藤原竜也は俺だった『三遊亭はらしょう神戸弁ラジオ』#006

え山優原正ですあの 僕あの藤原 達也が僕やったらどうしますか皆 さんもう1回聞きますよ藤原達也が原正 だったらどうしますかえ何わけわかんない こと言うなとそんなことあるわけないと気 でもおかしくなったのかとおかしくなって いやしませんよいいですか皆さん藤原達也 が原省だったらいやこう言いましょうね もう花省は藤原達也だったのですはい気が おかしくなったおかしくなっておりません 本当の話だからですこれどういうこと かっていうと僕も藤原達也をドラマ映画 CMで見るたびにもう腹が立ちますねもう 新幹線とか乗ってもなんかポスターでね 藤原達也のポスター見ておい藤原達也と そのポスターに映るのは俺だったんだぞと 思うわけですねまあ言うても誰も意味が 分からないでしょうま何かと言いますとね これね藤原達也のWiキペディア見て くださいねデビューは何1997年です 97年15歳でデビューしてますはいある 演劇のオーディションに通ってデビューし てるんですね何かと言う と川行演演出の新徳丸という作品ですはい 1997年ね幸夫新徳丸でえ花話しく デビューねすごいですもうそこからあのね もうあの人のえ活動はもう皆様ご存知の 通りですよねえしかしですね皆様実はあの 新徳丸のオーディションあの オーディション私も受けてたんですよね もうどういうことと思うでしょえじゃあ ちょっと待って97年何歳なんですかって 言ったらま僕はあの当時20歳だったん ですで僕は20十歳の時にあの将来ね芸人 になりたいねもうそれはもずっとあります えでとにかく何でもいいチャンスがあっ たらオーディション受けよってえいう毎日 だったんですその時にですねうちの母がね あんたこれビッグチャンスやでなんやお かんしんどく丸や確かにね新徳丸という字 最初に見たら新毒丸と読みますよで僕は その時にあれと思ったんですよ俺これなん か知ってるなと思うで読み方も分かった 新徳丸あ新徳丸ちゃうかおかん新徳丸新徳 丸ちゅうかこれはあこれ新徳丸って読むね やこれあこれあれやろなんで俺知ってるか 分かったわなんやねこれあれやなあの寺山 修二が昔やった演劇のタイトルやからな これあそうなんかいなそれで知ってたん ですでねま僕は演劇に興味持つようになっ たのは寺山修二からなんですね寺山修二の あのもうアングラのねえ世界あの不思議な 世界に最後最初衝撃を受けそして次は三谷 後期のあの東京サンシャインボーイズね あのシチュエーションコメディに衝撃を 受けねもう俺も絶対演劇をやろうねただ僕 の最初目指してた演劇はね三谷後期のよう なアングラというですねえもう三谷後期な のに寺山修二というもう意味の分からない 世界観をねえ最初僕はちょっと目指してた んですよでねまあそれ20歳の頃にですよ 新徳丸というタイトルおあれは寺山裕二だ と思い出すでその寺山裕二の新徳丸をどう いうこととお寺山修二ももうなくなって だいぶ立つしねならおか言うにはこれ二側 が嫌で二側やでってねえ二川って誰やって 幸夫を知らんのかよあれ灰皿投げロおさん やないかああ確かにねあの川行き尾夫って 当時テレビとかでもねえよくいろんな役者 の人が出てねえもうあの人は怒ったら灰皿 投げるんですよなんてえいう話を聞いて おりましたああの人かとええでその人が 寺山修二の作品やるんだうんでおかんも これあんたチャンスやから受けてみなこれ てで最初はビデオ審査やでであそうかいな でもうとりあえず何でもええからもう僕は ね4に出たいわけですから受けるという ことになりでビデオをねうんま撮るんです で何を撮ったいか分からないでしょで とにかく自分の部屋に当時あの8mm ビデオですあれ置いてで1人でですもう いわゆるほんまにあのなんかあ自撮り的な 感じですわねうんでこうポツポツ喋り始め たんですよえこんにちはああ私はあ今 20十歳ですとかなんか自己紹介え兵庫県 神戸生まれとかなんかただそれがね自分で ビデオその後すぐ見返すとねなんかほんま にあの暗いんですね暗いなこれはあかんな と思ってねえーなんかあのちょうどあの ぐらいの頃かなヒットしたねえマイライ フって映画あったんすよえーマイケル キートンかな終焉がえマイライフあのもう 主人公のおっちゃんがえ病気になってもう 命がねあとわずかだとそれ家族にその自分 のことを残すためにまあのビデオでねえ こう自分を撮影してねまビデオレターをま 