【あの懐かしの映画を語ろう】第2回「私をスキーに連れてって」前編――企画はホイチョイの見栄講座から始まった!(語り手:山田耕大 元にっかつプロデューサー)
では、えっと、え、こな間だの家族ゲーム に続きまして、え、今2段目はですね、え 、私を好きに連れでっての話をちょっと 山田さんに聞きたいと思います。で、この 作品は実は私と山田さんが1番最初に企画 の第一歩を一緒に行った企画なんで、 ちょっと私にも思い入れがあります。え、 ま、ちょっと話させていただきますと、 その、ま、当時、ま、家族ゲームでも話が あったように日活が、ま、ロマンプロじゃ なくて、一般映画をやろうという話があっ て、それは僕はちょっと企画じゃなかった んですけど、違う部署にいて手伝うことに なって、それでサラリーマンのが主役の 映画をなんか日部で探してるというんで、 で、たまたま僕の知り合いがホトドック プレスの編集者にいて、で、一応プロが そこで、ま、連載というか、ちょっと記事 書いてたんで、その教会で三重講座って いうのは広告代の話だったんで三講座は 映画になんなるんじゃないかなと思って サラリーマンの映画としてでそう思って 山田さんにあのこの映画にしてみるのも いいんじゃないですすかって話をしまして 山さんのあこれじゃ1回ちょっと原作の下 になって話をしようかと言って最初に山田 さんとあれですよねそのババヤ一プロの あ監督になる山田さんのが務めてたあさん じゃないバさんが務めてた日立ちの本 さんお茶の水のビルに 2人で伺ったのはこの映画のさ、サ さんが最初いなかったですよ。 あ、そうだっけ? うん。2人で行ったんですよ。 ああ、2 人で行ったんですよ。 で、2回目にさ木さんが そう、そう、そうです。1回目はあの、 あそこの日立ちの日立ちのビルのお茶の水の昼間しかないって言うんで、あの、日のあのビルに入ってる銀座で昼飯食べたんですよ。 ああ、そう、そう、そう、そう。 それで一緒に行ってで、ま、三重講座の話 で言ってますからね。月についてじゃなく てで宮講座のなしをしに行ってでばさんと 話した時にバばさんがあのま下から政形 だったからあの自分は007とディズニー 映画と若大将と育ってみたいな話をされて であのまそういう運築を話されてあこう やってま日活なんかにいるとま汚れた人 っていうかなんかもうなんか夜酒飲んでる ようなあの映画の多い中であこんな純粋バ にエンター テミトの映画が好きでいる人がいるんだなってちょっと関心をしつつで最後にでもそういう中であの山田さんと平さんに来てもらったけど自分は東方マークので映画をやりたいんでちょっと日活ではって言われて 2 人でとぼとぼ帰ってきたら僕は記憶してるんです。うん。 で、そ、その後はちょっと僕も色々と事情があって日離れていくんで、その後あの、ま、事情は、ま、山さんが詳しいんで、ま、その後の話ちょっと 聞かせていただければと。 ま、やっぱ同じね、あの、 1月ぐらい経ってまた うん。 今度はもう佐々木さんこって話で 今度は佐々木さんと3 人でなったの。うん。そう、そうですね。 で、もう少し突っ込んだ話をしてて、で、やっぱりね、東方映画好きなんですね。若大将大好きでうん。うん。うん。 [音楽] あの、それでね、あの、ま、たまたまね、 2、さんと2人で加速ゲーム うん の話をしてたらね、加速ゲームあんま好きないて言て、あ、そっか、ちょっと目がないかなみたいな話をしてたんだけど、 なんか色々話してるうちに ちょっとね、色気が出てきて、あの、僕はもしやるんならね、僕は自分が宣伝をやってるってこともあ の宣伝部でしたよね。 そうね。宣伝部。あの何やってるったらあの暴れん坊将軍担当してた。そうなんですか。言 てた。それでね、あのチケットのデザインまでやらしてくれてんですよ。 