藤原竜也、『バトル・ロワイアル』公開から25年…当時の裏話や撮影秘話を語る「僕の宝物です」 映画『バトル・ロワイアル』舞台挨拶

[拍手] さあ、それでは早速お 2 人に一言ずつご挨拶いただきましょう。まずはバトルロアイヤル主演七原周也藤原達也さんです。 よろしくお願いします。 [拍手] もうな、何年前っておっしゃりました? 25 年前。25年前ですか、本当にあの、 ま、あの、懐かしくもあるんですけど、 ここまでこの作品が本当に、え、皆さん 愛していただいて、あの、感謝してます。 そしてまずその前にですね、この、あの、 雨が降ってこの虫厚い中本当集まって いただきましてありがとうございました。 あの、控室の方バックステージはではです ね、あの、本当に25年ぶりとまでは言い ませんけど、僕たちもこう久々に会うこう 顔ばかりでですね、あの、忘れかけた人も いちゃったりして、あの、そんなことは ないんですけども、懐かしくあの、久々に 再開させてもらいましたけれども、え、 そうですね、深作近事監督とこう出会わせ てもらったのもこの作品ですし、映画の 厳しさ、楽しさをこう教えてくれたのも この作品でした。なんかこう、え、僕に とってのこう青春の1ページ、こう人生の 新たなリスタートのような、え、作品が今 またこうして、え、丸ノの内東えさん 亡くなってしまうのは悲しいですけども、 え、最後にですね、こう上映できることを 本当に心から嬉しく思います。 今日は短い時間ですけど、皆さんよろしくお願いします。 ありがとうございます。続きましてバトルワイヤルでは脚本コンプロデューサーを続編のバトルワイヤル [拍手] 2 では監督をされました深崎健太さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。え、今日は本当にお集まりいただきありがとうございます。え、バトルロエルという作品本当にあの自分のスタートとなった、え、思い出深い作品で達也や君ともあの 10年ぶりぐらっすね。なんか稽古場で なんかいいかってあれなんですけれども、 あのこうして、えっと、皆さんの前でまた 会えるのが、あの、本当に嬉しいです。 初めて自分が舞台挨拶に立たせていただい たのが確かバトルの、え、死者会でこちら の丸ノ内東映でした。達也君と一緒で、で 、それ以来あの25年本当なんか自分に とってあっという間なんですけれども、皆 さんもま、色々あの、あったんではないか と思います。え、皆さんの色々あの、 25 年も重ね合わせて今日見ていただけたらと思います。どうも楽しんでってください。 ありがとうございます。今日お父様の副作監督と健太監督と副作監督 2 人になりますんで、健太さんのことは健太さんと呼ばせていただきます。さあ、ここからマスクの方はフラッシュはお控えください。よろしくお願いします。さあ、藤原さん。 はい。 ま、大変な問題策でありました。 はい。 なという、 ま、このバトルロワイルだったんですけど、そういう珍しい作品でもありまして、当時何歳ですか? 18 歳だったと思 歳。 はい。 覚えてます。 よく覚えてます。あの、東営大泉さんの方 で撮影していたんですけれども、生徒が、 生徒の数がちょっと定かではないんです けど、生徒全員が集まってですね、あの、 ま、ま、合宿とまでは言いませんけれども 、え、全員でまず、え、撮影周りの全員で ですね、こう、ランニングから始まって、 え、なんか筋トレから始まって、 ファッション練習から始まって、あの、 こんなことなんでこんなに大変なことさせ られるんだろうと思いながら、あ あの、撮影入ったらもっと大変だったんですけど、でもよく覚えてます。そして、あの、深崎近事監督が、え、誰 1 人呼び間違えることなく生徒全員のこう名前をですね、記憶していたことを覚えて 役名役名ですね。 あの、非常にこう、アグレッシブにですね、あの、生徒 1人1人とこう向き合ってくれて、 ええ、 なんかすごく温かさを、あの、撮影前から感じていて、え、ました。 あの、この騒動のことは覚えてますか? もう国会議員が国会で質問したりして、あるいは国会議員社会まで開かれて、 PTA でも大問題なんて、え、覚えてます?それは。 そうです。 そこはあんまり覚えてないんだ。 僕らはね、なんか子供っちゃ子供ですから。はい。はい。 