1989年7月:近藤真彦さん宅で自殺未遂を起こした中森明菜さん。
近藤真彦さんの自宅マンションの浴室で、血を流し倒れているところを、帰宅した近藤さんに発見されます。近藤さんによると、中森明菜さんは、ごめんなさい、と、泣きじゃくるばかりだったそう
左ひじの内側を真一文字に切った傷は、血管や神経が切れる重傷で、手術は6時間も要したという(東京慈恵会医科大にて手術)
当時、中森明菜さんは、近藤真彦さんと交際&同棲しており、結婚を意識し、マイホームの土地購入費用の8000万円を近藤さんに預けていたとも言われていた
そんな中での自殺未遂には、連日メディアの報道が続いた。
自殺未遂騒動後、初めて公の場に姿を表した中森さんは、近藤さん同席のもと会見を開かれた
マスコミが会見会場に集まると、金屏風が用意されてあり、しかも近藤さんも同席。
「なぜ、そこに金屏風があったのか」
誰しもが不可思議に思った。
「金屏風」といえば、結婚式や婚約式に使われるお目出たい演出の背景だった。
近藤真彦との仲をあきらめようとしない中森明菜さんに、「マッチとの婚約会見をするので出てきてほしい」と呼び出し(そのための金屏風)、いざ、中森さんが会場に到着すると、「近藤は関係なかったと言いなさい」と、謝罪会見をさせた、と言われていたとの噂が永年に渡り、消えません。
中森明菜さんはメリーさんの話を信じ、その後、「研音」を辞めた。
当時、近藤真彦(マッチ)の担当だった「小杉理宇造」さんと中森明菜は、彼女の個人事務所「コレクション」を設立している
しかし、謝罪会見の後、本格的な活動をしないうちに「小杉里宇造」さんは降ろされ、ひとりになった中森さんはしばらく事務所がなく、活動が出来なかったと言われている。
※小杉理宇造は、ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役でを経て、現在、山下達郎さんの所属事務所「スマイルカンパニー」の代表と言われている。
一方、恋人の中森明菜が自分の自宅で自殺未遂を起こしながら、謝罪会見では、まるで関係ない風を装うなど、世間に冷たい印象を与えた近藤真彦(マッチ・当時、ジャニーズ事務所所属)。
一連の騒動の後の、初のコンサートで、
「彼女を俺は救ってやれなくて・・あんな事に・・」
と、涙して見せた
1981年
16歳の時、オーディション番組「スター誕生!」で史上最高得点となる392点を獲得して芸能界入りすると、以降、次々とヒットを飛ばし、瞬く間にトップアイドルの座に駆け上がった、中森明菜
自殺未遂以来初めて公の場で会見を行います。
会見には金屏風が用意されており、近藤さんも同席したことから、当初は2人の結婚会見かと思われた
ところが、金屏風をバックにしたこの不自然な謝罪会見、実は、中森さんは近藤さんが所属するジャニーズ事務所から、婚約会見だから
と、言われて会場に向かったそうで、会見場ではじめて、近藤さん同席の謝罪会見だと、知らされたという
中森さんが当時、所属していた「研音」は弱小の芸能事務所だったためか、この会見に関わることができず、すべてジャニーズ事務所側が取り仕切ることとなった
ジャニーズ事務所側は、近藤真彦(マッチ・ジャニーズ事務所所属)さんとの関係を諦めない中森明菜さんを、「結婚報告」だから、と、メリー喜多川が、うそをついて無理やり公の場に引きずり出し、金屏風の前で近藤さんとの仲に決着をつけさせたという。
もちろん、これらは噂であり、当事者は公の場で何も語ったことはない。しかし、何年経っても、この噂は消えない。
中森さんは、この会見の3日前に「研音」から独立し、個人事務所を設立しているのですが、この独立に関しても、ジャニーズ事務所が中森さんになんらかの圧力をかけたのでは、と噂されています。
