【窪塚洋介も傾倒した「縄文」の思想とは】岡本太郎を熱狂させた「日本古代文化展」|上流=詫び寂び文化に対抗した縄文文化|オーガニックと皇国史観を接続した太田竜|参政党は出るべくして出てきた【中島岳志】
自分のこう願望とか夢とかあるいは現状批判とかいろんなものを固くしてこう縄文を語ってきたんですね。そのこう歴史っていうものを辿どっていくことによってま、ある種の戦後の精神士っていうのを描けるんじゃないか。理性的な近代のま、その外に追いやられてたオニソス的なものドロっとしたものですよね。そういうものにま、岡本は非常に心引かれてえ、そして技術家としてスタートしたわけです。 縄文サハという言葉が結構全体を通じて出てくるなと思っていて、プリティブなものっていう風に阻害されてきたものの中に本当の大衆性っていうかていうものがあるんじゃないのか。 いわゆる縄文派的なスピリチュアルな縄文 派を生み出していく1つのなんかこう典型 的な形になってくるスピリチュアリズムと ナショナリズムっていうのがこう合流した 僕は平成ネオナショナリズムと当時名付け たんですけども私自身は賛党イコール 安倍晋三プラス安倍明恵っていう風に書い てこれはけど決して思想的には珍しい タイプではないっていうことなんですね。 で出るべくして出てきたと思っています。 独自の視点で歴史を紐プラスヒストリー。今日のゲストは 5月にご出演いただいて以来2 度目の登場となりますの中島た武さんです。中島さんよろしくお願いし よろしくお願いします。 え、今日のテーマはですね、縄文時代に日本人が夢見てきたものとしまして中島さん、あの今年の 6 月ですね、こちらのあの太田出版さんから縄文革命とナショナリズムを出されました。 あの、これは縄文時代そのものについての本というわけではなくて、あの、戦後日本において縄文がどのように、ま、捉え直され語られてきたかについて うん。 ページ数にすると400 ページというかなり体となっていますけれども、こちらの 1 冊について、あの、前半でお伺いしていきたいと思います。で、後半はちょっと話全くありまして、あの、 1 番総理の言葉についてもお伺いしたいなと思っております。 じゃ、まず前半パートなんですけど、ちょっとなぜ今この縄文テーマとした本を中さん書かれたんでしょうか? そうですね、あの、ご紹介いただきましたように、あの、縄文時代について書いた本じゃないんですね。なのでくれくるも、あの、この本を読んで縄文時代の勉強しようと思われないでくださいということなんですけれども、あの、縄文について戦後日本があの、どういうものを固くしてきたのかという、ま、芸術家とかあるいは知識人とかいろんな人たちのこれ高校学者の学説でもないんですね。 ではなくてやっぱり縄文って色々分からないとこだらけですよね。本当にあのなんであんなにこう縄文時きが装飾なのかとかっていうのもやっぱり分からないし土をどうやって作使っていたのかも分からないし、ま、その分からない部分にいろんな人達っていうのが自分のこう願望とか夢とかあるいは現状批判とかいろんなものを固くしてこう縄文を語ってきたんですね。 とするとそのこう歴史っていうものを辿どっていくことによって、ま、ある種の戦後の精神っていうのを描けるんじゃないのか。 ま、そう思ったのがこの本の大きな趣旨でした。 ええ、 あの、本の最初からその戦後についてのお話になっていて、その戦前先中についてのその縄文のつの記日ではなくて、戦後からこの本が始まってるのはなぜなんでしょう? はい。そうですね。あの、ここでガラっと 変わるっていうのがね、重要で、まずあの 、戦前線中のこう歴史館、いわゆる広告と いうものにおいては縄文って居場所が なかったんですよね。やっぱりあの天皇、 そして危機神話っていうところから歴史が 始まるっていうのが、ま、広告、ま、教科 書、歴史の教科書なんかもそうやって 始まるわけです。で、そうすると、ま、 大和長定からっていうことになってくる わけですよね。 文字が残ってる歴史とするとその前は神話世界とでそうすると縄文の居場所がないわけですけれどもしかし人々が知っていてそれ以前に日本に人が住んでたとなぜならばあの今でも品川にありますけども大森か塚って有名ですよね。モースという人がもう明治に発見をしていて やはりあのこう縄文時代っていうのがあったということは知っていたわけです。 とするとこう歴史教者で習うのはですね、こう大和王朝からっていうことになるわけですけれども、しかしそれ以前にも歴史があったっていうのはみんな知ってる。 このなんかモヤモヤっとしたものがですね 、先中期にはあったと思うんですけども、 これ戦争が終わってですね、広告っていう のがこう、ま、分解されたということに なるとですね、しかもあの戦後日本人、ま 、自信を失ってる時ですから、やっぱり 日本人のアイデンティとか日本人って そもそも何なのかとか、ま、そういう 問いかけが非常に大きかった時にやはり この大和長廷以前の日本ってあるいは現ま 、元々の日本人って一体何なのかっていう ことに、 ま、関心が湧いたんだと思うんです。