だから はい。ま、ま、結局 当初はだから大人たちはあの騒いでいるんだ。 何か問題があるんだ。でも我々は日々撮影をね、こなしていかなければいけないから、 あの、なんかはい。 ちょっと違う世界でしたね、僕らは。 ケ太さんは プロデューサーでもありました。 はい。 で、ま、この国会で問題されるような問題が起きて、東内部の当時のムードはどうだったんですか? いや、あの、いい宣伝になったなと思いまして。あの、映の仕込みかと思いました最初。 いやいや、でもね、あの、本当に薬剤映画 や色々ね、そういう意味ではあの、 アナキーな映画でずっと頑張ってきた会社 ですので、あの、そういう逆境も全部この メリットに変えていく会社なんですよね。 なので、あの、宣伝の皆さん、営業の皆 さん、一眼となって逆にそういうリスク ある作品をあの、頑張ってこう、え、 盛り上げていってくださったのを非常に今 でもあの、熱く覚えています。結局R15 ということで中学生が登場する映画ですが、中学生は見られなくなったということになったんですよね。 え、そうなんです。それで改めて翌年に特別編というのは作ってですね。 そう、中学生が見られるような編集にしてというさあ、そこでお聞きしますけれども、お、このバトルロワイヤルを当時劇場で見た方、あ、結構いらっしゃる。え、中学生以下だったけどこっそり見た方、あ、いる。 20 人もうちょっといますかね?いますね。そうですか。 そして今日初めてバトルロイヤルを見ると方、あ、やっぱり同じぐらい 20 人ぐらいますね。楽しみにしていてください。さあ、そこで本当にたくさん激しいアクションシーンが出てくるんですが、藤浦さん はい。 これ、あの、 ほとんどのシーンを自分でやられたっていう風に聞きましたけれども そうですね。ええ、これご自分の希望で いやいや、あの映画というものはそんな理解していなかったので、 ええ、 そういうもんなんだという風に、 やんなきゃいけないもんだと思ってて、 君監督がやれと言ったをやっていた。 あ、新療場が、診療場が爆発する。もう資金距離で爆発するシーンがあって はい。 ま、あの、あんまり顔も見えないんで当然スタントマンの危険な撮影だろうと思って我々見ていたらあそこもご本人だった ねえ。 どんな体験でした? そう。あ、合成じゃありませんよね。 はい。あの、本当にあの、作、近事監督がこう言ってくれてそういうもんだと思ってましたから、 ええ、 なんかね、右も左も分からなかったと言いますか、 近くでバーン爆発して、なんか自分で飛ぶ、飛ぶ感じだったですか、あれ? はい。そうですね。あの、非常緊張しましたけど、 爆破も相当強くったと思うんですよ。 ですね、あのう現場にたやっぱ組やったんやろみたいなこと言われて、あのそしたらこのあのこんなもん軽いやろみたいなこと言われて周りがこう皆さん映画人がこうざついてくれて逆に嬉しかったですけどね。 そうですか。他の生徒さんたちもやっぱり自分でアクションするっていうのが基本 全員やってました。そのために1ヶ月2 ヶ月前からね マラソンから始まる はい。稽古してましたんで。 そうですか。 ケ太さん、脚本を書きながらこれを生徒さんたち、役者さんたちが皆さん自分でやるっていうことを想定しながら書いていたんですか? いやいや、全くそんなあのちゃんとね、スタントマンの方たち、え、ジャパンクションクラブの皆さん入ると思ってたんですけれども、でも現場でどんどんどんどんみんな達也や君もあん時自分でやりたいって当時は実してましたではい。そんな感じで暑く盛り上がってた現場でした。 [音楽] これあの事務所からそんな危険な爆発とかやめてくださいっていうストップが入るとかそういうことはなかったんですか? ここまでっていうのはね、あの会社も想像してなかったんじゃないのかなと思いますね。よく自分でも振り返ってやれたなと思いますし、あの今はやはりあのできたらね、あのあのアクション部の方にやっていただけたらと思 いやまンプライアンスも厳しいですからね。 そんな資近距離の俳優さんの近くで爆発 なんてことは昔の話という感じはします けれども、深崎監督は当時70歳、そして 18歳の、え、藤原さん、あの、どんな 演出スタイルだったか覚えてますか? そうですね、本当に あのすごく 深く合ってくださって うん、あの 178のね、ま自分に、え、不加作組の あの主役という 場所を与えてくださり、えー、時に褒め られ、時に、あの、君のその感情芝居で今 続けていくとお客がついてこないから、 えー、まだあの、こういう芝居をしてくれ と細かい、え、内面的な、え、な、何と 言ったらいいんだろうな。 