【天才】前園真聖が語る中田英寿との出会い&マイアミの奇跡 #3

オーストーラリア国際トーナメントゾンさんキャプテンに指名されるんですよね。 はい。嫌でしたね。自分のプレイが縛られそうな感じがして。 中俊さんとの出会いっていうのはアイデアで部屋に帰ってきたら俺の荷物がクローゼットに入れてあったんですよ。ヒレが全部整理生頓してんですよ。 後に舞の奇跡と呼ばれます。あのブラジル戦 はい。試合後もそんなに喜んでないんですよ。世界を通感した試合。 あの95 年のオーストラリア国際トーナメント。 はい。 これゾ野さんキャプテンに指名されるんですよね。そうです。 これ、これな、なんでゾさんをキャプテンに指名されたんです? いやいや、わかんないですけど、そん時は多分正式なキャプテンじゃないです。とりあえず、ま、ゲームキャプテン的な、 ま、後々 本格的に指名されることがあるんですけど、 多分、まあ、なんとなくチームの中心っぽくなってるし、ま、キャプテンマークつけなさいぐらいのその時は感じだったと思います。初めてです。 キャプテンマーク、ま、その時につけたのは嫌で、嫌でしたね。 嫌でした。嫌でした。 あ、高校生の時もキャプテン、ない、ない。小学校もない、中学校もない。 それで日本代表で初めてキャプテンマーク 嫌でしたね。嫌だったんすか? だってなんか責任感あるじゃないですか。やっぱり嫌だったね。プレイスタイル的にも嫌だったし。なんかそのをつけてだけで自分のプレイが縛られそうな感じがして。 へえ。 嫌だったんですよ。キャプテンコールチームを見なきゃいけないし、気を配らなきゃいけないから。 ま、僕の中では、あの、とにかく自分のプレイ手して自分が 100% 出せば、あの、チームのためになると思ってどちらかというとプレイしてたんでずっと あ、 キャプテンマーあるなんかちょっとこう うん、違うとこにこう気がいっちゃうし、なんか嫌だなみたいなのはずっとありました。 中田俊さんとの出会いっていうのはどのタイミングだった? 秀はだからそれこそ最終予選の前に 秀が入ってくるんですよ。ま、それも小倉ぐらがその前に怪我するんですよ。 ああ、 あの前十人体、高獣人体を画宿の時怪我するんですよ。小倉とジ王の 2 トップで僕トップしたんですけどはいはいはい。 オグがいなくなるんだと思って、ま、もうチームはもうちょっとどんよりしてて、その時にあの入ってきたのが中田秀と はい。 松田直樹なんですよ。彼らも世代って世界経験してるんで。僕らの世代は世界経験してないから 彼らはだから世界経験して1 個上の世代に入ってきたんですよ。うん。 そん時が初めてで 僕はそんなに知らなかったけど でももう入ってきても堂々としてあの2 人はうん。 直きもそうだし堂々としてたしで はい。 部屋が秀では僕と同じ部屋になったんですよ。アイベアで なぜか知らないとま大体同じポジションになるでしょ。はい。 初めましてみたいな感じで 一緒の部屋になるじゃないですか。で、今龍チ喋るけどそんなに喋んなかったし当時はね。 でもなんかあの部屋では本読んでるし うん。 イタリア語の本読んでたのよ、その時。部屋でイタリア語の本読むやるんだ。 はい。俺はゴシップ雑誌を買って もしくは女性はい。勝ってんなと思って で2日目ぐらいの時に あの食事終って部屋に帰ってきたら はい。あのスーツケーツの俺の荷物が はい。 クローゼットに入れてあったんですよ。きちっと畳んで はい。 えっと思って、まさかと思ったら、それヒが全部整理生頓してんですよ。 ピチピチって入れてやって、えっと思って、いや、こっちの方が取りやすいし、見やすいでしょって言って、え、こんなやついるんだと思って、ま、そっから、ま、ずっと一緒の部屋だからオリンピックの時もね、本大会も そっからなんか仲良くなってで、ま、ああいう性格だからなんかもうじしないで色々売ってくるし、ま、ピッチに入ったらなおさら もう全く先輩子は関係なく呼び捨てで上の人呼んだりとかそんなのもう関係なかったし、堂々としてるし。 