【書道必須古典・現代語訳】内容を読むべき古典『書譜』前半-#149

[音楽] こんにちは。おじかき道トークスの竹内と 申します。え、今日のテーマは総書体の 決定版諸負の現代訳の前半というお話をお 届けいたします。よろしくお願いいたし ます。 はい。え、前回ですね、総書体の鉄板古典 として書を紹介しました。祖フっていうの は本当に初動人ならば逃げられない総書の 古典というかね、超有名なものです。簡単 におさいしておくと、ま、こんな感じで 書いた人が損、え、時代で言うと7世紀 後半に書かれたものになりますので初頭の 時代です。内容は初動論ということで今日 やりますが、文字数がね、本当長くて 10m超える巻き物みたいなね、え、 3727 文字の長文で書かれているものです。癖の ない葬書体で現代においてもですね、 とっても愛されている古典の1つと言え ます。特徴として設筆とか見せちとかって いうのをね、この前紹介しましたけれども 詳しくは前回の動画をご覧ください。で、 ちなみに尊家庭が生きた時代というのがね 、初動の本当に黄金時代と言ってもいい 時代で、現代にも名をかせる模さたちが すごいたくさんいた時代です。知恵無正南 応用順水料が神経低回層みたいなね、この 辺の名前あげておりましたけれどもこの所 に書かれている初動論っていうのは本当に 現代にも通る面白い内容だなというところ で、現代訳のね朗読をこのYouTube にも残しておきたいと思います。本当は 全分1回でやるつもりだったんですけれど もさすがにちょっと長すぎまして現代 500をね半分に分けたいと思います。え 、それでも結構量がありますが今回前半 部分お付き合いいただけたらと思います。 先にですね、内容の声を簡単にと、あと 登場人物についてもざっと触れておきたい と思います。その後現代訳の朗読をして まいります。看文と現代語訳を少しずつ 出しながら読んでいきますので、是非書い たことある人、え、臨証したことある人、 法を持っている方とかね、照らし合わせ ながら聞いていただけたらいいかなと思い ます。ま、このいつもね、臨証していたの はここの下りかみたいなのが分かるかと 思います。日本人の初カだと結構意味も 分からず看文書いてることって結構多いと 思うので、ま、私もちょっと別に人のこと を言えないんですけれども、意味も面白い ので是非最後までお付き合いいただけたら 嬉しく思います。あ、チャンネル登録も どうぞよろしくお願いいたします。はい、 先にですね、登場人物とコッシーを簡単に 抑えておきたいと思います。ま、これを 知っておいた方が聞きやすいかなと思い ます。前半部分見出しをつけるならこんな 感じかなと。まず最初に歴史上の4人の 優れた書について語られます。で、あとは 、ま、書の学びの姿勢だったり、ま、初対 に通定するね、本質的なところだったりと 良い書がかける時の条件、ま、あるいは かけない時には何が起こってるのかとかね 。あとこの頃にも書論というもの処父が そうであったように、ま、初動論であった みたいなんですが、それに対する批判で あったり、前半の最後については書の本質 の言語化には限界があると。だから、ま、 未来にその理想を託したいですみたいな 感じで占められています。登場人物として は、ま、損が、ま、書き手であって、商用 というのが互間の時代に霊書と会社の中間 くらいの初体を打ち立てた人物です。ま、 解所の素という風にされます。またの名を 現状と言いまして、現状の名でも文中に出 てきます。続いて長子ですが、この方も 互間の時代で総書の名集という風に呼ばれ ていて、え、総書隊の成人ということでね 、創生なんてね、呼ばれることもあります 。え、またの名白と言います。この方の 偽話として庭の池に挑んで熱心に初動を 取り組んでね、その池の水が真っ黒になっ たとか、その水がなくなるぐらいやったと か、なんかそんな逸話がある人です。文中 では商用と長子で象庁という風にも呼ばれ ていますと、奥義師ですね。この方は本当 にあの女性として現代でも最もな高かいと 言っても過言ではないかと思いますが、ま 、たの一緒あるいは有軍という名前でも 多く出てきます。印象したことがある方だ とこの右に軍っていう字がなんか結構 伸びやかに軍って書かれている箇所が 思い浮かぶんじゃないかなと思うんです けれども。