には良いのでしょうが 時々窮屈に感じることもありました。私は 自分なりに小さな工夫を始めました。 ベッドとロッカーの間の狭いスペースに家 から自散した小さな布の飾り物をかけまし た。手のひほどの大きさの桜の刺繍が施さ れた壁かけです。夫の太郎が生前私の 誕生日にプレゼントしてくれたものでした 。またロッカーの上には夫との写真を置き ました。昭和40年結婚式の日に取った 白黒の写真です。こうした小さな変化でも この4人部屋の一角が少しだけ私の場所 らしくなった気がしました。隣の渡辺さん は相変わらず1日中寝ているかボそボそと 独り言を言っているかでした。の森さんは 夜中に時々叫ぶことがありましたが、職員 の方が優しく対応してくれるのでだんだん 慣れてきました。石川さんは私よりも順能 が早いように見えました。入居して3日目 にはすでに他の入居者の方々と自然に会話 をしていました。私は人見知りの性格も あって、なかなか積極的に話しかけること ができませんでした。でも石川さんが話し ている様子を見ていると私ももう少し社交 的になった方が良いのかもしれないと思い ました。天気の良い日は部屋にこもって いるよりも1階の食堂や廊下の椅子に座っ て過ごすようにしました。廊下の椅子は 大きな窓の前に置かれており、外の景色を 見ることができました。桜の木が数本植え られた小さな庭があり、春の日差しに 照らされて美しく見えました。そこで本を 読んだり、ただぼんやりと外を眺めたりし ていると時々他の入居者の方が声をかけて くれました。今日は温かいですねとか桜が 綺麗ですねとかそんなもない会話でしたが 私にとっては大切な交流でした。家にいた 時は庭の手入れをしたり、近所の田中さん や佐藤さんと立ち話をしたり、何かと 忙しく過ごしていました。でもここでは 決められた時間以外はどう過ごしていいか 分からないことが多くありました。自由な 時間があるのは良いことなのでしょうが、 その時間を有意義に使う方法を見つけるの に時間がかかりそうでした。そんな中、 昨日訓練の時間に小林ふ子さんという方と 知り合いました。小林さんは75歳で私 より3つ年下でした。足の怪我で入院した 後、リハビりのためにこの施設に入居した とのことでした。小林さんは明るい性格の 方ですぐに打ち解けることができました。 昨日訓練が終わった後、小林さんと一緒に 廊下の椅子に座って話をしました。小林 さんは数年前に点灯して大体を骨折し、 妖怪さんと認定されたとのことでした。夫 もすでに亡くなっており、1人で生活する ことが困難になってこの施設に入居したと いう私とよく似た教遇でした。でも小林 さんには私とは違う明るさがありました。 ここでの生活を前向きに捉えており、職員 の方々とも親しく話をしていました。小林 さんの話を聞いていると、私も少しずつ この場所での生活に希望を持てるような気 がしてきました。小林さんは理学療法士の 指導のも毎日欠かさずリハビリを続けてい ました。その努力の回あって入居当初に 比べて歩行能力が大幅に改善していました 。杖を使えば1人で歩くことができるよう になり、介護も妖怪後にまで改善してい ました。ある日の午後、小林さんは複雑な 表情で私のところにやってきました。何か 良くないことがあったのかと心配になり ましたが、小林さんの話は意外なものでし た。荒川さん、実は私ケアマネージャー さんから在宅復帰について相談を受けて いるのです。小林さんの声には迷いが含ま れていました。体調が良くなったことは 喜ばしいことのはずなのに小林さんの表情 は明るくありませんでした。在宅復帰と いうのはつまりここを出て自宅で生活する ということでした。小林さんの身体機能が 改善したため、ケアマネージャーの方から 自宅での生活の可能性について打信があっ たとのことでした。訪問介護やレイ サービスなどを利用すれば1人での生活も 可能だろうという判断でした。でも小林 さんにとってそれは必ずしも嬉しい知らせ ではありませんでした。ここでの生活に なれ、新しい友人もできていました。 何より1人で家にいた時の孤独感や不安感 を再び味わうことへの恐れがありました。 夜中に何かあったらどうしよう。また点灯 したらどうしよう。そんな不安が頭を よぎるのです。私は小林さんの気持ちが よくわかりました。せっかく安心できる 環境を見つけたのに、また不安定な状況に 戻らなければならないかもしれない。それ は確かに複雑な気持ちになるでしょう。 小林さんは何度も家族やケアマネージャー の方と相談を重ねました。娘さんは母親の 決断を尊重すると言ってくれましたが、 経済的な面も考慮する必要がありました。 施設での生活費と在宅でのサービス利用量 を比較すると在宅の方が安く済む場合も あるのです。また特別用語人ホームは本来 在宅での生活が困難な方のための施設です 。身体機能が改善して在宅復帰が可能に なった場合、より支援が必要な方に場所を 譲るべきだという考え方もありました。 小林さん自身もそのことを理解していまし た。私は小林さんの相談に乗りながら複雑 な気持ちになりました。施設での生活に 慣れ下しんだ人が再び1人の生活に戻る ことの難しさ。それは私にとっても他人 ごとではありませんでした。もし私の身体 機能が改善したら同じような選択を迫ら れることになるかもしれません。小林さん は最終的に在宅復帰を選択しました。娘 さんが近くに住んでいることもあり、何か あった時にはすぐに駆けつけてもらえる 環境が整っていたことが決めてでした。 また週3回のデイサービスと週2回の訪問 介護を利用することで1人の時間を減らす ことができるという計画も立てられました 。小林さんが荷物をまとめている姿を見て いると何とも言えない気持ちになりました 。入居の時とは逆で今度は施設から出て いく準備です。小さなスーツケースに大切 なものを詰め込んでいる様子は私が入居し た時と同じでした。退去の日、小林さんは 私の部屋に挨拶に来てくれました。