あ、すげえなと思ったよ、19歳で。 へえ。うん。 秀さん多分サッカー選手の中で1 番中にのゾンさんだと思うんですよ。 うん。ああ。多分ね、それはね、付き合いが長いからだと思うんだよね。 気を使わない先輩だったしことを気遣かってくれる先輩って言うんだけどそんなことあんま思ってなくてまでもやっぱりどう部屋だったか可愛かったしめてコンパ連れて行った時も初めてお酒の場に行ったのも俺がまに連れて行ったし多分本当にこう最初からずっと一緒にまるからまもちろんは 離れてる時期もあったし俺引退してだそういうのもあるからじゃないね。 今でも、ま、仲いいけど、それあるかもね。 はい。ああ、 なんか初めての合コの時は秀さん女性と話したんすか? してたよ。あの、先術の話してポジショニングのだからサッカーはこうやってってすごく説明してて、もう女性はポカンとしたけど、サッカーというものはっていう、そういう具体的な話してたね。 こう面白すぎて聞きたいんですけど、ちょっとあんまりこれ掘り下げない方ごめんなさい。 見といてすいません。 ま、ま、そこの部分はまた違うとこで話しますよ。違う機会に。 はい。うん。 ちょっと話戻すですけど。はい。あの、A 代表に選手出されてるじゃないですか。なんですけど念することに されたんですよね。 オリンピックと要はA 代表とちょっと重なってた時期だったんで、ま、ただ目の前の目標はやっぱオリンピックだったし はい。 それは西野監督にも言って、西野監督からそれは僕知らなかった。西野監督が、え、当時 A 代表鴨さんだったんで、かさんに説明しに行ったって言ってたんですけど、 周りもそういう風に言ってくれて、え、オリンピックのに専するようになった。ま、僕もその思いはあったんで、ま、当然ですけどだって同世代と のね、1 回のチャンスだし、それはありましたね。 うん。でも、あの、最終予選サウジアラビアに勝ったことない中で はい。勝つじゃないですか。 うん。うん。うん。うん。 あの試合すごくなかったですか? ま、そうですね。僕見てたんすよ。 あ、見てた。はい。はい。うん。 あの試合ってやっぱ緊張感あったんすか? 緊張感ありましたね。うん。 あの、サウジやっぱ強かったんで、あの時まだ分析員とかないから西種の監督と山さんが、ま、ビデオ回しに行って相手のチーム情報とかを見てたんだけど、ま、試合も見ても強かったし、 ま、でも集中開催で負ければ終わりだったから でここ負けると3 位決定戦行くとちょっと難しいなってのはチームの意思統一だったから、 ま、ここは勝ちたいっていう思いで、ま、サウジ戦望むんだけどもう でも勝てる かどうかっていうのは自信はなかった。それぐらい強かったんで。 うん。ゾンさんゴール ゴール決めました。はい。はい。 かっこよかったなと思って。 そうですか。はい。 だから先に点取ってあと残り15 分ぐらいで、ま、決められてそっからもう暴走いっぱいです。 ま、守るだけっていう。うん。 でもやっぱオリンピック決めた瞬間ってどんな気持ちなんすか? いや、やっぱり嬉しかったですよね。 何年ぶりだったんですか?28年ぶり みたいです。だから僕らはその28 年前のことはよく知らない。 はい。当然ですけど、でも それこそ本さんとか、え、杉山さん時代ではい。 だから毎回あの映像を見させられるんですよ。 ちょっとモノクに近い。はい。 杉山さんがクロスする胸でドンと止める。 はい。 かさんがズトンケラ入るやろうって言ってましたけど、 J リーグもできたんで、そういう意味では少し注目され始めた頃でオリンピック自体も 96 年のオリンピックから初めてプロが出れる試合でもあったし、その前アマチアだった。 