大下容子ワイドスクランブル『スペシャル対談「 戦後 80年」 広島 今日 原爆の日・・・被爆2世として生きる歌手・吉川晃司の思い』②

平和への思いを積極的に発信している浩司 さん。 そのきっかけとなったのは母王の小学校 からのあるオファーだった。あのなんかね 企画だったみたいなんですよ。募集された 企画の中で母出身の歌手というか歌詞に曲 を作ってもらってで彼らが仕入って平和の 実りの歌子を作れいいなみたいなのをその 応募したら なんかその受かったらしくですね。はい。 夏を忘れない。 そうです。 約束しよう。 被爆者から話を聞いた子供たちが塩かき、 キ川さんが作曲をしたあの夏を忘れない。 ああ忘れない。 女性がみんな描いたね。塩全員がの塩きまして はい。 それをこう集めて繋ぎ合わせて 素敵な心にね、皆さん喜ばれたと思います。 いや、ま、プレッシプレッシャーもありましたけどね。 先輩としては 俺にできるかなと思った。 そして平和への気持ちをさらに強くしたのが東日本大震災だ。 2011年に東日本大震災が そうです。 起きてしまって、あの、ボランティアにどれぐらいいらっしゃってたんですか? 3 週間。えっと、だから 18日からですかね。 そうですね。 あ、これは行こうと。で、何かしたいと思ったってまず自分のね、目で見て感じないとやっぱり判断違えるような気がしたんですよ。 とかくああそこでそのいろんなものに 触れれば触れるほど自分の無力感を通感さ せられるのが1番 大きな あのし衝撃でやっぱり来たもんですから 歌手なんて何にもできないんだなっていう のがま僕の中で一番大きかったですね。力 もあって君は他にね色々伝えるを持ってる 人間なんだからここで僕らと一緒にこう やって体を動かずんじゃなくてもっと発信 してくれない。どどうして発信しないの? この状況をみんなに伝えてくれよ。そのが よっぽど嬉しい。 ああ、そうだな。俺はもっとできることが あるかもしれないな。の申請がね、やっぱ 僕だったらすごい大きなきっかけで やった方がいいと思うことはすぐにやるよ 。自分みたいな風になんか変わったかな? [音楽] 自分がやれることはとことんやろう。ひ川 さんのスイッチが入った瞬間だった。 13年の8月6日には 地元広島のプロ野球チームカープの応援の場を活用した核兵器配と世界高級平和を願うイベントピースターに参加したんだ。 そこで披露したのが今和の清郎さんも歌った 日本語版人だったなこと [音楽] ピースなんかも始まるですね。 8月6日に もうあのもうご迷服を言いながらみんなでそのじゃあ夜勤を見せてあげようみたいな発想見ていただこうみたいな。 ま、それはそれま、3 ぺあると思いますけれどもみんなで決めだったんならいいんじゃないかなと思うし 本当にあのでも忘れないでこのことを伝えていかなきゃいけないですね。 うん。そうそう思いますね。 はい。 ひさんのお父さんは昭和 11 年生まれとおっしゃっていたので、その 9 歳になる年の頃に原爆がを落とされたわけですけれども、広島のちょっと離れたところに阻害されていて、入試被爆ということですが、そのご実家が原爆と挟んで向い側ということはその 9 歳の少年が見た光景はどういうものだったのかということをもうさに爆身地ですからやはりなかな [音楽] 話すことができなかったし、話したくなかったのかなという風に私は、ま、伺ってて、そんなことも思いました。はい。はさん、ここまででどんなことを感じますか? そうですね。あの、キッカーさんが、ま、 父ちゃんなりね、頑張ったってこうね、 子供に伝えていきたいで思ってもらいたい とおっしゃってましたけど、やっぱり今の 平和80年まで積み上げてきたこの平和を 、ま、ここで80年、これをリセットさ せることなく、次の世代にどうつげていく か、その重要性をやっぱりすごく感じ てらっしゃるんだと思うんですよね。 で、平和ってやっぱり意識しないとなんか忘れてしまうもので、も常に意識してることで戦後をリセットさせないようにする。その意識するきっかけを是非こういう発信力のある方がなんかきっかけを作ってくだされば本当に尊い活動だなと思います。はい。 