『木の上の軍隊』監督、平 一紘が語る、堤真一&山田裕貴の“凄み”

つみさんはですね、本当に凄ましくて戦争が終わったということを知るシーンがあるんですけど、信じられないぐらいエモーショナルにやられてきたので、もう 2 度はできない芝居なんじゃないかなという。 [音楽] 元々僕は沖縄県での中心にですね、ドラマや映画、え、またはそのテレビ CM だったりっていうのをやらせていただいてたんですけれども、沖縄で 1 本あのミラクルシティこぞっていう長編映画を商業で撮ったのはあったんですけど、それ以降は商業で自分が監督でっていうのはやってなかったんですね。その企画の横沢さんていう方が木ノイの軍隊という舞台が原作の うん。 劇場映画をやりませんかということで来たので、もちろんやりまて 2つ。 戦治で受けたいいものの、ま、沖縄戦を背景にしたものだったりっていうこともあって、 [音楽] ま、いろんなプレッシャーもありながら引き受けたという感じになりますね。 うん。 段取りで思ってたシーンじゃなくなったっていうシーンとかもありました。 具体的にはその戦争がおったら何がしたいっていう風に山田幸さん演じるあげな信用役のが尋ねるっていうシーンがあるんですけれども、アナがいうセリフってのは何気ないセリフのつもりで書いたんですけど、そこはただのその次のシーンの女装のためのシーンだったんですよ。僕の中の設計図では。 はい。はい。 だけどの中で全然違うなシーンになってこれまともすればウッティになりすぎるからちょっと抑えろ みたいなとかも全然そういう選択肢もできたんですけど いやこれはこの時代を生きてた人だったらこうなってしまうかとで多分役を生きてる中で多分そういう風に出ちゃったんだなって思った時に うん。 これを僕の価値観でこれを潰しもうのは違うなって思ってそこを採用しました。 つみさんはですね、やっぱり本当に凄ましくて、あの、戦争が終わったということを知るシーンがあるんですけど ああ、はい。 あそこのシーンは最初の段の時とか淡々と言ってたんですけど、実際本番入ると もう信じられないぐらいエモーショナルに へえ、 このやられてきたので、もう 2 度はできない芝居なんじゃないかなというような感じでやってましたね。部下もみんな死んだんだぞっていうの。 あれはみさんが現場で考えたセリフ へえ なんですね。 うん。 あれは元々僕は違うセリフをはめてたんですよ。それは体もこんなにたるんでしまったと うん。 こんなになってしまったのにどの下げで帰れっていうんだっていうセリフだったんですけど、それは舞台版から投集して僕は作ったんですけれども、実際つさんは現場で、ま、自分のこと言うのもいいけれども、俺がここで今思ったのは死んでいった部下の顔だなって [音楽] 言って、 で、死んでいった部価のことを思い出している シーンになりました。 僕はでも運がいいことに素晴らしいスタッフと素晴らしいキャストが同じ時代に生まれて育っているから取れたんですよ。 多分これがあんまり上手じゃないカメラマンがいて とかだったら僕は東京から呼んでたと思いますし本当にやりたい人がいチームチームでやってるっていうだけで別に島出身にこってるわけではなくて俳優も含めていい映画を作りたくて仲間を集めたらたまたまそういうチームだったっていうところで僕は沖縄で映画を取らざるを得ない時代があったから 映画を撮ってたらいでもいい映画が取れてなかったら多分今ここでこうやって話は受けてないと思うんですけれども幸いくつか取れてきて で 今回もすごく素敵な作品に仕上がったからいるんですけど、そん時にたまたまいっぱい沖縄に育ってた仲間っていうのがでっていうことはあります。 だから沖縄指身だから取れたというよりかは沖縄にたまたまたていうイメージが僕はあります。その映画が撮れるチームが うん。 映画はずっと好きやったんですよ。中学校の頃からずっと小児前速でこの ああ、はいはい。 東京の病院に通ってた時期があって はい。 小学校が卒業できないんじゃないかぐらい出席に数足りないぐらい僕は学校休んで病院行ってたんですけど その時東京でたくさん映画を見たんですね。病院の合間暇だったんで そしたらま大人が見るような映画とかもあの全然見て楽しくてでずっと見てて映画オタにそのままなったんですけれども映画を作ろうっていうのは未人も考えてなくて取り始めたのが大学の自主映画でしたね。結果大学 4 年間何十本も作り続けることになってでもやっぱり卒業することには映画の仕事に着きたいって はい。