鎮守の社(駒止稲荷神社・東京都墨田区横綱 1-12-24 旧安田庭園 )シリーズ「稲荷神社」

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祭神:宇迦之御魂大神
撮影:2025年5月20日(火) Panasonic Lumix FZ 100 & Gopro 9 black
BGM: Name the time and place / Telecasted
【獅子とユニコーン】
 日本の神社の狛犬は、獅子とユニコーンの組み合わせとなっているが、獅子はイスラエルのユダ族の紋章である(創世記49章9節「ユダは獅子の子」)。 つまり神社の獅子はユダ族のシンボル、ユニコーンはヨセフ族のうちのエフライム族のシンボル。
 イスラエルは、ソロモン王の重税が原因で南北王朝に分裂した(紀元前10世紀)。南王国ユダの中心はユダ族、北王国イスラエルの中心はエフライム族であった。 つまり、神社の狛犬は、「南北統一イスラエルのシンボル」と解せないわけでもない。
 旧約聖書には、やがて南王国のユダヤ人と北王国イスラエルの10支族は、終わりの日にひとつになるとの預言がある。そうした夢を表現したのが、神社の一対の狛犬であるようにも思える。
 中国や朝鮮半島、インドの王宮や神殿にも狛犬はあるが、それらは左右双方とも獅子であり、「獅子とユニコーン」の組み合わせは、日本独特のもの。
 そのほか、「角があるもの」と「角がないもの」で表されることもあります。このパターンは京都御所の清涼殿に代表する形であり、八坂神社(京都府)や厳島神社(広島県)などの狛犬も、この形で表現されています。 また、「祇園祭」で奉納される「獅子舞」の獅子も「角があるもの」と「角がないもの」に分かれていることから、何か意図的に意味を含まされているものと考えられます。
 更に、神社の狛犬は、必ず「阿吽(あうん)」の形で対になっている。つまり一方は口を開け(阿)、一方は口を閉じている(吽)。 これも外国には見られないもので、日本だけのものである。
 これは、古代インドから発祥したサンスクリット語が仏教伝来で中国経由で日本に伝わった言葉です。 そのサンスクリット語のアルファベットの最初の文字が「阿(あ)」で、最後の文字は「吽(うん)」です。「阿(あ)」は吐く息、「吽(うん)」は吸う息ですが、その意味は万物の「始まりと終わり」を象徴します。
 実はそれは、黙示録22:13-14「わたし(イエス・キリスト)はアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」、イエス・キリストの言葉から出たもの。
「アルファ」と「オメガ」も同じくギリシャ語で最初の文字と最後の文字。英語で言う「A」と「Z」です。 なお、「阿吽」という言葉は、元はヘブル語やギリシャ語の「アーメン」から来たもの。
「アーメン(本当ですの意)」は、インドに入ったとき、サンスクリット語で「オウム(AUM 真理の意)」となり、そのA・UMが「あうん(阿吽)」になった。 ちなみに、オウムという言葉は、地下鉄サリン事件を起こした「オウム真理教」が使って以来、地に落ちてしまった感があるが、それはもとは「アーメン」だったのである。
 日本の狛犬は平安時代後期の『類聚雑要抄』で、獅子は左に置き、「色黄にして口を開き」、右側の「胡摩犬は色白く口を開かず、角あり」とありますが、今では逆に右側が「獅子」で、左側が角がある「狛犬(野牛)」です。既に平安時代にあった天皇家の紋章。京都御所の清涼殿にある天皇の座の前には、今でも野牛と獅子がいます。
【よろず調べ事】 宇迦之御魂大神
ウカノミタマは、日本神話に登場する神。 古事記では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、日本書紀では倉稲魂尊(うがのみたまのみこと)と表記する。  
古事記では、スサノオの系譜において登場し、スサノオとカムオオイチヒメ(オオヤマツミの娘)との間に生まれ、大年神は兄としている。  
日本書紀では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。  
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。  
古事記・日本書紀ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。性別がわかるような記述もなく、男神とも女神ともされる。  
稲荷神社の総本社である伏見稲荷大社では女神としている。  穀物の神としてだけでなく、農耕の神、商工業の神としても信仰されている。
また、宇迦之御魂(ウカノミタマ)大神と、豊受大神は、「ウカ・ウケ」=「受」で繋がり、両神は、ともに「穀物神」ということになりますので、「宇迦之御魂(ウカノミタマ)大神」=「豊受大神」となります。
「宇迦之御魂(ウカノミタマ)大神」とは、今見たように、穀物神であり、「伏見稲荷大社」の総本山に鎮まります。  
全国の稲荷神社の頂点から、「宇迦之御魂大神」のことを「稲荷大神」とも言います。 よって、 「宇迦之御魂(ウカノミタマ)大神」=「豊受大神」=「稲荷大神」となります。
★「稲」から見えてくるもの
「稲荷大神」や「伏見稲荷大社」の「稲荷」という言葉については、深い意味が込められていますが、その事については別の項目の欄にて紹介します。
「稲」とは、穀物であると同時に、「稲妻(いなずま)」「稲光(いなびかり)」というように、「雷」と深い関係があります。
つまり、「稲荷大神」とは、「雷」と関係の深い神だということになります。もっと言えば、「稲荷大神」とは、「雷神」であると。そして、それは「豊受大神(=宇迦之御魂大神=稲荷大神)」も、雷神であると。 これは、ひとつ、豊受大神を知るうえで、重要なポイントです。 もうひとつ、「稲」とは、稲穂から「米」が収穫できるように、「稲」とは「米」のことでもあります。    
「米」とは、赤ちゃんがよく「マンマ」というように、ご飯のことを、「マンマ」と言ってきました。そして、これは、「マンマ」=「マンナ」=「マナ」と繋がります。  
「マナ」とは、モーセがイスラエル人を率いて、エジプトを脱出して40年にわたって放浪を続けた時、天から降ってきたという「神聖な食物・マナ」です。そして、以前紹介したように、「マナを入れた黄金の壺」のことを「マナの壺」といい、籠神社の奥宮「天真名井神社」に、かつてありました。そして、今は、伊勢神宮の「外宮」にうつされた可能性が高いことが指摘されています。    
「天真名井神社」「伊勢神宮・外宮」の祭神は、ともに「豊受大神」です。 その神が、伏見稲荷大社の「宇迦之御魂大神」と同一神であり、「雷神」であり、「マナの壷」にも繋がってくる…。
★ イナリとキツネ  
8万社ともいわれる日本各地の稲荷神社。デパートの屋上にもある稲荷神社とキツネ。だがこの白キツネは、のちの時代に弘法大師・空海(秦氏の末裔、ネストリウス派キリスト教徒)が持ち込んだもの。
★ そもそも「イナリ」の名称は何なのか?  
現代の私たち日本人が外来語をカタカナで表記するように、昔の日本人は外来語を万葉仮名で『伊奈利』と表記。
「稲荷」は本来、イナリとは読めない。これは漢字の当て字から来ている。では本来の意味は何か?  
それはラテン語の、 「 Jesvs ( Iesvs) Nazarenvs, Rex Ivdaeorvm =ユダヤ人の王ナザレのイエス」の 頭文字である J ( I )・N ・ R・I が淵源。  
この J ( I )・N ・ R・I は「インリ」と読み、「インリ」の「ン=N」の部分は、「ナザレ=Nazarenvs」の「Na」。
さらに おもしろい事は、もともと、古代の日本には「ン」の文字は存在せず、たとえば、いろは歌の中にも「ン」の文字はないし、『古事記』『日本書紀』『万葉集』にも「ン」を表す文字(万葉仮名) はない。『小倉百人首』にもない。  
秦氏は「ン」という発音よりも、母音も含めた「Na=ナ」を神社の名前として「イナリ」を用いたのでは。
ヘブライ語表記は「Yeshua Ha-notzri We-melech Ha-yehudeem」で、頭文字を並べると、「YHWH」。              
その罪状書きのヘブル語版はYHWH(ヤハウェ)。
つまり、イエス=ユダヤ人の王=INRI=ヤハウェ。稲荷神=ヤハウェ=三位一体神を表わす。
★ 秘文
お稲荷さんの総本山伏見稲荷大社の祝詞に「神は唯一神である」との一文がある。                   京都・伏見稲荷大社の祝詞 (秘文)                  
~「それ神は唯一にして、御形なし。虚にして、霊有り、天地開闢てこのかた、国常立尊を拝し奉れば、天に次玉、地に次玉、人に次玉、豊受の神の流れを、宇迦之御魂命と生出たもう・・・」
 
