『ボクらの時代』『北村一輝×福山雅治×柴咲コウ』柴咲コウの初仕事は…
ではこちらの3人 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 こういうトーク番組で福山さんがいると 超安心。 うん。 あ、そうですか。すごい安 ファシリテートできる人って感じだから。 MC福山って有名ですからね。さですね。 この3 人のトライアングルで映画を作ったのは 14 年ぶりっていうことになる。 うん。うん。うん。そんなに経ってた。 14 年は経ちましたか。 福山正さん、柴崎さん、北村か和さん、先生 人は今週金曜より公開の映画目のパレードで共演 者としてたの 福山さん演じる物理学者湯ぶが不可な未解決事件を科学的検証と推理で解決していく人気シリーズです。 風船を使ったよ。 映画としては容疑者 Xの検の共演の 3 人。時を経て感じた変化やそれぞれの生き方を語り合います。 僕映画の主演というのやらせてもらうのはあれが初めてあったんですよ。 え、そうなんですか? そうなんです。 うん。 39歳の時か。 それが初めてなんです。 39歳だったんですか、あの時。 そうです。そうです。 今の私より年下だったんですね。 そうです。 てかそもそも映画に出演させていただいてなかったので。え、全然 そうなの? へえ。 いや、デビューオーディションはうちの所属事務所のアミューズが 10 周年で映画の俳優と、え、監督と脚本と全部募集しますっていうのが僕の始まりだったんです。 へえ。 で、なんか全然分かってない状態で 飛び込んでいってうん。 うん。 それが18かな。18か19ぐらいの頃。 へえ。 でもその間ドラマは結構やってます。 ま、でもやっぱりキャリアの割には本数は僕は少ないですよ。もうさも北村さんの方がも圧倒的に多いで。 いやいやいや。 うん。 柴崎さんの最初のデビューってあの CM、 あの3分情報番組みたいなの うん。 今日何時からはこちらみたいなやつが本当の最初ですね。 でもそのぐらいの時に私北村さんと共演してるんですよね。 結構 ね18ぐらいこうちゃんが うん。うん。 俺がどれぐらいかな?30ぐらいかな? うん。うん。うん。 気強そうだなと思った。 本当? あの現場で無字しない? ああ。 うん。1 歳、18 歳でそんな経験ないって言いながら全然物じする感じでもなく、周りを伺ってるわけでもなく自分で いるなっていうのはすごい そうだったかも。何も知らないのにだから何ですかぐらいな感じなんだかも。 14 歳の時にスカウトされるされる時期ってあるんですよね。なんかこうまだ未完成の未熟な へえ。 でももしかしたら磨けば光るかもしれない時期に そ歩いてて急に声かけ 歩いてて突然やってくる。 すいませんって。 はい。 へえ。 で、そこら辺から今まで自分が生きてた世界とは全く違う次元の世の中世界があるのかもしれないってちょっと気づくわけですよね。 へえ。 興味はあった。全然なかった。 何になりたかったんですか?その当時 14歳ぐらいの頃って パーソナルスペースがちゃんと保てる職業に着きたかった。 あの、あんまり人との距離が近いのが苦手で集団行動も苦手、学校も苦手なタイプだったんで。 うん。 だから個室イコール例えばタクシーの運転手さんとかトラックの運転士さんとか 自分1 人を保て働けるっていうのがいいなって思ってた。 うん。 で、そのやってみようと思った最初のきっかけは 経済的な理由ですね。 おお。 だから早く大人になって自立したかったからそれが早く訪れるかもしれない。できるかもしれないってチャンスが来たっていう感じ。 14 歳の時はまだやっぱり 親の反対にも会い うん。 で16 歳になってからその事務所に入りました。 SLanddon’taskto clearthe letmebewrong tillthefall butirrational Ishinewhereserious letmegetthehardtheI wantandsato letme ええ、やっぱ反対でしたか?親御さんは最初 反対、もう反対ですよ。売り飛ばされるぞ。 ま、1人娘なので うん。 父親からしたらそんなところに入れられないってなります。 芸能会って怪しいとこだろ。 そう、そう。 