あなたの人生は本当にあなたのものでしょうか
ちょっと前のドラマですが刑事歪でリリー フランキーさんが上木竜之助君と自由意思 について対話するシーンがありました リリーさんは詐欺で上君は刑事なんですが リリーさんがあなたの人生は本当にあなた のものでしょうかあなた自身の意思で人生 を切り開いていると思い込んでいないです かと聞くと上き君は思い込むも何も自分の 人生は自分のものでしょとそうすると リリーさんは上き君が昨日食べた鍋のこと に言して駅前のスーパーで牡蠣を買ったの はスーパーのチラシを見たせいで今年の 牡蠣の身が大きいというのもインスタに よるもので上き君は何ひつ自分で決断して いないと言うんですね そこで僕はどうなのかと言うと僕なんかは 僕自身の意思で人生を切り開くなんて考え たこともありませんという回答になります 普通人は自分の自由意思なるものに一末の 疑念も持ちませんが自分自身の意思で人生 を切り開けるというのは自分の人生を意の ままに操れるということでもあるんですね でもそんなことができる人がどこにいる でしょう僕は見たこともありませんそして ほとんどの人は自由意思なんていうものは ほとんど機能していなくて物事というのは 自分の意思とは関係のないそれ以外の要素 によって決められているよなと薄うは感じ ているんじゃないかと思います では僕たちは社会やメディアなんかを含む 自分の外部の要素に流されるままなのかと 言うと僕は基本そうだと思います そしたら視点を変えて自分の内部の思考と か願望とかじゃなくてもっと自分の外部の 要素を吟味し厳選すべきかなと考えます 上木君の例で言うとスーパーのチラシや インスタといった外部の要素を他のものに 変えるんですね スーパーのチラシやインスタの方が便利か もしれませんが僕なんかは Instagramのアカウントを持って いませんしスーパーでほとんど物を買わ ないんですねお肉は肉屋さんお魚は魚屋 さんお野菜はやおさんパンはパン屋さんと いった感じでそういった個人商店で商売を している人たちが売っているものや進め られるものを買っていますリリーさん なんかだとほらあなたは自分の食べるもの を全て他の人に決めてもらっているんです よということになりますが個人的には スーパーのチラシやインスタよりいいかな とは思います いや別にスーパーやインスタが悪いと言っ ているわけではありませんよただスーパー のスタッフさんってコロコロ変わるし僕の 行く個人商店とは違ってスタッフさんが 自分のお金で仕入れて試食して売っている わけではないですからね同じ選んでもらう んだったら自分の体を張って意見を持って いる人の方がいいかなと思うんですねイン スタやネットについては確かに情報は たくさんあるように見えるかもしれません がざったすぎてポイントがはっきりしない のとそれらの情報は親切心からではなくて 他のものを売ろうという宣伝という形を 取った牌がありますよね今もネットの辞書 を見ていたら内気のシューズの写真が出て いて釣られて気になったエアフォースを 観覧しました それはまあ個人焦点も商売ですからそれ なりに単はあると思いますでも僕の言って いるやさんが内からお金をもらって僕に 内気の靴を売ろうとかいうのはまずないと 思います 実はこれって他の全ての事柄にも 当てはまるんですね近代では人生で1番 重要な事柄というのは自分は誰であるべき なのかといったいわゆるセルフ アイデンティティという問題かなと思うん ですがこれもまた人はそれを自分で決めて いると思い込んでいる節がありますでも ここでもリリーさんの論理は顕在でそう いったものも他人の影響を受けざるを得 ないわけですつまり放っておくと自分が誰 であるのかというのもインスタやチラシに 決められてしまうということになりかね ないんですねというわけで僕はこれも 食べ物と同じく自分のあり方というのを 自分で決めるなんてことをしないで他の誰 かから決めてもらうということをしてい ます そんな無茶なと思われるかもしれませんが こういうのはどうでしょう例えば レストランに有能なサーバーさんか あるいはソリエさんがいるとするじゃない ですかその日1番美味しいものを知って いるのは彼であって僕たちではありません よねそういう人に教えを壊に自分だけで 考えて飲むものや食べるものを決めると いうのは無謀かなと思いませんか生き方も 同じです自分だけで考えて理想の生き方を 模索するなんていうのはそれこそ無茶な ことだと思います 1番いい生き方というのを知っている人と いうのは色々といるんじゃないかと思い ますが僕にとっては兄チェさんとか藤原 さんとか橋本おささんとかあと村上は樹 さんの小説の登場人物とかですかねなぜ人 は僕のようなアプローチを取らないのかと 言うと彼らは自分で決めたかことした事故 というのがかっこいいあるいはそういうの が大人であると考えているからかもしれ ませんでも悲しいかな上き君のように自分 が自分で物事を決めていると思えば思う ほどインスタやスーパーのチラしに影響を 受けやすくなるんですね どうしてかと言うとそもそも自分で決めた かっことした自分というのをかっこよく 感じさせたり大人っぽく見せたりさせて いるのが社会でありメディアだからです なぜそういうことをするのかと言うとそう するともっと内キの靴や牡蠣が売れるから ですね でも内気の靴とか牡蠣なんかだったら特に 影響ないじゃんと思われるかもしれません ねリリーさんだったらこういうと思いませ んかではあなたの車はどうですかマイ ホームは結婚相手や友人はあなたがあなた 自身で選んだのでしょうかと
