『ボクらの時代』『_岩田剛典 × ディーン・フジオカ × 佐々木蔵之介』ディーン・フジオカ日本に帰ってきた理由..

前回僕あのモーリーロバートソンさんと 安藤た尾さんと3 人でやらせてもらったんですよ。 はい。ア藤さんと めっちゃ元気で 収録終わった瞬間にダッシュで帰っていきましたからね。 僕やもん ね。そう。 うん。 兄が俺建築学科やってで僕本当に演劇始めたきっかけというか はい。 うん。 大の東京の大学行って うん。 関西の大学に行ったんやけど 東京農だったんです。 神戸大学行ったんけど、その東京行たに兄がちょうど安藤尾さんが下町からだってから十郎さんの舞台の 作ってはったその時にあのすごいバブルやったから劇場を住田川に作ってはったのよ。 で、それ 見に行ったらつってもう初めて行ってなんじゃこれはっていうので演劇体験を初めてしたっていうそのアドさん それが出会いだったんですか? 大きな要ではあった。あ、聞くわ。 3 人が共演する映画スカビルケの犬ロック場版 部下の推理は0点だ。 え、なんで リーン藤岡さんと岩田高典さんの演じる名探偵コンビが何事件に挑む本格心理スリラーについてそれ。 [音楽] これが2019 年の月つドラマシャーロックをやってましたよ。よく実は聞かれるんです、インタビューで。なんで日本音出たんですかつって。 うん。1 つは、あ、花粉症が辛かったっていう。 そんな理由。そう、そう。 昔花粉症の薬ってそんなよくなかった。確かにたじゃない。うん。眠くなるだけっていう。 ま、普通それでは海外行かんけどな。それはすごいね。それで行くっていう行動力のその 1/4 はしんどいみたいな。だ、それがないとこ行きたいなと思って。 うん。 何歳? うん。 出たのは19の年ですね。はい。はい。え え。 もう本当簡単に言うと日本っていう国家に頼らないであのサバイブするゲームズってやってたからうん。え え、でもパスポートは、ま、変えようか何度か迷ったけど最終的には日本人で言ようと思ってそのままにして 何度か迷うと思った。 迷いましたね。うん。え、 自分の妻は日本人ではないので簡単に言えば、ま、配偶者っていうところから あの他の国籍をそうですね。 うん。得るってこともで、あの、スムーズにできるしはうん。うん。うん。 でも結局なんか生まれたのは福島だったから 311があった時に うん 自分はずっと なんだろうあもう世界中どこでも生きていけるみたいな うん 多分どっかでちょっとこうまおりみたいなのがあったけどうん その先に何があるんだろうみたいなのをま初めて うん 突き詰められてこう自分がやりたいって思ってることを自分を満たすためだけじゃなく 何かにつなげられることがもしかしたらできるのかも うん。知れないっていう。 うん。 ま、簡単に言うとそういう感じで日本で 仕事するようになった。 なるほど。震災が1つの 俺サバイバルなんて考えてなかったもん。どうやって進学してどうして就職してみたいなの。 [笑い] 確時は何勉強したんですか? 農学農学家が 行ったのはうちが 実家が酒屋やから はい。 ああ、 メーカーやから ちょ農学部出ようと思ってうん。 ああ、なるほど。 佐々木さんの実家は120 年以上の歴史を持つ作り居酒屋。一方岩田さんの実家も創業 100 年を超える川靴メーカー。それぞれ家業を継ぐという選択肢もあったのでしょうか。 [音楽] 演劇サークルに入っちゃったから。 うん。 ああ。 学校は行くけど授業は受けずに物質にいてるみたいな。 ああ、 学校は行くけど物質に行くみたいな方が多かったかな。 え、でも大学の時はもうその将来はもう普通に家業 うん。うん。うん。 というのも決めて うん。メーカーやからちょっと代理店行こうっつって大理店行ってはい。 え、その切り替わったきっかけはなんですよ。そのこれで食ってこうとかこれこれだと全て実家を継ぐためにずっと進めていきた。 [笑い] で、その間劇団はえっとやってたんだけど [音楽] 東京の劇団から やりませんかと。 うん。 いや、僕やりませんと会社もありますって言っても うん。 あまりにもずっと言うてきんね。 うん。 うん。 で、今までそういうのは断ってきたけど、初めてちょっとその時初めてずっと断ってたけど迷ったんだよな。その推しが強くて。 うん。 それは未だにわからへんだな。 これを断ったらこの先もずっと断っていくのんであってそれでいいのかな?