大友啓史監督『宝島』INTERVIEW

[拍手] [音楽] [拍手] 1つは小座騒動、小座暴道とも言います けど、あれをちゃんとまずや るっていうことですよね 。 あの、原作の中でも小座暴道というのがそれまでにこう積み重ねてきたいろんな人の思いというのが うん。 積み重なっていく。その瞬間沖縄の人たち全員が戦アになった。 つまりその うんと奪われたものを奪い返すという自分 たちの土地、自分たちの何かで戦ギアの 元々はやっぱ自分たちの土地でを全部ね、 奪われて基地になってしまったり、自分 たちの土地をこう勝手に使用されて自分 たちの住む場所が自分たちのこう思いとは 別な場所でどんどんどんどんこう奪われて 違う疲れ方をしていってしまったってこと に対する多分違和感というかね、あの食べ られないってことももちろんあるけど根こ にある考え方はなんで俺たちの故郷なのに 俺たちの故郷は宝の島を取り戻せって キャッチコピーがあるけどなんで俺たちの 島なのになんで俺たちが何も決められない んだっていう全部奪れちゃったないか俺 たちはっていうその奪れたものを奪い返し て俺たちの生きていた場所なんだから当然 だろうっていう感覚ですよね。あの、なん かそれがそういうその先屋たちが小さい頃 から心に抱えていたものが時代がこう 移りく中でいろんなことが積み重なって いく中でなんとその沖縄に住んでる人 みんながあの番1番だけ戦ギアになって 自分たちが奪われた自由とか自分たちが 土地で生きていく喜びとか楽しさとかそう いうことを奪われてしまったことに対する 長年積みかてきた言葉にならない感情って いうのを一瞬のうちにこう爆発させたって いう、ま、クライマックスなんですよね。 だから原作で確か書いてあったんだよな。 この夜こう全員が沖縄の人全員が戦ギアに なったみたいなことを書いてたと思うん ですけれどもまず交差ボードをだからそう いう意味合いで彼らがあの島の宝自分たち の呼吸宝の島を取り戻すための何らかの こう叫びである怒りという定義だけでは なくていろんな感情がそこにある自分たち の場所なんだから当然自分たちが好きに 踊いじゃないかとかうん なんかそういう思いが炸裂したシーン なので、あのシーンをとにかくその僕が 思うカオス、カオスの中から立ち上がって くる先化アギアたちがずっと抱えてきた先 アギアイコール今やもう沖縄の人々全てが 戦だ。彼らの心の叫び全部がこう聞こえて くるような声にならない声がある種あの晩 の行動になって映像に全てこう反映され てくようなでその中でグスクも自分の魂の 叫びって今までずっとねあの間に立って 抑えていて彼の心の声がうわと思わず出て しまうみたいななんかあそこのシーンが やっぱりこう勝負シーンだったなとは思う んですよね。うん。 こ、これもだから面白くて撮影という行為としてはもちろんあの東方のスタジオ 8番でやってるんだけど 8 番のスタジオの中でコントロール撮影という行為としてはコントロールしなきゃいけないんだけども描かれてるものはコントロールしちゃいけないものなんですよね。 で、暴動ってコントロールされてないからでもは多少例えばその当時でも戦闘に立ってそれをこう仕切る人たちがいたあれ自然発生的な暴だからそのある種こう見え方としてコントロールされたものになってっちゃうと そのシーンとしての本質から外れちゃうんですよ。だから僕のこうあそこの演出の願はカオスを作ることなんですよね。 うん。カオスを作って1人1人が思いも 含めてスタッフも含めてカオスの中で 1人1人が思いに動くんだけど思いまず 思いに動かすことでそれをこっち側はどう 飲み込んでタイガに見せていくかっていう その勝手にみんなが動いてることが雨が 降ってねからざー火流からざーいろんな こうねからこう皮が集まってきてうわあっ と大きな流れこれ誰もコントロールでき ないこと なんでなんかその川の流れがいろんなちっちゃい川のこう水がそこにこうその注ぎ込んでいって勝手に自分たちでも分からないような大きなものになっていったみたいなイメージを作んないけないんでカオスを作ることですね。 うん。コントロールしないこと、コントロールしていないような状態をどう作るかっていうで、それをどう許容して、それをどうドキュメンタリーのようにカメラの中で切り取っていくかってフレームの枠の中で考えちゃうと うん。 ダメなんですよ。フレームの中に収めよう としちゃうと、フレームの中に収めて フレームの中で収めるという構図とか何か を取るのではなくて、目の前で起きてる ことをカメラがそのまま拾っていくって いうようなコンディションを作るという ことですかね。