で、その時にあのブーすごいブームになったのはあのト遺石のブームだったんですね。 あ、そうですか。 で、うん、やにですね、あれだけ大きなですね、水電っていうのができていて、そして高式走行なんかも見つかったと。ま、かなり大規模なこう集落っていうのをこう形成していたっていうので日本にも古い時代には立派なものが今のイ作文化につがるように立派なものがあったていうそういう意識が高まったんですけどもう一方でいわゆる時文化ですよね。 旧石時代っていうのがこれは岩熟遺跡の 発見。相澤ან博さんていうね、え、方に よって、ま、発見をされるということで さらに古い時期っていうのもあったんだと 。一体日本っていうのはこう古代どういう 状態だったのかって関心があった時に 1951年だったと思いますけども上野の 国立博物館で大きな大古代みたいなのが あるんですね。 で、これにあの人々がーっとものすごいたくさん押し置きせて、ま、古代子ブームみたいなものが熱を帯びたっていうのが戦後すぐの 5年間6 年間ぐらいで起きたことだったんですね。広告間のそのタブーが、ま、配線によって解き放たれて常務への注目が集まったということですよね。 あの1951 年の今島さんにおっしゃっていいた日本古代文化店国立博物館で行われていて本の中だとその来場者数がま、当時 10万人以上が1 ヶ月で来たということで相当反響があったと思うんですけれども これはどういったような内容だったんでしょうか? これはね、あの何かこう特定の歴史館に基づいてこう異物を並べるのではなくてただただこうずっと出てきたものっていうのを静かにこう沈もだったようなですね。 あ、そうですか。あの、この時の、ま、 博物館のニュースレターっていうのが残っ てるんですけれども、ま、そこでこの展示 の意図っていうのをここの、ま、学芸の皆 さんとかあるいは館長さんが書い てらっしゃるんですけれども、やっぱり あの、見る人に委ねようと何か特定の歴史 感っていうの語るんではなくって、古代の こうあったものっていうのを並べるだけで ですね、あの、日本人が自分たちのあり方 っていうのを考える、そういう場を提供し ようっていうのがこの展覧会の趣旨だった ようですね。はい。この来場者の1 人にその岡本太郎、美術家の岡本太郎が、あの最初の賞は岡本太郎についての賞になっていたと思うんですけれども、太郎はこの天井どういう風に見たんでしょう? いや、そうなんです。ま、あの、ここからあの縄文の見方が、ま、大きく変わると言ってもいいんですけれども、この国立博物館の展覧会にある日、岡本太郎が訪れるんですね。で、彼はびっくりするわけです。 それ何かというと、ま、岡本太郎さんは 1930年代約10年間ですね、フランス のパリーに留学をした人で、ま、前衛芸術 家ですよね。え、当時のあの、ま、ピカソ なんかに非常に大きな影響を受け、ま、 シュールリアズムって言われる、ま、芸術 運動の中にですね、ま、しかし、あの、 それに対しても対抗したいというような、 そういう考えの中から対局主義っていうの を考えられるんですね。もう異質なものが 同時にこの中でぶつかり合うっていうこと 。それ自体の中にこう芸術っていうのが 現れるんだと。後に芸術は爆発だっていう ね、あの言葉で有名になりますけれども、 ま、そういった芸術感を持っていた。 で、それであのフランスで、ま、マルセルモースっていうですね、文化人類学者を指導共官としてですね、わゆる、ま、鍵かこ付きなんですけど、未会社会 はい。 にのですね、ま、仮面とかそういうものをこう見る授業で大きな影響を受けるユっていう人ともね、非常に深い繋がりを持って日本では三島幸夫男夫がね、影響を受けたことで有名ですけれども、ま、そういった、ま、近代の外部って言うんでしょうか、理性的な近代の、ま、その外に追いやられた。 うん。 ディオニソス的なもの、ドロっとしたものですよね。で、そういうものに、ま、岡本太郎は非常に心引かれて、え、そして技術家としてスタートしたわけですけども、さ、日本に帰ってきてですね、日本の文化を見た時に彼はですね、本当に嫌になっちゃうんですね。あの、京都とかの詫びさの文化が本当に嫌だったですね。なんか金星の取れたですね、調和の取れたそう日というものに対して岡本太郎は非常にこうなんて言うのかな、批判的だったんですね。 なんで日本の美っていうのはそういうよう な爆発がないんだと思ってらっしゃったと 思うんですけども、ま、そんなこう苛立ち の中でたまたまいった、ま、あの少しもし かするとこれ見てみようと思われたのかも しれないですけれどもこの1951年の 展覧会で縄文器の前に立った時に彼は大 興奮をするんですね。本当にこれだと思う と 安心つまりあの縄文時っていうのは 新メトリックじゃないんですよね。 左右非対象となんですよね。 で、かつもう本当にあの時に中期のですね、炎式時って言われるものっていうのは本当にこうなんかなんて今的に言うとでこってるっていうんですかね。ものすごいこういろんなあの動物とかが溢れていたりする。