荒川 さん短い間でしたが本当にお世話になり ました。またお会いできる日を楽しみにし ています。小林さんの目には涙が浮かんで いました。私も胸が詰まってうまく言葉が 出ませんでした。ただお元気でというのが 精一杯でした。小林さんが去った後、私は 廊下の椅子に座って考え込みました。施設 での生活とは何なのだろうか。ここは人生 の最終地点だと思っていましたが、小林 さんのように再び外の世界に戻っていく人 もいるのです。それは確かに良いことなの でしょうが、残された私たちにとっては 寂しいことでもありました。小林さんの ベッドは翌習には新しい方で埋まりました 。82歳の田村さんという男性でした。 田村さんは認知症の症状があり、時々混乱 することがありました。夜中に起き上がっ て歩き回ろうとすることもあり、職員の方 が頻繁に様子を見に来てくれました。田村 さんの存在は私たちの部屋の雰囲気を 大きく変えました。以前は比較的静かだっ た部屋が田村さんの独り言や時には大きな 声で騒ぐ声で賑やかになりました。最初は 戸惑いましたが、だんだん慣れてきました 。田村さんは昔のことはよく覚えていまし た。戦争の話や若い頃の思い出を生き生き と語ってくれました。混願している時も ありましたが、そうした話を聞いている時 の田村さんはとても穏やかでした。私も 時々田村さんの昔話に耳を傾けるように なりました。石川さんも田村さんの世話を 積極的に手伝ってくれました。田村さんが 迷子になりそうになった時に声をかけたり 、食事の時に隣に座って食べやすいように 手伝ったりしていました。石川さんの優し さに触れて私も少しずつ他の人に対して 関心を持つようになりました。ある日の 夕食後、石川さんが私に話しかけてきまし た。原川さん、小林さんがいなくなって 寂しいですね。でも田村さんのような方が いるとまた違った楽しみもありますね。 石川さんの言葉に私は新しい視点を得まし た。施設での生活は確かに人の出入りが あります。でもそれぞれの人が持っている 物語や経験に触れることができるのもこの 場所の特徴なのかもしれません。1人で家 にいた時には得られなかった人との出会い がここにはありました。夜ベッドに横に なって天井を見つめながら私は小林さんの ことを思い出していました。小林さんが 在宅復帰を選んだのはきっと正しい判断 だったのでしょう。でも私にとってはここ が新しい居場所になりつつありました。人 それぞれに異なる人生の選択があるのだと 実感しました。窓の外では桜が満になって いました。小林さんがいた時に一緒に眺め た桜です。来年の桜の季節にはまた新しい 出会いがあるのかもしれません。そう思う と少しだけ心が軽くなりました。翌朝いつ ものように昨日訓練の時間になりました。 小林さんがいた場所には新しい参加者の方 がいました。生活は続いていくのです。私 も自分なりのペースでこの場所での生活を 築いていこうと思いました。田村さんが 朝食の時に今日はいい天気だねと笑顔で 話しかけてくれました。その笑顔を見て私 も自然と微笑み返していました。小林さん から学んだ前向きな気持ちを今度は私方の 人に伝えていけたらと思いました。こんな 風に考えていると施設での生活も悪くない ような気がしてきました。確かに制約は 多く、自由度は低いかもしれません。でも 人との温かい触れ合いがここにはありまし た。それは1人で家にいた時には感じる ことのできなかった新しい種類の豊かさ でした。小林さんが去ってから1ヶ月ほど 経った頃、私はすっかりこの施設での生活 に慣れていました。田村さんとの同質生活 も最初の戸惑いを超えて自然なものになっ ていました。田村さんは認知症の症状が あるものの、昔の記憶は鮮明で、戦事中の 話や若い頃の恋愛話などを聞かせてくれ ました。時々同じ話を繰り返すこともあり ましたが、それも含めて田村さんの一部だ と受け入れることができるようになってい ました。渡辺さんは相変わらず1日の大半 を寝て過ごしていましたが、時々起きて いる時に目が合うとかに微笑んでくれる ことがありました。言葉をかわすことは ほとんどありませんでしたが、なんとなく 気配を感じ取れるようになっていました。 森さんは夜中に叫ぶことが減り、比較的 静かに過ごしていました。石川さんとは 毎日のように話をするようになりました。 食事の時、昨日訓練の時、廊下であった時 、石川さんは私よりも社交的で他の入居者 の方々ともよく話をしていました。石川 さんを通じて私も他の方々との距離が 縮まっていきました。ある日の午後いつも のように廊下の椅子に座って外を眺めて いると救急車のサイレンが聞こえてきまし た。最初は外の道路を通りすぎるのだと 思っていましたが、サイレンの音が近づい てきて、やがて施設の玄関前で止まりまし た。救急隊員の方々が慌たしく建物に入っ ていく様子が見えました。廊下にいた職員 の方々も急いで階段を登っていきます。 何か緊急事態が起こったのだということは すぐに分かりました。しばらくすると ストレッチャーに乗せられた人が運ばれて いく姿が見えました。顔はっきりと見え ませんでしたが、その人が森さんだという ことはなんとなく感じ取れました。救急車 は赤い路島を回しながら去っていきました 。その夜さんのベッドは空になっていまし た。いつもは森さんの寝息きや寝事が 聞こえていた向い側が芯と静まり返ってい ました。その静寂が帰って森さんの不在を 強調しているようでした。翌日職員の方 から森さんの状況について簡単な説明が ありました。肺炎を起こして病院に搬送さ れたとのことでした。詳しい病情について は主費義務もあり、詳細は教えてもらえ ませんでしたがしばらく病院での治療が 必要だということでした。日が立つに連れ て森さんのベッドはそのまま開いたまま でした。普通であれば新しい入居者の方が 来るはずですが1週間、2週間と立っても 誰も来ませんでした。私は職員の方に森 さんの様子を尋ねてみましたが、はっきり とした答えは得られませんでした。