『バトル・ロワイアル』上映に藤原竜也が駆け付ける!今だから言える裏話続出!?【さよなら丸の内TOEI】『バトル・ロワイアル』上映前舞台あいさつ【トークノーカット】
[拍手] [音楽] お、あります。さあ、それでは早速お [拍手] 2 人に一言ずつご挨拶いただきましょう。まずはバトルロアイヤル主演七原周也藤原達也さんです。 よろしくお願いします。 もうな、何年前っておっしゃりました? 25 年前。25年前ですか、本当にあの、 ま、あの、懐かしくもあるんですけど、 ここまでこの作品が本当に、え、皆さん 愛していただいて、あの、感謝してます。 そしてまずその前にですね、この、あの、 雨が降ってこの虫厚い中本当集まって いただきましてありがとうございました。 あの、控室の方バックステージはではです ね、あの、本当に25年ぶりとまでは言い ませんけど、僕たちもこう久々に会うこう 顔ばかりでですね、あの、忘れかけた人も いちゃったりして、あの、そんなことは ないんですけども、懐かしくあの、久々に 再開させてもらいましたけれども、え、 そうですね、深作近事監督とこう出会わせ てもらったのもこの作品ですし、映画の 厳しさ、楽しさをこう教えてくれたのも この作品でした。なんかこう、え、僕に とってのこう青春の1ページ、こう人生の 新たなリスタートのような、え、作品が今 またこうして、え、丸の内東さんなくなっ てしまうのは悲しいですけども、え、最後 にですね、こう上映できることを本当に心 から嬉しく思います。 今日は短い時間ですけども、皆さんよろしくお願いします。 ありがとうございます。続きましてバトルワイヤルでは脚本コンプロデューサーを続編のバトルワイヤル [拍手] 2 では監督をされました深崎健太さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いします。え、今日は本当にお集まりいただきありがとうございます。え、バトルロエルという作品本当にあの自分のスタートとなった、え、思い出深い作品で達也や君ともあの 10年ぶりすね。なんか稽古場でなんか いいかってあれなんですけれども、あの こうして、えっと、皆さんの前でまた 会えるのが、あの、本当に嬉しいです。 初めて自分が舞台挨拶に立たせていただい たのが確かバトルの、え、死者会でこちら の丸ノ内東映でした。達君と一緒で。で、 それ以来あの25年本当なんか自分にとっ てあっという間なんですけれども、皆さん もま、色々あの、あったんではないかと 思います。え、皆さんの色々、あの、 25 年も重ね合わせて今日見ていただけたらと思います。どうも楽しんでってください。 ありがとうございます。今日お父様の副作監督と健太監督と深監督 2 人になりますんで、健太さんのことは健太さんと呼ばせていただきます。さあ、ここからマスコミの方はフラッシュはお控えください。よろしくお願いします。さあ、藤原さん。 はい。 ま、大変な問題策でありました。 はい。 な、ま、このバトルロワイルだったんですけど、そういう珍しい作品でもありまして、当時何歳ですか? 18 歳だったと思 歳。 はい。 覚えてます。 よく覚えてます。あの、東営大泉さんの方 で撮影していたんですけれども、生徒が、 生徒の数がちょっと定かではないんです けど、生徒全員が集まってですね、あの、 ま、ま、合宿とまでは言いませんけれども 、え、全員でまず、え、撮影周りの全員で ですね、こうランニングから始まって、え 、なんか筋トレから始まって、アクション 練習から始まって、あの、こんなことなん でこんなに大変なことさせられるんだろう と思いながら、あ あの、撮影入ったらもっと大変だったんですけど、でもよく覚えてます。そして、あの、深崎近事監督が、え、誰 1 人呼び間違えることなく生徒全員のこう名前をですね、記憶していたことを覚えて 役名役名ですね。 あの、非常にこう、アグレッシブにですね、あの、生徒 1人1人とこう向き合ってくれて、 ええ、 なんかすごく温かさを、あの、撮影前から感じていて、え、ました。 あの、この騒動のことは覚えてますか?もう国会議員が国会で質問したりして、あるいは国会議員社会まで開かれて、 PTA でも大問題なんて、え、覚えてます?それは。 そうです。 そこはあんまり覚えてないんだ。 僕らはね、なんか子供っちゃ子供ですから。