そのメッセージを発信する際に気をつけてらっしゃることがあるそうです。 はい。それが伝え方だと言います。 え、きっかけは2011年の東日本大震災 で被災地のボランティア活動に参加した際 のことです。え、東京に戻って被災地の リアルな実情を話すと引かれてしまったと いうことなんです。で、これは本能的な ものだと思うとキッカーさんお話しされて います。で、こうした経験などから キッカーさんはメッセージをただ強く発信 するのではなくエンターテイメントにして 伝えるこれの努力が必要だと感じていると いうことでした。さんのキッカーさんは こう人にはこう防御本能みたいなものが あってそういう現状を聞かなければいけ ないんだけれどもちょっとこう心はその 聞けば聞くほどこう引いてしまうような それを体験されたそうでその3週間の ボランティアの後にこうだったんだこう だったんだってこう東京で話をしてもそれ でやはりこうスタイルにはまる と技術がいるというそれが こう曲作り歌詞作り などにもそういうこと やったのかなと思 なるほどね。いや、でもこれキッカーさんでしないとなかなかこう語れない本当にリアルな体験なんですよね。伝えたくてもやっぱ相手のことあるっていうのはあとそのままおじさんもおっしゃってましたけどその被爆幼い頃に結構被爆者の方いらっしゃるなんか聞いちゃいけないんじゃないかなっていう空気があったっていうのは うん。なんかこう分かる気がありまして、 実は私の祖父のえっと 終選の時っていうのは鹿児島のチラの特攻 隊の、ま、いくつか特攻隊のあの空港はあ 、その空港があって、その空港のね、警備 隊長だったんですよ。で、それまさ最後 こう見送るわけじゃないですか。本当に もう 究極のこう、ま、17、18歳の子がね、 こう送るわけですけども、やっぱそこに とっても究極のそうなってのかな、ご辛い 体験で私がだから子供の頃にそんな話を 聞くんですけど、ちょっとね、祖父は私の 父には伝えてないんですよ。だからやっぱ 戦後何年か経ってほ、何十年経って ようやく語れるよ。 自分の中で話せるで、それがたまたまその孫だったっていうなんか聞いちゃいけない雰囲気と同時になかなか話せないあまりにも衝撃的なことでそういうことってあるんだろうなって気がしますね。 そしてその3 週間こう自分を身分をこう明かさないでと言いますかやっぱ 3 週間ボランティアに行くってなかなかできることでは ないなとでもやっぱり自分ができることはやろうっていうそういう方なんだなというはい あの当時は本当に雪が降るほど宮城県は特に寒かったですし あの物資もない中でボランティアの人が行くと逆に迷惑になってしまうんじゃないかっていうよう がってしまったところもある中で やっぱりそういう自分はこういう人ですというのを明かさずにボランティアに [音楽] 3週間も従事していたというのは波の 気持ちはないですよね。 はい。 そんなキ川さんは唯一の被爆国日本が核しく配に向けた強い行動を起こせていない現状についてこのように話されました。 原発問題についてはこう核兵器の被害を受けた町に生まれたキッカーさんとして思うところはありますか? え、原発に関しても、ま、自分はいつか再生エネルギーでもう技術もどんどん上がってきてますし、やれる時は来るんじゃないかと思っているので徐々に減やらしていくべきだと思いますね。 で、ま、核兵器も 地球上からなくすべきだと思いますよ。 まず ただし亡くなる までの間のことはやっぱり皆で考えないと だ。 これはやっぱり国民の総してね、どうするってことを決めないと結構戦争始める人って自分たちは絶対戦住にはいかないとそういう人たちだし安全地帯にいる人たちがそういうことを始めるじゃないですか。我々庶民はそれと違うんで庶民に決めさせてもらいたいですよねと思います。 そういう発信を唯一の被爆国の日本なんですが十分発信できてると思い いや、それは条約にもね はい。 あの時やっぱりサインできないんだなっていうのは思いましたね。 核兵器禁止条約 そうです。はい。 核兵器の保有や使用などを禁止した。 核兵器禁止条約には現在 94の国と地域が署名している。 