皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.056です。今回は『森高千里』さんです。森高千里さんは、1969年4月11日日生れの、現在、55歳です。相変わらず美しいですね^^1987年に歌手としてメジャー・デビューを果たしました。その後、様々な楽器に触れながら表現手法を拡張し続け、現在ではライブ活動を中心に、雑誌連載や音楽番組のMCなど多様な分野で才能を発揮して活動しています。実父はロカビリーバンド「オレンジ・ヒル」で活動していた森高茂一さん、夫は俳優の江口洋介さんです。
九州女学院在学中に「ル・パラディ」を結成してバンド活動を始めました。ボーカルではなく、ドラムやベースギターを担当していました。
高校を卒業したら熊本でピアノの先生になるつもりだったそうです。
1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞。
同コンテストで審査員を務めていた糸井重里とCMで共演。
同年冬に芸能活動を本格化させるため上京。堀越高等学校に編入しました。
1987年春、東宝映画『あいつに恋して』にヒロイン・松前千里役で出演、
同年5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビュー。
当初は女優・タレント活動と両立して歌手活動を行っており、芸能界デビュー後初めてのレギュラー番組はTVハッカー。
同年9月7日の渋谷LIVE INNでの初ライブをきっかけに徐々に歌手活動に重きを置くようになりました。
1989年、南沙織の楽曲のリメイク「17才」がヒット。
また、『非実力派宣言』や1990年リリースの『古今東西』などの作品で、個性的な作詞センスが高く評価されるようになります。
1992年のアルバム『ROCK ALIVE』からのシングルカットとなる「私がオバさんになっても」が話題を呼び、
『ROCK ALIVE』ツアー、女性ミュージシャンとしては2組目となる全都道府県制覇ツアーを敢行しました。
森高はこのツアーの際に「ロックンロール県庁所在地」という曲を作り上げています。
1993年のシングル「渡良瀬橋」「風に吹かれて」のヒットでその路線を確立。
1995年、阪神・淡路大震災支援イベントで泉谷しげるのバンドに参加しドラムを担当したが、この時江口洋介がベースギターを担当していました。
1999年6月3日、1995年から交際を続けていた俳優の江口洋介と結婚。
体調を崩したため病院で検査をしたところ、妊娠3週目であることが確認されたこともあり、これを機に結婚を決意しました。
2000年2月に長女、2002年5月に長男を出産。
吉田拓郎はミュージシャンとしての森高を「我々ミュージシャンが、今まで何十年もの期間をかけて作り上げた詞の世界観を、
森高が一瞬で破壊してしまった」、「その辺のドラマーより全然うまい」と高く評価していて、
森高を吉田とLOVE LOVE ALL STARSとのアルバム『みんな大好き』にドラマーとして起用しました。
また拓郎のカバーである所ジョージの「恋の唄」でもドラムスを担当しています。
2017年5月25日、歌手デビュー30周年を迎えました。
ディスコグラフティーと共にお聴き頂ければ幸いです。
現在、僕や歌のパートナーの新二郎さんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。
僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。
そこで新二郎さんと相談して、お百度参りの代わりに、
「昭和の歌姫100人を歌う」と題して僕はPOPSと歌謡曲、新二郎さんは演歌を中心に、
昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。
癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。
どうか一日も早く完治しますように。
昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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初めて聴いてくださった方へ。
改めまして、はじめまして。伸(nobu)と言います。
私のページに来て下さり、有難う御座います。
僕はもう10年以上前になりますが「喉頭癌(声帯にできる癌)」を患い、声を失いかけました。
その1年前に初めての癌を患い、再発からの転移でした。
定期健診を欠かさなかったお陰で、初期の段階で見つかり、
すぐに処置をして頂き助けて頂きました。
しかし、暫くの間、歌うどころか喋る事すらままならない状況になりました。
当時の私は、喋る事も仕事の一つだったため、
それはとても辛く悲しかったです。
もしかしたら、もう「声」と言うものには頼れないのでは?
そんな思いを持ちました。
声が出せなくたって目だって見える。耳だって聞こえる。
体だって自由に動く。
何だって出来るじゃないか!そんな風に自分に言い聞かせた時もありました。
医師の「ある程度までは声は戻るよ」と言う言葉を信じ
喉を使っても良いと言われてからは、リハビリをして
毎日、家の近所の日の落ちた船着き場に車を止めて
大好きな中島みゆきさんの曲や、徳永英明さんの曲を聴きながら声を出す練習をしました。
思うように声が出なくて悔しくて泣いて車を叩いた日もありました。
誰にも聞かれたく見られたくなかった。
だから車の中は僕のリハビリ室でした。
その甲斐あって、医師も驚くほど回復し、
現在では喋るだけでなく歌う事も出来るまでになりました。
確かに、以前の自分の声ではなくなりましたし
今でも1曲全てを声もかすれずに歌う事は難しい時もあります。
でも、大好きな歌が歌えます。
友人の医師達や支えてくれた周りの人達に心から感謝をしています。
そして無理だと言う僕に、何度ももう一度歌おうと強く勧めてくれた大親友にも!
そして2013年7月にまた、新たに疾患が見つかりました。
とても症例の少ない難病だと告げられ、同年10月には障害者となりました。その為、定期的に入院生活を強いられています。
明日はどうなるか解りません。
「負けたら終わり ではなく あきらめたら終わり」
「笑って生きるも一日、泣いて生きるも一日、どうせなら笑顔で」
この二つは私の座右の銘です。
世の中には、色んな病や悩みなどと闘っている人達が沢山いると思います。どうか諦めないで下さい。
私は大好きな歌を笑顔で歌ってここに載せて行きます。
ここには沢山の歌の上手な方々が掲載されています。
私の歌はその方々には程遠いものです。
でも、歌えるようになりました。
良かったら聴いてみて下さい。
そして何かの切っ掛けにして頂けたら嬉しいです。
ありがとうございました。
3 Comments
パパさん こんばんは🌃★★★
今日も安定の癒やしの歌声を
ありがとう御座います💐💐💐
💯👏👏👏
まだまだ暑いですね。🌃★★★😮
台風も10号が発生とのことですが
十分お気をつけて下さいね。
おやすみなさい🌃★★★🌕️
森高さんと言ったら外せないラインナップですね。
おばさんになっても森高さんはとてもきれいですが、それを聴いていた自分はすっかり歌詞のとおりの?おじさんとなってしまいました(笑)
それにしても、彼女は独特のセンスの塊みたいな輝きのある存在でした。今回も懐かしい曲をありがとうございます。
ふみ
森高千里さんは多くの人の記憶に残る歌姫のひとりですね。10月にはライブ映像作品の発表が予定されているようで精力的に活動されていることがわかります。'90年代はニューミュージック系(今の若い人は知らない?)にどっぷりでしたが、それでも自分の記憶に残っているということはそれだけの多くの人に愛されていた方だと思います。森高さんの限ったことではありませんが、当時ファンだった人と一緒に歳を取り、今でもステージで一緒に盛り上がれる。音楽って人類が生み出した不思議なアイテムだなぁ~って思います。それにしても森高さんは、55歳でもぜんぜん”おばさん”じゃないですね(^^♪。