はい。 だから はい。ま、結局 どう者だから大人たちはあの騒いでいるんだ。 何か問題があるんだ。でも我々は日々撮影をね、こなしていかなければいけないから、 あのなんか ちょっと違う世界でしたね、僕らは。 ケ太さんは プロデューサーでもありました。 はい。 で、ま、この国会で問題されるような問題が起きて、東内部の当時のムードはどうだったんですか? いや、あの、いい宣伝になったなと思いまして、あの、の仕込みかと思いました最初。 いやいや、でもね、あの、東本当に薬剤 映画や色々ね、そういう意味ではあの、 アナキーな映画でずっと頑張ってきた会社 ですので、あの、そういう逆境も全部この メリットに変えていく会社なんですよね。 なので、あの、宣伝の皆さん、営業の皆 さん一眼となって逆にそういうリスクある 作品をあの、頑張ってこう、え、盛り上げ ていってくださったのを非常に今でも熱く 覚えています。結局R15 ということで中学生が登場する映画ですが、中学生は見られなくなったということになったんですよね。 え、そうなん。それで改めて翌年に特別編というのは作ってですね。 そう、中学生が乱られるような編集にしてというさあ、そこでお聞きしますけれども、お、このバトルワイヤルを当時劇場で見た方、あ、結構いらっしゃる。え、中学生以下だったけどこっそり見た方、あ、いる。 20 人もうちょっといますかね?いますね。そうですか。 そして今日初めてバトルロイヤルを見ると方、あ、やっぱり同じぐらい 20 人ぐらいますね。楽しみにしていてください。さあ、そこで本当にたくさん激しいアクションシーンが出てくるんですが、藤浦さん、 はい。 これ、あの、 ほとんどのシーンを自分でやられたっていう風に聞きましたけれども そうですね。ええ、これご自分の希望で いやいや、あの、映画というものはそんな理解していなかったので、 ええ、 そういうもんなんだという風に やんなきゃいけないものだと思ってて、 君監督がやれと言ったをやっていた。 あ、新郎場が、診療場が爆発する。もう資金距離で爆発するシーンがあって はい。 ま、あの、あんまり顔も見えないんで当然スタントマンの危険な撮影だろうと思って我々見ていたらあそこもご本人だった ね。 どんな体験でした? そう。あ、合成じゃありませんよね。 はい。あの、本当にあの、作事監督がこう言ってくれてそういうもんだと思ってましたから、 ええ、 なんかね、右も左も分からなかったと言いますか、 近くでバーン爆発して、なんか自分で飛ぶ、飛ぶ感じだったんですか、あれ? はい。そうですね。あの、非常緊張しましたけど、 爆破も相当強くったと思う。 あの、やらせてもらいましたけども、ま、それを経てですね、あの、違う現場に行ったらやっぱ加作組やったんやろみたいなこと言われて、あの、そ、そしたらこの、あの、こんなもん軽いやろみたいなこと言われて、ま、周りがこう皆さん映画人がこう座ってくれて逆に嬉しかったですけどね。 そうですか。他の生徒さんたちもやっぱり自分でアクションするっていうのが基本 つにやってました。そのために1ヶ月、2 ヶ月前からね、 マラソンから始まってはい。稽古してましたんで。 そうですか。 ケ太さん、脚本を書きながらこれを生徒さんたち、役者さんたちが皆さんに自分でやるっていうことを想定しながら書いていたんですか? いやいや、全くそんなあのちゃんとね、スタントマンの方たち、え、ジャパンクションクラブの皆さん入ると思ってたんですけれども、でも現場でどんどんどんどんみんな達也や君もあんの時自分でやりたいって当時は実してましたではい。そんな感じで暑く盛り上がってた現場でした。 これあの事務所からそんな危険な爆発とかやめてくださいってストップが入るとかそういうことはなかったんですか? ここまでっていうのはね、あの会社も想像してなかったんじゃないのかなと思いますね。よく自分でも振り返ってやれたなと思いますし、あの今はやはりあのできたらね、あのあのアクション部の方にやっていただけたなと思い いや、ま、今はコンプライアンスも厳しいですからね。 そんな資金距離の俳優さんの近くで爆発 なんてことは昔の話という感じはします けれども、深崎監督は当時70歳、そして 18歳の、え、藤原さんあのどんな 演出スタイルだったか覚えてますか? そうですね、本当に あの すごく深く合って うん あの 178のね、まが自分に、え、不加作組の あの主役という 場所を与えてくださり、えー、時に褒め られ、時にあの君のその感情芝居で今続け ていくとお客がついてこないから、え、 まだあのこういう芝居をしてくれと細かい 、え、内面的な、え な、何と言ったらいいんだろうな。 