ああ、そう。オタクだから。ま、オタクっていうかそうですね。 そうね。脚本音本音はね、あの、あの人、田生さんでお願いしたいとね。 た、相夫さんってあの、若大将 東方のね、企画部属のうん。 あの、大先輩なんですけども、あの、同じ字が同じでね。 うん。 で、田さんは当時もう随年で若い講座なんか絶対書けないという。 まあ、でもね、ま、ちょっとね、僕はもう、もう大体同い年なんですね。学年同じなんだけどやっぱちょっと僕は合わないかなと思って。 うん。あの、 ま、日の映画の人たちとはもう全く真逆の人でしたもんね。そう、そう、そう。したらね、ま、そのジのその佐々木さんは面白いからつってその後ずっと会い続けるんですね、あの人。 うん。 で、ある時、ま、僕メリス活やめてね、メリスと そうですね。ま、その間に1 回だからですよね。その山野さんがうん。 あの、私を好きになる前の時に僕がだからもう僕日めてもうパイオナーに行ってたんですけど、あの、佐々木さんから電話あって、佐々木さんも実はもうその時 ATGに1活めて、あの、もう 1人の史郎さんと同じ ATGから、 あ、そうです。そうです。そん時ATG に行ったと思いますね。 ま、ネマ、どっちにしろ、ま、あの、日離れてて、で、え、ついにそのバさんの映画見えちゃなくなったんだけど、あの、スキーの映画になったと。 で、ちょっとその来年撮るんだけど、 今年ハでスキーのその映画の品ハてか、ま 、シナリオハンティングみたいんで意識 っていうのを脚本会に決めたんで、あ、 あいつがスキーできないから、ま、平田君 は結構学習でやってたんて聞いてるんで、 ちょっと一緒にあのスキー場に行ってくれ ていて、僕が意識と3泊4日ライバ プリンスにその当時でもATGの企画日 だったと思う 他のなんか20万ぐらいもらって2人で あの防御しかできない式にあのスキーとは と言ってこう教えてでま普通の趣味はこう いうスキーやってるんだけどババさんたち のいあの政学がこういう名プリンスでこう いうとこで飯を食ってこんな遊びしてたん だっていうのをこう三泊を掲けて伝え たってことがありましたね。 で、それで、え、なんかその次の年に、え、映画になる時にはなぜかその史郎さんじゃなくてメリスの方になってったって、その生は僕もよく知らないんですけど、その辺のことちょっとお願いします。 あの、とにかくね、僕んところに電話変わってきたのは、ま、あの、意識の部ってね、一緒に、あの、うん、会社やった仲間なんで、 意識の武器ってのいるだろうと、あれちょっとね、貸してくんねえかみたいな。 で、電話があってね。 うん。 それでその時に、あ、ま、その時にで うん。 品行ったんだと思っ。 そう、そう、そう、そう、そう、そうです。 うん。うん。 それでね、で、僕はその後の生き殺さ知らないんだけど、 白さんからあのパバさんが本書いたんだつって うん。うん。 あの、読んでくれ。 うん。 で、それはね、ば、意識が入らないバさんが単独で書いたもんなんですけど うん。 あの、ま、あの、私を好きと言っての原型 うん。 ではあるね。 うん。 で、それんで、これをね、やっぱり意識に直さしたいみたいな話で、で、なんか意識のなんか、あの YouTube のあれ来たら意識は意識全然別の話考えてたね。 うん。うん。 で、結局バさんの 原案ついかね、 あの大を元にやろうって。 うん。 で、やっぱりね、史郎さんとすごい色々動いたらしいんだけど、どこも乗ってくれなくて うん。うん。 で、たまたまバさんが富士の編成に知り合いがいるっつうんで うん。 あの映画部じゃないですよ。映画部でも 編成の 編成の編成の人に持ってったらやろうっつって若い人たちがね僕も参加したいって うん。 こうグループを作ったんね。 うん。