【フル】藤原竜也『バトル・ロワイアル』深作欣二監督との撮影話が弾んで裏話ポロリ
藤原達也さんと深崎健太さんです。どうぞお入りください。拍手でお迎えください。さあ、それでは早速お 2 人に一言ずつご挨拶いただきましょう。まずはバトルロアイヤル主演七原藤原達也さんです。 よろしくお願いします。 もうな、何年前っておっしゃいました? 25 年前。25 年前ですか?本当にあの、ま、あの、懐かしくもあるんですけど、ここまでこの作品が本当に、え、皆さん愛していただいて、あの、感謝してます。そしてまずその前にですね、この、あの、雨が降ってこの虫暑い中本当集まっていただきました。ありがとうございました。 あの、控室の方バックステージはではです ね、あの、本当に25年ぶりとまでは言い ませんけど、僕たちもこう久々に会うこう 顔ばかりでですね、あの、忘れかけた人も いちゃったりして、あの、そんなことは ないんですけども、懐かしくあの、久々に 再開させてもらいましたけれども、え、 そうですね、深作近事監督とこう出会わせ てもらったのもこの作品ですし、映画の 厳しさ、楽しさをこう教えてくれたのも この作品でした。なんかこう、え、僕に とってのこう青春の1ページ、こう人生の 新たなリスタートのような、え、作品が今 またこうして、え、丸の内東えさん 亡くなってしまうのは悲しいですけども、 え、最後にですね、こう上映できることを 本当に心から嬉しく思います。 今日は短い時間ですけど、皆さんよろしくお願いします。 ありがとうございます。続きましてバトルワイヤルでは脚婚プロデューサーを続編のバトルワイヤル 2 では監督をされました深崎健太さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。え、今日は本当にお集まりいただきありがとうございます。え、バトルロエルという作品本当にあの自分のスタートとなった、え、思い出深い作品で達也や君ともあの 10年ぶりぐらっすね。なんか稽古場で なんかいいかってあれなんですけれども、 あのこうして、えっと、皆さんの前でまた 会えるのが、あの、本当に嬉しいです。 初めて自分が舞台挨拶に立たせていただい たのが確かバトルの、え、死者会でこちら の丸の内でした。達君と一緒で、で、それ 以来あの25年本当なんか自分にとって あっという間なんですけれども、皆さんも ま、色々あの、あったんではないかと思い ます。え、皆さんの色々あの 25 年も重ね合わせて今日見ていただけたらと思います。どうも楽しんでってください。 ありがとうございます。今日お父様の副作監督と健太監督と副作監督 2 人になりますんで、健太さんのことは健太さんと呼ばせていただきます。さあ、ここからマスコミの方はフラッシュはお控えください。よろしくお願いします。さあ、藤原さん。 はい。 ま、大変な問題策でありました。 はい。 が合うということで、ま、あの、公開前から社会になるという、 ま、このバトルロワイルだったんですけど、そういう珍しい作品でもありまして、当時何歳ですか? 18歳 歳だったと思 歳。はい。 覚えてます。騒動。 よく覚えてます。あの、東営大泉さんの方 で撮影していたんですけれども、生徒が、 生徒の数がちょっと定かではないんです けど、生徒全員が集まってですね、あの、 ま、ま、合宿とまでは言いませんけれども 、え、全員でまず、え、撮影周りの全員で ですね、こう、ランニングから始まって、 え、なんか筋トレから始まって、 アクション練習から始まって、あの、 こんなことなんでこんなに大変なことさせ られるんだろうと思いながら、あ あの、撮影入ったらもっと大変だったんですけど、でもよく覚えてます。そして、あの、深作事監督が、え、誰 1 人呼び間違えることなく生徒全員のこう名前をですね、記憶していたことを覚えて名 役名役名ですね。 あの、非常にこう、アグレッシブにですね、あの、生徒 1人1人とこう向き合ってくれて、 ええ、 なんかすごく温かさを、あの、撮影前から感じていて、え、ました。 