あの、本当数m 数mcm のような感情のぶれ方を指摘していただいたり、あの、なんか本当にね、健太さんおっしゃるそのヤザ映画とか東映画を見ててもなんかこう本当の人間の本質的な部分を見づかされてるような演奏される方でうん。 え、 なかなかあの、こういう方はいらっしゃらなかったかなと今振り返っても思いますけど、 あの、友達は殺されて B とた岸さんを教室で睨むシーンがあって、それが全く OK が出なくて、ずっとリハを繰り返したっていうエピソードがあるんですけども、 やっぱ覚えてます、そういうの。 そうですね。あの、そうですね。 当時そのたけしさんを睨みつけるっていうのもまた失礼な話でしたからね。 でも役ですか? そうですね。ま、だから なかなか厳しかったですよ、監督。 そうですか。 そうです。 ま、でもそういった、あの、け太さん、え、なんかこう中学生が黒シ合ってわーとアクションでっていうことだけではなくて、そういったこう細かなところもうリハをずっと繰り返してなかなか本番が始まらない監督だったそうですね。 いや、本当にもう予算もスケジュールもどんどんどんどんあの打ち破ってですね。 あのプロデューサーとしては非常に困ったんですけれども、でもあの本当に暑く最後にね、あの癌を患らってたんですよ。 それでその最後の作品何がいいかって言っ たに僕たちとしては千葉さん、安川さん、 たさん、ゆかりある人の役者さんたちと 最後やってたんですが、あの父はずっと 達也君若い役者さんたちと一緒にやること を最後にね、ずっと望んでいてはい。それ がやっぱり深作近所の生き方だったなと 思いました。 何かあの画面の炭の方で映ってもないんじゃないかなって人にまで細かく演技指導していたっていう。それ覚えてます?そういうの すごく覚えてますし、あの本当におっしゃる通りその映ってないね。 あの、その例えば今日撮影じゃない方たちもあの監督に会いにセット入ってきたり、 皆さんずっとその撮影上にいたりしてましたから本当に あのホームと言いますかね家族のような組ではありましたけども はい。あのセリフがアドリブになることも興奮していてあったと思うんですがほぼ台本通りにセリフは話さなきゃいけないっていう現場だったとも聞きました。 でも結構現場であのみんなに合わせて変えてってたんですよね。 あ、変えてる。 はい。なのでそういう柔軟さもまたあのある現場だったと思います。 え、カペが貼られてるって話があったんですけども。 はい。え、達也君は本当にセルフ覚えがいいんでそんなことは全くないんですけど、あの今日お名前出せない選挙活動中の方がですね、 あの、え、はい。大変、あの、セリフ覚えがあれでございましてはい。 もうね、向く先芝居本番な用意した後でこう向く方向に全部その完ペが貼られてるっていうね。 いや、ただあの深組は完ペオッケなんだっていうのはそういう話だったっていうね。で、それも監督がどんどんセリフ変えちゃうからそれは覚えられませんよってこともあったって話をね、ここではさせていただきますけども、え、全活動 確かに そこに話が行くとはちょっと思いませんでした、私も。 ええ、で、あのか、え、深崎さん、健太さん、あの、要するに現場でどんどん変えていくと話の筋とか設定もおかしくなるようなこともあったと思うんですけど、そこも関係なくですか? [音楽] 違、そうですね。あの、特にラストシーンのたけしさんの死に方っていうのはドタ場まであんまり決まってなかったので、あの、本当に前日まであの監督と権ワクワクして、あの、新書いたの覚えてます。 [音楽] そうですか。 あの、たけさんのこう劇中で出てくるすごく印象的な絵があるんですけど、あれ、たけさんご本人がれてんですよね。 そうなんです。 別ギャラだって言われましたけど。 そうですか。ま、でも世界の北野ですからね。 その後で、あの、ま、その北野先生、ビートた志さん、北野先生の役だったんですけれども、ま、得体の知れない怖さがありましたが、現場ではどんな思い出がありますか? あの、やはりたけさんですから、あの、すごくいい意味での緊張感をこう生徒たちに与えてくれて、あの、退治していたっていうのを覚えてますけれ も、あの、僕もね、割りとよく話をさせてもらったすごく優しい方でした。