この芝居に関わったのにと思ってで終わらせたくはなかったんだよね。なんかね。 うん。 それだけで続けたかったというよりも終わらせたくなかっ うん。うん。 って言ったらあ、家やってやるんかと。 うん。2 年半からおやってやるんか?いや、あの芝居やるって。 鳩が豆鉄砲を食らったようにどっからそんな発想がみたいな感じで うん。 ガンちゃんもさ、家業みたいなものは意識してた。そう。家業は僕はね、あの次男だったんですよ。なんで長男が、え、結局今ついでるんですけど、 小学校の時の社会化見学みたいなので うちの工場に行ったりとか。 へえ。 あ、同級生とみんなで一緒にガンちゃんの家の工場民さ。 そう。面白いね、それ。 はい。もう高校卒業するぐらいから ずっと、 ま、ストリートダンスと出会って うん。うん。 へえ。 そうなんです。あの、深夜のダンス番組が、え、すごくこう、若者の中で流行った時期があってうん。うん。 で、ちょうどダパンプさんとかもそこの MC でやられてた時期だったんですけど、だからもう本当に朝から晩までずっとダンスをやってたんですよね。大学時代。うん。 その時は将来何なるっていう過業とかは考えて。 もう何も考えてなくて学校に申し訳ないぐらいダンスをしてた記憶しかないぐらい 打ち込んでたんですよ。本当にひどい。真面目に 日本の大学でそんなもんかもしれないけどね。 本当にどういうきっかけだったの?この業界 でもなんかやっぱり就職活動が あのま、1 つ天気というかなんとか泣い手をいただいた企業も うん。 ありまして、で、ま、無事に親にも報告でき、 本当にこの業界に入ったのは晴点の壁歴というか うん。 あの、ま、その当時の僕深夜にパフォーマンスしてたグループの一員というか先輩が うん。 同じ事務所の、しかも同じサンダー MJS ソールラザーズのリーダーの小林直樹っていう へえ 人間だった。 あ、そうなんだ。あ、 で、テレビ番組にこうかけてもらって、ボーカル&ダンスユニットみたいなの作ろうみたいな僕さよければ うん。 あの、推薦したいみたいなこと言われて うん。 それだけやったら大学4 年の最後やったら思い出にもなるしね。就職はできるよね。 そう、そう。変なやらしい、ま、やらしい話なんですけど、泣いて持ったまんま。 うん。乗ったまんまね、 オーディションを受けたんですよ。 で、気づいたらその候補者が本当になんかあの数えるぐらいになっていってて ちょっと待てこれみたいな 内ろたままやぞと。 はい。 で、ま、それを経て割とそんな発表しますみたいなテンションでもなく うん。 あの新メンバー決まりましたみたいな うん。 ことを会長から言われてで、名前を読み上げてもらってそこでもう一気になんか張り詰めた。張り詰めてたんでしょうね。 だからもその当時は やっぱりこう どうするこの将来どうするとかまだ落ちた後のことも考えたりしてましたしだからなんかそういうテンションで発表されたのにも関わらずもう豪ししまって うん もうちょっとこうお越えというかなんかもうちょっとこう同機が止まらないみたいな感じのうんうんうん うん感情になってしまってですぐその場で電話してあの母親に うん 言ってなかったんだけどみたいな ううん。お母さんいきなりそれや。 全然いきなりて いやなんかえ、泣いてわみたいな。 なるほど 感じなって。 いや、なんかちょっと夢追いますみたいな。何のために中学受験させたと思ってんのってすごい言われて やっぱこういろんなことも含めて小学校から親的にプランを立てて多分だと思うんですよね。 わかる? 俺も何のために 大学もっぺ向受け直して何のために就職してん。 のために学費払ってそう費払ってんねって言われよね。 そう。いや、でも脇目も振らず 33 年間ぐらいずっと朝からば聞いてたらずっとダンスやってたから そこなんだよな。 はい。 継続してたから。 心のどこかではやっぱり ダンスで飯が食えたら1 番いいのになっていうのを思ってて。あ、 それがあったんだね。 当時はもう本当に有名な日本の例えば紅白疑に出てるようなアーティストさんのツアーに同行するとかじゃない限りは食っていけない。生活できないっていうのを守備ビアなうん [音楽] 業界だったんでやっぱ選択肢として残り得なかったんですよね。 だ自分が親としてもそんな選択おかしいと思うやん。 客観的に見てね。 はい。そうです。 なんか、ま、その賢さみたいなものを超える何かが あるんでしょうね。 