Actor 1992年5月 F3000 小河等事故 2020-01-12 Share Twitter Facebook Pinterest LinkedIn actor俳優片山徹 27 Comments Vaxalicious 6年 ago Aww that so hurt Vaxalicious 6年 ago Because hes died 🙁 doromamire 6年 ago かなりまへに雑誌か何かの記事で読んだがレースの水準とマシンの耐久力や構造的な強度を総合的にみるとこの時期のF3000は相当危険であつたらしい。だがいま改めてみてもすごいクラッシュだ。先行するアンドリュウ・ギルバート=スコットに小河等が追突してゐるのは明らかだがギルバート=スコットも小河の側にせうせう車体を被せて進路を阻んでゐるやうだ。ただ滑り込みのやうな挙動にもみえるから故意かどうかまでは分からない。事故後の映像をみるとギルバート=スコットの車体のはうが回転して跳ね上がつてゐてダメージが大きいやうにみえるがタイヤバリアに阻まれてウォールに直接激突せずに済んだこととノーズやウイングやホイールといつた車体の周縁部分によつて衝撃がうまく吸収せられた(かうした部分はめちやめちやに壊れてゐるが)ことからドライバアのダメエジがかなり軽減せられたやうである。特に負傷もなかつたやうですぐに自力で車体から降り立つて歩いてゐるぐらゐだ。小河は車体がタイヤバリアを越えて直接にウォールに激突してゐるからドライバアのダメエジも遥かに大きかつた。 大谷基 6年 ago 当時はWSCてTS010で初戦初戦優勝していただけにかなりル、マンでの日本人による日本車のトムスの優勝に期待していただけに凄い残念で無念でした和製プロストと呼ばれていた小河等さんの走りは忘れる事はないですトムスの入社を目指した高校生でした SHIZU KEKE 6年 ago 何にも対策してないよないまだに、世界最高のコースなのに しろコンニャク 6年 ago この事故も含めて1992年の全日本F3000は色々おかしかった。中谷さんがドライバー人生を狂わせる怪我を負ったり星野さんが予選落ちしたりランキングトップのフォルカー・ヴァイドラーが耳の病気で引退を余儀無くされたり・・・。 Bo Co 5年 ago 俺1コーナーいたよ。部品がバラバラっと飛んできた。 Y氏 5年 ago 2:01 これはアカン Tomoki Duffy 5年 ago この時期はあの小川選手が…って報道されてるけど、今同じような事が起きたら選手のご冥福を祈るより先に「レースは危ない、モータースポーツなんか、、」とか言われるんだろうな…と思うと… IWOLI Ch 5年 ago この頃の1コーナーってこんなにエスケープゾーン狭かったんか…ホント、人が死んだら「これは危ない改善しよう!」ってなるくせに死ななかったら「死ななくて良かったね」ってなる考えはいけないな…絶対に死なない事を目指さなきゃ…死ぬスポーツである時代を終わらせなきゃ… 上杉貴志 5年 ago 当日の録画中継を見てましたが、レース中の小河選手の群を抜く速さが印象に残ってます JPN technostream 5年 ago 01:43 ああ金山名鉄改札前の街頭テレビ懐かしいなー。例の「国民的行事」中日巨人戦の際に1000人近い人だかりができて電車の乗り降りにも支障をきたしてクレーム殺到したために撤去されたという話を聞いたことがある。 バカっちょ金魚 5年 ago 無理なオーバーテイクを仕掛けた上に、カメラマンまで死亡させたという… でっていう 5年 ago タラレバになっちゃうけどハロがあればな~… 桜ノ宮京橋 4年 ago 小河等さんは、和製アラン・プロストや和製ティエリー・ブーツェンと呼ばれた pumaモモケン 4年 ago 因みに小河選手の息子もレーサーとして活躍している。母親は夫が亡くなってから毎日泣いていたらしく、当時息子さんは「お母さんが泣いているのは僕が悪い子だから?」と問いただした。その後はレーサー仲間の関谷さんが父親代わりを務めていたらしい。 アーク 4年 ago 名古屋で地上波放送されてて、何となく見てたんだけど、放送の終わる直前にこの事故が起きたんだよね。