はい。 あの、やっぱりお笑い芸人でもありますから、こう現場を和名ますなんてことはそうなかったんじゃないのかなってこしてました。 してましたか。すいません。懐かしいですね。小へえ。そして忘れちゃいけないヒロインの前田明さん。 前田明さんは15歳と設定と同じ中学 3 年生でこの役を演じられております。前田さんいかがでした?同じシーンが多かったと思いますが ずっと一緒にいましたから ええ あきっちゃんもその後あの何度も共演させてもらって うん そうですね時間の流れを感じると言いますか 上司みたいな感じですね。 そうですね。もう戦友ですね。秋きちゃん。 はい。はい。 はい。そして、ま、無人島で殺し合いをするわけですが、本当に無人島で撮影をした、 1 週間近い撮影だったと聞いておりますけれども、この無人と八条小島どんな島でした? これはですね、あの、これもう今言っていいと思うんですけど、このあの書いちゃだめなんですけど、あの、こう今だから言えると思うんですけど、八条小島からこう本当にこう船で我々毎日夕方になると戻ってて、朝でこ 船に行くん なんか漁選だったらしいですね。 漁選でそうしたらですね、 え、 あの深作監督がですね、あの撮影を後スタッフの方とね、みんなビール飲み出して 船に乗ってあのキロに着くわけですけど、これあの大変、あのむ、な んでこんな話したのかわかんないですよ、自分で。そこビール飲んでですね、藤君綺麗な海だなつって、その秋をポーンって投げたんですよ。 ええ、ええ、 すごい時代というか、すごい人だなと思って、あの、え、嘘です。 この話すいません。なかったことにしてはい。 なんか、あの、本当に昔は人が住んでて、もうその時しかいなかったですよね。 ね。ヤギしかいなかった。で、え、水道とか電気とかは ないっすね。だからトイレもあの、掘って はい。女子だけそこ使えて男みんな外で。 はい。 あら、すごい過酷なところでやっていて、洞窟のシーンもありましたけれども、 ありましたね。 結構大変だったて聞きました。 海の近くの洞窟の市。そうですね。それこそあのあきちゃんと一緒のシーンだったと思いますけれども。 ええ え、そうですね。よくご存知で、あの、もうよくこで撮影するなっていう場所で今だったら考えられないですよね。 そうですか。 こっちで岩が崩れ落ちて うん。 あっちでも崩れててもう早めに帰った方がいいんじゃないのかなんて思ってやってました。 実際に結構近くで崩れたらしいっすね。 崩れたりしてました。 ええ。 はい。 あ、当たんなくてよかったねみたいな。 いや、今だったらダメすね。 あとなんか船虫シがたくさんって いましたね。たね。 牛苦手じゃなかったですか? 牛苦手ですけどもそこずっとあの止まってなきゃいけないんですよ。監督に怒られるから。 ええ。 はい。 嫌だったですか? 過酷な撮影でした。 そうですか。 そして、ま、とにかく話が進むごとに、え、クラスベーターをどんどん減っていく。みんな帰っていく。どんどんゲーム現は人が少なくなっていく。どんな感じでした?それは。 そうです。みんな悲しんで帰ってくんでしょ?きっと 悲しんで。はい。そうですね。もう、もうその瞬間、瞬間をこうなんか生きさせてもらった。 ええ。 リアルにこう、ま、芝居な、お芝居なんですけども、その体験させてもらってたっていう感じでしたね。え、 あの、け藤さん、若井はさんは撮影が終わりたくなくて死ぬ日は NGをよく出してたってのは本当ですか? それは、それは親父が NG出すんですよね。あの、 別れたくないから。 あ、で、最後に八条の打ち上げでそのや君とかね、みんなあれなんですけど平気で 10 代の役者さんたちに酒飲ましこれも今言えないやつです。で、あのプール飛び込んだの覚えてます? 覚えてます ね。なんかあの 70 歳の親父が心臓麻痺で死んだらどうしようと思いながらみんなで最後プールに飛び込んでホテルの人に本当に怒られました。 そうですか。ま、あの そうなんですよ。 監督、あの、ずね、あの、島、夜、あの、宴会してて、加作組ってやっぱすごいな。だからいい時代の最後のこね、残してくれた僕らその光景見させてもらったんですけど、 ずっと皆さんスタッフ含めてあの、飲まれてるんですよ。 