まさにも芝居やりたいっていう風な気持ちはあった? したことがないから分からないですよね。だから憧れてもなかったわけなので。 ただでもどんどん魅了されていつってのはあるんですよね。面白いなってのめり込んでいった感じ。そうですね。 これはいい出会いだったんでしょうね。色々 好き嫌いがすごくはっきりしてるので嫌いなものを続けることは多分できない。 うん。 なんか自分がこうやりたいって思った芝居ができないな、悔しいなとかっていうことじゃなく。 ああ、あ、あります。それもあります。 悔しさも下手くそとか言われて、下手くそ帰れとか言われて、そういう時代だったので、まだ 1990 年代北村さんのテレビのきっかけは何だったですか? 僕は事務所に入るまでに 10年以上がやっぱかかって最初 18 で出てきて右も左も分からず来てからさあどうやれば俳優になれるかっていうか うん。 で、事務所に電話しても誰も会ってもいただけない。 ま、オーディションっていう雑誌があったりして あった、あった。僕も読んでた。 そう。それを読んでもどこもダメでした。全部出した。結構ないろんな数出したけどどこもダメでエキストラみたいなことをやり始めて へえ。 そのうちに今で言うすごい巨匠ですかね。 だから三池孝監督やら月六郎監督、小林正さんとかと その実映画やVシネマの頃に 一緒にやり始めて うん。 で、その監督たちが注目されるようになってきて、だんだんそのもうその頃にはうん。 1 年に何十本って小さい映画もう何やってるかわかんないぐらい本数やってて うん。 で、初めて事務所に入れるようになったのが 20後半ですよね。78うん。うん。 ま、バイトもしながら みたいな不安でした。それともやなんとかなるやって思ってた。 不安は変な話ですけど多分なかったです。 うん。 基本的に成功するまで何でもするっていう はい。はい。はい。 何をやっててもやる 簡単に言えば人の3 倍努力すればできるはずだし 3倍で足りなかったら5 倍やればいいっていう感じで。 だから変な話なんですけど服も買わなかったんですよ。出てきた時。 うん。 全部レッスンものにお金かけて で笑われたりしても いつか俺にはスタイリストがつくからっていうぐらいなことを大口叩いて うん。うん。うん。 下積みっていう感じは一切なく徐々に役が上がっていくわけですから。 うん。うん。うん。うん。 自分の中ではこう むしろ手応1つ考えたんです。 はい。不安というよりはむしろ少しずつ積み上がっていってんぞっていう実感があった。 そうですね。 うん。なんか24か5 ぐらいの時になんかこれあんまり話したこともないなんか自分の中の天気っていうものがあって うん。 よく家でやっぱり 1 人で寝る前とかにもんも々ん々してずっと考えるわけですよ。その毎日もっとこうなりたいとかいろんな妄想とかもあったりしてる中で やっぱあんまりうまくいかない時期に例えば同じ年ぐらいでどんどんこう売れてる人たちとか見てこう悔しく思ったりする自分がいてうん。 そん時に最初の方って認めれなかったんですよね。なんでこんなやつ売れてんだよって俺の方ができんのにみたいなのがあったんですけども なんか認めるようになったんですよ。自分がどこを足りないんだろうっていつも うん。うん。うん。うん。 で、何が足りなくて、なんかすごいこう図を作ってこうなりたいためには何が ええ、 必要でそれをこうずっと図を書いてると自分に足りないものっていう項目を書いてる時に すぐ人と比べてる自分があって逆にあんまり人を認めれなかったからこそ何も入ってきてないし ああ、 これは違うぞと思ってその時プライベートでも大きく色々状況が変わったというか結婚することにもなったりして うん。 自分と戦向き合わなきゃいけないっていうか人と比べるとかじゃなくてすごい人はみんないいじゃないって俺もそこ行くしっていうぐらいになんかすごいいいマインドに 変えたなんか 特別な日ではないんですけど 論理的じゃないですか? そうそうそうだから楽観的で絶対なんかそのマイナスな方に考えないできなかったらどうしようと考えないみたいなところもありつつなんかその対策をきちっと考えて抽 マップみたい作ってるってのが そう作ってた。 すごい。 なんかすごくあの勉強ができる大学生のノートの取り方みたいなね。 いやいや、全然 こう分析して足りないところね。 