「げ・・どうなったんだ?」って気になったまま終了して、数時間後ニュースで訃報が。 speedy99321 4年 ago これ、あそこにいたカメラマンも亡くなっているんだよね。小河はこの年のルマンに出ていたら、どうなったのかな。関谷とは本当に良いコンビだったからね。 momo team 4年 ago 小河選手の死ばかりが注目されていますが、小河選手の車がカメラマンタワーに突っ込んで一人のカメラマンが亡くなっていることも覚えておいてください。そのカメラマンにも小河選手同等に洋々たる前途があったと思いますし、残された家族の方もつらかったと思います。 Kinoko Antonio 4年 ago 間違いかも知れませんが、小河選手は外国人レーサーから「なぜ、小河はF1に行かないんだ、速いのに」と言われてた記憶があります。また、1990年だったか日本GPで、ベネトンから「(たしか)2000万円持参すれば、日本GPだけだが、乗せられる」と言われたそうです。 SuperJusie 3年 ago 柱に行ってしまったんだね… あたりたけし 3年 ago オープンホイールだから 乗り上げて飛んでいったな!減速なしだわ シロカラス 3年 ago スコットのイン締めが甘い、小河が抜こうとしたからインを少し開けたのかもしれない。だけどイン締めするだろうと読んだ小河が裏へ…レーンチェンジ間に合わず。か。誰も責められないレーシングアクシデント。と思う。 ベールゼブブ 3年 ago スコットの進路妨害なのでこの後星野に殴られてなかった?そんな記憶 STルーム 3年 ago この当時F1を見てて、マシンが派手にクラッシュしてもドライバーが死ぬって事はなかったので、この事故を見ても、マシンは派手に壊れたけど大丈夫でしょ、なんてのんきにタカをくくってたら、翌日のスポーツ紙で大きく小河選手死亡と出ててショックを受けました。あらためてレースというのは大きな危険が伴うものだという事を思い知らされました。 fx db 3年 ago これ現地で見てたわ〜専門学校のイベントだった sakkurusan 3年 ago 当時のサンドトラップは、車が静止させられるように波を打たせて設置してたけど。これがジャンプ台のような役目を果たしてこんな事に。このへんを境に砂利を敷き詰めたグラベルに置き換えられますね。 Write A Commentコメントを投稿するにはログインしてください。
doromamire 6年 ago かなりまへに雑誌か何かの記事で読んだがレースの水準とマシンの耐久力や構造的な強度を総合的にみるとこの時期のF3000は相当危険であつたらしい。だがいま改めてみてもすごいクラッシュだ。先行するアンドリュウ・ギルバート=スコットに小河等が追突してゐるのは明らかだがギルバート=スコットも小河の側にせうせう車体を被せて進路を阻んでゐるやうだ。ただ滑り込みのやうな挙動にもみえるから故意かどうかまでは分からない。事故後の映像をみるとギルバート=スコットの車体のはうが回転して跳ね上がつてゐてダメージが大きいやうにみえるがタイヤバリアに阻まれてウォールに直接激突せずに済んだこととノーズやウイングやホイールといつた車体の周縁部分によつて衝撃がうまく吸収せられた(かうした部分はめちやめちやに壊れてゐるが)ことからドライバアのダメエジがかなり軽減せられたやうである。特に負傷もなかつたやうですぐに自力で車体から降り立つて歩いてゐるぐらゐだ。小河は車体がタイヤバリアを越えて直接にウォールに激突してゐるからドライバアのダメエジも遥かに大きかつた。
大谷基 6年 ago 当時はWSCてTS010で初戦初戦優勝していただけにかなりル、マンでの日本人による日本車のトムスの優勝に期待していただけに凄い残念で無念でした和製プロストと呼ばれていた小河等さんの走りは忘れる事はないですトムスの入社を目指した高校生でした
しろコンニャク 6年 ago この事故も含めて1992年の全日本F3000は色々おかしかった。中谷さんがドライバー人生を狂わせる怪我を負ったり星野さんが予選落ちしたりランキングトップのフォルカー・ヴァイドラーが耳の病気で引退を余儀無くされたり・・・。