人間生きてくれ。うん。 そうね。 うん。 メーター振り切っちゃう瞬間があるんですよね。なんかどっかでね。え え。 乗り物に乗ってるのも好きってことですか?飛行上にいてるだけで盛り上がる。 外国人の方とダンスバトルとか。 でもなんかそれ今話すと本当よくさわれなかった。何言われて 普段は表部隊に立つ 3 人ですがクリエイティブな部分にも挑戦しています。 ディンさんは映画を企画プロデュース。佐々木さんは舞台をプロデュース。そして岩田さんはソロプロジェクトをプロデュースする一方。実家の業である川靴ブランドのクリエイティブディレクターとしても活躍しています。 [音楽] 今さ、そのコラボとか してるわけじゃない。 靴っていうものはずっと自分の中ではい。うー。なんかそれもでもこう色々あったというかやっぱコロナ禍だったりとかして うん。うん。 こう、現実的にこうやっぱ川靴のビジネスってすごい日本の中だってやっぱ日致な世界で やっぱこう主流がスニーカーだってするんですよね。そんなにこうきっちり革靴を履いてオフィスに行ったりとかする仕事の方が実はます。 最近はね、 昔は靴入ってたけどね。 でもそれってでもま、ダメージはやっぱりあって、その全体的な業界としてのうん。 うん。 なんかできないかなっていうのは いや、びっくりしたよ。 だからあれを知った時にさ うん。うん。 やっぱガんちゃんいろんなことをトライしてる中で、 あ、はい。 そっちもやるんだと思って両親共に喜んでくれたんで、 そこはすごく良かったですけど。 うん。 はい。 一ぺは離れたと思ったけど、そういうところに そうです。もうあの不良息子だってずっと言われてる僕はお前なんて知らんと言われてるんで。 [笑い] だから俺も最初朝ドラに出た時に出演させていただいた時に はい。10月から3 月までの間のクールやったんで はい。 お生母があるやん。そのお生母の時期に麻の ま、オーリーって言うんだけどオードリーのお酒を 作ったのよ。 うん。 朝のそれなりに揺れて うん。 佐始まって以来のヒット商品になってそれ俺貢献 [音楽] [音楽] やっと認めてもろたと役者にもやっと認めてもうたと。え、 くさん広告代理店に務められてたんですよね。この仕事始める前。 [音楽] うん。うん。 広告代理店行った理由はうちがメーカーなので はい。 売る方法を見つけようと考えたね。 へえ。 ま、新聞ラジオ雑誌テレビっていう風なイベントとか使える。 このツールを使ったら、えっと、うちのお酒も売れるんじゃないだろうか。そこ勉強しようと思ってこれてなるほど。 だから、ま、そん時はそんな感じで見てたけど、 むしろやめて 今自分がこの表現者の立場となった時に はい。 代理店さんの動きはすっごいわかる。あ、 これちょっとクライアントに寄せすぎなんじゃうとか。 どれぐらい何パンのマジ取ってんだとかなんかいろんなものがすごいわかるようなですよね。 自分もあの、例えばじゃ、映画の監督とか 企画とかプロデュースとかやってみて、え え、もちろん経験はあの、そんな多いわけではないですけど、 1 回のその仕組みっていうかメガニズムを知ってるから やっぱ味方がちょっと変わったなっていうのがあって、多分すごくそれに近いんじゃないかなって。 うん。 実どうこう実際プロデュースしてそこで自分が求められてることは何なのかっていうのが明確になって いい意味であの こだわらなくなったし観で見れることによってやっぱり 通してもいいことはないと うんこはあと そうですね思われてたんだみたいな現場からは言 [笑い] れる立場じゃないぞその立場は違うやろとか違う部職セクションがあるんだ ええ、余計なことにだいぶエネルギーと時間使ってたなみたいな。 なるほどね。ああ、 クさんもプロデュースされてるじゃないですか、舞台。 ああ、 何かやっぱ始めてから始める前と後で変化ってありました? 客観的に見るようになったね。 うん。 やっぱりお金のこともあるし。 うん。 なんて言うの?物販とかもすごい大事やん。大事やんていうのもあけど。 はい。いや、本当に 工業工業としては だ芝居終わった後にもっぺん 物販用のなんかをやったりとかイベント考えてお金を回していかないとあかんなとかそんなことすごい考えた。い や、わかる だってすごいずっとそんな話ばっかマネージャーとずっとそんな話ばっかしてますもん。僕も車の中とかで [音楽] うん。 ありがみが分かる。そうね。 