【特別対談】狩猟家・東出昌大 × 写真家・篠田岬輝 写真展「Portrait of 3/4 ounce」
これは命の話になるんですけれども、 やっぱりあらゆる動物が生きたがってるん です。絶対それは人間もそうだし。ただ 人間社会って時として自してしまう人がい て、その残酷差とかいびさっていうのは何 なんだろうって思う一方で、罠にかかった 動物たちも絶対に生きたがってるんです。 ですけれども、罠にかかってるから ちょっと取り行しって言われたら急いで車 飛ばしていくんですけれども、打って 止める命だったら早く解釈をしてあげない というのが武士の情げ的な心なのかなと 思ったり。でもその子たちは逃げたいん です。1分1秒でも生き流らえるために 逃げようとしてるんですけれども、例えば 箱の中に入ったイノシシが逃げようと ずっと箱穴にぶつかって、以前見た子は 鼻先が折れてたんです。もうそのままもし 逃げ出したとしても物を食べれないから 死んじゃうって分かってはいながらもそれ でもぶつかりに行くあの気持ちとか足が 複雑骨折のようになって解放してバッと骨 が見えてんのに離れようとしてる鹿とか 見ると早く止めないとってでもこの早く 止めるっていうのはエゴなのか何なのかと か 生きるってなそう傷ついてまでして行きた いって思ってるよ野生動物もいるのに方や 生きてる実感が分からないって悩んでる 人間がいてその命の重さ、命のキめき、 本物の意味での残酷とかっていうのは何な んだろう?日々考えますね。 自分の撮影スタイルとして同じ個体を ずっと追いかけて、ま、長いことを見 ながらその動物との距離を縮めていったり とか関係性を作っていくみたいなところを やっていて、で、その中で、ま、撮影して いく。で、そうしていくとこう相手にも命 がある、自分の命と同じであるみたいなも のってすごく頭では元々理解しているのに ある時こうふっとあ、本当の意味で相手と 自分の命が同じなんだみたいに腹落ちする タイミングがあって、で、それは相手の命 が相手の魂がすごく重く見える瞬間と相対 的に自分の命とか自分の魂みたいなものが こう軽く見える感覚があってそこでこうあ 、釣り合い が取れてるって思った瞬間が自分の中でありまして、それはこうずっと街の中で生きていて、全く自分の命とか魂に関しても考えたことがなかったから自分のこの命とか魂をこう重く見積もりすぎていった部分もあるし 逆にその動物の命は同じであると言われてるのにそれを軽視していた部分経してるつもりはなかったのにその軽く見ていたんだなっていうのにすごく気づいたところがありました。 私は命を借り取ることによって何か全然 ただね、東京で都市生活を送るだけでは たどり着けない何か本質的なものみたいな ものにもしかしたら近づけるかもっていう 気持ちがあったんだと思います。 みんな性格があって、それぞれ得意不得意 とかがあってで考えてそうすると余計獲物 を取れるようになるんです。残酷なようだ けど獲物を取れたるし同じように感謝の念 も開くんです。これは感じと思って感じる ものではなく心の内側から湧き起こって くるものだと思うのでそういう感謝の念は あって湧き起こった時にありがたいあ自分 も生きれててありがたいって思えてること が聖の実感に私はつがるし生きてる楽しみ なのかなと思うとそうするとどんどんその 1個体1個体の子たちに詳しくなりたいし でもね慈しみの心というかありがたいって 思ったから許されるかつったらきっと許し てはもらえないだろうなって思うような ことをやってんなと思いながら うーんだき ますと思って肉を食うんですけど 動物を撮影してるとどこまで行っても動物 と触れ合いないんだなっていうのがすごく 逆説的に分かったりしてその自分とは 100%分かり合えないものなのだろうと 。ただしどこかで通じてる部分があるのか もしれないっていうのが自分の中の救い みたいなところになっていて自分も生き物 の1つなのであるっていうところま先ほど おっしゃっていたその命を感じるみたいな ところにすごく近いのかなと思うんです けど 生き物に相対しないと自分の命の形が分 分からないとか自分の魂の形が分からないっていうのはすごく感じるところではあります。うん。うん。うん。自分がその大きなエコシステムの中で 1 つのただのピースなのっていうところを動物と一緒にいる中で感じてくると些細なことが気にならなくなるというか。 でも一方で動物を見てると動物ってすごく本能的に生きている部分もあってすごくそのわがままだし 自分の画を通そうとするし人間 が 隠そうとして隠しきれないみたいなところがなんか動物は隠さずに全面に出していてそれが見ていて気持ちいいなと思うこともあります。 うん。あるありますね。分かるわかる。 うん。 命っていうのはすごく科学的なもので 始まりがあって終わりがあってどういう ものであるっていうのが見えていて一方で 魂って手触りがなくてただ何かしらがそこ にあるように感じる動物と見つめ合う中 で、命と命っていう科学的なものだけではなくて魂があって初めてイコールになるみたいな感覚があるんですけど、 私は命っていうものはでっかいタイガのような何か本流みたいなのからふーっとちょっと子流みたいに出てきてるのが原世でまたこの本流に戻るのかなと思ったりします。 