えとあとこっから先に関しては 、ま、ちょろちょろとしか出てこないので 、このような人たちがこう名前だよって いうことが分かっておいていただけると 読みやすいんじゃないかなと思います。 シャーンっていうのは大岸親子と同世代を 生きたえ、人物で王健士の書を過言してい たという下りで出てきます。で、班長です ね、1日外出録6班長、あの、大月班長で はなくですね、五官時代の軍人、ま、分泌 家であり、ま、分泌家に飽きたらず部で 成功するために軍を志願したという話が あるそうで、超じるものの口とはこういう ことだみたいなね、下りで出てきます。 班長と同じ下りで出てくるのが幸運ですね 。ま、鉱石という風に出てきますけれども 、幸と流法の幸ですね。新末期のその武将 。誇り高くて強で英雄的なカリスマを持っ ていた人ということです。で、ま、さらに こっから先は本当にちょろちょろとしか出 てこないので、これも、ま、名前だけ簡単 に引っかけておいていただければいいかな と思いますが、要、ユ、知士ですね。ま、 死っていうのは、ま、藤原市みたいな一族 みたいな意味で使っています。簡単、再現 、不、調子運、要金、え、そんな初たちの 名前も出てきます。で、あと超白映という 名前もね、出てくるんですけれども、これ 寝台の人で有名な初がいるかと思うんです が、別人でして、互間の時代の初です。で 、ま、この人が総称を作った人物だとも 言われています。あともう1人、えっと、 というね、え、これは古代中国の伝説上 の守のことです。え、黄色い味方と書いて 皇帝みたいな以前欠っていうね、文字を 作った人の伝説のお話ししたことあるかと 思うんですけれど、え、相血の時代の皇帝 だということで、ま、この人の名前も出て きます。私もですね、今回改めて読み直し て日本語役を味わってみたんですけれども 、普通に初動をやる人間として全然今でも 分かるというか、ためになるというかね。 この前の初動は美術ならずっていうのは 明治時代でしたけれども、この初動論って いうのはもう本当この頃7世紀ですけれど も、もはやあんまり進化してないのではと 思うぐらい真意に迫るものだと思います。 私の医役にはなるので、え、もし間違っ てる過書がありましたら是非コメント欄で 指摘してください。それではどうぞ。 昔から書に優れた人々がいたが、間の時代 には商用と長子の書が軍を抜いていた。真 の末期には二王奥義士と王険士の苗儀が 称えられるようになった。 奥義氏は近頃様々な面出を調べてみたが 商用と聴子の書はまさに卓越していて他の ものは見るに値しない。まさに省庁こそが 絶品だと言っている。商用と長子が なくなった後、その技をついだのが奥義と 王剣士である。さらに奥義はこうも語って いる。私の商用と比べるならば商用とは肩 を並べることができる。人によっては私の 方が優れているというものもいる。 長子の相書は私の書と比べれば少し劣るが 、それでも並ぶほどのものだ。ただ長子は 技術的に非常に熟達していて、池の水が 尽きるほど練習したという。もし私が彼の ように書に没頭していたならば必ずしも彼 に劣るとは限らないだろう。 これは長子が商用を超えているとする奥義 士の意図である。専門的な技術を考察すれ ば例え商の時代の規範に完全には達してい なくとも広く通るものを拾い集めており、 現代の自中においてはることはない。非化 はこう言っている。彼ら4人の賢者商用 長子奥義士王健士はコを通じて卓越して いる。しかし今の世はイニシエに及ばず イニシエは失木で今はカである。 そもそも質素 であることや剣であることは時代や風俗に よって移り変わるものだ。処刑文字の総師 は元々言葉を記録するためのものであった が純木な諸風から濃厚な諸風へと1歩ずつ 変化しと分は変遷を経てきた。人々は流行 を追い時代は移り変わる。これは物の断り として当然のことだ。 大切なのはイニシエを尊飛びながらも時代 に背かず今を生きながらも俗悪に染まら ないこといわゆる分質頻品共容があり誠実 さと素朴さが程よく調和してこそ真の君と 言えるとはこのことだ。それなのにどうし て彫刻を施した宮電をわざわざ同結に 置き換えたり球で飾った車を粗末な木の 車輪に戻そうとするのか。