240427 第1回安房大神宮の森 風土・歴史フォーラム
皆様まもなくスタートさせていただきます お願いしますえ皆さんおはようござい ますあのNPO法人地球森の顧問を務めて おりましてまたあの立山では森作り大使を 属されております高田と申します今日は あの雨の中大勢の方でお集まりいただき ましてありがとうございますまた今日あの オンラインでもあの110名の方がこれこ に関心を持って聞いてくださっております あのまた皆さんにとってもあと我々にとっ ても立山にとっても儀な時間の儀な始まり となるようなそういう時間になればと思い ますよろしくお願いしますあの30分間 あの今やってることとこれから始めること の活動の意義についてお話しさせて いただきますえっと新聞でも報道してあの 記載していただいておりまして見られた方 も多いと思いますけどあのお手元になり ますはいあの某日新聞それから東京新聞に 掲載していただいております4月22日 からあのこの顧問プロジェクトとあの様々 一般の方々で興味のある方々をに呼びかけ ましてそれ1日約30人から3040人 ぐらいの人数であの縄文小屋作りの プロジェクトあのを行いました5日間で ですねあの山の小屋にあのすごくもう山 あのこうしたものが立っておりますでまず 今回ですねこの顧問プロジェクトの目指す ものていうことで少しお話しさせて いただきますここはですねあの 私とそれからあと南暴市に拠点を持つ精神 会員の渡辺克夫さんという方であのま地元 の方々でここを非常に大切に思う方々の 協力を得ながらですねここ取得いたしまし たでそれで有はここのまちょっとその経緯 からご説明したいと思いますで約320坪 20つじゃないです20筆ですねで55 ヘクタールという広大な山域ですでここを ですねここが1人の方がま事情があって 所有してたものをですねあのま我々が取得 することになりましたで敬業銀行さんの 融資を受けてそれから約ま20名ぐらいの 方々のあの出資とそれからあの寄付を いただきましてこれから整備を始めていき ますはい大体この立山今いるところがです ねえっとはいこの辺かな野鳥の森てあり ますですねこの辺にいて泡神社があります その泡神社の周りもそうなんですけどそっ からえっとまここが館山市と南暴走市の 境目のオ筋でしてここまで来るとですね海 がよく見えますでそのま北側って言っても この広大な山の中のま様々飛びなんです けどあの主にこの黄色に塗ってある部分 この山のまあのがあの我々が今回取得し ました土でございますあの東京新聞とそれ から防人新聞社に掲載していただき途中の 様子を掲載していただきましたでこれ東京 新聞さんの記事なんですけど森は先人から の預かり物この所有僕らやっぱりここを 守るために所有しましたであのないお金を 知恵を絞って皆さんから集めてそれから 銀行さんの協力を得てですねあのここを あのこれから守り育てていきますで購入し ましたけどこれ何も僕の財産僕らの財産に するつもりも全くなくてでこれはちゃんと 昔の人が自分が生きてる間に土地を育てて 厚生にちゃんと50年後100年後のその 集落のためにですねこう自分営んできたの と同じようにあの我々もここ育ててそれで 未来のに手渡していくこれがあのま現代は なかなか難しい税制上それから様々な制度 それから時代の要請であの非常に難しい ものとなってます山を山のままの開発をせ ずについでいくということが非常にあの自 さんの負担が大きくそれからあのなかなか 先祖代々の土地を守れない時代になって おりますねこの国土の大切なこの大切な山 がふさとしてもそれから環境としても地域 の営みとしても大切な山がですね守れない というそういうことがあのそれでそれは すなわち地域の魅力を失い結局はですね 地域のためになる開発と思いながからも いずれ10年後20年後の将来を考えると ですね本当のそれまで培ってきた魅力 フードというものを失っていくことになり かねないそういうことを懸念してですね これからあの我々みんなで守っていくって いうそういう仕組みを作ろうと思って始め たことですでそれでま今回あのま活動この 活動拠点としてですねあの縄文さんこそ 縄文大工の雨宮統領にあの来ていただいて でそれで総勢のべで約200人ぐらいの方 が参加してくれましたあの5日間でで北は 秋田から南は沖縄まであのそれから地元の 方々もたくさん協力していただきました そんな中でこのプロジェクトが実現して まいりましたこれからまたこの地域のため にもなるそれで我々1人1人の人間の心を 育っていくようなそんな場所にしていけれ ばと考えておりますでま場所のこと概要で 説明しますとこの危だらけの土地なわけ ですねでここの経緯はあのま以前に 1980年代ですかゴルジ開発を最初あの のために土地をまとめた会社がありまして でそれがですねその開発計画がえっと多分 バブルの頃だと思います頓挫しまして バブル崩壊後頓しましてそこを平成16年 に全所有者が取得しましたそれで前の所有 者の方はですねやっぱりここの山をあの こう道を作ってそれで僕らと僕らみたいに やっぱりあのたここ整備していこうとあの 遊び場として山としてそういうような考え でやられてらっしゃったと思いますでその 息子さんがですね息子さんと言ってももう 76歳の方ですけどその方がまこのまま不 さんとして息子の台に継ぎたくないと考え たかと言ってあのこのまま開発されて しまうのも忍びない心ある方にあのここを 売り渡したいと願いつつあの売りに出して おりましたでこれだけの土地がなかなか 一般に売りに出るっていうのはなかなか 珍しいケースだと思いますでそんな中で あのま取得したわけなんですけどねそれ から昔の記述例えばペリーが日本遠征期 ペリあの日本に遠征した黒船で来た時も ですねここの白浜それからこの目崎この 周辺の海を渡った時にここのもう山頂に 至るまで棚田がついてる棚田やだんだん畑 で続いている光景にあのその見事な美しさ に誰もが心を心を あのこう打たれたというそういう記述が ありますで実際ですねこれこれ谷筋これ ずっと棚田の後ねでかなり上の方に行って も水が湧いてますでこういう水源を整備し た後が結構奥まであるんですねあのそれ だけ水が豊かであってこの豊かさがまた この海の豊かさも養ってるまずこういう僕 らは見えないこう命の繋がりっていうのを まず見ていくってのがすごく大事なことだ と思います土地の価値っていうものを 考える時何を守らなきゃいけないのかって いうことを考えた時にですね少しだけその こと説明しますあのこれこの大人軍の山の 筋から見たあの海ですあの下崎それから あのメラ漁港のあの景色ですけどあのま ここのメラここに磯がありますねあの地元 の方はご存知だと思います昔あの様ひや 若めそれからアワビを取れたそういうあの ま豊かな行がありますでこの山の上には こうしたあのここは体積癌って言って海底 でこう体積したあの砂屋泥これが岩となっ てそれで流しそれで山頂を形成してますで これはですね今も山と海が繋がってんです ね有機した体積が海底の岩が山頂まで続い てるわけですそれがコ をを追っておかげ木に覆われてるとですね こう山の中ってのはこの雨が降らなくたっ てたくさんの霧が湧いてというのは気腹が あります谷筋から常に水が湧き空気が湧き 湿った空気が湧き出してそれが霞みとなっ て流れますでそれを白く中浴びてコが吸っ て岩に水を供給してそれがですね岩の中の 隙間をたくさんの生き物を養いながら海と 繋がってるこうした中でこの豊かさがあり ますでえっとまその下の女神山小神山です ねこれもご身体としてあの対戦されてたメ 教のまですけどあのまこうした一層の外出 これあの魚介癌体積癌なわけですけど同じ 層なわけなんですねここが一体となって 繋がってでこれはですねこのえっとよく あのま漁師さんたちはご存知なことです けど山が荒れたら海が荒れる魚が取れなく なるこれはもうもあの1番感じらっしゃる のは両子さんたちかなと思いますけど実際 本当にその通りであの実際この磯でもです ねやっぱりこのもう全く透明度同じような 場所でも透明度全くないところとそれから すごく綺麗なところがこう入り混じって 入り組んでるのをこうあの地元歩かれてる 方あの今でも感じられると思うんですけど こういうところの水は海水濃度が薄いです あの炭水の比率が高いでというのはですね かなり脇水が湧いてんですねでそれが 美しい水が湧いて海水と交合あって海水を 浄化してでそういうとこには今もまだ海藻 が海藻それから小魚がこういうところで 避難できますこんなあの汚い透明度0の海 が一方海があのの隣である一方でこういう 風になるわけなんですけどでこれはですね 山が豊かで山にちゃんと染み込んだ水が 海底と繋がって湧き出すそうした環境で海 と山あの両方とも豊かになるっていうだ からこそその豊かさを守りながら暮らして きたのがもう連盟と続くここでの歴史だっ たと思います我々はいつしかそういった ことを忘れてしまったそれから守り方も 忘れてしまったっていうのがあのまこれを やっぱり取り戻さなければあのさとこう いう山を守ろうとしてもその守り方をまず 知るっていうことこれがすごく大事なこと だと思うんねでそれからここ国土的に大切 な場所あのというのはですねこの半島の 災難端の先端ですで苦しを受けてまたあの 親と黒のぶつかり合うああの男と流の ぶつかり合う御先の先端でこういうところ は非常に豊かな漁場であってでここを豊か に保つってことはとても大切なことだあの 考えておりますあの実際この気腹があって 山があって谷があってでそこにちゃんと木 が覆って水が染み込んででそうした環境を 保つってことがこれあの魚のたちの拠点海 海の生物たちの拠点にもなるでそれがあ あのこういう三崎の点点との森を守ること の大切な意味であって特にここは日本でも 突出した太平洋に出した地域ですまこれ からあのア文化フォーラムの池田さんが このことは詳しく説明してくれると思い ますけどあのこうしたところをですねあの 様々な文化も流れき様々な日本のあの拠点 となってきたそういうような場所ですそこ がそこの豊かさを保つってことはですね これから我々が取り戻さなければならない この国の豊かさ本当の意味の豊かさやあの を取り戻していく上でですねまとても大切 な場所だなっていう風に思いますで一応 ちょっとここまでの今日あの地元の方も 多くあの初めてお会いする方もあの多い ですので一応経緯を説明させていただき ますあの一昨年11月にまずここをですね あの地元の方で開発されるんじゃな売りに 出てるよってア神社の裏の本来ご新だった とこが売に出てるよってこていうこと心配 して僕に報をいいた方がいましたでそれで ですねますぐにちょっとあの色々調べ始め てでこの土地をまあ55ヘクタールなんて 想像つかない誰にも多分ね買うなんて想像 つかないと思うんですよ僕もそうでしたで それであのまず誰かお金ある人で心ある人 あの買ってくれないかなと思っていろんな 方当たりましたただやっぱり案内したりし ましたけどやっぱりこれ道もないし本当に あの穴空きだらけの土地だしそれでどう やって整備するのとみんなやっぱり絶対誰 