1ヶ月 が過ぎた頃、ケアマネージャーの佐々木 さんが私の部屋を訪ねてきました。佐々木 さんは普段から入居者の相談に乗って くれる優しい方でしたが、その日の表情は いつもより深刻に見えました。荒川さん、 お時間をいただけますでしょうか?森さん のことについてお話ししたいことがあり ます。私たちは1階の相談室に移りました 。小さな部屋でしたが 保たれた落ち着いた空間でした。佐々木 さんは慎重に言葉を選びながら話し始め ました。森さんのことですが病院での治療 が長期化しています。肺炎自体は治ったの ですが、飲み込む力が弱くなってしまい、 鼻から栄養を取る感を入れる必要が出てき ました。また単の球員も頻繁に必要な状態 です。佐々木さんの説明を聞いて、私は森 さんの状況の深刻さを理解しました。花 からの栄養補給や単の吸引は医療的なケア が必要な処置です。一般的な介護施設では 対応が困難な場合が多いのです。私たちの 施設でも森さんのような高度な医療的ケア が必要な方を受け入れることは安全上の 理由から難しいのが現状です。意思が上駐 していない私たちのような施設では緊急時 の対応に限界があります。佐々木さんの 言葉の意味がだんだん理解できてきました 。つまり森さはこの施設に戻ってくること ができないということでした。 医療的ケアが必要になったため、より専門 的な設備の整った施設や病院での生活を 続けることになるのです。でも森さんは ここで最後まで過ごすつもりでいたのでは ないでしょうか。私たちと同じようにこの 施設を追いの住として考えていたはずです 。それなのに病気になったために住む場所 を変えなければならないなんて。佐々木 さんは私の気持ちを察してくれたのか 優しく説明を続けました。私たちとしても できる限り皆さんに最後までここで過ごし ていただきたいと思っています。そのため に見とりの体制も整えているつもりです。 しかし医療的ケアについてはどうしても 限界があります。私は佐々木さんに率直に 質問しました。では私たちも病気になっ たら森さんのように出ていかなければなら ないのでしょうか。佐々木さんは少し間を 置いてから答えました。必ずしもそうでは ありません。病気の種類や程度によります 。私たちの施設で対応できる範囲であれば 最後までお世話させていただきます。ただ 高度な医療機器が必要になったり常時意思 の管理が必要になったりした場合はより 適切な医療環境での治療をお勧めする場合 があります。それは森さんのためでもある のです。私たちの施設では十分な医療的 ケアを提供できない状況で無理にとまって いただくよりも適切内容を受けられる環境 に移っていただく方がご本人のためになる と考えています。佐々木さんの説明は理解 できました。でも感情的には受け入れがい ものがありました。ここは追いの住では ないのか。最後まで面倒を見てもらえるの ではないのか。そう信じて入居したのに 条件によっては出ていかなければならない とは。その夜私は森さんの会いたベッドを 見つめながら考え続けました。森さんは今 どこにいるのだろうか。慣れ下しんだこの 施設を離れて知らない病院で過ごしている のだろうか。きっと寂しい思いをしている に違いありません。翌日石川さんと森さん のことについて話しました。石川さんも 同じような不安を抱いていました。私たち も将来同じようなことになるかもしれない という恐怖です。でも石川さんは私よりも 現実的でした。原川さん、確かに不安です が、ここの職員の方々が嘘ついているわけ ではありません。できる限りのことはして くれると思います。ただ限界があることも 理解しなければならないのでしょう。石川 さんの言葉には説得力がありました。完璧 な場所など存在しないのです。この施設も 例外ではありません。でもだからと言って ここが悪い場所だというわけではありませ ん。限界の中で職員の方々は精一杯努力し てくれているのです。私は改めて佐々木 さんと話をする機会を作ってもらいました 。今度はより具体的に私自身の将来につい て相談したいと思ったのです。佐々木さん は時間を作って再び相談室で話を聞いて くれました。私は正直に自分の不安を伝え ました。森さんのようにいつか自分もここ から出ていかなければならない日が来るの ではないかという恐怖です。佐々木さんは 真剣に私の話を聞いてくれました。そして とても大切なことを教えてくれました。 荒川さん、私たちは皆さんが安心して最後 まで過ごせるよう最大限の努力をしてい ます。でもそのためには皆さんにも協力し ていただきたいことがあります。まずご 自身の身体の状況や希望についてできる だけ詳しく私たちに伝えてください。どの ような治療を望むのか、どのような最後を 迎えたいのか。そうしたことを事前に相談 しておくことでいざという時に適切な対応 ができます。また私たちの施設でできる こととできないことを正しく理解して いただくことも大切です。過な期待を持た れてもお答えできない場合があります。で も私たちができる範囲でのケアについては 全力で取り組ませていただきます。佐々木 さんの言葉を聞いて、私は新しい視点を得 ました。施設に全てを委ねるのではなく、 自分も積極的に関わっていく必要があるの です。自分の希望や移行を明確にし、それ を職員の方々と共有する。そうすることで より良い週末機アを受けることができるの です。私は佐々木さんに具体的にどのよう なことを準備すれば良いのか尋ねました。 佐々木さんは丁寧に説明してくれました。 まず週末期の医療についてご自身の希望を 整理してください。命治療を望むのか、 自然な最後を迎えたいのか、人工呼吸機や 医療などの医療処置についても事前に考え ておいていただければと思います。またご 家族やご親族との連絡体制も確認させて ください。緊急時にどなたに連絡すべきか 、どのような場合にご家族に来ていただく のか、そうしたことを明確にしておくこと でいざという時に混乱を避けることができ ます。