なんかバランスがいいですよね。すごい。 あの歯を全部抜いたってあの話があれ本当なんですか? そこですか? 歯を抜いた。 全部 前歯を 9本ぐらい抜いて削って なんで 役ででしょ? 役でいや、今考えたら本当その顔俺もそう。 前歯を 9本ぐらい抜いて 45、5本削ってな んで? いや、役ででしょ。 役で?いや、今考えたら本当その顔。俺もそう、そう、そう、そう。 え、知らなかった。 知らなかった。 ほら、ほら。だから知らない。あ、それあんま言わないようにしてるの。 そう。いや、あの、だから正直何度か聞かれたりすると 1回喋ると飽きるんですよ、僕。 ああ。 あ、 すぐ飽きちゃって、もう、え、それ他で話しちゃったとか。 そう。はい。はい。ああ。あれだ。トーク会で言うとこフリースタイルの人だ。 ヒップホップで言うとね。 あの、2 パターンいるからね。僕みたいに何回も話していくうちに落語のように仕上がっていくのを楽しむ。 大泉さんとかもそうなんだけど、まず楽屋で話し始めて ネタししてそっからほんまね話すみたいな。 なるほど。そういうのないでしょ。 だからちょっとあの話戻してもいいですか? ええ。はい。 はい。 それはそうじゃなきゃダめだ。そう。 その、 ま、まずいくつかもちろん理由があって、あの、徐々に徐々に自分で役を掴んでいくしかなく、 ま、爪跡というか、常に 100% 以上のものを出そうとしてて、その時頂いた映画が主演が萩原健二一二さんと渡辺部郎さんだったんですね。 で、僕は渡辺部あ郎さんの 弟部みたいななんかそういう役でで、年も近いし身長も少し高いだけで似てたりするので うん。 どうすれば弟分に見えるだろうと。うん。 で、色々考えて食べ方にその品のなさというか、 いろんなものが出るんじゃないかと思って、こう家で食べ方とか音を出したりとか うん。 お箸の持ち方でやったりとか色々やったんですけど、なんかもう少しないかなと思った時にやっぱり歯が揃ってたら変だよなとか思ってなんか思いついたんですよ。 うん。 で、抜こう。 そ、歯者で、 そうです。 すいません。あの、反いんですけどって。 そうです。 そ、抜いてくれるんですか? いや、まずダめで。 うん。 で、ま、あと々全部直したいんですと。 うん。うん。うん。 だからいいんです。 って言って、ま、先生に頼み込んで、ま、最初はおる恐る 1回目、1日目は4 本ぐらいかないもらって。 一気に4本ね。 はい。 で、やめて、で、そのうちやってるうちにだんだん先生も乗ってきて、ちょっと削る派もあった方が色々あった。ほんで 結果的に4本削ってで9 本抜いてみたいな感じで すっごい覚悟です。 でも結構今でも多分そういうのは平気な方かもていうか うん。 作品で見てる人が面白いとか笑ってくれるんだったら、ま、どうなってもっていうかいいかなみたいな。 いや、この話は何回もした方がいいですよ。 うん。 落語みたいに言えるように。 あの途中あのドクターが乗ってきたみたいな話も面白いしやっぱそういう話聞くと北村さんの俳優としての教授 から人生の生き方も含め物の捉え方も含め全部入ってるんで なんかその言葉ちょっとあれですけど役者バカみたいな そういうのがあんま好きじゃなかったんですよ。 うん。うん。うん。 やっぱちゃんとしたいんな世界、いろんな違う分野のことも知った上でちゃんとやらなきゃっていう考えが根本的にあったので うん。うん。 どっちかっていうと歯抜いたり体重すごい変えたりすると役者ばかみたいな感じで書かれたりするんでそれを避けたかっある。 でも歯を抜いたことのエピソードだけじゃなく、今カレーも入ってきてるから。 そ両方行くとなんかちょうど歯抜くけどカレーもやるんだっていうのが バランスと バランスとしてかっこいいと思います。 幅広いな。 幅広いね。 カレー で僕はだからカレーの話をネットニュースかなんか見た時によかったやっぱ。 うん。 あ、そうですか。 思った。ビジネスっていうものをね、 ちゃんと打ち出してやるっていうのって はい。 やっぱかっこいいです。 僕なんかあのこそりやってる人なんでどっちかっていうと いやね。 う前からね。 はい。あれはま、違う目的もありまして うん。うん。そうだよね。 うん。ま、ちょっときっかけでお店の話を頂いた時に高齢者の雇用とか うん。 