中野浩一 阿部和香子VS橋本聖子 について解説 1992年

そして、え、今日はゲストに先日インター発表されたミスター競リ中野浩司さんにお越しいただいております。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。 中野さん、あの、引退発表されてまだまないんですけども、現在のお気持ちはいかがですか? はい。うん。まあ、なんか オリンピック予選が行われています。え、中野さんも取材にも早速取材者としていらっしゃっ取材というにきました。 はい。え、まずはその模様をご覧いただきましょう。 [音楽] 3000m追い抜き決勝。 橋本子に対するのはこの種目の第 [音楽] 1 任者で日本記録保持者の安倍若子選手です。 元々スケート選手だった安倍が自転車に取り組んだのは 12年前の中学校の頃。 一時期全くタイムが上がらず名前が聞かれなくなったこともありましたが再びい上がってきました。様々な意見が飛び交う橋本のオリンピック先行出場について彼女はこう語ります。 やっぱり4年に1 度だけとかっていうなると傷つく人も嬉しい。彼女自身もすごく大変だと思うし、安倍には第 [音楽] 1 任者としての意持。クライマックスを前に高まるプレッシャー。予選を順頭に勝ち上がりはしますが、しかしなぜかタイムが全く伸びません。 3000m追い抜き競争は2 名の選手がホームストレートとバックスに分れてスタートする、え、駆き引きなしのトラック競技です。 [拍手] ゆっくりとスタートした安倍に対し一気に加速する橋本。安倍は前半押さえ気味にレースを組み立てます。 休まず攻め続ける橋本。 2 人の差はどんどん広がり、橋本の姿が安倍の背後に迫ってきます。 [音楽] 残り3 周。安倍のペースは全く上がりません。 あと1 橋本子の圧勝。 安倍は実に10 秒近くの差をつけられ破れました。思い起こせば [拍手] 4 年前のオリンピック戦。当時のスプリントの第 [音楽] 1 任者鈴木子が橋本の挑戦を受けてそして破れました。知らなかったです。 [拍手] どんなにあの一流の選手がどんな力を持っ てて、ま、私の経験不足っていうか、ま、 そういうところに置かれたことがなかった ですからね。あの時は本当にいいお勉強に なりました。つまり競技人口が少なく、 チャンピオンの彼女にとって自分を 脅やかすライバルが同じ競技選手の中に 1人もいなかったわけです。競議会が 少なく練習できる環境が整わないために 新しい選手が育ちにくいのです。そして4 年後の今年その状況は全く変わっていません。 4 年前の鈴木もそして安倍も橋本に勝つことはできませんでした。今年も女子自転車競技が 1人の選手によって破っていうのは うん。 どうですか、中野さん、やっぱりこう、あの、ずっと自転車をやってきた彼女たちが、あ、さんは初めとした選手たちがやっぱりスケットからやってきた橋本さんに破れる。これはやっぱ相当複雑な。 うん。いや、僕は仕方ないと思いますよ。 仕方ない。ま、 はい。あの、先ほど鈴木さんも言ってましたけどね。要するにもう胃の中の川ずなんですよ。 うん。 だから本当にね、世界のレベルも本人たちは、ま、世界選手権なんか一応参加させていただいて見てるはずなんですよね。 だからそれに近い人が日本に他でこう育ってきてその一緒にやってもねおかしくないんですよね。ま、橋本さんの場合はそのスケートレ世界でもう一流ですからそこそこの筋力っていうのを持ってて で、それをうまく自転車に使えるか使えないかっていうのが、ま、彼女の場合勝負だと思うんですよ。で、それがやっぱり彼女、ま、結構 4年前も、ま、今年もうまくできたと ですから当然タイムも出て当たり前だしで、ただ長く乗ってるからいいっていうもんじゃない。 だから、あの、彼女たちは、あの、ま、ずっと自転車をやってた人は、あの、トップだから、今の日本の自転車会でトップだからって、ま、他に強いのがいないからってやっぱり安心して練習してたんじゃないかなと、暗関としてた部分があるんじゃないかなと思うんですよね。 走るのを、え、やめます。 昭和51 年新人王を獲得。その輝かしい経歴の第 1歩を踏生み出した中野光一。 [音楽] 少年時代父親の職業が競輪選手だったことを人に言えなかった中野は自分の力で自転車レースを世間に認めさせようという夢を抱いた。 平輪をスポーツに。その思いが中野の 17年間の先週生活を支えた。 世界の頂点に10 年間臨するという他のスポーツでも累を見ない禁事を打ち立てスポーツとしての自転車を政権に認知させた。 [音楽] 今年は始め引退がさやかれながらも中野はコメントを避け並以上の練習を重ねた。 やめることを前提に、え、レースに出ることは、え、許されないと不安の方に対して非常に失礼じゃないかと。 とにかく高松の宮まで、え、一生懸命編集して、え、勝っても負けたもという気持ちで、え、先日の、え、宮早まで頑張ってきました。 琵琶湖高松の宮杯。その栄光に満ちたレース人生の中で唯一優勝していない大会。グランドスラム達成のため挑んだ最後のレース。 [音楽] [拍手] [音楽] 絶調機を彷彿とさせる大からの捲くり 1発。 [拍手] わずかに届かず 2位に終わった。 僕が世界選手権のあの初めて、え、優勝し た時、え、その時は、え、取材の方が、え 、3人とか4人とか、え、ちょっと いらっしゃっただけでしたけども、え、 17年かかりまして、え、 [音楽] え、これだけ皆さんに集まっていただける ようになりまし [音楽] それが1番嬉しいです。さん、あの、ま、 17 年間本当に色々あったと思うんですけれども ご苦労様です。 様でした。 あの、高松杯が、ま、最後になったんですけれども、最後レース前ですね。 