世界の大物はさすが…そこがデビュー時から違ってました。

9 Comments

  1. 三船さんが『007』を断ったために丹波先生が代わりに受けた。
    『将軍』では丹波先生が断って、三船さんが代わりに受けた。
    TBS開局記念『関ケ原』をオファーされた三船さんは、ひとまず
    「丹波さんも出るの?」
    と訊いたそうである。
    不思議な関係である。

  2. 東宝を離れてフリーになって以降の三船氏は、黒澤監督と感情的齟齬があって一緒に仕事をしなくなったとまことしやかに言われているが、それは一面での事でしかないと思う。
    黒澤監督は自分の作品を俳優が掛け持ちで仕事するのを許さず、しかも一作で1年はゆうに時間をかける。
    当時自社スタジオを構える制作会社である三船プロダクション社長であった三船氏は、黒澤作品にかかってしまうと、1年の間三船プロの撮影所とスタッフを遊ばせる事なり、たちまち業務を滞らせてしまう事になる。
    三船プロ社員のスタッフの給料を払い、スタジオを安定して稼働させるには、テレビの時代劇を受注し、俳優として各社作品を掛け持ちして稼がねばならない。
    黒澤作品をやりたくても、単純に三船プロ社長として無理だったのだ。

  3. 若き日の三船敏郎さんの眼光、顔付きを見ると、写真に残る幕末の下級志士達の風貌、雰囲気に実に良く似ていると言うべきか、通ずる処がある。やるべきことはやるが、ヒトが押し込めようとする型には決して収まらず、卑下もせず迎合もしない。明治維新期、明治期に日本を利用して、日本の市場の育成と参入、代理戦争の駒にしようとする西洋列強の目論見はあったとしても、植民地に落ちることを許さなかったのは、日本人の気概にあったのだと私は理解している。

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