あの、この騒動のことは覚えてますか? もう国会議員が国会で質問したりして、あるいは国会議員社会まで開かれて PTA でも大問題なんて、え、覚えてます?それは? そう、 そこはあんまり覚えてないんだ。 僕らはね、なんか子供っちゃ子供ですから。 はい。はい。はい。 だから、ま、結局 当初はだから大人たちはあの騒いでいるんだ。 何か問題があるんだ。でも我々は日々撮影をね、こなしていかなければいけないから、 あの、なんか ちょっと違う世界でしたね、僕らは。 ケ太さんは プロデューサーでもありました。 はい。 で、ま、この国会で問題されるような問題が起きて、東内部の当時のムードはどうだったんですか? いや、あの、いい宣伝になったなと思いまして、あの、都の仕込みかと思いました最初。 いやいや、でもね、あの、本当に薬剤映画 や色々ね、そういう意味ではあの、 アナキーな映画でずっと頑張ってきた会社 ですので、あの、そういう逆境も全部この メリットに変えていく会社なんですよね。 なので、あの、宣伝の皆さん、営業の皆 さん、一眼となって逆にそういうリスク ある作品をあの、頑張ってこう、え、 盛り上げていってくださったの非常に今で もあの、熱く覚えています。結局R15 ということで中学生が登場する映画ですが、中学生は見られなくなったということになったんですよね。 え、そうなんです。それで改めて翌年に特別編というのは作ってですね。 そう、中学生が見られるような編集にしてというさあ、そこでお聞きしますけれども、お、このバトルロワイヤルを当時劇場で見た方、あ、結構いらっしゃる。え、中学生以下だったけどこっそり見た方、あ、いる。 20 人もうちょっといますかね?いますね。そうですか。 そして今日初めてバトルロイヤルを見ると方、あ、やっぱり同じぐらい 20 人ぐらいますね。楽しみにしていてください。さあ、そこで本当にたくさん激しいアクションシーンが出てくるんですが、藤浦さん はい。 これ、あの、 ほとんどのシーンを自分でやられたっていう風に聞きましたけれども そうですね。 ええ。これご自分の希望で いやいや、あの映画というものはそんな理解していなかったので ええ、 そういうもんなんだという風にあ、 やんなきゃいけないものだと思ってて、 佐君監督がやれと言ったをやっていた。 あ、新療場が診療場が爆発する。もう資金距離で爆発するシーンがあって はい。 ま、あの、あんまり顔も見えないんで当然スタントマンの危険な撮影だろうと思って我々見ていたらあそこもご本人だった ね。どんな体験でした? そう。 あ、合成じゃありませんよね。 はい。あの、本当にあの作事監督がこう言ってくれてそういうもんだと思ってましたから。 ええ、 なんかね、右も左も分からなかったと言いますか、 近くでバーン爆発してなんか自分で飛ぶ飛ぶ感じだったですか、あれ? はい。そうですね。あの、非常緊張しましたけど、 爆破も相当強くったと思うんですよ。 あの、やらせてもらいましたけども、ま、それを経てですね、あの、違う現場に行ったらやっぱ加作組やったんやろみたいなこと言われて、あの、そ、そしたらこの、あの、こんなもん軽いやろみたいなこと言われて、ま、周りがこう皆さん映画人がこうざついてくれて逆に嬉しかったですけどね。 そうですか。他の生徒さんたちもやっぱり自分でアクションするっていうのが基本 全員やってました。そのために1ヶ月、2 ヶ月前からね、 マラソンから始まる。 はい。稽古してましたんで。 そうですか。 ケ太さん、脚婚を書きながらこれを生徒さんたち、役者さんたちが皆さん自分でやるっていうことを想定しながら書いていたんですか? いやいや、全くそんなあのちゃんとね、スタントマンの方たち、え、ジャパンクションクラブの皆さん入ると思ってたんですけれども、でも現場でどんどんどんどんみんな達也君もあん時自分でやりたいって当時は実機してましたではい。そんな感じで暑く盛り上がってた現場でした。 これあの事務所からそんな危険な爆発とかやめてくださいっていうストップが入るとかそういうことはなかったんですか? ここまでっていうのはね、あの会社も想像してなかったんじゃないのかなと思いますね。