「トキワ荘物語」要約コメント
映画「トキワ荘の青春」1996年3月23日公開28年前⇒参照「ウィキペディア(Wikipedia)」
デジタルマスター2021年2月12日1時間50分25秒
「現象」について、「同時代的現象」「個人・個別の集団集合」について、赤塚不二夫・トキワ荘について「曼荼羅現象」としての見方をお伝えしています。⇒「現象生態(生体)学」の視点からの解説です。
今回は映画を通し、1952年~1960年代(昭和30年代)の風景を見て「時代の流れ」を具体的に知るキッカケになればと紹介しました。
わかりやすい時代の検証として、ラジオ放送の時代からテレビ放送の時代に移行する時期で、テレビによる「歌謡曲時代」「テレビドラマ」「野球中継」「相撲中継」「プロレス中継」等、「メディア情報」により「娯楽現象」を各家庭で見られる文化現象が現象化した時期と重なります。
戦後の昭和・平成・令和と年号が変わりましたが、「人間(ヒューマン)」の意識現象は何も変わっていません。「自我機能同期」のまま、相変わらず「不安の補完先巡り」「未完の完結循環」の「物語」「ストーリー」の生成が循環しているだけです。⇒「自我執着」
毎日の「メディア情報」「インターネット情報」に翻弄されているだけの日々が現実現象です。
「自我機能同期」が作り出している「曼荼羅現象」です。
参考までに、映画の主人公の寺田ヒロオ氏を紹介します。
寺田ヒロオ⇒「ウィキペディア(Wikipedia)」 映画では本木雅弘が演じています。
寺田 ヒロオ(寺田 博雄)1931年(昭和6年)8月4日―1992年(平成4年)9月24日61歳没
漫画『バット君』に刺激され、1953年、22歳の時に漫画家になるために上京し、同年の大晦日にトキワ荘に入居する。入居当初は、向かいの部屋に手塚治虫が暮らしていた。
トキワ荘に次々と入居してくる漫画家らと「新漫画党」を結成。漫画誌に合作、競作を発表するなど、様々な活動をする。トキワ荘でのリーダー格。面倒見がいい兄貴分でした。
「個人の集団集合」は「生態学的」な視点で見ると理解しやすいです。また、それは「個人の生身現象⇒生体」に裏打ちされた現象であり、いつでも、どこでも、誰もが、経験している現象です。この見方を「曼荼羅現象」と呼びます。
いわゆる「曼荼羅」は静止している「図柄」です。内側の生身現象を「対象化」「モノ化」「擬人化」「象徴化」した「写し」「転写」による世界観です。
「個人の集団集合」は、地域・社会のあらゆる場面で観察されている現象です。「自我機能同期」ですと「個人・個別」に意識が向き「集団集合」としての役割・機能が見えないのです。
「個人の集団集合」は、自然発生的というより「自我」の「意図」「思惑」で生成されている「不安の補完先現象」なのです。⇒神社仏閣・聖地巡り等
「トキワ荘」に「手塚治虫がいた」から憧れ、上京して来た(不安の補完)というのが集団化の生成になっていることがわかります。
身近な実例で、小中高大の卒業時の進路選択等も同様なメカニズムが働いています。性分析用語で言う「力動現象」です。
「映画」「動画(映像)」「アニメ」「リアル」の「物語」「ストーリー」の生成は「自我機能同期」による現象化です。
「個人の集団集合」は、仲間意識・同族意識等の雰囲気により自然と同期しますが、平成生まれ、令和生まれの方々にとっては、常に「こんなはずじゃない」との思いが付きまとっています。我慢しなくてもいい事で我慢し、心身の不調和を作り出しているのです。
まあ、「トキワ荘物語」を楽しんで下さい。ちなみにトキワ荘の漫画家たちは「こんなはずじゃなかった」で人生を終えています。「名前・名札・肩書」の取り外しができなかった「自我機能同期」の「人生」でした。