そうですね。 そう、どの、どの国もプロが出れるっていうのでプロが参戦したじゃないですか。 はあ。 その注目度もあって世界に出たいなっていう思いはあったんですよ。同破もあったから。 同はオリンピックじゃなくてワールドカップだけど、やっぱアジアを戦い抜いて勝ち抜く難しさ、ま、見てるじゃないですか。 世代は違えとやっぱオリンピックも一緒だったし うん。 なんとなく自分たちがなんか世界の扉開きたいなって思いはありました。はい。 そして迎えたアトラントオリンピックですけども はい。後に舞の奇跡と呼ばれます。 はい。はい。 これはどんな気持ちで望んだんですか? ブラジルとまずやれるっていう時点で喜びと はい。怖さとありましたよ。 はい。それなりにやっぱり準備はしていくないですか?なんかそういう戦術とかで言われたこととかあったりするんですか? そう。ま、当然もうあの力の差があるんで押し込まれるだろうと。 それはもう想定内だったし、 あの、押し込まれた中で、ま、唯一チャンスとしたら、あの、それこそディフェンスの早、ま、今でカウンターですよね。それは狙っていこうっていうことで、その練習はしてたんですよ。 うん。 で、キーパージダっていうあの、AC ミランのね、ジとアウダイルがローマからオーバジで入ってきたんですよ。でもアウダイル入ったのって 10日くらい前に合流してるから で、ここのコンビネーションがあまり良くないっていうのを西野監督と山本監督はずっと言ってて へえ。 で、背後のスペースあるよっていう。で、 裏狙って1 発ここ狙うっていうのは必ずチャンス来るから、ま、耐えてそこは狙おうっていうので、それは意思統一があって、ま、結局そのあ、 2人のミスではい。 え、ゴールを決めることになるんだけど自分たちのサッカーを保持しながらやるってことは難しかったですよね。でも狙ったことは、ま、それが試合で出たっていうのはあったと思います。 僕、あの、伊藤テるさんが先輩なんすよ。 テル高校の大先輩なんですけど、 もうみんなで応援してては取さんもいましたよね。 はい。それこそ静岡だったら、え、鈴木秀と はい。あとは田中まこはい。 その辺りもやっぱそうですね。 多かったですよ。だ、静岡勢はやっぱり なので、あ、見ててはい。はい。 もうよ勝さんがよもそうだ。 すごかったですね。 そう。よしはだからもう神がかると止めらんないんだ。神がかると止められない。 起ると止められないっていう。 それはゾ野さんに対しても そうだからもうチームに対してもう怒りまくる時は怒りまくるし はい。 でもアジアカップとかアジア大会でもあの PK すごい神かったのあるでしょ。だからそういう本当に うん。大事な試合で彼は止めてたしで彼が止めるごとになんとなくあ、なんか入んないんじゃないかなって雰囲気もなるし うん。あのもう観客なんて ブラジルの選手見に来てるんでみんな。 そうですよね。 もう当然ですけど日本人の誰も見に来てないし、ま、 サポーターが何か来てましたけども100 人ぐらいかな。はい。で、前半00 でしょ。多分4050 を期待して見てきてるから、ま、ブーイング起こるわけですよ。 でも後半相手ちょっとし出すと日本が頑張ってるって感じで日本の応援もちょっとなるんですよ。はい。へえ。 したらブラジル人選手のちょっと焦りも表情に出てくるわけです。ま、こんなはずじゃないと思ってるて。 はい。はい。 したらなんか雰囲気も変わってくるし、その中であの点数が生まれたんですよ。 はあ。 だ、会場の雰囲気も変わったの分かりました。 ええ、そしてそのブラジルに、ま、勝つわけじゃないですか。この時ってどんな気持ちなんすか?ブラジルに勝つって。