徹子の部屋 内容:「17歳で単身上京…両親の『涙』を胸に人気俳優へ」出演:瀬戸康史
[音楽] 可愛い福岡出身に囲まれて育った可らしい 男の子が今や舞台やドラマで大活躍の人気 俳優になりましたセ戸浩司さんです。 どうぞこちら に17歳で後はホームで毎晩泣いてばかり たそうですがもう今その他に大変ご活躍で ます。よく やんどう。 で、趣味のイラストもちょっと拝見たしますけど、 ばかりた東京来た時は そうですね。やはり17 歳で、え、状況したんですけれども、あの、ま、その時はもう福岡のかなり田舎のところで育ったので、なんか周りの景色ももうビルとか電車も長かったりとかで、 あ、東京来たら そう、いろんなところに電車が長いんで、山田線長いんで驚いたんですって。 びっくりしました。もうやっぱ1 両編成だったんではね。 はい。で、1時間に1 本ぐらいのペースでしか 電車が来なかったのではい。 山手線っていっぱい長いもんね。 ね。しかも引っきりなしにね。 そう。しょっちゅしょっちゅ来るもんね。はい。で、ホームシックになりましたね。はい。 ちょっとあの初めてなんでちょっとテレビに向かって自己紹介。 自己紹介。え、皆さん初めまして。生瀬浩司と申します。え、よろしくお願いします。 これでいいですか? それ、それだけ。まあ、いいや。 まあ、いいですか。すいません。 でもなんか可愛い同眼って言われるんですね。 そうですね。やっぱりあの、もうそうデビューした時からあのずっと可愛い可愛って今でも今 34歳になったんですけどあ、そう。 ずっと顔が変わらないんですよ。 あ、それはあ、34には見えない。 そうなんですよ。 どうしたらいいですかね? でもいいじゃない。そいでね。 だからなんか前はそのやっぱりその可愛いって言われることにちょっと抵抗があったんですけれども、今はあのそれも武器の 1つとして そうです。いろんな役できるもんね。 はい。 うん。で、赤ちゃんの年からずっと今の顔のまんま もうずっとはい。あ、今写真が 可愛いわね。 本当に変わらないんです。顔は 本ん当可愛い。ありがとうござい。 はい。 でも可愛いって言われて嫌ではなかった。 そうですね。 子供の時は嫌ではなかったんですけど、やっぱりちょっとかっこいいとか男らしいって言われたい時期みたいなのが ね、やっぱりあって、その時にね、やっぱり可愛い可愛いってどうしても言われてしまうので、そこはすごくなんか自分の中でコンプレックスでしたね。 なるほど。かっこいいっていう方がいいもんな。 はい。でもまだそういう人間では自分はなかったんだなと 今になっては思いますね。 今どう言われる? いや、今は割となんかその可愛いもそうですけど、なんかこう性格とかも知った上で かっこいい。うん。 あ、かっこいいですねって言われることも多いですね。 じゃ、良かったですね。はい。でも19 歳の時に仮面ライダー はい。1 年間ぐらい仮面ライダーなったそうですね。この頃 仮面ライダーはい。これデビューした手の時ですね。 へえ。はい。 仮面ライダーの時のポーズとかって覚えてらっしゃる? はい。どんな格好すんの? いや、あの、まず説明してもいいですか?あの、ヴンパイアがモチーフの 仮面ライダーだったんですよ。バッタではなくて。だから相棒がコウモだったんですね。で、そのコウモを 掴んでうん。 ここに噛みつかせてで、ヴンパイヤーの血が流れてこって言ってガシャンってベルトにくっつけるっていう感じです。 [笑い] 何をベルトにつけんの? え?ベルトにガシャっと何をつけんの? ベルトにそのコウモを ひっくり返してつけるんです。 うんとくっつくのそこに。 そうです。そしたら変信になります。 ちょっとVTRがあるそうな。VTR あるんすか?ちょっとあった。見せて。 びっくりした。なんで今やら? え、皆さんおはようございます。え、くれない渡り役の瀬戸です。う わ、若いですね。 え、こんな大勢の人の前で話すのが初めてなので、え、すごく緊張していますが、え、とても嬉しく思います。 え、たくさんの人に、え、見てもらえる作品にしたいと思いますので、え、皆さんどうぞよろしくお願いします。 ありがとうございました。 もう髪型に時代を感じますね。 随分手かかってます。あれね、 随分手かかってますね。 大体私ちいち夜のこう こうやって ね。