はい。 ってたんですけど映像の業界全部滅したんですよ。東京の会社も含めて滅してテレビ局も全滅してで 100点に受かったんですね。 県内の氷理業に受かってで交業ま、いくつか受かった中での 1 番僕が行きたいなと思ったのがデパートボっていう会社で百貨点なんですけどそこはま、 4 連休制度ってのがあったりとかちょっと車内がクリエイティブな雰囲気だったんでここだったらちょっと自主映画取ってもいいんじゃないかなと思って自主映画を取る前提で僕は会社に入ったんですね。 で、そこで入りながら監督っていうものをやりながらずっとやってて、 え、5 年後にやめて本格的に映画をやりたい。 うん。 うん。 てことでプロジェクトい会社、あの、うちの同級生がお城ってやつが立ち上げた会社はい。うん。うん。 に合流することになったんですね。一緒にやろうっていうことで合流して、そっからやってたんですけど、ま、 289 ぐらいまで全然やっぱり映画って取れなくて自映画ひたすら取ってたんですけれども、誰も知らないんですよね。 映画を取っても 数十人見るとか、ま、たまに金沢は映画祭とかなんか色々映画には行きましたけどうん。はい。 でも全く売れず うん。 だったんですけど、ま、未映画予告編大将っていうこのオフィスクレシエンドさんがやってる 企画があって本編が出来上がっていない映画の予告編だけを作るコンテスト うん。うん。 で優勝したら3000 万円で映画が撮れますよっていうやつで、ま、笑にもすがる思いで応募したんですよね。今まで撮ってきた映像っていうのが僕は沖縄から逃げてた映像だったんですけど、僕は沖縄にいないといけなかったんですよ。 沖縄に残るなくなってたんで嫌だったんですね。沖縄の映画がこの鉛とか うん。 この赤とか優しいオバーとか 青い空白い雲とかもうなんか全部が嫌で うん。 そういったものの映画で撮りたくないって思ってたんでもうなんかゾンビ映画撮ったりヤザも取ったり変な SF 取ったりしてたんですけど、ま、誰にも見てもらえないわけですよ。 この未間制学予告園対象っていうものは ルールの中で3分間の予告園もう1個は 致名を入れることっていうのがルールで あって致名かと思って入れたくねえなと 思ったんですよなとか沖縄とかとか死んで も入れたくないと思ってたんですけど 僕最初にやった企画はベトナムの企画だっ たんですよその企画出てチーム内でこれ 面白くないよってなってボツになって 仕方なく小座の話を考えたんですよ。で やみると地元の話がめちゃくちゃ面白かっ たんですよね。で、しかもそれが優勝して 、で、劇場映画で桐谷健太さんが主演で出 てくれるってことになって、本当に初めて そっから地元に対してというか、自分が 住んでる場所とかっていうものの価値と いうか、この物語的なネタの豊富さにも 気づきました。し、ていうところに 向き合うようになりました。 僕は本当に運が良かったんですよ。 周りのスタッフも題材も全部が運が良くて、今ここに座らせてもらって、いろんな人から映画のことを興味を持って聞いてもらえるという立場にいるんですけれども、多分 20 代で僕は諦めそうだったっていう時代があったとはいえ、多分続けてたと思うんですね。それは映画以外があんまり興味がない。 ああ。 のでもしだから何かが好きで副業としてやったりとか知ってる人がいるのであればもう僕はその時点で幸せだと思っていて ああ、 それはそれを持ち続ければ別に何も諦める必要はなくて、ただやめてしまった人からチャンスはなくなると思います。 続けてる人だけが絶対に勝ち取れるチャンスがあるし、 1つ僕がまだ 30 代の若像なんですけれども、あるとすればチャンスかなと思った お話というものはその場で受けた方がいいと思います。 1 回失敗したことがあります。僕もそれですごい仕事だったんですよ。 うん。 ちょっと忙しいなと思って大丈夫かなって迷惑かけないかなって考えますねって言ってでも僕の中では早いつもりで 3 日後ぐらいにプロット書いて出したらあ、ごめん。もう違う人に頼んじゃった。 うん。 あ、これ今逃しちゃいけないなっていう何かこう話が来たらもう後先考えずに受けるっていうのが普通だと熟行して受けるべきっていうのは普通の価値観だと思うんですよ。 ただクリエイターなので、クリエイターに来るチャンスっていうのは他の人生を生きてる人たちのチャンスとはまた質の違うものだと思います。だからそれは絶対にその瞬間に入ってやるべきだと思います。 [音楽] [拍手]