さらに日常的な体調管理についても ご協力をお願いします。小さな体調の変化 でも遠慮なく職員にお声かけください。 早期発見、早期対応が重得な状態を避ける 鍵になります。佐々木さんのアドバイスは 非常に具体的で実用的でした。私は施設に 入居する前にこうしたことまで考えてい ませんでした。ただ漠然と最後まで面倒を 見てもらえるだろうと思っていただけです 。でも森さんの件を通じて現実はもっと 複雑だということを学びました。完璧な 解決策など存在しないのです。でも事前の 準備と職員の方々との連携によってより 良い結果を得ることは可能なのです。その 夜私は息子のけ太郎に電話をかけました。 これまで心配をかけたくなくて施設での 生活については良いことばかりを報告して いました。でも今回は違いました。森さん のこと、施設の限界について、そして 私自身の不安について正直に話しました。 け太郎は黙って私の話を聞いてくれました 。そして母さんが心配していることはよく わかりました。でもどこに住んでいても 病気になるリスクはあります。大切なのは その時にどう対応するかです。健太郎は 続けました。僕も仕事の関係ですぐに 駆けつけられない場合があります。でも 施設の職員の方々が母さんのことを大切に 思ってくれているのは母さんの話からも よくわかります。僕たち家族と職員の方々 が連携して母さんを支えていきましょう。 息子の言葉に私は大きな安心感を得ました 。1人で全ての不安を抱え込む必要はない のです。家族、職員、そして私自身が協力 し合うことでより良い生活を築いていく ことができるのです。翌種森さんのベッド に新しい方が入居されました。石川ゆい さんという70歳の女性でした。以前いた 石川さんとは別の方です。新しい石川さん は脳梗速の行為症で右半神に麻痺があり ましたが明るく前向きな性格の方でした。 新しい石川さんはリハビりに対して非常に 積極的でした。 療方士の指導を熱心に受け、知識的にも 運動を続けていました。その姿勢は同質の 私たちにも良い刺激を与えてくれました。 田村さんも新しい石川さんを気に入った ようでよく話しかけていました。田村さん の昔話を石川さんが興味深そうに聞いて いる様子を見ているとこの部屋にも新しい 調和が生まれているように感じました。 ある日、新しい石川さんが私に話しかけて きました。荒川さん、こちらに来る前に森 さんという方がいらしたそうですね。 どんな方だったのですか?私は森さんの ことを話しました。夜中に時々叫ぶことが あったけれど、根は優しい人だったこと。 突然病気になって病院に運ばれたこと。と して結局この施設には戻ってこられなかっ たこと。新しい石川さんは真剣に聞いて くれました。そしてこう言いました。私も 同じような状況になる可能性があります。 でもだからこそ今を大切に行きたいと思い ます。ここでの生活を精一杯楽しんで悔の ないようにしたいです。石川さんの言葉は 私の心に深く響きました。確かに将来への 不安ばかりを考えていても仕方がありませ ん。今この瞬間を大切にして充実した毎日 を送ることこそが重要なのです。私は森 さんの件をきっかけに施設での生活につい て新しい理解を得ました。ここは完璧な 場所ではありません。限界もあります。で もその限界を理解した上で職員の方々と 協力しとの連携を保ちながら生活すること でより良い結果を得ることができるのです 。そして何より大切なのは今この瞬間を 大切にすることです。森さんはもういませ んが、森さんがいた時間は確かに私たちの 記憶の中に残っています。新しい石川さん との出会いもこれからの私の人生を豊かに してくれるでしょう。夜ベッドに横になっ て天井を見つめながら私は森さんのことを 思い出していました。森さんが夜中に叫ん でいた時に読んでいた名前はきっと大切な 人の名前だったのでしょう。今森さんは その人に会えているのでしょうか?窓の外 では夏の虫たちが泣いていました。季節は 移り変わり、生活は続いています。森さん の分まで私は精一杯生きて行こうと思い ました。そしていつか私の時が来た時には 悔のない最後を迎えられるよう今から準備 をしていこうと心に決めました。翌朝いつ ものように気象のアナウンスが流れました 。新しい1日の始まりです。森さんの開い ていたベッドには新しい石川さんがいて、 田村さんは相変わらず昔話をしており、 渡辺さんは静かに微笑んでいました。私は 身くを整えながら今日という日を大切に 過ごそうと思いました。森さんから学んだ 教訓を胸に限りある時間を有意義に使って いこうと決意を新たにしました。森さんの 件があってから私は施設での生活を違った 目で見るようになりました。以前は自分の ことばかり考えていましたが、今は周りの 人たちや職員の方々のことにも注意を 向けるようになったのです。そうすると これまで気づかなかった多くのことが見え てきました。朝の6時に気象のアナウンス が流れると職員の方々の1日が始まります 。私たちが身宅をしている間にも職員の 方々は各部屋を回って体調の確認をして くれます。8時の朝食の前には全ての入居 者の健康状態を把握している必要があるの です。朝食の準備も大変な作業です。 100人近い入居者1人1人の食事形態が 異なります。普通食の人もいれば刻み色の 人、ペースト食の人もいます。また糖尿病 や腎臓病などで食事制限がある人も多く それぞれに合わせた食事を準備する必要が あります。私は食堂で食事をしながら職員 の方々の動きを観察するようになりました 。テーブルを回って食事の解除する人、薬 を配る人、こぼしたものを片付ける人。皆 さん常に誰かのために動いています。 そしてどんなに忙しくても笑顔を絶すこと がありません。食事の後は入浴解除の時間 です。私は週3回、火曜日、木曜日、 土曜日に入浴の予定が組まれています。 最初の頃は他人に体を洗ってもらうことに 抵抗がありました。でも職員の方々の丁寧 で優しい解除になれてくるとむしろ安心感 を覚えるようになりました。