いや、でもなんかその声にしてもやっぱり当時は若い うん。あの、ちょっと高めの声を してますね。なるほど。 俳になんのが夢だったんです。 いや、そうじゃないんですよ。元々そうなんですよ。元々 10位さんを目指してたんです。 あ、動物のお医者さん。うん。 はい。なので、あので、母親がきっかけで、 え、この俳優っていう仕事をやることになったんですけど、え、 そうだから僕の中ではすごく 一気にこう人生が変わったかなて。 そうそう。だから一生懸命勉強して医者になろうと思っていい新学校にも入ったんですって。 はい。勉強した だけど。勉強しました。その時はい。1 番しましたね。 じゃあゲドにはそんなに別に興味はなかった。 全く興味なかったですね。 うん。うん。うん。なんであのそれが あのきっかけはあのうちの母があのま僕あんまり記憶はないんですけど小さい頃から僕が幼い頃から その福岡県のあのなんかテレビなのかCM なのかオーディションに 連れて行かれてたんですよ。え、 で、なんとなく連れて行かれてたなっていう記憶があってで多分小さい頃からやらせたかったんでしょうね。こういうお母さんはね。 お母さんはだから可愛かったから なんですかね。それがあって、え、なんか今うちの事務所のオーディションに送ったらたまたま受かったっていう。 それに東京でのオーディションで 九州にいらっしゃっていかなかったのに受かったこともあったんです。 あ、そうなんですよ。1 次審査は、まあ、書類で、え、通って2 次審査かなんかで東京にある、え、うちの事務所になんか行って面接みたいな感じだったんですけれど、それに僕行かなかったんですよ、もう。 めんどくさくてというか、 あんまりその興味もなかったので、そしたら何かわからないけど受かっていてうん。うん。 え、最終審査までなるという。 そう。あら、大変。あら、大変。 でも状況なさる時にはご両親が見送りに来てくださったんです。 そうですね。福岡空港まで両親が見送りに 来てくれたんですけど、 で、僕妹が2人いて妹2 人も、え、見送りに来てくれて、ま、家族で見送りに来てくれて、 で、あの、ま、別れる時にすごくこう、母がとっても寂しそうな顔をしてたんですけど、もうこれ僕うん。 ずっと見てたら泣いちゃうなと思って、もうすぐこう 切り替えて僕行ったんですけど、その後にま、妹に聞いたら こうお母さんなき酔ったよって うん。言ってました。はい。 でもそれでもやっぱり行っちゃおうと思った。 そうですね。やっぱりあの僕長男なんですけどやっぱり長男を 17 歳の時に東京に行かせる両親の気持ちとか 覚悟って すごい思うんですよ。 だからそれを僕は背負っていくんだなと。で、ま、辛いこともあるだろうけど、あの、やっぱ家族をなんか楽しませたいし、 え、ま、ここまで育ててくれた恩返しというか、 そういうことをしたいと思ったんで、今でも続けられてるっていう感じですかね。 なるほど。だ、 じゃ、相当決心がいりました、やっぱり。 そうですね。うん。 はい。だからそのさっき冒頭で泣いてた。ずっと泣いてたって言って。 そう、そう。 あの、母親とか父親にその当時の愚痴とかを言おうと思って電話をするんですけど、 どっかこう恥ずかしかったりとか不安をもらすと心配させちゃうんじゃないかっていうのがあって、 そう、 もう愚痴は言えずに、あ、もう元気にしようよみたいな感じで切ってもう泣くっていう 1人で泣くっていう日々が続いてました。 なるほどね。 どうですか?状況、お友達、お友達はできました? あ、お友達は数人。うん。 はい。 なんか東京でお友達ができたきっかけはありましたか? きっかけはあのそもそもあのその毎晩泣いていてなんか東京に来てからあのなんかこう自分がどんどんどんどんこう消極的になっていっちゃったんですよね。 ま、ホームシックです。 ホームシックもあってで、 あの、ま、あるドラマ をきっかけにちょっともういい加減変わらなきゃなと思って でスタッフさんだけの飲み会に参加してみたんですよ。 うん。ええ。 そしたらめちゃくちゃ楽しくって、あ、やっぱり人と こうやって会話するのって うん。 あの、色々知れるし、こんなに楽しいんだと思って 間違わな。ね。 で、それからなんか自分のこうなんかモヤモヤしてたものとかなんか消極的になってた部分が解放された感じ。 あ、そう があってなんか昔の呪文を取り戻したという感じですかね。 