2025年、太平洋戦争の終結から80年という節目の夏に公開される映画『木の上の軍隊』。沖縄・伊江島で実際にあった、“戦争の終結を知らないまま木の上で2年間を過ごした兵士たち”の実話をもとに、井上ひさしが原案を手がけた舞台を映画化した。
監督・脚本を務めたのは『ミラクルシティコザ』(22)で注目を集めた平一紘。堤真一と山田裕貴をダブル主演に迎え、極限状態における人間の心の揺れや、戦争の不条理を、静かに、そして時にユーモアを交えて描いた。
監督としての決意、現場でのやりとり、自主映画に打ち込んだ日々まで――率直な思いを聞いた。

【目次】
00:00 オープニング
00:15 監督オファーのきっかけ
00:53 安慶名セイジュン役・山田裕貴について
01:41 山下一雄役・堤真一について
02:41 沖縄で映画を撮る仲間
03:39 商業映画監督デビューまでの道のり
06:46 働きながらクリエイターを目指す人へ

▼動画内では語られなかった詳しい内容はコチラ!
『木の上の軍隊』監督が語る、堤真一&山田裕貴の“凄み”「役を生きているからこそできる芝居」

『木の上の軍隊』監督が語る、堤真一&山田裕貴の“凄み”「役を生きているからこそできる芝居」

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▼映画『木の上の軍隊』
太平洋戦争末期、戦況が悪化の一途を辿る1945年。飛行場の占領を狙い、沖縄県伊江島に米軍が侵攻。激しい攻防戦の末に、島は壊滅的な状況に陥っていた。宮崎から派兵された少尉・山下一雄(堤真一)と沖縄出身の新兵・安慶名セイジュン(山田裕貴)は、敵の銃撃に追い詰められ、大きなガジュマルの木の上に身を潜める。仲間の死体は増え続け、圧倒的な戦力の差を目の当たりにした山下は、援軍が来るまでその場で待機することを決断する。戦闘経験が豊富で国家を背負う厳格な上官・山下と、島から出たことがなくどこか呑気な新兵・安慶名は、話が嚙み合わないながらも、二人きりでじっと恐怖と飢えに耐え忍んでいた。やがて戦争は日本の敗戦をもって終結するが、そのことを知る術もない二人の“孤独な戦争”は続いていく。極限の樹上生活の中で、彼らが必死に戦い続けたものとは――。

©2025「木の上の軍隊」製作委員会

▼出演者情報
平 一紘氏/映画監督
1989年8月29日生まれ、沖縄県出身。大学在学中に、沖縄県を拠点に活動する映画制作チーム、PROJECT9を立ち上げ、多くの自主映画を制作。主な作品に『アンボイナじゃ殺せない』(13)、『釘打ちのバラッド』(16)、ドラマ「パナウル王国物語」(20/日本民間放送連盟賞のテレビドラマ部門優秀賞受賞)などがある。22年に脚本・監督を務めた『ミラクルシティコザ』では、クリエイターの発掘・育成を目的とする映像コンテスト「未完成映画予告編大賞(MI-CAN)」も受賞。そのほかの作品に、堤 幸彦監督と共同監督の『STEP OUT にーにーのニライカナイ』(25)などがある。

▼日本中のクリエイターを応援するWebメディア クリエイターズステーション

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#山田裕貴 #堤真一 #平一紘 #井上ひさし #木の上の軍隊 #沖縄

1 Comment

  1. 素晴らしかったです。ネタバレになるので書けません。
    今年の映画20本以上観ましたが、1番〈強い〉です。
    勿論〈凄い〉映画は他にもありましたが、ともかく〈強い〉です。
    少なくとも現役国会議員は全員、ジバラで観るべきです。

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