も二の足踏むわけですねはいでそれから まだ何とかなんないかなとで1月に初訪問 して山を歩きましたで3月に試験者さんと 初対面してで色々話しましてそれであの この経緯とかですねここの山の思いとか ですねでその後ま色々何回かお会いして 信頼関係を作りながらま引き続きやっぱり ここをなんとか探しますからだから開発 業者に占いでくださいとそういう風にあの まそれは本当に同感していただきながら ですねあのそれでその取得したあの誰が 買ってくれてもこうどうすんのこうって いやそれは僕がちゃんと整備しますから あのそこは協力してやりますからっていう ことであのま12さんにはですねそういう 話をしてましたでそれから8月にただその ままなかなか動かずに8月にここにあの 風力発電事業者がですねあの力発電事業を するための土地買収の打身を地元にあっ たっていうことの情報を受けて次の日に もうすぐに現地に行ってしょうがないこれ はもう僕らが取得するしかないとあの金額 的には全く折り合わなかったですけどそれ でこの安房自然村っていうあのま地元の 方々ご存知だと思うんですけどあのこの 同じ我々と同じような理念で先に以前ここ で活動されてた方々のがあのまお会いして あのであのまその方々はですねこの令和 元年の台風で整備した山が荒れてそっから あのまその後様々なことがあって頓挫して ますでそこであのまた再びやりたいねって いうお話もありましてで一緒に取得して いくそれのためにあの協力していき ましょうというお話になりましたで10月 にあのもう地検査さんに大大限金額を下げ ていただいてあのまお互い無理のない中で 本当にあのこっちもなんとかここだったら これだらなんとかなるというでそれで鉄を 払ってであの覚えがけを取り換えで始め ましたでそれから地形者さんは相続登記を 着手するわけなんですよで今土地を持っ てる方はご存知だと思うんですけどあの 今年から相続登記が義務科になりました あの相続を受けた時に相続登記要するに それをしなかったら罰金が課せられますと いうのは普通盗賊登ってなかなか難しい 何百万山だったら何百万もかかりますし それからあとあの色々入り組んでるわけな んですね自分の途中の確定も分からないで それをあの出すってのはすごく負担なん ですねでしかも使ってない土地であって 先祖大体の自分たちの先祖を育ててきた 土地がですね重荷になってしまうですで それであのだから開発の話があったら やっぱりその時にそういうタイミングで 売るしかないっていうことでこれはもう 仕方ない今の不のま連鎖だと思うんです けどまそのような中であのちゃんとあの こう循環していくいい形で戻っていく 仕組みが必要だと思うんですねでえっと 12月まそっからあのこうやって融資が 決定してあの山の整備2月末に着手しまし たでそれで今回縄文屋作りをあの始めた 次第ですはい1日30人ぐらい参加して いただいてはいでそれでまここの整備の 方針としてまああのまず当面の活動として まず古道山道ここにはまだ無数の道後が 残ってますでその道後は何百年も前から 刻まれた道後だということ分かっており ますでそうしたところはですね台風があっ ても雨がふわっても崩れないそういう道の つけ方をした先人に我々は学びながらそこ を尊重しながら山道を整備していきますで あの昔の人のやったやり方で昔の人のこう ルートのけ方とかですねあのあと水のあの 水や掛け際の処理の仕方とかこうしたこと 本当に宝のようなあの土地と一緒に暮らし ていって山を荒らさないっていうやり方 これを学ぶこれ学びの方向なんですねで こうしたことを学びながらはいでかつての 水場やこの棚田集落の圧倒をま発見あの再 発見しながらま参加者を募ってあと地元の 方々と一緒にですね地元の方々にとっても しするような形であのやっていきたいと そういう風に考えておりますはいでえっと ですねこの赤線がですねこれ迅速速って いうもので見たあの昔昔ってのは1880 年にこういう迅速速ってのが陸軍によって 作られてんですねあの今の土地の利用と それからあと道後が点線で記されてます それをちょっと見やすく赤でこう示しまし たでこれを山の中で確認しますとこの 140年前の道後が結構残ってるんですね でこうしたところ周りには当然人の営みの 跡がありますでこうしたものを見ながら あの再生計画を立ってあとこの深い山々を ですね人の足で登山道としてあの整備して いくそれがまこういう点線で考えてます あと海に至る道その中にはまあまだこれ からあのこの土地から超えるところもあり ますからただ踏み跡を通りやすくするって いうことでま地元の方々の理解を得ながら あの皆さんにとってプラスになることです からであの荒されることないように僕らが ちゃんと守ってくっていうことであの昔の 営を取り戻していくっていうのこれをまず 最初の目標としておりますあの道の整備の ちょっとざっ説明していきますねあの2月 の終わりですか終わりに最初の整備3日間 ですまずっともうこの道はと東北で通れ ない状態で所々路肩が崩れてますでそこを 最初は機械を入れようと思ったんですけど もうこの山には機械入れるのやめようと 機械っていうのは重ですね重機は入れない それから車も熊では入れない手前だけ やっぱ山の神経を損なわずそれで人力で やった方がはか早かったりするんですね 仕事がであとはお馬昔のように馬を使って あのここで馬で荷物を運ばせてっていう ことを取り戻していけたらと思いながら 整備しておりますでまバボはこういうロカ の昔の人がやって枝を絡ませてそこに 落ち葉を詰めてで根っこが根っこが生えて くるようにに誘導して道を守っていくそう いう自然と一体となった道は何百年経って も崩れないわだこうしたあの今の現代だと ここにあの道のドアの圧力を支えるだけの 構造物を作ってで道を支えようとするでも それは自然と一体にはならないわけなん ですねでそうじゃなくて自然と一体となる ことで地形を守っていくっていうこれ 当たり前のことであって山道はそれで なければれないわけですただその技術を 忘れてしまったわずか数十年の間に忘れ てきしまったと思うんですねでこうした ものであの僕らまこういうのを再生する 技術をこう全国で伝えてあのこれ10何年 かそういう活動をしておりましたでここで もそうした形で皆さんと一緒に学びながら あのやっていきたいと思っておりますで えっと使う土袋これは今はプラスあの ビニールの土袋ですけど昔は麻袋とかわの 土を使ってますでわ土は古いものでは約 2000年前ののえの土が鳥取県で湿度し てちゃんとそれがあの土手として機能して 埋まってるんですね永遠のものなんです あのどの袋って今のど袋ってビニールだ から土も育たないしあれだといずれ ビニール破けたらおしまいなんですねだ けど朝風で詰めてしかも間に落ち葉入れ ながら積んでいくとそうするとそこに 根っこが入ってすぐに安定してくるでそれ はその安定はあのもうあのずっと永久的な 安定なんですねこうやってすぐこう1ヶ月 後で草あの注目が生えてきてそれでもう1 年もしたらこう草や木に身障に覆われてで この朝は分解されて分解されるとあのどの 中の禁止を育てますすごく禁止が出るん ですねこの中にはでそこに根が誘導されて 土手として安定していくっていうこういう あのまそうしたあのちゃんと全部全てが土 に帰りながら帰りながら仕事をするって いうそういうまかつて当たり前それを人間 がお手伝いしながら人間が暮らしやすい あるいはまた動物たちもここで安心して 住めるような環境を作ってきただこれ1 ヶ月こなんですけどたくさんイシが掘っ てるんでいろんなとこだけどうちらが整備 したとこは荒らしませんなぜ荒らさないか ちゃんと動物たちの道を配慮しながらそこ を水場に行くんだなここ通ってんだなって ところを尊重してそこは虫歩きやすいよに 開ける例えばそういうところをここ全部力 を編んじゃって方を作っちゃうと絶対壊す しかないじゃないですか彼が生きるためな んだそれを人間が責める権利なんて何にも ないわけですだからそうじゃなくて共存 するにはどうしたらいいかって考える ところで道筋が見えてくるていうことをま 昔の人は当たり前にやったんですねでそれ から山際にですねとど水看板なんですけど 看板を掘した後があったりするんですね何 のためにやったかそこはこういうガ板の際 って水が染み出すわけですそこを道で塞が ずにまたちゃんと染み出して下から湧く ように整備作ってきたのが昔の作り方で あのまどの袋とこういうまこの下にため池 でさっきのところこ掘ったところに 染み出した水がこっちに巻くんですね ちゃんとしっかりと土の中を通してあの パイプでこうくり出すようなことをやらず にちゃんと土の中の浄化させながら土の中 の生物を養ってそれでまた人間が使える水 にするそのあとそれはあの常に巻き出して きますんで田んぼや生活要子で使うって いうあのものために整備してんですねこう した跡がたくさんありますでやっぱり水場 が大体崩れたところをこうやってまた最も これ積みなしてるんですけどそうすると また湧いてこれ1ヶ月後なんですけど大量 に湧いてくんですねさらにあのいろんな とこ違う場所もこうやって整備すると湧い てくぬかるむところをこうやって整備する そたら綺麗な水になるわけですでその さらに道を挟んだ裏側もこれ昔の人が石を 組んで水場として整備した後なんですけど そこも片付けてたんですねそうすると1 ヶ月後にはこうやって水が湧いてくるん ですねだこうやって昔の人たちは水が ちゃんとうまく付き合ってたで僕らは必要 な時は水を全部奪ってそれから必要ない水 は邪魔者として排水するこうしたあり方で はなくてちゃんとここであの全ての命の 恵みを使っていくっていうこういうことを 取り戻しながら整備していくっていう昔の 1つ対のなあのこれもすごく素晴らしい あのアーチ上の安居の跡なんですけどこれ 多分何年か前でしかもあのかなりあの意の 技術のあるあの集団が作ったものであり ますあの地元の方がちょっとその辺にある ものを積んだというは違うようなそういう 積み方があったり本当に非常にあのこう いうの調べていくとですねここの歴史の 意義ってのが色々出てくると思うんです けどあと水源域上の方の水源域もこの石は 昔の人が積んだ後ですでこれが全部そうな んですねそこに青流が流れてる今も機能し て青流が流れてるわけですねでそのさらに 上流部行くとこうやって石を削って水路を ちゃんと掘ってあの使いやすいようにした あの荒れないようにした後がですね今も 生きてんです人知れず生きてますもう何十 年使われなくなったことかでもそれが ちゃんと石を積んだ後昔の人が積んだ石が 根っこが絡んで安定して水が染み出してっ ていうことの営みを密かに続けあのここで あで春の時期は桜が咲きますでこうした ものがあのあの人間が見ようが見前があの 常に自然の営が繰り返されて昔ここに生き てた人たちはあのあ宝が咲いたねこういう 時期になったなと思いながらそのそれが また対話をここでまた取り戻してでま自然 もあの環境ま豊かな営みを取り戻していけ たらなと思います山の中に点々と生活の 