また死刑王険士 は一奥義市には及ばず一もまた省庁には 及ばないとも言われる。これは私が思うに 初の大筋については評価できているが初風 の始まりから終わりまでの全体像を詳しく 見ていないということだ。 現状商用は霊書に特にひで白長子は総書に おいて取り分け性明である。この2人の美 を一義氏はどちらも兼ね備えている。 総称を書けば会社の風格が余因として漂い 会社を書けば総書の流が際立つ。専門性で はやるかもしれないが総合的な造形では 大き士は省庁よりもはるかに優れている。 冒険士は処に広く通じ、多くの点で優れて いるが、諸風の始まりから終わりまでを 総合的に見れば、必ずしも欠点がないとは 言えない。シャーは元々積得手紙にたけて いたが、王剣士の賞を軽論じていた。王剣 士が心を込めて美しい賞をシャーンに送っ たところ、記録にして残してくれるだろう と期待したが、シャアンはその手紙の書に 広大、返事を書いて返してしまい、王剣士 は深く残念に思った。 シャーが王剣士に訪ねた。あなたの書は 有軍奥義氏と比べてどうか?王士は答えた 。もちろん勝さっているはずです。 シャアンは言った。世間の評判ではまるで そうではない。王剣士はさらに答えた。今 の人々にどうして進化が分かるだろうか。 冒険士はシャーの見解を知り解けるために あえてこの言葉今の人々にどうして進化が 分かるのだろうかと言ったが自ら父奥義に まさると少するのはやはり雪すぎではない かそもそも人として立進し名をあげるには 尊敬される人物に使えることが必要である 。皇子の弟子送信のように特を文じる人は たえ母の故郷であっても同議に反する ところには入らなかったという。冒険士の 合法な必は有軍奥義士の諸風を受け継いで はいるが、その必殺所管を継承したとは いえ、会社の規範を荒く伝えただけで実際 には父の業績を完全に受け継いだとは言い がい。まししてやの名を借りて自らを飾り 家の規範を尊飛ぶことを恥じ、それで学問 をなしたというならそれは壁に向かって 座る貧しい修行無意味な学びと何が違うの だろうか。 後に奥義市が都宮へ向かう際旅立ちに あたって壁に大事を残した。王剣士はそれ を密かに吹き消し自分の書に書き換えた。 自分では悪くないと思っていたが奥義が 帰ってきてそれを見てこう投げた。私が 去る時は誠によっていたようだな。 王剣士は内心で弾った。これによって一省 仰市が省庁には危険するにしても専門性と 白式の点でそれぞれに違いがあることが 分かる。王剣士が奥義士に及ばないことは もはや疑う余地がない。私は学問を心した 若き日より筆に心をとめ省庁の残した余を 味わい王妃士王健士の洗礼を組み取ってき た。心を極めを集中し、20年あまりの 採決を重ねてきた。初の確信に達する樹木 の技にはまだへたりがあるが、池に望んで 学ぶ心志しには寸分の迷いもない。身オ針 のように鋭くれる腕先の妙。梅雨のように 柔らかくしたる筆の余韻 が走るような激しさ、石が落ちるような 重み。大とりが飛び、獣が驚くような勢い 。ランが蛇が驚くようなしなやかな変化 絶壁が崩れかけた峰のような勢い危い場所 に身を置き枯にすがるような形 の動きはある時は崩れ落ちる雲のように 重くまたある時はセミの羽のように軽やか 導けば湖海のように流れとめれば山のよう に安定する細く繊細な必死はまるで天の 果てに登る月のよう落ち着いた筆の構えは まるで、銀河に並ぶ星のように整っている 。 書の妙は自然の造形に通じるものであり、 単なる力の運びによってなし得るものでは ない。まさに知恵と技が共に優れ、心と手 が伸びやかに調和してこそ筆はむやみに 動かず一角を下すにも必ず断りがある。 一筆の中に腕先の末端に至るまで寄伏の 変化があり、一点の中にも無限の妙が宿る 。腕先のわずかな動きにも失敗や挫折が 潜んでいる。まししてや天格を積み重ねて こそ文字がなるのだからお父には無限の妙 がある。 所管を傍原から覗きみすることもなく わずかな時間を信学もせず班長の言葉を 借りて自らを飾り鉱石幸のように誇り高く うぼれている。筆に任せて形を作り、炭を 集めて字をすだけ。心が曇もり、ただ形を 真ねることに執着し、手は筆の形を見失い 、隠の断りを理解しない。それでいて書の 美しさを求めるとは何と外れなことか。 