入浴解除を 担当してくれる職員の方々はいつも気遣い を忘れません。 お湯の温度は大丈夫ですかと声をかけて くれたり、接鹸が目に入らないよう注意 深く洗ってくれたり、私たちの尊厳を大切 にしながら必要な解除をしてくれるのです 。ある日の入浴の時間に私は職員の山田 さんと話をする機会がありました。山田 さんは30代の女性でいつも明るく接して くれる方です。山田さんにこの仕事は大変 ではないですかと尋ねてみました。山田 さんは少し考えてから答えてくれました。 確かに体力的にはきついですが、皆さん から元気をもらっています。荒川さんが 最近ありがとうございますとよく言って くださるでしょう。そういう言葉が私たち の1番の励みなんです。山田さんの言葉を 聞いて、私は胸が熱くなりました。私の 小さな感謝の言葉が職員の方々の支えに なっているなんて考えても見ませんでした 。それからはより意識して感謝の気持ちを 伝えるようにしました。午後の時間には よく1回のロビーや廊下で過ごすように なりました。ここでは職員の方々の別の 側面を見ることができました。入居者の 家族の方が面会に来られた時の対応、ケア プランの会議、緊急時の連絡調整など 私たちが不段目にしない業務もたくさん あることがわかりました。ある日ロビーで 休んでいると職員室から聞こえてくる会話 が耳に入りました。4回の受け入れがまだ 難しい状況です。夜勤の人数を考えると これ以上は無理ですといった内容でした。 詳しい話は分かりませんでしたが、 人手不足が深刻な問題になっているという ことは理解できました。私は気になって 仲良くなった職員の佐藤さんに聞いてみ ました。佐藤さんは40代の男性で介護 福祉士の資格を持っている方です。佐藤 さんは最初は答えをためらっていましたが 、私が心配していることを理解してくれて 、少しだけ状況を教えてくれました。実は 介護業界全体で人手不足が深刻な問題に なっています。私たちの施設も例外では ありません。課金ができる職員の数が限ら れているため、新しい入居者を受け入れる ことが困難な状況が続いています。佐藤 さんの説明を聞いて、私は複雑な気持ちに なりました。開いているベッドがあっても 人手がなければ新しい人を受け入れること ができない。つまり森さんのベッドがすぐ にうまらなかったのもそういう事情があっ たからなのです。でも現在働いている職員 の方々は限られた人数で私たちの安全と 健康を守ってくれています。きっと 1人1人にかかる負担は相当なもの でしょう。そう思うと今まで以上に職員の 方々への感謝の気持ちが湧いてきました。 私は他の入居者の方々と話をする時にも 職員の方々への感謝について触れるように なりました。石川さんも田村さんも私の話 に共感してくれました。私たちにできる ことは限られているかもしれませんが、 せめて感謝の気持ちを伝えることはでき ます。ある、夜勤の職員の方が部屋を 見回りに来てくれた時のことです。私は まだ眠れずにいました。職員の鈴木さんが 気づいてどうかされましたかと声をかけて くれました。鈴木さんは20代の若い女性 でまだ経験は浅いようですがとても一生 懸命に働いている方です。私は眠れない 理由を正直に話しました。森さんのことを 思い出すと自分の将来が不安になって しまうのです。 さんは私のベッドサイドに椅子を持ってき てしばらく話を聞いてくれました。私たち も皆さんに安心して過ごしていただきたい と思っています。でもどうしても限界が あることも事実です。ただ私たちにできる ことは精一杯やらせていただきますから何 でも遠慮なくおっしゃってください。鈴木 さんの真摯な言葉に私は深く感動しました 。この若い職員の方も私たちのために一生 懸命働いてくれているのです。夜中にも 関わらず時間を咲いて私の話を聞いてくれ ました。翌朝食の時に私は新しい石川さん に話しました。昨夜の鈴木さんとの会話に ついて、そして職員の方々がどれほど 私たちのことを大切に思ってくれているか ということについて石川さんも同じような 経験をしたことがあるようで深く頷いて くれました。荒川さんの言う通りですね。 私も最初はサービスを受ける側として当然 のことと思っていました。でも実際に生活 してみると職員の方々の献心的な姿勢が よくわかります。私たちも感謝の気持ちを 忘れてはいけませんね。私たちの会話を 聞いていた田村さんも自分なりの体験を 話してくれました。田村さんは認知症の 症状がありますが職員の方々への感謝の 気持ちはっきりと覚えています。昔の戦争 の時代にはお互いに支え合うことが 当たり前でした。今の時代も同じです。 職員の皆さんが私たちを支えてくれている のですから、私たちも心からの感謝を示す べきです。田村さんの言葉には重みがあり ました。戦争を経験した世代の方の言葉だ からこそ人と人との支え合いの大切さが 伝わってきました。その日の午後、私は 施設の松本さんとお話する機会がありまし た。松本さんは50代の男性でこの施設を 長年運営している方です。普段はなかなか お愛する機会がありませんでしたが、入居 者との混談会が開催されたのです。混談会 では施設の運営状況やコンボの方針につい て説明がありました。松本さんは率直に 現在の課題についても話してくれました。 人手不足の問題、高齢化する入居者への 対応、医療的ケアの限界など私たちが日頃 感じている問題について運営側の視点から 説明してくれました。松本さんの話を聞い て私は施設運営の難しさを理解しました。 限られた予算と人員で多様なニーズを持つ 入居者に対応するのは決して簡単なことで はありません。それでも職員の方々は 私たちのために最大限の努力をしてくれて いるのです。今段階の後、私は松本さんに 個人的にお礼を言いました。施設の現状を 正直に話してくれたことに感謝していると いうこと。そして職員の方々の働きぶりに 感動していることを伝えました。松本さん は私の言葉に驚いた様子でした。