今帽子家庭の人とかもやっぱり色々いるじゃないですか。 まあ、自分とかの周りにもそういう人たちがいて、なんかそういうことを自分が仕事やっていくうちにこう広げれるかなと最初はそれで始めてそしたらま、コロナみたいな状況になっちゃったので ま、大変だったりもするので、またそこで今なんかフランチャイズみたいなこといっぱいやり始めたりしてるんですけど、そのうん、 全国のお店にどうぞ使ってくださいって、今出して少しでも儲設てくださいってほとんど利益取らずにえん それでちょ でも助かってるお店が今もいくつかやっぱ出てきててなんかそうやってありがとうございましたって言われてうん。 なんか気持ちよく人と繋がれて うん。 面白いです。でも皆さんなんかやられてるじゃないですか。バランス逆に良くならないですか? 私はそうですね。 うん。はい。福山さんはな うん。僕は あの少しそのこの仕事で収入が上がってくると個人の会社作ってくださいっていう風にやっぱりこう言われるんですよね。会社からもあ、じゃ会社があっていろんな業体を登記をしてるんであればうん。うん。うん。うん。 ま、自分がやりたいと思ってることや出会いがあればそこと組んでいくっていう例えばレコーディングスタジオだったんだけれどもそこで働いていたスタッフの方で料理がすごい上手な人がいて 1人1000円とかでうん。 ま、定食みたいなもんですよね。そういうのそのスタジオが始めたんですよ。で、それ美いしくてうん。うん。うん。 もしこのレコーディングスタジオが潰れたら、あの、一緒にご飯屋さんでもやろっかなんて言ってたら本当にレコーディングスタジオがなくなっちゃっちゃうんですよ。 ええ。 で、それでじゃあなんかやろうかっていうなんかそんな始まりでした。 へえ。 そのさっき北さんもおっしゃったし、柴崎さんもそう感じてるところがあるんでしょうけど、そのうん。 ま、自分がこう仕事やらせてもらってるっていうのは、ま、もちろん自分の頑張りもそら頑張ってないとは言わないから頑張ってるし 汗も書いてんだけどやっぱり運と出会いによってほぼほぼ生かされてるっていうのが うん。 事実そうなんだと思うんですよ。 そうですね。うん。 で、そのマインドが生まれてきた時に うん。 なんか人の役に立てることに使えたらいいんじゃないかなっていう風にその感謝の気持ちをどうやって形にできんのかなっていうことをやってるっていう状態ですね。 どうしたらそういう福山さんみたいになれるんですか? なんですか? え、若い時はどうだったんですか? いや、もっと全然人のこと考えてなかったです。 やっぱ1 番大きかったのはデビューした後ですね。 1990年の3月21 日にデビューして、音楽でデビューして全く売れなかったんですよ。 ほう。 全然売れなかった。で、それがしばらく続くんですよね。こうオリコンチャートにも入ってこないで うん。 何位って出てくるのって 200位までなんですけども 計測不能って出てきますから。あ、 ええ。 ええ、200に入ってなかった。 そう、そう。だから 計測できないぐらい売れてないわけですよ。 で、売れてないんだけど、それでも 2枚とか3 枚とかシングル出させてもらって、で、 2枚目のアルバム、3 枚目のアルバムぐらいまでなんかバンバンやらせてくれるわけですよ。 うん。うん。 うん。 あれ、これ自分でお金出してないのに全然こう取り戻せてないなっていうことに気づくわけですよ。 だけど幸いなことにライブをやるとファンの方が増えていってたんですよ。 うん。うん。 で、僕はその時初めて、あ、ファンの方が応援してくれている この人たちのために頑張ろうとまず思ったん ですよね。え、なるほど。 頑張れる対象が そうですね。それとにかく 恩返しないとっていう ファンの方に やらせてもらう時間をもらった。 うん。 え、あとレコード会社やプロダクションの方に 期待という名元の、ま、執行猶予とでも言いましょうか。 あ、すごいな。 有もらったと思って。 うん。 ということはもうとにかく本番をやりながらでも練習を積み重ねていくで、その時間を与えてもらってるっていう感覚でずっとやってきたんで。 ああ。へえ。だ、 感謝ですよね。 うん。うん。 福山の血液は感謝できてできて 建結大変ですね。 いや、もう感謝の建がいきますから。なるほど。はい。 いいですね。 