しかしどういう風に使っていたのか分からないっていう、ま、そのエネルギーに彼は圧倒されてですね。これこそ自分の追い求めてる芸術だ。芸術とま、あのなんて言うのかな。木をいつにするっていう、ま、そういうような感覚を持ったようなんですね。 はい。 貨物太郎はその改めてマルセルモースに習っていて、ま、友達というか知り合いにバタユがいて、ま、一部らその個小ジ部の授業に出てたみたいな 情報があって、ある種現代思想の、ま、先端のようなところをフランスで触れながら 同時に日本に帰ってくると縄文日本の古代に関心を持つっていうのは非常に面白い構図です。 そうですね。ですから本当になんていうか 脱近代っていうかね、あのヨーロッパも やっぱり近代っていう問題に非常に悩んで いた時期でマルセルボスは1900えっと 20年代の半場に増与論っていうのを書き ますけれどもこれもやっぱり資本主義を どうやって超えていくのかっていう問題 意識さらにま、第一世界大戦を経てですね 、新たなこう経済システムムっていうのを 考えないといけない。近代を相対化して 乗り越えないといけないっていうの中で 10年 過ごした人だったんですね。 そうした時に日本に帰ってきて縄文時を見つけてですね、これだっていう風になっていくっていうのが岡本さんでした。 ありがとうございます。あの、岡本太郎に始まってその後もあの様々な人物の現説についてこの本書かれていると思うんですけれども、あの非常に面白いなと思ったのが縄文サという言葉が結構全体を通じて出てくるなと思っていて、このことは中島さんのうん。 増語というか新しく作られた言葉。 そうですね。多分増合語だと思いますね。 もしかするとかつて言ってらっしゃった方がいいかもしれないですけども、あのはい。僕自身が縄文サ派っていう風に言って理解しようかなと思った言葉でした。はい。 非常に面白い言葉ですけれども、なんかその古代について学ぶ人というと基本的にやいやや星っぽいとか右寄りなイメージがあると思うんですけれども、この佐覇の人は縄文に注目する流れっていうのはどういったものなんでしょうか? はい。そうですね。あの、 1 番大きかったのはやっぱりあの天皇以前の日本っていうことだと思うんですね。 やっぱりあの戦後半にとってこう天皇性っていう問題があるいはそれの乗り越えっていう問題ですよね。ていうのは非常にこう大きな課題としてあったと。 その中でですね、この、ま、吉本高明さん のことも書きましたけども、吉本さんは やっぱり大衆とつがると、大衆の現像って いうのが非常に重要な、ま、彼の定勢に なるわけですが、ま、そうした時にですね 、この日本の大衆とつがるイコール天皇線 に巻き込まれるみたいな問題をですね、 どう超えたらいいのかっていう、ま、その 問題を考えてる時にそっかと天皇以前に 日本人がいたじゃないかと。元々のここに 解棄することによって天皇性国家っていう の脱構築をし、そして別のですね、世界に 開かれた日本という枠組をこう超えていく ようなそういうイメージのこう新たな自分 たちの自画像っていうのを描いていけるん じゃないかっていうので、ま、吉本さんと かあるいは島尾さんとかは、ま、同時に こう南頭ですよね。 え、そういうような、ま、南頭文化っていうものと古代っていうものをこう結びつけて日本のこう見方っていうのをこう超えていこうとする、 ま、そういうブーブメントの中にこう縄文っていうのが置かれていくっていうのがあったと思います。 で、もう1 つはですね、やっぱりこれが階級の問題と見なされたことがあって、岡本太郎さんもやっぱり詫びさび嫌だっていう風におっしゃって、その後、ま、縄文を発見した後に、 ま、日本を旅をされるんですね。 で、こういう縄文的なものはどこに残っているのかって言うと、例えば岡本さんが注目したのは秋田の生ハゲとか うん。 え、あるいは獅踊りっていうのがね、岩手にあったりしますけれども、こういったなんて言うか、ドロドロっとした驚しいものですよね。ま、アヌもどうなんですけども、そういったところにこう縄文っていうものの何かが残ってるんじゃないか。 つまりこれはあの日本の貴族文化というか 、え、ハイカルチャーからこう阻害をされ てきたもの、プリミティブなものっていう 風に阻害されてきたものの中に本当の性 っていうかっていうものがあるんかって いう、そういう思いがあったので、これ なんかある種のこう階級逃争的なものに シフトしていくんですよね。流階級の文化 に対してある種のこうみんなの庶民の文化 みたいなものが定された時にこの庶民性 みたいなものが縄文的なものそしてこの 貴族的なものっていうのが詫びみたいなえ なった時にこの母の人たちにとってはこう 大衆的なものそして脱天皇 としてこの縄文がこう輝いて見えるという 時期が19ま50年代70年代です ですね。 ずっとやってきたっていうことだったと思います。 この階級問題について注目されたのはあのコン太郎さんといえばやっぱりあの大阪パンパの太陽の塔が有名であれ 1970 年だと思うんですけれども吉本さんとかがあのすごく伝説影響力持っていたのは 60年代70 年代のイメージがあってこの階級問題の注目がその時期の起きたというのはどういう社会的な背景があったんです? はい。