荒川さん のような入居者の方からそのような言葉を いただけるとは思っていませんでした。 職員一度きっと喜ぶと思います。これから もどうぞよろしくお願いいたします。その 夜、私は久しぶりに息子のけ太郎に電話を かけました。今度は森さんの件の時とは 違い、明るい気持ちで話すことができまし た。職員の方々がどれほど私たちのことを 大切にしてくれているか、そして私自身が この施設での生活に感謝していることを 伝えました。け太郎も私の話を喜んで聞い てくれました。母さんがそんな風に感じて いるなら僕も安心です。職員の方々にも 家族として感謝の気持ちをお伝えしたいと 思います。息子の言葉を聞いて私は家族と 施設の職員の方々との連携の大切さを 改めて感じました。みんなで協力し合う ことでより良い生活環境を作っていくこと ができるのです。 け太郎が面会に来てくれました。息子が 施設を訪れるのは入居以来初めてでした。 け太郎は職員の方々に丁寧に挨拶をし、 母親がお世話になっていることへの感謝を 述べてくれました。職員の方々もけ太郎を 温かく迎えてくれました。佐藤さんは荒川 さんはいつも感謝の気持ちを表して くださり、私たちも励まされていますと 話してくれました。そのやり取りを見てい て、私は胸が熱くなりました。面会の後、 け太郎と2人で施設の庭を散歩しました。 息子は施設の環境や職員の方々の対応に 関心している様子でした。母さんがここで 安心して生活できているのがよくわかり ました。職員の皆さんも本当に良い方 ばかりですね。私は息子に森さんの件に ついても改めて話しました。確かに完璧な 場所ではないけれど職員の方々は私たちの ために精一杯努力してくれている。その 現実を受け入れた上で感謝の気持ちを持っ て生活していきたいということを伝えまし た。ケ太郎も私の考えに賛成してくれまし た。完璧な場所など存在しませんからね。 大切なのはお互いに理解し合い支え合う ことです。母さんがそのような気持ちで 生活しているなら僕も安心です。その日の 夜、私は部屋で窓の外を眺めながら考えて いました。入居当初はこの施設を単なる サービスを受ける場所だと思っていました 。でも実際には人と人との関係で成り立っ ているコミュニティなのです。職員の方々 も入居者もそれぞれが役割を持ち互いに 支え合っている場所なのです。翌朝いつも のように気象のアナウンスが流れました。 でもその音が以前とは違って聞こえました 。新しい1日を迎える喜びの音として 聞こえたのです。朝の身宅をしながら今日 はどの職員の方にお世話になるだろうか、 どんな感謝の言葉をかけることができる だろうかと考えていました。朝食の時間に 食堂に向かうといつものように職員の方々 が忙しく働いていました。でも今の私には その忙しさが違って見えました。私たちの ために一生懸命働いてくれている職員の 方々の姿がとても美しく見えたのです。私 は朝食を配ってくれた職員の方に心を込め て言いました。いつもありがとうござい ます。おかげ様で毎日美味しくいいてい ます。その職員の方の顔がパッと明るく なりました。そしてこちらこそありがとう ございます。荒川さんのような言葉をかけ ていただけると私たちも本当に嬉しいです 。そのやり取りを見ていた他の入居者の 方々も微縁でくれました。感謝の気持ちは 伝 が周りの人たちにも良い影響を与えていく のです。食事を終えて部屋に戻る時、私は 足取りが軽くなっているのを感じました。 この施設は確かに私の新しい家になってい ます。完璧ではないかもしれませんが、 温かい人間関係に支えられた居心地の良い 場所になっているのです。窓の外では秋の 気配を感じさせる風が吹いていました。 季節が映り変わってもここでの温かい生活 は続いていくでしょう。職員の方々への 感謝の気持ちを胸に私は今日という日を 大切に過ごそうと思いました。職員の方々 への感謝の気持ちを持つようになってから 私の日常は大きく変わりました。以前は 受け身だった施設での生活が今では積極的 な参と変わっていったのです。小さなこと から始めました。朝職員の方とすれ違う時 には必ずおはようございますと声をかける ようにしました。食事の時には今日のお魚 とても美味しいですといった具体的な感想 を伝えました。夜勤の方には夜遅くまでお 疲れ様ですと根嫌いの言葉をかけました。 これらの小さな行動が思いがけない変化を もたらしました。職員の方々の表情が 明らかに明るくなったのです。として彼ら も私により多くの関心を向けてくれるよう になりました。単なる業務としての介護で はなく人と人との温かい交流が生まれて いったのです。ある日の午後理学療報士の 田中先生が私に声をかけてくれました。 荒川さん、最近とても表情が明るくなり ましたね。にか良いことがありましたか? 私は正直に答えました。職員の皆さんが どれほど私たちのために働いてくださって いるかを理解できるようになって感謝の 気持ちでいっぱいになったのです。田中 先生は微縁で言いました。それは 素晴らしいことですね。実は入居者の方 からそのような言葉をいただけることが 私たち職員にとって何よりの励みなんです 。荒川さんのように感謝を表現して くださる方がいると施設全体の雰囲気も 良くなります。田中先生の言葉を聞いて、 私は自分の行動が単に個人的な満足だけで なく、施設全体に良い影響を与えている ことを知りました。感謝の気持ちはまるで 水ノのように広がっていくものなのです。 私は他の入居者の方々にもこの気づきを 分かち合いたいと思いました。石川さんと の会話の中で職員の方々への感謝について 話すと石川さんも深く共感してくれました 。荒川さんの言う通りですね。私も最初は お金を払っているのだからサービスを 受けるのは当然だと思っていました。でも 実際にここで生活してみるとそれ以上の 愛情と献心を感じます。私たちも何かお 返しできることがあればと思います。石川 さんと私はどのようにして感謝の気持ちを 表現できるかについて話し合いました。 