柴崎さんはどうなんですか? でも今本当激しくいいと思いながら聞いてました。そう。まさにそう。私も出発はそこだし。 うん。 その会社作って低感に色々じゃあこうくねあのわ。なんかもうなんか何でもできるかもしれない。 日品販売、雑貨販売とかたりとか しながらでそれと共に自分自身がちょっと色々世の中のことを知るようになって社会課題だったりとか、え、環境課題っていうのが もう年々悪くなってきてるなっていう。うん。うん。うん。 で、物を売るっていうのは反することかもしれないけれども、その私たちは消費何かを消費しないと生きていけないわけだから、 やっぱりせめてそこにその罪の意識っていうものが薄れるような買い物自体も在悪感なくできる物づりがしたいっていうのがやっぱり普通ふと芽えてきて うん。 そういった、ま、お洋服作ったりだったりとか化粧品作ったりだったりとかっていうのは うん。 始めましたね。その北海道のね、これ 2拠点生活って言っていいもんな。 2 拠点って、まあ何とでも言えるかなと思うんですけど。 うん。 なんか人にうまって、じゃ、例えば東京都会で仕事をするだけの自分っていうのが飽きてきた。 うん。うん。 真の豊かさとはなんぞやってなった時に うん。 やっぱりなんかその元々あるものだったりとか自分では作り出せないものが自然だったりとかそういう木々森だったりとか他の動物植物たちだったり でそれを感じられる機会が少ない人生って豊かなのかなって思ってできることならやっぱりそういうのに触れられる時間を持ちたいしそれが自分の豊かさに繋がるなと思ったんで もう私も本当に考える前に行動するみたいな感じなんだけど土地う で、じゃ、もう立てるみたいな 感じで気づいたらもう走ってたっていう。 どうですか?やってみて。 必要ですし。 ああ、 みんなでこう畑仕事ができる場所を持って へえ。 色々こう実験してみようってしていて、 例えば鶏買ってみたり うん。うん。 そこでコットも育ててみたり はいはいはい。 そう、そう。やってみようかなっていう。 だから自分がやること全部なんかしら役に立って循環すればいいなみたいな。 ただ自分の満足度だけで終える人生じゃなくって うん。 それが巡り巡ればいいなみたいな感じ。 50代ですよ。 え、 ま、正直もちろん元気なんですけど、 ま、多少疲れは残るようになってきたからっていうのあります。 撮影が結構深くまでなるとなんか 23日残るなとかっていうのはな ないすか?うん。 ありますよ。 すごく ありますよね。なんかその労働環境も含めて 変えていかなきゃなっていうのはちょっとその責任感も含めてやっぱ出てきますね。なんかね。 うん。うん。うん。うん。そうですね。 うん。なんかそういうところって先々の人のために変えたいとかっていうのはすごくあるっていうか うん。うん。うん。 良くないこともやっぱいっぱいあるじゃないですか。 うん。うん。なかなかその世の中には実態も分かりづらいしでも過酷じゃないですか。やっぱりそのメンタルすり減らして魂削ってその 1人の役作品に 3 ヶ月ぐらい拘速されてずっと没頭するわけじゃないですか。そ、メンタルケアとかも含めて 課題は結構あるんですよね。なんだけど変わらないなかなかっていうのは感じる そうですね。 え、ま、でもこのエンターテイメントっていうものが社会において必要な仕事だっていう風に今のコ中においてもそう逆に強く思ったし うん。 エンターテイメントの出番がその時にその自粛みたいな そうですね。 うん。なったけど改めて自分は 2年間ぐらいコンサとかできなくて 2 年ぶりにステージに立った時にこんなにもう音楽っていうものが自分にとって必要だったんだっていうことを実感したんですね。 うん。自分にとって。 うん。やっぱり生のライブ、夕刊客でのライブをやった時に 生き返った。 うん。 こん SP likearec r inchcked out hthe ch
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『ボクらの時代』『北村一輝×福山雅治×柴咲コウ』
– 放送内容詳細 :柴咲コウの初仕事は…
⏰次回 : 06: 00
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