取りダめるんですよねもうだからそんな ほんまにあのビデオレターのねなんか ちょっとそのマイライフのちょっと暗い 雰囲気みたいなねえあこれはあかんなと ほんでおかどうしたらええいやいやなんか ちょっと派手なことしなかんたえあんた川 教やであんたえ派手なことしなかねただま あんまり派手なことしたらね灰皿投げ られるやんと思うけど灰皿投げられる前の 段階ですからともかくあの何でもええから インパクトあるの出さと思ってこれで自分 であの最終的になんかあの中国中国人の キャラクターみたいなになってなんとか あるよみたいなねええなんとか私はなんと かあるよみたいなんやってほであのそん時 なんか香港映画がめちゃくちゃ好きだった んです僕なんか当時あのゴールデン ハーベストのねジャッキー10とかま ブルー3もそうですあのえジミーゴングも そうとあのレイモンドチのねえゴールデン ハーベスの あのんでんでんあれが好きほんでこの自分 の自己PR動画にねま [音楽] でんでんでんでんデデデデデレデレデレデ パラパラパラパラパラパラ曬我吐了是大眾打的呀他來把 [音楽] [音楽] やといや いいやしあやっていうそのゴールデン ハーベスのカフ映画をま自分 でものしてそれをもう画面いっぱいもう体 使ってやったんですよねほんでこれかなり いい出違うかなと思ってうん僕のそのもう 関風映画もねもうもうこれ出てるしえでも 送ったんですこれもうはとりあえずこんな ん取ってみせいや最高やんあんたこれ新川 行きを喜ぶでこれ言うてねほんで送ったん ところがもう何のもうそこからえもうねえ 連絡も何もないどういうことやとね おかしいな言ってねえこれでなんか連絡1 回したんかなえすいませんあのちょっと 送ったんですわって言うてではあそうです かてあのまだちょっと分かりませんねでな こっちもまね20十歳でねやっぱりなんか ね結局20十歳でその世の中のこと分かっ てないじゃないですかまだ芸能の世界に 入ってるわけでもないからなんかもう僕 あのカフ映画のモノマネとかしたんです けどダメでしたかなんかなんかそんなこと 聞いてるんですよ僕ねだから向こうもいや ちょっとたくさんあるのでねそういう ビデオとかもねみたいなそれはそうなん です向こうがねましかも窓連絡の窓口の人 が俺のビデオなんか知ってるわけないん ですけどなんかでももうそれだけその絶対 通るんちゃうかなんて盛り上がってたから 家族でで何にも返事もないからどうなって んやろなってもうね不安になってきほんで しばらく経ってもう本当に何の返事もなく ておかんこれちょどどうなったのかな落ち たんかないや違うえ違うあこれあんたあれ やで時間かかってんねんこれ時間かかっ てるそうやあんたあんなインパクトあるな あんたもあのビデオこのすごい天才が出て きたんちゃうかとさんもこれ時間かかっ てんねんあそうかさんももう俺のビデオ見 て天才が出てきたと当たり前あんなんもう 見て天才やと思うやろそんなそれもう こんなもんえ他にもちょっとなんか色々い てもちょっとこれはどうしようかなって 迷ってるうんもうこれはもう金の卵や ぐらいに思ってるんちゃうかそんな思っ てるかっていうも家族で大盛りやがりでも まだ全然何の連絡もないほんでだんだんね もうあれすごいですねあのあんだけ 盛り上がってたのになんかそのうちねもう 忘れるんですようんなんかあれそういえば そんなオーディションにビデオ出したな みたいになってきてあれもう言われない 忘れてたというかで何で思い出したかって いうとある時うちの母があんたこれ見てみ これえ新徳丸オーディション結果発表これ これなんかこれ乗ってるでえなんやてなん か新聞かなんか持ってきたんですね雑誌か 新聞か忘れましたけどなんか持ってきて パッて見たらそこにねえ決定って書いてる わけですでえ見たらあんたこ15歳の藤原 君のがなんや取ったでいえ藤原君15歳 なんでここの子がいやわからんもう すごかったやろいやいやあんた行ける思っ たけどないやすごかったやこの藤原君行く はすごかったんやでなカ風映画以上の インパクトあったんやでそうか藤原君に 負けたわでも待ってあんた何言って藤原君 なでもあんたもすごかったから藤原君にね 負けたと思わんでええねんとか言ってたん ですけどねどう考えてもですねあの最初の ビデオで簡単に僕は落とされてるわけです よ藤原達はビデオ審査に通りその後のね 面接とか実疑テストとかにも通ってあそこ に到達してるわけじゃないですかうんどう