藤原竜也、25年前の「バトル・ロワイアル」爆破アクションシーンを回顧「よく自分でやれたなと」 深作欣二監督との思い出も明かす
もうな、何年前っておっしゃいました? 25 年前。25 年前ですか?本当にあの、ま、あの、懐かしくもあるんですけど、ここまでこの作品が本当に、え、皆さん愛していただいて、あの、感謝してます。そしてまずその前にですね、この、あの、雨が降ってこの虫暑い中本当集まっていただきましてありがとうございました。 あの、控室の方バックステージはではです ね、あの、本当に25年ぶりとまでは言い ませんけど、僕たちもこう久々に会うこう 顔ばかりでですね、あの、忘れかけた人も いちゃったりして、あの、そんなことは ないんですけども、懐かしくあの、久々に 再開させてもらいましたけれども、え、 そうですね、深作近事監督とこう出会わせ てもらったのもこの作品ですし、映画の 厳しさ、楽しさをこう教えてくれたのも この作品でした。なんかこう、え、僕に とってのこう青春の1ページ、こう人生の 新たなリスタートのような、え、作品が今 またこうして、え、丸の内東えさん 亡くなってしまうのは悲しいですけども、 え、最後にですね、こう上映できることを 本当に心から嬉しく思います。 今日は短い時間ですけども、皆さんよろしくお願いします。 はい。 ま、大変な問題策でありました。 中学生同士が苦し合うということで、ま、あの、公開前から社会減現象になるという、 ま、このバトルロワイルだったんですけど、そういう珍しい作品でもありまして、当時何歳ですか? 18 歳だったと思、18 歳。 はい。 覚えてます。騒動。 よく覚えてます。あの、東営大泉さんの方 で撮影していたんですけれども、生徒が、 生徒の数がちょっと定かではないんです けど、生徒全員が集まってですね、あの、 ま、ま、合宿とまでは言いませんけれども 、え、全員でまず、え、撮影周りの全員で ですね、こうランニングから始まって、え 、なんか筋トレから始まって、アクション 練習から始まって、あの、こんなことなん でこんなに大変なことさせられるんだろう と思いながら、あ あの、撮影入ったらもっと大変だったんですけど、でもよく覚えてます。そして、あの、深崎近事監督が、え、誰 1 人呼び間違えることなく生徒全員のこう名前をですね、記憶していたことを覚えて 役名役名ですね。 あの、非常にこう、アグレッシブにですね、あの、生徒 1人1人とこう向き合ってくれて、 ええ、 なんかすごく温かさを、あの、撮影前から感じていて、え、ました。 あの、この騒動のことは覚えてますか? もう国会議員が国会で質問したりして、あるいは国会議員社会まで開かれて、 PTA でも大問題なんて、え、覚えてます?それは。 そうです。 そこはあんまり覚えてないんだ。 僕らはね、なんか子供っちゃ子供ですから。 はい。はい。 だから はい。ま、結局 どうしだから大人たちはあの騒いでいるんだ。 何か問題があるんだ。でも我々は日々撮影をね、こなしていかなければいけないから、 あのなんか ちょっと違う世界でしたね、僕らは。 ケ太さんはプロデューサーでもありました。 はい。 で、ま、この国会で問題されるような問題が起きて、東内部の当時のムードはどうだったんですか? いや、あの、いい宣伝になったなと思いまして、あの、の仕込みかと思いました、最初。 いやいや、でもね、あの、東本当に薬剤 映画や色々ね、そういう意味ではあの、 アナーキーな映画でずっと頑張ってきた 会社ですので、あの、そういう逆境も全部 このメリットに変えていく会社なんですよ ね。なので、あの、宣伝の皆さん、営業の 皆さん一眼となって逆にそういうリスク ある作品をあの、頑張ってこう、え、 盛り上げていってくださったのを非常に今 でも熱く覚えています。結局R15 ということで中学生が登場する映画ですが、中学生は見られなくなったということになったんですよね。 え、そうなんです。それで改めて翌年に特別編というのは作ってですね。 そう、中学生が乱れるような編集にしてというさあ、そこでお聞きしますけれども、お、このバトルワイヤルを当時劇場で見た方、あ、結構いらっしゃる。え、中学生以下だったけどこっそり見た方、あ、いる。 20 人もうちょっといますかね?いますね。そうですか。 そして今日初めてバトルロイヤルを見ると方、あ、やっぱり同じぐらい 20 人ぐらいますね。楽しみにしていてください。さあ、そこで本当にたくさん激しいアクションシーンが出てくるんですが、藤浦さん、 はい。 これ、あの、 ほとんどのシーンを自分でやられたっていう風に聞きましたけれども そうですね。ええ、これご自分の希望で いやいや、あの、映画というものはそんな理解していなかったので、 ええ、 そういうもんなんだという風に、 やんなきゃいけないもんだと思ってて、 君監督がやれと言ったをやっていた。 