だ、 94 年まず優勝してるじゃないですか、ワールドカップ。 そうです。そうです。ま、ベトがいて、 ま、アウダーダイールがいて、アウ ダいてそうですね。 あとリバウドとかいました。 リバウドいましたよ。ジュニョウスター。 ジニオパウリスターはいとかはい。19 歳のロナウドがまだベンチでした。 温存してましたけど。 これロッカールームどんな感じだったんですか?試合終わった後。 いや、もちろん勝ち点さんを取った喜びはありましたけど はい。 試合後もそんなに喜んでないんですよ。 うん。 ていうのは、ま、もう力の差があったし。 ああ、 勝ったけれどもやっぱり世界を通感した試合ちょっと感じたことなかったですね。その試合の圧とか はい。 スピードその全然違いましたね。そのもうはい。 マッチアップした時の、 ええ、アウダーイールのこの圧とか、 ほ、 寄せの速さと、あ、抜けたけど足出てくるんだとかやっぱそういうのを感じながらずっと試合を 90 分間やってたから勝ったけど、あ、これはこの人たちがやっぱ世界でトップレベルで戦ってる選手なんだなと思ったから いや、あんまり喜んでないんですよ。もうで、次の試合もあるし、 これまでゾ野さんがこう試合をしてきて はい。 ま、その時が1 番その今まで感じたことないレベルだったってことですか? そうです。あ、そうです。まさしく 全く別次元なんすか? 別次元でしたね。 それに対してのやっぱ悔しさとか 悔しさとか自分の実力はまだまだだなって思うのとそれと同時にあ、こういう人たちのレベルで常に練習してないとダメだなと思ったんですよ。 あ、初めて。へえ。 うん。でもそれぐらい強烈でした。 ああ。 続くナイジェリア戦では02 ま、このナイジェリアが優勝するんでしたっけ? オリンピックは。 そう、そうです。準決勝がイジェリアとブラジルだったんですよ。 で、ブラジルは結局3 位になるんですけど、そのナイジラが優勝したんですよ。 はい。そのチーム20。 そしてハンガリー戦で2 点上げて勝つんですよね。 そう。3対3対2 になるんだけど結局、ま、特殊点差でブラジルとナイジアが上がったんですよ。 うん。 これ配知った時はどんな感じでした? 悔しかったですね。ま、だからハンガリー戦では勝つってのは、ま、絶対条件でしたけどあと 2点、3 点取らなきゃいけなかったのかな。特殊点差があったんで、ま、それはなんとなく試合と共に分かりながらやったんですけど、 でもやっぱり悔しかったですね。2 勝していけなかったっていうのは。 うん。うん。それはありますね。 あの、オリンピックを経験してこう成長できた部分とかなんか感じた部分とかなんかそういったものは総評とどんな感じですか? まあ、でもやっぱり世界レベルを感じた。 ああ、 ま、僕にとっては初めてのそういう世界大会だったし、 ナイジェリアと特にブラジルはもう世界レベルのトップトップの選手がいたんで、 こういう人たちと一緒にやらなきゃな、こういう舞台でやるやらなきゃなっていう本当にこう世界に行きたいっていう風に自分で思った。 うーん。うん。ゲームでした。 あの、僕すごく印象的だったのが、あの、帰ってきてから 記者会見たいのあったじゃないですか。 はい。はい。 あそこでさんが有意義な大会じゃなかったって 言い放ったじゃないですか。うん。 どういうことって思ったんですけど、あれは何だったんすか?ゾさん知ってますか?それ。 あの、当然ですけど、あの、相手強いその力関係の中で、ま、自分たちのサッカーをやらなかったのは事実で、ま、そうせざるを得なかった部分もあるんですよ。僕ら攻撃的なサッカーでずっとアジアも勝ち抜いてきて、それやりたかったけど、現実的にやらしてもらえなかったし、 ま、ナイジェラ戦の時はこの試合が僕はポイントだと思ってたから 勝てば、 グループリーグ突破できると思ってね。 