うん。 それでね、じゃあもうとにかくやって固めて学にぶつけようってつうんでね。 うん。 あの、もうとにかく毎週金曜日夜会議 やってたんですか? 毎週 ええ、そについて うん。あの、で、 で、当初ね、佐さん うん。 も参加してたんだけど うん。 あの、あの人ね、現場全く興味ない人なんで見ないですね。 もう 企画のみ うん。 も、天才企画者なんだけど うん。うん。 現場のこと全く知らないで僕。 年ね、あの、史郎さんから、あの、なんか映画の脚本の発受けた時に脚本を書いてるとね、お前ついでに予算も立ててくんないとか言われた人本当全くね現場ないけど、だから あの うん。 当初やっぱりその当時ね、 ATD からシネマハウトって、ま、同じね。 そう、そう、そう。グループですね。 うん。 グループのところにいたんだけどうん。 シネマハウと政作の予定だったんだけどさんがどうもね、この人現場でできそうもないみたいな藤の方で思ったんですね。 うん。それで誰かないかった時にたまたまメリースにあの宮島切れてて はい。はい。 あの僕のま、 ま、飲み友のやつでもありあの築時代にね、さっきのあの撮影所の企画教の時もう うん。 ま、魚で群れとかやってましたもんね。 そ中世さんの映画若松浩司プロデュース そ詐欺流像原作 うんうん それ中世監督ってとんでもない うんうん 企画をね一緒に進めたってなって うん であのメリウス作る時に声かけたんですね さんが作った会社ですよね。 うん。声かけた。 でやっぱ宮島さんてあの焼築時代の評判がすごい良かったんですよ。 あ、そうなんですね。 赤手ナンバーワンて言われて あ、イケメンですもんね。 イケメンなんだよ。 うん。 それでね、 飲み屋でも あの会うとね、日羨ましいなみたいな話をしてて うんうん。 ま、結構ね、あの話はあってるから、じゃ、メリスやるんだけど一緒に来ますか?やりますか?つったらはい。 うん。うん。 是非みたいな形で。それで うん。 メリエスに 制作が映ったんですね。 あの、よず宮島さんとがいるからメリウスにしようと。 はい。 で、しかもね、これプラスアルファなの映物長が確さん。 か谷さん、 格さんがね。 うん。 熊代の台湾なんですわ、これは。 ああ。 で、熊さんもメンバーだから ああ。 あ、じゃあメリエスで見たな。あ あ、そっか。メリエスのメンバーに熊さんいた。いましたもんね。だよ。 ああ。 それでま、あの、メリス うん。 で、佐々木さんは企画で参加すると うん。 で、あの、まあ、毎週金曜日の夜のね、 うん。 ミーティングはね、ま、あの、も主に本シナリオ、それからキャスティング うん。 で、ま、タイトルなんかもね、当時ね うん。 スキー天国っていう有民の うん。うん。 あの、歌の一部をそのままって うん。 で、佐々木さんはね、あのトニーライザーの白、白を招くようねくがいいんじゃないか。 それそこその時にね、 石原孝ね、あの藤はい。 ね、漫ざの恋のこの辺たりって 略して満こいとかつたらみんなに馬鹿にさせてね。 あの、あの人西尾久保に住んでたんで。 あ、石尾さん。うん。 ああ。で、駅を降りてね、 北口のあの樹台へ行く道あるじゃね。 うん。はい。はい。 あそこの 道沿いにレンタルビデがある。 あ、ました。ました。 今ほらあの柔かなんか道場時なって。はい。 あそこのレンタリアでもベロンベロに酔っ払ってでも うん。 なんか知らないけど、ま、あのビデオでも見ながら寝るかつって うん。 ザエンターテイメント2っていうの ああ、 ありましたね。ホックスから。 ね、それ、あの、あのよ、酔った目フラフラしながら見てたら うん。うん。 私をスキー場にするっていう うん。 の入ってんだよ。あの、フランスあの、 あの、あ、 これだと思って私すあ、私を うん。 