ただ原爆から80年の今年、各排への全進 を期待する声が上がる一方、アメリカの核 の傘に頼る日本は参加していない。あの、 核兵器保有国と非保有国の橋渡しになり たいという風に、ま、岸田総理がコメント したりそういうことなんですけども、でも 橋渡しっていうことは核兵器禁止条約の せめてオブザーバー参加をするとか両方に きちんと参加をしてで、足渡しならいいん ですけども、そのオブザーバー参加すらし ないっていう、こういうのでいいのかなっ ていうその間になんかどんどん 残念で寂しいことだと思いますね。 うん。ま、僕たちはその原爆がどれだけ悲惨なものかって聞いてきちゃってるしね。ま、 2 度ってはいけないことなのになと思いますよね。やっぱり、ま、アメリカ次第ですよね。 でもそこまで言ってと特に今のアメリカを 見るとね、じゃ本当に日本が困った時に これまでのお約束のようにね、それ守って くれるのかつうと花畑疑問じゃないですか ? みんなじゃ考えなきゃいけないと思います よね。 で、2016 年にオバ大統領当時の広島訪問があったりで、 2023年昨年はG7 広島サミットがあったりということで、ま、海外からも広島にいらっしゃる方が増えてきているんですけれども、 そういうのはどんな風に受け止めていますか? 平和記念公園にね、訪れてくれる外国人すごく増えて、それは素晴らしいことだと思うし、良かったと思います。 ただ一方で地位協定は未だに触ることが できないっていうのはね、やっぱり 残念なことですよね。うん。日本だけは 特にね、遅れてる るってどういうことなのかなと思いますね 。そうですね。あの他の国々はね、改定し たり はい。手が加えられるじゃないですか。 新国のドイツもイタリアもう 地変わってきてます。はい。 で、日本はやっぱりやはりそれはアメリカさん次第ですよね。 ま、そんな風にき家さんのようにこう芸能活動をしながらそういうことを発信するっていうことをされてる方ってそんなにいらっしゃらなくて 難しいでしょうね。だから懸命な人はそう いう発言はしないのかもしれないですけど 、 ま、でもなんかやっぱり なんか色々踏まえると自分が生まれ育った 状況とか経験した環境とかっ て考えると いや、ちゃんと言葉にし自分っていう 思いを持ちましたね。 でいることはね、悔みますね。 うん。 うん。何回も自分もあったんで、もうそうでなくなりたい。あの、なくなりたいなと思います。 え、キッカーさんからも日本の立ち位置を考えていかなければならないというようなお話がありましたが、え、石総理は 1580 年の節目に合わせたメッセージを文書の形で発表する方向で検討に入ったということです。 石総理はメッセージの発表について戦争を 2度と起こさないために必要だとの考えを 示しており発表するタイミングは15日の 終戦の日ではなく今月下旬化来月前半に なる見通しだと言います。え、そしてその 内容についてこれまでの談話の積み重ねは 大事にするとしていますが正式な有識者 会議は立ち上げず文書も閣議決定しない 方針だと言います。え、これまで時の政権 は10年後期に総理の弾話を閣議決定し、 日本政府としての歴史認識などを示してき ました。え、例えば戦後50年のいわゆる 村山においては昨の対戦の日本の行為を 植民地と侵略として反省とお詫びを表明し ています。戦後60年の小泉は村山を投集 したものとなりまして、え、さらに戦後 70年の安倍は侵略やお詫びといった歴代 の談話を投集する一方で先の世代に謝罪を 続けるを背負わせてはならないと謝罪に 区切りをつける考えを強調したものとなり ました。はい。さん、あの、キッカーさん とお話ししていって思ったのが今年で第2 次世界大戦が終わって80年ですけれども 、戦後体制というのは今も続いていて、 そういう意味では私たちは昔話ではなく 当事者でもあるんだなと。 やっぱりそういうことを忘れちゃいけないんだなっていうことを いや、でも本当あのきっかさんの今のあの対を見せていただいてですね。ま、本当やっぱり芸能活動をしながらある意味こう政治的な思いとかメッセージを語るのって本当勇気が得ることだと思うんですよね。ただあの考え方に賛否あったとしても今状況だよね。 