そもそも君が身を立てるにはまずその根本 を納めることが観である。はシアフのよう な神な文学は衝動であり心志しあるものは それに吹けるべきではないと言ったまして や筆先の微細な動きに思いをらし炭と筆の 技行に精神を沈めてしまうようなものは なおさらである。心を潜めて意に打ち込む ものはまるで陰ジぶって名星をあげるよう なものだ。釣りを楽しむ心も世を離れたり 関わったりする重向きを味わうことも本来 は深い生き方の現れだがそれらは霊落の 精神を広める実践には到底及ばない。 諸の妙は新鮮に例えられるほど交渉である 。粘土をこねて形を作る投稿のように変事 で尽きることがない真にロ下を操る職人と も並ぶ書もまた職人芸と精神性が融合され たものである。被爆抜さや意を好むものは 書の形や勢いの変化ばかりを持て遊ぶ。 微細を極め妙を測ろうとするものは筆の 動きに潜む奥深さを得る。 書論を書くものはしばしばそのカス表面的 な部分だけを借りて語り真のBの干渉者は その成果星水を組み取ることができる。 それらは全て義とリが交わるところに規で ある。賢く達者であり、善を備えたもの こそ生水を保ちつつ勝の心を底に託す。 それは決していたずらなことではない。 とはいえ、書の表現は多様で性格も一応で はない。5と10が工作し、1つの体を なすには時にはロークがいるものだ。 等身の詩人たちは互いに磨き合いながら初 の精神と技を深めていった。王子の一族 知士ユの人々に至るまで例え審議を完全に 尽くしてはいなくとも皆その風味を 組み取ってきた。だが彼らが去って初の道 はますます遠ざかりその精神は見えづらく なってきた。ようやく何か聞こえてきても 疑念の声ばかりが響く。末端の技だけを得 て末端の形だけをなぞる。イニシエと今は 確舌し訪ねる人も答える人もいない。 もし何かを真に徳得したものがいたとして もその奥義は深く秘められてしまっている 。 こうして学ぶ者たちは呆然として要点を つめず、ただ成功した書の美しさだけを見 てそれがどうして生まれたかを理解しよう としない。長年にわって筆方の分布形 ばかりを追い規則や法則に近づこうとして もなお遠く解消を学ぼうとしても理解でき ず総称習えば帰って迷ってしまう。仮に 総称美しばかり理解しの義法をあ方学んで いるとしても偏った技法に溺れ個故障する ようになり自ら書の本質的な断りへの道を 塞いでしまう。 心と手が一致して奇するところ本質を知ら ずまるで同じ源から流れれた水が別々の 主流となるように初体の天用の術も1本の 木から枝が分かれるようなものなのにそれ を理解しないまま枝ほに迷ってしまう。 初体は状況に応じて使い分けるべきであり 、実用には業が最も適している。大事や 碑分など額や病文に書く時には解初が第1 である。総書は解初の代用にはならない。 総書は慎重に扱うべきであり、解消は総書 のような流動性を持たない。だから解消は 手紙には向かない。 会社は天格によって形をなし、その視点運 によって情を出す。総書は天格によって情 を出し、分泌によって形をなす。総書は 分泌が正しくなければ文字として成立し ない。会社が天格にかけていても文章とし て読むことはできる。 初体ごとに筆の回転や添が根本は通じ合っ ている。だからこそその根本の理法は天書 霊勝にも通じ発分書にも貫かれている。 書の理法は文章全体を包括し、飛迫で書い たかれの多いのような特殊な書体にも浸透 している。もしこれらの微細な違いを 見抜けなければまるでことの風俗ほど 異なるものに見えてしまう。商用は霊書に おいて記載であり、長子は総書の成人とさ れる。これはそれぞれの初体に専念し、 一体の極みに足したからこそ他に並ぶもの がいないほどの境地に至ったのである。 白英長子は会社に通じず天格は乱れていた 。現状商用は総書に通じず筆の運びは 10王に乱れていた。 それ以降の初たちは複数の初体を事在に 操ることができず、いずれも何かしらの面 で至らない点がある。書においては必ず しも1つの初体に宣伝する必要はない。 転書、霊書、総称、少層のいずれも疑法や 用途には多様な変化があり、それぞれが美 をなすために役立っている。 初体にはそれぞれふさわしい場面があり、 転書は曲線的に郵便で通達することを 尊飛び、霊書は精密で地密であることを 求め、総書は流で伸びやかなことが遠飛ば れ、少層は完結で便宜的であることを務め とする。 