そうですね。あの、やっぱり 1960年代っていうのは高度経済成長 っていうので、こうどんどんどんどんと ですね、日本が新たな道を歩んでいる時 ですね。ま、しかしあの世の中には貧困 っていう問題が残っていて、ま、そういう 中からですね、あの学生運動1968年 っていうのがね、1つのピークですけれど も、あるいは60年安保の逃走っていうの もありました。え、この戦後の日本のあり 方に対してですね、意義申し立てをするっ ていう、そういうあのムーメントも非常に 強かったと思うんですね。ま、そういう ような人たっていうのがこのもう1つの 日本って言うんですかね。もう1度こう 何か経済でも帝国主義的な歩みをしようと し始めてる日本に対して違うものを求めて いく。うん。え、それがああ、なんて言う んですかね。 あの本の中でオータリオという人を書きましたけれども、 この人はやっぱりあの東京中心とした現代文明っていうものを破壊しないといけない。 それはっていうものの奥底から出てくる ような、ま、そのからずっとこう中央って いうものをこう追い込んでいくっていう 運動をやらないといけないっていうので彼 はですね、夫さんはあ、アヌに注目をした アヌ革命論っていうの言いましたけれども 他にも在日コリアンとかあるいは沖縄の人 たちとかあるいはブラクの人たちとかです ね、あるいは山夜の労働者とかいろんな そういったところから日本の中心っていう ものをですね、解体していかないといけな いっていう運動 がやっぱり多くの人たちの共鳴を持って受け止められたってんですかね。学生運動の人さらにま、軍派っていうのにね、流れていく人たちとか、え、山夜に行って労働者と一緒に活動するとかっていうのがね、当時の学生たちの中にもありましたけれども、あの、そういったブーメント面とこの縄文感っていうのが繋がっていく。 うん。 特に原子共産性っていうね、マルク主義の中では 1 つのこう、ま、重要なあの税と言いましょうかがありますから、ま、そことも結びついて縄文が注目されていくっていうのがあったと思います。 うん。 ありがとうございます。縄文サハーとその階級問題についてのあのご解説を先ほどいいたと思うんですけれども、あの大谷ウさんのインパクトがこのなんかあの後半の多分読み所の 1つというぐらいですね。 こんなユニークな人いたのかと読みながら驚いたんですけれども、あの太竜はあの 縄文とウファスピリチュアリズムの流れの中であの解説をされているようなところがあってこの はい。 太田竜はその佐から転校して広告主義の方に行ってるように見えるんですけれども、このオータ竜についてこう解説いただけれますか? そうですね。あの、大田って本当に現代 忘れられた人だと思うんですけれども、 おそらくですね、60年代後半から70年 代に、ま、サ覇運動に系統したり、 あるいはそこに関心を持った人はもう みんな知ってる人だったっていうぐらい、 あの、ロンダの大スターだったんですね。 で、それはあの、先ほど申し上げたように ですね、こう、ま、ある種のこう偏境って いう問題から、特にあの全教等運動の中で はですね、ま、戦後民衆主義を唱えたよう な、ま、東大の知識人、丸山中心とした こういう知識も反発を受けたんですよね。 マ山正尾の研究室が荒らされるっていう 事件があったりしましたけども、やっぱり エリート文化っていうものに対するですね 、攻撃性っていうのが非常に強かった時代 に真っ先に今そういうような理論というか モチーフで語ったのがこのオータ竜という 人だった。だからこうアヌ革命論とかです ね、そういうものあるいはあの義士を使っ てですね、こういう古代のですね、現日本 人と繋がることによって天皇性を容器 せようとかですね。 ま、こういうような彼の運動っていうのは、あの、多くこう、なんていうかな、多くの人たちに響いたんですね。ま、竹中郎っていう人とか、あるいは平岡生命とかっていうのもこのこの人たちも忘れられてますけれども、ま、非常にあのなんかこうゲバリスタっていう風に言われたんですけども、あの、よく読まれた人たちだったんですね。 で、そんなですね、最初こう、ま、愛の 革命メロンとかやってですね、過激な運動 し、ま、それが関軍派とかあるいは、え、 東アジア半日武装先生ね、あの、テロ事件 をたくさん起こした、ま、この人たちに 大変大きな影響を与えていくわけなんです が、70年代の後半ぐらいになってくると ですね、彼自身がやっぱり忙しすぎたのか 、体調を崩してですね。 で、それで、あの、この体の問題、健康の問題っていうのに彼がすごくこう関心を持ち始めるんですね。 で、その時にあの、ま、広く言うとオーガニックとか、ま、そういうようなマクロビっていう世界に非常にマクロビューティックっていうのに、ま、彼はまり込んでいくんですけれども、ま、元々脱近代ですから、ま、そういうような意識の中からですね、今で言うオーガニック運動みたいなものに彼は傾斜をしていき、ま、そこから環境運動、日本における環境運動の、ま、戦的なあの運動を彼は始めたりするんですね。