ふるさとの広場
[音楽] [音楽] お [音楽] [音楽] 乗 [音楽] お父さんね隠してて何にも言わなかった けど目が悪くなってたんだね糖尿病で それでも大丈夫だまには知らせるなって 言ってたんだよでも今度の脳血で肝心の 右腕が思うように動かなくなったもんでね それにね今なかなかうちのような店で働い てくれる人がいないんだよ大会のようなお 給料は出せないしアルバイトの人は 落ち着かないしでもねまさお父さんはどう しても前に帰ってきてくれと言っている わけじゃないんだよお前の気持ちが大地だ からお前の人生はこれからだからそれを 大事にしてもらうにゃってそう言ってるん だよ その気持ちがお母さんには分かりすぎる ほど分かってね [音楽] [拍手] [音楽] よ おお元気か?ああ [音楽] 正直に言って久しぶりに山口にあった時僕はまだ多分に東京での勤務めに未練を残していた [拍手] うん 高校時代同じ応援部でバカでかい声を張り上げていた山口が 今この高崎で京都市研究会のグループに入っているのには実のところちょっと驚いた 軍と この新妙な姿は昔のあの格好からは想像できない彼は強度を知ることが生きる自信につがるのだと [音楽] こんなとこにも出てるけどこういう歴史は 今まで中央ばかりで考えられていたけれど そうじゃなくて各地域各地域がそれぞれの 歴史と民主の歴史を持ってるってことを僕 らはよく勉強していかなきゃいけないと 思うでそういう意味でも今度はハックスが ね今までは古代ばかりやっていたんだ けれどもだんだん歴史の範囲が広がってき て中世の調査がちょうどやっている口は僕 が高崎に帰って間もないことが分かると彼 の仲間を次々に紹介してくれた昔の仲間が 1人増えたと思ったのだろう 音楽センターが高崎市民の誇りならこの 群馬県立近代美術館も強度の自慢の1つで ある 市民に開かれ地域に結びついた美術館で いつも共土作家の作品が展示されていると いう 僕は高崎の人間でありながらまだこの美術 館を見たことがなかったそういう気にも ならなかった ところがここにも彼の仲間がいた絵を描く 友の貝という輪を作っている絵によって 強度の命を見つけるんだと手札を握ってい た じゃん松本君今度こっちでねあの僕らの また一緒にやってくれた いや今度ねあの僕仲間になって これは高崎哲学道の模型である 山口の説明によると高崎市民は音楽のため には音楽センターを立て美術のためには 近代美術館を持った今度はこの哲学道を 作るだ激同する今の社会でより懸命により 幸せに生きることをここで市民たちが学ぶ ためだ 君に紹介した仲間たちはそういう場を作る ことを目標にそれぞれの生活の場で頑張っ ているんだという これだけではなかった暮らしと農業を 考える会という農村のグループもあった物 を大切にしようとブツブツ交換をやって いる町のグループもいたそれぞれが高崎の 街づりに参加するんだという意気込みで やっていた トなりの熱意と若者同士の共感は僕も持った よよく来たなみんな奥にいるよ俺も後から行くから入るよ先に入りや [音楽] それから音楽だとか 枝とかだと分かりやすいし楽しいよな ところが哲学道となると そうだよ高崎市民に興味があるのかな あると思うわよ 仲間ができることは楽しいもの 様々な知識がここで出会って結びついてそしてそれが生活実感として自分に跳ね返ってくる それに講演会や討論会や立社会もやる 山口が言っていたようにみんな仲良くやっていたその生きとした格好が羨ましく寝たましくもあった羊 [音楽] 羊様か これだけだ 山口は先輩たちが残してくれた高崎の文化を受け継ぎ発展させこれからの高崎の街づりをするのは我々青年が中心にならなくてはという彼には僕がもうすっかり高先に住む気になっていると見えたのかもしれないここに誘ったのもそのためだろう [音楽] しかし僕はまだ迷っていた みんなの何かやりたいという気持ちもわかる