拠点があるそれでそこが道があってあの こうしたものをまあ50年後100年後 それから50年後ちゃんと海もさらに良く なっていくっていうのを目指しております まずこれ最後にえっとですね今やってる プロジェクトはこの縄文小屋を作ってます まず最初にあのここであの一般の方々を 募集してみんなでまやっていくみんなで 作っていくっていうのがまここの趣旨で ありますけどその第1回目としてこの縄文 小屋作りを あの計画させていただきましたでお呼びし たのがですね後で対談にも参加して いただくあの縄文さんと言われて親しまれ てますあの天宮国統領で僕と同い年ですで これがですねノト半島震度7のあの中で 全く開しなかった天宮統領が作った縄文 小屋なんですねでこの技術それで技術って のはもう僕もこれあのずっと今のに通い 続けて支援を続けてまして今日もまだあの うちのスタッフがノトに行っております あのそれでずっと元旦にいたものであの そっからずっとここにわってるんですけど その時に全くあの中で開しなかったしかも ていうのを見てですねあのま実際見に行き ましたで統領とは以前からあの数年前から 知り合って一応ちょっと簡単に紹介します とあのマーキ関で縄文屋の復縁に関わって おりますそれからあと国立科学博物館の 3万年の公開徹底再現プロジェクトって いうのがありましてでそこでですね丸年の 政策を昔のその石と縄文時代のとでどう いうあの作るこれを再現するような プロジェクトあの行ってますで去年去年 昨年かあの石でですね次の大木を何日も かけてであの削り落としてでそれをですね マキブとしてあの全国を回りながら子供 たちと一緒にマキブを作る石斧を作って 石斧作りも子供たちと一緒にでそうしった ことをずっとやらやっておりましてで今度 今日はですねあの これから5月からあの日本の旅に出ますで 14年後にこの建山に帰ってきますでその 時にまたねちょっと見ていただくのを 楽しみにしておりますけどまそんなあのま 方ですであのこれ1つちょっとねこのこの 石これただ乗っかってるだけですよ日本の これ1個も落ちなかったんですよ40個の 石600kmでそれがこの10cmぐらい の丸田で支えられてるでこれよく見ると 小穴空いてますですね楕円系の保穴が空い て細きを組み合わせてるんですよでこれが ですね本当のあの縄文の知恵と知識あの あったものあの再現したものなんですけど 実際こういう保を切った後の柱の柱がこの マキ石で湿度してます出動してますでそれ でどういうように組んでたのか検証し ながらこれを再現してこれはものすごい 面心行動だていうことに気づかれてあの 縄文さんも本その2020年に本例これ まとめておりまして僕もその時見て実際 この地震によって検証されました意思1つ もてないありえないでしょこんなただ乗せ てるだけの位置がずれてもいいなでそれで えっとですねこのあの今縄文これ今回作ら れたのは日本で本格的な縄文小屋として2 つ目ですあの今大神宮で作った今までの 縄文小屋っていうのは推測に基づく縄文 小屋であのというのはですね学者さんたち は現代建築を1番技術の最高峰として縄文 時代この技術はまだなかったとかそういう 劣るものとして考えるわそうではないん ですね昔の代にもうちゃんと自信も経験し てそれでも崩れずそれで人間として必要 以上のものを作らずであの生き物として 必要なものをですね周りにあるもので作っ てきたでそこにもすごく高い精神性と完成 されたあの技があったわけですそれそこで 部を知ってちゃんとそれ以上のことをやら ないこの土地と生きていくってのはそう いういうことだそれをあのまほなんて掘れ ないだろう石で無理だろうという推測の元 にこうしたものはなかっされたのが資材必 とされてくるわけですからであのだけど あえてこう隙間だらけの保を作る大変形で でそれは地震の時に面心構造なんですね力 が逃げてこれきっちりと組み合わせたら そうはいかないわけですねでまそうした中 で実際実証されましたで作る家庭をさっと 紹介しますあのまずこの丸田だけはですね これ末を僕が仕入れたやつを持ってきまし たあの本当は杉ではなくてこの地元のここ にあるものでやれるんですけどだけど やっぱり今多すぎるあの厄介もとなった この杉を口だらけで放置されたこれを使っ ていくってことも現代我々に課せられた 使命であってやっぱりこれがいいあれが いいではなくてそこに今必要なものを使っ ていくっての大事なことかなとはいで根元 を焼いてでそれから楔を打ってでこの時ま 今回やっぱりね杉の節だらけだと縄文時代 は石斧でしたけど石斧は高樹にはいいん ですけどこの節だらけの杉にはなかなか 難しいわけですねでま今回鉄を鉄があり ますから鉄で使いあの咲いてですねこう やって咲きましたあのこれ咲くと強いん ですよこれ繊維に沿ってこうねじれて下げ てそこのところはあのその板のように繊維 を断ち切りながらるのとはもう全く違うわ 違うんですねでこうしたものをたくさん 作ってで柱を立て込んでであのこの保穴 ですねこのこの保の長さとこうしたもので 出動されてきもそれに忠実に今回やって おりますで立ててあのまず穴を掘って約 60cmぐらい穴掘って差し込みます水が 湧いてきますでその中をですねこの水の水 を滞らせないように要するにそこに土を 埋めちゃうと水は滞っちゃうで石で固定し ていくねでがっちり固定していきますで もうあの行とがしっかりと組み合わせて僧 編んででまこうなって出来上がってきまし たはいま所々ま大工さんもちょっとなぜか 今回大工さんと海職人が2名全国から来て くれたんですけどはいあの海部職人全国で 今100人ぐらいなんですよだ2%がここ に集客したっていうこういうなんか別に 呼んだわけじゃないんですけどねはいま それで火も揃え集めここで集めてまかって 言っても死ぬだけしかないですからこれを 差し干しながら使っていくっていう中で 大切にえそれですすをあのいっぱいあり ますこれを今皮を向いて胸の部分で使う ためにこう剥ぎ取ってですねそれを上で 使ってはいそれからトイレですねトイレ トイレも元々声があってだけど真剣剤の壁 だったんですねプラスチックのだから中は 空気が通らないでそれを一部壁を壊して こしただけですごく心地いいトイレになり ましたで人がたくさん来ても土地が痛ま ないように石畳を整備するていうのを今で あと水場に至るこれ急斜面に降りれないの で橋を作りますで橋を作ってこうかけて 向こうから水を使えるようにあのしました 皮で遊べるようにそうすると子供たちが こうやって遊ぶ大人が仕事してる隣で子供 たちが遊ぶという本当にあの昔の理想的な 世界がここで帰ってくるかなと思いますで この高々さあのにですね人が入り手を加え 白元であのここ神経が戻ってくるあの荒れ た山の中で密かに営んで人間の気合が なければですに気づかないわけですだそこ のあの本当にありがたいなと思えるような 自然の営みっていうものをここで感じ られるようなその神経を壊さずに営んで いきたいとそういう風に思いますでえっと ま主義現代の主義の場とよに考えてます これちょっとざっこれはこれからいろんな 方に参加していきたためにこうしたものを あのちょっとまとめてみましたあの1時間 半で鉄の線あのそれで山を感じ里で 振り返っあの知らず知らずいろんなものを 互換から受け取っているそれがだなかなか 都会の中で受け取れないものをこうした ところでですね車の音も聞こえないそう いったところではいじゃ終わりにします はいじゃあまた対談の時に続きではいはい ありがとうございますではでは次はあの 歴史講座館山丸子博物館という風に題し ましてえっとと今度今回あの共同開催して いただいていますNPO法人安房文化遺産 フォーラム共同代表の池田恵美子さんに よりあのお話をいただきますでは池田さん ここからお願いいたしますはい本来でし たらこちらの相澤信さんという代表がここ に来るはずだったんですがえ実は3日前に ちょっと入院手術がありましてそれで今日 メッセージをもらってきていますので奥様 の相澤かさんの方が代読してくださいます のでお願いします では読ませていただきます皆さん こんにちはNPO法人安文海遺産 フォーラムの代表相沢信夫と申します今日 皆さんとお会いすることを楽しみにしてい たのですが急遽3日前に心臓の手術を行い 今は安静が求められているため今回はご 挨拶だけとさせていただき ます私と生まれ故郷は北海道下川町と言っ て90%の面積を森林が占めてい ます今では循環する森作りを土台に森林 環境教育を進めている町です私自身は妻の 生まれ故郷である千葉県館山市に住んで 45年になりますが高校の世界史教員とし て地域教材を生かした事業作りに取り組ん できまし た今はなき歴史学者の安野義彦先生は逆さ 地図で見ると世界観が変わるということを おっしゃっていました実際そうして見て みるとこへ描いた日本列島の頂点に位置 するのが暴走半島南南端の立山です支配 権力から狙われた軍事拠点であり海を通じ て太平洋世界の人々と交流強制した地がア の特性と言え ます私は教員の傍公敏感講座などを通じて 出会った多くの市民とともに戦争遺跡や 里見市定石などの文化遺産を構成に残す ための保存運動を1990年代から続けて きましたその結果千葉県営公園でにある 大ぶ崎要塞軍は2001年に南暴走士指定 席となり2004年には館山海軍航空隊 赤山地下号後が一般公開され翌年には立山 市指定主席となりましたまた南総里見発見 電の部隊となった里見市稲村定石と岡本 定石は2012年に国指定指摘となりまし た日本で最初の重要文化財となった名が 青木しげる海のさが誕生した小家住宅は 全国の美術関係者とともに約4000万円 を募って修復し2016年に青木石海のさ 記念間を快感することができまし たこのような文化財保存運動はまさに顧問 共有財産という考え方であり高田さんと 共感して本日のフォーラムが企画されまし たアの歴史を振り返ると石橋山の活線で 破れた源のより友が安に上陸しここで挙兵 して鎌倉幕府樹立と言動力となりまし 暴走里市も半島南端に上陸して白浜城を 築いてから170年も泡を収め三浦の五法 上司と水軍活線の後和平を結んでい ます近代では爆発から台場が置かれ東京湾 要塞の幼少として戦争において重要な役割 を担いましたが配線直後にはアメリカの 占領軍3600mがし立山は本土で唯一の 直接軍を4日間敷かれていますこれが戦後 日本のスタートとなっていったの ですこうして時代の節目節目に新たな人々 が泡に上陸し新しい風を吹かせてきまし たそう考えると安房大神宮の森顧問 プロジェクトを率いる高田さんもまた新た な上陸者ではないかと感じています 同時にアは蘇りの地だと私は考えています 寄りとの再起や南草羽富発見電を始め多く の歴史や伝承がありますそればかりか地震 災害や戦乱を乗り越えて復興させてきた 再生の力がありアという地名も安らかな家 を意味していると思ってい ます安大神宮の森に集う人々はそうした力 を得て現代の困難な課題に立ち向かい子供 たちに夢と希望を与えるための新しい風と なること でしょうこの壮大な取り組みは公明した 