浜田省吾×福山雅治 vol 2 #浜田省吾 #福山雅治

音楽活動の話 はい。30 年ですよ、浜さん。 そうですね。 来年で はい。 当然のことながらデビューした時はこんなにやってるとは思ってなかったですよね。 そうですね。俺たちがあの始めた頃はロックシーンっていうのはまだなくて 30 以上のこうビジョンっていうのは描けなかった。だロックやることはこうドロップアウトすることだったからうん。どうなるのか。ただま好きでもとりあえず今日食えてるからいいなっていう感じでしたよね。 うん。うん。そうですね。デビューされた 70 年代ですから、ま、フォークですよね。フォークのフォークニューミュージックって言ばれてたじゃないですか。 そう。 まだこう選がないからみんなみんなそのファーストランナーっていうか第 1世代でしょ。ま、ちょっと上に そうですね。 陽水さんとか卓郎さんとか彼らもまあはい。まだ走り始めたばかりの頃ですからね。 フライフですもんね。自分たちレコード会社作っちゃった世代ですもんね。 そう。 走り続けてはいるものの はい。 走んのやめちゃおうかなって思った時もあるわけですよね。やっぱり あの40 を迎える時がちょっと危なっかしい時期があったですね。 ああ、 ちょうどそうですね。あの自分の状況とは裏なんですけど愛という名の元にっていうドラマがあってその テーマソングで悲し行きのようにってのがチャートの 1 位になって、それまでシングルチャート、ま、僕の人生で 1枚だけですけど、1位になったのは はい。はい。それが1 位になってる時はむしろ1 番あの落ち込んでた時期で あ、1 位になったから落ち込んだんではなく 1 位になってた時期が1 番なんか自分として不安定な落ち込んでたとかすごく不安定な時期で多分今思えば皆さんの少し早めに疲れが出たんだと思うね。 バーンアウトした状態で ああ、 ツアーもやった。やりやりまくった。 うん。 毎年毎年100回以上やってて でJボーイとかファーザーさんとか うん。 で、ま、父をなくしたのもきっかけにちょっと精神的にこうガタガタガタっときてちょうど 40が1 番超えるのは苦しかった時期でしたね。でもそれを超えた後はもう のんびりと今に至ってる感じですね。 だ、50を超える時は全く ああ、そうですか。 あ、そうって感じですたね。 よく50って言いますよね。 うん。 だからみんなよりもやっぱり社会の人よりも少し早いスピードで はい。 あの時間が経ってた分だけ うん。50は逆に あ、そうって感じですたね。 うん。 むしろ40の時は大変だった。 あ、そうですか。 福山君ある?ここまで あります。あります。 食べれた。もうやだつんで。 僕2 年半ぐらい休んだ頃があったんですよ。 ああ。95年から 2 年半はまるで音楽活動をしてなかったですね。 その時はどうやって乗り切ったの?乗り越えたの?やっぱ音楽好きだった。 やっぱ作り始めたら乗り越えられたって感じですね。 同じだね。 俺もそう作ることによって 乗り越えた。 うん。うん。 それがそんぐらいたエネルギーになるし はい。

Write A Comment

Pin