どんなこと思われたですか? いや、あの、あん時も答えたんですけども、あの、なんかね、やっぱりそのこれで終わりだなと思うと、昔のことずっとこう相のように頭の中がよぎっていうような風に思ってたんですよ。 [音楽] 真っ白なんです、頭の中。うん。あ、そう。 はい。何にも考えなかったです。 で、あの、ま、レースっていうのはですね、色々、ま、調整方法があると思うんですけど、例えばその、あの日のレースの前になんか特別なことをしたとか いや、もう普段同いの練習を一生懸命やったっていう。 例えばあの競輪の場合ですね、レースの前にお酒飲んだりとかなんかそういうこと? え、あの僕はね、あの、ま、要するにお酒は行けないとかあのレースの前飲まないんじゃないですかっていう風に言われるんですけど、ま、ほとんど毎日飲みますんでね。ま、晩酌程度にこうお家でも飲みますね。で、それと同じようにあのレースの前日もあの飲むんですね。ま、量としては多少減るかもしれませんが。はい。 え、なんでかって言うと、その練習、次の日練習がありますよね。 その時前の日酒飲んで軽く飲んで練習やって一生懸命やってその練習の成果を試合で出そうとしてるわけですよね。ということは普段通りの生活をしないした方がいいんじゃないかなっていう。 同じペースで食べるものも飲むものも出ないと特別なことを特別だっていう風にレースがあの自分で考えるだけでプレッシャーがかかったり そのなんか体が言うこと引かなくなったりっていうことがあるんじゃないかなと思うんですよね。 うん。 なるべく普通り普段通りやろうっという うん。 ま、気持ちのいいですね。 考え方としてはそうだと思うんですけど、 あの、地元クルメでのあの、ラストランの時はどんなご気分でした? いや、もうあの時恥ずかしくてたですね。なんか 恥ずかしかったです。 恥ずかしかったですね。なんか、 あの、まさかね、あの、地元の不安の前でもう 2 回目だしね、あの、引退会見の時ちょっと泣くそなったし、 もう大丈夫だなと思って で、平気なつもいだったんですけどね、結構やっぱ知ってる人がたくさんいるんですよね、スタンドに。 うん。うん。お父様とお母様。 いろんな。え、ま、いろんな声かけられたり うん。やっぱしますとね。 うん。 どうしてもなんかこう込み上げてくるというかなんですか自分が涙も脆ろい人間だとは思われてます。 あの年取ってきてね、だんだんねくなりましたね。 うん。あの会の時も涙が出ると思わなかったですか? そう全然思ってなかったですよ。僕割とあの平気な人間だと思ってましたから自分では。うん。 それだけ思いものがやっぱり割りだったんですよね。ずっとね。やっぱりあの年ったんですね。やっぱその辺がね。なんかうん。 さんでもね、あのでもねっておかしいんですけど、僕らあの 2 作だったじゃないですか。 最後のレースでも勝ったかっていうその微妙なじゃないですか?そうとにとってはまだやれるって絶対思うと思うんですけどこの辺とこ いやもうやっぱりね、あのそこで例えば大体もう決めてやったでしょ、練習を。でもこれで最後だと思ってもう目いっ杯いやったっていう気持ちはあるわけです。で、まだやれそうだからまだやったらって言われてはい。そうですかって言ってじゃそれと同じ練習が毎回できればいいんですね。 あの、例えば次のレースに最後だからていう気持ちでそんだけ練習ができればいいですけど、できないってことはそれだけの結果を残せないと思うんですよ。 ああ、じゃあつですね、中野さんやめようと思われたんですか? うん。大体か本当本当に決めたのは今年になって 3月ぐらいですけどね。 それはどういうきっかけだったんですか? ま、あの、昨年からずっともうそういう話がありましてね。で、地元のレースで、ま、一生懸命やったけど勝てなかった。 [音楽] で、それから、ま、レース走るたびにその前を抜けないっていうのが 1 番なん、自分ではね、あの、絶対後ろに前に 1 人いたやつはもう絶対抜けると思ってたんですよ。 ああ、1 人だけは何があっても抜けると思ったんですよ。 とから抜けなくなってきたんですよ、それが。てことは 1 着を取るってのがだんだん苦しくなってきたんですね。最低条件でしょ。 1着を取るのに前の人を1 人抜くっていうのは。 それがま、中野さんのプライドって そうですね。うん。 あの、今の話に戻りますが、練習やめられても 1週間ぐらいですか? そうですね。もう10 日ぐらいになんですね。はい。 はい。例えばモがもう少し細くなって。 いや、わからないです。 まだわかんないですか?少し、 この辺の筋肉があれ、ピクピクピクピクするんですよね。なんか まだ練習したかったり。 ま、どうなんでしょうね。 うん。 使わなくなったからですか。 例えばお友達の江川さんとか千富士さんとかもう早く引退なさってますから、そういう引退話は一緒になさったことあったんです。 いや、ま、たまたまあのゴミ君のパーティーかなんかで、 [音楽] あのスポーツは引退あるけど、あの歌手とあの倉本に ゴルファは引退なくていいねっていう話は去年したんですけどね。 ああ、なるほどね。うん。ま、あの、まくりの中野と 言われたです。これからの人生、長い人生、まだまだ大いにまくってまくって そうですね。 お元気で 早速この後明日ですか? スイスの はい。あのロードレースがありますんで、 あ、ちょっと勉強しに行こうかなと。 お元気で行ってらしてください。どうも。はい。まだまだいてもらんで、え、コマーシャルなもまたしてきます。 [音楽] [音楽]

1992年中野浩一後初の公の仕事、さすが中野浩一的確に評論

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