私たちにできることは限られていますが、 言葉で感謝を伝えること。職員の方々の 負担を少しでも減らすために自分でできる ことは自分でやること、そして何より 明るい気持ちで過ごすことが大切だという 結論に達しました。田村さんも私たちの話 を聞いて自分なりの思いを語ってくれまし た。昔の戦争の時代お互いに助け合わ なければ生き抜けませんでした。今の時代 も同じです。職員の皆さんが私たちを支え てくれているのですから私たちも感謝の心 を忘れてはいけません。田村さんの言葉に は長い人生を歩んできた方ならではの重み がありました。世代は違っても人間同士の 支え合いの大切さは変わらないのです。 私たちの部屋に新しい雰囲気が生まれまし た。お互いを気遣い職員の方々への感謝を 共有する温かい空間になったのです。渡辺 さんも普段はあまり話をされませんが、 時々微縁で私たちの会話に耳を傾けてくれ ているのが分かりました。ある夜、夜勤の 鈴木さんが私の部屋を見回りに来てくれた 時、私は思い切って話しかけました。鈴木 さん、いつも夜遅くまで私たちを見守って くださって本当にありがとうございます。 鈴木さんは驚いた表情を見せた後、とても 嬉しそうに答えてくれました。荒川さん、 そのようなお言葉をいただけてとても 励まされます。実は夜勤の時間は長くて 時々辛く感じることもあるのですが、皆 さんの安心した願顔を見ているとこの仕事 をしていて良かったと思います。鈴木さん の素直な気持ちを聞いて私は胸が熱くなり ました。職員の方々も人間です。辛い時も あれば励まされたい時もある。そんな時に 私たちの感謝の言葉が支えになっているの です。翌朝食の時間に食堂に向かうといつ もとは少し違う雰囲気を感じました。職員 の方々の動きに以前よりも軽やかさがある ように見えたのです。そして入居者の方々 の表情もどこか明るくなっているように 感じました。私は食事を配ってくれた山田 さんに言いました。今日の朝食も多いし そうですね。いつもバランスよく準備して くださってありがとうございます。山田 さんは本当に嬉しそうに答えてくれました 。荒川さんにそう言っていただけると朝 早くから準備した会があります。今日の おかずの野菜炒めは栄養師の先生が特に気 をやって作ってくださったメニューなん ですよ。そんなやり取りを見ていた隣の テーブルの方も私も美いしくいいています と声をかけてくれました。感謝の気持ちが 確実に周りに広がっているのを感じました 。その日の午後私は施設の松本さんから 呼び出されました。何か問題があったのか と心配になりましたが、松本さんの表情は 穏やかでした。荒川さん、最近職員たち からあなたのことをよく聞かせてもらって います。いつも感謝の言葉をかけて くださり、職員一度大変励まされていると のことです。私は恐縮して答えました。私 の方こそ皆さんにお世話になっている ばかりです。 感謝するのは当然のことです。松本さんは 続けました。当然のことと思われるかも しれませんが、実際にそれを言葉にして 表現してくださる方は多くありません。 荒川さんのような入居者の方がいて くださることで施設全体の雰囲気が良く なっています。職員のモチベーションも 上がり、結果的に他の入居者の方々にも 良い影響を与えています。松本さんの言葉 を聞いて、私は自分の行動の意味をより 深く理解しました。個人的な感謝の表現が 結果的にコミュニティ全体の質を向上させ ているのです。夕方息子の健太郎から電話 がありました。久しぶりの息子の声に私は 嬉しくなりました。今度はこれまでとは 全く違う内容の報告をすることができまし た。ケ太郎、最近私はとても充実した毎日 を送っています。職員の皆さんがどれほど 素晴らしい方々か、そして私たちがどれ ほど恵まれた環境にいるかを実感してい ます。太郎は私の明るい声に驚いている ようでした。母さん本当に元気そうですね 。施設での生活がそんなに充実している なんて僕も嬉しいです。私は息子に森さん の件で学んだこと、職員の方々の献心的な 働きぶり、そして感謝の気持ちを持つこと の大切さについて話しました。太郎は熱心 に聞いてくれました。母さんがそのような 気持ちで生活されているなら僕も安心です 。施設の職員の方々にも家族として改めて お礼を申し上げたいと思います。息子との 会話を終えて私は今の自分の状況を 振り返ってみました。入居当初は失うもの ばかりに目が向いていました。慣れした 信頼へ自由な生活、 でも今は得たものの方が大きいと感じてい ます。安心できる住環境、温かい人間関係 、そして何より人生の最終を支えてくれる 信頼できる人々との出会い。年金だけの 限られた収入でも心は豊かになれるのです 。私は施設での生活が人生の終わりを待つ 場所だと思っていました。でもそれは 間違いでした。ここは新しい人生の ステージなのです。新しい人間関係を 築づき、新しい自分を発見する場所なの です。そんなことを考えていると窓の外 から秋の虫の声が聞こえてきました。節は 移り変わっていきますが、ここでの温かい 生活は続いています。毎日が小さな発見と 感謝に満ちています。翌朝いつものように 気象のアナウンスで目を覚ましました。で もその音がもはや単なる事法ではありませ ん。新しい1日への期待を込めた希望の音 として聞こえるのです。身くを整えながら 、今日はどの職員の方にお会いできる だろうか、どんな感謝の言葉を伝えること ができるだろうかと考えていました。この 小さな楽しみが毎朝を特別なものにして くれています。朝食の時間に食堂に向かう と職員の方々がいつものように忙しく準備 をしてくれていました。でもその忙しさの 中にも明らかに以前とは違う活気を感じる ことができました。感謝の気持ちが 生み出すせのサイクルが確実に施設全体に 広がっているのです。私は朝食を受け取り ながら心を込めて言いました。今日も ありがとうございます。皆さんのおかげで 毎日を安心して過ごすことができています 。