現代社会の羅版としてモデル的な取り組み になると確信してい ます私は心臓と頸椎の難病を抱えながらで はありますが顧問という理念を大神宮の森 から世界に発信していく活動に経緯を表し 美力ながらプロジェクトに関わっていき たいと願ってい ますご成長ありがとうございまし たありがとうございましたえそれでは私が ここからえ引き継ぎましてえ今回あの逆さ 地から見る阿の地というテーマでお話をさ せていただきますえそして立山丸本博物館 って私たち呼んでいますが実は1970年 代のヨーロッパからエコミュージという 考え方が世界中に広まっていますこれは 魅力的な自然や歴史文化遺産を発見し地え 地域全体を屋根のない博物館に見立ててで 市民の学習研究展示保全を通じて地域性化 を図る街づくり手法ということですえ そして逆さ地図を見るとこれは間日本会 諸国図というタイトルで富山県が制作して います富山県はえまノ半島の隣ですけれど もえこうして見てみると暴走半島とノ半島 がSの字のようになってるのが分かります よねでえっと富山県が作ったのはこの日本 海をの中心に人々が交流し文化が入って くるそういう中心地だということで間日本 会所国と言っていますですからノ半島にも 随分多くの重要文化財などが多いと思い ます同じように太平洋側見た時沖縄も もちろん重要ですが九州四国半島伊豆半島 三浦もそうですが特にこの暴走半島は 東日本の玄関口として非常に重要な場所で あるということが分かりますそしてもう1 枚お見せするのがこれえっと爆発の逆さ 地図で監修作ったのは勝海舟です勝海舟泡 の神って言いますし非常にこの泡とは縁が 深いですで勝回収は明治になってからは 海軍水路部の責任者になってこのこの辺を かなり人権しています何しに来たかと言う と東台をどこに作るかということで探しに 来ているんですで今ここに出したのはえ 暴走災難端白浜の野島崎東台です結局東台 というのも国防場重要でこれは日本で2番 目に作られていますそれをメラにしようか とかどこにしようかっていうことでかなり 勝海舟が歩いていることが地元のえ顧問所 からも見つかっていますそして3枚目は これ安房の国の坂地図ですでなんだか竜の 頭のように見えますよねで星マークの脳 みその辺りが安房大神軍の森ですそれで角 が出ているところがメラですそして花崎が 須崎東京湾の入り口ですそして立山湾がえ 現在でも国交省のえ重要光湾に指定されて いますでこれを泡と言って木津周辺がかさ そしてえ千葉の方が下座と言います現在の えっと鉄道の上り下りと逆なのは海を通じ てここが都からの玄関口であったからです その時にじゃあなんでアかさのが来たなの ていう話ですけれどこれは木almost と言って平常教の都の後から出としたもの ですでこれは安の国のアビを頂点に献上し ていた時のえこれは札になりますでここに 書いてあるのがかさの国安軍白浜号てあり ますかつてはこれかさの国安軍だったん ですねそれが独立して安房の国になったの で数さがちょっと真ん中辺にあるんです けれどもそういった形になりますえっと これを見ていただくと逆さ地図の暴走半島 と能半島が非常に地形が似ているという ことが分かると思いますあのノ半島も元旦 に大変だったのでちょっと地震のことから 少しお話をさせていただきますえっと関東 大震災の時今から101年前ですがえっと 立山湾沿いのところこれ紫ですよねあの あとこちらの鎌倉とか湘南の方がひどい ですけれど関東大震災の中で最も被害が 大きかった場所の1つと言えますで建山番 沿いの旧町村が98%壊滅しています えっとこちらにはプレートの地図があり ますけれど3つのプレートが暴走半島の下 に潜り込んで押し上げていますので日本で 1番流をしているのが立山ということに なります右の上の写真は村田森で紹介され ましたえ高い方が原6そして低い方が関東 大震災のこの流の海岸男球になります そして下の写真は東京湾の入口の須崎海岸 線の変化が分かりますで安房震災市による とえっと関東大震災の流が6尺とか8尺と かありますが1尺が約30cmですので およそ2m前後なんですねそと今回のノは 4mっていうことですからとんでもない 大変な状況なだということが分かりますえ ここから白浜に抜ける新しく道路を作った ところには200万年前の海底スベり地層 っていうのが山の上から見つかってます海 の中でぐちゃぐちゃになった地相が山の上 で見つかってるそれくらいここが流をして いる場所だということですこの館山は軍事 的にも非常に重要な場所ですから戦争遺跡 がたくさん残っていますえっと上は円太号 と言いますけれどもこう戦闘機の格納号 ですがあの火眼男球なんですね川からあの 階段上になった土地に作っていて非常に 上空の敵機から見つかりにくいという場所 ですそして下の2つが赤山地下号の内部 ですえっと竜そして断層がはっきりしてい ますでこれがえっと終戦直後のあの米軍が 取った察ですねそして山地下号ここなん ですけれどもこれが現在の自衛隊え立山 海軍航空隊として埋め立てられたところ ですがこれを見ると沖ノ島がまだ離れてい たことが分かり ます元々は沖ノ島高島という2つの離れ 小島がありました非常に豊かな海だったん ですが関東大震災で町は壊滅し流記して 高島までが日型になっちゃいましたそして 震災の3年後から埋め立てが始まって7年 後昭和5年に館山海軍航空隊が開かれまし たそしてその後え歩いて渡れるサスができ て沖ノ島がえ渡れるようになったわけです で黒潮と親しがぶつかる影響で北原域の 貴重な食性がありそして海の中にはサゴが やはり生きているわけです竜地と人口を 繰り返した海岸線でえ海底遺跡が見られる という全国的に見て世界的に見ても非常に 貴重な歴史さんですそして今から5年前に 大型台風で被災して森が大変なことになっ ちゃった時に高田さんが現れてえ森の整備 をご尽力くださって立山市森作り大使と なりましたでせっかくあの今日縄文さん いらしてるし縄文プロジェクトですから 今回はちょっと第1回目は縄文にスポット を当てた内容にしてきましたでこれはです ね縄文時代まず沖縄のようなサゴ礁の海 だったそうですそして縄文回心って皆さん 聞いたことあると思いますけれど白い部分 がかつての陸地ですですからこの黒い点は 貝塚なんですねえその中でこの赤い四角と いうのが沼の3五素って言って内陸1km のところに縄文時代の産後地層があると いう非常に重要な場所ですそれからえっと こちらの稲原貝塚って言って会澤さんの家 のそばなんですけれどその貝塚からイルカ の骨に刺さった黒曜席の矢尻が見つかって いますだけど暴走にはえっと黒曜石ないん ですよこ高津島あたりからえ交流していて 持ってきてここで使っていたということが 分かってい ますそれから海食凍結ですねこれも たくさんあるんですよ流儀してますから えっと国道沿いでメ神社の裏にもあります もちろん下にもありますしえっとこれ水色 で私が知ってる限りでこれだけつけました けどもっともっと多分あるはずです例えば ですねこれ大寺山の眼クボって言います けれどもお寺の裏山ですが標高30mの 海岸男球の上にあって奥行き25mでこれ はえ全国でもただここ1箇所なのは古墳 時代の中層簿っています丸木船を棺にして いたものが発見されています全国では他 から見つかっていないそうです12機も そして祭祀の祭祀品とかブグとかあの武器 とかいろんな服装が出てきていますこれは 北欧のバイキングのような形態で死を えっと意識した姿勢感とかあのギレが 分かるということで非常に重要な立山の 指定指跡になりますそれからこれは中桐 凍結と言いますけれどもこれもですね海岸 男球の上なので高さが25mのところに ありますここも確かえっと村田森で紹介さ れましたけれども奥行きがなんと36.8 Mもあるんですねそれのレプリカがこれ ですこれ縄文さんですここからはえっと ここはまず縄文後期から使用していて古墳 時代には一部が墓所としてステをその後は 怪人をえ祀る中桐神社としてこの洞窟の中 にあのご身体が納めてありますでここから はドキとか釣り針とか森とかそういう道具 釣りのとか量の道具ですねそれから動物や 魚類の骨とか貝とかが大量に出動してい ます感じでこれは千葉県の指定主席です でいよいよ安神社です安神社にも洞窟遺跡 が県の指定文化財がありますこれもえっと 全長11mって言いますけど今はちょっと 見られない状態ですがここからはなんと 人骨が22体そしてえ様々なドキとかも出 てきています最初は住居として使用されて 後に分母ですけれど丸木船はここからは出 ていませ んそれから沖縄作古墳ですね平浦という作 があり東京湾の入り口の素先ですけれど この辺りにゴルフ場があるんです昭和42 年だったかなゴルフ場を作る時にえここ から出動したのがこれなんですねで出てき たのはこれとこれだけですちゃんとしたの はこれレプリカなんですね復元した レプリカですでこれが古墳時代後期を代表 するえ装飾付きの立ちということですで6 世紀後半地が中央政権からもらって阿の 豪族がこれを持っていたと考えられている そう ですで立山には2つの神話がえあります1 つは高橋宇文という書物に書かれています 大和長手が日本閉店の時大和武尊の活躍で え稽古天皇が関東の豪族を従えたという ことですで関東へやってきた天皇は安房の 豪族岩のむかが安房の港で他の語族ととも にアビ漁師をもてなしたという記述があり ますえ初めこの淡路島とかナルトとか あっちの方四国の方と最初は考えられてい たんですが歴史学者の研究によりこれは 安房の港は安の港だっていうことが判明し ましたえ神話って歴史と非常にこう区別が 難しいんですけれどこれは裏付けが取れた ことのようですで皆さんイオンの先に港側 ってありますよねあそこの加工あたりでは ないかと考えられていますで頂点にとって ここのやはりあの東日本の玄関口安は非常 に重要であったとでさっき安美の木標を 見せましたけれど頂点の健常物として重要 なものでありました隣の南暴走市ちには 日本で唯一料理の神様を祭った神社があり ますえこんな感じで包丁式っていう儀式を やっていますでもう1つは午後周囲という 書物ですこれは雨の富の命が新部天皇の名 によって欲な土地を求めて四国安の国から えイベ一族を引き聞いてここメラに上陸し たという話ですでここはえ穀物や朝がよく 育ったので朝を意味する午後ふを由来して 暴走をえふの国そこから暴走となってかさ 下さとなってえさらに安の南部は四国の イベの安にちんで阿と名付けられたって 言われていますけどで雨の富の命というの は先祖の雨の太玉の命を祭って泡神社を見 しましたでこれおじいさん孫ですけれど 主催人はえ日本の全ての産業総子の素心と 言われていますこんな感じでえ祖先を敬っ ているところですねでそのメサ神社なん ですけれどメラにえっと雨の富の命が上陸 しましたそれがこの相殿の浜でここに女神 山小神山がありますで雨の富の命を祭人と して祀る号者がメサ神社ですが2つの鳥の 間に富士山を拝むことができるという非常 にありがたいところですそれからですね 岩倉がま2つあるんですけれど古い方の 岩倉はオの向きが当時の日没の地点伊豆 