Tomoki Duffy 5年 ago この時期はあの小川選手が…って報道されてるけど、今同じような事が起きたら選手のご冥福を祈るより先に「レースは危ない、モータースポーツなんか、、」とか言われるんだろうな…と思うと…
IWOLI Ch 5年 ago この頃の1コーナーってこんなにエスケープゾーン狭かったんか…ホント、人が死んだら「これは危ない改善しよう!」ってなるくせに死ななかったら「死ななくて良かったね」ってなる考えはいけないな…絶対に死なない事を目指さなきゃ…死ぬスポーツである時代を終わらせなきゃ…
JPN technostream 5年 ago 01:43 ああ金山名鉄改札前の街頭テレビ懐かしいなー。例の「国民的行事」中日巨人戦の際に1000人近い人だかりができて電車の乗り降りにも支障をきたしてクレーム殺到したために撤去されたという話を聞いたことがある。
pumaモモケン 4年 ago 因みに小河選手の息子もレーサーとして活躍している。母親は夫が亡くなってから毎日泣いていたらしく、当時息子さんは「お母さんが泣いているのは僕が悪い子だから?」と問いただした。その後はレーサー仲間の関谷さんが父親代わりを務めていたらしい。
momo team 4年 ago 小河選手の死ばかりが注目されていますが、小河選手の車がカメラマンタワーに突っ込んで一人のカメラマンが亡くなっていることも覚えておいてください。そのカメラマンにも小河選手同等に洋々たる前途があったと思いますし、残された家族の方もつらかったと思います。
Kinoko Antonio 4年 ago 間違いかも知れませんが、小河選手は外国人レーサーから「なぜ、小河はF1に行かないんだ、速いのに」と言われてた記憶があります。また、1990年だったか日本GPで、ベネトンから「(たしか)2000万円持参すれば、日本GPだけだが、乗せられる」と言われたそうです。
シロカラス 3年 ago スコットのイン締めが甘い、小河が抜こうとしたからインを少し開けたのかもしれない。だけどイン締めするだろうと読んだ小河が裏へ…レーンチェンジ間に合わず。か。誰も責められないレーシングアクシデント。と思う。
STルーム 3年 ago この当時F1を見てて、マシンが派手にクラッシュしてもドライバーが死ぬって事はなかったので、この事故を見ても、マシンは派手に壊れたけど大丈夫でしょ、なんてのんきにタカをくくってたら、翌日のスポーツ紙で大きく小河選手死亡と出ててショックを受けました。あらためてレースというのは大きな危険が伴うものだという事を思い知らされました。
sakkurusan 3年 ago 当時のサンドトラップは、車が静止させられるように波を打たせて設置してたけど。これがジャンプ台のような役目を果たしてこんな事に。このへんを境に砂利を敷き詰めたグラベルに置き換えられますね。
27 Comments
Aww that so hurt
Because hes died 🙁
かなりまへに雑誌か何かの記事で読んだがレースの水準とマシンの耐久力や構造的な強度を総合的にみるとこの時期のF3000は相当危険であつたらしい。だがいま改めてみてもすごいクラッシュだ。先行するアンドリュウ・ギルバート=スコットに小河等が追突してゐるのは明らかだがギルバート=スコットも小河の側にせうせう車体を被せて進路を阻んでゐるやうだ。ただ滑り込みのやうな挙動にもみえるから故意かどうかまでは分からない。事故後の映像をみるとギルバート=スコットの車体のはうが回転して跳ね上がつてゐてダメージが大きいやうにみえるがタイヤバリアに阻まれてウォールに直接激突せずに済んだこととノーズやウイングやホイールといつた車体の周縁部分によつて衝撃がうまく吸収せられた(かうした部分はめちやめちやに壊れてゐるが)ことからドライバアのダメエジがかなり軽減せられたやうである。特に負傷もなかつたやうですぐに自力で車体から降り立つて歩いてゐるぐらゐだ。小河は車体がタイヤバリアを越えて直接にウォールに激突してゐるからドライバアのダメエジも遥かに大きかつた。