そして書に風人精神的な気品を持ってリと させ拳美しさと潤いによって温かみを与え 乾いて力強い必勢で拳感が静かで優雅な 赴きで調和させるこうしてこそ書は常感を 伝え悲しみや喜びを形にすることができる 。筆の乾きや潤いによるederが生まれ 、書は1000年を経ても色わせず風格を 保つ。 書は書き手が老年であるか少年であるか 年齢によって異なる風格を帯びる。100 年の寿命もまた琢間に過ぎ去る。ああ、書 の門に入らずどうしてその奥深さを 伺いしることができようか。 書はその時々に書かれるものであり、筆と 心が叶うこともあれば背くこともある。 叶えば竜霊で美しく背けば掘り物のように 固く素雑になる。 人が調和する理由を5つ簡単に言えば1つ 心が安らかで気持ちが静かであること2つ 感性が豊かで知性がそれに寄り添っている こと3つが穏やかで気が潤っていること4 つ紙と隅がよく調和していること 5つ書きたいという自然な欲求があること 書が乱られる要因もまた5つある1つ心が ついて体がついてこない 2つ、胃が必勢に合わず力が 3つ、風が乾き、日差しが強く腕がうまく 走らないこと4つ、髪と隅の相性が悪い こと 情熱がなく手が雑に乱れること 書が背くか叶うか、調和するか不調和と なるかによって歴場に有劣が生じる。白の に良い時を得ても道具が悪ければ意味が ないけれども道具が良くても心志しが なければ書は良くならない。もし5つの回 不調が1度に集まれば思いは塞がれ、手は 迷い筆は動かなくなる。 逆に5つの5調和が1度に満ちれば精神は 筆に溶け込み、筆は自由に伸びやかに動く 。に動けばかけないものはなく、迷えば何 をどうすれば良いかが分からなくなる。 真に書を極めたものは意を得て言葉を 忘れる。沈黙の中に極意を宿す。要点を 語ることは稀れである。 学ぶものはその名人の風格をしい奥義を 尋ねようとするが例え語られても浅いもの で確信には届かない。学ぶものは技術だけ を立てても書の本質を理解し展開するには 至らない。自らの未熟さを帰り見ず表面的 に理解したことをすぐに真似しようとする ものだ。 それでも私は過去の風格イニシエの書の 精神と規範を広め後の人々の気量と式権を 導きたいと願う。後の世代の気量等権を 導くには犯雑なものを除き雑なものを避け 書を通じて心を移し明らかにするもので ありたい。 世には必ずなるものがあり、7行にわって 筆を示し、中には筆の持ち方を3種に分け て描いている。しかしその図の姿は食戦 不正確で天格も失われたりったりしている 。最近南北でこの図がルフしているのを 見かけ有軍奥義士の作とも言われているが 疑わしい。奥義士が書いたものなのか審議 は不明だが所学者の啓発には役立つかも しれない。すでに世間に広く流通している ものなのであえてまた変算する必要はない だろう。 同時代に名星を得てより筆跡も現存して いるものについてはあえて評価を加える 必要はない。それぞれの作品がおずとその 有劣を示しているからである。 初下の必生に関する評表評論は表面的でカ なものが多くほとんどが外計だけを論じて いて書の本質的な利法を理解していない。 現代の書論も取るに足らない。 ふさわしいとか簡易が高いとかただ師に名 を残すだけで実質が伴っていない。 簡単の立派な模範もただキに書かれた名が 虚しく残るばかり。炎度以降少子運料金 要金に至るまで初の名は代々伝えられ名の 上がる人物もますます増えた。中には角に 称えられ評価が固定されてしまったものも いる。実際には亡くなった後に名星が 高まることもある。また有名人に便乗して 強化を上げるものもいる。本人は用去さり 名星だけが残って初の精神が継承され なかったものもいる。さらに言えば、個人 の筆跡は虫食いや一によって伝わらず、 非増されたものを探してもほとんど 突きかけている。偶然封じられた面積に 出会い、賞賛することがあるが、その時で さえ進化を伺うことは稀れである。見る目 を持つ人が少ないからだ。評価は混乱し、 細かく論じるのはほとんど不可能である。 ただし、今の世に広く知られ、筆跡が現存 しているものについては評価を持ち上げ たり貶しめたりする必要はなく、自然に 価値が立ち現れる。