野球場にすれつうん。 野球場にすれてってつ うん。 のが あったんだ。 あったんだ。それ見た時はで、それをスキーにした。 あ、それ山さん、山さん 違う、違う。 石原、石原のタイトルなんだ。 へえ。 で、これはね、みんな乗ったのね。 うん。それいいタイトルでしたね。 うん。ま、パクりた。パクりな。ま、ちなみにその時ですね。だから山田さんも僕も日勝に住んでましたからね。 ま、大体日切りまし。 まあ、とにかくキャスティングをしようと。 でね、 うん。 最初ね、原田と前じゃなくてね、南の洋子だったんですよ。 あ、そうなんですか。うん。 南の洋子はいいなって話になってて うん。うん。 多分なんかね、スケジュむっちゃくちゃ忙しくてスケジュールがなくて うん。 それで結局原田さんになったんだけどで相手役を誰にしようかって うんうんうん なった時に うん いろんな候補出たんだけどたまたまね僕そうその時富士の 2時間やってたんですね うん あの水中メ鏡ネの女って大阪号さんの原作で うん であの竿愛かな主役の うんのマーニーみたいな うん 話なんだけど サスペンスやつです う で、その時の 3番手ぐらい うん。 がね、三で あ、三うん。 うん。三浩しで で、僕は打ち上げの時まだ覚えてんだけど、なんかニコニコニコニコして うん。 なんか可愛いやつだなっていう印象があったんだけど、それ 富士のやっぱりメニズが作ったんで見とかなきゃいけないってみんな見てたね。若い。 うん。 そしたらあの三浩しいいですねという話になって うん。うん。うん。 それでまだまだ売れてないですね。そう 大バってきです。 でも寺主人とこいたからなんかちょっと映画に出そうなタイプじゃないですよね。うん。 そう。ただからいいんだよね。 うん。うん。 あの、あの、ま、今見るとね、あの、ちょっとうん。 暗いう 暗さちょっとあってすごく恥ずかしがりやって うん。うん。うん。 あれすごくね、良かったね、今。 うん。 うん。 今見るとね。 そう。ああ、な、そう、そうなんですね。うん。よく出たなと思って僕そん時。 うん。まあ、だから パート2は断ったからね。 そう、そう、そう。 やっぱ寺山文科家の人だから。 うん。 やっぱ僕でもそのスキーに連れてってはそういう生きさ知らなくってその頃佐木さんにあの聞、あの会った時にあ、よいよバヤそで映画作るとでサラエニーマンの映画なんですよねって。 そう、あの、無駄つまないサラリーマンが土日だけはそのトンネルやってスキー場に行ったらヒーローになるってそうが作ってんだっていう風に聞かしとるね。 そう。あれは誰がま、 うん。 僕は聞いたのはだからダメなサラリーマンがトンネルを抜けて雪国へ行くとそう。 そこにもさ木さんの そうそう。さんらしいなと思っ 俺思った。 うん。うん。 で、週末がよくなるとナビナがあるんですね。それとプラス雪そうそうそう。あの本当は佐々木さんらしい企画やなと時本当思いました。うん。 だからあれですよね。 結局テレビになって佐々木さんの名前は企画協力になっちゃってるけど、ま、バの放的映画生活も何度も佐々木史郎の言葉出てくるから、ま、バさんも史郎さんと一緒にやったって気持ちは同じだと思ってますよ。 それでだからパート2の時 うん。 メニーズはね、あの現場でもうものすぐ パート2なんてありましたっけ? パート2ってか彼女が水着にあ、 あ、そっか、そっか。 もう現場がね、もうあの、もう本当にね、あの、ま、メリスのね [音楽] うん。 プロデューサーの責任なんだけど うん。 ま、スタッフたちがこうすごい反発する。役者が うん。うん。 バさんに反発するって。そういうのはね、ちゃんと プロデューサーが調整しなきゃいけないんだけど、なんか うん。 あの、対立したまま うん。うん。 