あの、本当数m数cm のような感情のぶれ方を指摘していただいたり、あの、なんか本当にね、健け太さんおっしゃるその薬剤映画とか映画を見てても何かこう本当の人間の本質的な部分を見つかされてるような演奏される方でうん。 なかなかあのこういう方はいらっしゃらなかったかなと今振り返っても思いますけど、 あの友達は殺されて B とたけさんを教室で睨むシーンがあってそれが全く OK が出なくてずっとリハを繰り返したっていうエピソードがあるんですけども やっぱ覚えてますの? そうですね。あのそうですね。 当時そのたけしさんを睨みつけるっていうのもまた失礼な話でしたからね。 い、でも役ですから。 あ、そうですね。ま、だからそう なかなか厳しかったですよ、関東。 そうですか。 そうです。 ま、でもそういった、あの、健太さん、え、なんかこう中学生が苦労し合ってわーとアクションでっていうことだけではなくて、そういったこう細かなところ、もうリハをずっと繰り返してなかなか本番が始まらない監督だったそうですね。 いや、本当にもう予算もスケジュールもどんどんどんどんあの打ち破ってですね。 あのプロデューサーとしては非常に困ったんですけれども、でもあの本当に暑く最後にね、あの癌を患らってたんですよ。 それでその最後の作品何がいいかって言っ た時に僕たちとしては千葉慎さん、安川 さん、たけさん、ゆかりある人の役者さん たちと最後やしかったんですが、あの父は ずっと達め若い役者さんたちと一緒にやる ことを最後にね、ずっと望んでいてはい。 それがやっぱりなんか深の方だったなと 思いました。 何かあの画面の炭の方で映ってもないんじゃないかなって人にまで細かく演技指導していたっていう。それ覚えてます?そういうの すごく覚えてますし、あの本当におっしゃる通りそのまってないね。 あの、その例えば今日撮影じゃない方たちもあの、監督に会いにセット入ってきたり、 皆さんずっとその撮影上にいたりしてましたから、本当に あの、ホームと言いますかね、家庭家族のような座はありましたけども、 あの、セリフがアドリブになることも興奮していてあったと思うんですが、ほぼ台本通りにセリフは話さなきゃいけないっていう現場だったとも聞きました。 け、でも結構現場であのみんなに合わせて変えてってたんですよね。 あ、変えてる。 はい。 なのでそういう柔軟さもまたあのある現場だったと思います。 え、カ完ペが貼られてるって話があったんですけども。 はい。え、達也君は本当にセリフ覚えがいいんでそんなことは全くないんですけど、あの今日お名前出せない選挙活動中の方がですね、 あの、え、はい。大変、あの、セリフ覚えがあれでございましてはい。 もうね、向く先本番な用意さでこう向く方向に全部その完ペが貼られてるっていうね。 いや、ただあの深組は完ペオッケーなんだっていうのはそういう話だったっていうね。で、それも監督がどんどんセリフ変えちゃうからそれは覚えられませんよってこともあったって話をね、ここではさせていただきますけども。ええ、全局活動 確かに そこに話が行くとはちょっと思いませんでした、私も。 ええ、で、あのか、え、深崎さん、健太さん、あの、要するに現場でどんどん変えていくと話の筋とか設定もおかしくなるようなこともあったと思うんですけど、そこも関係なくですか? [音楽] 違、そうですね。あの、特にラストシーンのたけさんの死に方っていうのはドタ場まであんまり決まってなかったので、あの、本当に前日まであの、監督と権ワクして、あの、新回書いたの覚えてます。 そうですか。 そのたけさんのこう劇中で出てくるすごく印象的な絵があるんですけど、あれたけさんご本人がれてんですよね。 そうなんです。 別ゲギャラだって言われました。 そうですか。ま、でも世界の北野ですからね。 その後で、あの、ま、その北野先生、 B たたさん、北野先生の役だったんですけれども、ま、得体の知れない怖さがありましたが、現場ではどんな思い出がありますか? あの、やはりたさんですから、あの、すごくいい意味での緊張感をこう生徒たちに与えてくれて、あの、退治していたっていうのを覚えてますけれ も、あの、僕もね、割りとよく話をさせてもらったすごく優しい方でした。