尾崎豊を失った衝撃の余波 LAST / Shocking of losing YUTAKA OZAKI #昭和偉人伝 から
戦い。 平成2年12月。小崎25歳。個人事務所 アイソトークが設立された。 それは物件探しから資金集めスタッフの 募集まで健城さんが中心となって行われた ことだった。 ところが小崎は自分が事務所の代表で なければならないと譲らなかった。自分が イメージする通りに全てを取り切りたいと 思っていたのだ。 は、キぐさんに小崎と事務所を作るために 会った日のことを話してもらった。 店長さんが小崎にですね、あのやとっていうやつがいてと寄り添ってお前のことを守ってくれるからって言ったら小崎がもうあの会いたいと。 小崎は訪ねてきた藤さんを自宅の仕事部屋へ招き入れた。そしてキーボードの前に座ると一息ついてから演奏を始めた。 [音楽] 曲は彼の代表局とも言える I loveユ。歌い終わると小崎は藤さんにこう言った。 [音楽] このアイラブユっは僕にとってはまだ構成に残る 1局ではない。なんとか高成に残る 1局を作りたいです。 これが藤さんとは絶対できるからよろしくお願いします。 [音楽] 2 人は硬い手をかわし藤さんはマネージャーとしてお小崎を支えることになった。新事務所では所属アーティストでもあり社長でもあった小崎豊た [音楽] 1人役に全力で取り組んでいた。 事務所来る時はネクタイとスズ本当 ビジネスのようにで、ま、社長室で色々 経理的なこととか相互的な処理とかあの一 軸チェックをしてもこの数字違ってるけど どうなってるの で 事務所でスーツを着ていたのは アーティストと社長全てを自分の力で やり抜こうという意気込みの現れであった 。そして事務所ができて2ヶ月経った平成 3年2月。ある文書がフックスで送られて きた。 送り主は小崎であった。 どう始まったんだ?全てのものが刻まれ、 全てのものが新しいものに生まれ変わる時 が来た。全てが終わり、全てが今始まった 。 小崎い僕からしてみるとこれがアーティスト小崎豊たのやっぱこの始まりなんですよ。やっぱ死ですね。 始まりという時には初日や初心に帰るの初の字があえて使われていた。新しい旅立ちへ向けた熱いメッセージ。 [音楽] 社員たちをコブする小崎の言葉だった。 またこのファックスに残された91年2月 22日という日付は小崎にとって重要な日 だったという。 その猶予が要するに終わった日。そして お母さんがですね、その重箱から石犯を 出しまして、やっぱりお母さんよく覚えて んですよ。 が良かったねって。これから出発だよって。 まさしく神聖小崎宇豊の旅立ちの日であったのだ。そして社長大崎はアーティスト大小崎豊宇豊かの完全復活を告げるために全国ツアーを企画する。過去にはツアを中止してこともあった小崎だけに大きさを指摘する声も多かったと。 [音楽] ま、若い頃はコンサートいくつも組んで いきましたけど、普通業界の人は危険だ ぞって。だから、ま、でかいとこでね、 アリーナクラスで10本ぐらいで大都市 だけ行けばいいし、下手したら東京ドーム で復活で1回やった方が、あの、いいん じゃないかっていう意見がほとんどでした ね。でも僕はやっぱり小崎豊かもここで最 出発であればそのなんていうかなにやれる 方向に行って復活だっていうよりも全国 ツアーでホールクラスから始めて最後 アリーナで閉めるっていう。その リハーサルはツアーのオープニングで予定 している曲から始まった。 とはツアを待つばかりと思われたところが 小崎の運命に不穏な影が待ち受けていた。 共に戦ってきた賢城さん2人に決滅の日が 近づいていた。 [拍手] 平成3年春、完全復活へ向けたツアーが スタートする前日。 は藤さんにその意気込みを熱く語った。 握手してやりますからき藤さん見てて くださいよと本当にその人よしとこれで俺 も早く帰って明日に備えられるなて思って 帰って家に着く頃に電話があのなりまして じゅから小崎の弱々しい声が響いたき藤 さん俺明日コンサートできません。 ええってそんな不安なんて覗かしたこともないし、あの本当にもう声が全然違いますし、もうだ急いで当時大宮から僕通ってましたんで、でもとにかく不安だって言ったら行かなきゃいけないんで。 ガラス工のようにもろくなっていた小崎の心。 そんな姿を見るのは初めてだった。 いや、繊細だろうとは思うんですけど、そのお辞儀の仕方とか優しい言葉とかね。でもどっちかっていうと僕にしてはガラスよりも凍鉄のようなやっぱり心だっていうのは常に思ってましたからね。 それまで数々のステージを踏んできた大崎です。猛烈なプレッシャーにくじけそうになっていた。 き藤さんは小崎を懸命に励ました。そしてなんとか持ち直した小崎は 小崎君の涙は初めです。明日必ず行させます。 で、その 男の人から あれぐらいすごく抱きしめられたことて ないです。 小崎のメッセージに熱狂するファンで 盛り上がるツアーは博多でのライブを迎え た。 その時マネージャーとして小崎を支えてき たさんに思いもよらない事態が襲いかかっ た。 その日、ライブの後、小崎は早々に部屋で 休んでいた。そこで北藤さんはスタッフと 30分だけ開始ところが、大崎は藤さんが ホテルにいないことに腹を立て、大暴れし ていたのだった。そして、 ま、小崎は僕にあなたはあの首だから。 小崎は自分を愛してくれる人に容赦し なかった。 