文字の6つの成立たち は権皇帝の時代に始まり、8体古分代点 商店霊書少層金層解所業の所体は衛星真の 思考隊の時代にはあった。 初の歴史は古く用途は極めて広い。しかし 、イニシエと今では風格が異なり美しさと 本質の間には大きな隔たりがある。現代に 学ぶべきものはなくなってきている。 さらに簡単に言えば必世を竜、蛇、雲、 梅雨などに例える竜波がある。亀、つる、 花、草などに例える場合もある。あるもの は卒、即興的素雑な必死で真実らしく 書こうとしたり、またあるものはその年の 吉調を筆に移そうとすることもある。絵画 的な技によりすぎて書の本来への技術が 失われてしまう。 ところで世に伝わる奥義師と王険士の必生 論10章は形式的な会社とは異なるものだ が詳しく論じるに値しない。 文章は育で利は浅く、糸は的外れ、言葉は つたない。その内容を詳しく見れば、 とても奥義の筆を論じたものだとは思え ない。そもそも奥義は地位も高くさも優れ ていたのだから。奥義師の書くものは文長 は清らかで言葉は土びやか。その名星は今 なお消えていない。所管筆跡は今も残って いる。たった1通の手紙で1つの事柄を 述べるだけでもそれが例え急ぎ場面でも 一方は古法に乗っている。 どうして子孫に教えを残すような場面で 商法が破綻しているなどということが あろうか。また奥義氏が長白と同門であっ たという説がある。これはさらに高等向け である。 もし股間末の朝白へ12世紀頃を指すなら ば奥義士とは時代4世紀が全く合わない。 きっと寝台にも同じ名を持つ人物がいたの だろう。しかしにはその人物の記録が ほとんどない。教訓にもならず協点でも ない。その話は捨てるべきである。 書において心が語る境地は言葉では尽くし きれない。言葉で伝えられることですら 筆跡に表すのは難しい。ただ大よそその姿 を彷彿とさせることはできるし、言葉の 骨格を整え微妙な境地を組み取ろうと 務める。私は書の理想の境地に触れようと する。まだその理想には届いていない。 どうか構成に委ねたい。 はい。お疲れ様でした。いかがでした でしょうか?で、ま、内容的には、ま、 うん、うん、そうだなって思うところが あったり、ま、あと私が気になったところ だと初対の話のところで、ま、その解消 っていうのは天覚によって形をなし、鉛筆 によって情を出すみたいな、損傷っていう のは泌によって形をなして天格によって情 を出すものだみたいななんかそういった ところすごい頷けたし、考えてみればそう なのかもしんないけど、そんなに言語化し たことなかったなという風に思ったので、 ああ、なるほどという風に思いました。 この初体には色々ね、通定したところが あって、それがまあ書の本質であり、ま、 私がよく考えてるその文字のイデアみたい な話だったり、その賞の本質っていうもの の話をね、その会話の話をしているな なんていうところもすごく興味深かった です。で、あとその普段の賞は業が1番だ よっていうところの下りがあったかと思う んですけれども、総称っていうのは しっかりとした額とか病とかには向かない よみたいな。でもその解消っていうのは 手紙には向かないっていう話があったかと 思うんですけど、ま、この初婦っていう ものがもうガチンコ相書体で書かれてい るっていうことは、ま、やっぱりその構成 に当てた、ま、書きやすく、スらさら書き やすかったっていうのもあると思うんです けど、その構成に向けたを心す人へのお 手紙みたいな立ち位置になるものなのかな という風にも思いました。ま、なんか前半 部分だけでも構成に託数で終わってるので ね、ちょっとすっきり感みたいなものが出 ちゃってますけれども、後半にはね、何か 書かれるのか、え、是非来週も楽しみにし ていただけたらと思います。訳すっていう ことってちょっと難しい部分もあるので、 分かりづらい部分もあったかもしれないん ですけれども、何か思ったことがありまし たら、え、コメント欄で教えていただけ たら幸いです。え、今回内容以上になり ます。動画が良かったと思う方は チャンネル登録、高評価、コメント、 シェア、スパチャなど是非よろしくお願い 申し上げます。え、アジカ起動トークスの 竹内ちでした。ご視聴ありがとうござい ました。またお会いしましょう。 [音楽]

