両親の教え
[音楽] 一条からえお前はオリンピックの選手に なるためにえ成果の成功となったんだから なという風に大変厳しくえ言われて育ち ましたいわゆるえ昔の世代の父であります ので厳格なま頑固父に私は育ててもらい ましたと同時にえ北海道のえ田舎の大変 大きな大自然の中のえ牧場で生まれ育った のも私にとっては非常に良かったかなと いう風に思いますえ厳しい父の教えでえ夏 は朝から常場そしてランニングあるいは 自転車で学校に通うそして冬になる と池谷あるいは田ぼ沼がえ凍ってスケート リンクになるこれは北海道のいわゆるえ 当たり前の光景でありましたので私も3歳 からずっとえ牧場内の池がスケートリンク になってそこが私の遊び場であり練習の 拠点でありましたまそんな厳しい父の元で え育ててもらってえメンタルの部分は非常 にえ強くなったのかなという風にも思い ますでもう1つは私にとってえ掛けがえの ないえ存在だった人はやはり母親だったな という風に思いますである時私が小学校4 年生の入院生活を経てえ学校に通うように なりましたけれどもえ体をたくさん動かし てはいけないということでえ夏休みまでの 間はえずっとえ学校の許可をいいてえ半日 だけでえもう家に返されるということの 療用生活になってましたでその時に母はえ 私に留守番をお願いをしてえ自分自身は畑 に行ってま仕事をしていたんですけれども あの当時え大変なあの こう怖いと言いますか事案があのたくさん 取り上げられている時でもありましたま あの北海道はえ刑務所があります刑務所 月型刑務所えそういうところから出てきた 方たちが あの้าวトマコマ校ですとかそういった ところからえ本州に帰られるというような 時の通り道にもなっていた場所でえどこ からか持ってきたものをこう売りながらお 金に変えてえ変えられるというような そんなところだったんですけれどもえある 時え隣の家から電話がありましてえ怖い人 がそっちの牧場行ったんでお母さん お父さんにちゃんといね言いなさいという ことで話をしあの電話が来ましたんで私は 慌てて畑にいる母にその事情を話してえ 戻ってきてもらいましたでそうしましたら 母はえ何をすることなく誰にそのことを 伝えに行くわけでもなくお昼過ぎですねで 夜ご飯にはまだ早い時間でした2時か3時 ぐらいだったなという風に記憶してるん ですけれども母はいきなりカップ防義を着 てそしてえご飯支度を始めたんですこんな 時に何をやってるんだろうという風にえ 思ってずっと見ていたんですけれども そんな状況の時にその怖い人が家に入って きたんですねそして奥さんこれを買って くれないかという風に大変な怖いえ状況の みりで来たわけなんですけれども何にも 浮くすることなく母はどうぞ先にご飯を 食べてってくださいという風 にお茶の間にあげたんですねそしてえ 戸惑いながらもその怖い人は言われるが ままにテーブルに座りましたでそしてえ そこで母が作り立たてのご飯おかお味噌汁 を出してそして何かたくさんお代わりをし てましたでそうやってご飯を食べられた後 に帰られる時に母は少しですけどこれを どうぞと言ってほんのちょっとだったと 思いますけれども 紙に包んでお金を渡しておりました何かえ 生活用品だったと思いますけれどもえそれ をあのはうちにはもう足りてるのでいり ませんでもこれを何かの足しにして くださいという風にしてそっとその方に母 は渡したんですねでそうしたらなんとあれ だけ怖い状況で入ってきた方がご飯を食べ てそして多分母の優しさにというよりも 人間の優しさに初めて触れたんではないか なという風に思うんですけれどもその時 からガラっと顔色というか表情が変わり まし そしてありがとうございましたと深ぶかと 頭を下げて帰られたんですねでその姿を見 て私は今でも涙が出てきそうなんです けれどもすごいなあという風に子供ながら に感じましてでそれこそ が母にしかできないこと ま女性にしかできないことと言いますか人 の優しさ怖い人に対して強く当たるという ようなそんな状況を作るんではなく 強い人にも何か困ることがあるから強く出 なければいけないというそういった状況を 見抜いたからこそできた母親としての子供 を 守るいはその地域を 守る母にとっては 多分優しくずっと振るまっていたんです けどもしかしたら 命がけだったのかなという風にもう思いま思ってましてでもそれこそが母親としてにしかできない舞いだったのかなという風に思った時に私はこういう人になりたいという風に初めて母の存在というものがこれだけの存在に影響 してそしてその地域にもお母さんお母さん という風にみんなから慕われる存在であっ たというのはこういったところだったんだ なという風に思いまして私のやはり政治家 になっていく上においてのまやはり原点も そういった優しいからこそ 強い優しさというのは最後は強いものに なるんだという母の言葉どうして母さんは 優しいのという風に聞いたんですねそう すると母さん は誰よりも強い から誰よりも優しいのという風に言ってい ましてでそれを私はずっとま目標にしてま 今もいるというそんなあの子供時代 を強い母にと共に生きることができてま私 が今いるのもそういった母のおかげかなと いう風に思いますえオリンピックを目指し たことで中学校2年生から親を離れて下宿 生活両生活ということでえ母と本当にえ 暮らしたのは14年ほどしかなかったん ですけれどもまでもそれだけの 期間の優さと強さ に教えてもらったことっていうのはもう 素晴らし 人生としての石だったなという風に今も 感じてます [音楽]
厳格な父でした。今、振り返ると、私の礎は、父の厳しいしつけによって築かれたと深く感謝しています。しかし、その厳しさたるや半端ではありませんでした。
父が妥協を許さなかった分、母は私を慈しむ気持ちが強かったと思います。割烹着姿で台所に立っているときも、畑仕事をしているときも、学校から帰った私を笑顔で迎えるときも、母は不思議なくらい優しい存在の人でした。
オリンピックを目指したため、中学校2年生で親元を離れましたが、両親の教えが私の原点であり、支えです。