だ、まずはそのアングルと か決めずにその本当のこう動きを作って いく。で、その中でカメラマンがそれを 切り取っていく。こコンテとか構図が最初 にあるわけじゃないんですよ。 現実をまずなるべくあの作るという基本的に僕の発想はいつもそうできる限りそうしたいてレムの中で収まるものを最初にこう予定して作るのではなくて予定調和じゃないんですね。 そうです。そうです。そうです。 で、予定調和になった瞬間に、あの、大体こう実は、ま、ま、それでもちろんそういう作風もあるし、そういうことで作っていく作品もある けれど、この素材はやっぱりその、なんていうの、僕なんかが分かったふりして取っちゃいけない素材なんですよね。沖縄の 歴史、僕はそこに体験した人間ではないし、僕は基本的に何も知らない人間ですよ。 まあ、言うとで、その自分がろんなこと頭の中で取材したり、いろんな人の話聞いたり、もちろん原作ベースにしてやってくんだけど、分かって取ろうと思った瞬間にこれ破綻する。 うん。 フレームの中に収めようとか分かったふりして、賢いふりして監督前として何かこう取ろうとした瞬間にもうこれ終わりますよ。 この宝島っていう作品はコントロールでき ない世界だから過去に歴史であったことを いかにリアルにその沖縄の人たちのそこで 生まれる感情っていうのをどういう風に 見つめていくかって話なんで、それは やっぱり僕らは考え、考えに考えに 考え尽くすけど最終的にはちゃんと コンディションを作ってその状況を作って そこに役者を分と放り込むでそん中でどう いう感情が生まれてくるかっていうことを あるその実験的に歴史をこ を実体験させる俳優に。で、そん中で生まれてくる感情って何ですか?どうだった?つま引君っていう うん。 ことですよね。普通皆さんこう多分こう最初から全部監督も俳も何かを知って理解してやってると思うけど思うんだと思うんですよ。つくあの見る方もところが理解している範囲内でやろうとしてることって個人的に何も面白くない。 全て想定の範囲で終わっちゃうから やっぱりだから自分の想定の範囲ってのをどれだけ超えられるかが勝負みたいなとこもあって僕の場合でそのそれには時々それには時として規模だし想定の超える規模でそれは素直にイコール僕の驚きがイコールお客さんの驚きにもなってくしその辺がねなんつうんですかねとどういう風に話しにしながらどういう風にコントロールしていく [音楽] とかっていうこととかがこさら問われる映画。今回の映画はうん。 コントロールされた架空の世界で作るのではない。例えばロ原神だったらもう少しコントロールして作ってる ですよね。こは今回の暴道についてはアクションではと違うからもちろん車をひっくり返すとかは危ないからちゃんとワイヤーつけてアクションぶつけてあのあの危険のないようにやってはいる。 テストも何日も前からテストやってやってるしどこで火燃やすとかそういうのも含めて全部細かくやってはいるけれどそこにいる人間の感情だけはコントロールしちゃうとつまんないことっていっぱいあるんで ここで叫んでとかとか はいはいはい叫びたかったら叫べようとそのたそのために叫べる言葉の要素を沖縄の方言監守の人間が前持ってこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれとこれこ俺は言えるよっていうこととか をエキストラに全部伝えておく。 公言監修と演出する。それを僕は全部見てるわけではない。あ、見たくもないし。なぜかて言うとドキュメントとして撮りたいから前持って全部知ってるっていうことが面白いかというと面白くないので撮影していて、あ、僕はコントロールフリークではないのでそれとはちょっと違う作り方をしてるだと思います。 はい。方言だからやっぱ方言とかも その沖縄のあの時代をやるということは ですね、当然そのうんと山子がちょっとね 、あの標準が入ってたりするんだけど やっぱりそのそういう政策もあったわけ ですよね。 戦後に少しでも日本にこう復帰したいので標準語運動みたいなことをちゃんとしていこうっていうその教育の流れでそういう流れとかやったから山子先生は少し準語っぽい発音とかをみんなの前ではしてるみたいなこととかなんかそういうテールをちゃんと埋め尽くしながらもでもやっぱり本土に変換してないしと英語なのでやっぱ沖縄弁の世界が強いと思うんです まだそれが多分今みたいにね、こう僕の田舎の岩手もそうだけど新幹線取るようになってからほとんど方言って駆逐されちゃった。