被爆者 中本信子さん「心の中に平和の砦を」24年間 原爆死没者名簿の記帳担う つたえるつなげる#16 (2025/05/08 17:31)

[音楽] よ。 [音楽] 石に削られた名前があって、そこであの お父さん来ましたよとか父が話してくれ ました。皮膚が足り下がって目が飛び出た 人を歩いたりとか本当に焼けたれてそこに おっちゃった人がちょっと1日経って言っ たらもう骨のだったいうそういう話を聞い たりし [音楽] て核兵器はあの排設していただきたい。 あの、世界部屋のためにあの、筆を持たし ていただこうと思いました。 [音楽] お役に立つことならいうことであの日けた んですけど、だんだんあの時立つうちにあ 、大変な仕事をね、させていただいとるん だなというあのとにかく責任感とかね、 使命感があ、あのありますね。 [音楽] 戦争は人間の心の中にで生まれるものだ から人の心の中に平和の砦出を作らなけれ ばならない。世界のいろんなところでまだ 戦争が起きてますよね。だから戦争を防ぐ ためにはやはりあのスポーツとか文化とか あの芸術とかそういうのがしっかりあの 培っていかなければいけないかなと思って ます。戦争防ぐためにはそういうのも1つ の砦出にねなるんではないかなと思います 。 [音楽] 人道上してはならないこと を広島のや長崎のね、上に落として やけしんだ人がたくさんいること言わなく ちゃいけないいうのを残して亡くなった人 がたくさんいますよね。だからその意思を やっぱり生き取るものがついで、あの平和 、世界平和のためにあの伝えなくちゃいけ ないなと思っております。はい。 伝える つなげる広島長 [音楽]

被爆80年プロジェクト つたえる つなげるヒロシマ・ナガサキ

【俳優・上白石萌音さん】
「被爆80年プロジェクト」
【俳優・水上恒司さん】
「つたえるつなげる」

■平和を誓う手形#16 被爆者・原爆死没者名簿記載者 中本信子さん

被爆者の中本信子さん(82)。父を探すために母や姉弟とともに疎開先の廿日市市から広島市へ入り入市被爆。家族は全員無事だったが多くの親族を亡くした。

被爆当時3歳だった中本さん。原爆の記憶はあまり残っていない。それでも被爆者の声を聞くなどして被爆の実相に触れてきた。

【中本信子さん】
「父が話をしてくれました。皮膚が垂れ下がって目が飛び出た人が歩いたりとか焼けただれてそこにいた人が1日経ったら白骨だったとかそういう話を聞いた」

58歳の時、転機が訪れる。

【中本信子さん】2001年
「核兵器は廃絶していただきたい。世界平和のために筆をもたせていただこうと思いました」

中本さんは2001年から8月6日の平和記念式典で原爆慰霊碑に納める原爆死没者名簿の記帳を行っている。

原爆死没者名簿には去年の8月6日までに128冊、合わせて34万4306人が記載されている。記帳は代々、被爆者が繋いできた。

【中本信子さん】
「お役に立つことならと引き受けたが、だんだん年が経つうちに”大変な仕事”をさせていただいているんだなと責任感や使命感がある」

中本さんは24年にわたり1人1人の生きた証を丁寧に書き記してきた。

中本さんが手形のハトに込めて次世代に伝えたい思いとは?

【中本信子さん】
「戦争は人間の心から生まれるものだから人の心の中に平和の砦を作らなければならない。世界の色々なところで戦争が起きている。戦争を防ぐためにはスポーツ・文化・芸術をしっかり培っていかなければいけない。戦争を防ぐためには1つの砦になるのではないかと思う」

被爆者に思いをはせ、被爆80年の今年も中本さんは筆を握り、25回目の記帳に臨む。

【中本信子さん】
「人道上してはならないことを広島や長崎の上に落として焼け死んだ人がたくさんいること。言わなくてはいけないことを残して亡くなった人もたくさんいる。その意志を私たち生きているものが継いで世界平和のために伝えなくてはいけない」

「つたえる・つなげるヒロシマ・ナガサキ」

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