大島と伊半島の間を指しているでの2の鳥 とえ岩倉を結ぶ線が下種の日没地点を指す これこみだっていうことが判明しまし たそれからメラ星伝説というのがあります メラはマグロハ線発症のすごく栄えた漁村 でしたところが冬の危険な量なので遭難が かったんですねそして亡くなったメラの 漁師が赤い星になって輝くと言われ カノープスという冬にしか見えないつまり 南の地軸に近いところでちょっとしか見え ないえ夏は見えないんですけれどその カノープスが全国でメラ星と呼ばれてい ますでそのメサ神社のお見越をヒントにし たと言われているのが国の重要文化財青木 茂る海のさです小谷さんという個人の家に え日戦争の年でですね1ヶ月以上止まって この絵を書きましたでこれは画家の聖地と 言われていて全国の画家の皆さんと一緒に お金を集めてえ補修してこれをえ記念館と して今会館しています土日のみのオープン なんですがあの絵がお好きな方は是非行っ ていただけたらと思いますえ5年前の台風 でお見越し潰れちゃったんですよ御輿ぐが 潰れちゃいましてそれでえっとハデも傾い て宮大工さん来てもらって一生懸直しまし たそれからご親睦も倒れちゃいましたその ご親睦から作ったのがこの木札です今日 会場で販売していますえっと インターネットの方はまた後でお知らせし ますけれどこんな風にしてこれも集めてえ 修復しましたそしてさっきもちょっと地図 寝てました部分がは大神宮の森えっと南側 が南暴走市白浜町の根本で部というのは実 は広いエリアをさしますけれどもえっと隣 が金という地区でこういう55ヘクタール になりますでこれさっきも出ましたけれ 迅速図ですねそしてこれが昭和中期の空茶 なんですねかなりあの鼓動が割とはっきり 見えますよねこれで えっとだだ畑もあったようですでもう1つ これが埋蔵文化剤のえっと法造値という ものですでこれはですねえ異物が出てきた ものです生活品だとかいろんなものが出て きたものですところがこれ全部調査して あるわけではなくてほとんど調査をしてい ないんですね調査ができているのはえっと ね松岡だけって聞きましたのでここですね あの市政度創業者の福原有信の生まれた 場所松岡だけはあのきちんと調査ができて いるので報告書ができていますそれ以外は 出てきたっていうだけの記録なんですね まだきちんと査ができていませんで泡神社 がこちらですけれどこれにさっきの地図を 重ねてみますそうするとこの黄色い部分の 中にもこの異物が出てきたつまり集落で 人々が住んでいたであろうというところが 分かっていますだからこれから皆さん整備 をするにあたって様々な物を見つけること があると思います全部ちゃんとどこで 見つけたか写真を撮ってどこでど何が出て きたかっていうことが大事になりますので よろしくお願いいたしし ますはいでえっと私たちNPO法人は えっとシュタ事業はスタディーツアガイド をやっていますQRだけ載せましたけれど ここを開くと動画もありますしえ様々な 資料も見れるようになっていますえっと 館山丸子博物館ショップというオンライン ショップを作っていますえそれではこれで あの私の出番終わりますどうもご成長 ありがとうございました あの今回高田さんが株式会社森と海という のを勇子を受けるために設立したわけです よねもうそれ聞いて本当私涙が出そうに びっっくりしているんですけれどもその時 にお2人で共同代表なさってますで高田 さんともう1人が精神科医の渡辺勝夫先生 と言います実は渡辺先生を高田さんに紹介 したの私なんですというのはさっき阿自然 村で森の整備とか言歩道作りやってた メンバーがいて私と相澤さんとあのダバの 成田仁さんとそれから精神会の渡辺克夫 さんとえっと阿房自然村の社長とえっと メラ崎神社の役員と6人で一般財団法人 なんて立ち上げたんですよだけどなかなか お金も集まらないうちに台風になっちゃっ たから結局チャラになったんですねでダバ の田さんがなんで海じゃなくて森なのって 言ったらやっぱり森と海は繋がってると それからジャックマイヨールの大親友なの でジャックマイヨール記念家を作りたいと でできることなら森の中にできたらいい ねってそんなことも1つありましたで 私たちは歴史の専門ですけれどやっぱり 環境問題も非常にあの考えてましたので 一緒にやろうとあと成田さんもう1つね アワビがどんどん取れなくなっちゃってる からアワビ国長も海の中でやれたらいい ねっていう夢がありましたで渡辺先生は 鎌倉八幡の前でそれから上野のしばの森の そばで2つクリニック持ってるんですね そして自宅が根元なんですで3拠点を行っ たり来たりしてるんですでなぜかと言うと 都会で薬を与えても精神家のことは なかなか治らないそれよりも自然の中で いろんな作業をしたり自然と関わることで 回復して自己回復していくだから都会に いる時はなるべく薬よりも美術療法なんか もやってるんですよでその方が家を持ち 私たちと出会っていやこういうことを是非 一緒にあの就労支援事業につなげていき たいあのうつ病とかで1回仕事辞めちゃっ たけれどももう1回あの仕事に着くそう いう福祉の仕事もあるからそういうものと 繋げていけたらいいねっていうようなこと で私たちやってたんですで台風でダメに なっても諦めていたんですけれど1番諦め きれなかったのが渡辺先生でしたそこに 高田さんたちのグループからお話があって じゃあ精神会員の渡辺さん紹介するから話 をしてみてって言ったらここで盛り上がっ てそういうことになったとでここから バトンタッチでえっとじゃ経緯の話でね あのま株式会社森戸海という形であのここ を取得することを目指し目指しましたで その時にま今渡辺先生とまさんあの クリニックとたまたまあとその成田さんっ てジャックマイオールのお友達であの ジャックマイオールさんがずっとここに たてに家があったんですねでそれでま色々 一緒に活動してたあの人がいまして今76 歳か7歳かですかでその人たちとあこんな なんか素晴らしい人たちがいるんだったら ここもしかしたらできるかもしれないと 思って色々考え始めたんですけどその時に あのま株式会社にするかあるいは何か NPOや一般社団法人にするかあるいは 財団法人というテあるあのま色々考え ながらもですねあのまこれを繋ぐ個人で 持っててもまた僕は死んだらまたそったら あの終わり終わりってことないですけど誰 かが引き継がなきゃいけないその時相続税 もかかるだそうじゃない形を模索して ずっとその後も続くようなものとして 株式会社の選択はま勇知を受ける必要が あったということで中であのおかげ様で ですね京葉銀行さんが名乗りあのまの方に 相談してあのの今来ておりますけど今の 時代にですねあのそれ渡先生の考え方今の 時代の今の社会生活で病気になるのが正常 ですという考えですそうじゃなくて やっぱりこの自然からこれがかけ離れた あの中で自分を抑えながら仕事して るってのはいかに不健康かそうじゃなくて そっからそれ大体病気になると視野が狭く なれるそれが世界だと思ってしまうそう じゃないそうじゃなくてもっとこの自の中 で着物たちがこうやって生きているのと 同じように生きていくことで人間は回復 するっていうそういうような思想にですね 非常に共感しましてでじゃあここでやり ましょうということでお話しました本当に 価値あることをですねあのここを僕らの力 だけではあのその価値を最大することが できないわけですけどあのこれから多くの 人が関わって知恵を集めてであのまこの 取り組みをですね本当に社会やいろんな人 のために生かせるようなものにしていけば いきたいなと思っておりますあの今立山の 歴史の話あのしていただいてますけど僕も 池田さんや相澤さんとお会いして最初に すごく感動したことがですねあの関東大 震災の時あの後の虐殺があっました ねで全国でま6000人のが殺され たと言われておりますでその時にですね まあ6000人っていうのはもうあの実際 それ以上だったと思うんですけどどこでも どの地域でもを警戒してであの そんな時代があった中で立山市はあれ 言葉長ですね安軍長があのこのを 守れとそのことがな 言葉してそれすごくね感動したんです よとまず噂を打ち消したが冒頭を 起こすという噂を打ち消して安軍長がです ねを恐れるのは防人の恥だが 軍内にいたら恐れているに違いない十分 保護を加えなさいと言ったことによって 一見も先人の事件が起きなかったという ことがちょうど10年前え震災90年の時 に震災師を調べていて分かってびっくりし ました本当にこういうことこそ子供たちに 伝えていきたいことですよ ねあのそういう人たちを育てたこの一然の 土地の環境があると思うんですね我々が 正しい判断をできなくなるっていうのは どういう時かってあの人間が人間として 生き物として正しい判断ができ るっていうのは本当に豊かな環境とそれ から豊かな地域っていうもののあのそれ こそが宝だと思うんですねでそうしたもの がまだこの名残りにはあの立山ところは 非常にまだあの色こく残ってると思います これが失われる前にですねもう1回この 価値を再生していきたいなとそういう風に 思っておりますなんかうんあじゃあいい 縄文さん生きていただいていいですかはい はいあの先ほどお話しました縄文さんです はいあ ごめんあちょちょっと紹介しますあのえ えっと天宮邦さん元宮大区で今はもう縄文 大工さんです縄文のあまりにも縄文の技術 の高さと思想の高さにあの引かれてそれで こういう風にあのななりましたというか はいえはいじゃちょっといいですかあはい 皆さんはい皆さんこんにちはあ思いっきり 現代人ですけどねあの長靴履いて靴下履い てねあの石油でできた服着てね全く変わら ないですけど変わってるのはこのひ もじゃもじゃしてて髪の毛長いっていうね たそれだけなんです皆さんもあの多分悲を 伸ばして髪の毛長くするともうすぐ原始に なりますでままずあの裸ですねはいすると すぐ原始になるんですけどもねま人間全然 変わってないっていうことですねであの 高田さんとの出会いは私がマルク船を作る 時に千葉の会場としてあの内場をね使わし ていたっていうところで出会ったんです けどもあの高座さのことはもう一発であの 好きになりましたねやっぱり同じところを 目指す同士っていうのをやっぱり感じまし たでなぜ私がやっぱりこの活動ま自分の 活動も含めて高田さんのプロジェクトにも 来てこう頑張っているかというとあの さっきあの病気にならない方がおかしいて いうねあの実は地球は美しくも元気でも ないんです地球病気村なんですはいここの あの森に来てああ綺麗だな美しいなと思っ た時点で未来はない ですゴミだらけなん ですでまったまったなしなんですあと10 年も先がないかもしれないですそういう 危機的状況なんですそれそれをしっかりと 理解してしなきゃいけないそしてよく環境 改善をしていくねえそういうことを一生 懸命やりたいて言われますけども1番 手取り払え何か分かりますか人間改善なん ですよ私たちの今の現代の暮らしを改善 すれば環境はすぐ良くなるんですでこれは 私たちここだけの人がやったればやっては ダメですね地球戦という大きな中に