森岡テレビも含めて東京のからの情報が流れてくるとみんな標準語になっていく。でもあの時代の沖縄はそういう意味で言うとまだ方言っていうのが確実に日本に復帰する前だし絶対残っているはずなのでそこのところをまずしっかりこうあのやっぱ言葉の中に うん。 血の香りって、その土地の香りって漂うんで うん。 で、その言葉を通して沖縄のあの時代の香りっていうのをちゃんと感じてもらわなきゃいけないっていうのは基礎ですよね。で、それがうん。 すごくこうな会社、傲慢だとか思われちゃうと困るんですけど、なんかやっぱりわかんなくてもいいっていうところとのすれスレを狙ってるんですよね。 そのやっぱり言葉もこうある種こうまあ今あんまり気かれなくなってきちゃった言葉で多様性の 1つで うん。 なんかこうそれをこうなんかそれはそれで認めていいじゃんっていうだって沖縄の物語なんだからっていうことで言うと 分からないところがあったとしても例えばそのアメリカ軍から必死で逃げているんで焦ってるっていうのは分かるだからベースの感情分かる。 多分言葉のディールが分からなくてもお客さんはそこのその登場人物たちの必死に逃げてるという状況さえ分かればね、 あの多少わかんなくても あのこう落ちこぼれていかないんじゃないかとかなんかそういうとこも結構踏み込んで思いきって やってますね。 やってるんですよ。 うん。これもある人の個人的なこう思いかな。 やっぱりそのチュラさんとかやって朝の連続トレビ小説やるとにかく全部に分かんなきゃいけないから方言がどんどんどんどんそのさの中で使う方言としていわゆるチラさん方言になってくるんですよ。 あ、 それテレビってのはそういうもんじゃないですか?テレビにしても多分ラジオにしてもそうかもしんない。 やっぱりこうみんなに甘ねく全員にわか るっていう作り方をしてくから、その なんて言うのな、それは正しいことだけど 分からないって言われちゃうのが1番我々 弱いじゃないですか、放送って。でもでも 分からなくてもいいんじゃないか。後でさ 、分かりたい人が逆に言うと調べればいい んじゃないか。逆に言うとそういうものが 各地の方言であったりもするから。 それわざわざこうテロップ入れたり説明したりするっていうことすらもやっぱアメリカのあの時代アメリカ当治されていた沖縄のあの時代を描くには なんか不誠実な気がして うん。 あのこっち作り手として うん。なんかすごくこう沖縄の言葉わかんない言葉なんだけど うん。 関西弁は許されるのにとかね。 もう関西弁ほぼ全国になってるのにある言葉とある言葉で随分差がある扱いに。 うん。 で、やっぱりその沖縄の方言も僕はもう思い切ってやっちゃえとで千葉さんとかやってても思ったけど秋みようなんて全然わかんないけど互感の響きで面白なってくれてお客さんついてきたりしてくれるんだよね。 うん。 で、わかんない言葉もわかんない言葉として許容しながらでもそれはやっぱ沖縄のあの時代を表すための大事な演出の彩色取りの 1つだから その彩色取りがなくなっちゃってた瞬間にあの映画のテストって消えちゃうと思うんですよ。 だからそこの左をできるだけ あのそこも冒険してるんです。冒険だらけ。 [音楽] やっぱりボーラがアメリカに統治されてい た沖縄 が終わって戦争だけに悲劇があるんじゃ なくて戦争が終わった後1945年戦争が 終わった後も変換されるまでの20何年間 アメリカ絶対的な勝者と あの普通は日本国という国が守れる普通は 日本国憲法とか法律が守れるのにそういう ものが適用されずに政府っていう小さい 自治 体がアメリカ政府ともう真っこから向き合ってた時代ってそれなかなかなだよねと。 うん。 弱肉強食の世界なんじゃないのって思うような うん。 あ、なんかそういうことがいっぱいあってそのことを知らないからね、僕らは。 で、そっちの、そっちからのアプローチで うん。 戦争っていうのが結局何を引き起こすんだろうっていうことを知る方が うん。うん。 リアルな戦争の銃撃戦でね。 うん。 大でていうそちらでの悲劇っていうのとはちょっと違う。もう少しもしかしたら僕らもっと身近に考えられるかもしんない。 今の僕らの生活がどう変わるのっていうことを考えていけばいいので うん。 だからなんかそういうことも含めてちょっと宝島っていう作品は今やる意味があるのかなとか思って うん。 で、あの、何度も止まりかけたりしたけど、なぜかみんな諦めないというね。 うん。 そう。