なんかなんかこう終わったみたいな感じでやっぱり うん。 バさん自身がね、メリウスで うん。 この彼女のあれはメリスでやりたくないって言い出して うん。 で、その時に佐々木史郎さんだけ残してほしいって言ったんだね。 うん。ああ。 うん。 なるほどね。うん。 でも佐木ひさんその後あのあの君は僕を好きになる。 うん。うん。映画高いですの。 うん。は。 あれのあの映画を進めてたんだよ。 白さんが。 そう。 ええ。あれ島さんがやってるんじゃないか。違うじゃ。あ、違うか。 あれなんとかパーティーってね東のラインナップに乗ったん。 ああ、そやってたんだ。ええ。 ただね感生ね。 あ、ディレ感でああ で成立しなかったんだけどその うん。 それが確定してあの うん。 あの時もだから山下達郎っていうこと言い出したの。 あの、 あの、クリスマスソングの、 そう。 うん。 あれしてるさ。 そうなんですか。 すごい人なんだよ。 いや、そう、そう、そう。知ってます。それは我の上司でしたからよく知ってますけど本当に 本当にい、ま、人知る、 知る人という、ま、 それこそあまり表に出ない人だったからね。 知らないまま死んじゃ死んじゃった感じでありますけども。 うん。 あ、そうだったんですね。 うん。で、あと僕その覚えてるのはその それこそ僕もパオやめて独立して、ま、白 、ま、さんと仲良かったんで、あの、さ さんにあの、私をスキンに設定ま、10年 後ぐらいだったんですかね。 もうスキーがちょうどもうみんなファミリーになってて、そのみんな家族持ちの好きライフになってたからそれを 2 でやったら面白いんじゃないですかって言うんでさんと話してあそれ面白いからバと話そうって言ってでバさんに話しに行ったらなんバさん子供がいないんですよね。 あ、そうか。 うん。確かそん結婚もしなかった。だからファミリー映画できないですね。作れないですね。 うん。 それで挫たことあります、私も。 うん。
#私をスキーに連れてって #馬場康夫 #三上博史 #原田知世 #ホイチョイ #山田耕大
昭和から
平成へ
移ろいゆく時──
『あの懐かしの映画を語ろう』
映画を創った人だけが知っている物語がある──
80年から90年代を彩った日本映画の舞台裏に迫る、「キネマ旬報」公式YouTubeチャンネルのオリジナル番組。元にっかつプロデューサーの山田耕大氏が製作の舞台裏を語りつくします。
■第2回「私をスキーに連れてって」
ホイチョイプロダクションの見栄講座を基に映画を制作しようと始まった企画が、スキーへ変わっていくまでの経緯、フジテレビの面々の参加、スキーをしたことがない脚本家にスキーレッスン!?など、制作のあれこれ、当時の製作秘話が語られます。
■語り手
山田耕大 氏
元にっかつプロデューサー
脚本家、元大阪芸術大学教授
■聞き手
平田樹彦 氏
映像企画・制作会社 ダブル・フィールド(株)代表取締役
〈絶賛配信中〉
第1回「家族ゲーム」
前編:https://youtu.be/MQdGi9lI2ZM
後編:https://youtu.be/ZPkQQ0ZCdJo
〈今後の配信予定〉
9月3日(水)「ベッドタイムアイズ」
9月17日(水)「ドレミファ娘の血は騒ぐ」
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1 Comment
家族ゲームに続いて
とても貴重な話を聞けて
良かったです!!!
家族ゲームに比べて
ホイチョイ・プロダクションの
作品は
エンタメ色が強すぎて
内容は、どうかナ?って
感じでしたが
裏話を聞くと骨太なスタッフが
色々と絡んでるんだナ〜!と
感心しました!!!
作品のヒロインが
最初は原田知世じゃなくて
南野陽子だったのも
意外でした!!!
😳🎬🎬😳🎬🎬😳🎬🎬