職員の方の顔がパッと明るくなりました 。そしてその笑顔を見ていた他の入居者の 方々も自然と笑顔になりました。幸せは 伝線するものなのです。食事を終えて席を 立つ時、私は心の中で静かに誓いました。 限られた年金での生活は物質的には豊かで はないかもしれません。でも心はこれほど 満たされています。かつて施設は人生の 終わりを待つ場所だと思っていました。で も今は違います。ここは人生の新しい賞の 始まりです。新しい関係性を学び、新しい 自分を発見する場所なのです。全ての施設 が理想的な環境とは言えないかもしれませ ん。でも私の体験が同じような道のりを 歩もうとしている誰かの参考になれば幸い です。そして今日という日を大切に過ごし 続けたいと思います。感謝の気持ちを忘れ ずに残された時間を精一杯生きていこうと 思います。窓の外では新しい季節の気配を 感じさせる風が吹いていました。は流れて いきますが、ここでの温かい絆は永遠に 続いていくでしょう。私は今人生で最も 幸せな時間を過ごしているのかもしれませ ん。ありがとうございました。この長い 物語にお付き合いいただき、心から感謝し ています。皆さんの人生に少しでも参考に なることがあれば嬉しく思います。もし この話を気に入っていただけましたら、 チャンネル登録やいいねボタンを押して いただければ幸いです。またご家族やお 友達にも是非シェアしてください。これ からも皆さんの心に寄り添う物語をお届け していきたいと思います。次回の動画で またお会いできることを楽しみにしてい ます。本当にありがとうございました。
これは、78歳の荒川千代さんの物語です。老人ホームが穏やかな暮らしを送るための最後の選択だと信じ、すべてを手放して入居した彼女を待ち受けていたのは、希望とはかけ離れた、息が詰まるような厳しい現実でした。
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老後の物語
老後は穏やかな日々だけではなく、年金、社会保障、晩年の恋、離婚、再婚など、さまざまな悩みがつきものです。私は、そんなリアルな物語をお届けします。涙も笑いも、後悔も希望も詰まった人生の話。60歳からの人生に興味がある方、一緒に聞いて、共感しませんか?
VOICEVOX :青山龍星
企画・制作部門
総合プロデューサー: 青木隆二 (Aoki Ryuji)
企画・構成: 西村智恵 (Nishimura Tomoe)
制作統括: 平野大輔 (Hirano Daisuke)
制作進行: 山本理沙 (Yamamoto Risa)
制作アシスタント: 池田美和 (Ikeda Miwa)
アソシエイトプロデューサー: 田村航 (Tamura Wataru)
撮影・映像技術
撮影監督: 森本健司 (Morimoto Kenji)
カメラディレクター: 浜田麻衣子 (Hamada Maiko)
第一カメラマン: 内田雄介 (Uchida Yusuke)
第二カメラマン: 片岡優太 (Kataoka Yuta)
照明チーフ: 坂口光男 (Sakaguchi Mitsuo)
照明アシスタント: 大野結菜 (Ono Yuna)
音声収録: 谷口真一 (Taniguchi Shinichi)
編集・ポストプロダクション
編集長: 柴田雅人 (Shibata Masato)
メインエディター: 水野愛美 (Mizuno Manami)
カラーグレーディング: 北村龍也 (Kitamura Tatsuya)
映像効果: 小川晃司 (Ogawa Koji)
モーショングラフィックス: 中島美咲 (Nakajima Misaki)
音響・音楽
音響監督: 藤原貴之 (Fujiwara Takayuki)
サウンドデザイナー: 吉野あかり (Yoshino Akari)
効果音制作: 上田翔太 (Ueda Shota)
音楽プロデューサー: 岩崎純一 (Iwasaki Junichi)
BGM作曲: 宮崎春花 (Miyazaki Haruka)
音響ミキサー: 村田慎也 (Murata Shinya)
ストーリー・脚本
脚本家: 渡邊綾乃 (Watanabe Ayano)
ストーリー監修: 高田修平 (Takada Shuhei)
物語構成: 横山千鶴 (Yokoyama Chizuru)
台本制作: 江藤美紀 (Eto Miki)
リサーチャー: 金子洋平 (Kaneko Yohei)
声優・ナレーション
メインナレーター: 久保田誠 (Kubota Makoto)
副ナレーター: 島田恵理 (Shimada Eri)
キャラクターボイス: 林田和樹 (Hayashida Kazuki)
特別出演: 石原麻希 (Ishihara Maki)
デザイン・アート
アートディレクター: 荒木直人 (Araki Naoto)
グラフィックデザイナー: 永井美穂 (Nagai Miho)
イラストレーター: 関根大地 (Sekine Daichi)
キャラクターデザイン: 竹内さくら (Takeuchi Sakura)
背景アート: 野田健太郎 (Noda Kentaro)
UI/UXデザイン: 山口花音 (Yamaguchi Kanon)
技術・配信
技術統括: 松井秀樹 (Matsui Hideki)
システムエンジニア: 佐々木純子 (Sasaki Junko)
配信技術: 伊藤翔 (Ito Sho)
品質管理: 小林真由美 (Kobayashi Mayumi)
データ分析: 鈴木拓実 (Suzuki Takumi)
マーケティング・宣伝
マーケティングディレクター: 田中康夫 (Tanaka Yasuo)
SNS運営: 大橋あゆみ (Ohashi Ayumi)
広報担当: 加藤雄大 (Kato Yudai)
サポートスタッフ
総務・経理: 長野美智子 (Nagano Michiko)
制作サポート: 福山咲良 (Fukuyama Sakura)
インターン: 山下蓮 (Yamashita Ren)