「お酒のメニューが置いてあるだけでも嫌だった」 アイドルから起業家に転身、髙橋優斗の「臆病」ゆえの大胆さ

僕めちゃくちゃ臆病な人間なんです。横浜 に拠点を置く企業家の高橋優さん25は 自身の性格についてそう分析する。 2024年にアイドルから企業家に停。今 最も注目を集める若手企業家の1人として 横浜のお土産業界に新たな風を巻き起こし ている高橋さんの企業家としての挑戦を 聞いた。全2回の2回目全編から続く写真 。真剣なマ差しで事業について語る高橋 裕トさん。全8枚アスタリスク アスタリスクアスタリスク昨年10月に 芸能事務所対処されてスタートアップ企業 家として横浜バニラ株式会社現在を設立し ました。最初に企業を意識したのはいつ頃 ですか?芸能の世界ではありがたいことに 仕事もいただけて一生懸命取り組むことも できていました。ただ注目されやすい分 いろんなことが目に入ってくる環境でも ありました。1819 歳くらいの時に漠然と自分のセカンド キャリアについて考えるようになりました 。自分の生きていく力をつけるにはどう すればいいか考える中でアイドル活動を やり切った後は自分の組織で自分の責任の 中で挑戦したいと思うようになりました。 そう考えるようになるまでに憧れる存在や 各ビジョンはありましたか?もちろん芸能 の世界で尊敬する方はいましたが企業家の 中で具体的な憧れの存在がいたわけでは ないように思います。ただ企業の持つ厚み というか、何があっても乗り越えていく 力強さに憧れがありました。企業家の先輩 と話をすると下してきた決断の回数に圧倒 されます。目標に向けて道筋をつけ、戦略 を立てていく。その積み重ねがあるから こそ自信に溢れているんだろうなとも感じ ました。ここで培った力というのは場所が 変わっても生かすことができるはずだし、 そんな姿に憧れました。看板商品の 塩バニラフィナンシェが12時間で販売さ れたフィナンシェの最多個数レギネスに 登録されるなどヒットしています。お土産 業界で起業することにしたのはどうして ですか?どこかに軸足を置いて人生をかけ られる挑戦をしたかったんです。前の仕事 で他ではできない経験をさせていただけた からこそ次の選択でもしっかり腹落ちした ものに取り組みたいと考えました。僕は 横浜で生まれて15歳までこの町で過ごし ました。横浜は家族や友達との温かい 思い出が詰まった大切な場所です。大変 だった時期も地元への思いが自分を支えて くれていたことに改めて気づいてまずは 横浜という場所に軸足を置きたいと考え ました。 ます。

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