よく自分でも振り返ってやれたなと思いますし、あの今はやはりあのできたらね、あのあのアクション部の方にやっていただけたらと思 いやまンプライアンスも厳しいですからね。 そんな資近距離の俳優さんの近くで爆発 なんてことは昔の話という感じはします けれども、深崎監督は当時70歳、そして 18歳の、え、藤原さん、あの、どんな 演出スタイルだったか覚えてますか? そうですね、本当に あのすごく 深く合ってくださって うん、あの 178のね、ま自分に、え、不加作組の あの主役という 場所を与えてくださり、えー、時に褒め られ、時に、あの、君のその感情芝居で今 続けていくとお客がついてこないから、 えー、まだあの、こういう芝居をしてくれ と細かい、え、内面的な、え、な、何と 言ったらいいんだろうな。 あの、本当数m数cm のような感情のぶれ方を指摘していただいたり、あの、なんか本当にね、健け太さんおっしゃるその薬剤映画とか映画を見てても何かこう本当の人間の本質的な部分を見つかされてるような演奏される方でうん。 なかなかあのこういう方はいらっしゃらなかったかなと今振り返っても思いますけど、 あの友達は殺されて B とたけさんを教室で睨むシーンがあってそれが全く OK が出なくてずっとリハを繰り返したっていうエピソードがあるんですけどれも やっぱ覚えてますの? そうですね。あのそうですね。 当時そのたけしさんを睨みつけるっていうのもまた失礼な話でしたからね。 い、でも役ですか? あ、そうですね。ま、だからそうそう。そう なかなか厳しかったですよ、関東。 そうですか。 そうです。 ま、でもそういった、あの、健太さん、え、なんかこう中学生が苦労しやってわーとアクションでっていうことだけではなくて、そういったこう細かなところ、もうリハをずっと繰り返してなかなか本番が始まらない監督だったそうですね。 いや、本当にもう予算もスケジュールもどんどんどんどんあの打ち破ってですね。 あのプロデューサーとしては非常に困ったんですけれども、でもあの本当に暑く最後にね、あの癌を患らってたんですよ。 それでその最後の作品何がいいかって言っ た時に僕たちとしては千葉慎さん、安川 さん、たけさん、ゆかりある人の役者さん たちと最後やしかったんですが、あの父は ずっと達め若い役者さんたちと一緒にやる ことを最後にね、ずっと望んでいてはい。 それがやっぱりなんか深事の方だったなと 思いました。 何かあの画面の炭の方で映ってもないんじゃないかなって人にまで細かく演技指導していたっていう。それ覚えてます。そういうの すごく覚えてますし、あの本当におっしゃる通りそのまってないね。 あの、その例えば今日撮影じゃない方たちもあの、監督に会いにセット入ってきたり、 皆さんずっとその撮影上にいたりしてましたから、本当に あのホームと言いますかね、家庭家族のような座はありましたけども、 あの、セリフがアドリブになることも興奮していてあったと思うんですが、ほぼ台本通りにセリフは話さなきゃいけないっていう現場だったとも聞きました。 でも結構現場であのみんなに合わせて変えてってたんですよね。 あ、変えてる。 はい。 なのでそういう柔軟さもまたあのある現場だったと思います。 え、カペが貼られてるって話があったんですけども。 はい。え、達也君は本当にセリフ覚えがいいんでそんなことは全くないんですけど、あの今日お名前出せない選挙活動中の方がですね、 あの、え、はい。大変、あの、セリフ覚えがあれでございましてはい。 もうね、向く先本番な用意さでこう向く方向に全部その完ペが貼られてるっていうね。 いや、ただあの深組は完ペオッケーなんだっていうのはそういう話だったっていうね。で、それも監督がどんどんセリフ変えちゃうからそれは覚えられませんよってこともあったって話をね、ここではさせていただきますけども。ええ、で曲 確かに そこに話が行くとはちょっと思いませんでした、私も。 ええ、で、あのか、え、深崎さん、健太さん、あの、要するに現場でどんどん変えていくと話の筋とか設定もおかしくなるようなこともあったと思うんですけど、そこも関係なくですか? 違、そうですね。