どんなに高崎が好きで高崎を思っているかということもわかるでも僕は東京での仕事を捨てきれないでただから高崎哲学堂にはそれほどの興味を感じなかったどういうことか分かろうとする気もなかった [音楽] それよりもこの連中のように高崎に落ち着いてしまう自分に自分で抵抗を感じていた [音楽] こんにちははい あこないだ頼んでたコンサートのやつ上がりましたので ちょっとてくださいこればいい はいよろしくお願いします 正直に言って僕は山口たちにはお切りで付き合っているつもりでいた の手から面白そうに生まれてくるのは並ぶ のはおにぎりコロりん ぎゅコロりんぎゅコロぎゅコロぎゅぎゅぎゅコロコロり [音楽] どうもありがとうねみんな見て これねさっきがみんな歌った式の歌あるでしょで歌うの [音楽] どうぞよろしくお願いしますお願いします お願いします どうぞ お願いします願いしますどうぞ お願いしますはい でもポスターやラ張りなどを手伝っているうちに僕の気持ちも彼らに近づいていた コンサートが成功すればいいなと思うよう になっていた 少なくともこうしている間は東京を忘れていた [音楽] 私に人生と えどうして来られないって言えるテレビがある [音楽] だって君のコンサートは高崎でしか聞かれないよ 本当だよ品だぞ君 の夏の日 うん 草の 心 がはずみ の咲花に 心がよ人 [音楽] は この山口が俺たちのすることに町の人はこれだけしか関心がないんだなといった言葉が僕の胸に刺さっていた [音楽] 友達 彼は軽い気持ちで言ったのかもしれないが [音楽] みんながあれだけ力を尽くして準備をして その結果がこんな荒れなものだとは僕はがっかりだった [音楽] 高崎の文化を自分たちが受継ぎ発展させるなんて話の気がした [音楽] 東京での務めをやめてきたことが今更に悔れた 早まったかなと思った 高崎で父の仕事を都合と考えたことは 1 人汚がりのつまらない感渉でしかなかったのではないか [音楽] 僕はなぜ東京に来たのか自分にも分から なかった ただ高崎にはいまれなかった でもどうしたことだろう 僕の足はここで救んで動かなくなった もうあのには自分の座る席はないんだということをこの人並が教えてくれる悔しさが足元から生い上がってくる [音楽] [音楽] 財布を釣られたことを話し昔よく言ったバーで飲ましてもらった でもを始めたら急いで 自分の意思でやめたのだからそれでいいじゃないかといくら自分に言い聞かせても納得できない 自分の未連たらしさに腹が立ったかと言ってそれをどうすればいいんだのにの心 [音楽] 思い出しておく [音楽] 俺たち のこと 知れとこ のみ先 に はす の咲く頃 [音楽] 思い出し ておくれ 俺たちのこと が良かったのかなあの子のためには そうですね 気がついたら 僕は高崎の公園にいた 前後不に酔っ払って わけがわからなくなって知らぬ間に足が向いていたのが高崎であったとは でも ますぐうちに帰るには抵抗があった 松本じゃないか 松本さんじゃない?どうしたの 何してんだよ 一緒走ろ早くうんお お頑張って出て [音楽] ほらほら声出して 頑張って せて待てせてせ [音楽] 僕は嬉しかった強度の仲間たちの温かさにせるような気持ちだった だけど同時に悔しかった 今この温かさに浸ることは自分の位置を 決めてしまうことになる やっぱりこの高崎が俺の生活の場だという ことを認めることになる そう決めてしまうことには特にはまだ借前 としないものがあった 胸を張って飛び込んでいけないものがあっ た だ大きなまずね これは柱の小さいなでしょ柱のポン えっとそうだと思いますねで大きな穴をまず掘ってその中に小さなこって柱を受けて そういうでこうやった ここはあのみんな埋めたんですよね掘った だ小さいのとこにあの柱を滑るためにまた小さい だからこの辺にこう土が安いに残ってるっていうことになって これ埋めさあですねうん こっち館ですよねこの割と館の柱っていうこと