尾崎豊【卵が先か鶏が先か】#shorts #雑学 #哲学 #トリビア#豆知識

誰かのクラクション出版したでしょう。 その出版社に学校の先生からあんな アーティストの本を出すとは何事だって 電話があったんだって。というのは窓 ガラスを割った男子生徒がいてどうして 割ったんだって聞いたら小崎が歌ってる からって言ったというの。それに対して 小崎豊かの返答はその子の気持ちの中に 反発とか槍り場のないものとかがあって 最終的に表現の手段がそれしかなかっ たってことならまだしもとりあえず割ろう という考えはすごく良くないと思う。この 生徒は割った理由を自ではなく他に委ねた 。自分は悪くないあいつのせいだという 思考。その思考プロセスは事故を客観視 することも見ようとすることもせずそこに 合理性は存在しなかった。それでも問いは 残る。元々この生徒に抱えてた思いがあり 、結果として小崎豊かの歌が後になったの か。それとも小崎豊かの歌が初めてその 思考を生み出したのか。もし小崎豊かの曲 に出会わなければこの生徒はずっと窓 ガラスを割らない生徒だったのか。ここに 浮かぶのは存在と行為の逆説。せを知る から歌うのか?歌うからせを知るのか? 孤独が故えに愛するのか?愛するがゆえに 孤独なのか?自由の中で反抗は生まれるの か?反抗の中で自由は芽えるのか?その問 自体が小崎豊かの存在を鮮やかに証明した 。小崎の歌は答えではなく永遠の問いだっ た。だからこそ今も多くの世代の心を 揺さぶる行動と結果がどこかで溶け合って いることを感じ [音楽]

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