とうとうぼちになってしまった小崎に最後 の時が訪れようとしていた。平成3年に 行われた復活ツアーは大成功に終わった。 しかし小崎の周りには暗くを共にしてきた 名雄や御人たちの姿はなかった。そんな時 さらなる悲劇が襲いかかる。 最愛の母木さん九士 逮捕された時には心配をかけ執行猶予が 開けた日には石犯をいて誰より喜んでくれ た母 個人事務所設立後は事務所に来て仕事も 手伝ってくれた。 闘技では常に振る舞う小崎の姿があったという。 そして母に向けこんな曲を送った。 [音楽] 1人こうして見つめてる [音楽] 運命の日がやってくる。 小崎は泥水しの家の木先に裸で倒れていたところを保護される。その時小崎は結した藤さんを呼んで欲しいと告げていた。 [音楽] あれ救急車って保証人がいないと病院連れてけないみたいでその時に小崎が僕の名刺を提示してであのそうですね。 [音楽] 僕の携帯もなんか裏に変いてあったみたいで。で、僕は地下で打ち合わせしてるわけですよ。 結局藤さんではなく連絡のついた小崎の家族と共に一旦帰宅くところがそのしばらくの後容大が急変らぬ人となってしまう。 [音楽] で、僕を呼んでたのに、SOSを出したの に打ち合わせ地下でしてて誠に申し訳な いっていう。 翌日の新聞で小崎の市は大きく報じられた 。後日死因は排水だと分かった。 小崎が亡くなるつい5 日前に一緒に飲んだという幼馴染みの松浦さんはもうだからもう理解できなかったですね。もう真っ白です。頭本当になくなってしまったっていうか、現実は受け止められなかったな。うん。 いや、もうちょトンとしちゃいました。なんかで家にいる時にたまたまラジオ聞いてる時かなんかに速報で聞いたと思うんですよ。 も全然意味がわからなくて。 小崎豊かの衝撃的な市ゴルフサーフィに行きたかったですね。一緒にやりたかったですね。本当にね。今もね、え、 [音楽] 1番われますよ。 うん。うん。欠かせないメンバーね。 うん。30 年前に書いてる歌がその今の映画の中で主題感になっても若い人たちに受け入れられるっていうすごいですね。 あの友達としてねすごく話すことができたのであの言ってくれたことその時に話したことはすごくその後も残ってますよ。やっぱり [音楽] 小崎が生前に残した曲は全部で 71局。 そして歌田ヒ、牧原ゆ行、ミスター チルドレンなど早々たるミュージシャン たちがカバー。今歌い継がれる小崎豊かの 曲。 その中でも海外のアーティストからもカバーされている名曲 Iloveブユ。 小崎 豊かの意思は彼の作品と共にこれからも行き続けるのである。また [音楽] 2人は目を閉じるよ。 がし 歌いがけてまわぬよう [音楽] [音楽]
#尾崎豊 #昭和 #偉人伝 #伝説 #幻冬舎
【併せて観たらよりおもしろい】
https://youtu.be/6efVzHef2ss
00:00 Opening
00:09 本編スタート
00:46 鬼頭氏証言
01:38 後世に残る曲を
02:49 同志らへ
03:41 91年2月22日
05:52 汚れた絆
08:08 切られた経緯
09:19 母の急逝
10:06 The Day
11:23 松浦さん回想
11:40 川上麻衣子さん回想
12:36 トリビュートアルバム
13:05 ILOVEYOU
13:31 Ending
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8 Comments
同志らへ
初まったんだ
全てのものが刻まれ
全てのものが新しいものに
生まれ変る時がきた
全てが終り 全てが今 初まった
尾崎より
Netflix, please make a movie about Yutaka Ozaki.
安堂さん😊連日の貴重な動画投稿感謝します😌🌸💕編集お疲れ様😊💗当時を振り返り観る事は嬉しくもあり心苦しくて辛いです💧いつも😃🍒😃忙しい中でも時間作って私に会いに来てくれて嬉しい💓♥️❤️毎回らしい返信(🙏😂💦)も読むのが楽しみよ😊✨💗いつもいつもありがとう😊💓💓💕💕😊💕💕💓😊💓😊💓✨💝💘💖
尾崎の最後のインタビューから抜粋
「去年最終的に僕が痛感したのは母の死だった。母親を失ってから色々な人と出会いを逆に求めるようになりました。色んな人と付き合えば付き合うほどそれおをりかいするってことはすごくむずかしいなあとも思う。今回も色んな事があって色んな人と離れることもあった。今まで人にやってもらったことが全部自分にかかってくるようになって、今までこういうことだ大変だったんだ、だからああいったときコミュニケーションが取りにくかったんだなとかがすごくよく分かるようになった。
離れるってことは、時間をかけてその人と出会うために自分が成長していくための期間だと思ってる。シャットアウトすることじゃなくて、その人とそのことを振り返って”一体何を考えていたのか”ってことを一つずつ整理することだと思う。
もう一度で合える機会は必ず来るだろうし、その時新たなお互いのコミュニケーションが図れるだろうって。そんな気持ちですね、今は。本当に誰も頼れなくなっちゃったなって言う意味で逆に謙虚に生意気になってきたかな(笑)」
まさか『さよならは別れの言葉じゃなくて』的な考えを持っていたんですね、大変参考になります
安堂さんありがとう! いつも感謝してます!!😊
いつも有難うございます🙇♂
安東さん いつもありがとうございます また見城出てました 見たくないです😅