『べらぼう』生田斗真演じる一橋治済は“敗北”するのか “悪行”の整理と最期を考察
かサ田は確かに社会的には勝者として君臨 し続ける。しかし真の意味での勝利を得 られないという書き方だ。例えば息子家 なりとの関係性である。父の陰謀によって 将軍になった家なりは次第に父を疎んじる ようになるかもしれない。あるいは全てを 手に入れたはずのはさが最後に孤独な老人 として描かれる可能性もある。壮大な屋敷 の中で誰からも愛されずただ権力に しがみつくだけの存在として第26回で 歌まろや正太が生まれ変わるなら女がいい からさと呟いたように春田にも何か叶わ なかった思いがあるのかもしれない。陰謀 でしか自己実現できなかった男の深い闇と 虚それが最後に浮かび上がるような演出を 期待したい。メラボはヤ獣サブ郎という 庶民の視点から見た江戸時代を書いている 。そこには権力に翻弄されながらも文化の 力で時代を切り開いていく人々の姿がある 。一つ橋春サ田はその対局に位置する存在 だ。だからこそは春サダの結末は単純な悪 は滅びるという完全では終わらないだろう 。権力の怪物が最後まで生き残る現実の 残酷差とそれでも文化が歴史に残っていく 希望。その両者が描かれることが考え られる。春サ田が画面に登場するたび、 また出たと言われる存在から最後にどの ような会場を見せるのか。