あの、特にラストシーンのたけさんの死に方っていうのはドタ場まであんまり決まってなかったので、あの、本当に前日まで、あの、監督と見して、あの、新回書いたの覚えてます。 そうですか。 そのたけさんのこう劇中で出てくるすごく印象的な絵があるんですけど、あれたけさんご本人がれてんですよね。 そうなんです。 別ギャラだって言われました。 そうですか。ま、でも世界の北野ですからね。 その後で、あの、ま、その北野先生、 B たたさん、北野先生の役だったんですけれども、ま、得体の知れない怖さがありましたが、現場ではどんな思い出がありますか? あの、やはりたけさんですから、あの、すごくいい意味での緊張感をこう生徒たちに与えてくれて、あの、退治していたっていうのを覚えてますけれ も、あの、僕もね、割りとよく話をさせてもらったすごく優しい方でした。はい。 あの、やっぱりお笑い芸人でもありますから、こ現場を和名ますなんてことはそうなかったんじゃないのかなって。 こまねしてました。 してましたか。すいません。 懐かしいですね。こちへえ。そして忘れちゃいけないヒロインの前田明さん。 前田明さんは15歳と設定と同じ中学 3 年生でこの役を演じられております。前田さんいかがでした?同じシーンが多かったと思いますが ずっと一緒にいましたからえ あきっちゃんもその後あの何度も共演変演させてもらって うん そうですね時間の流れを感じると言いますか あみたいな感じですね。 そうですね。もう戦友ですね。あきちゃん。 はい。はい。はい。 そして、ま、無人島で殺し合いをするわけですが、本当に無人島で撮影をした、 1 週間近い撮影だったと聞いておりますけれども、この無人島と八条小島どんな島でした?これはですね、あの、これもう今言っていいと思うんですけど、このあの書いちゃだめなんですけど、あの、こう今だから言えると思うんですけど、八条小島からこう本当にこう船で我々毎日夕方になると戻ってて、朝 で、またこう船に行くんです。 なんか漁選だったらしいですね。 漁選でそうしたらですね、 え、 あの深作監督がですね、あの撮影を後こうスタッフの方たちとね、みんなビール飲み出して 船に乗ってあのキロに着くわけですけど、これあの大変あのむなんでこんな話したのかわかんないですよ、自分で。そこビール飲んでですね、藤君綺麗な海だなつって、その秋をポーンって投げたんですよ。 ええ、 すごい時代というか、すごい人だなと思って、あの、え、嘘です。この話。 すいません。なかったことにしです。はい。 なんか、あの、本当に昔は人が住んでて、もうその時 ヤギしかいなかったですよね。 ね。ヤギしかいなかった。で、え、水道とか電気とかは ないっすね。だ、トイレもあの、残ってない。 はい。女子だけそこ使えて男みんな外で。はい。 あら、すごい過酷なところでやっていて洞窟のシーンもありましたけれども ありましたね。大変だったて聞きました。 海の近くの洞窟の市。そうですね。それこそあのあきちゃんと一緒のシーンだったと思いますけれども。 ええ え、そうですね。よくご存知で、あの、もうよくここで撮影するなっていう場所で今だったら考えられないですよね。 そうですか。 こっちで岩が崩れ落ちて あっちでも崩れててもう早めに帰った方がいいんじゃないのかなんて思ってやってました。 実際に結構近くで崩れたらしいすね。 ええ、 はい。 あ、当たんなくてよかったねみたいな。 いや、今だったらダメですね。 あとなんか船虫がたくさんって いましたね。 たね。 牛苦手じゃなかったですか? 牛苦手ですけども、そこずっとあの、止まってなきゃいけないんですよ。監督に怒られるから。 ええ。 はい。 嫌だったですか? 過酷な撮影でした。 そうですか。そして、ま、とにかく話が進むごとに、え、クラスベーターをどんどん減っていく。みんな帰っていく。 どんどん現は人が少なくなってく。どんな感じでした?それは。そうです。 みんな悲しんで帰ってくんでしょ?きっと。 悲しんで。はい。そうですね。もう、もうその瞬間瞬間をこうなんか生きさせてもらった。 ええ、 リアルにこう、ま、芝、お芝居なんですけども、その体験させてもらってたっていう感じでしたね。