あ、そう。じゃあ今もうそいそ出かける。 あ、そうですね。うん。はい。 じゃあ随分あの地元ではとっても明るくて積極的だったんですよ。 そうなんですよ。そうだったんですけど。 うん。そう。東京来てからそうな。 まあね。東京しかも若くて はい。東京にいらっしゃっちゃうとね。 うん。 やっぱり電車1 台走ってるところからさ、あんな山和線みたいな何台も来るところの人たと一緒にいるとそれちょっとね。 ねえ、 お母様はなぜオーディション受けさせようとしたんだろう。 まあ、なんか母自体も、ま、ピアニストというかなんか表現者になりたかったみたいで、それを、ま、断念しなきゃいけなくて、その夢を、ま、息子である僕に託したという感じですかね。 なんかお母様にあのどういうお気持ちでオーディションにお出しになったかっていうのを伺ったらお手紙いただきえ本当ですか? [拍手] お母様の手紙です。ええ、 読みますよ。いいですか? はい。うわ。はい。 私が若い頃ピアニストになりたいという夢があったのですが、田舎に住んでいたこともあり諦めました。 子供には誰か1人は表現者になってほしい という思いがあり、長男である工事にその 夢を託しました。高事が10さんを目指し たのは知ってました。勝手な思いで応募し てしまったことは申し訳ないという気持ち もあります。もし目が出なくてもまだ若い から地元に帰ってきてやり直せばいいと いう思いで東京に送り出しました。 現在映画やテレビで頑張ってる息子の姿を見られるのは皆様のおかげです。感謝しております。どうもかその手紙です。 [音楽] いや、なんか母そうなんですけど家族とあのお仕事の話とか全くしないんですよ。 うん。 だから母が、ま、どういう気持ちで、え、テレビ僕が出てる作品を見てたりとかってあんまり聞かないんで僕も。で、母言わないの。 うん。 なんかね、こういうサプライズの手紙が来るとすごくじーンときますね。あ、そういうことを思っていたんだ。 そうです。そう。お母様の気持ちがね。うん。分かりますよね。 いや、ありがたいです。 でもありがたいですね。 あの、あたおじい様とおばあ様のお家は農家だったんですね。 はい。 じゃ、随分そう農家のいろんなものは見たでしょう。 そうですね。 うん。やまし。え、ま、夏のなんか畑もやっていたので、もうスイカなんかもうその辺のとて食べりとか言われたりとか、もうトマトとかもそうですし、もうすごいのどかで なんか豊かなところで育ちましたね。 うん。いいですよね。はい。 だから東京へ来てスイカお金出して買うのを見てびっくりしたんです。 いや、そうです。びっくりしました。スイカって買わなきゃいけないんだと思いましたね。 そうね。一緒の方ではね、 畑になってんのて思っ に取り放題だったのにと思って。うん。 はい。 そうですか。あ、でもね、妹さん2 人としちゃったっけ?はい。 でも妹さんの保育会に桃に行ったりとか随分面みたいな。 そうですよ。あの両親が友端働きだったので うん。 僕がそうですね、1番下の4 個下なんですけど4 個下の妹の幼稚園、あ、保育園に迎えに行ってましたね。 小学校、中学校か小学校が終わってその足で え。はい。それからあのお手伝いも事家事 ああ、そうですね。うん。 そう。なんか今思うのはその時にあのお茶碗洗ったりとか洗濯物を、え、取り込んで畳んだりとかってすごく今に生きていて、ま、僕 うん。え、2 年ほど前に結婚したんですけれども、 え、もう結婚したんだな。 そうです。 そのなんかそれがすごく今のこういろんな家事にできてるなっていうのは思いますね。 あ、そう。ちゃんとうちでしようとしてるってこと。そうですか。 うん。全然区ではないですね。 なるほどね。はい。 それからあなたのご趣味は絵を描くことなんですって。 はい。子供の頃から絵を描くのが好き。 そうですね。子供の頃から書いてましたね。で、今はあのあ、これはお化けを書いて。 [音楽] あた書いたお化け。 僕は書いたお化けです。 あ、でも可愛いわね。 ありがとうございます。うん。 だから今はあのタブレットで あの書いてるんですけどうん。もうこれは 8です。上手ね、随分 だ結構こういうちょっとリアル寄りな絵からさっきみたいなお化けみたいなそうポップな絵まで [音楽] うん。あら、可愛い。 はい。感じで書きたいな。 自作の絵って書いてある。 