そう、 本当に 岩田さんと佐々木さんは旅行が趣味という共通点もあります。実はウクライナも佐々木さんの思い出の場所の [音楽] 1 つだったそうです。クさんはウクライに行かれた?行った。 どうでした? いつ頃だったんですか?それって いや、もうクリミアのあれは進化あった後なんですけど、キフま、今で言うね。に は行きました。独立広場の前にある クラホテル。 よく今でも映像に出るけど、そのホテルに止まって、個人旅で行ったんやけどね。 本当に行ってみたかったから。 1つ興味深かったのがその時チェルノ V リツアーとかみたいなのもあったんだよね。 うん。 そういう原発の狩料感みたいなものがあって、町には全然英語表記ないけど、そのそこ入ったら急に日本語 うん。 が入ってくのよ。え、何かって言うと、 シェルノ部入理と福島がほぼ同列で書かれてる。びっくりした。 うん。 あ、世界的にはこういうことなんだな。福島もっていう風に思って。 うん。そうですね。 で、ま、色々キ由のところ色々待ち見てるから今ちょっとね映像で見るのは一言ではないんですけども、 ま、そういうことを言うことではないのかな。ま、ま、旅行が好きやという。 僕もあの好きなボクサーがウクライナ出身だったからつか行ってみたいなと思ってたんですけど ロマチェンコっていう選手 ロマチェンコ大好きです。 かっこいいよね。こい うん。マジロマチんコ 旅行が好きなのは好きっていうのは自分が変わらないから うん。 環境変えたら うん。うん。 なんか なんかなるかなと。うん。 例え休家にてあ、夜まであ、夕方もうせまやったの嫌やからちょっとでも外に出ていこうみたいな感じで に2日3日あったらアジア行こうとか1 週間あったらちょっとヨーロッパ行こうかなみたいな感じで すごくよくやってたね。 どの国でもどの旅先でも楽しめるってことですよね。 そうね。さん こっち北手の時は最初北手の時はお金ないからとりあえず新宿まで行って どのバス乗るあ、どの高速バス乗るかみたいな。 うん。うん。 乗り物に乗ってるのも好きってことですか? 好きやね。 飛行場にいてるだけで盛り上がる。 何国ぐらい? 何過国やろね。だから前数えた 42やったけど、その後も言ってるから。 うん。 ああ、 ちょっとわからないんだけど。 旅人ですね。完全に安いの。 だから旅行ったら絶対思い通りにならない。自分の今までの価値観とは違うことになる。例えばご飯注文しようと思っても食べろくないわけで、めっちゃ大きいできて うん。 なんでご飯に牛乳かけたりにこんなことすんねんみたいな。こんなん頼んでなかったけど食べるかみたいなんが 笑える。 うん。 荷物届かなかったりするのはもうね ハプニングだわけですよね。 ハプニングしかない。ハプニングしかない。そういう失敗が面白いのかなとは思ってる。日本じゃそういうことはないし。 うん。ああ。 ま、でもインプットには間違いないですよね。と思います。なんかその環境変えるって意味で言うと ガンちゃんは なんか僕そんななんて言うんですかね。 結構、ま、好きなものがはっきりしてて うん。うん。 すごい大学の時ダンスを突き詰めてたんで、 1人であのハーレムに行って うん。 外国人の方とダンスバトルとか サークル組んでやったりとかしてたんですよ。 でもなんかそれ今話すと本当よくさわれなかったね。に言われて [笑い] 目に入ってくるものが 好きなカルチャーしかないんですよね。 そのタギング、あの、なんかその壁にあのスプレーでわーっとこうデザインが、ま、あれもあるし、ヒップホップ的な文化だったりとかするんですけど、なんかちょっとこう足伸ばせば あ、全然体験できんだなっていうのが好きで うん。 あ、じゃ、地図見ないでプラプラするとかあんまりリサーチめっちゃして あ、なるほどなるほど。 はい。 だからなんかそのクラさんのそのいろんな国に行って開けて何が出るかなみたいな楽しみ方はまだしたことないかもしんないですね。 変なとこ行きたいなって思って ちょっと風来棒的なとこだね。 だからなんかすごくコロナ禍になってだからクラさんとすごいストレスあるだろうなと思って逆に ねどこも行けな そうですよね。 うん。 それだけ旅が好きだったら そんなんね。 例えずっとダンスやってて、ずっと芝居やってて、でも今の大学生はうん。 活動がないのかな?あんの授業にもこれでしょ? そうですね。