で、ナイジラと戦ったけど確かに強かったけどブラジル的ブラジル戦の圧倒的な強さは感じなかったんですよ。 だけど賃貸能力あるし 後ろの選手にとってはちょっと守るので精一杯で上がれないよって結局前は俺とジと秀で 3 人だけでま攻めるような形だったから僕らとって不満があったんですよ。もっと押し上げてきて攻めようよと。 ここ勝てばグループリーグ突破できるよと。 うん。 で、ハーフタイムも西野さん交えて、ちょっともう少しあげてくださいよ。もう 3 人だけど攻めらんないですよ話を、ま、僕らはしたわけですよ。 後ろは後ろの意見があるけど、ま、僕ら言い方は強いから僕らの方がやっぱり先行するしでも西野さんはいや、それはチームだからあのお前らだけの意見じゃないと後ろは後ろの意見もあるし、 チームとして僕は、あ、俺は考えてるから。 あ て、そういうこともあって、ま、結局負けるんだけど、その後に はい。ま、秀を外されたんですよ。3 戦目。はあ。その3 人で誰外すかった多分秀だったと思うんですよ。ま、僕はキャプテンだったし はい。 まだそういうのもあったと思うし、ま、彼にとってはもうちょっとやれたんじゃないかって多分思いもあったし、彼にとっては有意義じゃなかったと思うし、ま、それは僕もそう思ってたし うん。 あの、あとはったとかいろんな選手に聞いたらやっぱりそう思えなかった選手もたくさんいたみたいだから、それは選手によってばらつきが当然あって、 ま、でもそれはいい経験だったと思いますよ。 ま、言っても監督も初めての世界大会みたいなもんじゃないですか? 40歳で。 そうね。そもそも日本代表がその世界の舞台に立つっていうのはもう その20何年前ですもんね。はい。 そしてあの日本サッカー会初の代理人を 通して契約交渉に望んだですよね。 そうですね。代理人いないじゃないですか。 はい。 ま、プロ野球とか見てると必ずなんかこうちゃんと交渉とかもこうなんか出てるけど 交渉の時期ってお復期間に入るでしょ。 はい。 オフ期間に毎回呼ばれて交渉するのもこれおかしいなってずっと思ってたんだよね。 うん。 オフはオフで休む。どっか旅行行きたいじゃない? でも契約最初で決まらなかったらまた来なきゃいけないでしょ。 確かに。しかもなんか何日間後ですもんね。 そうそうそうそうそう。 で、それスケジュール立てれないじゃん。 で、海外は代理人がいると。で、日本のは代理人と存在がいないと。 うん。 者誰かなったに弁護士だったらち合えるってことなってそれで僕が弁護士をけて契約ごとはちゃんと弁護士さんに任してやってたんだけど、ま、当然 23 歳の若者がそれを最初にやるわけだからよく思わない人もたくさんいるし生意きだって言われて 結局その遺跡交渉とかも代理わゆる弁護士の方にやってもらったんだけどでも自分 1人じゃ多分 できなかったと思うからうん。 ま、初めてその時に僕がけさせてもらったとそういう状況でした。 ですよね。ということが皆さんあったというところの中でこベルディに遺跡 これベルディへ移籍する決め手みたいのは何だったんですか? 98年の10 月にブラジルのサントセFC はい。そうですね。スタメン出てたのは少なかったですけど、サッカーすごい楽しかったですね。 200年、ま、東京ベルディに復帰 いい感じになってきたなと思って国立の 得典したと同時に骨折したんです。ま、本当にこう指先からのこういう動かすことサッカーできるかなと思ってましたね。 え、私鈴木桁が代表を務める総合ブランドのオ部では腸内細菌の研究をベースに長ケア商品を開発そして販売してます。 腸内細菌を効率よく育てるための餌となる 野菜、果物、穀物、海藻など50種類以上 の食品由来の原料を配合した マルチファイバーミックスオーブグローは こちらからです。 や。