で、自分はもっとこうした方がいいと思う んだよと。このメッセージの発信のし方は 本当にあのストレートだし、ま、あのきっ てこちらも気持ちいいし何かこう人をね こう激しい言葉でのし るっていうのではない こういう伝え方だったら多くのその今若い タレントさんとかねあの芸人さんもそう ですけども非常に参考になる自分の思いの 通の仕方なんじゃないかなと思って見て ました。的な発信の仕方だなと思って はい。 はい。 あの、核兵器や原発や地協定のこともこういう影響力のある方がおっしゃることによってなんか知らないことをしたりとかそういうきっかけになるなということも皆さん そうですよね。あの、知った人が考え始め た人がやっぱり発信していくことは非常に 大事で、あの、キッカーさんが国民が しっかり決めるべきだとおっしゃってまし たけど、やっぱりあの、特に地協定なんか 、あの、いろんな方が議論していると政治 的思想が右であるか左であるかに関わり なく、あの、改定をすべきだと人、いう人 がもう大勢だと思うんです。だけど沖縄を はめとしてこう基地の周辺以外でその国民 世論が盛り上がらないというのはやっぱり 実情を知らない。考えるきっかけがない。 だから関心を元うにも事実をこう取りに 行くまでに至っていないっていうことだと 思うんですね。だからやっぱり改定をし なきゃいけないっていうことを知った人が 発信していってそれはマスコミにも責任が あるしやっぱり言葉を濁したり止めたりし てはいけない。 がすごくこう重要だと思います。 はい。あの、国民ってかファンの方に夢を与えるね、アーティストがこう現実の問題についてこう言葉にするっていうのは本当によくインタビュー受けてくださったなって私も本当に思いますしはい。何でも聞いてくださいって言ってくださってはい。 もうその姿勢そのものがきっかさんかっこいいなっていう風に思いますね。 本当そうですね。そかさん今年同じ広島出身のミュージシャン奥田夫さんと共に活動しています。 未来の子供たちのためにですとか広島出身としてそういう戦争の記憶、そういう被爆の悲惨さの継承っていうことも考えておられると思うんですけど、こういうことをやっていきたいなって思ってらっしゃい。 えっとですね、まず全意的に私の仕事って見を切って本の仕事だったんですよ。 しかも高いところから見を切って、その、 ま、その姿を皆さんに見せてく仕事になっ てきたわけです。都合が悪くなったりね、 背景がちょっと不安になったからって 身を切れないんじゃだなと思ってね。次の 世代の人たちにね、父ちゃんお前かっこ つけてたけど俺らにひどいもんばっかり 残したよな。って言われたら辛い。 まあ、大したことできなかったかもしん ないけど、とちゃんなりに頑張ったって EGのせいでありたいと思って。 だからやれることはやりたいし言うべきことは言っておきたいなと思いますね。響きます。 いや、まあ、まあでも、ま、自分対するにあんま大きいことじゃないんですよ。自分に対する同じの決着なんですよね。その思いを引き継ぐかのように若い世代は未来へ向け歩み出している。 [音楽] 6月に広島を訪問された天皇工房両陛下 被爆者と共に出迎えたのが被爆体験連勝者 の小野愛里さん22歳 戦後80年に被爆者の平均年齢は86歳を 超えたその体験や記憶を受け継ぐの被爆 体験伝承者だ。野さんは 4月から広島市の小学校で 3 年生を受け持つ教師でもある。今連承者として大切にしていることを聞いた。 [音楽] 子供たちにとっては今まで他人ごとじゃ ないですけど80年前もうかなりお年寄り の人たちが体験してきたことっていうこと に感じていたようなんですけど身近担任の 先生である私が話したことによって ちょっとでも原爆が身近になったりとか隣 のクラスの子たちは帰ってお家の人に伝え たっていうことを話していて身間ってある 私が伝えられるからこその良さが出るかな と思い 同じように未来に向け強い思いのキッカーさん。 さに広島への恩返のため同じ広島県出身で同年の奥田さんとユニット決成 のと

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