この本流には私は人間だけではなく あらゆる万物の命っていうのがこの本流で 一食端になってるからだから仏教思想の ように人間だけがリ廻転職するとかって いうことでもないしですがやはり おっしゃる通り こと切れる魂がふっとなくなる瞬間は動物 があるんです。ってまだもがき苦しんでて こう逃げようと中を足描いてる鹿の子でも もうもう致名症なのでもうもうこと切れ るって思うんです。その子をこうやって 引っ張ってる時は全然引っ張れるんです。 その子の目からふっと光がなくなって目が 遠くの銀河の色みたいな 青く 緑で泡く濁る曇るふってなった瞬間に 引っ張ってた手がいきなりおもってなるん です。魂が抜けたら、あ、もうこれ運べ ないわってよく死体は重いとか言うけど、 ま、それは1つに電気信号が全身を巡ら なくなったっていう、緊張が巡らなくなっ たっていうのは分かるんだけれども、あの 電気とか魂みたいなのっていうのはどっか に戻ってったのかなと 漠然と思います。 魂を感じた瞬間っていうのが僕はずっと 同じライオンの群れを追いかけていてで 本当に生まれて3ヶ月のタイミングから ずっと見ていたメスの1匹のライオンがい て、ま、群れの中の一等ではあるんです けど、その子がずっと大きくなっていって 5年ぐらい経った時にで、この子が自分に 関心を持ってるんじゃないかなっていうの はずっと感じていて、で、撮影をするため に彼女と同じ大地に立ってカメラを向けて ずっと見ていると彼女がこちらを見てで僕 と何秒間か見つめ合ったというか、ま、僕 のことをじっと見つめた後に僕のところに こうとこトコトコっと歩いてきてレンズの 匂いを嗅いでカメラの様子を確認して僕の 靴の匂いを嗅いでそのまま何事もなかった かのように群れの中に戻っていったんです ね。で、本当にもう僕のことを殺そうと 思えば全然殺せる。首に噛みついて2回 ぐらい振られたら僕のもう命はそこでお しまいなんですけど、そ、そうはせずに ただそこにいるだけだったその生き物と 生き物がお互いに分かり合えてはないかも しれないけれど、お互いに関心を持って 接したっていうその瞬間に何か相手の魂と 自分の魂が触れたような感覚があって、 それはただ単に生き物を目の前にしたって いうことよりもちょっと情緒的な彼女が こういうことを考えながらこっちに来て おそらくこうだっただなっていうのが通じ た気がする。そこの時にあ、魂 彼女にもあって、僕にもあって、それが 生きていく中で少しだけ接してで、また 離れていったんだなっていうその魂と魂の 触れ合いみたいなものを感じてすごくこう 自分の命とか自分の魂がその手触りを少し だけ感じることができた。うん。うん。 うん。というのがうん。私の中ではこう魂 を感じられたエピソードで 人間っていうのはものすごい弱いからこう やって服を着ないといけないしをしたし 色々な色々な発展の仕方をしたと思うん です。鉄砲だってそうですし けれども彼らラっていうのは裸一環で 生きれる強さがあるから野生界で生き残っ てきたし進化のそこまでの必要がなかった 。で、山で自然してる鹿とか見るとすごい 悪習なんですけれどもでもその悪習漂う ドロドロの何か人間が食べたら一発でうん 。本当にお腹下すどころじゃないような。 そういうフラン死体とかをたぬきも狐も熊 もわしもみんな食べたりしててああ胃が 強いんだなとかやっぱあいつら強いなって だから自分もいずれ山とかそこら辺で のれじんだ時に何か人間の思想的なこと だったり宗教的なことだったりで無理やり 仮想されるよりも土装になってゴキブりと かしムとか色々な衝動物とかに食べられた 方がまた最後自分も循環の中に入ってける し、あの強い奴らの一部になるんだったら それはそれで賑やかでいいかなとか思うと あらゆる動物がおっしゃる通りあらゆる 昆虫が本当に無駄なんてなくてみんな みんなをしてて 多様性でっていうのが腹に落ちたんだと 思います。この自然の中で死んで食われた いっていうのはすごい僕も分かって 死んだら絶対にライオンに食ってもらって ライオンって必ずその下腹部というか内臓 から食べていく本当に美味しいとこだけ 食べてで余ったところというかま硬くて あんまり美味しくない肉とかはハイエナと かジャッカルとかその他のまハゲわしとか が食べてで最後あのネズミとかも食べにき て虫も食べにきて完全になかった なるっていうその 自分の命が何かのこう輪の中にあ るっていうのはすごくこう今の社会の中で 救いだなと僕は思っていてそれがあるから 自分が生きていってもいいしその自分が 生きていってましてなくても生きて死ぬ だけで誰かの役に立てるなんてそれは すごく素敵なことだし本来そういうこと だったんだなっっていうのがすごく自分の 中では気持ちがなんか納得感があるところ ではあります。
魂の重さをテーマにした作品展「Portrait of 3/4 ounce」。
展示に合わせて、写真家・篠田岬輝が、俳優/狩猟家・東出昌大氏と特別対談を行いました。
カメラを通して命と向き合い続ける写真家・篠田岬輝が、狩猟というアプローチで命と向き合い続ける俳優/狩猟家・東出昌大氏と対談。
命と向き合うとはどういうことか、魂を感じる瞬間とは、そして私たちは命をどう考えたらいいのか。
答えの出ない問いを、ふたりで話しました。
写真展の案内はこちらから
https://personal.canon.jp/event/photographyexhibition/gallery/shinoda-portraits