やの中の建物の柱 あっちの方のは何やってるんですか えっとですねまこの館の中の建物がねいくつかあったと思うんですよね あ館の中にえ えでもう向こうにもあの柱がずっとありますけど ああはあはあは そっちの方にも建立建物のがいくつかなって 9.8です はい松本さんとうとうなかったわね うん電話したんだけどなけさん 悩んでるみたいだな いいわよ 気に止めていなかったが山口の仲間たちは講演会も開いていた市民を加えた勉強会でこれを哲学道に発展させる計画らしい商売のつもりで印刷を引き受けたこの公演習で見るともう [音楽] [音楽] 90回も続けているようだ 誘われていた浜川島遺跡発掘の手伝いは 失礼した 興味がなかったわけではないがどうも足が 重かった 山口たちの友情だけを受け取っておくこと にした [音楽] 音楽だとか枝とかだと分かりやすいし楽しいよなところが哲学道となると [音楽] そうだよ高崎市民に興味があるのかな あると思うわよ仲間ができることは楽しいもの 様々な知識がここで出会って結びついて それでそれが生活実感として自分に 跳ね返ってくる [音楽] 東京を失い生まれ故郷の高崎までも失おう としていることが僕の胸を刻んだ 僕は1人でいることが耐えられなくなった [音楽] どうしたの?これほど仲間が欲しいと思ったことはない [音楽] [拍手] [音楽] あをする人は心強みの花のような空の子たちをする [音楽] 人は心強 人 [音楽] 身を暗くなりよな僕の父をや を愛する人は心人 と 愛 [音楽] 誰もが働いている時間だということを僕は忘れていた 1人1人が精一杯自分の場で生きている どうもはいこちらにサインお願いします ありがとうございました どうもいらっしゃいませ [音楽] はいありがとうございますあちらの方です ありがとうございました こちらにサインお願いしますこちらにサインお願いします どうもはいはいどうぞ こちらにサインお願いします [音楽] どうも はい重できましたのでよろしく いらっしゃいませどうぞおかきください どうもはいいらっしゃいませ来ないな [音楽] 誘ってくればよかったのに うんこの会場は200 人からの方が入られますともはや収容できなくなってしまいますそうした意味においても学問をこの町に根付かせ私たち [音楽] 1人1 人が哲学する魂を持った市民に自らを育てあげていく そうした本来の意味に起きても高崎哲学道 を1日も早く私たち自らの力によって 作り上げなくてはなりません [拍手] さて今回は京都から梅原た志先生をお招きして現代文明と哲学というお話を伺いたいと思いますでは先生よろしくお願いします [拍手] 今あの 言う大変多い回数を重ねたことを聞いたん ですがそのうち私が20回ぐらい来たん じゃろうかという風に思うんですがあ何か 私自身がこの後編会と一緒にこう育ってっ たようなそんな感じがするんです今日はま 話をですねまその 哲学の話 を 中心にお話ししたいと思いますま高崎哲学 建設のま原点に帰りまして現代における 哲学の意味についてお話をいたしたいと いう風に思います で一体その哲学というものは何だろうかということが問題でございますが私はやはりその哲学という父にも母にも殴られた記憶はない 哲学というものは哲学はやはり でも今日は現で殴られた気がした いうに保は 言ってみれば私は 自分の人生は自分で選べと言っていたのだ 皆さん思うかもしれない それなのに僕自身が同揺したことが誰よりもこの保に対し恥ずかしかった だから美しいものがあると思う僕は山口たちのように この高崎に腰を吸えようですね 父の仕事を本当に受け継ごう 山内たちと一緒に 高崎の歌を宝に歌おう とこの時決した これだけ多くの人が高崎をよくしようと集まっているではないかなに満たされる喜 僕はこの人たちに遅れを取ってはならない だからこの教えてくれた山口たちに何 僕は答える必要がある 