はい。 あの、やっぱりお笑い芸人でもありますから、こ現場を和名ますなんてことはそうなかったんじゃないのかなってこまねしてました。 してましたか。すいません。 懐かしいですね。こちへえ。そして忘れちゃいけないヒロインの前田明さん。 前田明さんは15歳と設定と同じ中学 3 年生でこの役を演じられております。前田さんいかがでした?同じシーンが多かったと思いますが、 ずっと一緒にいましたからえ あきっちゃんもその後あの何度も共演させてもらって うん。 そうですね。お互いこう会うたびに時間の流れを感じると言いますか みたいな感じですね。 そうですね。もう戦友ですね。あきちゃん。 はい。 はい。はい。そして、ま、無人島で殺し合いをするわけですが、本当に無人島で撮影をした 1 週間近い撮影だったと聞いておりますけれども、この無人島と八条小島どんな島でした?もうその [音楽] ヤギしかいなかったですよね。 ね。ヤギしかいなかった。で、え、水道とか電気とかは あ、ないっすね。だからトイレもあの掘ってはい。 女子だけそこ使えて男みんな外ではい。 あら、すごい過酷なところでやっていて洞窟のシーンもありましたけれども ありましたね。 結構大変だったて聞きました。 海の近くの洞窟の市。そうですね。それこそあのあきちゃんと一緒のシーンだったと思いますけれども。 ええ え、そうですね。よくご存知で、あの、もうよくこで撮影するなっていう場所で今だったら考えられないですよね。 そうですか。 こっちで岩が崩れ落ちて、 あっちでも崩れて、もう早めに帰った方がいいんじゃないのかなんて思ってやってました。 実際に結構近くで崩れたらしいすね。 崩れたりしてました。 ええ。 はい。 あ、当たんなくてよかったねみたいな。 いや、今だったらダメすね。 あとなんか船虫がたくさんって いましたね。 たね。 虫苦手じゃなかったですか? 虫苦手ですけども、そこずっとあの、止まってなきゃいけないんですよ。監督に怒られるから。 ええ。 はい。 嫌だったですか? 過酷な撮影でした。 そうですか。そして、ま、とにかく話が進むごとに、え、クラスベーターをどんどん減っていく。みんな帰っていく。どんどん現は人が少なくなっていく。どんな感じでした?それは。 そうです。 みんな悲しんで帰ってくんでしょ?きっと 悲しんで。はい。そうですね。 もう、もうその瞬間瞬間をこうなんか生きさせてもらった。 ええ、 リアルにこう、ま、芝居な、お芝居なんですけども、そのた、体験させてもらってたっていう感じでしたね。 はい。え、 あの、け太さん、若井はさんは撮影が終わりたくなくて死ぬ日は NGをよく出してたってのは本当ですか? それは、それは親父が NG出すんですよね。あの、 別れたくないから。 あ、 で、最後に八条島の打ち上げで、そのた君とかね、みんなあれなんですけど、あの、プール飛び込んだの覚えてます? 覚えてます ね。なんか、あの、 70歳の親父が心臓 麻痺で死んだらどうしようと思いながらみんなで最後プールに飛び込んでホテルの人に本当に怒られました。 そうですか。ま、あの、 そうなんですよ。 監督、あの、ずっとね、あの、時夜、あの、宴会してて、加作組ってやっぱすごいなと。だからいい時代の最後のこね、残してくれた僕らその光景見させてもらったんですけど、 ずっと皆さんスタッフ含めてあの、飲まれてるんですよ。 ええ、 でね、藤原君、あの、ある時夜なんか八城島に小島に、八条島にあるカラオケスナックかなんか行こうって言って監督が僕が歌うって言って監督が歌うんだってずっと飲んでた後にそのさ、酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞって歌いだった出したんですよ。 え、ええ。 ずっとお酒の歌を歌うんですよ、監督が。 ええ、 それが深加作組でした。 はい。 そうですか。 ま、でもあの楽しい思い出とかなんかあります。過酷な思い出もたくさんあるようですけれども、あの、撮影中も楽しかったんですけど、大変でしたけども、その、 ええ、 あの、撮影以外のね、そういう時間が監督の貴重なお話を聞かせてもらったり はいはいはい。 そういうのがやはり残ってるかなってありますけど。 