サッカーからビジネス、そしてコンディショニングまで
私自身も学びながら、動画を作っていきたいと思います!

是非チャンネル登録よろしくお願いします。

▼おじさんだけど、遊んでもいいですか? Presented by CHAP UPとのコラボ動画はこちらから

▼おじさんだけど、遊んでもいいですか? Presented by CHAP UPのチャンネルはこちらから

https://youtube.com/channel/UCfjDQXxizH9OOdGGJcZ9uEQ?si=91LtiJHAb6aMdJpc

◆鈴木啓太(サッカー日本代表/経営者)
Twitter:https://twitter.com/keita13suzuki

◆鈴木啓太が代表を務めるAuBの商品に興味がある方はこちら。
https://aubstore.com/
https://www.instagram.com/aubinc_official/

◆AuBや腸活についての最新情報などをお届けしています。 
メール https://aubstore.com/pages/newsletter2209
LINE https://liff.line.me/1657752618-y34xj3VM?rid=41

◆YouTubeのお問い合わせは、こちらにお願いします。
https://aub.co.jp/enquiry/

▪︎instagram
https://instagram.com/illbe.official?igshid=YmMyMTA2M2Y=

◆スタイリング
illbe

#鈴木啓太 #前園真聖 #中田英寿 #アトランタ五輪 #マイアミの奇跡

31 Comments

  1. ゾノさん、大好きで真似てました。
    ヒデさん、小倉さんとA代表でやれるのを見たかったです。

    “ドリブル” 本も買いましたよ。
    いつか街で出会ったらサイン欲しい!

  2. バルセロナ五輪から23歳以下のプロ選手がOKになったんじゃなかったっけ?ペップがスペイン代表で出てるよな。

  3. たらればですがゾノさんがセビージャに移籍出来ていたらもう少し日本サッカーも変わったのかもと思ってしまいます。

  4. 代理人問題は野茂さんも同じこと言ってましたね。運営側は代理人より交渉素人のスポーツ選手相手の方が楽なんで渋ってたって感じなんでしょうね〜

  5. 1:58
    あの時あの瞬間
    オグが
    地面をバーンと殴りつけた場面を今でも思い出します
    その
    オグの代わりに合流してきたのが
    ヒデと直樹
    みんなが万全でそのまま進んで欲しかった
    もの凄いチームになってたんじゃないでしょうか…

  6. 28年目のハーフタイム他の方も書いておられるけど何回も何回も読みましたね

  7. 日本のサッカー史に残しておくべきお話がたくさん詰まった動画ですね
    ゾノの話面白い♪

  8. あの時のゾノがセリエAでプレーするのを見てみたかった。
    キャプテンゾノは本当にカッコよかったです😊

  9. ゾノ vs アマラウ、フラビオコンセイソンは見応え抜群だった。

    でもジュニーニョパウリスタはゾノ以上にキレキレで衝撃を覚えた試合だった。

    カズ、オグ、ゾノ、ヒデの揃った世界線が見たかったと、何年経っても毎回思っちゃうんだよね。

  10. ナイジェリア戦の後のヒデの感想『あいつらあんまり伸びてねー』じゃなかったかな!?
    ワールドユース?だったかで対峙した時は身体能力の差にびっくりぽん!だったけれど 五輪で戦った時あいつらは『ほぼあの時のまま』だった・・。
    だから ヒデは十分戦えると感じていたし勝てるとも思っていた。 そこが 周りとの経験の差や意識の差だった・・。
    監督よりも経験があるから嚙みついたし それによって排除されてしまった。当時の日本は まだそのレベルだった(涙 まー監督問題は今も一緒かも知れませんけどね。

  11. 西野さんも若かったよな。ロシアWCの時の西野さんだったらヒデを外すって判断はしなかったと思う。

  12. フリューゲルス時代のゾノはキレキレやった。サンパイオ、ジーニョ、エバイールのブラジル人トリオとの共演。

  13. ブラジルと死闘を演じ、次はナイジェリア。守備陣は大変過ぎたはずです。ナイジェリア戦はチーム全体体が重いように見えましたね。オウンゴールとPK、煮え切らないおわり方でしたがハンガリーには勝ってくれて良かった!
    あの頃みたくまたサッカー観戦に熱くなりたい🎉

  14. ガマさん(釜本)って言おうとしてカモさんになっちゃったかな

  15. 前園の全盛期95年から96年にかけてホント凄かった。今の様な0円移籍が出来る制度だったらヨーロッパに行っていただろうから時代が早かったね😂

    しかし初コンパで女の子に戦術の話をするナカータ只者じゃねえwww

Write A Comment

Pin