いうわけだかどういうわけだかうちのあの 家族の中ではあの微審査でもうあの幸夫が あれで決めてるってなんかなってたんです けどそうじゃないんですねほでもあの藤原 達也はその後新徳丸ほでこれどこどこで やる見に見に行くか見に行くかこんなもう 見ひんわとか言うてねうんこんなもう ほんま俺が出とった新徳もあるやぞなんか 言うてその時なんか腹なってきてなんだ うんあのもうしばらく忘れてたのにあの 結果見た瞬間にもうメラメラ怒りがねうん 出てきてほでともかくこの藤原達也なんか 15歳こんなもんあるやぞお前この今回 オジション通って通っただけやろとねもう これで一発やとか言うて言うてたよ全然 その後もうバトルロワイヤルとかもヒット 作ガンガン出てね開示出てねもう今や知ら ない人はいない俳優さんですよもだからは 見るた分にねくそて俺が開示やったのにえ なんで藤原達也が出とるでバトル ロワイヤルは本当は俺があそこにいて戦っ ていたはずなのに俺が最後まで生き残って いたはずなのに何を藤原達也は オーディションでも生き残りバトル ロイヤルでも生き残っているんだせめて俺 を生き残らせてくれともうほんまにあの時 はね腹が立ちましたけどもまあだけどね これほんまにあのありえないですよありえ ないけど僕がもしほんま通ってたら藤原 達也は当然この世には出てないま出てるか もしれないです別の形でねうん別の形で出 てるかもしれないけどもまでもあれで僕は 取ったら僕はじゃああの後どうなってたの かってね言うと多分ほんまにそれこそ一 発屋やったかもしれないですからねええか ほんまにもう原盤開示ねええうんもう金を 稼がなきゃいけないんだみたいなねうん うわあ俺はみたいあのもうだからもう喋り 方ももう僕が藤原達也になって るっていうね藤原達也という存在が世に出 てないのにこの世に出てなくても俺が藤原 達也みたいな喋り方になっているかもしれ ないんだみたいなねええだからあのね本当 にこの歴史の異ってね色々ありますけどま あの時こうなってたらこうなってたけど こうなってたらもうクソもないんですよ もうあの時藤原哲立が通っていると事実 しかないんですねええだからこれはこれで あのねもうあの藤原達也という素晴らしい 俳優流が世に出ない僕は藤原達がだんだん 最近好きにもなってきてもな逆にねもう だんだんだんだんなんか好きになってき ましたええだなんか知らんけどでも本当に イフもしもでありえないですけど藤原達也 があの時もし落ちてたらああ落ちてたよ みたいになった後にどうしたらすればいい んだってなってそ藤原立てなんかわかん ないですなんかわからんけど藤原ああ今の この落ち込んだ気持ちをうさ晴らしするに は寄せで落語でも聞きに行くしかないって 言うてで聞きに行ってうわう炎上って 面白いってねええうおう弟子にしてくれっ て言うて炎上う君はまだ若いね若いやつは 吸収が早いからねって言って炎上の弟子に なっていたらどうなるんだろうねねほら もう山優藤原賞ですよだからね藤藤原です わだからねもうどんだけイフもしもやねん ということやけどもでも藤原さ也がね落語 化になったらどうなってたんでしょうねど どんな落語化なんやみたいなね新作落語は やらなさそうですよね拠点落合でしかも なんか めちゃくちゃ新しいこの表現しそうですよ ねうんなんか柴浜とかやったりとかして 例えばねなんか 俺が芝の浜で拾ったこのさああ夢になると いけなんかそいちいちこうあの大げさな 演技をするみたいなだからあの柴浜のあの 何じゃあ飲んだり食ったりしたのは本当で みたいなあそこのなんか投げくシーンとか もねすごくこうもう藤原達田やったらか なんか感動的なぐらいこうこう ドラマチックになってくれるんでしょうね うんなんか下げ言う時とかもなんかあの夢 になるといけねえんだよみたいな津屋の 下げとかもなんかあ津長よりあのあ子小山 の下げかなうんああ忘れてきたとかいう 下げあるでしょあれ藤原忘れてきたみたい ななんかねすごいもううわあみたいなね うんなんかやってほしい今からやって ください藤原達也さんね今から藤原達也が 落合するというのを見てみたいですよねえ あのかなりすごい切り口でやるやると思い ますようん誰も思いつかない表現をすると 思いますええまともかく今日の話はえ実は 藤原達也は山優省で山優省は藤原達也だっ たかもしれなかったかもしれないまそんな 最後ほぼ妄想の暴走でございました ありがとうございました