もうとっくに諦めてたような企画なの。なぜか生き残ったんだよね、ここまで。 それもどっかでみんなのそういうこう 思いがね。 うん。 沖縄という土地に対してのみんなの思いっていうのがやっぱりどっかあるんじゃないのかなと思って共通する思いが うん。うん。 うん。 とにかく食えない時代だから。まずなかなかまず食べることで一生懸命だったんだよね。 うん。うん。 だから食べることで一生懸命だから、むしろかに生きるかではなくて、だ、生きてるうちは食べることで一生懸命だからその日を だ、余計なこと考えずにって言うとまたご縁変かもしんないけど自分たちが必死で生きていくことを考えてた時代 生きていくために最低限個人の尊厳ってのを守ってくんないとかその中から一死で一歩一歩自由がやっぱ大事であるとか平等が大事だとかうん、 あのことを自分たちでこう発見してった時代だと思うんですよ。 沖縄の人たちが自分で個人の尊厳一戦ここ まではめちゃめちゃやられこっから先は 許せないよねみたいなことを自分たちで ちょっとこうちゃんとこうあの考えながら 体感で体でこう考えてた時代だと思うん ですよ。だからその先にあるのはいかに 生きるかっていうよりも一生懸命とにかく 生きて一生懸命今を生きて一生懸命 ちゃんと食うために生きて家族を大事にし てそれで最後にどういう思いで死んでいく のかっていうむしろいかに生きるかでは なくていかに死ぬかっていう考えとかが やっぱり僕あったと思うんですよ。 やっぱりこう死が今よりも逆に言うとなんてのかな?別に恐怖とかではなくて死とどう向き合うのかって最後にどう思いあの先議屋の 人たちが最後にあの死ぬ時にやっぱり俺たちは初詮ね犯罪者だと言って悔を残して死んでいったっていう話がたくさんあるんですね。 やっぱ泥棒だったですね、俺たちはって。 で、そこところにこうやっぱりこう枕元で 見守る人たちがみんないやそんなことは ないとあなたたちのおかげで私もだけど私 の子供も孫も生きられるんだと生きられる んだってことを伝えるとその戦ギアだった 方がすごく安心した顔でちょっと亡くなっ ていくとやっぱり最後にどういう思いで彼 らは死の死を迎えたのかっていうことて いうのの視点があのあ の時代を理解するには必要だと思う。で、沖縄を理解するにはやっぱ来ないっていうのがあって、やっぱり死者の魂と共にちゃんとそのそばに起きながら生きる島でもあるっていうことも含めて なんかそういうことも含めてやっぱりなんかね宝の島だなと。 うん。 あ、今生きてる命ってのはもちろん大事だと。でも死んでしまった人間の命も大事だと。うん。 なんかそういうこういろんな意味での共存というかなんかそういうものをやっぱこうあの島はこういえかけてくるところなんですよね。 だから撮影の行為もつもならイけイけどんどんの撮影の行為が僕にとってはなんとなくこれもろんなとこで申し上げてるんですけど、まさにうきにこう膝まずくような思いで撮影に向かってるっていうか、 何かちょっと違うこう耳の傾け方をしながら違う神経の尖らせ方をしながら取らないとちょっとこう捕まえられないことがいっぱいあるみたいな うん 気がしながら取ってたんですよね。はい。 ありがとうございました。

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▶アメリカ統治下の沖縄の真実を描き切った真藤順丈氏の直木賞受賞作を、2度の撮影延期の危機を乗り越え完成させた魂のプロジェクト、映画『宝島』がいよいよスクリーンに登場!「龍馬伝」、『るろうに剣心』シリーズの大友啓史監督、本作にすべてを注ぎ込み、宣伝アンバサダーも務めた主演・妻夫木聡のもと、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太ら日本最高峰のキャスト・スタッフが集結。構想6年!総製作費25億!ロケ地43箇所!エキストラ延べ5000人!日本映画史に残る壮大なスケールと圧倒的な熱量で、激動の時代、自由を求めて駆け抜けた若者たちを描く、衝撃と感動のエンターテインメント超大作が誕生した!今回、メガホンをとった大友啓史監督にンタビュー!

★『宝島』
2025年9月19日(金) より、ミッドランドスクエアシネマ、ミッドランドシネマ名古屋空港ほかROADSHOW
公式サイト
https://www.takarajima-movie.jp/

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