え、 あの、け田さん、若井はさんは撮影が終わりたくなくて死ぬ日は NGをよく出してたってのは本当ですか? それは、それは親父が NG出すんですよね。あの、 別れたくないから。 あ、で最後に八条島の打ち上げでそのた君とかね、みんなあれなんですけど平気で 10 代の役者さんたちに酒飲まし、これも今言えないやつです。で、あのプール飛び込んだの覚えてます? 覚えてます ね。なんかあの 70 歳の親父が心臓麻痺で死んだらどうしようと思いながらみんなで最後プールに飛び込んでホテルの人に本当に怒られました。 そうですか。ま、あの そうなんですよ。 監督、あの、ずっとね、あの、 8 時まで夜、あの、宴会してて、加作組ってやっぱすごいなと。だからいい時代の最後のこね、残してくれた僕らその光景見させてもらったんですけど、 ずっと皆さんスタッフ含めてあの、飲まれてるんですよ。 ええ、 でね、藤原君、あの、ある時、夜なんか八条に小島に、八条にあるカラオケスナックかなんか行こうって言って監督を僕が歌うって言って監督が歌うんだってずっと飲んでた後にそのさ、酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞって歌いだった。出したんですよ。 え、ええ。 ずっとお酒の歌を歌うんですよ、監督が。 ええ。 それが加作組でした。 はい。 そうですか。 ま、でもあの楽しい思い出とかなんかあります。過酷な思い出もたくさんあるようですけれども、あの、撮影中も楽しかったんですけど大変でしたけども、その、 ええ、 あの、撮影以外のね、そういう時間が監督の貴重なお話を聞かせてもらったり はいはいはい。 そういうのがやはり残ってるかなってありますけど。 そしてクランクアップ。 まあ、それだけの過酷なあ、こやって最後どんな感情だったかって覚えてます?終わるって時に。 全く覚えてないです。 ええ、プロデューサーからプレゼントされたのも覚えてます?普通花束じゃないですか?花束じゃなかったの?東のプロデューサーがくれたものは覚えてます?宝くじ。宝くじでしたっけ? ええ、そういう記録が残ってるんですよ。 へえ、 藤さんインタビューで鼻束と思ったら宝くじ切れてすごいびっくりしたふさ組みたいな。 へえ。 ええ。あ、 覚えてませんでした。 あ、やっぱり色々この 25前だからね。ええ、そう。 で、あの、け太さんはそのプロデューサーとして客観としてなんかこう、どんな思い出が 1番残ってますか? え、ま、あの、本当になんか死の侍みたいなもんで仲間集め 42 人の生徒をとにかく最初東にも協力していただけなかったもので、堀プロさんやいろんなとこに事務所直接出かけて皆さん 1人1 人をあの深崎事が選んでったっていうのが非常に印象深くほんで 1 番最初に也君と秋ちゃんが出会えてでもあの 1番メ どを最初に決められたのが、え、すごくこう、その出会いが嬉しかった ことを覚えています。はい。 そうですか。 え、藤さん、今改めて振り返ってこの作品が藤浦原さんにとってその俳優事実生にとってどんな意味を持っていますか? いや、もうこうありきたりで申し訳ないですけど、もう宝物ですよね。それは あのずっと思います。やはり僕の中で、え、深作二さん監督というものは強く残ってますし うん。 え、冒頭と繰り返しになってしまいますけど、やはり、え、映画の楽しさ、大変さっていうのをその魅力を教えてくれたのも加作組だし、 え、深加作組に、え、少しでもこう若い時に参加させてもらったことが、え、これからもきっと財産として残ってくんじゃないのかなと思いますし、あの、これ昔も思ったと思う、やはりあそ あ そこまでのね、才能のある方とは本当にもっともっとご一緒したくてしたかったっていう思いは残ってますけども。 はい。 そうですか。そしてけ太さん、ま、親子の共同作業となりました。 脚婚が息子さん、そして監督がお父様とこの共同作業かがでした?深加作監督はどんなお父様でしたか? えっと遅くの1人息子だったので親父が 42 歳の時んなのですごく可愛がられた記憶しか親子関係はないんですけれども現場に入ってから本当に初めて親子喧嘩をしたら止まんなくなりまして毎日喧嘩してました。