はい。そしてクランクアップ。 まあ、それだけの過酷なあ、ことをやって最後どんな感情だったかって覚えてます?終わるっていう時に。 全く覚えてないです。 ええ、プロデューサーからプレゼントされたのも覚えてます?普通花束じゃないですか?花束じゃなかったの?東のプロデューサーがくれたものは覚えてます?宝くじ。 宝くじでしたっけ? ええ、そういう記録が残ってるんですよ。 へえ、 藤さんインタビューで鼻束と思ったら宝くじ切れて すごいびっくりした深さ組みたいな。 へえ。 ええ。あ、覚えてませんでした。 あ、やっぱり色々この 20年前だからね。ええ、そう。 で、あの、け太さんはそのプロデューサーとして客観としてなんかこうどんな思い出が 1番残ってますか? え、ま、あの、本当になんか死理の侍みたいなもんで仲間集め 42 人の生徒をとにかく最初東映にも協力していただけなかったもので、堀プロさんやいろんなとこに事務所直接出かけて皆さん 1人 1人をあの加崎事が選んでったっていうのが非常に印象深くんで 1 番最初に也君ときちゃんが出会えてでもあの [音楽] 1番メ を最初に決められたのが、え、すごくこう、その出会いが嬉しかった ことを覚えています。はい。 そうですか。 え、藤さん、今改めて振り返ってこの作品が藤浦さんにとってその俳優人生にとってどんな意味を持っていますか? いや、もうこうありきたりで申し訳ないですけど、もう宝物ですよね。それは あのずっと思います。やはり僕の中で、え、深作事さん監督というものは強く残ってますし うん。 え、冒頭と繰り返しになってしまいますけど、やはり、え、映画の楽しさ、大変さっていうのをその魅力を教えてくれたのも深作組だし、 え、深作組に、え、少しでもこう若い時に参加させてもらったことが、え、これからもきっと財産として残ってくんじゃないのかなと思いますし、あの、こったと思う、やはりあそ ここまでのね、才能のある方とは本当にもっともっとご一緒したくてしたかったっていう思いは残ってますけども。はい。 そうですか。そして健けさん、ま、親子の共同作業となりました。 脚婚が息子さん、そして監督がお父様とこの共同作業かがでした?深加作監督はどんなお父様でしたか? えっと、遅くの1人息子だったので親父が 42 歳の時可なのですごく可愛がられた記憶しか親子関係はないんですけれども現場に入ってから本当に初めて親子喧嘩をしたら止まんなくなりまして毎日喧嘩してましたね。 はい。え、 どんなことで喧嘩するんですか? いや、もう本当に予算やスケジュールや普通もう 2、3時間で終わるだろうって撮影を1 日かけるんですよね。あの、冒頭で達也や君のお父さんが自殺するシーンがあるんですけれども、 4 カットのはずが全然終わらないんですよ。狭い部屋の撮影で。で、何やってんのって覗きに行ったらトイレットペーパーに一生懸命周夜頑張れ、周夜頑張れって書いてて、あいうなんて言うかな、キャプ あれ大になかったんですよね。周夜頑張れって。 そう、突然そういうことを思いつくんですよね。 で、それがなんかある人間の凄まじさにつがっていくっていう、そういう即興が深君演出だった。 あれは健太頑張れって書いてるんだよってスタッフの人は思っててそうですよ。 いや、本当にもうあの辛い話ですけど撮影終わってくれるのが 1 番何よりのあれなんですけどね。本当に時間かかって朝から朝までやってました。 そうですか。ま、その作品をこれから皆さんにはご覧いただくわけでございます。え、そろそろお時間になりましたんでセッションに進みたいと思います。 今深監督のお写真ありがとうございます。 いいですね。ありがとうございます。 スタッフの方が持ってきてございました。 深事監督のお写真でございます。あ、拍手 ありがとうございます。 本当に今やもうレジェンドですからね。 ありがとうございます。さあ、それでは 最後のご挨拶に進みましょう。そのままお 写真はお持ちください。 の丸の首党へあと 12 日で閉ということですけれども、え、どんな思い思い出残ってらっしゃるのかまずは健太さんお願いします。 はい。え、本当にこの丸の人へ、え、初めてここの舞台に立たせていただきの頃からずっと上で親父が打ち合わせしてるのをあの待って漫画祭りを見たり思い出深い映画館です。 