中森さんが近藤さんの自宅で自殺未遂を起こした時、近藤さんの次に駆けつけたのは、メリー喜多川さん
中森さんが入院し、面会謝絶とされると、事件後1ヶ月もの間、当時、中森さんの事務所だった「研音」は、社長を含め、誰一人、会わせてもらえず、
その間、メリーさんは、中森さんを親身に世話しつつ、いかに中森さんが「研音」に搾取されているかというニセの情報を吹き込み、中森さんと「研音」の関係にヒビを入れて、独立をそそのかしたそう
(実際には、当時の中森さんの年収は5000万円で、近藤さんの年収1000万円の5倍もあったといわれていた)=噂
これで信頼を得たメリーさんは、近藤さんとの仲をあきらめようとしない中森さんに、
マッチとの婚約会見をするので出てきてほしい
と呼び出し(そのための金屏風)、いざ、中森さんが会場に到着すると、
近藤さんは関係なかったといいなさいと、謝罪会見をさせたと言われているのです。
会見をわざわざ紅白の裏番組で生放送にしたのも、中森さんに、「紅白で復帰」というオファーがあったのを、知ってのことだったというのです。
ちなみに、中森さんはメリーさんの話を信じ、その後、「研音」を辞めると、近藤さんの担当だった小杉理宇造さんと、個人事務所「コレクション」を設立しているのですが、
謝罪会見の後、本格的な活動をしないうちに小杉さんは降ろされ、ひとりになった中森明菜。
実は、近藤さんは、「金屏風会見」の中心人物、メリー喜多川(故人)さんとは、事務所の関係を超えた、深い仲にあるという噂さえあった。
中森明菜:
少女A
中森はいわゆる「ツッパリ系」のこの歌を気に入っておらず、ヒット後も頻りに「スローモーションの方が好きだ」と話していたという。
女優として
1985年、映画「愛・旅立ち」に出演。
近藤真彦とW主演。歌手活動と並行して本格的に女優としても活動を開始した。
『愛・旅立ち』(あい・たびだち)は、1985年に公開された、フィルムリンクインターナショナル製作、東宝配給の映画である。
監督は舛田利雄。近藤真彦、中森明菜主演作品
製作には、現在「トライストーン」の会長であり、創業者の「山本又一郎」の名前がある。
アイドル映画ながら、超常現象の特撮も飛び出す一風変わった映画となっている
同時上映:『うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ』
ストーリー
大型トラックとカーチェイスをして交通事故を起こした五代誠(近藤真彦)は、無二の親友を事故で失うが、自分だけは奇跡的に助かる。病院に運ばれた誠は、そこで不治の病・先天性心室中隔欠損に冒されて意識不明のまま横たわる薄倖の美少女・小泉ユキ(中森明菜)に一目ぼれした。ユキは仮死状態になり、死の世界を経験し、再び蘇生。”耳なし芳一”と名乗る不思議な子どもに導かれ、「一人ぼっちで死にたくない、最後に恋がしたい」という夢を叶えてもらう。誠とユキは運命的に恋に落ち、半年後に安らかな気持ちで死の世界に旅立つ
キャスト
五代誠:近藤真彦
小泉ユキ:中森明菜
スタッフ
監督:舛田利雄
製作:山本又一朗、小倉斉
脚本:笠原和夫、舛田利雄
山本 又一朗(やまもと またいちろう、1947年10月25日 – )は、日本の映画プロデューサー。鹿児島県出身。トライストーン・エンタテイメント代表取締役会長。
製作:愛・旅立ち(1985年、公開当時交際が噂された近藤真彦と中森明菜が共演し話題となった)
1993年に映画制作・マネジメント会社であるトライストーン・エンタテイメントを設立し、代表取締役に就任。
メリー 喜多川(メリー きたがわ、Mary Y. Kitagawa、本名:藤島メリー泰子〈ふじしま メリー やすこ〉、1927年〈昭和2年〉12月26日[1] – 2021年〈令和3年〉8月14日)は、日本の実業家、芸能プロモーター。ジャニーズ事務所名誉会長、レコード会社「ジャニーズ・エンタテイメント」の代表取締役社長も務めた