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三遊亭はらしょうプロフィール

1977年12月4日兵庫県神戸市出身。
2001年に活動開始。大阪・京都で俳優として活動。
特に京都ではハラダリャンの芸名で、一人芝居(一人群像劇)で知られる。
上京し、2009年4月、落語家・三遊亭圓丈に入門。
2011年2月に廃業し落語協会を退会。同年7月に、色物弟子「ハラショー」として再度三遊亭円丈の弟子に復帰。同年お江戸日本橋亭での落語会にて、師匠より着物を着ての高座を許される。
2014年に、円丈作の名作「グリコ少年」を「マクドナルド少年」として改作することを提案し、師弟関係が濃厚となり「三遊亭はらしょう」を名乗る事を許される。
2015年、円丈らくご塾にて「モゴモゴ」(当時)が師匠から高評価を得て、師匠よりドキュメンタリー落語のお墨付きを得る。師匠の命により本格的にドキュメンタリー落語を開始。
2017年12月24日、三遊亭円丈との親子会実現。
現在、一般社団法人東京演芸協会所属のフリーの落語家として活動。
古典でも新作でもない、実話を落語形式で語る、第三の落語「ドキュメンタリー落語」を多数発表。これまでの持ちネタは600本以上!!
放送作家としては、三遊亭円丈の新作落語「牛丼少年」の原作ほか、古今亭菊志ん、キャプテン渡辺などにネタを提供。
映画の造詣も深く、本を出版するのが夢。ついに2025年2月21日「俺とシショーと落語家パワハラ裁判」(彩流社)を出版する。

★最新のスケジュールは、 / harashows
★お仕事の依頼は、nisinokaruizawa@gmail.com
★日々のエッセイnoteは、https://note.com/jolly_deer974/

#ドキュメンタリー #落語 #作業用 #藤原竜也

藤原竜也は俺だった『三遊亭はらしょう神戸弁ラジオ』

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