何もですねことを言うんじゃないやっぱりを愛する精神ですやっぱりを愛する精神は他の何よりも愛する精神だというに私は変えこ [音楽] ができるんです 俺コンサートの時思ったけどねもうお 付き合いやお切りで来てくれる時期は過ぎ たんだよな やっぱり中身の問題だよ何をどう捕まえ どう表現するか内容も技術もどこへ持っ てっても通用するものをやらなきゃ あれは失敗みたいだったけど私には失敗じゃなかったわまた [音楽] 1 つ新しい繋がりができたもの私たちの考えること失敗の中で膨らんでいくわね [音楽] 僕は1 人ぼっちではなかった高崎にはいいやつがいっぱいいる [音楽] 僕は今この仲間たちとの繋がりの中で自分 を育て自分を気づきが高崎をよくすること だと考えているその地震に導い 今日の縄毛散々は僕には崇高に見えた [音楽] せ
作品概要
製作:日映科学映画製作所 企画:貯蓄増強中央委員会
1978年 カラー 29分
この映画は高崎市の文科活動の一環を描いたもので、哲学会館建設運動がモデルになっているようである。関連した内容がインターネットで配信されているのでご紹介する。
高崎哲学堂の設立運動は、1969年(昭和44年)1月、市内の実業家・井上房一郎氏が提唱した「哲学とは、私たちが私たちの社会に賢明に生きようとする願望の学問です。高崎哲学堂は、現在の政治や教育の手の届かぬことを勉強する高崎の寺小屋です」をモットーにして発足した。
井上は昭和5年、久保田宗太郎・住谷啓三郎らの青年たちと新生会を結成して、高崎の文化振興に取り組み始め、事業の傍ら、ブルーノ・タウトを招いて工芸運動を展開したり、高野山の慈眼院を観音山に勧請した。
戦後は、高崎市民オーケストラ(後の群馬交響楽団)の創設と群馬音楽センターの建設運動のほか、群馬県立近代美術館の設立など、高崎の文化創造の重鎮として活躍した。そのまとめが、哲学する心を育て、市民の精神的よりどころとする高崎哲学堂の構想であった。
設立準備会を結成し、新しい知識を学び思索する場として、著名な文化人を招いて講演会を開催した。第1回は昭和44年、増谷文雄の「仏教思想と現代」を開催、平成11年まで320回、月1回の割合で実施している。
講師には、昨年文化勲章を受賞した哲学者の梅原猛の30回を初め、源了圓、湯川秀樹、司馬遼太郎、ドナルド・キーン、芳賀徹、上田正昭、鶴見和子、福永光司などの専門家を招き、内容も歴史から科学まで多岐にわたっている。
昭和55年に財団法人の認可を受け「高崎哲学堂設立の会」と改称、井上が初代理事長となり、翌年から月刊機関紙「よろこばしき知識」を刊行した。高崎哲学堂の設計は、音楽センターを設計したアントニン・レーモンドに依頼、模型も造られているが、井上は「建物があるにこしたことはないが、運動そのものが哲学堂」と語っていた。
平成5年、志半ばで死去、原一雄第二代理事長が運動を継承、現在の会員数は約800人、募金による基金は1億3千万円になろうとしていた。
スタッフ
製作:酒井知信
脚本・監督:片山薫
撮影:高田昭
照明:野村隆三
助監督:渡辺範雄
製作担当:相沢徹
音楽:竹田由彦
編集:中静達冶
録音:米山靖(スタジオ櫂の会)
現像:東洋現像所
出演
望月太郎、大鹿伸一、小林伊津子、中村たつ、浜田寅彦
この作品は、赤い羽根「災害ボランテイア・NPO活動サポート募金」助成事業により、デジタル化配信しています。
4 Comments
🇯🇵❤️
わたしも集団就職で都会へ来て、仕事に追われ毎日を我夢者羅に生活していて、ふるさとの事などすっかり忘れていた日々があった。今はふるさとが恋しくて毎日の様に想い出す。今はもう誰も居ないふるさと。でもやっぱり古里は忘れ難き、ふるさとだ・・😢。
現在は上野駅から高崎駅まで約43分の速さ,まだ新幹線開業前の高崎駅舎が懐かしいですね。
この頃は上野駅から高崎線普通客車列車が午前中に3本も有りました。
人間は生活に余裕が出来ると要らんことを考えるようになる