はい。 え、どんなことで喧嘩するんですか? いや、もう本当に予算やスケジュールや普通もう 2、3時間で終わるだろうって撮影を1 日かけるんですよね。あの、冒頭で達也君のお父さんが自殺するシーンがあるんですけれども 4 カットのはずが全然終わらないんですよ。狭い部屋の撮影で。で、何やってんのって覗きに行ったらトイレットペーパーに一生懸命周夜頑張れ、渋夜頑張れって書いてて、あいうなんて言うんかな、客 あれ大になかったんですよね。周夜頑張れって。 そう、突然そういうことを思いつくんですよね。 で、それがなんかある人間の凄まじさにつがっていくっていう、そういう即興が深演出だった。 あれは健太頑張れって書いてるんだよってスタッフの人は思ってそうですよ。 いや、本当にもうあの辛い話ですけど撮影終わってくれるのが 1 番何よりのあれなんですけどね。本当に時間かかって朝から朝までやってました。 そうですか。ま、その作品をこれから皆さんにはご覧いただくわけでございます。え、そろそろお時間になりましたんで歩セッションに進みたいと思います。 今深崎監督のお写真ありがとうございます。いいですね。ありがとうございます。スタッフの方が持ってきてくださいました。深崎事監督のお写真でございます。あ、拍手ありがとうございます。 いつもはこんにちはですけども、今日はま、さようならみたいな感じですね。よろしくお願いします。丸の首あと 12 日で平館ということですけれども、え、どんな思い思いで残ってらっしゃるのか、まずは健太さんお願いします。 はい。え、本当にこの丸のへ、え、初めて ここの舞台に立たせていただきの頃から ずっと上で親父が打ち合わせしてるのを あの待って漫画祭りを見たり、あの いろんな思い出深い映画館です。2解石が こうやってあって、え、そしてね、あの 大音量が響く、この天井が高い劇場っての も日本に最後、ここは最後で亡くなって しまうのは本当にあの悲しいんですけれど も、僕もまたこの風景を目に焼きつけて、 え、いつかまたね、あの都の皆さんとお 仕事することができたらと思っております 。本当にあの深崎近事もやっとあのここに いて、え、喜んでると思います。本当に 今日はどうもありがとうございました。 け太さん、 25 年前バトロアの初日ここに監督と偵察に来たそうですね。よくご存じ夜にそうなんですよ。親父が医療心配してあの車で一緒に来たんですよね。そしたらまた今日も同じ景色が見れてあれだったんですけど映画館の前にいずらりと人が並んでいて 深夜 はい。 もう徹並んくさった方がいいて、その横側見た時の親父の顔が本当に忘れられず ああ はい。 え、豪快なふさん監督もちょっと入りが心配で夜中に見に行こうなんていう気持ちになるんですか? そうなんですよね。すごくはい。でも皆さんのあの姿を見た時のあの笑顔というか泣き顔と言いますかね。それは本当にあのはい。うん。 何よりのあのプレゼントだったと思います。 そうですか。そして原さん。 はい。 丸の東へ閉官、え、どんな思いでいらっしゃいますか ね?非常に寂しいですけれども、あの、ま、僕らとしては、え、その思い出を残しつつもまた、え、新たな気持ちでね、新しい作品で皆様を喜ばせていけたらいいなと思ってますけど、 お客さんにメッセージお願いします。 はい。本当に、え、多くの方に集まっていただきましてありがとうございました。え、最後に監督と深加作監督とも会えたので非常に嬉しかったです。 え、バトルロワイル久しぶりの上映になりますけれども、最後まで楽しんでってください。ありがとうございました。 ありがとうございました。以上でバトラブは終了でございます。藤原達也さん、深崎健太さんに大きな拍手お願いします。 ありがとうございました。深崎監督にも大きな拍手をお願いします。
藤原竜也と深作健太氏が15日、東京・丸の内 TOEIで行われた『バトル・ロワイアル』上映前舞台挨拶に登壇した。
#藤原竜也 #深作健太 #バトル・ロワイアル
2 Comments
ピー音とかカットしないとダメでしょ!
知人が出演してるので気になってました(笑)