うん。 で、ま、そんな中からこう、ま、動物実験 とか家畜とかっていうものに対する反対 運動をやっていったりっていうことで、ま 、ここでもまた非常にこう注目をされる 新たな左ハの展開っていうのを引きいた人 だったんですけども、ま、こういうような ですね、オーガニックの問題へとこう経営 していくプロセスの中で スピリチュアリティの世界へとどんどん どんどんとですね、彼は、ま、経営をして いき、ま、この辺りからですね、こ徐々に なんですけれども、U説とかいわゆる オカルトみたいなものが彼の思想の中に 入ってき、やがてそれがユダヤ陰謀論の ようなんですね。こう陰謀論にこうし、 さらにそれを通じてこうウ波運動へとなん かこう本人はねどっかここでパンと転候し たという意識はないと思うんですけれども これがね徐々に徐々にそういう方向に流れ ていき日本はこの縄文文化っていうそう いうものを持っている。ま、これによって 世界っていうものを大きくですね、濃厚 民族の、ま、あるいは牧地民族の ヨーロッパは、ま、常にこの権力の支配 っていうものがあると。それに対してこの 、ま、ある種の狩猟の文化であった日本の この縄文化に解棄することによってこそ実 は本当の新しい世界に解棄できるんだ。 それの資格を持っているのは縄文の血を 引き継いた日本人であると。うん。 で、その日本人っていうものが、ま、彼は元々はですね、あの、天皇性を超えるためにこんな話してたはずなのに、いつからこれが天皇と繋がってるっていう話になってきて、日本民族の世界的な優意 性っていうものが、ま、解かれるようになっていく。ま、これがあの、いわゆる縄文派的なスピリチュアルな文派を生み出していく 1 つのなんかこう典型的な形になってたっていうことだと思うんですね。 縄文坂だとその天皇性以前というか天皇性ではないものとして縄文が夢見られてきたけれども太竜の中ではその縄文とま、広告主義みたいなものがこ結びついてるということなんですよね。 はい。そうなんですよね。で、じゃあその 辺りがつまりみんなこう縄文縄文って言っ ていた人達っていうのはやっぱりこう天皇 とこの縄文っていうのが切れてい るっていう発想でだからこそ天皇性をこう 超えるために縄文だって言ってたんです けどもじゃどの辺りからこのこれがこう 連続的なこう日本人のあり方として議論さ れ始めたのかっていうのを探っていくと私 は1つの流れっていうのがま新京都学派 っていう風に言われる特にま原た志さん ですねあるいは上山俊平さん っていう、ま、私にとっては大変、あの、私自身が京都で勉強してきたもんですから、身近な人たちの世界なんですけれども、あそこに 1 つのですね、重要なあのポイントがあるなと思って、それをあの一かけて書いた賞っていうのが はい。 ありました。 あ、 はい。 その右波とそのスピリチュアリズムの接続が結構危険なものだっていうのは前中島さんにお越しいただいたのは決名団事件についてのあの会でその頃もその彼らの考えていうのは結構神秘的な側面を持ってるというようなお話がありました。でまさにそのオータ竜のスピリチュアリズムかけるあの広告主義っていうのはその戦前うん とも非常に似ているものに見えるんですけれどもこの辺りいかがでしょう? いやそうだと思いますね。ま、戦前には 農本主義っていうのがあって、え、立場の 口座ブ郎とかゴ藤教っていうのが、ま、 有名ですけれども、ま、この2人は515 事件、決名団事件の背景にいた、ま、思想 であり、農業の実践者でもあったわけです よね。で、つまり日本のいわゆる彫国主義 の中には、ま、そういった、ま、あの環境 主義につながるような農本主義っていうの も入り込んでいましたし、ま、さらにあの 決め断事件っていうのは神秘的な暗殺って いうことを言いましたけれども、やっぱり 事故の救済っていうものの探球が彫刻主義 っていう、ま、一訓万民っていう イデオロギーにつがっていったってお話を 、ま、させていただきましたけれども、ま 、極めてこう自分探しというか、え、自分 自身のこう救済を求めるっていうものが 世界全体の幸福みたいなものへと一気に こう繋がっていくような私はあのアニメの 世界系とよく似てるって話をずっとしてき たんですけれども、ま、そういう世界観を 持っていた人たちなんですね。ですから、 スピリチュアル、ナショナリズム、そして 、ま、農本主義みたいなものっていうのが こうセットであった時代っていうのが、ま 、20年代から30年代の昭和維新を支え た思想なんですが、ま、それと同系統と いうか、ま、全く同じとは言いません けれども、ま、あり方っていうのが90年 代以降生まれてきたんじゃないのかって いうのが、ま、僕の視点だったんですね。 