ええ、 でね、藤原君、あの、ある時夜なんか八城島に小島に、八条島にあるカラオケスナックかなんか行こうって言って監督が僕が歌うって言って監督が歌うんだってずっと飲んでた後にそのさ、酒が飲める、酒が飲める、酒が飲めるぞって歌いだった。出したんですよ。 [音楽] え、ええ、ええ。 ずっとお酒の歌を歌うんですよ、監督が。 ええ、 それが深加作組でした。 はい。 そうですか。 ま、でもあの楽しい思い出とかなんかあります。過酷な思い出もたくさんあるようですけれども、あの、撮影中も楽しかったんですけど、大変でしたけども、その、 え、 あの、撮影以外のね、そういう時間が監督の貴重なお話を聞かせてもらったり [音楽] はいはいはい。 そういうのがやはり残ってるかなってありますけど。 はい。そしてクランクアップ。 まあ、それだけの過酷なあ、ことをやって最後どんな感情だったかって覚えてます?終わるっていう時に。 全く覚えてないです。 ええ、プロデューサーからプレゼント渡されたのも覚えてます? 普通花束じゃないですか?花束じゃなかったの?東のプロデューサーがくれたものは覚えてます?宝くじ。宝くじでしたっけ? ええ、そういう記録が残ってるんですよ。 へえ、 藤さんインタビューで鼻束と思ったら宝くじを切れてすごいびっくりしたふさ組みたいな。 へえ。 ええ。あ、全く 覚えてませんでした。 あ、やっぱり色々この 20前だからね。ええ、そう。 で、あの、け太さんはそのプロデューサーとして客観としてなんかこうどんな思い出が 1番残ってますか? え、ま、あの、本当になんか死の侍みたいなもんで仲間集め 42 人の生徒をとにかく最初東映にも協力していただけなかったもので、堀さんやいろんなところに事務所直接出かけて皆さん 1人 1人をあの深崎禁事が選んでったっていうのが非常に印象深くほんで 1 番最初に也や君ときちゃんが出会えてでもあの 1番メ を最初に決められたのが、え、すごくこう、その出会いが嬉しかった ことを覚えています。はい。 そうですか。 え、藤さん、今改めて振り返ってこの作品が藤浦原さんにとってその俳優人生にとってどんな意味を持っていますか? いや、もうこうありきたりで申し訳ないですけど、もう宝物ですよね。それは あの、ずっと思います。やはり僕の中で、え、深崎禁二さん監督というものは強く残ってますし うん。 え、冒頭と繰り返しになってしまいますけど、やはり、え、映画の楽しさ、大変さっていうのをその魅力を教えてくれたのも深加作組だし、 え、深加作組に、え、少しでもこう若い時に参加させてもらったことが、え、これからもきっと財産として残ってくんじゃないのかなと思いますし、あの、こったと思、やはりあそ ここまでのね、才能のある方とは本当にもっともっとご一緒したくてしたかったっていう思いは残ってますけども。はい。 そうですか。そして健太さん、ま、親子の共同作業となりました。 脚婚が息子さん、そして監督がお父様とこの共同作業かがでした?深作監督はどんなお父様でしたか?いや、 えっと、遅くの1人息子だったので親父が 42 歳の時可なのですごく可愛がられた記憶しか親子関係はないんですけれども現場に入ってから本当に初めて親喧嘩をしたら止まんなくなりまして毎日喧嘩してましたね。 え、どんなことで喧嘩するんですか? いや、もう本当に予算やスケジュールや普通もう 2、3時間で終わるだろうって撮影を1 日かけるんですよね。あの、冒頭で達也や君のお父さんが自殺するシーンがあるんですけれども、 4 カットのはずが全然終わらないんですよ。狭い部屋の撮影で。で、何やってんのって覗きに行ったらトイレットペーパーに一生懸命周夜頑張れ、周夜頑張れって書いてて、ああいうなんて言うかな、客 れ台になかったんですよね。夜頑張れって。 そう、突然そういうことを思いつくんですよね。 で、それがなんかある人間の凄まじさにつがっていくっていう、そういう即興が深演出だった。 あれは健太頑張れって書いてるんだよってスタッフの人は思ってそうですよ。 いや、本当にもうあの辛い話ですけど撮影終わってくれるのが 1番何よりのあれなんですけどね。 本当に時間かかって朝から朝までやってました。 そうですか。いします。 あの、丸の首党へあと 12 日で閉ということですけれども、え、どんな思い思い出残ってらっしゃるのか、まずは健太さんお願いします。 はい。