うん。そうなんですよ。 なんか映画とか見てたりとか小説とか読んでたりとかしてもなんかこうお仕事の頭になって 唯一趣味が絵で絵を描く時だけはなんとなくこう 無でられるというか なるほど。今書いてある絵もそうですかね。はい。 うん。これも僕の書いた絵ですね。 可愛いわね。ありがとうございます。 でもあのあなたの絵が博物館になんか展示されたこともあるんですって。 博物館というか、あの、東京の上野にある国立学博物館。 うん。そう。すごい。やっぱり博物じゃないで、 え、あの大入類店2っていう、ええ、 あのをやっていて、その時に僕、 これ、 あ、これも書いたんですけど、その時にあの僕音声ガイドみたいなしてたんですよ。 で、それで、え、スタッフの方が僕が絵を書くっていうのを知ってくださってよかったら絵もあの、書いてみませんかっていうことで、え、ま、哺入類とテクノロジーっていう テーマで書いました。 あら、これ可愛いわね。でも これでも結構時間かかりましたね。1 ヶ月くらいの構成も含めて、 あの、どうしようかなっていうのを考えましたね。 うん。 でも可愛いわね。なんかいろんな動物がいてね。 そうです。 うん。普段からあれですか?絵を書きになる時はテーマ決めてこういうの囲って決めて書く。 まあ時もありますけど、ま、今日は昆虫を書いてみようとか、ま、あとはあのテーマが見つからない時、なんとなく書きたいなっていう時は自分の、え、スマートフォンに入っている音楽を うん。うん。シャッフルでかけてみて、 例えば夜の何々っていうタイトルだったら夜っていうテーマで書いたりとか。 うん。なるほど。してますね。 あ、そうなんだ。はい。 じゃ、結構もう退屈してないわね。 全然退屈してないです。もう お家にいても なるほど。お家にいても絵書いてる。 もうずっと絵書いてますね。そうですか。 はい。 へえ。もっといっぱい絵があればね、見せていただけばよかったです。 そう。あの、黒柳さんのあの実は絵を書いてきたんですよ。 え、 なので、あの、プレゼントをいたします。 あら、あの、これ、これ、あら、可愛い。 これなんですけど 可愛いわね。相当可愛いわね、これ。 これ後でプレゼントします。あら。はい。 可いい。へえ。です。 こんな風に見えてますかね。可愛い。 やっぱり可愛らしくて ね。すごく可いね。この頭がやり わみたいでちょっとね、可愛い。 はい。ええ。受け取っていただければ。 いえ。受け取らせていただきます。 これちょっとハこみたいに作ってなんかそのポンって。 ああ、それもいいですね。確かに。確かにそれもいいですね。 スタンプみたいですもんね。 そうなんです。書かせていただいて 愛の書く時ってそんな時間かからないの?書く時は えっとそうですねよツ子さんは10 分ぐらいで書きました。 そうですか。じゃ、毎書けましたね。 やっぱり書きやすかったです。 書きやすい。はい。 でもこれ見たら誰でも私ってすぐ そうですよね。あとやっぱりその後ろにちょっとパンダ すごい。あ、本ん当だ。本ん当だ。パンダ好きだからね。 かせて可愛いと思います。すごく ありがとうございます。そう。これキャンバスにプリントしたんですよ。 あ、これ はい。デジタルで書いてキャンバスにプリントさせてもらったので。 あ、そうなん。じゃあ、いただいてあ、いただき。はい。 最近はもやってらっしゃるんです。 あ、そうです。最近あの旅行に行ってかやっぱなんか手で作るのが好きで あのま、これも軽井沢行った時に、 え、作ったうん。金沢。軽井沢。 あ、軽井沢。うん。 はい。軽井沢行った時に、え、作ったやつですね。 ええ。はい。はい。 よくこんな色にあれですよね。焼けましたね。 そうなんですよ。これはあの、また別の、え、これお仕事で行った時なんですけど、瀬戸市っていう うん。うん。そ、瀬戸 たまたま瀬戸市っていうとこに行って、それのあの作家さんがいらっしゃって、 その人と一緒に作ったお皿ですね。 あ、そう。この模様も どう出るか分からなかったんですけど。 あ、そうなの?そ書いてる時には。 えええ。でも出来上がったら、 そう。すごく素敵なお皿になって。 そうね。 そう。最近あの金とかも最近やりましたね。 やるようになって。すごい楽しい。 面白いでしょ?金って 面白いですね。