たくさんの人間が住んでますこれ地球規模 でやらなきゃいけないですで高田さんの このプロジェクトここでひっそりとやって ますけどもこれはもう全世界に発信する プロジェクトだと私は思って ますはいそういうことをあのそういうこと に本当に今回携わらしてもらいまして皆 さんと力を合わせてえ拠点となる小屋が 作れたというのは非常に嬉しくと思って ますありがとうございます はいはいえっとま今回ですね初めての恒例 ねあのこれからのスタートで縄文さんをお 呼びしてやるこのこれを皮切りにさせて いただきましたでこれもですね本当に すごくいろんな出会いの中で巡り合わせの 中でなんですけどこの1月1日に僕は家族 であのノに旅行してたんですよでその温泉 ホテルの8階にエレベーターを降りて8階 に到達して20秒後部屋のドアを開けた時 に地震に見舞われましてでもうすごい タイミングだったんですねで今までもあの 僕らあのNPOであの個人でもこのこの 災害の調査と同時に災害地の支援をずっと こうやってきておりましてここのメラの生 あの暴走の台風の時もこのあのメラにあの 通ってですね屋根のブルーシートかけとか これずっとやってきたご縁がありましたで その時にいたことでま縄文小屋のことを もうあのそのついでにちょっと見に行こう て言って心を動かあのやっぱりこれだなっ てこれからの時代を見つめなすあの我々の 起点としてあのこれもうこれをスタートに でしかもですねあの縄文さんごめん縄文 さんはあのこれからあの14年間15年 15年ぐらい18年間かけてあの全国の 子供たちが作ったマキムでまず日本を一周 しますでそれ18年かかりますでその後 世界を一周するのにま約250年ですかね そう世界の子供たちと一緒にはいはいもう あの現代それで5月から出んでね5月から 5月から瀬戸内会の方に移動してはいはい 5月から10月ぐらいまで 4月から10月毎年交換していきますそれ をつげて一周してく世界一周してくこです ね今しかできないんですねであの先日開放 業ってありますねあのアジリさんあの自衛 山とかで大体4月からそのあ同じぐらいの 期間をの間毎日毎日山を歩くあのという そういうあのあの修行が山それからあとま あの吉野山でもやってますけどもうそれと 同じ菩薩なんですよ18年経ったらもう 70代なんです僕 らうん残りの人生のほぼ全てをかけてこの そのため何のためにまずそれをねあのやら れるのかっていうのをちょっとうんあこれ はですねもう本当にあの人間死んでから仏 になっても遅いんですよ皆さんえ神様ね仏 さんになっても遅い生きてる間に神仏に ならなきゃいけないそしてまたその神仏の ようなことをやるのが人間なんですよで それに私は気づかしてくれ私を気づかして くれたのがえ大縄文の一生の使った仕事で もありまその中で今回300年来た杉の凶 の命をいだく時に杉さんが言ったんですよ 俺の命をやる代わりに1つだけ約束して くれとそれが約束できたら俺の命を あげようと言ってくれたんですねその約束 というのはこうだったんですこの地球上の 全ての生き物たちを幸せにすること分かっ たかそこの棒人間ってこきたですねそれ 約束しなかったらあの船作れないわけです からまいいやその場で嘘ついてもいいやっ てこうみんなはい分かりましたとか言う わけですよでね水産の命いいちゃいました ね頂いたからにはこれ嘘つきないですね杉 さんいつも丸田になっても見てますからね 生きてますからねすぐ見られますからね じゃあそれどうやったらいいかってよく 考えてみるとこの地球上の全ての生き物だ から人間以外のはもう数えきれない生き物 ですよそれを幸せになするなんてことを まさに神仏がやることじゃない ということは神仏になれってことなんです よそうですよねそれをやらないとダメだっ ていうことですなぜかって言うと人間は 最初からじゃないですけどもある時から 道具と火を使うことになりましたその火と 道具というのはものすごい力を持ったもの なんです力あるものを手にしたものは俺の 地球だとか俺様の言うことを聞けってやっ たらどうなりますかね一瞬でみんながね 奴隷になっちゃってねえ俺だけの地球に なっちゃうんですけどもそうならないよう にしなきゃいけないそれには草1本石こ1 つあらゆる命に対して思いやりの優しい心 を持つ相手の気持ちになってみんなが幸せ に乗れる船を作ろうということをしないと 道具も木の命も頂いちゃいけないんです よそのことに気づかしてもらいました 原始人になってねだ原始人めちゃめちゃ 高度な人た文化レベル高いですよ半端じゃ なくねだから何百万年の営みができて 私たちが今ここで生かさしてもらっている んですねはいそして今言ったようにさっき 言ったように地球が汚い星になってしまい ましたそれは私たちが毎日出すゴミです手 に終えない危険なものですそれを一刻も 早く作らないようにしなければ未来はない んですこれね文明のり使ってますけどね もう科学的にもあらゆる調査で全て分かっ てますでま週に1回5も吸っちゃってね プラスチックをねねもう本当に手遅れかも しれないところまで来てるんでねそこで今 こそこのプロジェクトなわけですねさん はいはいありがとうございますあのはい あの本当に土地って人を呼ぶなっていうの を感じましたあの今回も本当にあの5日間 で小屋が立つ縄文小屋ですよしかもかなり 大きいです実物見たらで草に覆われてま あの普通かやかぶきだけでも5日間んで ワークショップでねそれでも終わらない わけです 料揃えてあってそっからスタートなんです ねでこれ本当にみんの思いが集まって しかもそこに吹職人が2人しかも兵庫と えっと秋田からですねあの大工さんもい てっていうこれ呼んだわけでもなくそれで みんなで楽しくではい今日はですね昨日で 終わって帰ってはいえあのここで始まる 新しいことってのがまたその途の恵みと あと先人あのその声が聞こえたって話です けどこれ紙芝居にして子供たちにやるです よいつもそれそれがまたねもうんはいあ 本当に聞こえてこないですよでも人間は声 なき声を聞き取る心優しいものを持ってる んですよ実はこれあの神主は私全国ツで やるんですけども木に石を投げる場面が あるんですよ石好きですよね皆さんね子供 好きなんですよ絶対に石を投げるんですよ 棒を振り回すんですよむやみねやたらにで 石にこう杉さんにぶつけるですやあとか 言ってあそこの杉に当てて遊ぼうぜとか 言って私があるんですよでみんなあとか 言ってるんですけど今杉さんは何て言って たって言うとね痛いって言ってたやめてく れって言ってみんなどこも言うんですよね そういう声なき声を聞くっていう力が私は 1番ある生き物だと思いますだからこそ 道具と火を使う 素晴らしい本当はね難しいんですよ火使っ たらもう全てがこの破壊されてしまうよ 恐ろしいものなんですけどもだ非常に レベルの高い道具と火というものを使うに は相当高い人間性を作っていかなきゃいけ ないですもう石でもあの大変ですよ扱うの がそれが鉄機械ハイテクマシンになると これめちゃくちゃ相当なもう本当に神仏 じゃないと使いこなせないレベルのものを 私たちは手にしてるんですでそういうこと を思いながらこれからの暮らしをねどう やっていい方向に家を切ってかキラキラ星 美しい星にしてくかということをみんなで 考えるバランスよねはいはいうんでえっと ですねまあ今ちょっといくつか この5日間ですか縄文さんと一緒に暮らし てあのま印象的だったことたくさんあるん ですけどその1つに例えばですねあの巻火 を炊いてそこに薪をくべる時にですねこう よくま縄文家の中のほら水あれ引薄いじゃ 薄いっていうか深くないじゃないですかで それでそこにこう丸田をくべるでくべる時 にこのあのを切ってそこに大きさに ボンボン入れるのではなくてこう長いまま こう置いていくはいそれでそこに笹の刃を 束ねたやつでこうササとやってから何やっ てんのかなと思ったらそこの火を浴びると こう虫いろんな虫が出てくるわけですね ありとことかでそうんはいでそれは逃げ られるようにこうやってあの長くしておい てそれでそれがリンコもパニクってあと家 に忘れ物したりするもんだから戻るんです よだそれを戻るなって言ってこういう風に えてっていうことをやるわけですねそう いう姿勢ってのはすごくあの本当にねあの やっぱりあらゆる命とこう対話してると 自分も暖かくなるっていうのがねあの本当 にこうしたことを体験してる子供と あるいは虫がいって虫すっとスプレイある お母さんとあとあのばま大人ばっかり見 てる子供とではもうほんの1つで全然違う なとそうした場をですねここで体験させ るってのは今すごく貴重なことだし僕ら 自身もこれ忘れたものを取り戻すことなる かなっていう風にまいやままさにそうです ねであの縄文をやって燃えるものだらけな んですよ土に変えるものだらけなんですよ もう火を子供火遊び大好きなんですよ本当 に大好きもう何回言って火遊びするなっ つっても隠れてちょこちょこ行ってボツ ついてわあとか言ってやってるんですよで これやられるとねもう一生懸命作った声も 一瞬にして燃えますもう秒速ですあれ今日 ま見てもらえば分かりますけどもう燃え やすい油のねたで出ててできててね燃える 着火するとかねそこら中にあるんですよで そこで火の使い火の火はと火というものは どういうものなのかっていうことを大人が 教えなければわかんないんです最初から これ分かってたらそんなことしないですよ ね子供でも分かんないですよ火の使い方を それを大人れるのは大人の仕事そして石の 全国の友たちね諦めず1人も諦めず全部 作ったんですけどせっかく作った生の何 するかって言うとまず土を掘るんですよ スコップじゃねえんだからねあのクじゃ ねえんだからって土を掘っちゃうんですよ そしてあの石と石あのぶつけ合って歯ね かけちゃったりとかそして島にはかって おおとか言って振り回すおらとか言って 振りますねあそれ武器じゃねえんだよと いうことですでも知らないんですよ道具の 使い方をということは誰が教えるんですか 皆さん大人が教えなきゃだめなんですで その道具と火の使い方を教えれる大人が今 いないんです子供が日遊んでても振り回し てても何もほとんど言いませんよ 道具とは人は何を目的にして私たちは使っ てるんだということを考えたことあります か皆 さんそれを考えないで教えるは教えられる わけがないですよね さんなからさコメントしづらいとこで振ら れてばっかりね うんはいあのそうだあと今日これで質問の 時間もこれかあそうですねはいまあのこれ からこういう方がですねこの人だけじゃ ないんですよ今回集まった人たちあの雨の 中テント張ってたんですよそれで僕はあの ちょっとこのフォーラムの準備もあったん で何回か夜帰るんですよ帰った時大雨がふ 大雨でみんな大変だろうなってこうどうし てるかなってもう嫌になっちゃスタフ なんかも嫌になっちゃって泣いてんじゃ ないかとか思って来たらそたらみんな すごい晴れやかな顔してそれで最高の夜 でしたって言ってもうその都度そのたびに みんなで鉄則を深めてあの楽しいそれで 最後の晩はあの写真見せてもらったら