1933年、喜多川一家(父、母、ジャニー喜多川を含む弟2人)は日本に渡り、大阪市で暮らした。間もなくして母親が逝去。やがて第二次世界大戦が始まると、子供たちだけで和歌山県東牟婁郡那智勝浦町に疎開した。その後メリーは知り合いのつてで大阪松竹少女歌劇団に顔を出すようになり、戦後に劇団が駐留軍で慰問公演を行なう際には通訳も務めた。
1947年、弟2人と共に再渡米。ロサンゼルス・シティー・カレッジ[注 1]を卒業。そして弟のジャニーは1952年に、メリーは1957年に日本に再帰国した。
1950年代後半、四谷三丁目の円通寺坂入口右手の角にてカウンターバー「スポット」を開業
バーのママを行った。
つまり元々はバーの経営者にすぎなかった。
ここで出会った藤島の財力、権力でメリー喜多川が誕生した。
日本銀行員の藤島敏男・孝子夫妻の長男として東京府東京市に生まれる[
1955年(昭和30年)、学習院大学政経学部卒業
1963年(昭和39年)、高浜虚子の孫娘・朋子と結婚[
結婚当時は朋子と円満に暮らしていたが[5][6]、その後メリー喜多川と内縁関係。
つまり、メリー喜多川は愛人であり、略奪婚をした。
学習院高等科時代の上皇明仁(当時は皇太子)と「ご学友」たちを題材にした小説『孤獨の人』で作家デビュー。同作には「ご学友」たちのヴァイニング夫人への反発や知られざるエピソードなどが盛り込まれている。三島由紀夫が序文を寄せ、「うますぎて心配なほど」と評価
初等科から大学まで学習院に学ぶ。上皇明仁の学友の一人で、共にエリザベス・ヴァイニング(ヴァイニング夫人)の教育を受けている。ただ大学卒業後は疎遠であったという。
このバーの客だった東京新聞記者(後に作家)の藤島泰輔との間に藤島ジュリー景子をもうける。
藤島 泰輔:
(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9日 – 1997年(平成9年)6月28日[1])は、日本の小説家[1]、評論家。ポール・ボネ名義の著作も多数刊行。
末弟のジャニーが1962年6月に芸能事務所「ジャニーズ事務所」を興すと、メリーもバーを閉店して事務所の経理を担当するようになった。
ジャニー喜多川の性的虐待疑惑:
週刊文春の特集記事と民事訴訟(1999年 – 2004年)
1999年(平成11年)、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事、「ホモセクハラ追及キャンペーンを掲載
喜多川が所属タレントに対して「わいせつ行為」
『週刊文春』は20時間以上のインタビューを行い、重要な点には複数の取材対象に様々な角度から質問を行い確認
一連の特集記事では1960年代から90年代にかけての出来事について取材に応じて語っている
喜多川の自宅(通称「合宿所」)で寝ている際に「わいせつ行為」や「ホモ・セクハラ行為」を受けていたことが語られていた
BBCの長編ドキュメンタリー(2023年)
英BBCは、英国アカデミー賞・英国王立テレビ協会賞を受賞したジャーナリスト、モビーン・アザーが制作した、喜多川の性加害を題材とした長編ドキュメンタリー『Predator: The Secret Scandal of J-Pop』を、イギリス時間で2023年3月7日午後9時(日本時間の3月8日午前6時)からBBC Twoで放送
3 Comments
なんだったのか。明菜さんが気の毒。
ただただ悲しくてやりきれない
自ら119番するマッチも凄いね👍
今の男の子たちにその勇気 判断が
あるかな?🤔