あ、新郎場が、診療場が爆発する。もう資近距離で爆発するシーンがあって はい。 ま、あの、あんまり顔も見えないんで当然スタントマンの危険な撮影だろうと思って我々見ていたらあそこもご本人だった ね。 どんな体験でした? そう。あ、合成じゃありませんよね。 はい。あの、本当にあの、作事監督がこう言ってくれてそういうもんだと思ってましたから、 ええ、 なんかね、右も左も分からなかったと言いますか、 近くでバーン爆発して、なんか自分で飛、飛ぶ感じだったんですか、あれ? はい。そうですね。あの、非常緊張しましたけど、 爆破も相当強くったと思うんですよ。 あの、やらせてもらいましたけど、ま、それをてですね、あの、違う現場に行ったらやっぱ組やったんやろみたいなこと言われて、あの、そ、そしたらこの、あの、こんなもん軽いやろみたいなこと言われて、周りがこう皆さん映画人がこう座いてくれて逆に嬉しかったですけどね。 そうですか。他の生徒さんたちもやっぱり自分でアクションするっていうのが基本 常にやってました。そのために1ヶ月、2 ヶ月前からね、 マラソンから始まる。 はい。稽古してましたんで。 そうですか。 ケ太さん、脚婚を書きながらこれを生徒さんたち、役者さんたちが皆さん自分でやるっていうことを想定しながら書いていたんですか? いやいや、全くそんなあのちゃんとね、スタントマンの方たち、え、ジャパンクションクラブの皆さん入ると思ってたんですけれども、でも現場でどんどんどんどんみんな達也や君もあんの時自分でやりたいって当時は実してましたではい。そんな感じで暑く盛り上がってた現場でした。 これあの事務所からそんな危険な爆発とかやめてくださいっていうストップが入るとかそういうことはなかったんですか? ここまでっていうのはね、あの会社も想像してなかったんじゃないのかなと思いますね。よく自分でも振り返ってやれたなと思いますし、あの今はやはりあのできたらね、あのあのアクション部の方にやっていただけたなと思 いやまンプライアンスも厳しいですからね。 そんな資金距離の俳優さんの近くで爆発 なんてことは昔の話という感じはします けれども、深崎監督は当時70歳、そして 18歳の、え、藤原さん、あの、どんな 演出スタイルだったか覚えてますか? そうですね、本当に あの 、すごく深く合って うん、あの 178のね、ままた自分に、え、不加作組 のあの主役という 場所を与えてくださり、えー、時に褒め られ、時に、あの、君のその感情芝居で今 続けていくとお客がついてこないから、え 、まだあの、こういう芝居をしてくれと 細かい、え、内面的な、え な、何と言ったらいいんだろうな。 あの、本当数m 数mcm のような感情のぶれ方を指摘していただいたり、あの、なんか本当にね、け太さんおっしゃるそのヤザ映画とか東映画を見ててもなんかこう本当の人間の本質的な部分を見づかされてるような演奏される方でうん。 え、 なかなかあの、こういう方はいらっしゃらなかったかなと今振り返っても思いますけど、 あの、友達は殺されて B とたけさんを教室で睨むシーンがあって、 それが全くOK が出なくて、ずっとリハンを繰り返したっていうエピソードがあるんですけども、 やっぱ覚えてます、そういうの。 そうですね。 あの、そうですね、当時その、ま、たけしさんを睨みつけるっていうのもまた失礼な話でしたからね。でも役ですか? そうですね。ま、だから なかなか厳しかったですよ、監督。 そうですか。 そうです。 ま、でもそういったあの健太さん、え、なんかこう中学生が苦しやってわーとアクションでっていうことだけではなくて、そういったこう細かなところ、もうリハをずっと繰り返してなかなか本番が始まらない監督だったそうですね。 いや、本当にもう予算もスケジュールもどんどんどんどんあの打ち破ってですね。 あのプロデューサーとしては非常に困ったんですけれども、でもあの本当に暑く最後にねあの癌を患らってたんですよ。 それでその最後の作品何がいいかって言っ た時に僕たちとしては千葉さん、安川さん 、たさん、ゆかりあるの役者さんたちと 最後やってたんですが、あの親父はずっと 達也君若い役者さんたちと一緒にやること を最後にね、ずっと望んでいてはい。 それがやっぱりなんか加作所の生き方だったなと思いました。
俳優の藤原竜也さんが7月15日、映画館「丸の内TOEI」(東京都中央区)で行われた映画「バトル・ロワイアル」(深作欣二監督)の舞台あいさつイベントに脚本を担当した深作健太さんとともに登場した。
イベントは「さよなら 丸の内 TOEI」プロジェクトとして開催された。
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#藤原竜也 #バトル・ロワイアル
1 Comment
久しぶりだな