ま、それ自体はね、0 年代ぐらいに気づいたことで、ま、後でお話することになるかもしれませんけども、久保塚陽介っていう人の分析をした時にですね、 スピリチュアリズムとナショナリズムっていうのがこう合流した僕は平成ネオナショナリズムと当時名付けたんですけども、そういうムーブメントが単なる歴史教科書の闘争とかですね、自虐試官とかって言ってた時代からもう一歩このスピリチュアリズムみたいなものと関与してくるようなナショナリズムっていうのが、ま、今から 20年ぐらい前ですね。 あの、確実に生まれてきてんじゃないかっていう、ま、そういう視点を、ま、持ったことがあるんですけれども、そことこう関係しているのが実は、あの、今回の本の、ま、モチーフの根底にある問題でした。 あ、すごい面白いですね。 あの、久保塚さんと言うと、その 2000 年代ですかね、狂の桜っていう映画があって、あの、なんか Kダブ社員とかが確か関連していて、割とその保守的というか愛国的なテーマについての映画だったと思うんですけれども、その久保塚さんとこのテーマの関わりっていうのは中島先生、どういう風にご覧になっているんですか? あのね、久保塚陽介さんがいなければ僕の本書いてないかもしんないぐらいなんですけれども、 どういうことがあったかって言うと、彼はあのという映画に出るんですけども、これはあの、在西コリアン 3世を演じたこの時ね、山 太郎とね、出てましたけれども、あの、 そういう、そして、あの、なんかこう、俺 が国境なんて壊してやるみたいなね、なん かこう民族って何なんだみたいなそんなの を超えたある種のなんていうか、国境を 超えたようなそういうあの私っていう問題 を追求した映画だったんですけども、彼は それで、ま、杉原を演じてですね、極めて 逆説的にナショナリストになるんですね。 うん。つまりこの杉原という青年には、ま 、在日コリアンでありですね。して自分の アイデンテティっていうものを巡って、ま 、その非常に肩なもの、日本人なのか、 あるいはコリアンなのかけどどっちでも ないような中途半端なとこにいる私って いうのが常にこう問われるような人生を 送ってきたとけれども自分はそんなリティ とかアイデンティというものがないって 言い始めるですね。 久保塚さん自身ですね。はい。 自、それは何なんだっていうことで、自分自身が日本人であることとは何なのかっていう時が彼の中に出てきて、ま、その時にこう自虐試観とかね、そういったいわゆる新しい歴史教科書を作る会の人たちの周辺のものっていうのを彼はたくさん読んですね、え、アメリカに支配されてダサダサで弱い日本人っていうものをこういうものをこう東京、東京裁判官とかを超えていかないといけないんだみたいなメッセージを発し出すね。 で、ま、小塚のこう受けっていう風に言われて、その延長上であの狂器の桜映画を撮るんです。 これはあのネオ登場と言われるですね、 えっと、こう、ま、渋谷のフェイクジャップっていうのを真っ白な日本人たちが叩きついくとで、真の日本人へと接近するっていう、ま、そういうような映画なんですね。 須藤元気さんがこの時出てましたけれども、 あの、その映画を撮った辺りから、ま、かなりこう なんか右波的なナナナショナリズムプラス、ま、スピリチュアリティみたいな問題が彼の中に徐々に入ってくるんですね。で、さらにそれがどんどんどんどんと大きくなっていて、これはあの、えっと、彼は最終的にっていうか、あの、横須賀のご自宅かなの 9 回だったと思いますけど、こうジャンプをしてっていう、ま、そういうワイドショ大変わした。 ま、大きな、ま、あの、騒動があったわけですけれども、ま、その半年ぐらい前にですね、あの、クイックジャパンであの、大きなインタビューを受けてるんですね。 ええ。 で、僕はそれ当時買ったんですけれども、ま、それがね、もうすごいスピリチュアリズムなんですね。もう自分はあの世界の心理っていうものを理解したと。今山のいだきのところにいるとかって言ってるんですね。 で、そうやってこうピースな世界、平和な 世界を作るためにはどういうことが必要な のかとかで、ま、ネイティブアメリカの 思想とか、え、あるいは、ま、あの、水 なんか良い言葉を話しかけると水の決晶が 変わるとかね。ああいういろんな人たちが いましたけど、スピリチュアル カウンセラーみたいな人たちと接近し始め て、ま、スピリチュアリズムと ナショナリズムっていうのが合体 した、ま、そういう思想を唱えていたん ですね。で、これはあの重要な流れだなと 思って彼の周辺っていうのを色々探した時 に、ま、彼が非常にこう傾斜をしている、 ま、あの、そういうリーダー、 スピリチュアル会のリーダーの人がいたん ですけれども、その人が縄文にしていて、 そうです。うん。あ、こういう流れがって いうところにこうかかってきてるんだって いうのを知った。 だから、あの、久保塚陽介と平成ネオナショナリズムはどこへ向かっていくのかっていう文章を 2000私ね、5年か6 年に座という雑誌に書いてるんですけれども、そこがね、私自身の問題意識のこう起点にある ところなんですね。うん。 ありがとうございます。スピリチュアリズムとそのナショナリズムは中島さんがずっと追ってきたテーマというのが今の話で よくわかりました。