みんなふんどし一丁になってその裸で小 あの小屋の中で火を囲んで踊ってるそんな あの動画でうおすそういうようなあの人 たちがま集まってあのこうしった新たなね あの本当に面白いことが起こるなっていう のそうですねいや本当にあのこの森に来 たらみんな裸になると思いますこれなぜ かって言うと靴下履いて靴履いて服着 ちゃったら何も分からないで終わっちゃう んですよこれ裸になって裸になると何が 危険なものかとか何が痛いとかいろんな ことを肌で感じるようになるんですねそう するものすごい感覚が研ぎ澄まされてくる んですよそうするといろんなことがこう 楽しくなってくるんですねでああいう風に あのふ長でみんなで盛り上がっちゃうん です よ1歩間違えるとね危ない世界行っちゃう んですけどねでもね全然危なくなくてね肌 と肌を触れ合ってねおお前の肌きめ細かい じゃんかとか言っていやいや秋田から来た 職人秋田美人だねとかねそんなで分かっ ちゃうんですよはいはいはい質問からにし ましょうねちょっと縄文さんにでも我々私 僕にでもよあの池田さんにでも構いません のであの何かありましたらえはいどうです か指名はいはいえ一作ってすごく寒くて雨 が降ってていやあテント大変だろうなと 思ったんですけどなんで楽しかったんです か燃てですよねとこうなんか俺もちょっと 今暑くなったんですけどあの燃え上がって くるあの子供と今あの今の社会って子供 大人が子供と接して暮らすなんてほとんど ないじゃないですかでも大人になるには 子供と接するってこは非常に大切なんです よねで私はやっぱり子供見るとすごい元気 もらうしまそれが言動力になってるんです けどもはいあのなんかこう燃え上がってき ますねなんか何かしなきゃいけないんだっ ていうこういうなんか気持ちになりますね はいなぜかはいよく答えになってないです けどはいはいあの本当に幸せな時間だなと あのその大人を見て大人が楽しそうに仕事 してるっていうのがなかなか今そんなに ないですよねで子供がいてもこのま土木 作業です建設作業でま危険なものが たくさんありますその中で子供が ちょろちょろしてそれでちゃんと子供湧き まえてるわけなんですねで遊んでる光景が いかに豊たかで幸せか本当にあのこっちも 幸せになるっていうあのそれであのまそう したあのことを子供のこと考えながらまた 作るっていうのがですねそれがすごくあの 楽しい時間だったなって今思いますでそれ でちょっとせっかくなのでうちのスタッフ であのちょっと感想っていうかなんか一言 あの中支ずっとご飯滝登板をしてました 初めましてあの堀越ナですあの高田増援と 地球森のスタッフとしてえと関わらせて いただいていて今回22日からですねあの テント貼ってですねずっとあのキャンプし てたわけなんですけどももう私もずっと皆 さんが小作りとかしてる間にご飯歯ですね 歯でご飯火でずっと炊いているというあの 役割いただいて3色ずっと炊いてました やっぱりそのま皆さんの言動力になるもの ですからその1つ1つこう火と向き合って みんながが元気になるかなっていう風に 思いながらずっと焚いていたんですけども 1人誰誰1人としてあのかけてはいけない なっていうことを思いながらと仕事をして いてでその全てのものがあのなんて言うん ですかね もうこう私たち雨降っていたんですけども その雨水さえももったいなかったんですよ ねあのだからあのテントの上にタープとか ブルーシート貼ってその雨水を集めて 洗い物をしたりとかあのみんなでこみ もったいないよねってその洗い物すんのも あの米の研ぎ汁で洗ったりとか自分たちは 普段弱ひねると水出てきますけどそういっ たことは自然の中ではないんですよねで その大切な自然からいらいてるっていうこ いただき物で私たちのお仕事ができていて それをみんなで共有しているでそのそのお 水とそあと日とそのお米を使って皆さんの 力になってその力が声になって私たちの 時間になって命になってでその命をまた この父に返していくでこの循環っていうん ですかねその気持ちよさっていうのを 1人1人が共感しながら共有しながら火を 囲んで語っているとふとになちゃうんです よ私は私はね私はあのさすがにあの裸に とめました はいでこういった時間っていうのは なかなかこうま普段ねあの都会にいたりと かビルの中いたりアスファルトの上に立っ てたりとかすると感じられないものだと 思うんですけどもやっぱりその自然の中に いって土に触れたり木に触れたりあの私は ずっと火とお話をしながらあの歯でご飯 炊いていたんですけどもやっぱり火を見て いるとそのどういう風に木が火が木が燃え てくのかとかありがその火に向かっていっ ちゃってあダメだよって風に言いながら もうまた逃げてくとかそうやって1つ1つ の小さな命と向き合っていくっていうこと をが自分たちの暮らしの中にあるんだなっ てことをあの水字だったりまお便り行っ たりとか全て感じるんですよねだからその 裸になってそのま脱いちゃったりとかして この全部の自分たちが生きてるこの語感が あのこの命のこのま土台になってくわけ ですよそれを今閉ざしてしまって るってことがどれほどもったいないの かってことを自然の中にいてすごく感じ ましただからなんかこうみんな脱げてって じゃないです よそう自然とその一体となったりとか いろんな生き物と共に生きてるんだよって ことをま少しでもあの多くの方々にあの 感じていただきたいなと思っておりますな 今回のお山だったり森だったり小屋に訪れ てみてま是非感じていただけますとあの なんだか楽しい時間を過ごせるのかなと 感じます長くなりましたありがとうござい ますありがとうございますえっとですね あの皆さんのお手元にカラーコピーで えっと新聞両面入れましたさっき画面に出 たのが東京新聞さんで結構大きく出して くださいましたそして地元の某日新聞さん これがもう予告を出してそして縄文小屋が 出て今回縄文小屋のコピーにしましたけど 今2本出てますそして今日また本日記者 さん来てくださってますので間もなく3本 目が出ますそしてなんと本日記者さんも来 てますけれども某日新聞の社長が今日来て くださってますのでちょっとご紹介させて くださいあの何を隠そうNPOア文遺産 フォーラムの役員なんですそれでいつも 戦争遺跡のガイドとかをやってあのガイド ジャケットを着てで今日はセビ着てまあの 本当本日さんにお世話になってますえ私 ガガと言います片方と書いて片方と呼ます はいでもで皆さんが夜思い出せるように こんな紹介をしてますガイドの時もこんな 風にして距離をまずぐっと近づけるって ところから始めておりますあの五感って いう部分と 自然あのあまりにも自然を壊してえ壊すっ ていうよりも自然に手を加えて文化が 生まれますよねでその文化っていうのが どんどんどんどん競い合っていくと便利 横着になっていくじゃないですか かそういった時に自然からどんどん どんどん遠ざかってってでふっとその自然 に帰るその今皆さんのその営みっていうか 目指してるものえすごく伝わりましたこれ 以上言葉はなくてごめんなさいい ありがとうございましたはいありがとう ございもう1人ですねすいません急な振り 方で申し訳ないんですけど今日なんと言っ ても皆さんこれ映画に出ちゃうんですよ ちょっとそのことだけご紹介させて いただきたいのですが金高監督戦争中に ヒア図書館の書籍を解させてるんです けれどそのエピソードもドキュメンタリー で映画にしてらっしゃってで私はそれをね あの上映会やったりして行為にしてて今回 なんとメラを舞台に映画撮るからって言う んでいやメラだけじゃなくてもうちょっと 広げてこういう面白いことやってるよって 言ったら早速を来てくださっどうもあの 紹介してました金高健二と言いますあの例 会員学校の卒業生で一応船乗りになってま え生活してたんですけどあんまり野に向い てないっていうんで全然関係ないこういう 映画の世界に入ってもうな40何年やって ます元々あの震度金と監督の女監督をやっ ていてまドキュメンタリーというよりは あのドラマをずっと女監督でやってたん ですけどま新藤さんが桜田一というえっと ですね広島で原爆でえなくなったえ移動 演劇隊の映画に女監督でついてたんでそん 時に半分ドキュメンタリーで半分ドラマっ ていうなんかドキュメンタリーって とっても面白いなというのがあったので それ以来自分はまドキュメンタリーを結構 やってるんですけどあのま初回した40万 冊の図書とかあとウナの謎のリストって いうえ日本のえ151箇所のところにです ね爆弾を落とさないでくださいって アメリカアメリカ人なんですけどアメリカ にそれを要請して実はそういうリストを 作ったっていう人の話とかですねですんで 結構いろんな文化財が日本の文化財が守ら れたっていうまそういう語も作ってますで 今回はあのま今日本で1番やっぱり今お話 されてたように日本は病んでるというか 大変な状況だと思うんですねやっぱりあの 過疎化とか少子化とかでこれはどうやっ たら食い止められるかって誰も正確な答え は出ないと思うんですけどそういうものを なんか一生懸命跳ねのけよとしている人 たちが実はこの暴走半島の南の方にいるん じゃないかとでその人たちに何人かに焦点 を当てて頑張って生きてるっていうのが 素晴らしいっていうのをなんか ドキュメンタリーで伝えられたらなという ので今やってますであのやっぱり森を再生 しないと海も良くならないしっていうのは もうすももう本当に当たり前のことだと 思うんですけどだからそういうことを なかなか普通の人たは知らないっていうか だからもうとても高田さんの話とかとても 素晴らしい話をま今日聞かせていただいて この映画の中にどれだけ使させていただく かちょっとはま編集後からやるんでどう いう風になるか分からないですけどま なるべく少し出したいなという気はあり ますはいであの午後からねあのまた森の中 とか探索するというまそういうのも ちょっと撮らしてもらえたらなという風に 思ってますまそういう映画を今作っており ますんで来年ぐらいには出来上がるかなと いう風に思ってますよろしくお願いします じゃまたちょっと質問もいただきます そっちからした方がいいかなうん何かあ はい どうぞはいありがとうございました今日お 話あの3人の話全部とても興味深く拝見し ましたコのと申しますえっと縄文の家作り にすごい興味があるんですけど道具は どんなものを使うんでしょうかなんか はい頑はいまあの基本的には基本的には あの石ですねだけどだけではなくて鹿の角 とかあの貝とかですねあそこにシガあり ましたけどもあのシコガも石のにもなり ますしねのみにもなるしいろんなま自然界 にあるあと35はヤりにもなるしねま あらゆる自然のものを使ってえ作ります はい釘は使わない鉄は使わないです全てが もう自然に自然にあるも自然にあるものを 使うとこですねはいで土に変るってねすぐ にはいとうございますその土地で探すすん ですかどこからから持ち込んそうそ土で 当然あの今みたいなタイムマシンいっぱい ないですからそこで移動したらそこにある あの歩いて運んでこれる距離のものを うまく使うってことですねで原子たちって 