2階がこうやってあって、え、そしてね、 あの、大音量が響く、この天井が高い劇場 ってのも日本に最後、ここは最後 で亡くなってしまうのは本当にあの悲しい んですけれども、僕もまたこの風景を目に 焼きつけて、え、いつかまたね、あの、都 の皆さんとお仕事することができたらと 思っております。本当にあの、深崎近事も やっとあの、ここにいて、え、喜んでると 思います。本当に今日はどうもありがとう ございました。 け太さん、 25 年前バトロアの初日ここに監督と偵察に来たそうですね。 よくご存じ夜にそうなんですよ。親父が医療心配してあの車で一緒に来たんですよね。そしたらまた今日も同じ景色が見れてあれだったんですけど映画館の前にずらりと人が並んでいて 深夜 はい。 もうね、徹夜で並んでくださった方たがて、その横側を見た時の親父の顔が本当に忘れられず ああ。 はい。 え、豪快なさ監督もちょっと入りが心配で夜中に見に行こうなんていう気持ちになるんですか? そうなんですよね。すごくはい。でも皆さんのあの姿を見た時のあの笑顔というか泣き顔と言いますかね。それは本当にあのはい。うん。 何よりのあのプレゼントだったと思います。 そうですか。そして原さん。 はい。 丸ノ平館、え、どんな思いでいらっしゃいますか ね?非常に寂しいですけれども、あの、ま、僕らとしては、え、その思い出を残しつつもまた、え、新たな気持ちでね、新しい作品で皆様を喜ばせていけたらいいなと思ってますけど、 お客さんにメッセージお願いします。 はい。本当に、え、多くの方に集まっていただきましてありがとうございました。え、最後に監督と深加族監督とも会えたので非常に嬉しかったです。 え、バトルロアル久しぶりの上映になりますけれども、最後まで楽しんでってください。ありがとうございました。 ありがとうございました。以上でバトラブは終了でございます。藤原達也さん、深崎健太さんに大きな拍手お願いします。 ありがとうございました。深監督にも大きな拍手お願いします。 [拍手]

俳優の藤原竜也(43)、映画監督で脚本家の深作健作氏(52)が15日、東京・銀座の丸の内TOEIで行われた『さよなら丸の内TOEI』プロジェクトで上映された映画『バトル・ロワイアル』(2000)の舞台あいさつに登壇した。

映画『バトル・ロワイアル』は、BR法と呼ばれる教育改革法が可決され、無作為に選ばれた中学生が孤島で殺し合いを強いられる物語。理不尽な新法下の社会の混乱を描いたバイオレンスアクションの傑作で興行収入30億円を超えるヒット作品となった。大規模な生徒役オーディションを勝ち抜き主演の座を掴んだ藤原は、本作で第24回日本アカデミー賞の優秀主演男優賞と新人俳優賞の二冠、第43回ブルーリボン賞新人賞を獲得し、難度の高い役柄の演技を高く評価された。 また脚本の健太氏の父で本作監督の故・深作欣二監督からも、その才能を認められた。

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#藤原竜也 #深作健太 #バトルロワイアル

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  1. 0:00 藤原竜也&深作健太氏が登壇
    3:00 社会現象となった公開当時の心境や騒動について

    6:30 アクションシーンの撮影秘話
    8:52 深作欣二監督の演出について
    12:00 撮影現場でのエピソード
    13:45 ビートたけしとの撮影秘話
    14:37 ヒロイン・前田亜季との撮影秘話
    15:10 無人島での撮影エピソード
    17:15 深作欣二監督の破天荒エピソード
    19:00 クランクアップ時の思い出
    19:46 深作健太氏が印象的だった思い出
    20:25 藤原竜也にとって「バトロワ」はどんな作品?
    21:21 深作欣二監督の演出や撮影秘話
    22:45 フォトセッション
    23:24 丸の内TOEIの思い出&観客にメッセージ

  2. バトルロワイアルは我々にとっても
    宝物です、丸の内TOEIさん、本当に
    長い間ありがとうございました。

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