だからなんかその高い食器とかも使うのが怖かったんですけど緊すればいいかと思ってもうどんどんどんどん使っちゃってます。 そう、そうですよね。そうですか。そういう趣味があるのいいですよね。 いやあ、なんかね。うん。うん。 作るのがやっぱり好きですね。だからこの俳優っていううん。 お仕事もやれてるのかもしれないですね。 そうですか。 でも、あの、年に1 度は舞台にもお出になっている。 そうですね。やっぱりあの、ま、表現できる場所とか表現する場所ってね、映像もあるけど、そのやっぱ舞台っていうのがなんか僕にとってすごく力になる場所というか、やっぱりその作品とか、え、うん。 役に浸ってる時間が長いていうあとそのスタッフさんとか共演者の皆さんとかと だからなんかこう舞台は絶対にこう1年に 1回とか1年半に1 回は絶対にやりたいなってうん。思ってますね。あと生のお客さん入ってのそのなんて言うんですか?空間が出来上がる感じ。 そうです。そうです。 でね舞台とかしかないじゃないですか。 ました。なんかやったお客様の笑い声とかね。 そうだからそういうやっぱ生だから怖い部分もあるんですけど でもそこがすごくこう魅力で楽しい部分ですからね。 だから8 月にあの世界は笑うっていう舞台に予念になるんですけど。 そうなんです。世界は笑うという作品が8 月7日から20あ、今出てますね。 そうですね。え、文村のシ国運で 始まるんですよ。シ田国。 はい。これは昭和30年代の、 え、手が始まった頃です。 そう。 だからあの資料を見させていただいたんですけど、哲子さん 出てました。出てました。本当?はい。 だからあ、テス子さんだと思って。 そう、そう、そう。昭和28 年からですかね。 そうですよね。どうだったんですか?あの時のこう時代というか 30年後で 変わりましたか?やっぱりそのテレビも随分と やっぱりね、変わったと思いますけどその頃はまだね、その出る人たちが テレビの専門の人っていうのは私はNHK の、ま、テレビの育成だったんです。 けどそういう人がいなくて大体舞隊からいらした方が だから江のけさんとそうロッパさんとかあいう方たちがまだ出てらっしゃですからもう随分そう森さんとかねもうそういう方たちにもういっぱい教えていただきましたね。面白かったです。そ あ、本ん当ですか?そうやってらっしゃる姿僕見たん? あちみちゃんとやってたでしょ ね。 だからなんかコントって僕やったことないんですけど。 あ、そう。はい。 もうそりは面白かったですか? 面白い。私大好き。夢で会いましょうってやってた時ね、もういっぱいコントやりましたからね。やっぱりコントはね、スピードとね、 それかやっぱりタイミングとね。 うん。とっても大事。 アドリブなんかもあるんですか?ああいう時って。 ある時もありましたね。うん。 なんかそう見ていてめちゃくちゃもう時代をこんなに過ぎてるのに楽しかったんで。 そうです。良かった ね。そう。だから色わせないんだなって思いますね。 そういうのね。そういうのやる時にご両親が見にやったことある。 そうですね。あの、東京にはなかなかあの、来られないんですけど、まあ、今回は京都とかでもやらせていただくのではい。そ、そこに足を運んでくれると思います。 あ、そう。はい。いいわね。ね。 うん。なんかこの夏はやりたいことがあるんですって。 いや、ま、やりたいことというか、あの、僕泳ぐの好きで うん。 あの、ま、その、それこそままたコロナになってから全然行けてないので、そのプールとか、え、海とか。うん。うん。そうよね。 だからちょっと泳ぎには行きたいですね。 もうセットは揃えてはあるんですけど、もうフも開けてない 状態ですけど。セットってその その海水パンツとゴルと帽子 はあるんですけどあった。うん。 まだ開けてもないです。黒から。 そうでもあいうとこ行ってのびノびとしたところで泳ぐのなんていいですよね。大好き。 あ、今日はあの素敵な絵のプレゼント。あれ可愛いのありがとうございました。ないです。 あれスタンプみたいになってね。可愛いと思います。 ありがとうございます。 どうも。じゃ、ますますご ください。頑張ります。 それじゃあね。どうもありがとうございました。 [音楽] て子の部屋は寺で過去の放送会を配信中。無料見逃し配信は安ティバーで。 [音楽]
徹子の部屋 内容:「17歳で単身上京…両親の『涙』を胸に人気俳優へ」出演:瀬戸康史