半端じゃない人間力なんですよでそれが ないとあの生きていけないですよねその 観察力リサーチ力そして適用能力そういう ものが何百万年の歴史でこの地球のね地球 上こう移動している移動の生活の中で養わ れていくわけですよねでもただこうやって 移動してただけじゃないですよ移動して たらあの観察ってことはなかなか難しい ですねそこのでそこに定住しながらそこの 腰の動きとか海のねあの川とかいろんな風 の向きとかいろんなことを観察してそれが 蓄積されたのが人類のエジなわけですね 揺るぎないものですねそれはねでそういう ものをみんな持ってるんだということです すごい人たちなんですよはいありがとう ございますはいはいじゃあちょっとここで 少しあのここの検証の今日お手の資料の中 でですね大神宮の森大地の検証っていうの がありますあのちょっとこれえっとここで の森の営これからあのもう僕は死ぬまで 何十年かあのここに関わり続けます育ち 続きますあのまここだけではなくて色々 全国でこうしたことをですねあの他の地域 でもできるんだっていうことを知って いただいてで国土みんなが現代の生きる あの多くの方々がこの国の土地の守りて 守りてていうか育ててちゃんと手渡すと いう本来の営みをもう1回取り戻すその ちょっとモデルとして考えてあの行きたい と思いますこれからまたですねあのここ 今回か今回は初めて一般募集をしてやり ましたけど今後もこういう機会を作って いきます土中を保つってのは現代の中では まそれなりにコストもかかることなんです ねでどうしてもやっぱりそこはま精度も 変わっていかなきゃいけないことだと思い ますけど今の制度の中でやっていかなかっ たらもということもありますだそん中で あのみんなに応援してもらいながらですね 多少参加費っていうか整備協力あの環境 整備協力金という形であの皆さんに広く 浅く負担していただきながらやれるような 仕組みを作っていただいてそれ以上のもの を持ち帰ってですね自分の暮らしを豊かに していただくそれでまたあの深く関わって いただける方にはここであの趣旨に主旨に 則って深くかわっていただきたいと思い ますそれでその活動に関わる人たちのため 人たちに全て目を通していただきたい検証 を今考えておりますざっ説明ま簡単に言い ますとまこの土地を共有財産として未来 永遠についでいくための主人としてあの みんなが尊重していくものとしてはいで 土地の所有について第2項で所有について ですけどこれあの今も昔も未来においても 人間のものではない生き物全てのもので あってそれで先人がいんで暮らしできた 先人が生に思いを残して育ってくれた土地 なわけですでそれを我々も同じように未来 についでいくだからそのために利己的な 土地の所有あのを誰も求めです僕らもあの かなり月々あのそれなりの勇姿の変災をし ながらですねあのアセ働いてこれあのここ これから楽しく守ってる行きますけど今後 もえだけどこれを自分のものにするつもり はないです今日息子来てるけど息子のに 渡すとかそういう考えはなくあのまここを ですねあのみんなであの育っていくあの 地域の人たちでまた繋いでいくっていう そういうあの営みをやっていかなきゃいけ ないあの今までは全てのい住んでいる人 たちが自給的な暮らしの中でどっちを思っ てきてただけど現代はそうではありません あの生活が全く離れてきたこれを見直す ことも必要ですけどま今そうあのの現実の 中でですねちゃんとどういう守り方がある かっていうことを再び作ってっていうのが 必要だと思いますあと整備の時整備は山の 神経を損なわないという言葉これちょっと 長く項目を作りましたけどここの山の整備 いろんな方がまた多分協力してくださると 思いますけどあのまず先人とやってきた 動作の意味例えばこれは道具で本当に 分かるんですね僕らがなぜ重機を入れない かそういうあの手作業でやることを選んで やってるかっていうのはあのまそういう ことです あのここにですね山の上まで例えば機械で やるとこう柔らかいところも硬いところも わかんないんですよねでそれこそ石と鉄の 違いですまたその中で人間が鈍感になって しまうであのその中でいつの間にか山の 新規山の新規は山が悲しめば新規が奪われ ていきますでそのそれを新規を損なわな いっていうことを第一の目標としてあの 新規っていう言葉はちょっと宗教的な言葉 に聞こえるかもしれませんけど他に何か いい表現があればまたあれだと思います けどあのまそういうことを考えて整備をし ていくていうそれは人間のこちらの迎え方 と共にですねえあと運営についてはこれ 営理株式会社ですからあのやっぱり営理を 目的とはしないものでしないながらも やっぱりこれを継続するためにあの収益化 を目指しておりますだからそのやり方ま それをどういう風にやっていくかあの地域 の人たちやあの市民団体他の方々にも協力 して利用してもらいながらあのそうした ことを心がけ受けていきたいと思ってます あと最後にやっぱりあのこれこれだけ読み ますあの国土地球環境人類のために山が 本来の新規を取り戻して美しくそして全て の生き物たちに包まれてその温かな気配や 目自然の営みを外にもうちにも感じ共に 生きるということそこに人の癒しがあり心 の静寂を取り戻す場となるこの地球で人は これからどのように生きるか自然を感じ ながら先人たちが喜びを持って見つけた ものを私たちも大神宮の森で日々発見し心 に温かい灯しを灯そうそしてそれを多くの 人たちに感じてもらいたいと願うという あの一応ちょっとこんな感じであのまだ これ相案なんですけどでこれ書いてた時に ですねはいあのここで阿房自然村っていう あの地元の方ご存知ですけどあのま ちょっと活動がそこも頓挫しております けどあのこの大神宮の土地山でですね やっぱり同じような理念で数十年前にあの ここであの人間の再生の場として整備して いくような活動が行われましたでそれの この検証の碑文がですね今のという大臣号 入口のお寺さんにのあの海辺に位に刻まれ てますけどあのやまたあの同じような理念 で活動されてますやっぱりこの土地が何も この土地が人を呼ぶっていうか人をそう いう気にさせるものがあるなっていうあの 実際そういうような所だと思いますでここ にですねこれから あの縄文さんは旅に出ますで14年後ここ に帰ってきますでその時にですね14年後 僕も70代ですであのどんな森にしていく かまた楽しみが1つ増えたというような気 がしますこれから皆さんと一緒にですね あの情報を提供しながら参加できる いろんな形であの関わってもらう本当に 通れるようになったらちゃんとに来るだけ でも構いませんあの本当に人の流れがここ の山を良くしてそれで人もまた良くなって いくそういうあの まない形にねしていきたいと思いますあの ちょっとじゃあ一言ずつ何か ましょう美しさ清らかさに癒されるし そしてそこに元気が生まれるんですねえ そういうものっていうのは全人類に分かる ことだと思います今地球が本当にゴミ だらけになってるそして美しい星にしてこ うっていうそういうみんなでやらなきゃ いけないプロジェクトなんですね誰と1人 でと1人として俺やめたっていうことにに はならないだって空気も水もね汚れてら 生きていけないわけですでそういう星にし てこうっていうのはみんなに共感が持てる でそれをやっぱりこの戦闘に立ってや るっていう人がいないとみんながいないと 発信できないですねで本当にこうワクワク してくるようなこのプロジェクト本当に 素晴らしいと思いますだけどドキドキも するんですねすごいドキドキしてその危険 が常にねえどこ手にしたり火を手にした りっていうそういう危険が常に伴うんです けどもそこに本当の学びがあって本当の 人間らしさっていうの育てるそういう 暮らしがあると思いますはい素晴らしい 検者だと思いますはいいや本当に感動的な 時間をご一緒させていただきまして ありがとうございましたいつもやってる 内容と違うネタで私今日お話をさせて いただいて特に縄文ネタでで皆さん縄文 ネタ多かったんですけどやっぱりね皆さん がどういう風にこの地域の歴史受け止めて くださったかなってすごく気になるところ で皆さんのお手元に解放あの差し上げて ますフックスとかメールアドレスあります ので是非私の方でもあの地球森でも送って いただけたら励みになりますのでまた今後 ともよろしくお願いしますありがとう ございましたあはいあの今日は本当に第1 回記念すべき時に皆さんとご一緒できた こと本当に嬉しくありがたく思いますあの これからもですね是非またあのこうした 機会をたくさん設けていきたいと思います のでまたこういう縄文さんこういう方だけ でなくまたちょっとあのその辺になかなか いない人たちもまたここにかかってくると 思いますのであのまた楽しみにしてご参加 いただけたらと思いますはいじゃあどうも ありがとうございましたありがとうござい ましたありがとうございます [音楽]
【安房大神宮の森コモンプロジェクト】
2024.4.27. 館山野鳥の森多目的ホールにて
房総半島南端の千葉県館山市では、長い間放置された55haの山域において、古道や水源、棚田や集落跡などを再生する山林整備活動が始まっています。
子の森を共有財産(コモン)の森として未来に継承しようと提言し、壮大なプロジェクトを牽引する高田宏臣さんは、環境土木の専門家でNPO法人地球守顧問・一般社団法人環境土木研究所代表などをつとめ、「館山市森づくり大使」も任命されています。
NPO法人安房文化遺産フォーラムでは、かつて布良の森(安房自然村)で遊歩道を整備し、癒しの里づくりに取り組みましたが、令和元年台風の直撃被害などの諸事情が重なり、活動を断念した経緯があります。しかし、さらなる遠大な理念をもつプロフェッショナル集団が立ち上げた取り組みに共感し、「安房大神宮の森 風土・歴史フォーラム」を共催しています。プロジェクトの進捗報告と、安房の歴史文化を紹介する連続講座です。
<プログラム>
0:00:31 プロジェクト構想と活動の報告
高田宏臣(NPO法人地球守顧問)
0:34:21 歴史講座「館山まるごと博物館①~逆さ地図から見る安房の地」
池田恵美子(NPO法人安房文化遺産フォーラム共同代表)
0:57:27 鼎談:高田宏臣・池田恵美子・雨宮国広(縄文大工)
主催:安房大神宮の森コモンプロジェクト運営委員会
共催:NPO法人安房文化遺産フォーラム
協力:株式会社森と海/一般社団法人環境土木研究所
株式会社高田造園設計事務所/NPO法人地球守
<関連サイト>
*安房大神宮の森コモンプロジェクト
https://www.awadaijingu.jp/?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTEAAR28k_v2z9lSbC2ZBNh_RtQzQ1ps7Lg5kdZMRTNm_FUlSMQf0H5wJYP95f0_aem_ZmFrZWR1bW15MTZieXRlcw
*NPO法人地球守
*NPO法人安房文化遺産フォーラム
https://awa-ecom.jp/bunka-isan/