モチベーションが大学生でも僕らって一緒にしてあるけど勉強してなかったけど、 今の大学生って これも授業もこれやし、そういうのもなかったら [音楽] 何に興味持って そうそうそう。 進めばいいかわからないです。 そうだね。 大学の時に将来何になるかって決まってたような気がしてた。勝手に。確かに。 そう。メタバースで会おうみたいな感じなんですかね。あのメタバースで会おう。ゲーム 仮想空間で いやだから子供たちが自分たちでプログラミングしてゲーム作ってんのとか 見た時 びっくりしました。 ああ。 お互いが作ったゲームに招待し合って遊んでるっていうのも まの当たりにして うん。 あ、こうやって世代交代って行われていくんだなっていう。これ下手ね。 普通にだって 45歳で絵文字を送ったりとか うん。 うん。 写真撮って自撮り送ったりとか 確かに その年でもできんのっていう。うん。 5年10年先の 親考えてくれたのポイって捨てるみたいな。 あのきっとされるだろうなとか思うけどで考えちゃうね。それこそあの 教育のことだったりとか うん。 どこに 住むとかもかかってくるし。 ま、家族は絶対近くに一緒にいた方がいいと思うけど。 うん。うん。 コロナの間やることがないから 1人で散歩はしてたね。 歩くの気持ちいいですよね。 歩く気持ちいいね。 うん。 別に1時間2時間歩くことが普通になって うん。あ、なるほど。 うん。 その時にあ、ここにこんな店があるんだ。地図。 うん。 うん。見て普段車で過ごしてるところを歩いてみたりとかして家帰ったりしてた。 うん。なんかこう人生をもう1 回考え直したりとかするいい機会なのかなとかすごい考えちゃって うん。 だからそっから始めた趣味を実は今も続けてて ほう。 え、 え、え、書いてて やっぱあのタイミングだったんだ。 そうですね。なんかもうなんてですかね。 言っても立ってもいいられないというか、やることがあまりもなさすぎるのと映像作品 それこそ Netflix とかもあん時にバーンとこ多分日本でも流行ったと思うんですけどなんかあれを見るだけの生活がくで結構 うん 昔書いてえ好きだったから やってみようかなと思って注文して うん なんとなくやり始めたことが今未だに うん それはすごい良かったですけど 何してましたかいさん ひたすら書いてた。 書いてた。脚本とか企画書いたりとか曲作ったりとか うん。 それでももし時間余ったら本溜まってた本 あるじゃない?山積みになってるような本 読もうともさとか1 個ずつ読んでってうん。 いや、なんかその時に確かに読む習慣、読むリズムみたいなのができたのかもしれない。 うん。今も あの本 あ、くせづいて うん。 昔に比べると読むようになったから、それがやっぱりその時に作ってたもの書く作業にも直接的に間違いなくプラスになったし うん。 うん。エンタめに携わってて本当なんかすご考え込んじゃって自分なんか意味あんのかなみたいな ニュースとか見ててもなんかもうそのエタ目の出るマクじゃないっていうかそれどこじゃねえみたいな雰囲気になっちゃった時にすごく僕はなんか自分の存在意義とかすごい考えたんですけど でもなんかライブが始まってちょっと自信を取り戻したというかある種あっててくれてたんだっていうあいていいんだみたいな なんかそっちうはすごくありがみを感じて うん。 ライブやるって本当大変なんだなと思うよね。 確かにあれね。 はい。ま、エンタ目としては映像では見れる。そこはみんな家で見てるんだから。それはいだけど自分がうん。 現在立ってそこに集まるってことがダメだってことじゃん。 まあまそうですね。 別に見に来てくださいって言えない。 うん。言えない感じという。見 にでもその時に立ってあ、待っててくれたんだ。なんか力、お互いが力になったんだっていうのはすごくわかる。 うん。うん。うん。うん。うん。 僕も人数減らしてお客さんがあの満席の時の感覚得られるんだろうか。どうなんだろうな。要するに拍手も何もカーテンもしないとかどうなるんだろうなと思ったけど ちゃんとそこは通じるんだなっていうことに うん。 ああ、信じていいんだから感謝した。ありがたいなって思ったね。なんかね。 はい。はい。僕すごい感動感動したんですよね。なんかあのマスク越しなんですけど うん。もう目だ。目がみんなこううるう です。 [音楽]

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