当時はWSCてTS010で初戦初戦優勝していただけにかなりル、マンでの日本人による日本車のトムスの優勝に期待していただけに凄い残念で無念でした
和製プロストと呼ばれていた小河等さんの走りは忘れる事はないです
トムスの入社を目指した高校生でした
何にも対策してないよないまだに、世界最高のコースなのに
この事故も含めて1992年の全日本F3000は色々おかしかった。中谷さんがドライバー人生を狂わせる怪我を負ったり星野さんが予選落ちしたりランキングトップのフォルカー・ヴァイドラーが耳の病気で引退を余儀無くされたり・・・。
俺1コーナーいたよ。
部品がバラバラっと飛んできた。
2:01 これはアカン
この時期はあの小川選手が…って報道されてるけど、今同じような事が起きたら
選手のご冥福を祈るより先に「レースは危ない、モータースポーツなんか、、」とか言われるんだろうな…と思うと…
この頃の1コーナーってこんなにエスケープゾーン狭かったんか…
ホント、人が死んだら「これは危ない改善しよう!」ってなるくせに
死ななかったら「死ななくて良かったね」ってなる考えはいけないな…
絶対に死なない事を目指さなきゃ…死ぬスポーツである時代を終わらせなきゃ…
当日の録画中継を見てましたが、レース中の小河選手の群を抜く速さが印象に残ってます
01:43 ああ金山名鉄改札前の街頭テレビ懐かしいなー。
例の「国民的行事」中日巨人戦の際に1000人近い人だかりができて電車の乗り降りにも支障をきたしてクレーム殺到したために撤去されたという話を聞いたことがある。
無理なオーバーテイクを仕掛けた上に、カメラマンまで死亡させたという…
タラレバになっちゃうけどハロがあればな~…
小河等さんは、和製アラン・プロストや
和製ティエリー・ブーツェンと呼ばれた
因みに小河選手の息子もレーサーとして活躍している。母親は夫が亡くなってから毎日泣いていたらしく、当時息子さんは「お母さんが泣いているのは僕が悪い子だから?」と問いただした。その後はレーサー仲間の関谷さんが父親代わりを務めていたらしい。
名古屋で地上波放送されてて、何となく見てたんだけど、放送の終わる直前にこの事故が起きたんだよね。
「げ・・どうなったんだ?」って気になったまま終了して、数時間後ニュースで訃報が。
これ、あそこにいたカメラマンも亡くなっているんだよね。小河はこの年のルマンに出ていたら、どうなったのかな。関谷とは本当に良いコンビだったからね。
小河選手の死ばかりが注目されていますが、小河選手の車がカメラマンタワーに突っ込んで一人のカメラマンが亡くなっていることも覚えておいてください。
そのカメラマンにも小河選手同等に洋々たる前途があったと思いますし、残された家族の方もつらかったと思います。
間違いかも知れませんが、小河選手は外国人レーサーから「なぜ、小河はF1に行かないんだ、速いのに」と言われてた記憶があります。また、1990年だったか日本GPで、ベネトンから「(たしか)2000万円持参すれば、日本GPだけだが、乗せられる」と言われたそうです。
柱に行ってしまったんだね…
オープンホイールだから 乗り上げて飛んでいったな!減速なしだわ
スコットのイン締めが甘い、小河が抜こうとしたからインを少し開けたのかもしれない。
だけどイン締めするだろうと読んだ小河が裏へ…
レーンチェンジ間に合わず。
か。
誰も責められないレーシングアクシデント。
と思う。
スコットの進路妨害なのでこの後星野に殴られてなかった?
そんな記憶
この当時F1を見てて、マシンが派手にクラッシュしてもドライバーが死ぬって事はなかったので、この事故を見ても、マシンは派手に壊れたけど大丈夫でしょ、なんてのんきにタカをくくってたら、翌日のスポーツ紙で大きく小河選手死亡と出ててショックを受けました。あらためてレースというのは大きな危険が伴うものだという事を思い知らされました。
これ現地で見てたわ〜
専門学校のイベントだった
当時のサンドトラップは、車が静止させられるように波を打たせて設置してたけど。これがジャンプ台のような役目を果たしてこんな事に。
このへんを境に砂利を敷き詰めたグラベルに置き換えられますね。