で、ごめんなさい。 ちょっと前半パートがもうお時間なんですけれど、最後の質問であのナチュラルとナショナルという論文を 2017年に7 年ですかね、東京新聞の方に中島さんお寄せになっていて、これその安倍明さんについて、ま、安倍妻についての文章なんですけれども、この辺りその現代の政治とスピリチュアリティナショナリズムの要想というのは中島さんどういう風にご覧になっていますか?うん。そうですね。 あの時はね、森友問題っていうのが大きく なっていて、この安倍明屋さんに注目が 集まったわけですね。安倍内閣だった。で 、安倍明さんのどういうとこに注目が 集まったのかって言うと、あの、籠池さ んってね、いらっしゃいましたけども、 籠池さんは元々あの新しい小学校を作る前 にですね、塚本幼稚園という幼稚園をされ ていて、この塚本幼稚園がですね、僕大阪 の地元に近い幼稚園なんですけれどもね、 当時から知ってましたけれども、ま、非常 にこう極的な幼稚園なんですよね。あの、 いわゆるこう教育直後をあの、幼稚寺に 暗証させたりっていうのがあですね。私も ええ、そんな幼稚園になったんだそこと 思ってたんですけれども、安倍明さんは ここを訪問してですね、その教育直後を ですね、こう唱えている幼稚園児を見て 感動して涙を流されると小学校ですね、 新しい小学校にこう熱を持ってですね、 コミットするっていうことがあったんです ね。 で、これを見ると安倍さんってすごいこう右派的な人っていう風に見えるわけですけれども 一方において彼女はですね、脱原発の運動に関与していたり、あるいはあの膨張艇ね、東北での震災の後色々膨張で作るっていうこれにも反対をしていたり、あるいはご自身でね、うずっていうお店をされていて、 居酒屋でしたっけ?そう、 そうなんですよ。え、これは、ま、 オーガニック、国産とかですね、有気農業 、ま、そういうものに基づいた、ま、そう いう料理を出すと、で、さらにはこう 極めてこうスピリチュアル会のですね、 様々な人たちともつがりがあるということ で、なんかね、このオーガニックとか原発 を見るとですね、どっちかというとね、 日本で言うと些のものに見えたわけですよ ね。なんでこの脱原って言ってるのに 森友問題では塚本地にあんな涙流すの かっていうので意味わかんないってなった んですね ね。で、その時に私が書いたのは、あの、ナショナルとナチュラルっていう問題であると、ま、この言葉っていうのは元々 1 つの語言なんですよね。生まれとかっていう、そういう問題に関わる言葉なんですけども、それがナチオとかネションっていう言葉に分れてきもしらナチュラルですよね。で、なのでこういう元々の生まれへの怪って言うんでしょうか。 ま、そういうことによって民族共同体 みたいなものと自然会役みたいなものが 合致していくっていう世界観っていうのが どうもあると。で、これはあの古いあの 新しい話ではなくて実は戦前期の彫化主義 と同道類系の問題でありがくなっていくで あろうっていうのが2017年ですかね。 森友の時に私は書いてそれでああに読んで いただいたあの文章でした。 で、その時にね、この本の太田出版の、ま、森山さんという方からこの問題について何か 1 冊書かないですかっていう風に言われた時に、ま、安倍、あエロも書いてもね、良かったんですけども、それなんかね、ちょっと違うなと思って、 この警付っていうのをどういう風に位置づけたらいいのかっていうのを書くためには縄文っていう 1 つのですね、こう、これによって串しをすることによって今起きてる問題に迫れないかっていう風に思って書いたこということになります。 そのオーガニック色への接近、その安倍明けさんの、ま、ウズーであるとか 1個まで出てきたそのオータ竜であるとか 共通してると思うんですけれどもなんかどうしても早期せられないのが賛成党の主張も 神さん最初の方はあの半ワクチンの現説がかなり [音楽] あの印象に残っていてあの彼自身も非常にオーガニックに対してのこだりの強い政治家だと思うんですけれども この賛成との存在中島さんどういう風に見てこられますか? うん。 まさに出てくるべくして出てきたなっていう風に思った政党なんですね。だからま、あの、えっと、 3 世党この間だの参議院選挙で非常にあの薬進をしましたけども、そのプロセスの中で私自身は 3 世党イコール安倍晋三プラス安倍えっていう風に書いて、これなんか X 上ですごくあの話題になったそうなんですけれども 国家は安倍晋三さんでその自然職とかそっちの方は部明さんを引き継いてるということです。 そうですね。で、こういうタイプっていう のが出てきたって、これはけど決して思想 的には珍しいタイプではないっていうこと なんですね。で、出るべくして出てきたと 思っています。