え、本当にこの丸の人へ、え、初めてここの舞台に立たせていただきガキの頃からずっと上で親父が打ち合わせしてるのを、あの、待って漫画祭りを見たり、あの、いろんな思い出深い映画館です。 2階がこうやってあって、え、そしてね、 あの大音量が響く、この天井が高い劇場 ってのも日本に最後、ここは最後 で亡くなってしまうのは本当にあの悲しい んですけれども、僕もまたこの風景を目に 焼きつけて、え、いつかまたね、あの都の 皆さんとお仕事することができたらと思っ ております。本当にあの深崎近事もやっと あのここにいて、え、喜んでると思います 。本当に今日はどうもありがとうござい ました。 け太さん、 25 年前バトロアの初日ここに監督と偵察に来たそうですね。よくご存じ夜にそうなんですよ。親父が医療心配してあの車で一緒に来たんですよね。そしたらまた今日も同じ景色が見れてあれだったんですけど映画館の前にずらりと人が並んでいて 深夜 はい。 もう徹夜で並んでくださった方たがて、その横側を見た時の親父の顔が本当に忘れられ ああ はい。 え、豪快なさ監督もちょっと入りが心配で夜中に見に行こうなんていう気持ちになるんですか? そうなんですよね。すごくはい。でも皆さんのあの姿を見た時のあの笑顔というか泣き顔と言いますかね。それは本当にあのはい。うん。 何よりのあのプレゼントだったと思います。 そうですか。そして原さん。 はい。 丸の東へ閉官、え、どんな思いでいらっしゃいますか ね?非常に寂しいですけれども、あの、ま、僕らとしては、え、その思い出を残しつつもまた、え、新たな気持ちでね、新しい作品で皆様を喜ばせていけたらいいなと思ってますけど、 お客さんメッセージお願いします。 はい。本当に、え、多くの方に集まっていただきましてありがとうございました。え、最後に監督と深加族監督とも会えたので非常に嬉しかったです。 え、バトルロアル久しぶりの上映になりますけれども、最後まで楽しんでってください。ありがとうございました。 ありがとうございました。さ、禁事監督のお写真でございます。あ、拍手ありがとうございます。 [拍手]
藤原竜也、脚本の深作健太が登壇した【さよなら丸の内TOEI】『バトル・ロワイアル』上映前舞台あいさつの模様をトークノーカットでお届け!
#バトルロワイアル #藤原竜也
16 Comments
みた
山本太郎はいないのか😢
オリジナル版と特別篇と「2」のBlu-ray化を!!
前田亜季はいないのか
大ボリュームのメイキングソフトも買いました
もう25年前になるのかぁ😂私は新宿東映(今のバトル9?)で観ています❤日本映画の実写版で、上映前に劇場の周りに観客の輪が出来ていたのは、これが最後じゃないだろうか…🎉
直撃世代だった…中学三年の時に本当にこういうこと起きるんじゃないかと本当に怖かった…
レンタルビデオも15歳以上で借りれなかったのに、隣にメイキングビデオがあってそれは借りられたので、本編より前にメイキングを見ました
動画本当にありがとうございます。
こうして藤原竜也さんと深作欣二監督、深作健太さんの思いや思い出話を25年後聞けるとは思ってもみませんでした。
当時こっそり見に行った🙋♀️って画面の向こうで手をあげました笑
ずっとずっと大好きな作品です。
当時劇場で見て
栗山千明さんが男子の股間をメッタ刺しにするシーンで震え上がったのを思い出す
深作さん元気そうで嬉しい
監督されたBRⅡ
映画館でビビりながら観てましたw
あの物議が最高のプロモ―ションになったんですよね
当時は師走で慌ただしかったのを昨日の事のように覚えています
当時青少年事件等の影響で国会でも取り上げられ、『ダイナソー』、『パーティカルリミット』に次ぐヒットとなった本作。
個人的にはもう邦画史上最高傑作だからなぁ。当時はバトル・ロワイアルインサイダー買って穴が空くほどに読み込んで各キャラの武器とか丸暗記してたもんなぁ。
演じた七原秋也にも通じる、繊細さと危うさをもった少年という印象だった藤原竜也もいい大人の男になっていることに時の流れを感じる。健太さんの話した「最後の仕事にベテラン俳優でなく、これからの若者とやることを選んだ、それが深作欣二」に涙が溢れた。
当時15歳だったけど一般料金払って見ました!!原作や解説本も読んだりしてめっちゃハマりましたー!
桐山がかっこよすぎて今見ても惚れちゃいそうです😍
最後の上映見にいきます!