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時は7世紀後半。
中国・唐は書道の黄金時代。

孫過庭という書家は『書譜』という書道論を書きました。

間違った情報や過度に華美なものが溢れてきた時代。
再度古を尊び、書の精髄をくみ取らないといけないのではないか。

草書の鉄板『書譜』は内容も超面白い!
(7世紀のものなのに全然現代にも通じる)

真の学び、真の書道とは・・・?

現代語訳前半!

※動画の内容について厳密な考証を行っているわけではありません。
間違い等の指摘はコメント欄までお願いいたします。
視聴者さんと一緒に考えていけるチャンネルにできましたら幸いです。

※訂正※
秦の始皇帝の時代の八体を「古文・大篆・小篆・隷書・章草・今草・楷書・行書」と言っていますが、コメントのご指摘通りおそらく「大篆,小篆,刻符,虫書,摹印(もいん),署書,殳書,隷書」と思われます。

#書道 #書譜 #現代語訳

【動画中に出てきた関連サイト】
▶【草書体やるなら必須古典】『書譜』とは

▶【楷書体・行書体・草書体・隷書体・篆書体】古代中国から今も残る書体の変遷-#144

▶文字を創った人?蒼頡の話

▶書道古典(再生リスト)

タケウチの教室(新宿)はこちら⇒⇒
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テーマごとに再生リストを作成しています。
同じカテゴリーの話をご視聴される場合は、
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○ポッドキャスト版
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○原作「note」(後日公開)
【書道古典】草書の決定版『書譜』~草書体のこと~
https://note.com/ojikakido_talks/n/nd96ac4f60fad
【書道古典】草書の決定版『書譜』<現代語訳・前半>
https://note.com/ojikakido_talks/n/nb46d2fa94d55


00:00 テーマ:『書譜』現代語訳前半
02:20 骨子と登場人物
06:18 朗読①歴史上の四人の書家
11:59 朗読②書の美学
13:48 朗読③書学の姿勢と批判
16:02 朗読④書体に通底する本質
18:51 朗読⑤専門性と総合性
20:44 朗読⑥書の条件(五合と五乖)
23:16 朗読⑦他の書論批判
27:46 朗読⑧書の言語化の限界と未来への託し
28:14 まとめ/エンディング


■取り上げた書籍

■画像引用元
お字書き道TALKS noteを参照

■資料引用元/参考リンク/参考文献

■BGM出典
『かえるのピアノ』こおろぎ


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【書道家タケウチ】
都内で活動する書道家。
教室主宰、不定期でワークショップなどもやっています。
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【ジャズギタリストタナカ】
都内で活動するジャズギタリスト。
著書『ネガティブ・ハーモニーをギターで攻略』

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4 Comments

  1. 竹内先生今晩は。
    正に今日から書譜の勉強を始めました(観峰先生の手本で)とても難しいですが楽しく望めそうです、何時かオリジナルの臨書が出来る事を目指して励みたいと思っています。

  2. 25:30 秦八体は、説文解字 叙によれば,大篆(だいてん),小篆,刻符,虫書,摹印(もいん),署書,殳書,隷書
    このうち、刻符、署書,殳書,の実態はよくわかりません。かなり装飾的な字体だったと推定されてます。

  3. ありがとうございます。なんどもなんども見直して勉強します。
     が、
    わたしは数人の方と文通をしていますが、現代人にとっては、行書は読める人が少ないようです。
    「手紙には行書が適している」と言うことは、現代では当てはまらないようです。
    それどころか、手紙の文章も「拝啓」とか「前略」と書き始める人は稀で、多くの人は話し言葉「こんにちは」で書くようです。
    手紙の内容にも、季語を書く人も少なくなってしまいました。

    なお、お相手が私の手紙を読めなくても構わない、、、手紙は行書で書きたいです。

    「あなたのもじはよめない」と言われてしまいますが、「読めない方が悪い」と思っています。
    😛

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