弥栄(八坂)神社は、牛頭天王・スサノオ(素戔嗚尊)を祭神とする祇園信仰の神社で、八坂氏の氏神だが、八坂氏は秦氏の一族である。つまり、秦氏=八坂氏=八坂神社=弥栄=ヤハウェ=稲荷神のつながりがある。「弥栄」(やえい、やさか、やえ、いやさか)はもともとYHWHからきていると考えている。  

「罪を素戔嗚尊に科(おお)せて、其の祓つ物を責(はた)る。…日本書紀では、素戔嗚尊は罪を背負って贖いをする人として描かれている。日本書紀(神代上訓注)」 三省堂提供「大辞林 第二版」                                                                                       

これは、「罪を素戔嗚尊にきせ、贖罪のものをとった」という意味である。つまり、弥栄(八坂)神社は、罪を背負って贖罪をする人を祭っている。罪を背負って贖罪をする人といえば、イエス・キリスト。弥栄(八坂)神社=イエス・キリストを祭るヤハウェ神社。                 
稲荷神社には、赤い鳥居が並べられていることが多いが、鳥居は「茅の輪」(=血の輪)がくくりつけられる贖いの門である。 伏見稲荷にずらっと並べられた赤い鳥居をくぐると、まさに「血の中を進む」感覚になり、紅海をくぐったイスラエルの話を連想させる。これは、イエスの贖罪を象徴するのかもしれない。結局、日本人は、異なる神々を拝んでいるつもりが、実は、同じ神イエス・キリストを拝んでいたということなのである。

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