で、やっぱり賛成党のです ね、神やさんの周辺にいる人たちの中で ですね、ま、神さんのいろんな動画を私も たくさん見ましたけれども、やっぱりこう 縄文にこう経営をしている人達っていうの が、ま、あの賛成党の塾とかでですね、ま 、講使をされていたりりっていう、ま、 この本でも書きましたけれども、そういう ことがあって、まさに私が辿どってきた ものっていうのが政治としてですね、出て きたなっていうのがこの賛成との問題 だろうと思ってます。 中島さんの本読んで初めて気づいたんですけれど、あの波浪木義かさんとや直樹木樹さんですねがあの 神さんのやられてた意識改革大学とか 賛成党DIY スクールで講師務められていて、 ま、両方ともあのスピリチュアル系の書き手というイメージがあったんですけれども彼らもその縄文への心拍士をすごい抱いてる人たちなんですね。 すごいですね。あの縄文スピリットみたいなものに回棄せよっていうそういうタイプですね。 はい。 ありがとうございます。いや、非常に面白かったです。 ちょっと後編こちらから始めたいと思うんですけれども、あの、打って変わってあの、石総理についてあの、中島さんにお話を伺いたいと思っております。石葉さんという人は基本的にはリスクを個人化した上でリベラルなタイプ。 2010 年代のね、半ばぐらいから彼の言論は変わっていくんです。そうですか。 リスクの社会化の方へとシフトしていく。 彼はあの強い信仰を持ってらっしゃる プロテスタントの信仰を持っていて、この ことをベースにこう保守っていう問題を 考えている極めて珍しいタイプの政治家を 合意形成をしていくっていうのが保守政治 っていうものであるとなので保守僕は リベラルだと思っていてで保守っていうの はやっぱりね極論を取らないっていうのが 非常に重要でリベラルかつリスクの社会化 っていうゾーンっていうものをまこれは かつの自民党で言うと保守本流と言われた 高知会の路線だと思いますけどもま足元 内閣からって言ってもいいかもしれない ですけど、日本の新自由主義化っていうの が非常に進んで、ま、リスクを個人化して いくっていう方向性が強くなった。 ።
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〈番組概要〉
独自の視点で歴史を紐解く「+HISTORY」。今回のゲストは政治学者の中島岳志さんです。
中島さんは6月に太田出版から『縄文 革命とナショナリズム』を出されました。これは縄文時代そのものについての本……ではなく、戦後日本において縄文がどのように捉えられ、語り直されてきたかを丹念にたどった一冊になっています。前編ではこちらの本の内容とともに、躍進する参政党に至るまで続く「縄文の思想の系譜」について掘り下げて伺っていきます。
〈目次〉
00:00 オープニング
01:59 今なぜ縄文をテーマにしたのか
03:08 なぜ戦後から書き始めたのか
06:56 岡本太郎と縄文の美
10:59 「縄文左派」とは何か
17:02 太田竜の人物像と思想について
22:32 スピリチュアリズムとナショナリズムの合流
29:06 現代政治とスピリチュアリズム・ナショナリズム
32:36 参政党と縄文右派の相関性
〈ゲスト〉
・中島岳志|政治学者
1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻する。京都大学大学院博士課程修了。2005(平成17)年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞受賞。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。
〈MC〉
・山下覚 |文藝春秋PLUS編集部
1989年、東京都杉並区出身。慶應義塾大学商学部商学科卒業後、2012年4月にダイヤモンド社入社。書籍編集、広告営業に従事し、2019年4月に文藝春秋に中途入社。ノンフィクション出版部、月刊「文藝春秋」編集部を経て現職。趣味はブラジリアン柔術。
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6 Comments
火焔型土器も対称性を意識しているものもたくさんあり、縄文土器はシンメトリックではないと言うのは乱暴すぎる。
ロゴスは常に海外から齎されるとするバイアスを少々感じます😊まあ人口の多い大陸の方が性悪な人間がどんどん悪くなって行く傾向をは認められますが😁
参政党のことをスピリチュアルと言いたいのですか?
この人の国籍はどこなのでしょうか?
現代的な、または近未来的な展望にあって語られる事。根っこにある思いのそもそもの原因は、「戦後」なる異常な、人為的、恣意的な歪に対する本能的な不安感と、それに裏打ちされた素朴な反動ではないのかな。
単純化しすぎかもしんないけど。
コメントに参政党信者の発言が‼️お前こそどこの国の人間か?そもそもどこの国でも構わんだろ‼️日本で暮らし、日本で生きてゆく人たちは皆日本に暮らす隣人だ。昔から日本の国はそうやって発展してきた寛容と混血の国だ。よく勉強しろよ。励めよ。
土偶とかいまのフィギュアみたいなもので、特に意味はなくて自分の理想の女性を作って自慰に使ってたとかありえるからな