ちょっとまえのドラマですが、『刑事ゆがみ』で、リリーフランキーさんが神木隆之介くんと自由意志について対話をするシーンがありました。リリーさんは詐欺師で、神木くんは刑事なんですが、リリーさんが、「あなたの人生は本当にあなたのものでしょうか。あなた自身の意志で人生を切り開いていると思い込んでないですか」と訊くと、神木くんは「思い込むもなにも、自分の人生は自分のものでしょ」と。そうすると、リリーさんは神木くんが昨日食べた鍋のことに言及して、駅前のスーパーで牡蠣を買ったのはスーパーのチラシを見たせいで、今年の牡蠣の実が大きいというのもインスタによるもので、神木くんは「何一つ自分で決断してない」と言うんですね。
そこでぼくはどうなのかというと、ぼくなんかは、「ぼく自身の意志で人生を切り開くなんてかんがえたこともありません」という回答になります。ふつうひとは自分の自由意志なるものに一抹の疑念も持ちませんが、自分自身の意志で人生を切り開けるというのは、自分の人生を意のままに操れるということでもあるんですね。でも、そんなことができるひとがどこにいるでしょう。ぼくは見たことありません。そしてほとんどのひとは、自由意志なんていうものはほとんど機能していなくて、ものごとというのは、自分の意志とは関係のないそれ以外の要素によって決められているよなあとうすうすは感じているんじゃないかと思います。
では、ぼくたちは社会やメディアなんかを含む自分の外部の要素に流されるままなのかというと、ぼくは基本そうだと思います。そしたら視点を変えて、自分の内部の嗜好とか願望とかじゃなくて、もっと自分の外部の要素を吟味し、厳選すべきかなとかんがえます。神木くんの例で言うと、スーパーのチラシやインスタといった外部の要素をほかのものに換えるんですね。スーパーのチラシやインスタのほうが便利かもしれませんが、ぼくなんかは、インスタグラムのアカウントを持っていませんし、スーパーでほとんどモノを買わないんですね。お肉は肉屋さん、お魚は魚屋さん、お野菜は八百屋さん、パンはパン屋さんといった感じで、そういった個人商店で商売をしているひとたちが売っているものやすすめられるものを買っています。リリーさんなんかだと、「ほら、あなたは、自分の食べるものをすべてほかのひとにきめてもらっているんですよ」ということになりますが、個人的には、「スーパーのチラシやインスタ」よりいいかなとは思います。
いや、べつにスーパーやインスタがわるいと言っているわけではありませんよ。ただ、スーパーのスタッフさんってころころ変わるし、ぼくの行く個人商店とはちがって、スタッフさんが自分のお金で仕入れて試食して売っているわけではないですからね、おなじ選んでもらうんだったら、自分の身体をはって意見を持っているひとのほうがいいかなと思うんですね。インスタやネットについては、たしかに情報はたくさんあるように見えるかもしれませんが、雑多すぎてポイントがはっきりしないのと、それらの情報は親切心からではなくて、ほかのものを売ろうという宣伝という形を取った他意がありますよね。いまもネットの辞書を見ていたら、ナイキのシューズの写真が出ていて、つられて、気になったエアフォースを観覧しました。それはまあ個人商店も商売ですから、それなりに他意はあるとは思います。でも、ぼくの行っている八百屋さんがナイキからお金をもらって、ぼくにナイキの靴を売ろうとかいうのはまずありません。
じつはこれってほかのすべてのことがらにも当てはまるんですね。近代では、人生でいちばん重要なことがらというのは、自分はだれであるべきなのかといった、いわゆるセルフアイデンティティという問題かなと思うんですが、これもまた、ひとはそれを自分で決めていると思いこんでいる節があります。でも、ここでもリリーさんの論理は健在で、そういったものも他人の影響を受けざるをえないわけです。つまり、ほうっておくと、自分がだれであるのかというのもインスタやチラシに決められてしまうということになりかねないんですね。というわけで、ぼくはこれも食べ物とおなじく、自分の在り方というのを、自分で決めるなんてことをしないで、ほかのだれかから決めてもらうということをしています。
そんなむちゃなと思われるかもしれませんが、こういうのはどうでしょう。たとえば、レストランに有能なサーバーさんかあるいはソムリエさんがいるとするじゃないですか。その日、いちばんおいしいものを知っているのはかれであってぼくたちではありませんね。そういうひとに教えを乞わずに、自分だけでかんがえて飲むものや食べるものを決めるというのは無謀かなと思いませんか。生き方もおなじです。自分だけでかんがえて、理想の生き方を模索するなんていうのは、それこそむちゃなことだと思います。いちばんいい生き方というのを知っているひとというのはいろいろといるんじゃないかと思いますが、ぼくにとっては、ニーチェさんとか藤原定家さんとか橋本治さんとか、あと村上春樹さんの小説の登場人物とかですかね。
なぜひとはぼくのようなアプローチをとらないのかというと、かれらは自分で決めた確固とした自己というのがかっこいい、あるいはそういうのが大人であるとかんがえているからかもしれません。でも、悲しいかな、神木くんのように、自分が自分でものごとを決めていると思えば思うほど、インスタやスーパーのチラシに影響を受けやすくなるんですね。どうしてかというと、そもそも自分で決めた確固とした自分というのをかっこよく感じさせたり、大人っぽく見せたりさせているのが、社会でありメディアだからです。なぜそういうことをするのかというと、そうするともっとナイキの靴や牡蠣が売れるからですね。でもナイキの靴とか牡蠣なんかだったら特に影響ないじゃんと思われるかもしれませんね。リリーさんだったらこう言うと思いませんか。「では、あなたの車はどうですか? マイホームは? 結婚相手や友人は? あなたがあなた自身で選んだのでしょうか」と。